カバラーも密教も基本理念は同じである。
曰く

人間や動物などというここまで精密な生き物が存在するのは何か誰かの大きな意思があるに違いない。
宇宙の全体の意思に他ならない。宇宙そのものが一個の大きな生物だろうから、
その意思が微生物を人間にまで進化させ、キリンの首をどんどん長くさせたのだ。
今人が見て触れる物質界が宇宙の体であるなら宇宙の心を表す世界、すなわち神の世界があるはずだ。

(また逆の言い方からすれば生命と非生命の境はあいまいである。
ロボットをつきつめていったらいつか人間と区別がつかなくなるだろうし、
人間を機械化していったらそのうちロボットになってしまうだろう。
そして人間には心がある。猿にだって犬にだって他の生物にだって心があるのは見れば解るだろう。
生物に心があるならば非生物にも心があるはずだ。
そして陳腐でいいかげんなたとえだが原子が太陽系に似ているように地球が一個の生物であるように
宇宙もまた一個の生物であるはずだ。そして人間や動物や鉱物といった物質があつまって宇宙という
大きな生き物になるならば人間の心、動物の心、石ころの心が集ってできた宇宙の心があるはずだ。
そして宇宙という大きな生物は神といって差し支えない)

「上なるものは下なるもののごとし」すなわち大きなものの一部である小さなものはどちらも等しいものはずだ。
国家の下に企業があり、その下に部署があり、さらに見れば家庭があるが、全体と一部は大きさが変わってもその本質的な構造は同じだ。
たとえば木全体の形と枝の形は似ているし、フラクタクルのようなものもある。
ならば小さなレベルである一部に働きかければそれと共鳴させる事で大きなレベルである全体を動かす事も可能なはずだ。
神が自らを模して創った人間が宇宙の意思そのものである神と意識を同調させれば
神の体である物質世界を動かせる。
神が自らの体である宇宙を動かせるように自らの心で思った事が物質世界にも反映されるはずだ。
宇宙の一部である人間が宇宙に働きかけたのならば
丁度指先の神経の発した痛みが頭に届くようにその願いも聞き届けられるはずだ。

この場合で言う神と宇宙は同じもので、西洋ではテトラグラマトン・YAVH・アドナイなどと表され、
仏教では大日如来と言われる。

そして神のあふれる力は神から分離し、それ自体人格を持つに至った。
それが仏教で言う諸尊でありカバラで言うエレメンタルであり天使や悪魔の事なのだ。
神や宇宙の良い力は天使と言い表され悪い力は悪魔となり、
地や水や火、風といったまるで鉱物や原油のような属性を持った力そのものはエレメンタルとなったのだ。

普通そんじょそこらの魔術師風情が神に協力を煽いでも忙しい神はそんなのを聞き届けないと誰もが思うだろう。
だからそのために術者はその力のおこぼれであるエレメンタルや大日如来以外の仏の力を借りるわけだ。

これが魔術の根本思想である。

あまりにもおおざっぱに言ったせいもあるがあらためて見ればじつに馬鹿馬鹿しいともいえる神話的な思想だ。
しかしこれらは本来おそるべき考察に裏打ちされた緻密な理論があるのだろうし、
それにたとえ馬鹿馬鹿しくてもこの思想を土台にしないとなにかと不都合が生じるのだ。
いや、待って欲しい。失望するのはまだ十二分に早すぎる。
退屈であったり不愉快ならともかくこれで魔術の底が見えたと思ったらそれは早とちりというものだ。
魔術師がやっているのは実際はこれとはあまり関係の無いイメージトレーンニング的なものが多いのだから。