SOUSHUN

野の花便り ~~ 早春 ~~

東北地方では小正月から月末までを”花の内”と呼んだそうです。銀世界の中で”削り花”を飾り、雪解けを、春の花を待ち焦がれていたのだと思います。

むなしさの花の内とは誰が言いし   北 建夫

窓外はいつ止むともなき白の嵐、そんな日に詠まれた歌でしょうか。

しかし、同じ島国の中でも、雪の降ることない地方では松が取れる頃には光の春が始まるのです。

 索引   アオキ アオモジ アセビ アタミザクラ イソギク 凍てつくシロバナヒガンバナ イワヒバ
 イワヒメワラビ ウメ ウメー豊後系 オオイヌノフグリ オモト オランダミミナグサ
 カナメモチ カラスノエンドウ カラタチバナ カワズザクラ? カワズザクラ
 カワズザクラとオオイヌノフグリ カワズザクラ-2 カンアオイ キダチロカイ キチジョウソウ
 キンカン クコ クチナシ ゲンノショウコ 紅梅 小梅 コウヤボウキ コバノタツナミ
 コナラ コンテリクラマゴケ サクラジマダイコン サギゴケ サルトリイバラ サンシュユ
 サンシュユ-2 シキミ  霜の花 シャリンバイ ショウジョウバカマ シロバナタンポポ
 スイカズラ スイセン スイセン-2 スギ スズメノカタビラ スハマソウ セイヨウアブラナ
 センリョウ 早春の稲田 ソラマメ ソシンロウバイ ソシンロウバイ-2 タイサイ
 タネツケバナ ダルマギク ツチグリ ツワブキ トウカイタンポポ トキワサンザシ
 ナガミノヒナゲシ ナズナ ヌルデ ネコヤナギ ネズミモチ ノイバラ ノキシノブ ノゲシ
 ノジスミレ ノボロギク ハウチワノキ 白梅 白桃 ハクチョウゲ ハコベ ハナイバナ
 ヒメヤブラン ビワ フキ フキー2 フユイチゴ ヘクソカズラの実 ホソバセンダングサ
 ホトケノザ  マンサク マンリョウ ムラサキイヌホウズキ メハナヤサイ ヤドリギ
 ヤブコウジ ヤブツバキ ヤマボウシ ユキワリイチゲ ユキヤナギ ヨモギ 秋の名残
 寒風に蕾む

2012:
ユキヤナギ
 早春の稲田  スイセンー2  スイカズラ  コナラの冬紅葉 カナメモチ
オオイヌノフグリ  ヘクソカズラの実  ヌルデ  アオモジ
2013:
ソシンロウバイー2  ノゲシ  小梅  スハマソウ
2014:

カラタチバナ  秋の名残  シャリンバイ  ノキシノブ  キチジョウソウ
ヒメヤブラン  シロバナタンポポ
2015:
霜の花
  マンサク  寒風に蕾む


January 1、 2007:  アオキ   Aucuba japonica
    その上に日をいただかず青木の実    青柳志解樹

 庭の片隅に茂るアオキは、剪定されるせいであろうが、滅多に人の背丈を越すほどにはならないし、冬が来れば真紅の光沢のある実が濃い緑の大きな葉の間から顔をのぞかせる。だが、山間部に生え思うがままに育ったアオキでは確かに青柳の句のように、その実の上には葉が覆いかぶさり日を遮り、撮影にはフラッシュをつかわざるをえなかった。
 それにしても、厳冬に輝くこの実を見つめていると、不思議に別の世界へと思いが流れていく。

     闇隔て焚口の燠青木の実         香西照雄

 今朝、ヒヨドリが食べこぼしたらしいいくつもの赤い実を、庭の黒い土の上に見たとき、私は眼前でグラマンの機銃掃射を受けて倒れた知人から飛び散った肉片を思っていた。バグダッドでの爆弾テロの映像が目に焼きついていたせいであろう。


January 2、 2008:  ムラサキイヌホウズキ Solanum memphiticum

 冷たい朝であった。明け方、南の空には下弦の月と赤い火星が輝いていた。
 昨年の世界は散々であったが、今年はどんな一年になるのであろう。相変わらずの騒々しく理不尽な正義の失われた日々がやってくるのであろうか。
 サブプライム問題など、経済システムを理解していないと失笑を買うかもしれないが、日本同様に自転車操業のアメリカが仕掛けた国際的詐欺のように思えてならない。宝くじにでも当たらなければ金持ちになる可能性が薄い低所得者にローンを組ませ家を購入させ、それを証券化して売り出したのだ。そしてアメリカというブランドと高金利に目がくらんだ世界の銀行や投資家たちがまんまと乗せられたのだ。ローンを組んだ人々がやがて支払不能に陥ることは自明の理であったはずだ。 新年早々世界のことや政治のことを考えるのは気が滅入るから止めたほうがよい。いつからこんなことになってしまったのか。馬齢を重ねたせいだろうか。
 気分転換にと野に出ると、冬枯れの草むらに南アメリカが原産というムラサキイヌホウズキが白い花を元気に咲かせていた。


January 2、 2010:  イソギク  Chrysanthemum pacificum Nakai

 目覚めて2階の北側の窓を開けるとうっすらと霜が降りていた。外気温は0℃だった。やはり年も替わると、遠州も冬将軍の治めるところなる。
 庭に植栽しているイソギクが薄紅に紅葉していた。11月下旬には未だ花の盛りだったが、14日ほど前から色づき始めていた。
 分布域が狭い野生菊で銚子付近から御前崎にかけての太平洋岸に自生しているが、美しい草姿ゆえ広く栽培されている。遠い過去の分布域がどの程度だったかわかっていないが、四国や九州でもこのイソギクの形質を現す雑種菊が見つかっている。遠い過去にその地に自生していた証なのか、それとも庭園に栽培されているものからの遺伝子の流出なのか。後者と見る研究者が多いようだ。

 昨年の政変では少しは日本という国の政治に期待が持てるかと思わされたが、やはりだめらしい。鳩山も小沢も「ブルータス、お前もか」である。オバマも中近東から抜け出すことに失敗したようで、兵士も彼の地の庶民も悲惨な思いを強いられることであろう。十字軍時代の聖戦思想の延長ではないか。そして、沖縄の米軍基地移転問題をきっかけに日本国もこの軍拡・抗争の渦の中に落ち込んでいくのだろうか。

 こんな世界なのに、それどころではない人々があまたではあるのだが、書籍の世界を彷徨うのは楽しい。
 昨年暮れからはいくつもの座右に置くことになるであろう出版物に出合うことができた。
 先ずは、Frey, W.編、Englerの『Syllabus der Pflanzenfamilien』の13版第3部(コケ植物とシダ植物)である。近年のDNA塩基配列の比較により得られた類縁関係を加味した分類体系である。今ひとつは“DNAが決める新分類体系!”とある大場秀彰編著の『植物分類表』である。
 昨年暮れに手元に届いて今読み始めている2010年出版ということになっているHarrison, G. P.の『Race and Reality』もなかなか面白い。人類は遺伝的変異に富んだ一つの種だという、真にその通りの主張を、さまざまな分野からのデータを挙げて解説しているのだが、いまもってこのような啓蒙書が書かれる背景はこの争いが耐えない世界であろう。ほんまかいな?と思ってしまうような話が次々と登場するGollner, A. L.の『フルーツ・ハンター』も実に面白かった。日本の果物については触れていないが、世界一美味しい(と私は思う)林檎や梨の存在も是非とも著者に知ってもらいたいと思う。惜しむらくは、訳書にも原著にも、登場する聞き慣れぬ名の果物を稔らせる植物に学名表記がないことである。



January 2、 2014: カラタチバナ Ardisia crispa (Thunb.) DC.

 日差しを遮る木々の葉が散り下草も霜枯れて明るくなった雑木林の中に赤い実が輝いていた。
 マンリョウに良く似たカラタチバナだった。
 本州中央部から四国・九州・琉球とそして中国から東南アジアにも分布しているヤブコウジ科の背の低い常緑の木で、照葉樹の優占する林を好むようだが、このあたりでは稀な存在らしく、身近で野生のものに出合ったのは初めてである。
 “祝の赤い実”の一つで、江戸時代には正月の飾り花として観賞されていて多くの園芸品種が記録されている。だがその呼称はさまざまで、マンリョウやヤブコウジと重なるものも多い。
 例えば、1717年の『書言字考節用集』に「平地木」にカラタチバナとその読みがあるが、1709年の『大和本草』では「平地木」はヤマタチバナで世俗にいうヤブカウジのことだといい、「茅藤菓」がカラタチバナとある。また、1803~1805年に刊行された『重修本草綱目啓蒙』は「百両金」というのがカラタチバナとしていて、現代ではこの説にしたがっている。しかし、1797~1798年の『橘品類考』では「千両金」がカラタチバナである。ようするに、よく似た者たち故の混同である。ちなみに、1974年刊『中国高等植物図鑑』はカラタチバナに「百両金」をあてている。

     
 年末にアマゾンの宣伝文句につられて①M.L. クラウス著・青木薫訳『宇宙が始まる前は何があったか?』、②S.キーン著・大田直子訳『にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語』、③C.フィンレイソン著・上原直子訳『そして最後にヒトが残った』を購入してしまった。
 ①は“何があったのか”がわかったのかという期待があったが、時間も空間もなにもない非存在の「無」からビッグバンで宇宙が始まった可能性があると結論しているが、その非存在の「無」が何たるかを、量子論が全く理解できていない私には、脳裏に描くことができなかった。あとがきを書いている『利己的な遺伝子』や『神は妄想である』などの著者C. R.ドーキンスはダーウィンの『種の起源』に相当する超自然主義に対する致命的な一撃だと思う、というのだが・・・・。
 ②は目次にある“どうしてヒトの染色体は46本になったのか?”という節に期待したのだが私にとっては新知見は得られなかった。そのかわり、“ヒューマンジー”を作ろうとしたイリヤ・イワノビッチ・イワノフというソ連の学者についての記述は実に興味深く読んだ。さらに、多くの具体的に歴史上の人名を挙げてのDNAの物語は知らなかったことがほとんどで、たいへん面白かった。ただ、引用文献が省略されていたのは残念だった。
 ③の著者はネアンデルタール人の専門家だが、、人類進化について従来いわれていた諸説を解説し論考したものだった。ホモ・サピエンスの拡散はしばしば“グレートジャーニー”という目的意識を持った旅にたとえられるが、著者の意見はそんな勇壮なものではなく、人口増にともなったいやおうなしの拡散で、偶然良い環境にたどり着き住み着いたものがそこに定住した結果だという。なるほどと思った。


January 3、 2007:  ホソバセンダングサ

 温かな陽射しと柔らかな風に誘われて川岸を歩いた。
 川面にはコガモが群れていて、そこから少し離れた場所にではカイツブリの番が代わる代わる潜水を繰り返していた。
 岸辺近くの枯れ草の茂みにぽつぽつと白い花のようなものが見えたので近寄ってみるとホソバセンダングサの鋭い刺のある痩果に捉えられた鳥の羽毛であった。毛の主は水鳥だろうかそれとも橋の下をねぐらとしている土鳩だろうか。

 この写真の痩実がホソバセンダングサのものと決めたのはその形、とくに先端の刺が2本だったからだが、本音を漏らせば、帰化植物であるセンダングサの分類には自信がない。よく似たものが多いからである。センダングサ、アメリカセンダングサ、コセンダングサそしてタウコギなどは花や葉がある時期でも迷わされる。しかし痩果がついていればアメリカセンダングサは見分けやすいし、コセンダングサも刺の数が3~5本と多いので区別はできる。



January 3、 2015: 霜の花  Frostwork
 北陸から北海道にわたる日本海沿いの地域は大雪の正月である。
 ここ遠州は雪こそ舞わないものの、今朝は氷点下の寒さで、花壇には踏み込めばさくりと音を立てるほど高く霜の柱が立ち並び、キツネノテブクロの幼葉の上は氷針を散りばめていた。
 昨年も100年に一度といわれるような自然現象が世界各地で起こったが、国内では広島での山崩れ、御嶽山の噴火、北信での震度6の凄まじさ悲惨さなどが今も目をつむれば鮮やかに浮かんでくる。
 人間自身が作り出した厄災といえば、宗教の違い民族の違い経済格差など原因はいくつもあろうが、相変わらずの戦争である。際限の見えない金融緩和で浮かれ気味の我が国にも、この厄災は忍び寄っている。こんな心配をしなくて済むような日が来ることを願う新年である。


January 4、 2009: ハナイバナ Bothriospermum tenellum
 この季節にこの花に出合えるとは意外であった。
 連日の寒風に恐れをなしてしばらくのぞいても見なかったリコリス園へ入ってみると、まだ出葉が始まっていないロンギチューバやキネンシスの区画はハコベやカラスエンドウの若草の緑に覆われていて、その中に小さな小さな空色の花が咲いていた。ハナイバナだった。
 ワスレナグサやキュウリグサと同じムラサキ科の一年草で極東の暖温帯に広く分布している畑地雑草で、ふつうは多くの図鑑に書かれているように春から夏に咲いている。
 変った名前だが、牧野富太郎は葉と葉の間に花があるので“葉内花”と呼んだのだろうという。しかし、ハナイカダのように葉の内側に花が位置しているわけではなく、いささか納得できない。そこで植物語源研究家の深津正は“葉の間花=はのあいばな→ハナイバナ”ではないか、あるいは葉がなんとなく萎れたイメージなので“葉萎え花→ハナイバナ”ではなかろうかという。なるほどと思うのは私だけだろうか。
 中国では柔弱斑種草などと呼び、民間で咳止薬として利用しているという。


