墨で塗ったような黒い月夜。虫の鳴き声がかすかに聞こえる。
ひやりとした、大東京帝国の夜だった。
街道を一台の馬車が走っていく。
広い馬車の中には5人の人間が乗っていた。
そのうちの一人は老人だった。書類を読んでいる。
「うむ…たしかに軍の動きが活発になっているな。松川塾の方はどうなっている?」
老人は秘書に尋ねた。彼は松川清十郎という政治家だった。
「はい。士気は高く、有望な塾生も多いです。民政党の議員にも働きかけは順調ですね」

この国は今戦争に突入しようとしている。いや、世界全体がそういう動きになっていた。
どこの国も領土を広げようと策をめぐらしている。戦争も盛んだ。
松川はその動きを止めようとしていた。保守派の議員だ。

屋根の上を音もなく走る陰がいた。松川の馬車を追っている。
戦争賛成派の刺客で、狩谷順平と言う男だった。
彼は馬車の前に踊り出ると、馬の首を落とした。腰に差した刀でやったのだ。
馬車が転倒して、横倒しになる。馬車の中から4人出てくる。秘書も含め、いずれもボディガードだ。
遅れて松川も出てきた。
「軍の手の者か!」
ボディガードと秘書が銃を向ける。
皆、袴に着物姿だ。
「そうだ。貴様には消えてもらう」
狩谷が刀を構えて言う。互いに間合いをとって徐々に移動していく。
松川が声を発した。
「そうはいかぬ!今私が倒れればこの国は戦争の渦に巻き込まれる!
人民をそんなものに投じてはならん!」
狩谷はゆっくりと間合いを詰めながら答える。
「それならば、すでに巻き込まれている。
貴様は状況を見誤っている。向こうはすでにやる気だ。
ただでやられるわけにはいかない…だから、貴様は邪魔だ」
松川はボディガードを下がらせると答えた。
「そんなことはない!外交によって戦火を避ける事はできる!
戦いを避け、穏便に…」
だが狩谷は譲らない。
「無駄だ。どこもすでにその気になっている。
穏便か。それもいいだろう。だがそんなものが通じる相手ではない。
戦火を経ずとも、いずれどこの国も侵される。ならば戦うまでだ」
狩谷の目は鬼火のように燃えていた。
「自ら戦火に身を投じる気か!君はそれでいいのかもしれん!
だが民までは巻き込ません!それに我国も侵略の手の一つに成り下がってしまうではないか!」
「だからこそだ。すでに他の小国は大国により踏みにじられ、搾取されている。
ならば我国が保護するまでだ。それに、貴様らの虚虚実実にはもう飽きた」
「大東亜共栄圏の幻だ!それは!そんなものは題目にすぎん!
お前達がやっているのはただの侵略だ!他国と何も変わらない」
「そう思うか?他国がやっているのはあくまで搾取だ。
現地に何も残さない。その国の人民を搾り取るだけにすぎない。
だが我国は現にインフラを整え、その国の文化を重んじた上で産業を発達させている。
あくまで共に栄えるだけだ。そうする事で大国から身を守れる」
「君は騙されている!そんなもの建前にすぎん!もしその道を行って誤ったら取り返しがつかんぞ!」
「その時は俺がこの手で責任を取ろう。俺が加担した者たちにもな。
俺は己を由とする道を行くまでだ。貴様らの化かし合いには興味がない。…話はこれまでだ」
松川はボディーカードに押し下げられて後ろに引く。
4人のボディーガードが狩谷を取り囲む。
「拳銃か…来い!」
狩谷が刀を片手で持ちながら言う。
それが合図だった。
護衛たちの銃がいっせいに火を噴く。
だが弾丸は狩谷に当たらず、拳銃は地面に転がった。
