SHIROIHANA

初夏に咲く白い木の花

 初夏は白い花の季節である。
 南北に長く連なるこの列島に自生する1000余種におよぶ樹木のほぼ4分の1が白色系統の花をつけるが、その多くがこの季節に咲き始める。
 日ごとに深まる緑の中で、あるものは吹き渡る薫風にさんざめき、人目を奪う鮮やかさで咲き、またあるものは五月雨にそぼ濡れ、白く煙るように咲く。
 日本人は遠い昔から、こうした白い木々の花に、格別の思いを寄せ続けてきた。


 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しそ多き        大伴旅人 

 『万葉集』をひもとけば、天平の歌人たちが慈しんだ初夏に咲く白い木々の花に出会うことができる。それは、橘(タチバナ)や宇能花(ウノハナ)や知左能花(チサノハナ)などであるが、前二者を詠んだ歌がことのほか多い。
 この時代に橘と呼んでいた木が現在の何に当たるのか確かなことはわからない。一般には愛知県以西に自生するタチバナ(ニホンタチバナ)だろうというjことになっているが、キシュウミカンやコウジミカンではないかという人もいる。また当時はすでに大陸から移入されたミカン類も栽培されていた可能性があり、特定するのは困難である。初夏に純白の香り高い花を咲かせるミカン類を総称して”橘”と呼んでいたとも考えられる。


 実体は何であれ、”橘”と聞けば人はそれぞれのタチバナを心に描くことであろう。
 ある人のそれは『古事記』と『日本書紀』に記された田道間守(たじまもり)の伝説へと回帰する心象かも知れない。新羅王の子、天日矛(あめのひほこ)の子孫という田道間守が垂仁天皇の不死を願って不老不死の理想郷とされていた遠い海の彼方の常世国から持ち帰った非時香果(ときじくのかくのこのみ)こそがタチバナの果実だったというからである。このタチバナは「常世物この橘のいや照りに吾ご大君はいまも見るごと」と元正上皇を讃えて大伴家持が詠んだように、奈良天平の時代にはその常緑の葉と芳しい純白の花と黄金色の果実から繁栄を象徴する木だとみなされていた。
 またある人のそれは
 「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」 という『古今集』の詠み人知らずの歌や
 「橘のにほうあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする」 という『新古今集』の俊成郷女の歌のタチバナのように、遠い昔への郷愁を誘う、甘い香りを放つ白い花の木かも知れない。

 詩歌の世界では唐橘(カラタチ)もまた橘として詠まれている。
 星野立子が「橘の花やしたがふ葉三枚」と詠んだ橘は明らかに三つの小葉に分かれるカラタチである。


〜 卯の花はもろき花かも降りつづく梅雨ならなくに散りすぎにけり    木村流二郎 〜


 万葉集では宇能花あるいは宇乃花などと表記されている”卯の花”はユキノシタ科のウツギである。沖縄をのぞく各地でごく普通に見られる低木で、中国や韓国にも分布している。ウツギという名は茎が中空であることを表す”空木”に由来する。


 タチバナがどちらかといえば貴族階級の花であったのに対し、山すその谷地田の際や小川のほとりなどの水辺を好むウツギの花は、稲作にたずさわる人々にこそ親しい花であった。

 ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の
     咲き散る丘に田草引く少女  巻10・1942

 ウツギの白い花が咲いては散っている丘の辺の水田で雑草をとっているあの可愛い少女はホトトギスの声を聞いただろうか。こう詠うのは少女を恋する若者であろう。

 ウノハナが咲き散り、ホトトギスが鳴き渡りはじめると、万葉の若者たちは夕闇の中へ、恋の歌垣の世界へといざなわれていった。ホトトギスは妹背鳥であり恋鳥であった。

 若者は心をこめて歌いかける。

       卯の花の咲き散る丘ゆほととぎす鳴きてさ渡る君は聞きつや     巻10・1976
       聞きつやと君が問はせるほととぎすしののに濡れてこゆ鳴き渡る  巻10・1977

 返歌した少女の声は少し震えていたかもしれない。
          
* 注
     巻10・1942の短歌の「田草」の万葉仮名表記には「田葛」とするものもあり、この場合「クサ引くをとめ」ではなく「クズ引くをとめ」と読むのが正しいという。(万葉集略解)

 

