セピア色の店内に紅茶の香りがする。
店内は広く、アンティークな調度品が上品に置かれている。
ここは200kmにわたる鳥取大砂漠の休憩所、「喫茶すなかぜ」だった。
女が二人、木製の丸テーブルに座っていた。
背の高いモデルのような女と、9歳くらいの人形のような少女だった。
彼女らは傭兵だった。ここに来る犯罪者の男を捕まえるために張り込んでいるのである。
「紅茶中毒の犯罪者ね…お笑いだわ。こんな味の薄い茶を飲むなんて気が知れないわね」
背の高い方の女は中山美由紀と言う。胸がでかく、気性の激しそうな美貌をしている。
彼女は黒い戦闘服を着ている。
「そうでもありませんわ。甘いものというのは心を安らがせます」
少女は石川真由と言う。小豆色のドレスを着ていた。
「そうかしら。これよりも?」
そう言って美由紀が真由の耳にキスをする。
「お姉様のキスには負けますわね」
店には静かなクラシックが流れている。
店のドアが開き、男が入ってきた。上半身裸でGパンを履いている。顔色が悪く、目も虚ろだ。
「仕事よ。真由。気合入れな」
美由紀が真由に囁きかける。
「御意」
男は平坦な調子で歌を呟いている。
「わーたーしがアリスだったこーろーなーにもかもがきれいーだあったー…紅茶、下さい。レモンティー。砂糖一個。もーういちどだけーあいにきーてー…あいしていたとっさやいーてー」
常連らしく、店の従業員は男の奇矯を気にしない。
男は席についてまたぼんやりと歌っている。
「あーれはーかみのーしーろー…あーおいーうみよー…」
店員はどうそ、と言って紅茶を渡す。男は両手で器を包み込むようにして飲む。
ゆっくりと。時折砂糖を入れて。美由紀と麻奈が立って男に近づく。
「エンプティね。立て。逮捕する。さもなきゃ死にな!」
エンプティは殺人鬼だった。時々街に現れては5人ほど殺してどこかに消える。
彼の首には方々から賞金がかかっていた。名前はわからない。だがそう呼ばれている。
「動いてはなりませんわ。ゆっくり立って、手をこちらに…」
美由紀は剣を大川の首筋に当て、真由はグロッグ23を構えている。
エンプティはゆっくりとお茶を飲み、カップを置いて虚ろに歌う。
彼には何も見えてないかのようだった。
「もうすこしだけそばにいーてー…わたしのことわすれないーでー…
ああここはいつでーしょーうー…」
エンプティはゆっくりと立ち上がると美由紀の剣を掴んだ。
美由紀は即座にエンプティの指を落とした。
「触れるなアホンダラッ!次は首を落とす。殺るか?私と?」
だがエンプティはぼんやりと歌いながらナイフを取り出して振った。ポケットの中にあったナイフだ。
「ふきあれるーうみにーなみだーすることもー…しあわせなーひびをただねーがうこともー」
美由紀は剣で防御すると拳でエンプティを殴り倒した。
「撃ちますか?お姉様。生け捕りはまだ可能だと思います」
真由は冷静にグロッグを構える。黒い小型の拳銃だった。
「構うな!こいつはあたしが殺るっ!」
倒れたエンプティの背中に剣を突き刺す。だがエンプティはまだ歌いながらナイフで美由紀の足を狙う。
美由紀は怒声をあげると剣でエンプティを放り投げた。
エンプティは壁際に吹っ飛ばされるが、ポケットから無数の投げナイフを投げてきた。
美由紀が呪文を唱える。彼女の前に骸骨の兵士が現れて彼女の盾になる。
同時にエンプティの横にも骸骨が現れて彼を串刺しにした。
「ゆめのなーかーへぼくをつれてってー…」
エンプティはまだ歌っている。その隙に美由紀が近寄り、エンプティの首を切り落とした。
「お見事ですわ。お姉様」
美由紀はエンプティの首を掴んで剣を収める。
「以外に手間取った。残念だわ。死んだ後じゃ賞金額も減るってのに」
美由紀は万札をいくらか出す。
「迷惑料よ。とっておきなさい」
美由紀はそのまま立ち去ろうとした。だが気配を感じて振り向く。
そこには首の無いエンプティが立ち上がり、店中の紅茶に自分の血を入れていた。
エンプティの血の混じった紅茶は煮えくり返り、腐れていく。
やがて中からヘドロのようなものが出てきてみるみる人の形になる。
それは良く見ると紅茶きのこに似ていた。
全てあっというまの出来事だった。