January 5、 2007:  コバノタツナミ

 暖冬だとは言え、これには驚かされた。遠州灘から10kmほど内陸に入った、丘を抜ける切通しの南に面した斜面にひっそりと咲いているコバノタツナミにであったのである。伊豆半島以西の沿岸地帯丘陵地に分布するシソ科の多年草である。図鑑類にも書いてある通り、普通は5月から6月にわたって咲く。
 狂い咲きと片付けてよいのか、それとも地球の気象が間もなく激変するであろうことを予知して遺伝子の発現調整を植物たちが始めているのだろうか。
 
 狂ったといえば、その際たるものが、未来を予想していながら愚行を繰り返しているホモ・サピエンスではないか。
 大気中のCO2濃度の問題は無論のこと、歴史が否定しているにもかかわらず、いまだに武器を使って殺し合いをして平和を手に入れようとするその愚かさ。ブッシュが開け放ったパンドラの箱からは更なる狂気を誘う魑魅魍魎が湧き出している。
 そして、フセインの亡霊が砂嵐の中で叫びをあげはじめている。



January 5、 2011: イワヒバ Selaginella tamariscina (Beauv.) Spring

 暮れから三箇日に亘って溜まってしまった資源ごみを集積所に置きに行った帰り道で、お友達と散策していた小・中学校時代の同級生のWさんに出会って、F君の訃報を知った。子供の頃はよく遊んだ間柄だったが、それぞれが別の高校に通うようになってからはほとんど遭うことがなく、風の便りに元気に活躍していると聞くだけだった。遅かれ早かれ、私も道の辺の噂話に登場することだろう。もうそんな歳になったのだなとあらためて思った。
 帰宅してすっかり冬枯れて寒々とした庭を巡ると、富士石に着生させたイワヒバが斑に紅葉していた。
 古生代に繁栄したヒカゲノカズラ植物の末裔の一つだが、北海道南部から琉球、東南アジアにかけての山地岩上に分布していて、熱帯圏では高山に生える。
 種子植物のような美しい花や実をつけることはないが、江戸時代の園芸家は、地味ではあるが山地幽谷に育ち乾燥にも耐える生命力の強いこの植物の姿に美を見出したのであろう。1860年ごろにはすでに80余の品種が記載されている。
   岩檜葉のかじけたるまま陰つくる
        縁の日ざしを見やるをりをり  谷鼎



January 6、 2009: コウヤボウキ Pertya scandens 
 毎日のように吹いていた寒風が止んだので、久しぶりに“一本松”の岡に登ってみた。
 すっかり冬枯れて寂しい雑木林の小道に、小さな毛玉のような実をつけた小枝がいく本もあった。そういえば、ここには晩秋に通ったときヤクシソウの金色の花と並んでコウヤボウキの純白の髪飾りのような花が咲いていたことを思い出した。
 これはその冬の姿であった。
 コウヤボウキという名は“高野箒”と書くように平安時代の弘仁10年(819)に空海が開いた高野山の僧侶が枝を束ねて箒に使っていたことに因んだものだそうだが、奈良時代には“玉箒~たまばはき”と呼ばれていて、万葉集には大伴家持と長意吉麻呂がこの植物を詠んでいる。元来は蚕棚の掃除に使っていたものが宮廷では装飾品化され儀礼に使われていたということだろう。正倉院御物の一つとして“玉箒”が保管されてきたのもこのためであろう。
 
 イスラエルがまた地上部隊をガザに侵攻させ、待ち受けていたハマスと市街戦を展開させている。子供たちが死んでいる。


January 6、 2010: ハクチョウゲ  Serissa foetida (L. f.) Lam.
 久しぶりに風が止んで、射す日の温もりを頬に感じながら、年が明けて初めての朝の散歩に出た。
 常葉学園運動場のある丘の東麓の日当たりのよい西風を避けて建てられた民家の生垣に、驚いたことに本来は5月ころから真夏にかけて咲くアカネ科のハクチョウゲが咲いていた。露霜だろうか、純白の透明感のある花びらの縁には、小さな水玉が連なってダイヤモンドのように煌いていた。

 中国南部からインドシナ半島にかけてが原産地だといわれていているが、いまでは中国でも自生地は知られていない。日本へは江戸時代初頭までには渡来していたといわれている。長崎あたりでは野生状態で繁殖しているらしい。
 西欧では盆栽樹として人気があり、Snowrose、Tree of a thousand stars などと名で呼ばれている。日本での“6月の雪”や中国名の“満天星”という呼称とも似ていて面白い。

   しら土の壁のこぼれや白丁花       既白
 3日の朝日新聞の社説に、 「この星の生態系は、人知を超えた多様な生き物のつながりで成り立っている。種の相次ぐ絶滅は、部品の役割を知らないまま、宇宙船地球号の部品をはずし続けるようなものだ」という洒落た一文があった。この文の主語はむろん人類だが、ひょっとしたら部品をはずし続けているのは、失敗作の人類を削除したい地球ガイアなのかも知れない。


January 7、2009: サクラジマダイコンRaphanus sativus “Sakurajima-daikon”
 散歩道の際の畑に見慣れぬ野菜が大きなそして縮れたような葉を伸びやかに広げていた。
 畑の片隅で作業していた老婦人にその名をうかがうと「サクラジマダイコンずら」ということであった。数年前から試みに栽培しているが、鹿児島の「島でこん」ほどには大きくはなってくれないという。火山灰地ではないからかもしれないということだった。初夏にタネを蒔くが、肥大し始めるのは12月以降で2月には収穫できるそうだ。
 桜島で大きく育つのは“ボラ”と呼ばれる土壌と海に囲まれた温暖な気候のためであろう。2003年には大野学さんが育てた31.1kgの株がギネス記録に認定されている。

   昨日の朝日新聞の夕刊に千葉大学の田中寛さんたちの研究が紹介されていた。昨年11月の末の「バクテリアが細胞小器官になり、小器官集まって真核細胞になった~Bacteria made organelles made eukaryotic cells」というシンポジウムでも発表されていた、葉緑体のDNAが複製するときに出現するタンパク質が核のDNAの複製開始の引き金になっているというものだ。核と小器官のDNAが呼応しながらの存在が細胞だということを示している。すると、核だけ入れ替えたクローン生物は厳密な意味ではクローンではないことになる。ここに現在クローン生物といわれる人為産物の危うさが潜んでいるのではないだろうか。


January 8、 2007:  ハコベ (ミドリハコベ)

  石垣に春日あかるくはこべらの
             微けき花は数限りなし   土田耕平

 春の七草の一つとして上代から日本人に親しまれた草なので、ハコベの花は春に咲くものと思っている人が多く、私自身もごく最近までその一人であった。無理もない。日本の代表的な植物図鑑として長年親しまれ、私も高校生の頃からお世話になっている牧野富太郎の『日本植物図鑑』にも「春、枝先に集散花序をだし、多数の白色の小花を開く」と書いてあるほどだ。
 そのせいで、最近12月や1月にハコベの花にであったときは、これもCO2増加にともなう暖冬化の影響と一人合点していた。しかし実際は温暖化云々が言われるはるか以前から一年を通して開花していた。昭和36年に初版が出た北村四郎の『原色日本植物図鑑』にはすでに「花は1~12月」と記されていた。なんのことはない、自分の無知に気づかない思い込みだったのである。
 とはいえ、花がよく目立つのは、やはり仲春から初夏の頃で、紅葉の季節には滅多に出合わない。



January 9、 2005:  サギゴケ

 快晴。めずらしく風も弱い。寒いが散歩日和ではある。
 激震に襲われた中越地方への雪害の重なりが心配されているとき、今度は地球を揺さぶるほどの地殻変動が南極まで届くほどの巨大な津波を起こし、インド洋沿岸の建造物を破壊し、人々を呑みこんだ。死者は20万人にもたっするのではないかという。東南海地震が起こったときを想像すると慄然たるものがある。誰もが同じようなことを考えていると思う。しかし、人々は不安を抱きながらもその地に留まっている。理屈から言えばおかしな話だ。耐震構造の家屋を建てるより、日本から脱出するほうが理にかなった行動ではないか。少しでも安全な地があるのなら。
 明るく日が差す田舎道を、たぷりと太った茶虎の雄猫がニャオと挨拶して横切っていった。彼がトントンと登っていった切通しの斜面には春を待ちかねたのか、もうサギゴケが咲きだしていた。上の唇弁をつまんでのぞきこむと、白いメシベの先が二枚貝のように開いていた。傍に生えていたスズメノカタビラの葉先で触れると、「ん」と口をつぐむように閉じた。虫が花粉を運んでくれたと勘違いしたのだろう。
 なお、写真のようなタイプをムラサキサギゴケ、白花品をサギゴケとして区別する人もいる。



January 10、 2014: 秋の名残 Vestige of Fall
 夜来の冷たい雨が上がった朝、年を越しても枝先にとどまっていた数少ない紅葉がすべて散りはて、そのいくばくかが庭石を飾っていた。秋の名残であった。

 昨年来、気が重くなるというか胸が悪くなるような物言いを目や耳にすることが増えた。靖国神社参拝の真意を問われ「国のため戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げるため」そして「二度と戦争を起こさぬことを御英霊に誓った」という総理の言葉もその一つだ。 彼が哀悼の意を捧げた霊なるもののなかには、人々を洗脳して英霊に祭り上げた歴代の為政者たちのそれも入っている。言葉面そのものには文句のつけようはないかも知れないが、戦争は隣国ばかりではなく多くの他の国々の人々を巻き込んだものだったことを念頭に置けば、その意味はおのずから異なるものとなってくる。 そして、靖国に祭られることない、バンザイクリフから身を投げた人々、沖縄戦に巻き込まれて亡くなった人々、東京大空襲で焼かれた人々、原爆の犠牲者、グラマンの機銃掃射に射抜かれた小学生などなどには、彼は何を誓うのだろう。にこっと笑って「不戦・平和」を誓いそうだ。


January 10、 2015: マンサク Hamamelis japonika Sieb. et Zucc.
 久方ぶりの雨に濡れてしっとりと落ち着いた黒い土が、点々と芽生えた雀の帷子や仏の座や繁縷などの明るい緑に彩られ始めている。
 盛りが過ぎつつある蝋梅から、それでもまだ豊かな香りが漂ってくる庭の、その片隅の万作の裸木には、面白い形姿で何とはなく暖かそうな小さな小さな花芽がついていた。 ほころぶ日が待ち遠しい。ふと、笠行信子さんの一句「嗚呼これがあのまんさくの冬芽かな」が思い浮かんだ。
 週に一度、鋭い論評メールを送ってきてくれた学友が、アルツハイマーシンドロームを発症し入院した。昨年初夏のころから彼らしくない文章を目にすることが増え、家人の例もあり、ひょっとしたらと心配していたことが現実となってしまった。現在の医学ではいかんともしがたいのが悲しい。 正月に帰省した娘が読んでみたらと置いていった『認知症の人々が創造する世界』は介護施設で暮らす人々のデイルームでの多様な行動の観察とその解釈を記したものだったが、著者の阿保さんには個々人の24時間連続観察も記録考察し介護する人々への助言も書いてもらいたいものだ。
     
   ついでに、最近読んで面白いと思った著作をもメモしておこう。
 R.M.サポルスキー『サルなりに思い出す事など』、みすず書房: 21歳の大学院生時代から始めたアヌビスヒヒの野生集団を対象としたストレスが生体に及ぼす影響の研究を柱としたメモワールです。ヒヒの群れの行動記録も興味深かったが、私の印象に深く刻まれたのはサバンナに住む人々、殊に農耕種族、からは厄際のように思われているマサイの人たちの実態だった。
 平田剛士『非除染地帯』、緑風出版: 福島の除染対象から除かれている「非除染地帯」の2013~14年の自然環境で何が起こっているかの報告である。外見上は何の異常もなく元気に繁殖している福島のニホンザルたちにも血液検査をしてみると明らかに血球数の低下、ことに幼獣では造血作用の低下がみられるという。あの膨大な放射性物質の拡散からまだ4年である。これからどんなことが起こってゆくのだろう。
 W .ソウルゼンバーグ『ねずみに支配された島』、文芸春秋: ネズミの害に悩まされた時代が遠い過去になった(と思っている)日本に住む私には、小笠原諸島やガラパゴス諸島での野生化したヤギの被害とその駆除の大変さについては知っていたものの、小さな島々で起こっている在来固有種へのネズミ食害とその排除の困難さがこれほどのものとは知らなかった。
 W. ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』、文春文庫: ③と同じ著者の同様なスタンスで書かれたものだが、こちらは食物連鎖の複雑さと、人間のための自然保護の不自然さを様々な例を挙げて教えてくれる。大変面白く読んだ。


January 11、 2007:  サルトリイバラ

  丘を切り裂いて作った東海道本線をまたぐ車道に沿っておざなりに白線を引いて仕切った歩道の際に真っ赤なサルトリイバラの実の房が揺れていた。
 この季節にこんなにみごとに色づいたサルトリイバラの実に出合ったのは初めてではなかろうか。激しい車の往来とそれらが吐き出す排気ガスを敬遠した小鳥たちのお目こぼしに違いない。

 冬枯れた道の辺で新春の陽に光る紅玉のような実を見ているうちに宇都宮貞子さんが『草木おぼえ書』の「しょうがくばら」の中で紹介している信州高田のおばあさんの話を思い出していた。
 「この木の名は知りやしねが、赤あい、珊瑚玉みてな実が丸く固まってなりすわな。娘の時、そりょ糸に通して、銀杏返しのまげの根元に巻きつけたこたありましたっけ。シャアクナシ(他愛もない)もんですこて」と宇都宮さんと山の道を歩きながらサルトリイバラを見ながら話してくれたという一節である。
 信州ではこの蔓植物を”しょうがくばら”とも”さんきちばら”とも呼ぶそうである。



