月夜の荒野を黒い軍用ジープが走っている。

普段のこの場所は夜になると何も見えないほど暗いが、今は月に青く照らされている。

ジープを運転するのは神父だ。十字架と教会のマークが車のドアに白く書かれていた。

神父が無線を使った。雑音の後に声が入る。

「こちら「カタナ」。月の石はどこにある」

引き締まった顔をした背の高い神父だった。

カタナというのは暗号名だ。本名はカルロ=ベルトルッチ神父。

腕利きの戦士である。

「こちらは「兎」です。ネズミは東方向、レナード街道を500mほどいった所で止まっていますね」

兎と名乗った無線の相手は千里眼使いの魔術師だった。

教皇庁に雇われて協力しているのだ。

彼らは教皇庁から盗まれた聖遺物、「レオナルドスの月の球」を取り返しに来ている。

ムーンストーンという乳白色の宝石から作ったもので、持っているだけで暗号を解読し、

水につければ予知や千里眼が可能になる魔術道具だった。

それが教皇庁から持ち出された。

内部のゴタゴタのせいである。カルロ神父はそれを奪い返しに行く側だった。

「結界か?」

カルロ神父が尋ねた。

「そうです。あなたの周囲3kmほどに防御結界を施しました。

余程の腕があってもそうそう通りぬけることはできないでしょう。

犯人はすでに袋のネズミです。あとはあなたの仕事になりますね。

幸運を」

兎と名乗った魔術師が無線を切る。

「幸運か。貰っておくが、俺には必要ない」

カルロ神父がジープの速度を上げた。

レナード街道を通り抜けると、空一面に赤い壁が立っていた。

半透明で、文字や紋章がかいてある。

カルロ神父の100mほど先に相手はいた。

結界を破ろうと努力しているが、無駄なようだった。

カルロ神父は車を止めると歩いて近づいていく。

相手は4、50代のいかめしい顔の男だった。彼も神父のようである。

教会内部の争いだ。神父同士の戦いになる。

二人の距離が50mほどになった時、相手がカルロ神父に気づいた。

「…教皇庁の者か」

振り返らずに、尋ねる。

「そうだ」

カルロ神父はどんどんと近づいていく。早足だ。

「月の石を持っているのはお前か」

相手が振り返る。

痩せた金髪の男だ。体格がいい。

「いかにも。さすが本場は違い申すな。詰みに入られたわ」

もう距離は30mも無い。カルロはその場所で立ち止まった。

「一応聞いておく。解読派の手の者か」

カルロ神父は腰の日本刀に手を添える。

「いかにも。神のご意志をまっとうするがため、己はここにいる」

古武士のような男だった。実力は自分と同じくらいか。カルロはそう思った。

「神のご意志?それは貴様らの考える神のご意志だろう。我々は違う」

カルロは厳しい顔で言い捨てた。やや熱い口調だ。

「それも相違いない。聖書は神がくださりその弟子達が書き留めた我らが教え。

されど、それだけが聖書の全てではなかろう。アレは予言書だ。そんな事は貴様でも知っておろうが」

派閥は聖書の扱いに関するものだった。派閥同士の争いは血が流れる状況になろうとしていた。

「特定の数列で飛ばし読みをし、そこに暗号のキーを入れれば人類の歴史の全てが書いてある。…終わりまで」

カルロ神父は静かに相手を睨む。

これは聖書の予言を解読すべきか、そうでないかの争いだった。

カルロ神父は解読反対派だった。

「うむ。さればあれは神が無力な我々に贈ってくださった警告と考えるべき。

滅びを避けよ。と。そのための警告の書であろう。少なくとも我々はそう考え申す」

静かな口論だった。怒鳴りあっていないが、互いに言葉で斬り合うかのようだ。

「貴様らの考えはそうだろう。アレは予定表だ。神が人に定めた運命を記したものだ。

神がお与えになった運命ならば、従うのが信仰だ。神が我々に滅べと申されるならば我々は喜んで滅ぼう。そして運命自体、変えたり逃げたりするものではない」

二人は静かに、だがはっきりと互いの信念を表す。

「否!そのような戯言など受け入れぬ!運命に抗うのもまた人の使命であろう!少なくともその可能性はここにある」

相手の男は月の球を取りだした。

ゴルフボール大の白い球。これが聖書解読の鍵を握るものだった。

「運命を知れば運命を変えられると思っているのか。愚かな。