狩谷の左手から放たれた鞭の一撃が護衛の手を打ったのだ。
その隙をついて一気に切りかかる。首を斬り、胸を突き刺し、頭を割る。
護衛は全員倒れたかに見えた。だが一人残っていた。
口ひげを生やした中年男だ。痩せて髪をオールバックにしている。
彼は鞭を避け、拳銃を二丁構えていた。
「やるな」
狩谷は中年男を見る。
「なかなかいい腕前だ。私の名前は大谷東吾!テキサス仕込みだぞ。私の銃は…」
彼だけスーツ姿だ。茶色のチョッキがお洒落である。
「俺は狩谷順平だ。貴様、松川塾の者ではないな?」
大谷は拳銃を回しながらゆっくり距離を取る。
「その通り!俺はただの雇われ者だよ。貴様と同じ、勝負を楽しむ者だ…」
狩谷は鞭を納め、居合の構えを取る。狩谷は微かに笑った。
「そうだ。公としても戦うが、私としても俺は戦争は歓迎だ」
二人の位置がぴたりと止まる。互いに間合いを取ったのだ。
「その通りだ…貴様は良いぞ。戦場に息吹を吹き込む…貴様は戦士だ。俺が認める。
さあ、楽しもうじゃないか!」
大谷の銃口が狩谷を狙う。
「是非も無し。行くぞ」
狩谷が大谷に向かっていく。大谷はそれを銃弾で歓迎した。
リボルバー2丁拳銃で4発づつ。計8発が狩谷に向かっていく。
狩谷は気合一声で8発の銃弾を切り伏せると、さらに近づく。
だが大谷が先に屋根に飛び乗って逃げた。
「飛べば撃つぞ!さあどうする!?お前の手を見せてくれ!!」
大谷が愉しそうに言った。
「ならば、これではどうだ」
狩谷が手裏剣を投げた。大谷の足元の瓦に当たる。
瓦が滑り、大谷が一瞬体勢を崩す。狩谷はその隙を逃さない。屋根に飛び乗り再び切りかかる。
だが大谷にも秘策があった。隠し持った小型ショットガンを取り出す。
しかし狩谷の方が早かった。ショットガンを叩き落とすと、大谷に斬りかかった。
大谷はそれをかわすと再び飛び退く。一飛びで5mほど先に逃げた。
大谷はショットガンを構えて叫ぶ。
「どうだ!?今度は同時に18発だぞ!?よけれるかな!?」
二人は5mの間合いで睨み合った。
「隠し手をもっているのは貴様だけではない」
狩谷が剣を構える。
「ほう、いいだろう!決着をつけよう!」
二人の間に火花が散る。攻める時期を互いに探りあう。
西部劇の決闘と同じだ。早撃ち対決である。
「勝負!」
狩谷が叫んだ。大谷がショットガンを撃つのと狩谷が大谷を切り伏せるのは同時だった。
狩谷が速かったのだ。狩谷は5mの距離を一歩で進んだ。中国拳法の十歩必殺という技だ。
「だ…ダッシュか。いい技だ…見事…いい戦いだ…死ぬのには悪くない…」
狩谷の剣が大谷の心臓を貫いていた。
「悪くない…そうだな」
狩谷はさらに抉って止めを刺すと刀を引き抜いた。
「護衛は全て倒した。覚悟はいいな」
狩谷は屋根の上から松川を見下ろす。
「わ、私がここで倒れても、真に私が正しいのならば、第二第三の私が現れるはずだ。
私が死んでも、意思は残る!」
松川が叫ぶのと狩谷が飛ぶのは同時だった。狩谷の剣が松川を真っ二つにする。
「見事な最期だ。だが、それ以上はあの世で言え」
狩谷は剣の血をぬぐうと刀を納めた。ゆっくりと去っていく。
死体の山を乗り越え、確かな足取りで。
狩谷の顔には微かな笑みがあった。彼らに賛辞を贈るかのように。
だがすぐに消え、厳しい顔になる。
「口先の争いしかできん者は皆、あの世でずっとやっていろ」
狩谷は歩いていく。これからの長い夜の時代に向かって。