美由紀は舌打ちする。
「真由、殺れ!」
2mほどある紅茶きのこたちはゾンビのような動きで迫ってくる。他の客も襲い始めた。
「はい。お姉様」
真由が床を蹴って滑り出した。インラインスケートだ。
飛ぶような動きで机や客の間を通り抜けながらグロッグを乱射していく。
紅茶きのこゾンビたちは体に何発も銃弾を受けて崩れ落ちる。
本体のエンプティにはとくに銃弾を打ち込んだ。
敵は全て倒れ、真由が一礼する。
「終わりましたわ」
「いい子ね。真由」
美由紀はキスするとカウンターの方に名刺を投げた。
「請求書はここに回してちょうだい。いつでもいいわ。行くわよ。真由」
「はい。お姉様」
美由紀はエンプティの首から下も引きずって出て行った。
そのまま砂漠に出て行き、大川の死体を燃やした。
「念には念、ですわね」
「そうだ。こういう奴は何度でも立ち上がる。今のうちに止めを刺しておかなきゃならないのよ」
さらに燃え尽きた墨をバラバラにした後美由紀は車に乗って去っていった。

ある時から、人の心が周囲や本人の姿を変え始めた。
穏やかな人はより美しく、心がすさんでいる人はより荒々しい風貌になり、
治安のいい町は全体的にのどかな雰囲気になり、治安の悪い町、混沌とした町は異形の姿になった。
精神病、神経症を患っている人間は大変な事になった。
自分自身の妄想に押しつぶされて化物のような姿になったのだ。
やがて空想の中の生き物たちも闊歩するようになった。
人の精神が物質を変質させてしまうのである。
やがて自分の意思で物質を変形させる事のできる人々ができた。
彼らは妄念師と呼ばれた。

黒いセダンが鳥取砂漠を走っていく。街までは50km近くあった。
妄想の影響で鳥取砂丘が拡大してしまったのだ。
周りは砂丘ではなく、石ばかりの乾いた荒野だ。
捻じ曲がった木々が黒く立っている。
やせ細った人間ともハイエナともつかない魔物が走っていく。
地面や岩山は赤い石でできていて、グランドキャニオンのような風景だった。
「真由、次の水場まで何km?」
美由紀は酒のボトルを飲干す。
「あと500mですわ。お姉様。そろそろ水の補給が必要ですわね。
生水はよろしくありませんわ。沸かしたお茶を飲まれるのが宜しいかと」
真由は水筒に入った紅茶を飲んでいる。
「ノマドの知恵かしら?水代わりには丁度いいわ。真由、次の水場で入れて頂戴」
水場が見えてきた。岩の隙間に澄んだ水が溜まっている。
だが良く見るとだんだん赤くなってきている。そう、紅茶のような色に。
泉に膜が張り、内部できのこがせいちょうしていく。
そうして数分前まで普通の泉だったところから紅茶ゾンビが大量にでてきた。
中には生前と同じ姿のエンプティもいた。
「チッ。しぶといわね…まあいいわ。ここなら本気を出せる。行くわよ。真由」
「はい。お姉様。せっかくのティータイムが台無しですもの」
紅茶ゾンビの数は100ほど。どれもダージリンやアップルティーの香りがする。
皆、ぼんやりと歌とも読経ともつかないものを歌っていた。
真由はゾンビの間を走り抜けて次から次へと射殺していった。
美由紀はエンプティと立ち向かう。
「今度こそ地獄にキッチリ送りかえしてやる!かかってきな!」
「ああーきみとのひびーきずつけあいもしたけれどーそれでもきっとたのしかったー」
エンプティは小走りに走っていく。手にはナイフだ。
美由紀が呪文を唱える。空から雷が落ちた。
エンプティに当たり、黒コゲになるがすぐに再生してしまう。焼けた皮膚を殻をやぶるかのように脱ぎ捨てて。
「さっさとくたばらんかいコラァ!」
美由紀が剣を振ると空中に無数の剣や槍が出現してエンプティを貫く。
エンプティは手足を切断され、体中を刺され吹き飛ばされたがすぐに手足が生えてくる。
ビデオの撒き戻しのような再生速度だった。エンプティは槍が刺さったまま歩いてくる。
「セピアいろのおもいでー…もうーあのひーはー…かえらないーぼーくはーあーのかわでー…きーみのしあわせをいのっているー」
美由紀は雷を何度も落とし、剣を飛ばして斬り刻み、爆弾も投げたがその度にエンプティは起き上がってきた。
「チッもはや完全に化物か…ここでは無理だ。真由、おいで!」
