プロローグ  PROLOGUE

私は花が好きです
でも、なぜにと問われてもうまく答えることはできません
それでも、花に出逢えば、感動し心が癒されます
千変万化する花びらや蘂の形や彩り、風に乗って漂う、夢を誘うような不思議な香り、新たな命を宿し育ち色づいてゆく果実や種子、そういったすべてが、何かを語りかけてくるのです

そう、それは過ぎてゆく時の流れの標しでもあります

 そっと目をつむり、モンスーンのさなかの日本の山村を思い描いてみてください。そこはまさに緑一色の世界です。そしてその緑の世界を彩るのは白い6月の花です。日本の初夏は、白い花の季節なのです。日ごとに深まる緑の中で、あるものは吹き渡る薫風にさんざめきながら、人目を奪う鮮やかさで咲き、またあるものは五月雨にそぼ濡れて、白く煙るように咲くのです。

 私たち日本人は、こうした四季折々の花に、遠い昔からさまざまな思いを寄せてきました。「道の辺の壱師の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋ふ妻は」と詠った万葉の歌人にとって、壱師花は美しい妻の象徴でした。「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」と詠んだ蕪村にとってのノイバラは、郷里毛馬村への郷愁と感傷でした。そして「また立ちかへる水無月の/嘆きを誰に語るべき/沙羅のみず枝に花さけば/かなしき人の目ぞ見ゆる」と記す芥川龍之介にとっての沙羅の純白の花は、心寄せる麗しい女性の化身でした。



quote from :Fleagle, J.G. 1999: Primate Adaptation and Evolution,Academic Press
南アフリカのスワルトクランスで発掘された化石データから再構築されたロブスタス猿人たちの生活

 ではわたしたちの遥かなる祖先、やっと2本の足で歩き始めた猿人オーストラロピテクスと花との出会いは、どんなものだったのでしょう。
 それは400万年も昔のことです。縮小を続けるアフリカの密林での樹上生活に見切りをつけて、大陸を二つに分ける大地溝帯に沿って広がる草原へと進出を試み始めた猿人たちは、水辺近くの疎林の中に咲くスパソディアやサバンナの礫地に天空を求めて佇立するバオバブの大木に出合ったに違いありません。

  スパソディアはアフリカン・チューリップ・ツリーとも火焔木とも呼ばれる樹高は20m以上にもなる大木で、金色の縁取りがあるラッパ状の赤橙色の大きな花を梢高くに咲かせます。花には太陽鳥が飛び交い、花粉を媒介します。切り倒すとニンニクのような臭気を放ちますが、そのためかこの材から妖術師の呪杖がつくられます。ガボンでは、部族の掟に背いて処刑されたものの遺体は、この花とともに土中深く埋葬されるとのことです。
 バオバブも巨木に育ち、雨季には垂れ下がって直径が20cmにもなる蝋細工のような大きな白い花を咲かせます。そして、夜ともなれば、蝙蝠が蜜を吸いに集まり、ブッシュベイビーと呼ばれる小さな原猿が花粉や花びらを食べにやってきます。サン・テグジュペリの『星の王子様』に登場する困り者のバオバブとちがって、現実のそれは葉も果実も食べられ、樹皮からは繊維も採れる有用木です。
 

スパソディア Spathodea campanulata バオバブ Adansonia digitata
quote from a website


 今を去る400万年の昔、猿人たちはどんな思いでスパソディアやバオバブを眺めていたのでしょう。記念すべき人類と花との出会いはどんなものだったのでしょうか。今となっては知るよしもありません。
 けれども、一つだけ確かなことがあります。それは、多くの植物が貴重な食料の一部として猿人たちの生活を支えていたに違いないということです。マメ科、イネ科などの種子やウリ科の水分に富んだ果実などが食べられていたのでしょう。私たちがキスゲの仲間の金針菜やキクやバナナなどの花を食べるように、彼らも栄養価も高く柔らかな蕾や花も食べたに違いありません。つまり、人類の祖先は先ずは食料としての植物との出会いをしたのでしょう。また、チンパンジーやゴリラがいく種類かの薬草を利用していることから考えれば、猿人たちも当然そのような知識をもっていたとみるべきでしょう。褥に使われた草もあったはずです。約40万年前に北京の南西に位置する周口店に生活していた北京原人の遺跡からはたくさんの炭化したエノキの実が出土しました。小さいけれども甘みのある実を食べていたのでしょう。しかしながら、洞窟の周囲に咲きこぼれていたに違いないサクラソウやリンドウなどの美しい彩の野の花々を彼らがどんな思いで見ていたのか、これについてはまったくわかりません。花が咲いてはじめて実が稔ることに気づいていたのでしょうか。花に涙するロマンチストが既にいたのでしょうか。やはり知る由とてありません。