やはり、立場が違うな。我々は」

緊張は静かに冷めていった。彼らは互いを理解した。

だが、さっきとは別の緊張が二人の間で高まっていく。

「違いないされどそれは端から解り切っていたこと。されば己と貴様がここで立っている」

二人ははっきりともう交渉の余地はない、と宣言した。すでに戦闘態勢に入りつつある。

「そうだな。ならば始めよう」

カルロが居合の構えをする。すでに準備は十分だった。

「是非も無し!殉教の時は来たるぞ!」

男が叫ぶと彼の体がだんだん変わっていく。

毛深く、逞しくなっていく。そして顔は獣のものに。

「人狼か。どこも同じだな」

男の顔は完全に狼になっていた。

手には鋭い爪が生えている。

「オレノ信仰ヲ疑ウカ?人ヨ!」

人狼が吼える。この時代、妖魔の存在は当たり前だった。

そして教会は神に服従する妖魔悪魔を許し、洗礼を与えた。

また、魔術によって人間たちも化物の力を手に入れていった。

だが軽いものではあったがやはり差別はあったのだ。仕方のない事だった。

「貴様が神を信仰する事は無価値ではない。だがそれだけだ。貴様を切って捨てる」

すでに勝負は始まっている。二人は互いの間合いを計りあい、攻めるタイミングを狙い合っていた。

「ヤッテミヨ!!ツヨキ漢ヨ!」

互いを認めた二人は対決を始める。

人狼の吼え声がその始まりだった。

カルロが気合の怒声を発しながら斬りかかる。カルロは30mの距離を一気に跳ねた。

15mが彼の一歩で移動できる距離だ。長い間合いによる必殺の居合。

中国拳法の「十歩必殺」という技だ。

相手の間合いの外から一気に斬りつける。

彼の必殺の居合抜きが人狼を襲う。

だが彼のもっとも得意な技を人狼はジャンプしてかわした。

「馬鹿な!」

自分の最強の技が相手に防がれたのだ。カルロの声には怒りと失望がこもっていた。

「ヤルナ!男ヨ!」

空中で人狼がカルロに爪を向ける。

人狼の爪が発射されてカルロに向かっていった。

カルロは気合一声で刀を振るう。

彼は10発の爪の弾丸を全て叩き落とした。

返礼とばかりに地面に落ちた爪を刀で叩き飛ばして投げ返す。

やや遠くに着地した人狼は再び遠吠えをした。

自分の爪が投げ返されて向かってくる、人狼は突撃しながらそれを叩き落した。

人狼の爪が光ると長く伸びた、その長さ数mほどある。

人狼は伸びた爪を横に振る、カルロを叩き切るつもりだ。

だがカルロは避けなかった。逆に再び十歩必殺で人狼に突きを入れる。

人狼は反対の手でカルロを引裂こうと待ち構える。

二人の刃がぶつかり合った。

動きが数秒止まった。

カルロの日本刀は人狼の心臓を突いていた。

人狼の爪はカルロの首筋を引裂いていた。どちらも急所である。

だがカルロはギリギリの所で血管を避けていた。

カルロは怒声を上げるとさらに心臓をえぐり、刀を刺したまま上に切り裂く。

鏡心明智流の技だ。カルロの剣は人狼の心臓から喉元までを切り裂き、完全に止めをさしていた。

人狼がゆっくりと倒れていく。

「ツヨキ…オトコヨ…」

人狼は血を吐いてそれだけ言うと息絶えた。

カルロが勝ったのだ。

カルロも血でむせ返りながら言った。

「神、神の名に、おいて、汝を許す。安、らかに、天に、召されんことを。アーメン」

カルロの血はすでに止まっていた。

死ぬことはなさそうだった。応急処置をしながら月の球を捜す。

「これか…」

乳白色の文字が刻まれた球だった。

だがそれはプラスチックでできていた。

偽者だった。人狼の神父は囮だったのだ。

「食えない男だ」

カルロはゆっくりと車に向かって歩いていく。

月は神父を冷たく照らす。

月の光ですべてが青く染まっている。

彼は血だらけになった姿で一人呟いた

いい様に使われて捨て駒にされて死んだある剣士の言葉を。

「君が為尽くす心は水の泡

消えにし後は澄み渡る月夜、か。

フン、くだらん…力さえあれば、俺は犬だろうが捨て駒であろうが構いはしない」

人狼の男に対して言ったのか。彼の運命を悲しんでいたのか。それとも自戒だったのか。

それはわからない。

彼はゆっくりと車に歩いていく。月夜の静かな道だった。

無線機で結果を報告するために歩いていく。