DVのような悲惨な出来事が身近に蔓延している事態を認めるのは、我々にとって辛いことであり、見るのを避けたい傾向が厳然と存在します。そのような壁を乗り越えるために開催された、特異な啓発イベントの試みと“非暴力を伝える音楽"について、ここに紹介します。それは2001.10.21に開催された《DV鎮魂の会》と題する画期的イベントでした。
日本において毎年130人内外のDV被害者が亡くなっていることは、以外に知られていません。DVは最悪の場合死に至るのであり、健康被害としても重大な問題でもある現実を否認してはならなりません。そのような現実を変えたいという目に見えない思いを形に表し、多くの人々を巻き込んでいくタイプのイベントが必要ではないか、という問題意識が当センター代表“草柳和之”の中で生まれていました。さらに、非暴力を共有するための音楽、DV問題の存在を伝えるメッセンジャーとしての音楽を作り出す仕掛けをイベントにする構想も浮かびました。
そして“草柳”は、DV問題に携わる関係者にこの意義に賛同を求めて実行委員会を組織し、準備会を重ねた末、《DV鎮魂の会》は実現したのです。その概略を以下に紹介しましょう。
《DV鎮魂の会》
〔日 時〕2001年10月21日(日)pm1:45-4:00
〔会 場〕国立オリンピック記念青少年総合センター・小ホール(渋谷区内)
〔主 催〕DV鎮魂の会実行委員会
(メンタルサービスセンターのスタッフを中心に、自治体のDV相談室相談員、シェルター関係者、 精神科医、カウンセラー、サバイバー、大学教員等により、実行委員会を構成)
このイベントは、次のような3つのパートで構成されました。
●パート1:セレモニー
(1)著名人からのメッセージ披露:
著名人に手紙を郵送して同イベントの意義を知らせ、DVへの関心を深める契機とし、メッセージをいただいて、当日に披露しました。
(2)被害者の体験談に耳を傾ける:
DV被害体験を語る方を事前に公募し、体験談に耳を傾けることを通じて、DVをなくすための私たちの真摯な思いを集めました。
(3)被害女性の魂を鎮めるセレモニー:
亡くなった方への追悼を願い、被害者を象徴する白い椅子を舞台に設定して、自分の折った折り紙を捧げるセレモニーを行いました。自らの存在価値の回復を目指す全ての被害者に、時間と空間を越えて私たちのメッセージを届けました。
●パート2:DV根絶を願うピアノ曲初演
DVで亡くなった女性の魂を鎮め、DV根絶を目指す精神的内容を象徴的に表現するピアノ曲を、“草柳和之"が作曲家・野村誠氏に作曲を依頼しました。曲名は『DVがなくなる日のための「インテルメッツォ(間奏曲)」』で、「DVがなくなる日までの間に演奏する曲」という意味です。そして、このイベントでこの曲の初演を行い、DV問題啓発ツールとしての活用を呼びかけました。
⇒曲の説明
初演者でもある作曲者の野村誠氏は、2001-04年京都女子大学専任講師、インドネシア国立芸術大学客員教授。英国・ヨーク大学に留学した当時、神戸の大震災で被災した人々のために、ヨーク市で「神戸のためのコンサート」をプロデュースしました。その際、地元中学生が作曲した「アースクエイク」を電話でAM神戸に送り、これはBBCラジオで紹介されるほどの大きな反響を呼びました。1991年にソニー・ミュージック・エンタテイメント「NEW
ARTIST AUDITION 91」 、1996年に京都JCCアートワード現代音楽部門で、それぞれグランプリを受賞。老人施設での共同作曲活動を展開するなど、領域を越えて活躍する作曲家です。
《作曲者近影:野村誠》
●パート3:対談『DVを社会からなくすために−−被害側・加害側の取り組みと展望』
話題提供者は、長年DV被害者の離婚裁判・家裁の調停の事件を手がけてきた樋口由美子弁護士と草柳和之で、DV問題のさらなる解決に向け、その現状と展望が語られました。
【《DV鎮魂の会》開催に向けての歩み】
以上は全て、イベントをその内側で完結させずに、多くの人を巻き込み、DV問題の解決に向けて新たな可能性を作ろうとする点で、全く前例のないものでした。筆者は関係者にこのアイデアを話して、開催実現のために参画をお願いするところから準備を始めました。多くの方は、その意義を認めながらも、その前例のないイベントの内容に「一体、そんなことが出来るのか?!」と、驚きを隠しませんでした。
