弁護士任用制度の問題点

               菊池 道人

 司法制度の改革の声が、ここのところ急に 声高になってきている。  すでに平成11年(1999)7月に、「 司法制度改革審議会」が内閣に設置され、1 3年の答申を目指している。  また、11年9月には、現役の裁判官によ る「裁判官ネットワーク」が結成され、「一 枚岩とされている裁判所に新風を吹き込むた めに積極的に外部に向けて発言し、現在求め られている司法改革についても研究、提言を 行う」という。この会は、すでに「裁判官は 訴える」(講談社刊)という著書を出版し、 複数の現役裁判官の生の声を世に問うている 。  これらの動きが目指す改革の目玉の一つは 「法曹一元化」である。  「法曹一元化」とは、弁護士または検察官 の経験を一定期間経た者の中から、選考の上 で、裁判官を任命する制度である。  すでに、平成3年10月に最高裁、法務省 、日弁連の合意の上で、日弁連が所属弁護士 の中から組織的に任官希望者をとりまとめて 最高裁に提出したなかから裁判官を採用する 「弁護士任官制度」が採用されている。(「 裁判官は訴える」P156)  法曹一元化はさらにこれを押し進め、キャ リア出身者中心のこれまでの裁判官の人員構 成を大幅に改めるものと思われる。  前揚の「裁判官は訴える」の中でも、第八 章「キャリア出身でないから見える職場の実 態」(原田豊)、第十章「法曹一元制度でまっ たく変わる任用制度」(井垣康弘)と法曹一 元化を推進する論文が掲載されている。  確かに、井垣氏が「キャリアシステムは、 判事補が先輩裁判官から実務を習いながら育 てられる制度である。実務は習う対象であり 、批判する対象ではない。つまりシステムそ のものが現状維持型であって改革志向型でな い」と指摘したような問題点が多々あり、そ れを改善し、最終的に国民の幸福につながる というのであれば、法曹一元化そのものは否 定すべきものではない。むしろ、改革の手段 として大いに活用すべきであろう。  しかし、改革というものは、ある一定の方 向性が見いだされると、えてしてその方向に 脇目もふらずに突き進み、その改革によって 生じる弊害というものが見えにくくなるもの である。  我が国は、一世紀以上も前に、明治維新と いう大変革によって、それまでの封建社会か ら近代資本主義社会、立憲国家へと一気に変 貌をとげ、西欧文明も多量に取り入れた。し かし、明治政府が掲げた「富国強兵」は、我 が国を欧米との植民地獲得競争に参加せしめ 、それがアジア侵略、昭和初期の軍部の暴走 、そして太平洋戦争へとつながっていった。  平成の司法改革は、果して、明治から昭和 前期への歴史的な大失敗のような弊害の芽を 孕んでいないであろうか。  弁護士出身の裁判官が担当した裁判におい て、その裁判官と同じ法律事務所に勤務して いた弁護士が、原告、被告いずれかの代理人 となっている、というようなケースは、公平な裁判を期待しうるものなのか。  あるいは、現職の裁判官が、その親戚が裁 判の当事者となった時、かつて同じ事務所に いた弁護士を斡旋するというケースは果して その裁判官の社会的信用にかかわるとはいえ ないのであろうか。筆者が敢えて、法曹一元化に対して、このような一文を呈したのは、実は、右記のよう な危惧の具体例ではないか、と疑われるよう な事例が、現在係争中の裁判にあるからなのである。この裁判は、現在、横浜地裁で争われている民事裁判である。経緯の概略を下に記す。                                                                     平成6年7月15日、津久井町立中野中学 校の当時2年生の男子生徒が、自宅で首吊り 自殺。この生徒は同年4月に相模原市内から 転校してきたが、初めて中野中学に登校した 1学期の始業式の日に、補導歴もある同学年 (クラスは別)の生徒ら十人のグループから 脅かされ、それ以後、同じクラスの生徒たち からも、ベランダで集団暴行を受けたり、偽 のラブレターを渡される、机を教室外に運び 出される、教科書やノートに落書きをされる などの嫌がらせを被った。自殺した当日の朝 には、机の上に給食用のマーガリンが塗られ 、椅子の上には画鋲が置かれていた。 しかし、学校と町の教育委員会は、これら の行為があった事実を認めながらも、「いじめ」ではなく「成長過程のなかでの出来事」 とし、自殺との因果関係を認めていない。生徒が自殺して僅か半日後の翌朝には、全 校生徒を体育館に集め、「マスコミ等の取材 には一切話さないように」と指導、また電話 連絡網を使い、父母にも同様の趣旨を伝えた 。自殺した生徒の両親及び支援団体「子供と ともに育つ会」は度々、津久井町に真相の調査を要求したが、「いじめ」であるとの確証 は得られないとの回答ばかりであった。自殺した生徒の両親は、同級生の男女10 人と津久井町、神奈川県を相手に、平成9年 5月に横浜地裁に訴訟を起こし、現在係争中 である。  ところで、この裁判での津久井町の代理人 ・赤松俊武弁護士は町の顧問弁護士ではなく、 第一東京弁護士会に所属している。 独立開業したのは昭和54年であるが、尾 崎行信氏の法律事務所に勤務していた。 尾崎行信氏は、尾崎行雄の孫であるが、津 久井町長の天野望氏の祖母は尾崎行雄の妹であ る。  尾崎行信氏は、平成6年2月から11年4 月まで、「最高裁判所判事」の身分であった。 弁護士出身の裁判官である。  前述の自殺した中学生の両親が横浜地裁に 訴訟を起こした平成9年5月の時点で、 尾崎行信氏は現職の最高裁判事、司法の上層 部の人である。  尾崎・赤松両氏の間で具体的にどのような やりとりがあったのかは不明ではあるが、両 氏の経歴を見れば、全くの偶然と考えるのは かえって不自然である。  筆者はこの裁判を第一回目から欠かさずに 傍聴し続けているが、真相の解明と公正な判 決を期待する立場からすれば、右のような事 実から生じる疑惑は、裁判官に対する一国民 としての信頼を損ないかねないものである。  法曹一元化は、弁護士と裁判官との人的交 流を活発にする反面、双方の癒着を生む危険 性も考えられるのではないのだろうか。  もちろん、法曹一元化によるプラス面は十 分に活かされなければならないであろうが、 マイナス面も想定し、それを防ぐべく、有効 でわかりやすいルール作りも必要なのではな いのであろうか。  「司法改革審議会」「裁判官ネットワーク 」その他関係各位の賢明なるご配慮を期する ものである。                  

*この稿は、「現代展望」2000年新年号に掲載された(原題「法曹一元化に死角はないのか」)。この後、上記の裁判は、自殺した生徒の両親の勝訴(二審で終結)となった。