January 11、 2010:  ネズミモチ  Ligustrum japonicum Thunb.
    雪かむる籬にほくろ女貞     岩井英雅

 脚の静脈にできた血栓を溶かすために入院している妹を見舞っての帰路、半済の村落の道を歩いた。
 昔ながらの佇まいの農家の生垣には槙囲いが多いが、所々に実生と思われるモクセイ科のネズミモチが混じっていて、青々とした葉群の間からのぞいた青黒色の実の房が冬の柔らか日差しを浴びていた。
 近くには真っ赤な実をこぼれるほどにつけたモチノキ科のモチノキもあったが、それと比べれば名前は似ているものの、この木はまことに目立たない存在である。もっとも目立たないと思うのは人間の勝手で、小鳥たちはこの黒い実をいち早く見つけて啄ばんでゆく。
 しかし、このあたりでは滅多には無いことだが、雪が積もれば岩井英雄の句のように、ネズミモチの実は白い肌に浮かぶ黒子のように見えるに違いない。
  予報では間もなく大陸から今年一番の寒波が南下してきて氷点下の朝が続くようだが、遠州では“ほくろ女貞”を期待するのは無理であろう。
 寒波で思い出したのだが、かかりつけ医から来週早々に新型インフルエンザワクチンを打つように勧められていた。
 ところが今日、ウエブ・ニュースを見ると「昨年末12月31日、欧州議会の保健衛生委員会(Health Committee)は、昨年夏から豚インフルエンザが流行した際、欧米の製薬会社が、ワクチンや関連医薬品の売り上げを伸ばすため、国連のWHO(世界保健機構)や国際医学界などに影響力を行使し、インフルエンザに対する危機感を世界的に扇動した疑いがあるとして、調査を開始することを全会一致で決議した」とあった。実際に製薬会社は巨額の利益を得ているし、「オランダでは、同国エラスムス大学の教授でWHOとEUの顧問委員会の主要メンバーである保健衛生の専門家アルバート・オスターハウス(Albert Osterhaus)が、複数の製薬会社から裏金として資金援助を受け、その金を隠匿・脱税していた疑いで、オランダ議会の委員会などが調査をしている」とのことである。つまり、新型はA型など従来のインフルエンザと大差ない感染力しか持たない、ということらしい。身の回りでの今回の感染状況から見ると、これは本当のことではないかと思ってしまう私である。


January 12、 2005:  ノボロギク  Senecio vulgaris L.

  昨日今日と、あまりの寒さに家にこもりきりで活字の世界に遊んでいたが、日の光に誘われて恐る恐る(は少し大げさだが)庭に出た。
 花壇も寂しく、パンジーもビデンスも、そしてハボタンさえ縮こまっている。しかしよく見れば、いつの間にかスズメノカタビラの艶やかな細い葉が伸び、キュウリグサのロゼットも目だって広がり、そして飾り石の陰では霜と風を逃れてノボロギクが咲き続けていた。
 ノボロギクはヨーロッパが原産地といわれ、今では世界中の温帯に分布しているが、日本に帰化したのは明治時代初頭らしい。野山ではほとんど見かけないが、人家の近くではわずかでも土がのぞいていれば芽を出し花をつける。
 ところで、ネアンデルタール人もこの花を身近なものとしていたようだ。イラクのシャニダール洞窟でソレッキーたちによって発掘された男性化石骨の周りの土に8種もの植物の花粉が含まれていたのである。その中には多量のノボロギクの花粉もあった。 48000年前の初夏のある日、一人の男がたくさんの花に包まれて埋葬された、と考えられている。

 シャニダール洞窟から見つかった花粉の由来については異論もある。例えば、これらは死者にささげられた花の花粉ではなく、Meriones perssicusなどの種子や花を巣穴に持ち込む習性のあるネズミたちが運び込んだものだという報告もある。しかし発掘された花粉はいずれも現代でも薬草として利用されている植物のものである。現在この地域には数1000種の植物が分布しているが薬草として利用できるものはそのうちの数パーセントであることを考えると、ネアンデルタール人による意図的なものではないかと思いたくなる。


January 13、 2009:  カンアオイ Heterotrpla nipponica

 この季節、雑木林の道の辺は枯れ落ち葉に覆われ寒々としているが、所々でしっかりとした緑の葉群が弱い冬の日差しを受けている。カンアオイ、通称カントウカナイオである。だが、その花は積もった落ち葉に隠されて見えない。失礼して、枯葉の褥をはずして写真を撮らせていただいた。褥の中には温もりがこもっていた。

   土に触れ土色多摩の寒葵     谷口秋郷

 カンアオイの存在を知ったのは高校1年の課外活動で生物部に所属したころだと思う。ずいぶん地味な花だなと感じた程度だったのだろう、はきりとした記憶はない。
 しかし、理学部の生物学科に進学してからの講義でこの植物とその仲間がただ者ではないことを知った。ことに、前川文夫さんのカンアオイ亜科の地理的分化と数1000万年にわたる進化についての考察にはそのスケールの大きさに感激したものであった。



January 14、 2014: シャリンバイ
       Raphiolepis indica (L.) ex. Ker. var. umbellata (Thunb. ex. Murry) Ohashi
 たえまなく頚うごかして丸呑みに
    車輪梅の実食める冬鳥   山口茂吉
 よく日が差し込むようになった雑木林のなかで濃い緑の光沢のある葉を茂らせた低木がまばらに白い花を咲かせているのに気づいた。近寄って確かめるとシャリンバイの戻り花だった。
 そして、遠目ではわからなかったが、その株にはたくさんの黒い実が房なりになっていた。だが山口が見たようにこの黒い実を懸命に啄ばむ小鳥の姿はどこにもなかった。
 直径が8mmほどの、小粒のブルーベリーに似たこの実が小鳥の好物だとするとどんな味なのかとふと思い口にしてみた。
 黒い果皮の下には茶色の硬い種子とそれをとり巻く厚さ1mm程度の薄い果肉があった。果肉には少しだが甘味があった。この実を丸呑みする小鳥たちはこのかすかな甘味を楽しんでいるのだろうか。
 晩春から初夏にかけて咲く少し赤味をおびた白い花が美しいシャリンバイは江戸時代にはすでに庭園に植栽されていて、シーボルトは『日本植物誌』のなかでRaphiolepis japonica, Hama mokkokuの名で紹介している。
そのためだろうか、昔は日本固有種と考えられていた。
 50年前、東京オリンピック観戦のため、幕末にシーボルトを医師として派遣した国オランダから4人の随行員をともなって来日したベアトリクス王女は、お忍びで長崎を訪れ、出島に立ち寄り記念植樹をしたが、その一つがシャリンバイであった。
 また、大島紬の本場の奄美大島ではシャリンバイはティーチギと呼ばれ、そのタンニンの含量の多い樹皮を煮出した汁で絹糸を染め、鉄分の多い泥土で発色させていた。


January 15、 2010:  クチナシ Gardenia jasminoides Ellis
 あれほどあった庭のセンダンの乳酪色の実もピラカンサの珊瑚色の実も残り少なくなった。毎日のように十数羽の群でやってきていたムクドリと三々五々と訪れていたヒヨドリたちの体内に収まった結果である。そして小鳥たちは次第に地表に近い位置にある木の実を気にしだしている。
 梅雨時に白い花と甘い香りを楽しませてくれたクチナシにも、いくつか実がついていたことを思い出して、のぞいて見た。赤く色づき始めてはいたが未だ硬かった。それでも、きっと興味を持った小鳥が突いてみたのだろうか、小さな嘴の跡らしいものが残っていた。
 小鳥が飲み込むには少し大きすぎるこの実を、熟すのを待って啄ばむのはヒヨドリだろうか、それとも・・・・・。気をつけてみていることにしよう。

   くちなしの実のつんつんと風の中     安斉君子

 12日、ハイチでM7.2の地震が発生。13日朝のニュースでその惨状を知った。
 これまで大きな地震はなかったとみえ、耐震構造など考慮していないらしい建造物がすべて崩壊していた。東海地方に住む身としては人事では済まされない。しかし、J. Diamond (2005)「文明の崩壊」で紹介されている、自然環境が壊れてしまっているハイチという国の現状を思うと、この地震でハイチは消滅してしまうのではないかと危惧する。国境を接するドミニカがドミノ倒しになる可能性もあるだろう。


January 15、 2011:  ヤドリギ Viscum album L. subsp. coloratum Komarov
 裸なるくぬぎ老木にやどり木の
     やどるがありて冬ふけにけり   峯村国一

 青く澄みわたった冬空を背景にしてヤドリギの細枝に散りばめられた薄黄の玉実が輝いていた。
 ヤドリギは北海道から九州にわたって分布していて、エノキ、ケヤキ、サクラなどいろいろな木に寄生するが、宿主が落葉して裸になった冬のさなかに青々と茂るその生命力の逞しさもあって、古代から人々に注目されていた植物の一つである。そのため里呼び名も多く、『日本植物方言集成』には69、『静岡県樹木方言』でも64の呼称が収録されている。
 民俗学的のみならず植物学的にも興味尽きない存在で、細かく分かれた枝の最先端部にへら状の常緑葉を対生して光合成がおこなわれて半寄生植物ということになっているが、ヤドリギのせいで樹勢が弱ったとか枯死したということは聞かないので、ひょっとしたら冬季には逆に宿主の方へ栄養を供給しているのかもしれない。だとすれば、共生ともいえるかもしれない。
 系統分類学的にも面白い存在で、形態に準拠した従来のヤドリギ科(マツグミ亜科;3角形花粉+ヤドリギ亜科;球形花粉)はDNA塩基配列の解析の結果一つのまとまった系統群ではなく、ヤドリギ亜科のヤドリギとヒノキバヤドリギはビャクダン科に入れるべきものということがわかった。この場合、ヤドリギたちに引っ越されてしまったヤドリギ科は残されたマツグミが代表に選ばれマツグミ科と呼ばれることになる。
 Mabberley,D.J (2008)に拠ればヤドリギ属は約100種が知られていて、主に旧世界の熱帯から温帯に分布しているがオーストラリアにも4種がある。広義のヤドリギ(V. album L.)には地理的ないしは生態的な変異が多く、普通5つの亜種に分類されている。中にはクレタ島に分布するクレティクムヤドリギのようにモミなどの裸子植物に宿るものもある。


January 15、2012: ユキヤナギ  Spiraea thunbergii Sieb. ex Blume

 ネコヤナギが芽ぐみ、茶巾絞りのような形のサンシュユの蕾が大きくなってきた庭の片隅のユキヤナギの古株に、どうしたことか、透明感のある黄葉が散り残っていた。
 たまたま北風のなぶりを免れたのか。

 雪柳のいや久しくもたもちゐる
    渋きもみぢのひとむらの垂り  土田耕平

 ユキヤナギの仲間(属)には100種前後が記載されていて、北半球の温帯から暖帯に分布している。枝垂れるしなやかな細枝に純白の小花を連ねるこの種やシジミバナやコデマリなどは英語圏ではブライダル・リースないしはブライドワートと総称されていて、結婚式の花輪にアレンジされる。
 ユキヤナギは中国からの渡来種との説もあるが、いまでは各地で野生しているものを目にすることができる。



January 16、 2006:  ナガミノヒナゲシ

 地球温暖化による暖冬が定着したかと思い込んでいたところへ、昨年の暮れから日本列島に襲いかかった半世紀ぶりの猛烈な寒波がやっと収まった。しかし日本海側はそのあおりの大雪で孤立する村落が続出し、積もった雪の重みで倒壊する家屋に押しつぶされたり雪下ろし作業中の事故死などが頻発し、すでに100人を超す方々が亡くなられている。
 太平洋側でも事態は深刻で、東海地方は幸いにして雪害こそ受けなかったものの旱魃と低温のため農作物が痛めつけられ、露地物の成長が止まったばかりか重油価格の高騰が追い討ちをかけメロンを始めとするハウス栽培を投げ出してしまう生産者が続出していた。
 そんなところへやっと恵の雨が一昨日から降り、雪国では今度は雪崩が心配だが、こちら遠州では最低気温も10℃を少し下回る程度にまでになった。
 こうなると野の草の反応はすばやい。雨を含みしっとりとやわらぎ、早春の光に温められた大地のあちこちで緑が芽吹き広がり始める。
 気がつけば、我が家の猫額菜園もナガミノヒナゲシの大小とりどりの緑のロゼットで覆われ始めていた。



January 17、  2005:  トウカイタンポポ

 今日で阪神大震災から10年が過ぎた。あの朝のブラウン管に見た凄惨な映像は、今も記憶の底に焼きついている。だが今朝、液晶モニターに映し出される神戸の市街は何事もなかったかのように静かだ。そして、このギャップを埋める記憶が私にはほとんどない。今もご苦労のさなかにある被災者の方々に申しわけなく思う。明日は我が身かも知れないのだ。

 久しぶりに風が止んだので、野に出た。雲ひとつなく、丘陵地の彼方遠くに南アルプスの前峰が白く輝いていた。灰色の藁灰の山が点在する水田に緑の気配はないが、その中を貫く農道の土手には既に若草が萌えていた。とはいえ、さすがに咲く花は少ない。その少ない花の中、飛びぬけて明るく咲いていたのがトウカイタンポポだった。
 日本在来の2倍体のタンポポで、分布が東海地方に限られている。かつては独立した種として扱われていたが、最近はカントウタンポポの変種とする研究者が多いようだ。ヒロハタンポポとも呼ばれるが特別に幅広い葉をもつというわけでもない。



