Lau博士を悼んで

 私が30年来おつきあいしてきた著名なプラント・ハンター、アルフレッド・ラウー氏がお亡くなりになりました。
 氏はプロテスタントの神学博士で、メキシコのベラクルスの近くに恵まれないインディオの子を育てるラウー・ホームを作り、その運営資金をサボテンの販売や講演収入、寄付などでまかなっていました。氏の教育方針は、インディオの子供達に教育を与え、大学まで卒業させて地域のリーダーに育てるのです。そして氏は、その辺境地域でインディオをガイドがわりに植物調査をする事によって、サボテン、多肉植物、ラン、ソテツ、トケイソウ、ムシトリスミレなど、植物全般にわたって数え切れないほど多くの新種を発見するという、余人には不可能な偉業を成し遂げたのです。
 氏の名前を一躍世に知らしめたのがベンケイソウ科の新属新種タキトゥス・ベルスの発見で、氏の名を冠したエケベリア・ラウーイとともに、多肉界にセンセーションを巻き起こしました。サボテンにはさらに多くのラウーイが存在し、マミラリア・ラウーイ、エキノセレウス・ラウーイ、エキノマスタス、コピアポア、エピフィルム、チュルビニカルプス等々、枚挙に暇がありません。勿論、ティランジアや食虫植物のピンギクラ、イワタバコ科のスミシアンサやツユクサ科の植物にまでラウーイは存在します。
 私は氏と頻繁に文通していた関係で、このような新種情報や、珍しい植物の種の提供を受け、私の所属する熱川バナナワニ園にはラウー氏起源の植物が沢山集まって、ラウーコレクションと呼べる程の内容です。
 この30年余のお付き合いの間に氏は3度来日し、3回目、最後の旅行をコーディネートしたのが私でした。氏の活動のためにに寄付をつのるとともに、氏の偉業を日本の植物関係者に紹介したくて、サボテン、多肉関係者に限らず、食虫植物の会やサカタのタネにまで応援していただきました。
3回目の来日の折のラウ博士 (日本多肉植物の会講演会会場・八重洲富士屋ホテルにおいて)
 氏は帰国後、ベリーズで植物ガイドのような仕事をしていましたが、老齢のため活動は思うに任せず、自ずと私へのメール連絡も途絶えていました。
 先頃、氏と半年程行動を共にした経験のある島田明彦氏からの連絡で、氏の逝去を知りました。
 事情があってメキシコを追われ、家族と離れてホームレスのような一人暮らしをしていた氏の生活振りを考えると、その名声の割には余りに寂しい最後だったのではないかと思われ、空しさを禁じえません。
 せめて氏の形見となってしまった多くの植物を大切に育てることによって、氏の冥福を祈りたいと思います。
                             熱川バナナワニ園研究室 学芸員 清水秀男
アルフレッド B. ラウ氏の植物
(左から Turbinicarpus laui,  Mammillaria laui,  Copiapoa laui, Echeveria laui) 写真提供 飯島瑛雄 平尾博
 3回目の来日の折、講演会設営のためラウ博士を宿泊先まで出迎えに行きました。半日程度のお付き合いでしたが、私の分り難い英会話を忍耐強く聞いて下さり、熱心に資料の説明をなさいました。質実で温厚な方でした。
 今、清水先生のバナナワニ園研究室では、エケベリア・ラウイが咲き誇っているそうです。日本でも、趣味家の手元で色々なラウイがラウ博士の業績の証となって鉢の歴史を刻み続ける事でしょう。
 ラウ博士が神の御許で安らかに眠られますようお祈り致します。  2007年4月16日  Webシャボテン誌 事務局 大森緋可子