小島勝一はどことも知れぬ団地の廊下を拳銃を手に歩いていた。
床はタイルがひび割れ黒カビができ、埃とゴミが散らかっている。
腐った果物の皮や中身のわからないゴミ袋が散乱している。
天井を見れば埃に塗れて真っ白になった配管が蛇の群れのように這いまわっていた。
「ッたくしけてやがるな…」
小島はタバコを壁にもみ消しながら呟いた。
壁が猫のような悲鳴を上げて脈打った。まるで中に虫か蛇でもいるかのように蠢きいている。
小島は舌打ちするとトカレフを構えなおした。
小島は妄念師だ。妄想を操り、妄想を祓う。
ある日から、人間の精神が現実の世界に影響を及ぼすようになった。
善人の住む家や町は輝く桃源郷のように、悪人の住む家は荒み、壁からは血が流れ、金切り声が鳴った。
妄想が、現実にあふれ出ていったのだ。
あるいは、人の内面が外に現れやすくなったのだろうか。
世界は少しづつ変容していった。
妄想から飛び出したのは家や街の内装だけではない。
妄想の中のキャラクターも現実になった
当然神や神話の怪物、化け物、死霊果てはマンガのキャラクターに到るまでその全てが現実になった。
精神を病んだ者は自らの妄想に押しつぶされるか、自らが妄念の化け物になった。
それらは度を越えると人の害になる。それを討ち、祓い落とすのが妄想の使い手、妄念師だ。
小島は依頼の内容を反復する。
依頼人は川田銀子。線の細い、大人しそうな女だった。
「それで、それ以来夫はもうひどく落ち込んでしまって…
無理も無いことかもしれませんけれど、すっかり人が変わったようになって…
毎日ずっと閉じこもって、寝てるんです。そうかと思ったらうなされて泣きわめいて…
病院にも行ったんですけど…」
モトマチの喫茶店で依頼を受けた小島はこの小奇麗な若奥さんの苦労話を聞くとも無しに聞いていた。
「ハハン、かいつまんでまとめりゃこういう話か?
ええと何だ。あんたの連れ合いの信次ってぇのがまあ言っちゃあ悪いがツレと一緒に
あこぎな商売して同業の妄念師に制裁をうけたってぇことか?」
「はい…お恥ずかしい話ですが…その時は、夫も会社の方もおかしかったんです。
あんまり順調に行き過ぎて、つい調子に…」
川田夫人はここ最近で枝毛が増えたであろう長い髪を弄る。
相当に参っているようだ。
「ああまあそういうなぁ、別に構やしないんだよ。
それで、仲間も手前の得物も取られたあんたの旦那の銃を奪い返してくりゃいいんだろ?
だがそれであんたの連れ合いが立ち直るたぁ限らないぜ。それでもいいってのか?」
川田夫人はうつむいてジュースを啜った。
窓の外に見える三宮の繁華なビルに染みる雨は水垢の黒い染みをより濃くしていく。
ビルの上では黒い妖魔が、陰鬱な空に向かって吼えていた。
「はい、それはそうでしょうけど…お医者さんの話では、銃は主人の妄想の支えなんです。
あれがあれば少なくとも立ち直るきっかけにはなるだろうって…お願いできませんでしょうか。
わたしにはこの位しかもう思いつかないんです。主人の銃を取り返していただければそれでかまいません。
あとは、私がする事ですから。お金は30万ほど用意しました。引き受けてくれますか?」
小島は紫煙を吐き出すと川田夫人に向き直った。
「ああ、そういうんなら別に構やしないぜ。責任持ってその銃を持って来てやるよ」
川田夫人の顔が明るくなり、縋るように礼を述べる。
「ありがとうございます!その、嬉しいですわ」
「そいつぁどうも。まあそんなに期待しねえでくれ。金は30万もいらねえよ。5万と必要経費だけで充分だ。
