YADOKU

矢毒に用いる植物
                 Folklore of the plants used for arrow poisons


狩猟に用いた植物毒


 エン ルム カタ   オマン カムイ   エペンタ ウェ

 「とがった矢尻に 乗った神が 山奥へ向かう」という意味のこの歌は十勝伏古(芽室町)のアイヌ・コタンのウポポ(伝承民謡)の一節である。矢じりに乗った神は羆をも倒す力を秘めるスルク・カムイ、つまり矢毒に用いるキンポウゲ科の有毒植物の一つであるエゾトリカブトの根に宿る神である。

 アイヌに限らず世界各地の狩猟民族は、いつの頃からか、矢尻や槍の穂先にさまざまな毒物を塗りこめて狩りの効率を高めていた。
 毒矢に用いる物質にはいろいろあり、中南米の原住民の一部のようにヤドクガエル(Dendrobates) とフキヤガエル(Phyllobates) のバトラコトキシンというフグ毒の5倍もの毒性のある物質を利用するものやアフリカはカラハリ砂漠のブッシュマンのようにカァア(Diamphidia simplex) というハムシ類のもつ猛毒を使うものもあるが、植物毒を利用するケースがはるかに多い。
 植物毒の多くはアルカロイドや配糖体だが、特定の物質が単独で用いられることは稀で、アイヌがトリカブト毒にエゾテンナンショウや水生昆虫のマツモムシの毒を加えるように、普通は数種類の毒物を混用している。
 どんな毒を使うかは、当然のことながら、それぞれの民族の生活圏内の植生によって決まる。その実態を北半球の暖帯から寒帯、東南アジア、中南米、アフリカの4地域に分けて見てみよう。


北半球のトリカブト毒文化圏


 トリカブトという和名は夏から秋にかけて咲く花が舞楽の常装束の冠として被る鳥兜に似ていることに由来する。この草に含まれる毒はアコニチン、メスアコニチン、ジェスアコニチンなどのアルカロイドで、即効性の猛毒である。純粋のアコニチンは3mgほどが大人に対する致死量といわれている。しかしその含有量はトリカブトの種類(世界には約300種、日本でも30種以上が知られている)によって異なり、ほとんど毒性を示さないものもある。
 特に毒性の強いものとして知られる種は、ヨーロッパ産のナペルス・トリカブト(Aconitium napellus) やヒマラヤ山地を中心に分布しているフェロックス・トリカブト(Aconitium ferox) などである。
 

ナペルス・トリカブト M.M. Grieve (1931) フェロックス・トリカブト N.P. Manandhar (2002)

 日本にも30余種のトリカブトが分布しているが、関東以西のものは一般に毒性が弱く、エゾトリカブト(Aconitum yesoense) のような強毒性の種は東北地方より北に見られる。

 トリカブト毒の利用が始まった時代は定かではないが、島根県古浦遺跡(弥生時代前期)から出土した高さ17cm弱の小さな甕方の土器がトリカブト毒を煮詰めるために用いられたものと考えられている。
 また、東北地方の石器時代と推定された遺跡から見つかった碗形石器が、アイヌの人たちがエゾトリカブトの根を潰すときに使っていた石臼と酷似していると主張する研究者もいる。

 文献としてトリカブトを用いた毒矢に言及している最古のものは漢代になったといわれる『神農本草経』で「その汁を煎じ詰めたものを射罔といい鳥や獣を殺す」と記している。また、南朝の范曄が撰述した『後漢書』の西域伝には「西夜国(現在のパミール山地)では白草の毒を煎じて矢に塗る。あたればたちまち死に至る」とある。白草はフェロックス・トリカブトらしい。
 さらに、明代に著された『遼東志』にサハリンのアイヌが毒矢を使うことが記されているというが、アラスカ西北端のイヌイットをはじめ、アリューシャン、カムチャッカ、千島などに居住した古アジア族の末裔は、近年までトリカブト毒を海獣猟などに使用していたことが知られている。