〜 うつそみをはかなきものと庭のへの沙羅雙樹の花散りにけらしも    島木赤彦 〜

平家のあの全盛とそのあまりにも早く訪れた滅亡とを目の当たりにした人々は、やがて一つの新しい白い木の花に心を惹かれていった。
 それは福島県以西の山中に生える落葉性の高木であるナツツバキの大きな白い花であった。

 ナツツバキはツバキ科の植物だがツバキとはやや縁が遠く、ヒメシャラとヒコサンヒメシャラともにナツツバキ属にまとめられている。アメリカのケンタッキーがらアラバマ州にかけて分布するマウンテン・ステワルティアも同じ属の白い花の咲く木である。極東の一角と北米のアパラチア山系に隔離分布する氷河期の生き残りである。
 

 音もなく降りしきる霧雨の中で、梢の高みに白々と咲き、夕べを待たずして散り急ぐナツツバキの一日花は、苔むした暗い地面に累々と横たわり、やがて褐変して朽ち果てる。
 中世の人々はこの花こそヒラニャヴァティー河のほとりで入滅する釈尊の上に散りかかったという沙羅双樹の花に違いないと信じた。

 /祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことはりをあらわす/

 一たび聞けば忘れ得ないこの”移ろいの花”にこれほど相応しい花が他にあろうとは思えないのであった。
 理を正せば、『涅槃経』に説かれる沙羅双樹は、たしかにナツツバキではない。それはインドで家具材として利用されている、淡黄色の小さな5弁の花を房なりに咲かせるフタバガキ科のサル、つまりショレア・ロブスタのことである。
 だが、それはそれ。日本の沙羅双樹はやはりナツツバキをおいて他にはないのであった。

 また立ちかえる水無月の/嘆きを誰にかたるべき/沙羅のみづ枝に花さけば/かなしき人の目ぞ見ゆる

 この美しい詩を佐藤春夫に書き送った芥川龍之介も、やはり白くはかないナツツバキの花に特別な思いを抱いていたのであった。


〜 道の辺の低きにほひや茨の花      黒柳 召波 〜

 江戸時代の文人たちによってその美しさがあらためて認識された白い花はノイバラである。
 この野生のバラは全国いたるところの山野に広く分布し、川岸などにも多く、日本の初夏を彩る花の一つである。しかしなぜか江戸時代に入るまではあまり注目されていなかったようだ。
 この植物が初めて登場する古典は奈良時代の初めの和銅6年(713)に著された『風土記』の中であるが、花ではなくその刺の鋭さにかかわる記述である。『万葉集』ですらノイバラを詠った歌は天羽郡(現在の君津市)の丈部鳥(はせつかべのとり)の「道の辺の荊の末に這ほ豆のからまる君を別れか行かむ」の1首のみである。この場合も花の美しさを強調するものではない。
 平安時代にいたってもノイバラは捨て置かれた感がある。あれほど多くの草花を話題に上げている『枕草子』にすらその名を見ることができない。


 ところが何故か江戸時代に入り連歌から独立した俳諧が確立するころになるとノイバラは少しずつ詠まれるようになり花鳥画にも描かれるようになった。とはいえ、未だ花よりもその刺を詠う句が多いようだ。

    愚にくらく棘をつかむ蛍哉      芭 蕉
    古郷やよるもさわるも茨の花    一 茶
    袖かけて子供の泣くや花茨     五 明

 なかでも与謝蕪村がノイバラに抱いた思いは格別であった。『蕪村句集』の夏の部には次の3首が並ぶ。

    花いばら故郷の路に似たるかな
    路たえて香にせまり咲くいばらかな
    愁ひつつ岡にのぼれば花いばら

 彼にとってのノイバラは、淀川が長柄川と合流するあたり、母なる攝津の里、毛馬村(現在の大阪氏都島区)への郷愁と感傷であった。


〜 川原にひくく繁らふはりゑんじゆ風をすずみしわれは蹲まる    鹿児島寿蔵 〜

 近代になって、といっても大正時代以降のことであるが、文学を愛好する人々によく知られるようになった初夏の白い木の花がある。ハリエンジュ、別名ニセアカシアである。
 北米大陸の東南部が原産地のマメ科ロビニア属の高木で、現地ではBlack Locust あるいはHoney Locust などと呼ばれている。ハリエンジュという和名はエンジュ(槐)に似ていて棘があるからで、ニセアカシアはリンネが葉の形がアカシア属(Acasia)の葉と紛らわしいということで付けた pseudoacasia という種小名を直訳したものである。
   生長が早い木で、甘い香りのする純白の花が美しく樹形も優れていたので世界各地へ街路樹として導入された。ヨーロッパへ入ったのは17世紀で、パリ植物園には1635年に移植された大木がある。日本では明治10年ころから北海道で栽培されたが、津田女子大学の創設者の津田梅子の母の仙は明治6年にウィーンでの万博に参加した土産にこの木の種を持ち帰っているという。

