北海道三十三観音
 
緑の大地と日本最北、最大のスケ−ル
大正2年開創 
よみがえった霊場
札所配置図

北海道33観音マンダラ(丸山寺蔵)



 当霊場は徳島県出身の山本ラク(得度名 善真)さんの発願により、大正2年(1913年)真言宗の寺院を中心に観音像が配納されたのをもって開創とします。
 山本ラクさんが徳島市で旅館業を整理して、全財産を投じて造顕された三十三観音像は名古屋の仏師によって謹刻されたもので、西国三十三観音霊場の各本尊を縮尺したものです。像を安置する台座には「施主.山本ラク一力」と書かれています。つまりラクさんの独力で奉納されたことが分かります。
 この観音像の開眼は開創の前年、大正元年名古屋市において当時の高野山の管長を迎え盛大に行われた。ラクさん68歳の時でした。
 この霊場開創に当たっては、ラクさんの出身地の徳島県板野郡から開拓にやってきた人々が物心両面の協力をしました。又札所の配置においては道内寺院の住職が力になりました。
 ラクさんは霊場設立後大正7年(1918)しばらく旭川市に大師教会支部を設け信仰生活を送りますが、大正12年故郷徳島に帰り、菩提寺の円行寺に身を寄せ、大正15年1月17日82歳の生涯を静かに閉じました。
 この霊場が開創されたとはいえ、自然の厳しさ、経済状況等から霊場を訪れる巡拝者は有りませんでした。しかし、山本ラクさんの強烈な信仰の火を消さぬようにと資延憲英僧正の努力により、開創から75年がたった昭和60年、霊場会が発足し北海道三十三観音霊場が蘇りました。
 それにしても、山本ラクさんが北海道にこのような壮大な霊場を作ろうとしたのは何故なのか、今になって知るよしも有りませんが、平成に入った現代全国各地から供養のため、祈願のためそれぞれの思いを心に抱き、時代を超えラクさんの歩んだ北辺の霊場を巡る姿は仏様の目には同じに見えるのではないでしょうか。
「参考資料北海道三十三観音(資延憲英著)」



14番本尊(如意輪観音)

14番にお参りする参拝人