 このように、北半球の温帯から寒帯にかけての、強毒性のトリカブトが分布する地域では、これを矢毒として利用する複数の文化圏が古代から存在していたのである。


東南アジアのイポー毒文化圏


 東南アジアの熱帯降雨林を生活の場とした狩猟民の多くはアンチアリス・トキシカリア(Antiaris toxicaria) の樹液に含まれる毒を吹き矢に塗って狩をしていた。
 この植物は樹高が70mにも達することのあるクワ科の常緑樹で、スマトラ島やスラウエシ島ではイポー(ipoh)、ジャワ島ではウパス(upas)、マレー半島ではタジャム(tajam)と呼ばれている。
 イポー樹の存在は1330年にドミニコ修道会の僧ジョルダヌスによって初めてヨーロッパへ知らされたという。このとき、その毒性が非常に誇張されて伝えられ、やがてさまざまな神秘的とも言える伝説が生まれた。
 例えば、この樹の根元で休んだ旅人はたちまち昏睡状態に陥り再び目覚めることはないとか、うっかりこの木の上を飛んだ鳥も死んで地に落ちるなどという話である。実体がよく知られなかったこともあって、17世紀になっても、唯一の解毒剤は人糞であるとか、ごく微量の毒でも傷口に入れば30分足らずで筋肉は骨から離れ悪臭を放って人体は崩壊するとも言われていた。19世紀を目前にした頃ですら、この樹の周囲20kmには一木一草も生えず、30km離れても野獣の姿を見ることがないなどと報告されている。まるで原子爆弾的な存在ではないか!

イポー(= ウパス)  中国高等植物図鑑(1972) 伝説のイポー樹  ルネッサンス期の挿絵
  
 しかし実際は有毒の揮発成分があるわけではなく、傷をつけた樹皮から浸出する粘液質の乳汁を集め、これを矢先に塗りこめるのである。
 実験によると、数滴の毒汁を頚静脈に注射されたイヌやウマは数分後に嘔吐し、やがて四肢を痙攣させて死亡する。これは樹液に含まれるアンチアリン(antiarin)という配糖体が心臓毒として作用して心筋の運動を停止させるためである。しかしその作用はアコニチンのような即効性がなく比較的緩やかなので、多くの場合フジウツギ科のストリキノス類の樹液やサトイモ科の根茎の絞り汁などと混合して毒性を高めている。例えば、シンガポールのブキテマの丘やペナン島に生えているルキルというコンニャク類の1種から採った毒をイポー毒と混合したものは、サイやトラさえ数分で倒したという。


南米のクラーレ毒文化圏
コンドロデンドロン A.H. Gentry (1993)  南米で矢毒に用いられた代表的なものがクラーレである。この毒はペルー、エクアドルコロンビアおよびブラジルのアマゾン河やオリノコ河流域の低地などの降雨林に生活するインディオが古くから狩猟に用いていた。
 数種類の植物がその毒源となるが、ツヅラフジ科のコンドロデンドロン・トメントスム(Chondrodendron tomentosum) とフジウツギ科のストリキノス・トキシフェラ(Strychinos toxifera) が代表的なものである。前者ではツボクラリン(tubocurarine) が、後者ではトキシフェリン(toxiferin) が主な毒成分である。
ストリキノス A.H. Gentry (1993)


 成分はどちらもアルカロイドで、生理学者のクロード・ベルナールらの研究によると、骨格筋を収縮されるアセチルコリンの作用をブロックし骨格筋を弛緩させ麻痺させる。したがって矢を射られた動物は痛みの症状は示さず呼吸麻痺で死亡する。クラーレは人間の消化管からは吸収されないので、獲物を直ちに食べても問題ないといわれている。