真由の方も善戦していたが、数が圧倒的に多い。弾薬が尽きかけていた。
「御意!」
二人して車に乗り込み急発進していく。
「私が敵に背を向けるとはね…真由。突っ走るわよ!」
「はい、お姉様。あれは手に負えません。了解いたしましたわ」
彼女達は岩山に挟まれた谷間を走っていく。
エンプティはふらふらとしたフォームだが車に追いつく速さで走ってくる。
やはり無表情に歌を歌っていた。
「あのかわのうえでー…ぼくはずっとたたずんでいるー…はなばたけをとおくにみながらずっとーずっとー」
時折ナイフを投げてくるが車に刺さるだけだ。
真由が弾丸を撃って動きを止めるが一時凌ぎだ。
「無駄だ!奴にはそんなもの通用しない!弾の無駄撃ちはやめなさい」
空が紫と黄色を混ぜたような色になっている。月は白く輝いていた。
「承知していますわ。お姉様。私とて、ここで骨を埋めるつもりはございません」
真由がC4爆弾を岩山に投げる。岩山が崩れて道を塞いだ。
「いい子ね、真由。よくやった。だがあれで死んだと思えないわ」
「同感ですわ。いそぎましょう」
美由紀は真由をそっと抱きしめた。
岩の下からエンプティが這い出てくる。
「そこーはかみのくにー…かぎーりなくーしずかなそこにーぼくはー…ずっとーあこがれているー…」
大川はやはり歌いながら走っている。だんだんと車に追いついてきた。
「どこまでしつこいのかしら!?いいかげんにくたばれぇ!!」
大川は車の後ろにナイフを突き立ててしがみつく。
美由紀が使い魔を召還した。真っ赤な怪鳥だ。1mほどあるだろうか。
怪鳥が無数にあらわれてエンプティをつつく。
「くらいもりーのなかー…ぼくはきみにであうー…」
エンプティは虚ろな顔で怪鳥を刺し殺しで食う。その間にも他の怪鳥に体中に穴を空けられているが気にしていない。
車はやがて砂地に出た。全部黒い砂の砂地だ。白く柔らかい体をした手のついた魚のような生き物がうろうろしている。
「今だ!真由、叩き込んでおやり!!」
真由がRPG7を担いでいた。筒型のロケット砲だ。
「仰せのままに!」
車にしがみつくエンプティにロケット弾がぶつかる。そのままエンプティは30mほど吹っ飛ばされた。
手足がバラバラになっていたがすぐに再生されている。
「たしかに私はお前を倒せない…なら一生ここにいろ!二度と人里に出てくるな!!」
美由紀が呪文を唱えるとエンプティの足元の砂が渦を巻く。
蟻地獄のようにエンプティの体が砂に沈んでいく。エンプティはそれを特に抵抗もせずぼんやりとしていた。
「ああーそこはあたたかいところー…きっとそこにいけばなにもかもうまくいくー…あのひそうきみはいったー…」
やがてエンプティの体は砂に埋もれていった。そのまま地下何十メートルまで沈んでいく。
顔が埋まる時、彼はどこからもって来たのかティーカップを持って紅茶を飲んでいた。
末期の水だろうか。
「貴様には土葬がお似合いよ!クソ野郎!」
エンプティが埋まったのを確認して美由紀は車を発進させる。
「カタはつきましたわね。お姉様。街へ戻りましょう。休養が必要かと」
真由がロケットランチャーをしまう。
「そうね。カロリーバカ高い飯食べて、シャワー浴びて、お前と強い酒も飲むわ」
土の塔が何本も突き出した砂漠を車は走っていく。
街の明かりが見えてきた。空が黄土色に染まっている。
真由は美由紀とそっと手を重ねた。
「お姉様、その後は…?」
微かに笑う。
「言わせるつもりかい?」
二人は笑いあった。
車は去っていく。街の方に。明かりの方に。

黒い砂の荒野。地面から腕が突き出た。エンプティは緩慢なうごきで砂から這い出る。
彼はぼんやりと歌を歌っていた。
「あなたはさよならを言ってーわーたしーをーおきざりにしたー…わたしはなーいているー…
えいえんにーあーなたをーしたってー泣きつづけるだけー…ああーおしずかに…おしずかに…」
彼はくるりと向きを変えると美由紀たちのことはすっかり忘れてしまったかのようにぼんやりと歩きした。
「あーわれなーおーんなーにーあたたかいゆめをー…だからいまだけはおしずかにー…どうかおしずかにー…」
彼がどこに向かって行くのか、彼も知らない。
ただ、彼は夜の砂漠を歌いながら歩き続けた。