 ところが、3万年ほど前までヨーロッパから西アジアにかけて生活していたネアンデルタール人になると、単に食料としてだけではなく、なにかそれ以上のものとして花を認識していたようです。
 1957〜61年、コロンビア大学のソレツキーという考古学者がイラクのバラドスト山脈中腹の、まばらに潅木の生えた斜面にあるシャニダールの洞窟を発掘調査しました。そして1960年、丁寧に埋葬されたと考えられる6〜8万年前のネアンデルタール人の男性の遺体が発見され、遺体の周囲の土を採取して分析したところ、多量のそして幾種類もの花粉が検出され、フランスのルロア・グーラン博士による花粉分析の結果8種類の花粉が同定されました。それらは、セイヨウノコギリソウ、ムスカリ、ヤグルマギク、ノボロギク、ゼニアオイなど、いずれも美しい花を咲かせ、しかも薬用される野草でした。

 咲いた花は種子を残して枯れ朽ちます。けれども春が巡れば再び美しく野を彩ってくれます。ネアンデルタール人たちは花によって死者を慰めるとともに、その大切な人の復活を花に託して願ったのではないでしょうか。
 ネアンデルタール人たちに遅れてアフリカを発ち、今地球を席巻している私たちホモ・サピエンスの祖先たちも同じようにしていたことでしょう。花と人類の心との触れ合いの始まりです。
 このとき以来、死者に花を手向ける風習は、何万年もの時の流れの中でも消え去ることなく、現代へと受け継がれてきました。
 1886年にアメンへテップ一世の柩を開いた人々は、王のミイラがベニバナやヒナゲシやヒエンソウなどのドライフラワーに包まれていることに目を見張りました。花とともにミイラ化した花蜂もみつかりました。ツタンカーメン王のあの黄金のマスクのまわりにも、スイレンの花びらが散っていたといいます。
 ソレツキーはシャニダール洞窟に生活した人々を“The first flower people:最初の花の人”と名づけましたが、ルイス・マンフォードも人間の感覚の発達は花の美しさに刺激されたものだと考えて、人はすべて“Flower Children 花の子供”であると記しています。


 

“真実の宮殿の奉仕者”だったセンネジェム(Sennedjem) の墳墓の壁画
quote from: Scott-James, A., Desmond, R. & F. Wood: The British Museum Book of Flowers (1989)

 ほぼ3万年前、寒冷地適応型の筋骨たくましいハンター、ネアンデルタール人は忽然と姿を消し、現代人型のホモ・サピエンスただ一種が地球全域に分布を広げました。ホモ・サピエンスは先行し絶滅した人類がなし得なかったことをやりとげました。
 それは、農耕文明を確立し、さまざまな栽培植物を作り出したことです。1万年ほど前のことと考えられています。

 この時代以降、人類と植物との関係は大層複雑になっていきます。
 たとえば、古代地中海型の農耕文明の様子がよくわかるエジプトのセンネジェム墳墓の壁画を思い起こしてみてください。そこには、エンマコムギを穫り入れる人、アマを刈る人、牛を追い畑を耕す夫の後ろでタネをまいてゆく若妻がおり、灌漑された果樹園にはナツメヤシやドームヤシが茂り、ケシやダルマギクの植えられた花園もあります。スイレンの花を手に持ちその香りをかいでいる宮殿に仕える女性も描かれています。 