アフリカのストロファンツス毒文化圏

 アフリカでも狩猟目的でいろいろな植物から毒が採られている。

 中央アフリカから東アフリカに分布するキョウチクトウ科のストロファンツス・コムベStrophanthus combe) もその一つで花弁の先が糸状に伸びた美しい花を咲かせる。
 この植物が矢毒に使われていることを最初に報告したのはリビングストン探検隊の一員だったスコットランドの植物学者Kirkで1861年のことであった。
 Kirkが報告したのはマラウイ湖周辺の事例であったが、その後の研究でストロファンツス属の植物の毒はアフリカの熱帯降雨林が茂る各地で矢毒として使われていることが明らかになった。その毒の正体はストロファンチン(Strophanthin) という配糖体で、強烈な心臓毒である。しかし単独で使われることは少なく、ヤマノイモ科のドゥメトルム・ヤマノイモDioscorea dumetorum) やトウダイグサ科の乳液に含まれる毒成分と混合されることが多いという。
 またコンゴ盆地のイトゥウリの森に住むムブチ族はガガイモ科のムタリFockea multiflora) と呼ばれるつる性の多肉性の攀じ登り植物の樹皮に含まれる毒とマメ科のエリスロフレウムErythrophleum) の樹液を混ぜたものを矢毒として使い樹幹部に住むサルなどを射落として食べている。
 一方、南アフリカなどの乾燥地帯に居住するブッシュマンたちはヒガンバナ科のズルー族がバテと呼ぶ大きな球根植物(Buphane disticha) などに含まれるリコリンなどのアルカロイドも矢毒として利用している。

ストロファンツス・コムベ H.D.Neuwinger (1994) ストロファンツスの1種  ホノルル植物園にて撮影


 また、エチオピアからケニア、ジンバブエを経て南アフリカへと分布しているキョウチクトウ科のアコカンテラ属(Acokanthera) の成分は東アフリカの代表的な矢毒である。その主な毒成分は強烈な心臓毒の配糖体ウアバリンとアコカンテリンである。
 この地域の多くの部族は、根を煮詰めて作った毒を矢尻ばかりではなく槍先にも塗って狩猟や戦闘に使ってきた。部族により毒の呼び方はさまざまだが、例えばウガンダのツルカナ族は“ムオノー”、ワンドロボー族は“エン・デュライ”と呼ぶ。
 そして、21世紀の現代でもこの毒を使った狩猟はおこなわれていて、状況によっては人間狩りにも使われることがある。
 この点に関連した、マサイマラ国立保護区で家畜と野生動物を対象に獣医師として活躍している滝田明日香さんの『マサイマラ・レポート』は私にとっては衝撃的だったので、下記に引用させてもらった。


     『マサイマラ・レポート』     No. 114 (2010.10.05)      滝田明日香

 マサイマラの満月の夜は、月明かりが遠くのサバンナまで明るく照らしてくれ、とても奇麗である。おとといの満月はとくに明るく、いつもより低い位置で丸い月が見えていた。月明かりで手をかざしてみると、本でも読めるのでないかというぐらいに明るい。思わず、夜空を見上げて、その美しさにみとれてしまった。

 そんな奇麗な満月の夜は、保護区の回りに住むマサイにとって、心配ごとが多い夜になる。なぜなら、月夜の明るさを頼りに隣国タンザニアからクリア族が牛を盗みにやってくるからである。そして、この満月の夜も例外ではなく、夜中になるとマサイの村にクリア族の牛泥棒がやって来た。真夜中12時に牛が盗まれると、すぐさまその後を村のマサイの戦士達が追跡しだした。牛泥棒は保護区の中を通過してタンザニアに逃げ込む場合が多いので、マラ・コンサーバンシーのレンジャーたちにも連絡が入り、牛泥棒の追跡が始まった。
 早朝6時には、保護区内を通過していた牛泥棒たちをマサイの戦士たちが発見した。戦士たちの姿を見た牛泥棒の一人は、牛の群れから離れてサバンナの中に逃げ込んだ。後の1人は牛から離れず、急いで牛を移動させようと試みたが、あっという間に戦士たちに追いつかれてしまった。戦士たちは逃げる牛泥棒に毒矢を何本も放ち、先回りしようとしたレンジャーたちが追いつく前に槍を刺し、山刀で頭をめった切りにして殺してしまった。戦士たちは、18歳前後のマサイの青年たちである。

