さてここで私は元型というものを語らねばならない。
これは人間の心に普遍的、本能的にあるあらかじめ脳にすりこまれた情報であり、
たとえて言うなら遺伝子に刷り込まれたプログラムのようなものだろうか。
その内容は複数の寓意的なイメージが書かれた青写真のようなものである。
これはいわば心の中にある宝箱に入れられたいくつかの部品のようなものであり、
苦悩や歓喜といった必要な刺激が加わればその箱が開けられ、中からそのプログラムが出てくるわけである。
この宝箱はいくつもあり、必要に応じてあけられる。
その中にある部品で出来上がるものは人によってとんでもなく醜い悪魔のようであったりあるいは神々しい天使のようであったりひどく違うわけだが。
元型は大別して2種類あって一つは人格を持ち本人の手助けや逆に自滅に追い込むもの、もう一つはさながらストーリー、物語のようなものである。
その人格を持った元形にはこのようなものがある。
一番解りやすいのはアニマとアニムスであろう。
これはいわば「理想の異性」のようなものである。
心当たりある方も多いはずだ。
これは成長にしたがって箱が開けられ中にある部品から組み立てられる。
その性質は以下の通り。

アニマ元型

からかいや悪戯が好きで本体である人間に困惑や快苦入り混じった刺激を与える。
生命の原初の力そのもののような感動ややる気、モチベーションを本体に与える。
生命の偽らざるエネルギー、輝きそのものでありその方向は善にも悪にも、神々しさにも卑しさにも転じうる。
否、善悪などに縛られないと言ってもいいかもしれない。

こう言えばなんとなく解るだろう。
人類が共通で持つドラマにあるようないわゆる「チャーミングな女の子」のイメージであり、
逆にSFやホラーにあるような「男を誑かす悪い魔女」であり「淫魔」であり「妖女」のイメージなのだ。

もっと言ってみよう。

大母元型
誰の心にでもあらかじめある「優しくて恐ろしくて大きな母」のイメージの事だ。
女性的で不思議な母の権威の象徴でありいつでも守ってくれる本能的な母性であり
逆に飲み込まれるような暗黒や暗闇、黒い森、死者ような、恐ろしい偉大な魔女のイメージの事だ。
ひょっとしたら皆さんにも幼いころ良くも悪くも母親が魔女に見えた事がある人もいるのではないか。
なぜ母はこんなに不思議なのか。母はこんなにも恐ろしい。母は自分が悪い事をすればみんな解る。
とか。
あるいは母のような女性や母性的な女性を求める男性などといった
心の中に漠然とある母のイメージ。のようなものだろうか。
無論心はさながら水のように動くので母性的であれば必ずしも母とは限らない。
たとえば老いた魔女が心の中にいて自分を支配しているとか、
邪神、あるいは女神のような女性が理想で常にその架空の女性が頭にあるとかである。
これは時に現実の母親とは無関係にそういうイメージを人は持つ。
帰るべき故郷とか「おふくろの味」とかを人の心はあらかじめ持っているのだ。
まあ大母元型は現実の母や周りの女性を元に形作られるのだが。
無論元型に気づかなかったり、うまく働いていない人も多い。
しばしばアニマ元型と融合する事がある。

老賢者原型

心の中にいる恩師のようなものか。
夢や空想の中に出てきて人を導く存在である。
無論妖精さんが囁いてるのではなく脳の一部が彼ら自身に囁いているだけなのだが。
空想癖のある人なら解るかもしれない。
優しく知識と知恵に溢れた理想の自分、あるいは理想の教師のようなキャラクターを夢想する事があるだろう。
それが彼だ。人は彼のイメージを潜在的に持っている。
そして脳、あるいは心の機能の一部である彼は時に夢に出てきて助言をするわけだ。

影形型
文字通り自分自身の影の部分。
自分が今まで切り捨ててきた闇の、否定したい部分。

よく人は「自分の中に闇の自分がいる」とか「抑えられない悪魔のような自分が中にいてそれが命令するんだ」
とか言うのがこれである。ジキルとハイドといえば解り易いか。

ずいぶんまわりくどい説明をしてきたが元型とはこういうものだ。
それは「誰の心の中にでもある闇の部分」や「誰の心の中にもある理想の異性」
最も端的に言うなら「人が共通して持つ自分の中にいる別の自分」のようなものだ。
そしてこれは本人が気づかないままに意思を持ち、影は暗い欲望を本人に囁き、アニマは「やる気」とか「創作意欲」を人に与えるのだ。
いわばこれは「精神の内臓」のようなものだ。肝臓がインシュリンを分泌するように
アニマはやる気や不可解な情熱を与えるし、老賢者はアイデアを与えて心を整理してくれるのである。
心あるいは脳の働きの一部が人格を持った物とでも言えばいいだろうか。
丁度内蔵が人格を持ったらこんな感じだろう。
それが元型というものだ。
これは魔術にも深く関連している。

しかし元型を語るには普遍的無意識や心の構造について話さねばならない。
これについては次のチャプターで語る。

ここで今度は今度はマンダラについて語ってみよう。
曼荼羅もセフィラーも基本は同じだ。神という大きな生き物の内部の組織図、神経図のようなものだ。
先ほど述べたように天使や大日如来以外の諸尊は全て神の力の一部が人格を持ったものである。
マンダラ(格魔術に出てくるこのような図)は神から発せられるその力がどのように行き渡り、関連し、
どこをどうつっつけばどこが動くのかを図で示したものなのである。

そう、人間レベルで言えば元型の勢力図、あるいは構造図のようなものであり、
外界レベルで言えばこれは元素記号と基本的な科学原理を表した図のようなものなのである。