荒野に唯一つまるで稲妻のように黒いベンツが
夜霧と砂埃とをライトの光で掻き分けてまるで希望のように闇を切り裂き走っていく。
頑丈そうな車の中には引き締まったスキンヘッドに丸サングラスを
黒いスーツに合わせてコーディネイトしている苦みばしった30代の男がしかめっ面でハンドルを握る。
空を見上げればこれは見事な星月夜でそう、陳腐だがよく言い当てている台詞で表現すると
「まるで降ってきそうな」藍色の夜空だった。
近頃の都会では誰もたとえ国王だって財閥の主だって見れない
150億年ものの年を経て蒸留された星々と澄んだ大気の見事なカクテルだった。
黒く眠る大地は良く見れば赤茶けた乾いた砂漠に近い荒野でそれ故にとても清浄だった。
擦り切れていながら芯の入った30男にはもったいないくらいの景色だ。
彼は大地をここ数千kmほど切り裂く灰色のアスファルトに車を滑らせながらちらと標識を見る。
蒼い月明かりを吸っている薄い鉄板が曲がりへこんだ古い標識は数キロ先に村がある事を告げていた。
年月を経てなんともいえない渋い味を得たその標識は男と良く似ていたが、
その邂逅はやはりうすっぺらいほど一瞬で終わり
舞台は荒野にへばりつく小さな村へと一呼吸刻みで移っていく。
やがて近づくにつれて小さな明かりが数十の小さな幸せが入った家々へと姿を変える。
そうして乾いた土くれの大海に浮かぶ浮き草のごとき村へと黒いベンツは入り込み、
やがてそう呼ぶのも可笑しいほど粗末だがしかし確かに村のメインストリートである通りで止まった。
スキンヘッドに喪服のようなスーツ姿の男は無造作に車から降りると
ひやりと身体にまとわりいつく夜気を吸い込みながら村を探索する。
とりあえず一番手近にあった粗末な錆びの浮いたトタン小屋に目をむけると
眠っているであろう村人を起こさずにそっと窓を覗き見、中の明かりが消えている事を彼は知る。
それどころか内部は荒れ果て埃が山積しているようだ。
彼はその小屋の探索を諦め次に乾燥と非人道的な太陽に照らされ
劣化してペンキが壁画のごとくひび割れたコンクリートでできた
この村にしてはやや大きめの商店に入ってみる。こちらは幸い明かりがついているようだ。
しかしこれはどうも人はいないらしい。なにしろ小さ目の店内は
埃が積もり棚が倒れ硝子は割れるは略奪されてるわでこれはもう明らかに廃屋だった。
しかし明かりだけは点いている。
廃屋ばかりなのに明かりが点いているのはこれはどう見ても異常事態だ。
だがそんな事はいくらでも理由が考えられる。夜の間に村が全滅したかそうでなければ生残りで
おまけに奇特な村人が何かの気まぐれで電気を点けているかだ。
とりあえず男は店を物色する前にここが本当に無人か確かめる事にしたようだ。
チェス板のような白黒模様の床に降り積もった埃を足で踏みしめつつ
空き瓶が乱雑に転がって異臭と乾いた果糖をさらしているのに目をむけながら事務所へと入っていく。
するとやはりいたのは定番の死体だ。
書類の散乱した机に伏した形の死体は時間の経過に任せて腐乱を通り越し木乃伊化していて口元には
死の間際に吐いたのであろう血がこびり付いている。
男は小さく舌打ちをすると困ったものを見る顔で一人ごちる。
「ああ、ああ、こりゃひでえもんだ。赤死病だなこいつは、
この状態だとするともう感染の心配はねぇが・・・この村は全滅したってのか!?
