先 妣 墓 碑(撫 髪 之 訓 碑)
高梁市の朝
中井町方谷園
先妣墓碑 (撫 髪 之 訓 碑)
右 父 五郎吉 墓碑
左 母 西谷 梶 墓碑
の間に建つ
拓本(製作中) 日本拓本研究会会長 高橋昌博先生採拓
先 妣 墓 碑 ( 撫 髪 之 訓 碑)
(参考文献 田井章夫先生著 「郷土の偉人山田方谷」 より)
山田方谷は、六十三歳の慶応三年(1,867)、父 五郎吉 と母 西谷 梶 の墓の間に「撫髪之訓碑」を建てて、
訓えに報いた記を両親にささげている。
撫 髪 之 訓
(大意)
「山田の家は、元武士の出であるが、今は落ちぶれている。家を再興するのが父の念願であり、新見の丸川松陰について学ばせているのもこのためである」
と、いつも教えられていました。ある日、母が私の頭を撫でながら、「この子は、きっと父上の志を果たしてくれますよ」と言われました。
自分はこの言葉を肝に命じて大きくなり、学問に励み、今日のように藩儒(藩に仕える儒学者)となり、藩の政治に参画するようになりました。あの時の『撫髪之訓(ぶはつのおしえ)』を今わずかにお答えできたのでこの碑を建てます。