終わったら電話しとくぜ」
「はい、お願いします…」
小島は川田夫人にああ、と生返事をして喫茶店を後にした。
「ッたくしょうもねえ話だぜ。まあ、お仕事だ」
小島は哀れな川田夫人を思い返しながらゆっくりと索敵しながらマンションを歩いていく。
全く可愛そうな人だぜ。ありゃあただのごく普通の良い人ってやつだな。
ごく普通の、堅気の。弱いけど優しい。泣きたくなるくれぇだ。
いい女だ。だが弱い女だ。こういうなぁ、堅気さんにゃ手に余るってもんだぜ。
だから、俺達がやってやらにゃならねえんだ。だから、俺たちも生きてられるんだな、ああいう良い奴らのために。
そんな事をつらつら考えながら空を飛ぶピンクのサソリやら人間の目玉と手でできた蜘蛛を横に歩いていく。
このあたりの歪みは酷く、建物は粘土のように歪んでいて歩きにくい。
壁からミイラのような妖物が突き出して物乞いをしていた。
地面は砂漠のような柔らかく細かい砂になり、街灯のような金属製の奇妙な植物と目がたくさんついたヒトデが這う。
マンションの床が砂漠からメタリックな配管が這い回る近未来的なものに変わっていく。
近い。相手の妄念師の部屋はすぐそこだ。
天井から針金でできた蜘蛛のような監視機械が小島を見る。
敵の使い魔だった。だが小島は手を出さない。できれば事を荒立てずに帰りたいのだ。
目的の部屋のドアは潜水艦にあるような水密式の奴だった。
小島がそれに近づく前に天井の蜘蛛がモニターを持って小島の前に出る。
「何すか?宅急便の人?ああ、お仕事系?帰ってくださいよー、俺、ややこしいの嫌いなんすよ」
モニターに写るのは小狡ぞうな眼鏡を掛けた若者だった。
「まあそういうんじゃねえよ。ちょいとした商談ってぇ奴だ。
気ぃ悪くしねえでくれ。俺ぁ、ソネの小島ってもんだよろしくな。とりあえず話させてくれねえか?」
SF風の壁についたメーターやモニターが明滅する。
彼の部屋の周りは金属とプラスチックでできた要塞だった。
「あー、僕は高田です。じゃあとりあえずそこに座ってくださいよ。俺外出たくないんで」
小島の側の床が円筒形に競りあがって椅子になる。
「ああ、まあそういうのは気ぃ使わないでくれ。無作法ななぁお互い様だぜ」
小島は煙草に火をつけて紫煙を浮かべた。
隣の棟を見るとも無しに見ると一面緑のツタとコケに包まれている。
建物事態が巨木になっていて、住民は木の洞に赤や黄色の妖精や縫いぐるみのような獣人と一緒に住んでいるのだ。
木から出る湧き水で二足歩行の兎とケンタウロスの女性が洗い物をしていた。
世知辛い商談とは別世界な隣の棟に小島は目を和ませる。
「で、なんなんすか。俺こう見えて忙しいんですよー仕事はいったんすか」
小島は目の前の銀色の要塞に目を戻した。
「そいつぁ残念だがハズレだぜ。あんたからある物を買いてぇんだ
あんた、川田ってチンピラをシメたよな?そいつの銃を譲ってくれねえか?
俺もそいつにゃあちゃんとケジメぇ取らせるからよ、ビジネスライクに行こうぜ」
高田は長めの茶髪をうっとうしそうに掻く。
「あーあれね。お礼参りとかだったら止めてくださいよ。
俺仕事で受けただけなんですから。これでしょ?あのなんとかさんの奴」
モニターの中に写ったのは大型の工具のような銃だ。
特殊な弾丸を発射する川田の妄想の産物だった。
「ああそいつを売ってくれりゃあ何も問題はねえんだ。
だが残念だが俺にゃあ金がねえんだよ。変わりに俺の使い魔と武器で手ぇ打たねえか?
