〜フラワーデザインの歴史〜

時代様式

背景

花の文化

 
エジプト時代
(紀元前3000年頃〜
紀元前332年)

ナイル河流域に長期間栄えた古代文明国。神殿・ピラミッド等の巨大建築物や象形文字が残る。衣服は薄い亜麻地。

第5王朝以降は儀式や葬儀の供え物としてだけでなく、花は常に果物や野菜と共に日常生活の中で飾られた。墳墓の壁画には贈り物やアクセサリーとして、ガーランド・簡単なポージー・テーブルに積み上げたもの・長い杖状の花束などが描かれている。


ギリシャ時代

(紀元前600年〜紀元前146年)

神殿の柱にはコリント式・ドーリス式・イオニア式などがある。建築や彫刻に植物素材を用いた。二つの取っ手が付いたアンフォラという壺や、豊穣のシンボル・コルヌコピアなどがある。

多神教の為、其々の神々に捧げる植物が定められていた。結婚式では、高い器に葉の多い木の枝を挿して飾ったとされる。また、ガーランドや永遠と再生のシンボルとしてのリースには、儀礼的な意義や薬草としての材料を使って、生活に取り入れていた。


ローマ時代
(紀元前28年〜325年)

ギリシャ文化を引き継ぎながら発展した。キリスト教が広まり、強い影響力を持つようになった。ガーデニングの技術はイギリスまで伝わった。

様々な植物素材で作られたリースやガーランドを頭や体に飾ったり、花びらをふんだんにベッドに撒いたりした。色彩豊かな花や果物をバスケットに盛り付けた絵画が残っている。


中世ヨーロッパ期

476年〜1453年)

キリスト教倫理に全てが集約され、キリスト教美術一色になる。ゴシック様式やロマネスク様式などの装飾過多の建築が流行した。

ビサンチン帝国では優美な生活が続き、足つきの壺やコンポートに果実と共に、コウンスタイルに飾られた。ユリ・デイジー・カーネーションなどが左右対称にアレンジされていた。


ルネサンス期

1400年〜1600年)

イタリアからヨーロッパ各地へ波及した、芸術と文学の復興を意味する。透視画法を活用して写実的な絵画が描かれたり、設計に基づいた庭園では花壇がつくられた。

ゴシック様式への反動で、古典スタイルが復活。ベネチアガラスや大理石・銅などのコンテナが花を引き立てた。神への捧げ物だった花が庶民にも浸透し、テラコッタやマジョリカ焼きの鉢にハーブやトピアリーを育てたり、花瓶や壺にシンプルにアレンジされたりした。



テューダー王朝時代

1485年〜1603年)

イギリスではばら戦争が終わり、ヘンリー七世の王朝が始まった。庭園のある荘園領主の館マナーハウスが建てられた。
芸術・文化・科学・園芸などルネサンスの影響を受けながら発展した。

ポプリ・オレンジとクローブのポマンダー・タジーマジー・ノーズゲイなどの香りのある花やハーブを、ペストなど病気の予防や不快な臭いを弱めるために用いた。イギリス原産の野生の花を栽培するようになり、数多くの種類の花が当時すでに導入されていた。


バロック期

1500年末〜1700年頃)

イタリアのルネサンスで復興した古典様式に、動きが加わって発展した影響は、オーストリア・オダンダ・フランスへと広がっていった。

あらゆる産業と文化の発展に伴い庶民の生活も向上し、特に園芸には著しい発達が見られた。


ダッチ&フレミッシュ期
1600年頃〜1800年頃)

裕福な中産階級の商人達によって、オランダにもたらされたバロック文化。宗教では、カルビン派によるプロテスタントの影響を受けて、ヴァニタス(虚栄)を主題とした静物画や花の絵が描かれ、長く厳しい冬の間を楽しんだ。

パロットタイプのチューリップが投資対象となる。フリューゲルをはじめとするフランドル派の花の絵が多数描かれたが、実際の花ではなく、別々にスケッチされた花を取り合わせてひとつのアレンジメントに描いた。花の絵における虚栄のアクセサリーは、鳥の羽・巣・コケ・蝶・昆虫・貝などであり、花は生のはかなさの象徴であった。


ロココ
1715年〜1774年)

フランス語のロカイユ(岩)とコキーユ(貝)から生まれた。重々しいバロックとは違い、明るく軽やかな装飾様式で、フランスから全ヨーロッパへ波及した。花模様の織物が多い。

パステルカラーの柔らかい色調や、ひとつひとつの花の美しさを強調し上品に仕上げたものが好まれた。形は非対称のS字カーブや、Cカーブが特徴的であった。壺型の容器や家具に動物の足や植物を模した台座が付いた。



ジョージ王朝時代

1714年〜1830年)

芸術が盛んに奨励された優雅な時代で、初期はバロック様式。18世紀後半からはロココの影響を受けた。

花留めの穴がある蓋付きボールや台付花器など、花を生けるための様々な花器が用いられた。また、茎を支えるためにモスや砂が使われていた。
サイドテーブルの花瓶や食堂の大テーブルのセンターピース、また
髪飾りやコサージとして飾ったり、ポージーやバスケットで持ち運んだ。


ビーダーマイヤー期

1815年〜1848年)

当時の小説の人物像から名づけられた、オーストリアにおける様式。ベートーベン・シューベルト・シュトラウスなど文化的に実り多い時代。

同心円状に花を配置した小さな花束(ビダマイヤーブーケ)などが作られた。修道院や教会の中庭や墓地などが植物で整えられた。



ヴィクトリア王朝時代

1830年〜1901年)

イギリスにおける産業革命の時代。工業製品が有り余るほど出回った。人工染料の開発で色彩が華美になり、補色配色が好まれた。

外来植物が多数もたらされ、温室栽培された。ローズボールやイパーン・マーチスタンドなど様々な花器が使われた。アイビー・スマイラックス・アスパラガスなどを、フルーツと共にテーブルデコレーションに用いたり、髪飾りやコサージ・ポージーやブーケとして身体を飾ったりした。また、ドライフラワーも流行した。この頃好まれた、比較濃い配色の花を同心円状に配置したポージーをヴィクトリアンブーケと呼ぶ。


アーツ アンド クラフツ運動

1884年)

ロンドン万博の後、工業製品のデザイン性の乏しさに反発してイギリスで起こった運動。大量生産品を嫌った総合芸術的姿勢。

家具や室内装飾に自然をモチーフにしたパターンを使用した。


アール・ヌーヴォー
1890年〜1914年)

ベル・エポック(良き時代)と称されるように、ヴィクトリア時代より格式ばらず、よりエレガントな時代になった。この装飾様式は、ヨーロッパとアメリカ全土に行き渡った。

植物を流線型に様式化したデザインが特徴で、オーナメントやドレスと同じように、ランプの笠や家具・建物にまで広く受け入れられた。
花は日常的に飾られ、ガラスの花瓶などに簡素に活けるのが主流となった。


アール・デコ
1920年代〜1930年代)

アール・ヌーヴォーに続き、ヨーロッパ及びアメリカ(ニューヨーク)を中心に発展した。幾何学的・直線的な様式が、建築・家具・装飾品に用いられた。

切花は家庭の中でシンプルでナチュラルに生けていた。全ての花は自然に生えているように生けるべきだと言われていた。街にも家庭にも、アレンジメントはいたるところに飾られていった。