法話
 

回向(供養)の心

         
 回向の心
  回向とは、自ら修めた功徳を他人の為にふり向け、その善根功徳を他人に施すことです。又仏事法要を営み故人が安楽で有るように期することです。後から善を積むことから追善回向ともいいます。 
 先祖、亡き父母のために供養することを回向心と呼びます。回向心とは供物を捧げれば、それで良いというものではありません。問題は供物を捧げる人の心構えです。先祖父母に心から感謝し、自らを反省し、自分も生かされて生きているという自覚をすることが大切です。 
 「縁なき衆生はしし」というが有ります。いくら慈悲深い仏様も、仏の教えを聞く耳を全くもたない者は救いがたし、という意味です。同様に先祖、父母に対する尊敬と孝養の心を持たない者は、先祖様から守護されません。

回向の功徳
 法事 お寺参り等の供養を追善供養と言います。この追善供養は、生きている者が一方的にふり向けている行為と思いますが、そうではありません。
 仏典には「7分1獲」と言うおしえがあります。「故人の為に福を修すれば、7分のうちに1分をうるなり。後の6分の功徳は生者の自利なり」つまり故人は功徳の7分1しか受け取らず、残りは7分の6の功徳を施した者にさし向けてくれるというのです。 ですから故人に対する供養は結果的に自分の為ということになります。
 「慈悲は人のためならず。巡り巡って、我が身のために。」という諺があります。追善供養という慈悲の行為は、必ず自分自身の為にもなるという事です。昔から追善供養をする家は繁栄する、といわれていますが、巡り巡って功徳がさし向けられているからではないでしょうか。