ちょいとしたコネがあってな。CRS拳銃が5丁とスピードボールが1箱あんだよ。
そいつでその銃を売ってくれりゃお互いさっぱり帰れるんだぜ」
小島はかなり慎重に言葉を選んで話した。
夕焼けの空の遠くから怪鳥の声がする。
「話にならねーっすよ。なんでわざわざ俺の商売道具そんなもんで売らにゃならないんすか。
帰ってくださいよ」
高田はモニターの中で追い払う仕草をした。
「ハッ連れねえな。そいつぁ確かにそうなんだけどよ。こっちも仕事ってもんがあんだ。
人助けと思ってやってくれねえか。そうだな。俺は武器屋にコネが利く。それなりのもんをようグゴエッ」
壁から出てきたロボットアームが小島の腹を直撃した。
小島はトカレフによる射撃でロボットアームとモニター機械を壊す。
「手前いい度胸だ。覚悟はいいかクソ野郎!!」
煙を上げるスクラップ化したロボットを蹴り飛ばして小島が吼える。
「喧嘩上等ってわけじゃないですけど、俺キレたら止まりませんよ…変身!」
部屋の中にいる高田はケータイに194のナンバーを打ち込み、決めポーズを取った。
二秒もしないうちに体中が石膏のような妄想の塊に覆われ、やがて潜水服にフルフェイスヘルメットを被ったような
黒い強化服を装着した高田が現れた。
彼はドアを蹴り飛ばすと廊下にいる小島と向かい合う。
「ハッ特撮ヒーローか。いい趣味してやがる」
小島は煙草を吐き捨てると最良の射程距離を確保するためゆっくりと足を擦りながら後ずさる。
「かかって来ないんすか。こっちから行きますよ」
腕を柔軟すると高田は一直線に小島に突進してきた。
かなり速い。スプリント選手並だ。
小島は下がりながらとトカレフの9mmパラベラム弾をばら撒いていく。
小島の放った弾丸は全て弾かれて突進を止める役には立たない。
だが小島は皮ジャンの懐から数枚の呪符をばら撒いた。
それらはすぐに泥でできた太い手首に変わり走り続けていた高田の足を掴む。
高田は声を上げて転び、見る間に複数の泥手に押さえつけられる。
小島の妄念師としての使い魔たちだった。
小島は警戒しながら高田に近づく。
「OKこれで勝負あったな。降参して銃を渡せ。ちゃんと後でしかるべき礼は渡しておくぜ」
泥手の握力はどんどん上がってきていた。このままだと高田は強化服ごと潰される。
「これで追い詰めたつもりっすか」
高田は手に埋め込まれたケータイのボタンを押した。
「standingby…blademode!」
高田の体の中から体中に回転ノコギリが迫りあがって泥手を切り裂き、細切れにする。
高田はそのままの勢いで立ち上がるとノコギリのついた拳で小島に殴りかかる。
拳は小島の体を突きぬけ、小島は四散した。否、霧散した。
小島の体は煙のように揺らめく。煙草の煙を媒介にした使い魔、偽者だったのだ。
「あーあ、小細工じゃないですか。くだらねー。俺キレますよ」
高田は小島の捨てた煙草の吸殻を踏み砕き、あたりを見回す。
「何処だ!!噛み殺してやる!」
軽金属の壁を凹ませる高田に対する答えは7,62mmKTW弾だった。
貫通力の最も高い高価な弾丸は間一髪で身をかわした高田のわき腹に当たり、
強化服を貫いて彼に肋骨と内臓の一部を抉る。
「来やがれこのFUCK野郎!勝負つけようぜ!!」
中庭にいる小島はバイクのエンジンを唸らせる。
硝煙の立ち上るライフルをしまい、ショットガンに弾を込めて高田を睨む。
「俺あんたをボコにするまで追っかけますよ。ムカついてきたっすね」
高田はケータイを操作し、変身した。
「jet mode!」
強化服ののこぎりがしまい込まれ、腕と足、背中からジェットエンジンが出てくる。