心理臨床家が作曲家に作曲を依頼する、という事態は、前代未聞のことでした。草柳が知る音楽大学関係者を通じて、この“DV根絶を願う曲”を委嘱する作曲家を探し始めましたが、なかなか引き受け手が見つかりませんでした。何しろ、
・作曲料は出来得る限り低額
・著作権のキャンセル
(→アマチュアを含め多くの方にその曲を自由に演奏してほしい、という趣旨)
という難しい条件でした。
しかしある時、知人を介して野村誠氏という意欲的な作曲家との出会いがあり、趣旨を理解し、作曲をひきうけて下さったのは、幸運としか言いようがありませんでした。しかし野村氏には、DV問題の実情を十分知らないために戸惑いがあり、「被害女性や現場の援助に携わっている人の話を直接聞いて、作曲のイメージ作りに役立てたい」との希望が出されました。そこで2001年3月にはそのような趣旨の第1回準備会をもち、さらに7月には第2回準備会が実施され、野村氏がピアノの即興演奏を行い、当事者や関係者と意見交換をしながら、曲想のイメージを探る試みも行われました。
一方、同時並行して、意義に賛同した関係者が必要な人数集まってボランティアの実行委員会を組織し、5月から10月まで、月一回のペースで開催のノウハウを少しずつ集約し、イベント実現に至ったのでした。本当に、多くの方の好意と熱意の賜物としか言いようのない、奇跡的な開催でした。
【本イベント当日に起こったこと】
本イベントの構成は、このように大掛かりで盛沢山な内容でした。当日の出来事を、以下に紹介しましょう。著名人からのメッセージ披露としては、大学助教授(当時)、DV防止法にかかわった参議院議員・円より子氏/福島瑞穂氏から、FAXでメッセージをいただき、会場で実行委員が代理で読み上げてその内容を伝えました。
また、タレントの岡田美里氏[注]が会場に足を運んで下さり、自らの体験も交えながら、DV問題の解決に向けての心温まる言葉を語りました。DV被害の体験談は2名、それぞれ10分ほど、時間を超過して切々と訴える言葉は、その場にいる全ての者の胸に響きました。
セレモニーでは、代表・草柳和之が丹念に会場全体をリードしていきました。ステージに白い布をかけたイスを置き、実行委員メンバーが先頭となって、そのイスの上か周囲に、自分の折った鶴などの折り紙作品を捧げるものでしたが、ほとんど全ての方が壇上に登りました。そして一分間の黙祷・・・。この会場にいる人のみならず、会場にいない人のためにも祈りが届くように、そして私たちの内なる力が、このイベントを終えてからも一層高まるように、願ったのです。
休憩を挟んで、作曲者による初演が行われました。曲名は『DVがなくなる日のための「インテルメッツォ(間奏曲)」』、DVがなくなる日までの間に演奏する曲、という意味です。文字通り、心に残る素晴らしい演奏でした。そして演奏の後に、草柳が多くの人々の手によりこの曲を活用していくことを提唱し、その活用案についても手短に伝えました。対談については省略しますが、妨害や目立ったハプニングもなく、驚くほど全てが滞りなく会を終了できました。
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惜しまれるのは100名弱という少ない参加者数であったことです。しかし終了後、対談の樋口弁護士も、このタイプのイベントは初めてだが、とても感動した旨を語り、筆者の知人も同様の感想でした。これは、司会者がイベント終了を宣言しても、暫くは席を立たない方が多かったことからも裏づけらます。イベント開催としては十分成功と言ってよいでしょう。我々の痛みに向き合うと同時に、新しい可能性を産み出すタイプの「DV鎮魂の会」のようなイベントは、現在の日本でも可能であることが、事実として示されたのです。
[注] 父親のE.H.エリック氏は、一時期、お酒がらみで彼女の母親に暴力をふるっていたため、岡田美里氏はDV家庭で育ったことになり、子ども世代のDV被害者に相当する。父親の介護体験の際の複雑な思いや、自らのPTSDの苦痛とその回復過程は、『「しあわせ」のかたち〜PTSDからの旅立ち』(講談社,2001)として綴られている。
【本イベントを通じて現れた課題】