Januar 18、 2013: ソシンロウバイー2  Chimonanthus paraecox (L.) Link.
 臘梅のつやを映しぬ薄氷     増田龍雨

 いつになく厳しい寒さが続いている。関東地方が突然の大雪に大混乱した成人の日、遠州は終日静かな雨だった。霜柱のとけることのなっかた日陰の庭土も、黒々と和らいでいた。
 16年前に初版がでて、今は絶版となっていた拙著が、『進化生物学入門~宇宙発生から人類の誕生まで』と改題されて、講談社学術文庫に収録していただけることになった。暮れも押しつまった29日に送られてきたその初校の校正と、文庫版へのまえがきを、調子がよくない胃をなだめつつ仕上げ返送し、ほっと一息ついて久しぶりに出かけた散歩道で、晴れ上がった空からの陽を透かせて咲き始めている蝋梅に出合えた。
 そういえば、むかしキツネノカミソリの採集でお世話になった双葉町の知人の庭にも蝋梅の古木があったが、あの弥生の日以来、振り仰ぎ香を楽しむ人の陰もなく、それでも律儀に、その日が来れば咲きほころびていることだろう。
 
 知人たちはあれ以来、異郷での生活を余儀なくされている。そして、多くの人たちは除染作業に期待していたという。そこへ手抜き作業横行の報道である。しかも、こうした手抜きに対する苦情は昨年の夏から環境省へ繰り返し伝えられていたが、適当にあしらわれてきたという。被曝した大地と人々のことは、政治家も財界も真剣に考えているとは思えない。忘れたがっているようだ。でなければ、東北の復興を世界の人々に知ってもらうために東京にオリンピックを招致するなどというはずも無かろう。除染は移染に過ぎず、山の枯れ葉は風に舞って里に降る。
 メルトダウンした核燃料は強烈な放射線を放ちながら壊れた炉の底に居座り続けるのだろう。


January 19、 2010:  スギ  Cryptomeria japonica (L. fil.) D. Don

 目覚めて開けた窓からは昨日までの身を射すほどの冷気は入ってこなかった。年明けから続いていた厳しい寒さが一段落したようだ。散歩に出ることにした。
 久しぶりの常葉の丘に登る坂道で振り返ると、たっぷりと雪を纏ってなだらかな曲線を描く富士山が、まだ水平線のむこうにある太陽の光を真っ先に受けて桃色に染まっていた。
 西方川への下りにかかるころには牧の原台地から日も昇り、道際に枝垂れたスギの球果(雌花)をも明るく照らしていた。

   杉山の杉の穂ぬれのやはらかに
            青空の光りそそぐなりけり   古泉千樫

 熟して翼のある種子を飛ばし始めた球果の形はなかなか面白い。細かなことをいえばずいぶんと違うのだか、雰囲気としてはバリ島のチャロン・アラン劇に登場するランダを連想させる。また、部分的に見れば猛獣の手の平の集まりのようでもある。
 近くの枝には間もなく花粉を飛散させて多くの人を悩ませる雄花と緑の小さな雌花がついていた。

 スギは日本特産(中国に分布するものは有史以前に日本から移入されたものが野生化したとみる研究者が多い)で古代からさまざまに利用され、年経た大木は神木としてあがめられてきた。万葉集では須疑と表記される他、すでに杉が使われている。しかし「杉」というのは中国ではコウヨウザンCunninghamia lanceolata (Lamb.) Hook. のことである。奈良時代には実物を目にすることなく伝聞で「杉」を当てたのだろう。明の李時珍もスギは日本伝来のものと記している。韓国の全羅南道や慶尚南道ではスギのことを su-gu ないしは su-gu-mok と呼ぶが、これは明らかに日本語のSugi に由来するものであろう。
 では、スギという日本古来の名称は何を意味するのだろう。貝原益軒の「大和本草」では杉の幹は真っ直ぐに立ち上がっていくので直木(すくき)すなわちスギだとしている。本居宣長は「古事記伝」のなかでスギは進木(すき)の転訛とした。いずれもこの木の生態を表わすものと考えている。


January 20、 2006:  スイバ

 今日は大寒。数日前までの暖かさは、気まぐれな神様のちょっとしたお恵みだったようで、また厳しい寒気が降りてきた。
 幸い今朝は風が止んでいたので、野の草たちのご機嫌を伺いに、このところご無沙汰していた菊川の土手へ出かけてみると、若草の萌え始めた斜面のあちこちに鮮やかに色づいたスイバのロゼットが広がっていた。それはまるで大きな赤い花のようにも見えた。
 ふと、スイバの酸味は季節によって変わることはないのだろうか?と思って、一葉を摘みとってかじってみた。やはりスイバは”酸い葉”であった。
 噛んでいるうちに、その味がE大学でスイバの性染色体の研究をされていたK先生のことを思い出させてくれた。お元気で、相変わらず顕微鏡を覗かれておられるのだろうか。
 そして、まるで連想ゲームのように、こんどは19日発行のネイチャーに報告された、ヒトの第8染色体のP腕の端部に存在する、チンパンジーなどの類人猿とは違った遺伝子群のことを思った。その一部は脳の大きさをコントロールするものという。 話としては面白いが、さてどうなることか。



January 20、 2012: 早春の稲田 
 明日は大寒である。まだまだ厳しい寒さが続くことだろう。
 乾いた田には刈り取った後に芽生えた稲が、枯れて脱色されて、深い霜に凍りついているかのように、白い縞模様を描いていた。しかし、よく見れば白い帯に挟まれた土の上にはすでに緑が萌えはじめていた。
 タネツケバナやナズナなどの芽生えだろうか。

   年々に春待つこゝろこまやかに    下田実花

 TVをつけると、ほとんどのチャンネルから、 賑やかな衣装を纏ったお笑い芸人さんやハツラツとした女の子や司会者たちの何処までも明るい笑い声と屈託のないいい加減な会話が流れてくる。マスコミは地震や津波や暴走原発のことはもう片隅に追いやろうとしているのか。政府も脱原発は口先だけで廃炉期限を20年も延ばそうとしている。
 老い先短い私などは、この日本という国の流れに流されていれば心の平安が得られるのであろうが、そうなれないがゆえに悩ましいし悲しいし、気が滅入る。春は間もなくやって来るであろうが・・・・・。


January 21、 2009: クコ Lycium chinense
 紅ふかき枸杞の実ここだ垂れ下がり
         ややこのごろの寒さに萎えし   高田浪吉
 大寒を迎えるまでは氷点下になる朝が続いたが、寒に入った昨日今日と少し寒さが緩んだ。 久しぶりに散策した西方川の冬枯れた土手の下で、うなずくように垂れた枝に沿った、たくさんの小さな赤い実が柔らかな日差を浴びていた。
 なぜか小鳥たちのお目こぼしにあっているクコの実だった。 
      枸杞の実のあけのにほへる冬の野に
           山より小鳥くだりて鳴くも    斉藤茂吉
 クコは北海道から沖縄まで、ごく普通に見られるナス科の低木で、大陸にも分布している。中国では古代から薬用植物として知られ、日本でも平安時代には既に薬用されていた。若葉は食用にもなり、江戸時代中期の『大和本草』には「生も、茹でて干したものも食べられ、お茶の代用にもなる・・」とある。また後期文政年間の鶴峯著『海西漫録』には「枸杞和物」という老婆による小僧泣かせの話があるが、それによるとあまり美味しいものではないようだ。


January 22、  2005:  キンカン
 昨日、電話口で風邪を引いてしまったとこぼしたら、草友達が早速に自家製のキンカンの甘煮を持ってきてくれた。風邪にはよく効くそうだ。
 この辺りの旧家の庭先には必ずといってよいほど、大きく育ったキンカンの木がある。昔から薬用する目的で植えていたに違いない。

    照りかへる金柑の木がただひと木
               庭いつぱいに日をこぼし居り   北原白秋

 キンカンは金柑(金橘)と書くようにミカンの仲間である。果実の丸いマルミキンカンと楕円形のナガミキンカンがある。属名は英国のプラントハンターとしてアジアの植物を精力的に収集したR. フォーチュンに因んでFortunella、種小名は日本産を意味するjaponicaである。ところがキンカンの原産地は中国南部で、日本に渡来したのは14世紀ごろだろうと考えられている。最初は丸実型が、長実型は江戸時代の初期にはいたのだろうというのが通説だ。


January 22、 2011: センリョウ Sarcandra glabra (Thunb.) Nakai

 明け方は氷点下になり、陽が昇っても、よろめかされるほどに吹く西風に熱を奪われた光だけが明るい、遠州の寒旱が続いているが、今朝は久しぶりに風が止んで、陽射しに温もりが戻っていた。
 とはいえ、寒いことは寒く、ダウンジャケットを着込みマスクをして帽子を被り、一週間ぶりに西方川の岸辺に沿って歩いた。その右岸にある正法寺の裏藪の中に、小鳥たちのお目こぼしにあっているらしく、ひときわ目を惹く朱色の実をつけたセンリョウが茂っていた。
 センリョウは冬のさなかに赤い実をつける常緑のめでたい植物としてマンリョウやヤブコウジなどとともに正月飾りにされ、室町時代以前から栽培され、薬用植物としても利用されてきたが、進化学的にも注目される存在である。
 DNAの塩基配列の比較から、いまでは単子葉植物と祖先を共有するものというその系統上の位置が解明されている存在だが、私が大学生の頃の半世紀ほど前には、被子植物でありながらシダ植物や裸子植物と同じで導管をもたない原始的な植物として話題になっていた。

 この事実を発見したのはSwamy, B.G.L & L.W. Bailey (1950) で、日本ではありふれた植物であったにもかかわらず、気づかなかったうかつさを植物分類学者のM教授が口惜しがっていたことを思い出す。
 夕刻、雲が厚くなってきた。津軽地方には大雪警報がでた。しかし、このあたりはまだまだ寒旱が続くらしい。

              くもりつつ雨とはならず暮れゆかむ千両の実のふかきくれなゐ   谷 鼎


January 23、 2006:  イワヒメワラビ
 案内していただいた掛川市飛鳥の里山の、深く切れ込んだ狭い谷地は、陽の射すこともほとんどない清水滴るシダ植物好みの環境で、オオバノハチジョウシダやナガバノイタチシダなど、この辺りでは比較的珍しいものもふくめて12種を数えることができた。
 上空が開いている谷底の溝に沿っては、どちらかといえば明るい開けた場所を好むイワヒメワラビが群落を作っていたが、今朝がたの氷点下の冷え込みで真っ白に粉霜を被っていた。
 このシダは元来が南方系の常緑性のもので、数十年ほど前までは遠州地方での分布は限られたものだったが、近年は茶畑や場所によっては市街地でも目にするようになっていた。分布が広がったのは、地球温暖化によるものかどうかは賛否両論だろうが、いずれにしろしばらく続いていた暖冬が要因だったろう。
 しかし今年になってからのこの厳しい寒さに痛めつけられては、どれほどの個体が生き残ることができるだろう。再び分布が絞り込まれて、珍しい存在となるかもしれない。


January 24、 2010:  ヤブコウジ Ardijia japonica (Thunb.) Blume
  藪柑子法の山より盗み来し   大西一玄

 大寒の日の記録的な暖かさは一日で終り、再び大陸から南下する寒気団に列島は覆われているが、日差しは日一日と明るくなっていて、庭の片隅に移植したヤブコウジの実の輝きも立春の近いことを知らせてくれる。

 ヤブコウジは万葉時代から縁起のよいものとして親しまれてきたが、中国では紫金牛とか平地木と呼ばれ、古代から止血・解毒などに効く薬用植物として使われてきた。
 魯迅の回想文集『朝花夕拾』の「父の病気」にも漢方の処方として“平地木”が登場し、「山中の樹の下に生える小さな木で、小粒の珊瑚の玉のような実がなる」と記されている。彼の故郷の浙江省紹興では“老弗大”とも呼ぶそうだ。また清朝の園芸書『花鏡』では盆栽の取り合わせには欠かせないものだとしている。江戸時代のヤブコウジ栽培ブームと『花鏡』のこの記述とは無関係ではないだろう。
 昨日、政権与党民主党の幹事長が検察の事情聴取に応じた。首相は彼が無実だといっているから信じると公言した。さすが友愛に生きる人というべきか。しかしどちらも庶民にとっては有害な存在のようだ。脳天気な政治屋やマスコミ関係者が多すぎる。


January 25、 2005:  ノイバラ
 大井川用水から供給される薄いコバルト色の水が流れる菊川のほとりを歩く。冬枯れの岸辺の藪でノイバラの赤い実が早春の光に輝いていた。
 いつもの年だと、この季節にはよく目立つ木の実はほとんど食べつくされているのだが、この冬はなぜか赤い実がよく目に入る。そういえば庭先のピラカンサの実もまだたくさん残っている。常連のヒヨドリやツグミが顔を見せないのだ。このところの異常なほどの寒気のせいで鳥たちが南へ移動してしまったのだろうか。
 写真を撮るために水辺近くまで藪漕ぎをして、ふと水際に目をやると、膨れた猫の亡骸が浮かんでいた。
 亡骸はヒトではないのに、このとき私は唐突に、虐殺されビクトリア湖へ無造作に投げ込まれた4万余ものツチ族のことを思った。今朝読んだ新聞の文化欄にあった映画「ホテル・ルワンダ」と「ダーウィンの悪夢」の解説記事やJ.ダイアモンドの『文明崩壊』で取り上げられている1994年に起こったルワンダでの100万人大虐殺を思い返していた。
 すべて、ヒト種のDNAに書き込まれた行動なのか、それとも作り出した複雑な社会構造が元凶なのか。後者なら救いの道が見つかるかも知れない。