畜生め」
渋いバリトンが微妙な「こぶし」を効かせて空気を震わせる。
彼の放った最初の言葉はなかなかに味のある発音で発せられわけだ。
「さて、と・・・こいつァ困ったな。死体からの感染はねえとは言ってもよ・・・
いくらなんでもここの食いモン食うのはまずいだろ。死体だらけの場所で寝る意味もねえ。
まさに草臥れ儲けか?糞ったれ、こりゃさっさとおん出るにこした事ァねえな」
壁の白く変色して端のめくれあがったオールドファッションなポスターを
見るでもなく悪態と身の振りようを誰に聞かせるでもないせいで長くなった独り言で表現する。
否、ただ一人聞いていた乾いた死体に片眉をちょいと上げる一瞥をくれるとさっさと立ち去ろうと
出口に向かうが否や今度は電撃的に振り向く。
どうも間抜けな独り芝居のようだがそうではない。
居なかったはずの相手方は死体という大道具からゾンビーという
鬼役に姿を変えて廃虚の街という舞台にのし上がったのだ。
簡単に言えば血を吐いて倒れてた店主のしなびれた死体が
ゆっくりと起き上がり歯をかちかち鳴らし始めたのだ。
そして男はその瞬間に振り向いたというまあそれだけだった。
萎びた死体は縁日の玩具のように歯を打ち鳴らす。
まさにその姿は胡乱というほか無い滑稽で悲しい姿だった。
ゾンビの姿を確認した後の男の動きは素早かった。
腕を一降りすればたちまちに喪服のようなスーツの袖から細身の剣が飛び出てきた。
誰もいない荒野で仕込み刀とは間抜けなほど用心深いのかただ単に武装するのが好きなのか。
ともかく男は細身で両刃の小刀を十分に遠心力をつけて店主の首に叩きつけた。
干からびた干し肉となった人体は気持ち良いほど柔らかく鮮やかに切開され、
骨が軽い音を立ててへし折れて首は回転しつつ明後日の方向に飛んでいった。
一拍間を置いて崩れるような音をだして壁にぶつかった首が細かい粉塵をまきちらしながら四散する。
だが男は破壊の愉悦に浸るでもなく余韻を楽しむ油断も余裕も見せずに
さっさと脱出すべく店の出口に向かう。
「やっぱりな糞ったれ」
しかし事務所を出た先は案の定屍の満員電車で
そのどれもがやはり発条仕掛けのようにかたかたと振動している。
男がとりあえず道を開こうかと手近にあった棚に手をかけた
その直ぐ後に動く屍たちは彼ららしからざる行動を始めた。
よくよく見れば彼らは手に手に何かしがの物産品を携え男に差し出すような仕草をしている。
やれ手織りの布だのやれ宝石だの、食べ物だのとまさに百花繚乱。
しかしやはり悲しい事にそれはどれも埃を被り、朽ち劣化してまるで役に立たなそうな代物で、
やはりこれは死者が生者を真似る粗悪な芝居遊戯にしかすぎなかったのだ。
「死人が・・・!そいつは何かの冗談か?死に物が生き物の真似したって何にもならねえぞ」
吐き捨てるように悪態を呟くがそこはそれ魂の抜けた亡骸、そんな事は分らない。
ただただ恭順の姿を見せ気違いじみた人間ゴッコをするだけだ。
それでもすこしは意図が伝わったらしく彼らは男に道を開けた。
速やかにではなく、ゆるゆるとだが。
男は不愉快そうに死者たちに見守られつつ屍共の道を歩む。
星月の明かりだけが死者を青く照らすのは太陽の明かりの下に蠢く生者と好対照で、
その地下墓場じみた列の中を進んでいくと
やや整った一軒の小さなメルヘンじみたデザインの家が見えた。
大荒野の小さな家の扉が燻され使い続けられ年月のしみついた家具独特の芳醇な軋みをあげて
ゆっくりと、滑るように開けられる。
その中はまるで刺を抜きに抜かれ毒を飛ばしに飛ばされた三文絵本のようなパステルカラーだ。
そこにましますは粗末な衣服を精一杯飾り立てた少女だ。
彼女はこまっしゃくれた貴族のお嬢様のように
砂糖菓子のような微笑を精一杯浮かべると歓迎の意を述べた。
「おかえりなさい!薬師さま!わたし、ずっと待ってたのよ!ずいぶん遅かったのね!」
どうも誰かと勘違いしているらしい。それとも待ち人が来たと思い込みたいのか。
だからといって全く何の意図もなく
立ち入ってしまった男を待ち人と決め付けるのはいかがなものか。
そして死人の村でただ一人麗しい童話のお家に住んでいるという事はこれはどう見ても異常だ。
「悪いがお嬢ちゃん、俺の名前は地蔵だ。人違いだよ。お前はまだ生きてんのか?
