刺物の系譜 @ 小林公夫氏が残した刺物達 柿崎 碩(カキザキ ヒロシ)
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Ferocactus johnstonianus |
(1) 序詞
平成21年秋一番の淋しいニュースとして、小林公夫さんの訃報を聞きました。刺物栽培には環境的に最悪と言って良い新潟県小千谷市から、信州小諸市に移り、信州サボテンクラブへも入会され、これから思う存分に刺物を楽しむ人生が待っている筈だったと思います。同じ刺物を目指している者の一人として、心から哀悼の意を表するものです。
さて、彼のことを敢えて刺物の先達と言わせてもらいます。実年齢は私の方がひとつ上でしたが、長い間サボテン界で活躍された実績とネームバリューは遥かに私より上ですので、敬意を込めての先達表現です。その先達の凄いところというか、真似のできないところはあの小千谷市で刺物一筋を貫いた事に尽きます。私共は年平均の晴天日数が日本中で最も多いところで栽培しており、夏の昼夜の温度差なども比較的簡単に得られる好条件のもと、刺は勝手に出てくるものと考えておりました。圧倒的に不利な条件のもと、悪戦苦闘しておられた先達のご苦労など、彼の著作を読むまでまったく知らぬが仏でした。
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小林系刈穂玉・2個体 | 各種神仙玉 | 小林系北方タイプ神仙玉 |
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小林太刺竜眼 | 小林黄金冠 | 小林神竜 |
小千谷市の彼の栽培場へは何年か前ですが、日本海サボテン大会の折に一度だけ伺わせていただきました。
ビルの最上階で5〜6坪もあったでしょうか、さして広くないガラス温室の中に見事な刺物が詰まっていました。冬季殆ど陽が当たらないという劣悪な環境の中、これだけの刺を出させている事に正直敬服しました。
温室を拝見して、彼の刺物栽培の骨子は蒸し作り栽培である事は一目で解りました。日中締め切った温室の中で水遣り放題、夜間はクーラーを入れて冷やし、昼夜の温度差を演出するというものでした。その昔、関西方面で伊丹さんという人が、フレームでの素ガラス蒸し作り栽培法というのをシャボテン誌か何かで紹介していたのを思い出したものです。接木の神仙玉が凄い刺を出していた写真が記憶に残っています。 締め切りの室内で大量の水を与え、水蒸気を発生させ、素ガラスのままでの強光線による日焼けを防ぐと共に、高温(50℃〜60℃くらいになる筈)で雑菌の繁殖もなくなり、フェロの最大の悩みである黒カビの発生も止まります。確かに素ガラス下の強光線で強刺は発生します。良い事ずくめの素ガラス蒸し作り栽培法ですが、水分が多い為成長が良過ぎて、アレオーレの間隔が跳んでしまう懸念があります。我々の解放栽培とあまりに違うやり方にびっくりした記憶がありますが、今では彼が小千谷市で刺物を栽るには、この方法しかなかった事がはっきりと理解できます。
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フェロ・リンゼイ |
一昨年晩秋、私のもとへ小さめのフェロ・リンゼイを一鉢持参され、“種が採れるようだったら”と頼まれました。その折は既に、我が家のリンゼイは花が殆ど終わっており、ご期待に添えませんでした。その一鉢が今も残って彼の遺品となりました。昨秋も花粉を付けましたが、結実したかどうか未だ不明です。地味なフェロですが小林さんの遺品として、大切にしたいと思います。リンゼイは他の大多数のフェロと違って、日の出丸、真珠と共に晩秋から初冬にかけて開花します。日中温度が低いせいか解りませんが、何年にも亘って花粉をつけ続けましたが、なかなか結実しませんでした。数年前に初めて結実し、現在自家産の実生苗ができつつあります。
実のところ、小林さんの採種苗、実生苗は私の栽培場にたくさんあります。日本中でこれ程多い場所は他にはないでしょう。と言うのは彼から信州安曇野のT園経由で、多くの実生小苗を私が仕入れて栽培して来たからです。彼が手掛けた刺物達が開花年齢に達し、素晴らしい刺を振翳(ふりかざ)して陽光に映えております。次回からはその刺物達を折に触れて紹介してゆきたいと思います。小林さんの遺した“刺物達”として。