January 25、 2012: スイセン - 2 Narcissus tazetta L. var. chinensis Roemer

 ブロッキング高気圧がオホーツク海方面に停滞し、偏西風が南へ蛇行し、大陸の冷気が日本列島を被って、北陸から東北・北海道は大雪である。
 昨日は東京でも4cmの積雪が記録され、路面凍結でスリップ事故が多発したが、駿河湾から遠州灘沿いの地は雪知らずで、綺麗に晴れて早春の光が溢れ、庭先のスイセンが甘く香った。
  真中の小さき黄色のさかづきに
      甘き香もれる水仙の花    木下利玄
 スイセンの原産地が地中海域だったことはほぼ間違いないようだが、中国への伝播については、その野生株の分布が華南の沿海部に限られていることから、陸のシルクロード経由か海のシルクロード経由か疑義が残る。
 日本どうよう、この花についての民話や伝説は中国にもいろいろある。例えば福建省の漳州では、年老いた物乞いに姿を変えた神仙を温かく迎えて、なけなしの米を施した貧農に、神仙は感動してもらった米をその家の水田に蒔き「これからは春が来たら花を売って暮らしをたてなさい」と言い残し池の中に消えていったが、確かによく春には香のよい美しい花が咲き満ち、農家は豊かな暮らしができるようになった。
 人々は池に消えたのは水の仙人だと信じ、この花を水仙と呼ぶようになったという。
 しかし、野暮なことをいうようだが、スイセンは3倍体で種ができないことをこの民話を生んだ人たちは知らなかったのではないだろうか。

              水仙は白妙ころもきよそへど恋人持たず香のみを焚く   与謝野晶子

 晶子は種子ができないことをはっきりと認識していたに違いない。

              

 昨年12月17日の朝日新聞beの記事、「今さら聞けない~遺伝子で人は決まるか?」の解説に「実は、人間の設計図の中でアミノ酸を作るように指定している部分は1%ほどしかなく、・・・・」とか図の説明で「三つの塩基から一つのアミノ酸ができる」などと大間違いがありました。
 メールで間違いを指摘したのですが、その後音沙汰無しで、訂正記事も目にしません。困ったものですね。ま、編集長が新聞の科学記事とはこの程度でよしと考えているのかもしれないが・・・・・。



January 26、 2014:  ノキシノブ Lepisorus thunbergianus Ching
    岩陰のしのぶは露のまことかな   二柳
 久しぶりだが、夜中にかなり降ったようだ。
 昨日まで縮れていた石垣のノキシノブが息を吹き返していた。
 深山より里山に多いシダで、名のとおり桧皮葺の軒先や茅葺の屋根にもよく生えるため、古代から人々に親しまれてきた。和名のノキはこのシダの生態に因むものだろうとすぐに思いつくが、シノブの語源は何だろう。
 万葉集巻11-2475番に詠われた‘軒のしだ草’はノキシノブと考えるのが自然だろうが、平安時代前期に成立した『大和物語』や『伊勢物語』の‘しのぶ草’もそれだと説く人が多い。そして、平安中期に綴られた『源氏物語』の橋姫の巻では、失脚して訪ね来る人も少なくなった八宮の廃れ行く館を「草、青やかに繁り、軒のしのぶぞ、所え顔に青みわたれる」と描写していて、その文意から汲みとれば‘しのぶ’は‘忍’である。現代の標準和名ノキシノブの由来はこの辺りにあるのであろう。
     わが屋戸の軒のしだ草生ひたれど
        恋忘れ草見るに生ひなく  巻11-2475
 恋忘れ草は春分のころから芽立つヤブカンゾウである。
 明日からはまた大陸の寒気が降りてきて、氷が張るらしい。春はまだ遠い。
      
 東京都知事選が公示され、論戦が始まった。遠州住まいには関係ないと言ってしまえばそれまでだが、日本人口の一割以上と13兆円もの予算規模の自治体で、しかも今回は原発ゼロ・即廃炉を主張する細川護煕が立候補している。彼の主張をどれほどの数の都民が支持するのか。そして、彼が当選した場合に自・公政権は名護市同様に都民の意思を無視するのだろうか。興味津々である。
 これは都在住の友人から聞いた話だが、舛添要一を応援する議員の一人は彼の応援演説の中で人々は放射能を恐れすぎると、広島・長崎の二重被爆者ですら90過ぎまで生きた記録を引き合いに出したという。確かに広島で被爆し、8日の昼過ぎやっとの思いで長崎に住む妻子のもとにたどり着いたその翌日にまたもや被曝し、2010年1月に93歳で他界された方はいた。しかしその議員がその方、山口疆の著書『ヒロシマ・ナガサキ二重被曝~A true story of the man who survived both Hiroshima and Nagasaki atomic bombings』を読んだとは思えない。読んでいたのならとてもこんな発言ができるはずもない。
 この著作は、靖国参拝にこだわり尖閣諸島問題でこじれている日中間の現在の状況を第一次世界大戦前夜の英独にたとえ、世界をぞっとさせた安倍総理もぜひ座右に置いて繰り返し読んでいただきたい。そう思うのは私だけだろうか。


January 26、 2011:  ビワ -2  Eriobotrya japonica Lindl.
 枇杷の花のにほひただよふ朝庭の
  日をなつかしみ窓あけて見る 大橋松平

 7年前、果樹好きの家人の望みで、庭の片隅に埋めておいた種子から育ったビワの木が、今年はじめて花を咲かせた。下に立つとメジロが私を見てあわてたように飛び立った。かすかに甘い香があった。
 ビワは中国南部原産で奈良時代までには日本に渡来していたと考える人が多いが、いまでは各地で野生化している。日本だけでなくインドを経て中央アジア、地中海沿岸などにも広まっている。地中海域に導入されたのはさほど古くはなく19世紀初頭のことであったが、採果・観賞用というだけでなく、東洋の知恵としての薬種として重用している。例えばキプロス島では、“ビワの葉茶”を愛飲し、抗癌効果があると思われている。
 しかし、確かに1950年代にはビワに種子に含まれるアミグダリンの誘導体レアトリルに抗癌作用があるといわれたが、その後の研究で否定され、現在ではむしろ有毒だといわれている。葉にもアミグダリンは微量ながら含まれるようだが、お茶として飲む程度なら問題はないそうだ。

   小さくも羽音を和して蜜蜂は真冬の枇杷に蜜を求める     入沢正夫


January 27、  2005:  ソシンロウバイ
 ハッブル宇宙望遠鏡が廃棄されるという。耐用年数が間もなく切れ、改修に必要な1000億円余のお金のめどが立たないのが理由だ。残念!ハッブルが捉えた宇宙の深遠の画像に、私は幾度となく心を揺さぶられた。ビッグバンにより”無”から一瞬にして生まれたというこの宇宙は何故これほどまでに美しいのだろう。ヒトはどうして宇宙の姿を美しいと感じるのだろう。
 そして、なぜ花やその奥に潜む微細な世界にもヒトは美を見いだすのだろう。猿人たちも花になぐさめられたのだろうか。
 思いあぐんで庭に立つと、咲き始めたソシンロウバイが甘く香った。

 花形が梅に似て花びらが蝋細工のような蝋梅(ロウバイ)は江戸時代の初頭に中国から渡来したものらしい。典型的なものは内側の花びらが暗紫色だが、外側と同じように黄色のものを素心蝋梅(ソシンロウバイ)と呼んでいる。
         臘梅のつやを映しぬ薄氷    増田龍雨


January 27、 2011: ツワブキ -2  Farfugium japonicum Kitam. 
 ここ10年来ではじめての、連日の氷点下の朝は、暖かな異郷から連れてこられて我が家の庭に植えられた木々にとっては耐え難いほどであろう。ちりちりに縮れて凍えるような遠州の空っ風にかろうじて耐えて枝先にのこっているティプアナの葉や、黄褐色に変わってほろほろと落ちるジャカランダの複葉を目にすると、いささか申し訳ないとも思う。
 そんな可哀相な姿のティプアナの根元ではツワブキの種たちが旅立ちのしたくを整えていた。自生地では強い濱風に乗って安住の地に舞い降りることができるのだろうが、空っ風しか吹かないこの庭から出ても落ち着く先はなかなか見つからないことと思う。ツワブキにも辛い思いをさせているのかもしれない。
 こんな気持ちになったのは、べつにC. Backsterの『植物は気づいている』を読んだせいではない。元CIAの職員でポリグラフの専門家の主張する「バクスター効果」は私にとっては眉唾だが、先日ネイチャーに発表されたように「農耕をする粘菌類」の存在や食害する昆虫に襲われた植物が揮発性化学物質を放出すると隣接した同種の個体が食害者が好まない物質を生産するなどの報告があるように、植物にも広い意味での知性があることを否定し得ないからである。
 知性といえば、先日読み終わったS.Conway Morrisの『Life's Solution : Inevitable Human in Lonnely Universe 邦題:進化の運命』の進化の必然としての知性という主張にも考えさせられた。進化の過程での収斂としてさまざまな生物に知性は宿るというのである。いささか強引な論の展開と思うところも少なくなかったが、面白いことは面白かった。


January 28、 2006:  フユイチゴ
 地形が変わってしまったというのはいささか大げさかも知れないが、岡を削り谷を埋めて効率的な施肥・除草・収穫を可能にする茶畑の造成が行われたこのあたりの里山では、道が途切れて地主さえ滅多には踏み入ることのなくなったような谷地が点在する。そこは氷河期のレヒュージアに擬すことができるかもしれない。かつてはこの地域のどこででも目にすることができたが、いまではその存在すら忘れ去られたような植物たちがひっそりと生き続けている場所である。
 そんな谷地へ、かすかに残る踏み跡を見つけて分け入ると、濃緑の葉に守られたフユイチゴの赤い実が、暗い林床にこぼれた紅玉のように輝いていた。
 フユイチゴは暖地性の植物で、太平洋側では千葉県以西に、日本海側では新潟県以西に分布し、韓国南部や中国の揚子江以南でも目にすることができる。食用にもなる赤い可愛い実に比べると夏に咲く白くて小さな花は見過ごされやすい。
 漢字では”寒苺”をあてるが、牧野図鑑などではこれは誤用で寒苺はクマイチゴのことだとある。しかし現代の『中国高等植物図鑑』ではフユイチゴは寒苺で、クマイチゴは牛迭肚である。


January 29、  2005:  キダチロカイ
  遠州灘から吹き寄せる寒風を遮ってくれる砂丘の陰に、橙赤色の花穂をいくつも立てて、キダチロカイが茂っていた。近くに人家はないが、以前はこの辺りにも人が住んでいたのだろう。
 温暖化が進んでいる証だろうが、最近は遠州でもこの季節にこの花を見ることが多くなった。昔は花芽が出ても霜に負けてほとんど咲くことはなかった。余談だが、『牧野新植物図鑑』には花が咲くのは夏だと書いてある。私は未だ夏に咲いているのを見たことがない。
 ユリ科アロエ属の植物で、キダチロカイは木立藘薈と書く。木立は種小名のアルボレスケンスの日本語訳、藘薈はアロエ属を意味する中国名である。普段は総称のアロエで呼ばれることが多い。南アフリカのインド洋に面した地域が故郷で、原産地では古代から薬用植物として利用されていた。例えば、ブッシュマンの描いた有史以前の岩絵にそれと特定できるものが描かれていて、絵柄から外傷薬としていたらしいと推測されている。
 ギリシャ時代には既に地中海域で数種類のこの属植物が栽培されていた。ディオスコリデスが一世紀に著した『薬物誌』の第3巻にもその薬効が詳しく記されていて「酢および薔薇の香油と混ぜて額やこめかみに塗れば頭痛を消し、ぶどう酒と混ぜれば脱毛予防になる」などと書いてある。多肉質の葉を潰して絞った汁を乾燥し塊にして保存し、必要に応じて砕いて粉にして使った。
 中国では唐の時代から、万能薬と喧伝されていたこのアロエ塊をアラビヤやインドから買い入れ、藘薈(ルーフィー)と呼んでいた。しかし生きた植物が持ち込まれたのはかなり後のことらしく、明の李時珍の『本草綱目』の挿絵も伝聞に頼って描かれたものとみえ、実物にはほど遠い。 日本に渡来したのは江戸時代になってかららしいが、民間薬として広まり、イシャイラズとも呼ばれた。
 


January 29、 2012: スイカズラ Lonicera japonica Thunb.

