万葉の歌碑めぐり


 奈良時代の初め、大宰府は「筑紫万葉」の舞台として華やかな文化を築きました。
大宰帥(だざいのそち)大伴旅人、少弐 小野老(おゆ)、筑前守 山上憶良、
造観世音寺別当 沙弥満誓(しゃみまんせい)、大伴 坂上郎女(さかのうえのいらつめ)などが
数多くの歌を残し、「筑紫歌壇」と言われています。
これら万葉歌人により筑紫で詠まれた万葉歌は、約三百首近く残されており、
市内の名所には華やかな当時を偲んで代表的な歌が刻まれた歌碑が建っています。



   
 
    
大野山 霧立ち渡る わが嘆き
息嘯(おきそ)の風に 霧立ち渡る

            筑前守 山上憶良


             太宰父子国分
             国分天満宮境内




   やすみしし わが大君の 食国は
倭も此処も 同じとぞ思う

            大宰帥 大伴旅人


            太宰府市観世音寺
          大宰府政庁裏


  

    しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて
いまだは着ねど 暖けに見ゆ

     観世音寺別当 沙弥満誓


           太宰府市観世音寺
           観世音寺境内


  
    春さけば まず咲く宿の 梅の花
独り見つつや はる日暮らさむ

       筑前守 山上憶良


            太宰府市観世音寺
            太宰府市役所前庭


  
   
よろつよに としはきふとも
うめのはな たゆるこのなく
さきわたるべし

       筑紫介 佐氏子首


            太宰府天満宮境内
            菖蒲池畔


  
     
わが苑に 梅の花散る 久方の
天より雪の 流れくるかも

        大宰帥 大伴旅人


         太宰府天満宮境内
         だざいふえん入口


  
     
東風吹かばにほひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ

        菅原道真公


         太宰府天満宮 石鳥居前
         
 
     
正月立ち 春の来たらば
かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ

        大弐 紀卿


         都府楼跡
         北側空地

     
あをによし 寧楽の京師は
咲く花の 薫ふがごとく
今さかりなり

        小野 老


         都府楼跡
         展示館横
  
     
    子等を思う歌
瓜食めば 子ども思ほゆ 
栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来たりしものぞ
まなかひに もとなかかりて 安眠しなさむ
    反歌
銀も 金も玉も 何せむに 
まされる宝 子にしかめやも

        筑前国守 山上 憶良


         学校院跡
         
  
     
   日本挽歌
妹が見し 棟の花は散りぬべし
わが泣く涙 いまだ干なくに

        筑紫守 山上憶良


         太宰府小学校
         入口横