高田は団地の柵を乗り越えるとジェットエンジンで滑空するように小島に飛んでいった。
同時に小島はバイクを大きく鳴らせると中庭を走り出した。
「チキンレースって奴だ。ついて来い!!」
小島とた高田が並行して走り、打ち合いを始める。
小島が片手でショットガンを撃つ度に高田がのけぞる。
高田が殴りかかり蹴りかかる度に小島は離れて走り、あるいは身を交わす。
小島と高田は団地内を駆け抜けていき、細い路地に入った。
高田は壁を蹴り、壁面を走りレーザーを撃つ。
小島のソフト帽が焦げ皮ジャンが千切れた。
小島はショットガンとトカレフを使い分けて高田に弾を当てる。
路地から見える空は煤で汚れた電線が網のように覆っていて薄暗い。
壁は埃と黒かびに覆われたものから油膜のような毒々しい色使いのものに変わっていった。
やがて路地は壁に突き当たり、小島はバイクを反転させて高田と向き合う。
路地の隅には柔らかい泥状の目玉と牙がでたらめにくっついた妖魔のなりそこないが蹲り
壁は傾き生き物の内部のように歪んで汚い色の触手や血管が脈打っていた。
小島と高田は掃き溜めの路地で向かい合う。
高田がケータイを操作するとさらに腕に手甲が取り付けられた。
内部に爆薬や小型銃が組み込まれているものだった。
「いくぜ」
小島はバイクから降りると銃をリロードした。
高田は雄たけびを上げて壁を走り、路地を飛び跳ねながら小島を狙い打つ。
小島は飛び跳ねたり転げ回って身を隠しながら散弾銃を連射した。
双方とも傷は浅いがだんだんと体力が削られていく。
「チョロチョロ逃げてんじゃねえっすよ。俺潰す時は潰すんで」
高田の肩からロケットランチャーが出てきて小島を狙う。
「ハン、やってみやがれ小僧っ子。こちとら年季が違うんだ」
小島はロケットランチャーを狙ってトカレフを撃っていく。
高田の方も飛び回って避け、小島の弾雨を避けて小型ロケットを発射した。
「クソったれが!手間かけさせやがる!!」
小島は逆に前に向かって避ける。
ロケットは小島の背後で爆発し、小島は爆風に吹き飛ばされて転んだ。
高田は捻じ曲がった鉄骨を手に取ると倒れる小島に放り投げる。
小島は呪文を唱えて衝撃を抑えたが壁際まで飛ばされて立ち上がれない。
「また身代わりとか使われたら困るんすよ。燃やしたら死ぬかな」
高田は壁に生えていた悪魔像を引き抜くと蹲る小島に投げつけた。
「blastmode!」
高田は真っ赤な強化服に変身した。離れた場所に着地して念入りに小島を狙った。
新型強化服の全身についた重火器が全て小島に向かう。
「ハハ、かなりやるじゃねえか。クソったれ。だが俺だって弱かねえんだぜ」
高田の足元に魔方陣が浮き出るとあっというまに無数の子鬼が高田に群がる。
「なんなんだってんすか。あんたもう死ぬんでグウウッ」
拳ほどの大きさの子鬼は強化服に開いた穴から入り込み、高田の肉を片端から喰らい始める。
小島の最も得意とする使い魔、餓鬼だ。1分ほどで人間を食い尽くしてしまう獰猛な妖魔である。
瓦礫を押しのけて小島が出てきた。
「おい仮面ライダー。そのへんにしとかねえか?これ以上やると俺たちゃ死ぬぞ?
そんくれぇの勘定はできんだろ?」
「断ったら鬼のエサだってんすか」
「そういうこったな。俺ぁもう腹いっぱいだ。どつき合いにも止めどころってもんがあんだろう」
「わかりましたよーったく。あんなもん勝手に持ってってくださいよ。あんたの顔見たくもないです」
「俺だって手前なんざぁ二度と会いたかねぇさ。でもまあ、楽しかったぜ」
小島と高田は一緒に苦笑いするとよろめきながら荒れ果てた路地を後にした。