 農耕をする人々は定住します。定住するためには家屋が必要です。石や煉瓦を家の素材にした文明も多いのですが、樹木やヤシの仲間が多い地域では、これを使って雨風をしのぎ危険な動物から身を守りました。これも人と植物の関わりの一つの例です。
 また、植物の中には強靭な繊維を持つものが多いですから、これを利用してロープが編まれ布が織られました。ロープに利用されるのはシナノキやタバの樹皮とかココヤシの果皮の繊維、イネ科の植物の葉や茎が多く、布地を織るためにはアマ、ワタ、カラムシなどです。
 マーシャル諸島ではタコノキの繊維を利用します。日本ではクズの繊維も利用しました。現在では葛布を織っているのは静岡県の掛川市だけのようです。ここには“葛布の滝”という地名もあります。ここでは草原に長く伸び広がった、癖のない茎を刈り集め、釜で煮て水洗いし、発酵させたあと仕上げ洗いをし、この茎を細かく裂いて糸にするのです。


ベニノキ Bixa orellana ベニノキ Bixa orellana


 また植物は染料としても利用され、人類の生活を豊かにしてきました。
 衣を染め、食べ物を着色し、爪や頬や唇を美しく彩り、そして呪術にも使われました。たとえば、古くはツキクサと呼ばれ「つき草に衣は摺らむ朝露に濡れての後は移ろいひぬとも」とか「あした咲き夕べは消ぬるつき草の消ぬべき恋も吾はするかも」などと万葉集に詠われたツユクサの空色の花からは、友禅染の下絵かきに使われる水溶性の淡青色の色素が採れます。ブラジルのメイナク族やカヤポ族の人々は、アマゾンの樹冠に住む妖精のような広鼻猿類のウアカリをまねるように、ベニノキの果肉を使って頬を真っ赤に塗ります。タイセイ、アイ、ベニバナ、ヘンナ、クチナシ、そしてホウセンカと、染料植物は枚挙にいとまありません。

 野生動物を追い、木の実草の芽を集めて生活していた狩猟採集時代はむろんのこと、農耕文化が生まれたあとになっても、怪我や病気は人々を苦しめます。こうした厳しい生活を通して、人類はそれぞれの土地に特有の数々の薬草を発見してきました。
 この過程で、必然的に毒草も認識され、一部は矢毒などに利用されました。
 時の流れとともに蓄積された知識は、やがてディオスコリデスの『薬物誌』や蘇敬が編んだ『新修本草』などの書籍にまとめられ、近代の医・薬学や植物学の基礎となったのです。


ベニノキの色素でお化粧したブラジル・パラ州のカヤポ族の子供たち Diego Riveraが描いた、薬草を調合するアステカ族のシャーマン(部分)
quote from: Michael L., et al. , Plants, People, and Culture, Sci. Amer. Library (1997)

 これまで述べてきたような、実利実用的な植物と人とのかかわりとは別に、すでに遠い昔ネアンデルタールの人々がしていたような、人の心と植物とのかかわりがあります。つまり、世界のほとんどの民族が生者と死者、あるいは神々と人との間に花を置く習慣を持つのです。
 日本人にとってのスギやマツがそうであるように、巨木を神の依り代と考える民族も珍しくありません。それは精霊の住処でもあります。西アフリカのサバンナに生活するモシ族は彼らの居住区をイリ、野獣や精霊の住む荒野をウェオゴをと呼びますが、このウェオゴを根城とするキンキルシという精霊がイリに生えるバオバブやプスガ(アカテツ科のPouteria の1種)などの大木にやって来ると信じています。


  ヒガンバナの提灯

 大人の世界とは別の次元での人と花とのかかわりもあります。それは子供たちの世界に生まれる“花遊び”の文化です。ままごとの赤飯となるイヌタデ、少女の指先を可愛く染めあげるホウセンカのマニキュア、竹鉄砲の弾となるジャノヒゲの藍色の実、クルクル回る小さなタンポポの水車、ノビルの花茎のネックレス、チカラシバの花穂を結んだ草むらの足取り罠、楽しい植物とのかかわりです。

   
ノビルの花茎のネックレス
              


 それだけではりません。人類の文化が発展するにつれ、植物は美術工芸の世界にも、さらに文芸の世界にも、さまざま意味を持ったシンボルとして登場するようになります。
 このように、衣食住にかかわる文化のみならず、芸術も宗教も、そして文学も科学も、植物とその花の存在を無視しては語りえないといえましょう。
 一つ一つの植物には、それぞれ一つずつの、人間とのかかわりの物語があります。それぞれの物語は長短とりどりですが、すべてを語れば、それは『千夜一夜物語』よりも遥かに長い話になるでしょう。

 このホームページ『草と木と花の博物誌』はそんな長いお話の一章になればと思っています。

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