まあそうは見えないがな。生きてんなら近くの町まで連れてってやる。
死人なら弔ってやるからさっさとくたばるんだ。いいな?」
無い物使っておめかししてきた少女にはあまりに現実的すぎるお言葉だ。
かといっていつまでも死人の悪趣味な茶番に付き合う道理もない。
そして村人全滅の悪夢のような現実ではなく薬師様とかいう
想い人だか待ち人だかが帰ってきたという夢に浸りたい少女は当然いきりたつ。
「まあ、ひどいわ。せっかく頑張ってみんな出迎えたのに、それはひどいわよ」
ぷう、と膨れる様はただの少女だがゾンビの女王様気取りでは信用ならない。
「なるほど・・・じゃあやっぱりこいつはてめえの仕業か・・・
いいか。残念だがな、俺はお前の知り合いじゃないし、お前がここで何をしようと知った事じゃない。
しかし俺を巻き込むな。何も知らずに町に来たのはうかつだったがな。
2、3日ならままごとに付き合ってやってもいい。
だがな。俺はこのミイラ共の仲間になる気はねえ。
とにかくここでそいつらを収めてやりゃあ話はそれで済むんだ。
何ならお前を他の、そうだな、ここから230km先のクーロンにでも連れていってやってもいい。
だからこの馬鹿な茶番をやめがれ!!」
つい声をあらげてしまったのがまずかった。
ゾンビを収めるだけならうまく行ったかもしれないのだがつい言いすぎてしまった。
やはり物事には適当な納め時というものがあるのだろうがもう遅い。
繊細な少女は顔を歪めて言い放つ。
「何よ!!みんなを見捨てておいて、ずっとわたしを待たせて!!
助けに戻るって約束したじゃない!!
私、あなたに言われてみんなの前で力を使うのも、
うまくごまかすのも、力の練習もちゃんとしたわ!!
何がいけないの!?
わたし、こんなになるまで待ったのに・・・」
嗚呼、哀れ娘は般若の面に変わる時が来てしまった。
瀟洒で甘いつくろいは少女の皮膚やドレスと共に崩れ落ち。
見るも無残な死人の女王がそこにいた。
「ちっしくったなお互いに。刀、収める時があったってのにのがしちまった。
まあこっちの方がわかりやすくていいけどな」
片や地蔵は右手に利剣、左手に拳銃を持ち、
地蔵菩薩どころか不動明王のごとき形相で戦いの構えを舞うように構える。
「ずっといっしょにいてくれるって約束したじゃない!馬鹿!!」
娘の惚れた腫れたの痴話喧嘩のような口上で
死者と僧侶の乱杭歯と剣、おぞましき呪詛と年月に裏打ちされた異形の術の死闘が口火を切った。
しかしなにしろ戦いの初心者の少女だから戦法も何もあったものじゃない。わっ、とばかりに
襤褸を纏った幽鬼たちがつかみ掛かってくるのを地蔵は鳩尾に蹴りを入れて3mもフッとばし
周りの敵もろとも打ち倒し、さらにその隙に後ろからスーツをひっつかんで来るうつけ者に裏拳をえいやとばかりに打ちつける。
ひるんだ屍に銃弾をこれでもかこれでもかとばかりにたらふく食らわす。
その転がってバラバラになった首の一部を引っつかむとドッジボールの要領でぶつけて目が眩んだら一刹那の間に
剣で切りつけるやあっというまに塵は塵にと塵芥へ帰っていくばかりだ。
ふっつと少女に目をむけると今や踊る屍と見分けがつかないようになったその
髑髏の顔は泣いているように、怒っているように、混乱しているように見える。
何かどうしようもない運命のような神という名の化物のようなものに対する怒りのようなものが心を掻き毟っている。
そんな顔だ。
地蔵もやはりふっと我に帰り一つ舌打ちするや銃と剣をしまい
素早く両手を組み合わせ両の中指を角のように立てるようなのをうんと複雑な形にした形に指を結んだ。
そして地の底から響くような声で呪詛を呟き始める。
