雪割草とよばれる花たちFlowers in lingering snow

 寒気がゆるみ、冬との惜別の涙をぽつりぽつりと流しながら氷柱がやせはじめ、大地をおおう雪の下からかすかな水のささやきが聞こえてくるころになると、もうすっかり花の支度が整った草々の蕾が大気の様子をうかがうようにそっと伸び上がってくる。
 春早く、雪の消えるのを待ちかねて地表に顔をだす花たちは、しばしば”雪割草”の名で総称される。
 日本植物友の会が編んだ『日本植物方言集成』によれば、サクラソウ科、キンポウゲ科、ユリ科など7科にわたる10種ほどがユキワリソウあるいはそれに近い名で呼ばれている。
 しかし、ユキワリソウという呼び名が本草関係の文献に登場するのはさほど古いことではない。
 私の知る限りでは、水谷豊文によって文化6年(1809)に著された『物品識名』が最初である。
 
サクラソウ科の雪割草
ユキワリサウ イハザクラ ナンキンコザクラ
引用: 飯沼慾斎著、牧野富太郎増訂『草木図説』、三浦源助発行(1907)
  
 今日ではサクラソウ科のユキワリソウの仲間(サクラソウ属)には互いによく似たさまざまな種が存在することが知られているが、水谷豊文のユキワリソウは現代の分類学者がユキワリソウ(Primula modesta)と呼んでいるものと同じだと考えられている。
 この植物は、北は千島列島のラショワ島から南は九州まで分布しているが、3変種に分けられ、福島県以南の山岳地帯の草場や岩場に生えているものが典型的なユキワリソウで、本州北部から北海道、千島列島に分布する葉が裏側に強く巻き込むタイプのものがユキワリコザクラ(P. modesta var. fauriei)、比較的葉が大きくて花色の濃い礼文島から知床半島に見られるものがレブンコザクラ(P. modesta var. matumurae)である。
 この分類は平凡社の『日本の野生植物』によるものだが、山崎敬(2003)は上記に加えてサマニユキワリソウ(var. samanimontiana)のほか韓国に分布するハンナセネンシス・ユキワリソウ(var. hannasenensis)とコレアナ・ユキワリソウ(var. koreana)を記載している。このように種内変異が多い種で、研究者によってはさらに多くの変種や品種に分類することもある。
 上に引用した飯沼慾斎が安政3年(1856)に著した『草木図説』に描かれているユキワリソウは福島県以南に見られる典型的な個体である。
  一方、里呼び名を調べてみると、日光方面では別種のハクサンコザクラ別名ナンキンコザクラ(P. cuneifolia var. hakusanensis)をユキワリソウと呼んでいる。

 ユキワリソウが所属するサクラソウ属にはおよそ500種が知られていて、そのほとんどは北半球に分布していが、マゼラン・ユキワリソウ(P. magellanica)のように南アメリカ大陸最南端の地で氷河のほとりに咲くものもある。その名はプリマベーラ(春)である。雪深い土地に生きる人々が雪が解ける春を待ち焦がれる思いは、人類に共通するものであろう。

キンポウゲ科の雪割草


 キンポウゲ科の植物は、真正双子葉植物の中では最も原始的とみなされているものだが、ヒグマをも倒すほどの猛毒アルカロイドをもつトリカブト、秋風に揺れて咲くシュウメイギク、漢方薬として珍重されたオウレンの仲間など、実に多種多様である。
 それらのなかで、早春の林床に咲くミスミソウ、スハマソウ、イチリンソウ、ニリンソウなどが一般にユキワリソウと総称されている。


* ミスミソウスハマソウ *

ミスミソウ(Hepatica nobilis var. japonica) スハマソウ(H. nobilis var. japonica forma variegata)


 ミスミソウは北半球に広く分布するヘパティカ・ノビリスの変種の一つで、スハマソウはミスミソウの1品種である。両者は葉の形の違いで分類されているが、どちらともいえない中間型もある。
 ミスミソウは三角草と書かれるように3深裂した葉の裂片の先が尖っている。一方、スハマソウは洲浜草と書き、これは正月の蓬莱飾りや婚姻儀式の肴を盛る洲浜台に似た、裂片の先が丸みを帯びた葉を付ける。
 両者は葉の形だけでなく、花の形や色取りが極めて変化に富み、山草愛好家には人気の高い植物である。
 一般に太平洋側のものはほとんどが白花系で、まれに桃色花が混じる程度であるが、日本海側のものでは花色が青、紫、赤、白などと多彩な変異がみられる。

 ミスミソウやスハマソウの栽培が始まった時代についての正確な記録はないが、丸山応挙、あるいはその門弟の手になるものではないかといわれている、京都の冷泉家に伝わる”花貝合わせ”の一組にスハマソウが描かれているところを見ると、江戸時代の中頃までにはその美しさが広く一般の人々の知るところとなっていたのであろう。