 日本海側の雪は降り止まず、除雪費用は底をつき、高齢者が雪下ろしに悲鳴を上げている。一方、太平洋側は例年にない寒旱に見舞われ、野菜の生長遅延に生産者がうめいているが、陽の光だけは溢れるほどである。
 そんな早春の光の中を、名高い遠州の空っ風に抗いながら、両の斜面をセメントで固められた切通しを抜けていると、無秩序に絡み合って頭上から垂れ下がった蔓の塊の中に、直径5mmほどの小さな黒い実が、薄赤く霜焼けた葉陰に、身を寄せ合うように隠れているのを家人が見つけた。
 スイカズラの実だった。
 忍冬という漢名が首肯できる姿であった。
 彼女は初めて見たという。なるほど、初夏に咲く香り高い花を知らない人は少ないだろうが、この実に気がつく人は多くはないのかもしれない。なにしろ、襟を立て、北風に身をすくめながら、下を向いて歩く季節の実なのだから。
 スイカズラは漢方薬として名高い植物であるとともに、その芳香を放ち純白から黄金色に色移りする花姿が愛でられる。

 1784年にチュンベリーによりはじめてこの蔓植物を紹介された西欧の人々もスイカズラの香に魅了され庭園に導入した。しかし、環境のよく似た北米では逸出帰化して、いまやその旺盛な繁殖力に辟易させられている。
         
 福島の飯館村は東電原発由来の放射性物質を取り除くため、年間被曝量の多い居住地域を優先するという政府方針と違って、標高の高いところから順におこなう方法をとるという。どちらも一理あるようにみえるが、結局は広大な山野森林は放置され、風雨や人の動きにともなって、じわじわと放射性物質が拡散していくことだろう。長い長い時の流れの末に自然放射能レベル近くまで薄まればよいというのだろう。


January 29、 2013: ノゲシ Sonchus oleraceus L. 
 寒風の吹きぬける道の辺の、土止めに張られたコンクリート板のほんのわずかな隙間に、チョコレート色になって耐えているノゲシがあった。
 この季節、遠州では花の見られる野草は数えるほども無いが、ホトケノザとノゲシは陽だまりさえあれば咲いて種子をこぼそうとしている。そのたくましさのせいであろう、どちらもコスモポリタンな種で世界中で出合うことができる。
 コスモポリタン種といえば、我々ホモ・サピエンスもその一つである。だが、ノゲシたちと違ってこちらは厄災を撒き散らす種のようだ。およそ5万年ほど前の氷河期のさなか、鋭利な石器と投てき器を手に新天地を求めてアフリカを旅立った子育て上手な200人足らずの我々の祖先は、ネアンデルタール人や先住の原人の子孫の生活の場を奪いさったばかりか、いまや地球の環境を壊し、さまざまな生き物を巻き添えにして自ら破滅の道を歩みつつある。70億個体にも増殖しているホモ・サピエンスが、まとまって我欲を抑え理性的に行動できれば、未来は希望あるものになるだろうが、心もとない今日この頃である。


January 30、 2007:  白梅
 記録的な暖冬だと、私のお気に入りの可愛い天気予報士さんが嬉しそうに話していた。確かに昨年の今頃に比べると温かな日々で、温室暖房用の灯油の減り方が緩やかだ。これは私にとって嬉しいことだ。
 野の花たちもやはりこの温かさを喜んでいるのだろうか。それともいささか迷惑しているのであろうか。しかし私たち花好きの人間にとっては、早々と美しい(悲しいかな、施政演説での「美しい国、日本・・・」発言を聞いて以来、なんとなくこの言葉を使うのに抵抗感を覚えるようになっている)花を目にすることは幸いである。
 今朝は近くの梅林にほころぶ一輪の白梅に出合えた。昨年に比べれば一週間ほど早い出合いではあるが、一昨年に比べればさほど早咲きともいえない。気温だけが開花期を決める要因ではない証であろう。

  白梅は咲きしよろしも枝ごとに
       木ごとにかをる花のよろしも   尾山篤二郎 


January 31、 2005:  スズメノカタビラ


  環境省が指定した、輸入や放流の規制対象となる特定外来生物についての記事が、”32種1科4属候補”という意味不明の見出しで、今日の夕刊に載っていた。記事についている候補リストが環境省で出したものか記者が要約したものかわからないが、いずれにしろ”分類群”という生物学用語の意味が理解されていない。種・属・科の概念が誤解されているようだ。

 ま、それはそれとして人類が自然環境を撹乱していることは間違いない。現在の地球は46億年の時の流れの果てに、爆発的に増殖するヒトという種を抱えて、新たな未来へと向かって回転を続けている。そして、ヒトという、小宇宙を持ち自問自答し未来を操作しようと模索する種の一部は、自らを律し、自らの環境へのインパクトにブレーキをかけようと努力しているようには見える。
 今朝の散歩道で目にした、イネ科の植物としては例外的に軟らかで滑らかな葉を持つスズメノカタビラも、人類の活動にともなって地球上に広まった外来生物の一つだ。草原や森の中では目にしない草だから、農耕民族の移動に連動したのだろう。ネパールなどでは家畜の飼料にもするから、動物に付着して広まったのかも知れない。そして既存の環境の中へ溶け込んでしまった。
 スズメノカタビラは”小僧泣かせ”などと呼ばれることはあっても、”有害外来生物”のレッテルを貼られることはないだろう。この違いは何処にあるのだろう。いま”有害外来生物”と決め付けられたものたちの多くは、一部のヒトの金儲けの対象になっている生物である。



January 31、 2015: 寒風に蕾む  Buds in early spring 
    Prunus mume (Sieb.) Sieb et. Zucc.               Colylopsis spicata Sieb. et Zucc.

 南アルプス越えの乾いた冷たい風が吹き抜ける我が家の庭には、確実に春が訪れている。

 だが、アラブに訪れたと思われた春は、ブッシュの開け放ったパンドラの箱からあふれ出た魑魅魍魎に踏み荒らされ、多くの蕾は開く前に摘まれている。
 その、春の嵐の中に意気揚々と乗り込み、魑魅魍魎たちと戦う人々の支援に2億ドルを贈りますと某国の首相が得意げに言い放った。自国の国民の二人が魑魅魍魎たちに囚われていることを承知していながらである。
 案の定、ほとんど間をおかず、魑魅魍魎たちがその二人を解放してほしいのなら2億ドル払えと脅迫してきた。
 言いだしっぺはあたふたと取り乱し、閣僚と相談しなくてはと、予定を切り上げて逃げ帰り、仲間に囲まれてほっとしたのか、テロには断固戦い二人を必ず救出するように指示したと胸を張った。
 何をどう交渉したのかは一切公表されていないが、囚われ人は斬首され、「我々に敵対することを決めた某国の国民は世界のどこに居ようともその生命を保証しない」と魑魅魍魎たちに叫ばせた。そして、某国首相は、必ず彼らに罪を償わせると応じている。どんな方法があるというのだろう。金を出して殺し屋を雇うととでもいうのだろうか。自分勝手な売り言葉に買い言葉の応酬だ。

 季節の春は巡り花は咲くが、ホモサピエンスの心に巣食う魑魅魍魎が追い払われ、社会の春が訪れる日がくることがあるのだろうか。



February 1、 2006:  コンテリクラマゴケ

 暗い杉の林床で、かすかにこぼれる光を受けて、怪しく燐光を放つコンテリクラマゴケに出遭った。この辺りでは通常の冬でさえ戸外で生き残ることが難しいこのシダ植物が、半世紀ぶりという低温続きのこの冬に生気を失っていないのは意外であった。霜さえ降りなければ氷点下にも耐えられるということだろうか。

 中国南部原産で日本には明治時代の初頭に温室用の園芸植物として入ってきたものだという。しかも面白いことに、中国からではなくヨーロッパないしアメリカで栽培されていたものが輸入されたものらしい。今ではそれが温室から逃げ出して暖地の里山に帰化している。
 繁殖力が旺盛で栽培しやすいので世界各地の植物園に植栽されている。光の角度によってさまざまに変化する葉面の輝きをクジャクの羽に見立ててピーコック・スパイクと名づけられ、フロリダやテキサスにも逸出帰化している。
 原産地の中国では翠雲草、藍地柏などと呼び薬草である。解熱解毒の薬効があり、利尿剤や止血剤としても処方されているそうだ。


February 2、  2005:  スイセン

  「小諸なる古城のほとり」ではないが、「緑なす繁縷」もまだ萌えいでていない菊川の土手に点々とスイセンが咲いていた。花の街づくりをすすめている花愛好クラブの方々が植え込んだのだろう。
 よく知られているように、スイセンは日本原産の植物ではなくシルクロードの彼方の地中海沿岸地帯から中国を経て渡来したものといわれている。日本に持ち込まれた時期は確かではないが鎌倉時代には既に栽培されていたらしい。
 スイセンの属名はナルキッサスである。これがギリシャ神話のあの自らに恋した美少年に由来するという話はあまりにも有名で、水仙という中国名もこの物語に由来するらしい。しかし伊豆の爪木崎や越前海岸の斜面に群生するようすからは水面に姿を映すスイセンという神話で語られる生態が今ひとつ不自然に思えていた。
 だがこの疑問はレバノンの広大な湿地の沼の水面に自らの白い花姿を映して咲くスイセンの大群落の存在を知ったとき氷解した。

  真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花  木下利玄



February 3、 2010: タイサイ Brassica campestris var. chinensis (L.) Ito
 今日は節分。早朝の気温も5度ほどで、風は出たものの比較的暖かな一日だった。庭ではロウバイが散り、カワズザクラの蕾が大きくなり始め、薄く桃色になっている。明日は待ちかねた立春である。
 川向こうの、住宅地が散在するなかに点在する家庭菜園に取り残されているタイサイに、陽を浴びて暖かそうな金色の花が咲いていた。
 この野菜は明治初年に中国から渡来したものだという。いろいろな品種があるようだが、スーパーなどに出ている青梗菜(チンゲンサイ)もその一つである。淡白な味だが口当たりがよく、我が家には欠かせない野菜である。ことに、野菜作りにも練達した花友が持ってきてくれるそれは逸品である。

 小沢幹事長が不起訴処分でこのたびの献金騒動は収束する気配である。しかし庶民は政治家の金の問題については直感的に何があったかを理解しているのではないだろうか。検察の、二人の幼子を保育園に預けている女性秘書を外部との連絡を拒否して10時間も拘束する、その手法も、相変わらずで情けないし怒りを覚える。


February 4、 2006:  ウメ
   隅々に残る寒さやうめの花   与謝蕪村

 今日は立春。昨年に比べると3週間も遅れてはいるがウメが咲き始めた。さすがは立春というべきか。
 それにしてもこの冬は寒い。今朝もマイナス2℃。あまりの寒さに膝や脹脛の古傷が疼くこともあって、このところさっぱり野歩きをしていない。そのせいで落ち着いて本を読む時間ができ、『人間はどこまでチンパンジーか?The Third Chimpanzee』以来すっかりファンになったJared Diamond の最新作『文明崩壊 Collapse』を楽しむことができたが、Diamond ほどのグローバルな視点で時間軸に沿って環境問題を考えたことがなかったので、目から鱗の思いを何度もさせてもらった。
 「有史以来、自己中心的な王や首長や政治家たちの行為や不作為が、常に社会の崩壊の一因をなしてきた」という言葉はわが国の為政者に噛み締めてもらいたい。


February 4、 2012: コナラ Quercus serrata Thunb. ex Murray

 北国の雪は降り止まず、酸ヶ湯の積雪は4mを越え、遠州地方もよく晴れたとはいえ立春とは思えないほど冷え込んだ一日だった。
 少し気温の上がった10時過ぎ、しばらくご無沙汰していた一本松の丘へ登ってゆくと、陽のよくあたる斜面に、真っ赤に紅葉したコナラのひこばえが生えていた。秋に刈られた元株から再生したしたものが、少し湿っている環境が幸いして、この冬の寒さに耐えているのだろう。
 
冬紅葉冬のひかりを集めけり   久保田万太郎
 今朝、スペンサー・ウエルズ著・斉藤隆央訳『パンドラの種~農耕文明の開け放った災いの箱』を読み終わった。原著は2010年刊だが、前年の2009年に刊行されたG.コクラン&H.ハーペンディング著『一万年の進化の爆発~文明が進化を加速した』と重複する部分も少なくなかったが、同じ事象の解釈の仕方には基本的な違いがあり、コクランたちがオプティミズムであるのに対し、ウエルズはペシミスティックである。私はウエルズの思いに共感するところが多い。パンドラの箱の底に残った希望という種は、確かに、今もアルデバランを目指して宇宙空間を旅しているパイオニア10号の外壁に描かれた、裸身で手を繋ぐ男女かもしれない。


February 4、 2014: キチジョウソウ Reineckea carnea Kunth.