そうはさせぬとばかりに哀れな死者共が殺到するが既に遅い。
術の効力は地蔵を守るべくいち早く結界を張っていたのだ。
やがて仏の授けたる呪文、真言が声高に唱えられると地蔵の顔はまるで
本物の地蔵菩薩が神掛かったかのように穏やかで全てを赦し、
安らかな浄土へと導くのを確信させてくれる
柔和なだが、しかし彼らしくやや気障な、そしてどこか自虐的なそれゆえに
どんな穢れをも全面的に赦して安息を恵んでくれるであろう
微笑みを浮かべていた。そうして彼の体から発する後光は穏やかに死者へと染み込んでいき、
やがて死者たちは下手な使い方をされて捻じ曲がってしまった能力の糸を切られ、
力尽きるように塵芥へと帰っていった。
かくして仏の威光に悪鬼羅刹共は退散し、残るは哀れなる少女だけとなった。
双方がお約束通りの間を持って緊張と共に対峙し、2人の距離が埋まるにつれ
緊張はピークに達した。少女の骸骨面は必殺の呪殺を放つべく悲しみ怒り怯えが混沌と交じり合った
怨念が渦巻き、一方の地蔵の方には神掛かった威光が光る。
そしてガンマンの決闘の如く臨界点からの落下は直後に始った。
やはり台本通りに先手は男の方からだ。
やけくそ気味に咒を放とうとした少女を地蔵は抱きしめたのだ。
片や手下を失い圧倒的不利で窮鼠猫を噛もうという時に何故抱きしめられるのかは
それは絶対領域という約定なのだ。
そして地蔵は特上の菩薩顔でこの世で最も強い咒、言の葉を織り始める。
「大丈夫だ。もう大丈夫だ。あいつは必ず向こうで待ってる。
何も失う事はないんだ。薬師も、皆もちゃんと待ってる。何もかもうまくいくんだ。
だから、もう、安心しろ。何も恐れる事ぁないんだ・・・」
その言葉に少女はついに折れた。
かてて加えて地蔵は少女の成仏を促すべくあの世へ導く経文を口ずさむ。
「よくやく迎えに来てくれたのね。薬師様」
すでに屍の少女は地蔵ではなく彼岸の方を見上げ始める。
地蔵の経がひときわ高くなり最高潮を向かえ喝を入れるや少女の体は灰と散った。
そして死に向かうごく一瞬の幻が少女を包んだ。

自分の能力をいち早く見つけ出し守ってくれた旅の僧侶。
年に一度いつもさわやかな笑顔で迎えてくれた彼に
幼い恋心を抱くのは訳も無い事だったろう。
そしてその後の速やかな破局も。村に広がる伝染病。
薬を取りに隣町へ行くといい、瀕死のものを少女の死者を
蘇生させる能力で繋ぎ止める能力で看護させた事。
そして旅人は帰らなかった。盗賊にやられたか、死に覆われた村落を見捨てたか。
そうして今の今まで耐えに忍んできた日々。
だがそれらの由無し事も仏の大慈悲の前に速やかに消えていく。
かくして彼女は、七難消滅し、嗚、有り難や有り難やと成仏したというわけだ。

そうして残ったのは元のしかめ面の地蔵一人。
彼が死の村落の弔いを済ませた頃には空が白々と白むばかりで、
やがて彼は朝靄の中で煙草を一服するとぽつりと要らん事を呟いた。
「よくあんな子供だましにひっかかったもんだ。あのガキ・・・
よほど、つらかったんだろうな。物は言い様ってぇもんだがな・・・
ま、安らかに逝けたってんならあのくらいの嘘もいいだろ。
浄土に行けるように経を読んだんだしな。
なにより只働きだ・・・ったくついてねぇ」
そう言う地蔵の手の平には彼が想像で創り出した薬師の幻像が写っていた。
そう言う地蔵の顔はひどく疲れたものであったが、
それでも彼は今や本物の廃虚となった村に祈りを捧げると車を出した。
後には只只朝露に輝く赤銅色の荒野が底の抜けたような青空と共に延々と続くばかりであった。

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