しかし残された課題は大きいものがありました。本イベントはDV防止法施行(2001年10月)直後という極めてタイムリーな時期に当たっていました。しかし偶然にも、2001.9.11にニューヨークの連続テロ事件が勃発し、これは《DV鎮魂の会》にとっても大打撃でした。本イベントは広くDV問題を訴えていく目的なので、当初から新聞等に紹介してもらう前提でしたが、知人の記者に何度もプッシュしたにもかかわらず、連続テロ事件、さらには当時話題となっていた狂牛病関係の記事に押されて、とうとう大きな形では掲載されませんでした。
そして、参加する側も《DV鎮魂の会》の場合は、講演・シンポジウムよりも、コミットが深くなければ参加が困難なので、参加者層の条件が限られてきます。以上のような幾つもの要素によって、参加者数は、このような新機軸のイベントを受けとめられる日本社会の力量を表していると言えるのです。
また、参加費収入のみでは確実に赤字が予想されたので、計5ケ所に助成金を申請したが全部通りませんでした。その中には女性問題対象の財団も含まれ、前年は新興の女性団体主催のDVシンポジウムに助成されたので、可能性は十分あると考えられましたが、見事に覆されました。やはり馴染みの事業は助成金が通りやすく、意義があっても新しい発想の事業には通りにくい傾向が存在するのです。
支出で最大の負担は作曲委嘱料で、芸術関係に要する費用は通常の金銭感覚を大幅に越えます。作曲料が5万円や10万円で済む訳ではありません。これは、代表・草柳和之のポケットマネーから支払うしかありません。このような従来の限界を破る種類の事業こそ、相応の支援がなされる必要があり、それが可能な社会に成熟すべきであると思われます。唯一の救いは草柳の多数の知人からカンパがあったことで、それが収支は赤字でも無視できない支援となりました。この点、実に感謝以外の言葉が見つかりませんでした。
一方、DV被害者支援に携わる関係者の一部から、「このイベントに参加してはいけない。」など、相当なバッシングがあったと伝え聞いています。本イベントの趣旨が「DVをなくしていく目的に反する」ならば批判もありえますが、どう吟味しても“目的に反する”とは思えないのです。それは、「草柳がDV加害者更生プログラムを実践している」現実に対する悪感情が背景にあると、推察されます。
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このようなイベントの試みは米国人的発想に近いものでしょう。以上のように、《DV鎮魂の会》を開催するにあたって、言い尽くせないほどの困難を経験しました。今まで閉ざされていた重たい扉を開ける作業というのは、まさにこのような困難を伴うのです。
しかし今回、被害者支援に携わる方も実行委員に加わり、草柳のようなDV加害者更生プログラム携わる人々、被害当時者、自治体職員、
作曲家、女性・男性など、立場や領域を越えて、イベントを作り上げるというのは初めての試みであり、その意義は大きいものです。DV問題の主催はどうしても女性の集まりとなる傾向にあるが、その限界をわずかだが越えることができました。非暴力の意志が広がることを願い、悲痛な体験を解決のエネルギーに変換する我々の力を確認するために開催され、静かな成功を収めたのです。
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《DV鎮魂の会》を機会に、DVがなくなることを願う象徴の音楽を私たちは得たのですが、今後この曲が本来の目的を最大限発揮できるように、工夫を積み重ねる課題が残されています。草柳和之が主宰する心理相談機関《メンタルサービスセンター》で楽譜を通信販売しています(CDは2002年5月にレーベル会社から発売)ので、多くの方が活用されることを願っています。
この曲の解説と活用法については、次のページをお読み下さい。
→『DVがなくなる日のための「インテルメッツォ(間奏曲)」』解説
これらの音楽活動により、私たちがDV根絶を願うバイブレーションが世の中に伝わり続けることになります。また、筆者は全国から講演依頼があり、その際に“講演+ピアノ演奏"という新スタイルの講演活動を開始しています。演奏技術はとても本職に及びませんが、DV問題の必要な内容を言語的に伝えるだけでなく、音楽によって、人々のDVのない社会の実現を願う体験を、ささやかながら作り出していきたいと思うのです。この曲が、DV問題に対する社会全体の注目度を高め、意識啓発の促進をはかるための有益なツールとなるよう、多くの方の手で成長させていくことを切に望みます。