 植物分類学ではニセアカシアが標準和名ということになっているが、小説や詩歌ではアカシヤと呼ぶのが普通である。本来のアカシアはオーストラリアの国花であるワートルなどのことで花の姿は全く異なる。
 それなのになぜアカシヤなのか。明治、大正時代の文学青年たちの多くが留学したヨーロッパですでにこの木を acacia あるいはAkazie と呼んでいたからである。確かに”ニセアカシア”ではせっかくの美しい花もだいなしである。恋文にも書けぬ。
 そして日本語としては”アカシ”より”アカシ”の方が聞きやすいし口にもしやすい。


 札幌のアカシヤ並木の花時の美しさはいうまでもないが、清岡卓行の『アカシヤの大連』に描写されたアカシヤも忘れ難い。大連の南山路に沿ったアカシヤが一斉に開花を始めるのは5月の半ばを過ぎたころだそうだ。東京では4月下旬、札幌では6月上旬である。
 先年訪れたチリのサンティアゴでは11月の上旬が花の盛りであった。公園に遊ぶ少年にその名を尋ねると「アカシオ!アカシオ・ブランカ!」と得意げに教えてくれた。


〜 白い花はなぜ白い 〜


 初夏に白い花の咲く木は、エゴノキ、ヒトツバタタゴ、ハクウンボク、クチナシなどなどまだたくさんあるが、それぞれは何らかの形で日本人の生活や文化にかかわっている。しかし、分かりきったことではあるが花たちは我々のためを思って咲いているわけではない。花は自身の種族を維持するために、そしてその手助けをしてくれる虫や鳥や獣たちのために咲くのである。”白い花”も人間の思いとはかかわりなく、それぞれの目的を持って咲いているのである。



 白い―と人間には見える―花に共通することは、その花弁がアントシアニンやカロチノイド系の色素を欠き、かつ細胞と細胞との間隙に空気を満たしていて自然光を乱反射することである。しかし波長が400ナノメーター以下の紫外線部は吸収されて反射されない。また、その表面の細胞の一つ一つが凸レンズ状に盛りあがっているものが多い。
 こうした特長は夜行性の蛾や甲虫類を花へ呼び寄せることに役立っているのであろう。もちろん強い香りも蜜が目当ての花粉媒介者を誘引するに違いない。ではミツバチやモンシロチョウなどの昆虫にとってはどうか。
 
ハクウンボク
これら昼行性の昆虫には、紫外線を反射していない人間にとっての白い花は、紫外線の補色の黄緑色をしたものとして認識されていると考えられている。

 一方、人間にとっては緑色に見える葉は紫外線を反射している。つまりミツバチなどには灰色の葉の間に黄緑色の花が咲いているように見えているようだ。 紫外線部まで知覚できるミツバチのような昆虫たちは我々人類よりはるかに複雑な色取りの花を見ているのであろう。実際、暗室で強い紫外線を照射してみると、人間の目にも明るいところで見るものとはずいぶんと違った花の色取りが認識できる。
 
ヒトツバタゴ
 例えば、スハマソウの白い花は、暗紫色の花弁を背景にして葯だけが明るく点々と輝いて見える。「ここに美味しい蜜がありますよ」とアッピールしているのだ。スイセンの白い6枚の花被片はやはり暗紫色となるが、たいそう面白いことに外側の3枚の先端部が明るい蛍光を発する。それはまるで夜のヘリポートに輝く着陸誘導灯のようである。

 人間が出現するはるか以前、中生代に生まれた植物の花は、同じ時代に出現した昆虫類や鳥類や哺乳類とギブアンドテイクの契約を結び共に進化の階段を登ってきた。ほんの数百万年前に出現した新参の人類はその成果を一方的に享受するのみである。現在のところ花たちの都合を考えることもなく一方的に遺伝子をいじったり交配をしたりして利用するに留まっているが、いつの日か共に進化するフラワーチルドレンたちが現れるのだろうか。

 ところで、私が少年のころ流行していた、寺尾智沙作詞・田村しげる作曲の『白い花が咲くころ』に歌われていた「悲しかったあの時のあの白い花」は何の花だったのだろう。知りたいものである。

 ページのトップへ   目次へ