  竹山の祠に詣で吉祥草    小倉晨峰
 立春の明るく柔らかな日差しを楽しみながら歩いた常葉の丘の竹薮を抜ける道の辺の緑の草むらの奥に、紅玉のような小さな実が連なっていた。
 キチジョウソウだった。関東地方以西の暖地の低山帯にありふれた常緑の多年草だが、根茎による繁殖が旺盛で群生していることがおおい。真冬でも艶やかな緑の葉はよく育ったものでは30cmほどにもなり見ごたえがある。
 明るい紅紫色の花は初秋に咲くが、足繁く山歩きをする人でも滅多には目にすることはない。庭園に栽培していても事情は変わらない。どうしてそれほど花つきがよくないのか、原因はよくわからないが、幕末の文政6年(1832)に『草木性譜』を著した大阪屋四郎兵衛は唐の『本草拾遺』を引いて、「この花はたいへん稀で、もし咲けば其の家には必ず吉祥の事があるといわれていて、それゆえ古代中国の閩(現在の福建省あたり)の人々は吉祥草と呼んだ」と記している。中国はむろんだが日本でもこの名を踏襲している。
 花が咲くのが珍しいのなら、当然のことながら実に出合うことも稀なわけだ。してみると、今年は私にとって何かよいことが起こるのだろうか。

    
 一週間前の朝日新聞に出ていた国家基本問題研究所理事長桜井よしこ女史たちの田母神都知事候補応援とみられる意見広告には、思わずのけぞってしまった。火力発電のために日々110億円費やしている現状が福島の復興を妨げているというのだ。メルトダウンして放射性物質を放ち続けている第一原発には目をつむり忘れろ、というのだ。おまけに、電力料金の高騰に耐えられますか、と都民ばかりか国民を恫喝してしているのだった。


February 5、 2008:  ヤブツバキ

 昨日は、遠州も信濃や甲斐との国境ではかなりの積雪をみた立春であったが、この辺りでは霜が降り北面では氷が張ったものの、明るい日差しが春の到来を告げていた。
 初めて選んだ散策のルートの、とある路地を曲がると、無住になって久しいらしい廃屋の庭から、塀を超えて枝垂れかかり今を盛りと咲くヤブツバキが眼前にあった。
 こちらを覗き込むように咲いている花の中には重量感さえあるオシベの塊があって、そこからこぼれた金色の花粉が花びらに溜まっていた。吸蜜に訪れたヒヨドリの狼藉の跡であろうか。

    玉割れて春の吐息いちどきに
            声ともならむ紅の真椿   太田 水穂

 * 数日前から読み始めていた『ひとりぼっちのジョージ』を今朝読了。2005年に訪れたガラパゴスの島々を思い出しながら、短期間の滞在ではわからなかったあの島々での自然保護の現状に驚かされた。



February 6、 2005:  メハナヤサイ

 何や彼やと雑事に追われ家にこもりきりだったが、それもほとんど片がついたので久し振りに散策に出た。風は相変わらずの冷たさだが、さすがに立春も過ぎると陽光は一段と明るさを増したようだ。目に映る薄桃色のホトケノザや青空色をしたオオイヌノフグリの花数もずいぶんと賑わってきた。
 ナノハナの便りは各地からやってくるが、同じ菜の花でも収穫の済んだ畑の中に取り残されて、かえり見られることもなく咲き、ただ花蜂たちと語り合う日々を静かに送っているものもある。
 今日私に写真を撮らせてくれたそんな菜の花はメハナヤサイ、現代の八百屋さんの店先ではブロッコリーと呼ばれている。
 蕾や花茎を食用するブロッコリーはカリフラワーともども地中海沿岸から北海沿岸地帯に分布している野生キャベツ(Brassica oleracea)から選抜された品種の一つである。
 日本には明治の初頭に導入され京浜地方で栽培が試みられたが当時の人たちには不人気で普及しなかった。だが食生活の変化を受けて昭和40年代後半から食卓に欠かせない野菜となった。 



February 6、2011: 初夏を待つヤマボウシ Benthamidia japonica (Sieb. et Zucc.) Hara
 記録的な厳しさのこの冬の寒さも立春の声とともに峠を越した気配である。
 庭のヤマボウシの蕾もこころなしか膨らみだしたようだ。
 三ヶ月たてば、今年も純白の苞を開いてくれるに違いない。

 冬木の芽とがりおのおの天を指す   安藤柚青

 先日から、思うところあって、数年前に購入したものの目次をながめただけで書棚に寝かせておいたR.ドーキンスの『神は妄想である』を読んでいる。
 生物の進化の結果が、どれほど複雑で還元不能のように見えようとも、全能の神を持ち出すまでもなく自然淘汰によって説明できるというドーキンスの見解には異論はない。ドーキンスは神は人間の“妄想”と極言するが、これまでの自分はそこまでは考えず、バーナードショウのいうように「信仰者の方が懐疑論者より幸福であるという事実は、酔っ払いの方が素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない」という程度であった。そして、宗教の起源についての彼の論稿には考えさせられた。
 ドーキンスは神(信仰)は、夜間星や月の光を目安に行動できるように適応した蛾が、そのメカニズムが誤作動して蝋燭の火に飛び込んでしまうのと同様な、人間の、それが何かは未だわからないが、ある自然現象に対する適応として進化したメカニズムが誤作動したものではないかという。“未だわからないそれ”は何だろう。心が騒ぐ。
 ドーキンスのように神は妄想だと断じてやまない人がいるものの、E.O.ウイルソンが『人間の本性について』で「精神分裂病的な我々の社会は、一方では知識を頼りに発展しているのだが、同時に他方では、この知識が突き崩しつつある当の信仰に由来する霊感に支えられて存続し続けているのである」と書く。
 そして現代においては(おそらく遠い過去においても)神などは信じないが霊魂の存在を信じたり、霊魂も信じてはいないが、社会の中で生きてゆくために宗教的儀礼・儀式には付き合っているものもいる。面白い。


February 6、 2013: 小梅 Prunus mume Sieb. et Zucc. var. microcarpa Makino

 梅しろくしろく咲きたる庭くまに
     およぶ朝日の微塵とどめず   谷 鼎
 例年にない寒波続きで開花が遅れていた梅が澄み渡った空から注ぐ朝日の中で輝き、爽やかに香っていた。 ふと、遠い昔に同じような青い空を背景に咲き誇る梅の花に出合ったことを思い出した。そう、あれは北京の天壇公園の西門近くに植栽されていた梅だった。
 人々が人民服をまとっていたあのころは、未だ北京の空は澄んでいた。それがいま、昨今の報道のように50m先もかすんでしまうほどの、濃いスモッグが立ち込めている日が幾日も繰り返される。NOxは無論のことカワサキ病の原因物質としても問題になった超微粒子PM2.5が高濃度に含まれていて市民の生活が脅かされている。白い梅の花も薄黒く汚れ、防塵マスク越しでは香も消えてしまうのではないだろうか。
 優秀な人材には事欠かない国だ。若い人たちの知恵と強力な政治指導で、まもなくこの問題は解決されるにちがいないと信じたい。
 そして、尖閣問題に端を発した独走気味の軍部の火遊びが、かつて関東軍が暴発した盧溝橋事件の愚の繰り返しにならないよう願っている。



February 7、 2008:  フキー2 Petastes japonicus
  蕗薹ちさきを択りて摘みとりぬ
      爪にはさまる土のつめたさ      岡 麓

 今年は4年振りの暖かな冬である。庭の片隅のフキの薹が地表に顔を出し、黄緑の衣を脱いで早春の光を浴びている。
 『本草和名』や『倭名類聚抄』などをみると、平安時代にはフフキ、あるいはヤマフフキと呼んで葉柄を煮て食べていたことがわかる。現代のように苞葉に包まれた早春の芽立ちを食用していたか否かはわからないが、いずれにせよ古代から利用されていた植物の一つであろう。
 ところが、万葉集をはじめとして平安時代に入っても短歌や文芸書にフキの名をみることができない。現代の人々がフキの芽立ちに強く春の訪れを覚えることから考えると不思議な気もするが、上古の貴族たちにとっては、ウメやネコヤナギやカタクリの花こそ春の告知だったのだろう。

  冬はやきふきの薹をも我つまむ
     老いたるものは香をかぐはしむ  土屋文明


February 8、  2005:  サンシュユ

 数年前から無住になっている質素な尼寺の軒先で、サンシュユの古木に花が開いた。
 灰色の長枝から分かれた短枝の先で、ぽんと弾けたように反り返った4枚の苞鱗に抱かれた20個ほどの淡い黄金色の小花の集まりが、未だ冬景色の早春の庭に温もりを与えていた。
 サンシュユは山茱茰と書くが「茱茰」はグミ科のグミのことである。ミズキ科のサンシュユがなぜ「山のグミ」かといえば、その晩秋に赤く熟す実の姿がよく似ているからである。この熟した実から種子を抜いて乾燥させたものは漢方薬の一種で、腰痛、眩暈、耳鳴りなどの症状を治すために処方される。
 日本の山野には自生するものはなく、庭園でのみ目にすることからわかるようにこの木は外来種である。江戸時代の記録をたどると享保7年(1722)に大陸から種子がもたらされたことがわかる。小石川植物園でいまも毎年花を咲かせるサンシュユはこのときの種子から芽生えたものだというから樹齢は既に300歳に近いことになる。
         山茱茰にけぶるや雨も黄となんぬ     水原秋櫻子



February 8、 2010: アセビ Pieris japonica D. Don.
 6時に目覚めたときの外気温はマイナス1℃だったが、昼前には10℃を越す暖かな一日となった。
 散歩の途次、丘を巡る細道が南東に面した麓を抜けるあたりに、無住になって久しいらしい土壁の古家があって、その放置されている庭に茂ったアセビ(馬酔木;あしび)に、白く小さな壷形の花が連なっていた。春の光りに輝いていた。
     
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり    水原秋櫻子
 秋櫻子はとりわけてこの花が好きだったようで、多くの句に詠んでいるばかりか、主宰する俳句雑誌を『馬酔木』と名付けている。
 アセビは万葉集でも集中10首に詠われているように、花の清楚さとこれに相反するような強い毒性ゆえに、古代から日本人に親しまれた植物である。わが国に固有と考えられてきたが、どうやら中国中央部にも分布するらしい。ただし、中国で馬酔木と呼ぶものはP. polita W.W.Sw. et J. F. Jeff.という別種であるが、アセビと同じアルカロイドのアセボトキシンを含む有毒植物ではある。
 
みま草は心して刈れ夏野なるしげみのあせみ枝まじるらし   藤原信実
 平安時代の新和歌六歌仙の一人の信実のこの短歌のようにアセビの毒性を読んだものは少なく、ほとんどは早春に咲く白い花かその香りに注目している。当然のことなのかも知れない。私も高校生になって生物や国語の先生に教わるまで、アセビの花や香りを知るだけで、有毒とは思いもしなかった。
 
春日野の諸木の若葉いろいろにもゆるがなかのあせぼ白花  香取秀真
 文化勲章を叙勲された鋳金工芸作家のこの短歌のように、昔はアセビが盛りとなるのは落葉樹の若葉が萌え始める頃だったような気がする。だか、最近は立春を前にしてこの花を目にすることが多くなった。これも温暖化の証左だろうか。
        
馬酔木咲く仲間は風の向う側     矢野明子
 昨日、大学時代の友人の訃報が届いた。風の向うの彼に、この春の香りが届くことを祈る。


February 9、 2009: アタミザクラ Prunus x kanzakura x P.lannesiana var. speciosa 
 湯煙が立ち上る熱川は濁川の岸辺に、ほんのりと紅を差した乙女のように、アタミザクラが咲いていた。

 アタミハヤザキとも呼ばれるこの桜は“山と渓谷社”の『日本の桜』によれば角田春彦さんがカンザクラ(P. X kanzakura) と早咲きのオオシマザクラ(P. lannesiana var. speciosa) を交配して作出した園芸品種だという。だが、熱海市のHPでは、原典は示されていないが、カンヒザクラとヤマザクラの雑種説を採っている。また、一説には明治の初めイタリア人がインドのダージーリンから熱海に移入したものだともいう。DNAを比較すればどの説が正しいのかすぐに明らかになるだろうに、という向きもあるかもしれないが、ことはそれほど簡単ではないようだ。
 推定上の両親種が実在しても実際の親がすでに死んでしまっていればその子孫のDNAの比較をしても確実なことはわからない。なにしろ、それぞれの形態の類似で纏められている種に特有の遺伝子などというものは存在しないのだから。ことほどさように、生物の正確なルーツを知ることは難しい、が知ることは楽しみである。

 最近、人類のルーツを論じた『The Upright Ape』を読んだ。著者のA.G.Fillerは直立二足歩行はモロトピテクス(プロコンスル・メジャー)に始まり、オーストラロピテクスはその直系で、大型類人猿は直立二足歩行を止めたグループだという。つまり、ヒトとチパンジー・ボノボの共通祖先はすでに直立二足歩行をしていたというのである。面白い。


February 10、  2005:  タネツケバナ
 遠州灘沖を通り過ぎてゆく低気圧のせいで、曇りがちながら3月のような陽気が続いている。先日までは枯れた稲の切り株が寒々と並んでいた水田にも鋤が入り、田植えの備えがもう始まっていた。心なしか緑が多くなったように思える畦道の斜面では、朝方まで降っていた雨の雫を小さな白い花びらに乗せて、タネツケバナが咲いていた。
 
 種漬花の花の首まで雨後の水     内山宏

 この句のタネツケバナハは雨水でかさの増した小川のふちに生えていたのだろうか、それとも水田の中で咲いていたのだろうか。

 この小さな草の名は、種籾を水に浸す季節が来ると咲くことに因んだものだそうだが、最近は年間を通して花を見ることができるようになった。北半球の温帯に広く分布して日本では北海道から沖縄まで、いたるところで目にすることができる。好んで生える場所が人里の水気のある場所なので、はるか昔に農耕の伝播に伴って大陸から日本に来たのかもしれない。
 日本では昔からこの草を野菜として利用してきたが、近頃は農薬などの汚染が心配で口にする人は少なくなった。中国では湾曲砕米薺と呼び、熱さましや胃の薬として薬用されている。タネツケバナと同じ属の植物は160種ほどもあるがその多くが食用や薬用にされている。


February 10、 2010: ウメ - 豊後系  Prunus mume Sieb. et Zucc. -Bungo series
 朝からよく晴れて、この季節としては珍しいほどの青空が広がった。10時を過ぎる頃には20℃にもなり、晩春並みの汗ばむほどの暖かさとなった。
 その春光に誘われて、師走以来の寒さに怯えて庭先に立つことすら稀だった家人と、久しぶりに連れ立って散歩に出た。
 打上の丘の梅林では、紅白取り混ぜた梅が咲きそろい始めていた。赤い蕚片に支えられた純白の花弁に抱かれた数十本の花糸の先の金の小粒のような花粉袋が煌いていた。

   白梅や蕊の黄解けて真盛り     鈴木花蓑

 梅の品種には人為的に交配されたものやその実生から選抜されたものも多く、平尾彦太郎氏の『梅花名品集』には308品種もがとりあげられている。ウメは近縁種のアンズとの間に自然雑種ができやすく、画像の株はその一つで、いわゆる豊後系の一品種らしい。


February 11、 2008:  ツチグリ
 本州から北海道に亘る各地を銀世界に変えた低気圧が通り過ぎたが、遠州灘に面した東海のこのあたりは、例によって冷たい春の雨に濡れただけであった。
 雨の上がった朝、庭に出てみると、蝋梅の根元に敷いてある小砂利のなかからツチグリ(Astraeus hygrometrics)が弾けでていた。
 数日前に気づいたときはまだほとんど砂利に埋もれていて、破れかかった外皮がわずかに覗いているだけだった。雨水をたっぷり吸って裂開したのであろう。なんとなくNASAが火星に送りつけた着陸艇を思い起こさせる姿である。小さな穴の開いた丸い袋の中には胞子がつまっていて、獣などに踏まれると勢いよく噴出して飛散する。
 胞子ができる前の袋の中は白く肉質で、薄切りにして油でいためるとおいしく食べられるというが、まだ試したことはない。

 それにしても、私にとっては初めての季節外れの出現であった。図鑑によれば普通は夏から秋に見られるとある。


February 11、 2012: カナメモチ Photinia glabra (Thunb. ex Murray) Maxim.

