国体馬術場にダイオキシン疑惑                 菊池道人

 平成十年秋に、第53回国民体育大会「か ながわ・ゆめ国体」馬術競技が開催される予定の津久井馬術場にダイオキシンが埋まって いる可能性がある。津久井町は神奈川県の北西部で、東京都と 山梨県の間に食い込むように位置し、県の水  源地・津久井湖のある山間の町である。同 町西部・鳥屋に建設されたこの馬術場は、も とは秋本薫元町会議長の所有であったが、ごみ焼却炉から出る焼却残灰が昭和五十二年から長年にわたって、穴を掘っただけのところへ投棄されていた事実が神奈川県の資料に記 載されていることが、「特捜プロジェクト」 (日本テレビ系)によって、平成十年三月二十五日に指摘された。馬術場入口近くの駐車場に該当する場所である。( 津久井町当局によれば、神奈川県が購入したエリアだという) これらの残灰を排出した焼却炉は同町・青山にあり、津久井・城山・藤野・相模湖の四町で構成される広域行政組合が運営していた。平成二年八月二十一日のNHKニュースの 報道によれば、これより四年前に津久井町は 右記の焼却炉の電気集じん機内の残灰のダイ オキシン濃度を測定したところ、680ナノ グラム( 1nは一億分の一)という高い数値を記録した。 これは、国の調査の平均値の四百倍で、厚生省の発表した緊急に削減対策を要する判断 基準の80ナノグラムの八倍以上の数値である前述の「特捜プロジェクト」では、この680ナノグラムという津久井の測定結果が「 平成二年厚生省資料」として報じられていた。町、国が高濃度のダイオキシンを認めた焼却残灰を神奈川の水源地の一つでもある宮が瀬湖にも近い山林に埋めていた。土の中から湖にしみだす危険性もある。しかも、その場所に馬術競技場を建設したのである。

 「朝日新聞」によれば、この馬術場建設の総事業費はおよそ29億2100万円で、そのうち県が23億5100万を負担した。さらに、馬術場付近は土石流災害の危険が あるために、安全対策としての砂防工事に約 10億円をかけたという。国体の競技期間はわずか5日間。終了後は多目的グラウンドに造り変えられるという。 地元関係者によれば、国体開催による地価 の値上がり目当ての馬術場建設ともみられ、 また津久井町の天野望町長の夫人が不動産会社を設立したともいわれている。閑話休題、利用価値の少ない馬術場に 多額の費用をかけ、しかもその下にダイオキ シンを含む焼却灰が埋まっているということ は、一般的な常識からすれば、激しい批判を 受けてしかるべきであろう。しかしながら、津久井町では、佐藤健一町 会議員が平成十年三月九日の定例議会で取り上げていた他は、表立った住民運動は起きてはいない。六月のリハーサルでは、数名の観客が、ダ イオキシンを話題にしていたと、近くに住むある住民は語っていた。 「これから津久井も大変なことになるって言ってましたよ」 小さなさざ波のようにささやかれてはいたが、例えば埼玉県所沢市のような大波濤になる可能性がないとはいえない。

 馬術場のある鳥屋地区の商店で買い物 をしていた主婦に尋ねてみた。 「馬術場にダイオキシンが埋まっているとい う話を聞いたことがありますか」 「そんなことはないです」 強い調子でその主婦は否定する。 「ごみなんか捨ててはいません」  そう語る主婦の表情には露骨な不快感が表 れていた。鉄道も通らない神奈川県西部のこの山村で は、住民同士の連帯意識は極めて強いが、そ の分、「おらが村意識」も強く、地域住民の 間で事を荒立てないようにする傾向がある。 しかも、他の土地から来た人間を「旅の者」と呼び、必要以上に警戒す る。      ダイオキシン疑惑を全面否 定したその主婦の様子にもそれはありありと 感じられた。そうした中で、「馬術場が出来て、もうかっ た人もいるんじゃないかしら」  と語ってくれた老婦人の声が筆者の耳に大 きく聞こえた。他の土地ではそれ程大きくは聞こえないで あろうが、それらがいくつも集まり、とうの昔に住民運動になっているはずである。 まして、開会式には皇族のどなたかがおいでになるとか、住民の間でささやかれている。

 人類の生存にかかわりかねない猛毒が放置 されている場所は、速やかになおかつ慎重に調査することは、行政の当然の義務である。今からでも遅くはない。神奈川県は早急に 津久井馬術場付近の土を調査し、もしダイオ キシンの危険が確認されたならば、馬術競技を中止する勇気を持って欲しい。それは、他 の自治体における対策にも弾みがつくはずだ。

津久井町国体推進課の話   「全体の用地は9.6haあり神奈川県と津久井町の二者で買収した。たしかに二十数年前に焼却灰を埋めたと聞いている。その場所はどこだか正確にはわからないが、神奈川県が買収した用地だと聞いている。」

*この稿は「月刊・地球環境」1998年10月号に掲載された。その後、国体はダイオキシン疑惑の解明がなされぬままに行われた。