 驚いたのは、回りのすべての人間のリアクションが、「よくやった!」だったこと。後で来た警察も戦士の尋問などはなく、ただ牛泥棒の遺体を回収するだけの簡単なものだった。ナイロビでもそうだが、泥棒にケニア人はお情けは絶対にかけない。警察が治安問題を解決してくれないから、都内では「モブ・ジャスティス」で市民が泥棒をリンチにかけて殺してしまうのが日常茶飯事である。

「ここでは観光業などの文明社会(?)の表面を剥がすと、そのすぐ下には野蛮な世界が存在しているからね」

 確かに頷ける。殺された牛泥棒の遺体は、あるロッジがよく客を連れてくる「ピクニックの木」のすぐ横のサバンナに無造作に転がっていた。遠くに見えるのは、観光客を乗せてゲームドライブをするロッジの車。そして、自分の回りには赤い布に身を包んで血走った顔で槍と毒矢を抱えた戦士とレンジャーの姿があった。あまりの両世界のギャップにすごい違和感を感じていたのは、私一人かもしれない。
 マサイの戦士が牛泥棒を殺してしまった瞬間を見たレンジャーの証言によると、牛泥棒はマサイの戦士たちが放つ毒矢を体から引き抜きながら走って逃げていたそうだ。矢を動物から引き抜いたことがあるが、後ろに向ったフックがついていて、そう簡単には抜けない仕組みになっている。それを抜きながら走っていたと言うのだから、その痛みは相当なものだっただろう。

 このマサイが使っている毒矢は、一度体に刺さって血液に入り込むとものの5分ぐらいで死んでしまうとよくみんなから聞かされていた。体が膨らむとかいろいろなことを聞くが、死ぬまでの時間が短いのと解毒薬がないというのは本当らしい。この毒矢、前々からいったいどんな物で作られているのか知りたくて、少し調べてみることにした。
 マサイ以外にも狩猟民族でゾウ狩りの名人として知られていたツァボ地方のワリアングールー族も、昔、ゾウを仕留める為にこの毒矢を使っていた。毒は、Acokanthera spp. と呼ばれる植物(俗名「poison bush」)の木の皮を何日も煮て作られるそうだ。作る人間によって、この植物以外にもいろいろな毒性の植物を入れたり、蛇の毒を入れたりとレシピが少しずつ異なってくるらしいが、メインの毒素はAcokanthera らしい。煮込まれて黒いタールのようになったものは、乾かして保存するのだと言う。毒矢に使う時は乾いた毒を削り取り、水やアロエなどの汁で解いて矢の先に塗り付けるそうだ。部族によって違うが、毒のついた矢を触らないようにトカゲの皮などで毒矢をつつんで持ち歩いていたらしいが、最近だとビニール袋で包んだりして持ち運びもしているらしい。
 ワリアングールー族がゾウを仕留める時は、脾臓を狙って矢を放っていたらしく、ゾウは矢が体に刺さると200メートルも歩けなかったと言う。そんなに早く動物を倒すのだから、心臓に影響する毒素だろうなと思ったので、調べてみた。すると、Acokanthera の毒素は、Cardiac Glycoside(強心配糖体)なるほど、不整脈になってすぐに倒れ込んでしまう訳だ。きっと牛泥棒も毒矢を受けながら走っているうちに不整になって、倒れ込んでしまってマサイの戦士に追いつかれたのだろう。そんな恐ろしいAcokanthera の毒矢だが、マサイランドではどの家にでもある普通の武器である。

A. oppositifolia (Lam.) Codd
http://www.calflora.net/southafrica/
A. schimperi (A.CD.) Schrodeinf.
http://www.metafro.be/

 このように世界各地の狩猟民族は、それぞれの生活圏に分布する有毒植物をたくみに利用した”矢毒文化”を築いたが、一方ではオーストラリア原住民のアボリジニーたちのように矢毒を使うことのなかった民族もあった。

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