学びの場とそのまわりとは

1 教育でも勉強でもなく学習

一般的な説明をすれば、教育問題を中心にして、社会全体を考えていこう、という趣旨です。しかし、「教育」も「勉強」も使わずに、敢えて、「学習」つまり「学び」にしました。「学ぶ」という言葉の方がより根源的な意味があると思うからです。たとえば、オタマジャクシは、親がいなくても蛙になりますが、哺乳類はそうは行きません。ライオンの子供も、親が狩りの仕方を教えてあげなければ、獲物を捕ることができずに飢え死にしてしまいます。いわんや、人間をや。つまり、人は成長するために、色々なことを学ばなければならないのです。「学ぶ」という能動的な行為の存在があってこその「勉強」や「教育」ではないでしょうか。

英語のstudyには、「研究」「調査」という意味もあります。ところが、日本では「勉め強いる」ことや「教え育てる」という意味の言葉が先行しているような気がしてなりません。もう一度、「学ぶ」ということから考え直さなければと思いますが、皆様はいかがでしょうか。

2 子供の問題は大人の問題

「いじめ」問題もあれば、公害問題も裁判制度もあり、とご覧になられる方は、きっと戸惑うと思います。しかし、何の脈絡もない、という訳ではないと思います。管理人自身、「いじめ裁判」を取材し続けた過程において、「子供が悪くなるのは、大人の影響である」ということが決して嘘ではない、と思うようになりました。それだからこそ、「学びの場」つまり「教育現場」の周辺のさまざまな事象についても考えていかなければならない、と思います。

3 不偏不党

冒頭にも記しましたが、当HP及び管理人はいかなる政治、思想、宗教団体とも関係ありません。「はじめに政治ありき」「宗教ありき」というスタンスでは、画一的で硬直化した思考しかできません。当HPは、それゆえに極右、極左、カルト宗教は言うに及ばず、「民主主義」「平和主義」「自由主義」を標榜する団体といえども、盲目的に追従しない、という姿勢をとります。ちなみに管理人は典型的な無党派層です。