山田方谷陽明学の主な師弟関係

 

わが国陽明学の主な師弟関係

 

@中江藤樹 ⇒ A熊沢蕃山 ⇒ B佐藤一斎 ⇒ C山田方谷 ⇒ D三島中洲

 

山田方谷は、佐藤一斎塾で学んでいるが、熊沢蕃山に心酔していた。

岡山県備前市の閑谷学校から東に8キロばかりのところに蕃山村があり、熊沢蕃山の宅跡がある

方谷は熊沢蕃山宅の近くに居宅を建て晩年のひと時をすごしている

 

@ 中江藤樹(1680〜1648)

慶長13年近江の国高島郡小川村生まれ、9歳で伯耆の国 加藤貞康 家臣の養子となり、藩主の転封の従い伊予の大洲に移住 

27歳で郷里近江の国に帰郷し、学問と教育に精励し、わが国陽明学の祖となった

 

・生誕の地(滋賀県安曇川町)の中江藤樹記念館にわが国陽明学派の系図がある

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A 熊沢蕃山(1641〜1691)

寛永18年 正直な馬子の話(藤樹から人間としての道を学んだ馬子が、馬の背に忘れた客のお金を宿まで届けた話)を聞き中江藤樹に入門し、

わが国の陽明学継承者となった 蕃山は岡山藩主池田光政の家老として、閑谷学校を起こすなど治積をあげた

閑谷学校から東に8キロの蕃山村、熊沢蕃山の宅跡近くの蕃山碑

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滋賀県志賀町にある 球形のユニークな蕃山記念碑

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・熊沢蕃山ゆかりの地の蕃山文庫(滋賀県志賀町)に遺品資料が展示されている(現在閉館中)

 

B 佐藤一斎(1772〜1859)

 

C 山田方谷(1805〜1877)