 ところで、ミスミソウやスハマソウはいつのころからユキワリソウと呼ばれていたのであろう。これも定かなことはわからないのだが、前出の『物品識名』や弘化4年(1847)に小野蘭山が著した『重訂本草綱目啓蒙』にはスハマソウの別名として雪割と雪割草が挙げられている。
 現在はミスミソウの里呼び名としてのユキワリソウという呼称が記録されているのは富山県東砺波郡だけで、山形県ではツチサクラ、長野県ではジザクラと呼んでいる。このような里呼び名に対して、ミスミソウ(三角草)やスハマソウ(洲浜草)は江戸時代の本草学者や園芸家が付けたものであろう。
 雪解けを待ち焦がれる北国の山村の人々は、きっとはるか昔からユキワリソウという名で呼んでいたに違いない。そんな気がするのは私だけであろうか。


* イチリンソウニリンソウ *

ニリンソウ イチリンソウ アズマイチゲ

 前に挙げた『日本植物方言集成』や宇都宮貞子さんの『草木おぼえ書』などをみると、甲信越地方ではイチリンソウ(Anemonoe nikoensis)、ニリンソウ(A. flaccida)、アズマイチゲ(A. raddena)などのアネモネ類、つまりイチリンソウ属の植物を昔からユキワリソウあるいはユキワリバナと呼んでいたことがわかる。
 イチリンソウは北海道を除く日本各地の落葉広葉樹林の林床や林縁とこれに続く草原に生える清楚なスプリング・エフェメラルである。5〜6枚の花弁状の蕚は純白に近いが、裏側がかすかに紅を差して美しい。ユキワリソウの他、新潟ではオトコカタコと呼ぶが、これはカタクリと同じころ咲くが食用にはならない草の意味であろう。
 アズマイチゲは九州から北海道の落葉樹林内に生えるが韓国からウスリー地方やサハリンにも分布している。里呼び名はイチリンソウと重なるものが多いが、岩手県のチョンブリとか青森県のラッコなど語源がよくわからない名もある。
 ニリンソウはイチリンソウと分布は重なるが中国の東北部にもあり、林陰銀蓮花と呼ばれ打ち身などに効く薬草として利用されている。双子葉植物にもかかわらず子葉が1枚しかないという変わり者である。しばしば大群落を形成するが、南アルプスの広河原などの林床ではシロバナエンレイソウやクルマバツクバネソウなどと混生している。
 かすかな香気のある若葉は山菜としても一級品で各地で食べられているが、猛毒のあるトリカブトの若葉とたいそうよく似ており、しかも混生していることもあるので注意しないといけない。毎年のように中毒事件が発生しているのである。
 ニリンソウにはユキワリソウ以外の里呼び名も多く、戸隠の中社ではオンナッタマと呼ぶ。宇都宮さんは花茎の先のふっくらとした蕾を女性的な感じのする玉に見立てたのではないだろうかと記している。

ユリ科とナス科の雪割草


ショウジョウバカマ(Heloniopsis orientalis) ベラドンナ(Atropa belladonna)
セイヨウハシリドコロ


 長野県の下水内地方でユキワリソウと呼び、北安曇地方でユキワリバナと呼ぶユリ科の植物はショウジョウバカマのことである。山形県の一部でもユキワリソウと呼んでいる。英語名はジャパニーズ・シラーだが、シラーの仲間ではなく東アジアだけに分布しているヘロニオプシス属の1種である。
 北海道から九州まで、各地の丘陵から高山にわたって生えている多年草で、比較的湿った環境を好む。種子で増えるだけでなく葉先に形成される無性芽で繁殖することもできる。
 新潟県ではカンザシバナ、長野県の下高井ではチャセンバナとも呼ぶが、これは緑色の花茎の先端に5〜6個の花が房状に咲いている様子をよく表した里呼び名である。

 ナス科のハシリドコロをユキワリソウと呼ぶのは長野県の佐久地方である。沢の上流の斜面に消え残っている雪を貫いて続々と芽立って来る姿がこの名に相応しい。
 標準和名となっているハシリドコロは、誤ってこの草を食べると幻覚症状を起こして走る回ることに由来する。オニミグサ(鬼見草)という古名も同じ意味だろう。毒の正体はアルカロイドのスコポラミンやアトロピンである。

 上に挙げたものの他にもユキワリソウあるいはそれに近い名で呼ばれる植物がいくつかあるが、それも含めて、これらの植物はいずれもかなりの積雪を見る地方の落葉広葉樹林の林床が主な生育地である。
 したがってよく似た環境のある北半球の温帯に位置する国々でもいろいろな種類の「雪割草」がそれぞれの春を彩っているのである。


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