 昨年暮れに更地となった家の、茂るにまかされた生垣から赤く色づいたカナメモチの実房が、小鳥の訪れを待ちかねたように顔を出していた。
 我が家のピラカンサやセイヨウヒイラギやマンリョウの実も、今年はまだたっぷりと残っている。例年ならば、マンリョウを別にすれば、ほとんどの木の実は残り少なくなっている季節である。今年はムクドリの群れも訪れず、けたたましいヒヨドリの縄張り争いの声も聞かれない。半世紀ぶりともいわれるこの冬のせいだろうか。2005年の強い寒波に繰り返し覆われた冬も、小鳥は少なかったことを思い出す。
 そういえば、数日前の新聞に『福島の鳥 原発事故後に数が減少』という記事があった。原発から飛散した放射性物質の降下した地域の放射線量のグラデーションに沿って、45種の鳥類の個体数を調査したところ、放射線量の高い場所ほど個体数が減る傾向があったという。これはチェルノブイリでの調査結果とよく似ているそうだ。
 私の居住地での今年の鳥たちの動きは、浜岡原発が近くにあるとはいえ、放射能物質とは関係ないのだろうが、いずれにせよ、早く暖かになり、このカナメモチが待ちかねている小鳥たちが群れを成して飛来する日が来るとよいのだが。



February 12、 2008:  マンリョウ
 家の庭は7年前には更地で、風で運ばれてきた雑草がまばらに生えていただけだったが、小さな花壇や菜園を作ったり花木を植え込んだりして、今ではだいぶん賑やかになった。
 その賑わいの中にはいつの間にか小鳥たちの落し物から芽生えたものがいくつも混じっている。マンリョウ(Ardisia crenata)もその一つである。

     嗽ぐ寺の壺庭苔ふかみ
           万両の実の赤さもあかき  木下利玄

 その、夏の盛りに小さな白い花を咲かせていたマンリョウには、いま白兎の目玉のように赤い丸い実が鈴なりになっている。
      万両は兎の眼もち赤きかな   千代女
 
 毎年のことではあるが、庭の木の実は3月が来る前に小鳥たちのお腹に納まって消えるが、なぜかこの赤い実はいつまでも残っている。不味いのだろうか。それとも実のなる位置のせいだろうか。


February 13、  2005:  凍てつくシロバナヒガンバナ

 今朝の寒さは格別だった。天気予報ではこれほどの気温の低下には触れていなかったが、私の小さな庭での局地的な異常なのだろうか。
 リコリス園のシロバナヒガンバナの葉は氷の針で覆われ、まるで白い毛が生えているようだったが、陽が射して気温が上がると、水玉を乗せた艶やかな緑の葉に戻り、なんらダメージを受けたようすもなかった。どれほどまで耐えられるのかはわからないが、かなりの低温環境をも乗り越えて進化してきたのだろう。しかし、この仲間の葉は夏の暑さを避けるように春の終りには枯れはてる。

 未だ人知の遠くおよばない宇宙の仕組みの中で、自らの中に生まれ住む生き物たちのことなど気にも留めず、地球は変動し続けてきた。そして生き物たちは、変動の波にもてあそばれ、滅びるものは滅び命継ぎ得た者たちはまたしばしの安寧を楽しむ。

 間もなくヒトを継ぐであろうものたちは、どんな心と姿かたちをもった存在になるのだろうか。



February 14、 2006:  ナズナ


 夜の白む前だったろうか、激しい猫の恋鳴きを聞いた。目覚めるまでには至らずに取りとめのない夢に遊んだ。
 「支度ができていますよ」という家人の声に床を離れ、新聞をとりに外へ出ると、昨日までの寒気が嘘だったかのような温かな朝であった。
 早春出葉タイプのスプレンゲリーとインカルナータの若葉がやっと顔をのぞかせ始めたリコリス園の中を、近くに住み着いているらしいキジバトが時おり首をかしげながらとことこと歩いていた。

      山鳩のうなづき歩む春の土    渋谷美恵子

 この恵みの温かさに励まされ、久しぶりに丘歩きに出かけた。
 浜岡原発からの高圧線が張られた真新しい鉄塔が無粋に視界を遮ってはいるが、薄茶緑の茶畑の谷向こうの雑木が茂る丘陵地のはるか遠くに、春の霞をとおして南アルプスの雪化粧した山々が浮かんでいた。
 東に目を転じると、これもまたうっすらと、2重に笠を冠った春の富士山があった。

 そして、目を落とせば、温かな日和を喜ぶようにナズナが白い米粒のような花を咲かせていた。

      ここの野にいつ萌えいでし春草の薺はひたと地びたに着ける     三ヶ島葭子



February 14、 2014:  ヒメヤブラン Liriope minor (Maxim.) Makino

 少しずつ春が顔をのぞかせ始めた野の道に、黒光りする小さな玉がいくつも転がっているのが目にとまった。
 屈んでよく見れば、枯れて地表に倒れた細い花茎に並んだヒメヤブランの実であった。
 夏に咲く淡い桃紫色の花の数より実の数の方がはるかに多いのを訝しく思ったので調べたところ、実と見えたものは種子だった。 一つの花の子房のなかにはふつう6個の胚珠があって受粉がうまくいって成長が始まると薄い子房の壁(心皮)が裂けてはがれてしまい、丸い種子となって顔をのぞかせるのであった。 しかし、栄養配分や場所取り問題があって、6個の胚珠すべてが育つことは難しく、ふつうは一つの花につき1~3個が稔り残りはしいなとなるが、残ったものにも大きさには多少のばらつきがある。
 それにしても、この目立たない黒い種子を啄ばむのはだれだろう。木の実を食べつくして空腹になったツグミやジョウビタキやムクドリたちだろうか。
 そして、近頃とみにペシミスティックになっている私は、このような闇を象徴するようなものを見ると、わけもなく不安になる。情けない。

 東京都知事選が終わった。投票率は46%という過去最低数字だったが、舛添が200万余票で当選した。マスコミの予想通りだった。細川・宇都宮ともに90万票台どまりだった。F1事故の重大さを都民の多くは忘れたということだ。そんなものだろうが、田母神に60万余票が入ったのは怖い。煽られて感情的に韓国と中国に腹を立てている人たちと、戦争の実体を知らない、教えてもらっていない、ゲーム感覚でとらえている若者が投票しているのだろう。


February 15、 2005:  紅梅
 今日は明るく陽がこぼれ風も軟らいで、数日前のあの寒さが嘘のようだ。牧の原台地へと続く茶畑の岡に登ると、作業小屋の脇の紅梅の古木が爽やかに香った。真っ青な空から降って来る春の光に輝いて、薄桃色のふわりとした花びらに抱かれた花糸たちが踊っていた。
     ももしきの大宮人はいとまあれや
              梅をかざしてここにつどへる  山部赤人
 大宮人にはほど遠い存在ながら、暇だけはたっぷりとある私はひと時の優雅な気分に浸った。「不知老将至、但事酌春觴」という云うところだ。
 中国からウメが日本にいつ渡来したかははっきりしていないが、751年になったという『懐風藻』に「素梅」の名が出ているところをみると、既に紅梅も渡来していたに違いない。
 ところで、梅には鶯がつきものだが、なぜか描かれている鳥はメジロだ。確かに日本では梅によく来る小鳥はメジロである。[梅+鶯]の文化も中国直輸入なのだが、中国の鶯(コウライウグイス)は日本にはいない。そこでどちらかといえばコウライウグイスに似た彩のメジロが描かれたのかも知れない。


February 15、 2011:  オモト Rhodea japonica (Thunb.) Roth
 冬の日のものに飢えたる眼をとめて
      万年青の赤き実をしばし見る  金子薫園

 昨夜は遠州でも山間部にはかなりの降雪があったようだが、海からさほど離れていない当地では、冷たく細い雨が白く乾いていた土を柔らかな雀色に変えていた。
 風は冷たいものの、陽の光はすっかり明るくなり春になったことを教えてくれるが、辿った林床の小道はまだ一面の冬色である。その枯葉の床のなかに“飢えたる眼”を吸い寄せるように一株の万年青があった。万年青はオモトの中国名である。
 大方の図鑑類ではユリ科に分類されているが、最近は分子データなどを加味してユリ科は細分されていて、オモトはキジカクシ科(Asparagaceae) ないしはナギイカダ科(Ruscaceae) に入れられている。
 中国では長江以南に分布し、日本では太平洋側では牡鹿半島以西に、日本海側では能登半島以南に分布している。
 真っ赤な実と常緑の葉が注目され、中国では明の時代、王圻の『三才図会 (1607)』 に吉祥の草として採りあげられているように、古代から鉢植えにされていたが、日本でも同様であった。ことに江戸時代になると実生に現れるさまざまな葉の変異が選抜され、現在までに1000種類ほどもの園芸品種が記載されているという。
                             赤き実の万年青のそばの残雪のこぼれるまゝに春に入るかな      金子薫園


February 16、 2008: セイヨウアブラナ
 数え切れないほど芽生えていたのに、まだ双葉のうちに虫に食べられ、少し残っていたものもご近所のニャンコさんたちのトイレの始末にかき回されて、それでも4株だけ助かって大株に育つことのできたセイヨウアブラナ(Brassica napus)が元気よく咲き始めた。
 どちらも区別せずにナノハナと呼ばれてているが、古代から日本で栽培されてきた赤褐色の種子のアブラナ(ナタネ:B. campestris var. nippo-oleifera)とは別種で、明治時代に渡来して急速に広まった。キャベツとアブラナの雑種起源で、種子は黒い。
 芭蕉が「山吹の露菜の花のかこち顔なるや」と詠み、蕪村が「菜の花や月は東に日は西に」「菜の花や鯨もよらず海暮ぬ」と詠んだ”菜の花”は古来のアブラナで、小学唱歌に「菜の花畑に入陽薄れ~」と歌われるのはセイヨウアブラナであろう。

 先日TVの映像で見た淡雪をかぶって咲く下田は石廊崎の菜の花はどちらのナノハナだったのだろう。


February 17、 2007: カワズザクラ
 昨年の今頃は未だ蕾が固かった庭のカワズザクラが今年はすでに三分咲きになっている。
 このところ晴れてはいたが風が強くて冷たい日が続いていたが、今朝は曇天ながら風が止んでいたので、咲き初めの優しい姿を写し撮らせてもらった。
 今年の春は足早に過ぎていく気配だ。

 蝋梅はすでにほとんどが散り落ち、枝に残っている花も褐色に色変わりして萎れている。白梅もまた盛りが過ぎようとしている。
 ミツマタもジンチョウゲも咲いている。

 しかしどうしたことだろう、気がつけば香りが流れてこない。無風だからというのではなく、かすかに頬を撫でるほどではあるが空気の流れは感じられる。
 早く訪れすぎた春には花は香らないのだろうか。花粉を運んでくれる虫たちが少ないと知っての節約だろうか。それとも、私の嗅覚の衰えの証だろうか。


February 17、 2010: トキワサンザシ  Pyracantha coccinea (D. Don) Roem.
 夜来の春の雨に、昨日までは動く気配を見せなかった庭先のカワズザクラの蕾が一つ二つと開いた。当然のことながら、目敏かったのは私だけではなかった。2羽のメジロもさっそく首をかしげてのぞき込んでいた。近寄る私を嫌って彼らが飛び去った先の隣の庭に目をやると、ヒヨドリやツグミのお目こぼしにあずかっているトキワサンザシの真っ赤な実が艶やかだった。
 トキワサンザシは、蜜柑色の実を小枝に沿って密に並べる中国原産のタチバナモドキ(=ホソバトキワサンザシ)とともにピラカンサと総称されているが、スペイン東部からトルコにかけての地中海域が原産地である。しかし、初夏に咲く白い花や冬枯れを彩る赤い実が美しいので各地で栽培されていて、多くの園芸品種が選抜されている。実は小鳥たちの好物でもあり、そのため各地の山野で野生化した株を目にすることができる。

 アフガンのヘルマンド州マルジャでタリバーン掃討作戦を米軍がカルザイの軍や警察を巻き込んで開始したそうだ。懲りないというかわかっていないな~と思う。さっそく、誤爆で子供を含む住民が15人も殺された。


February 18、 2005:  ヤマモモ  楊梅
 今日は24節季の雨水。立春から15日目だ。本格的な春への一里塚だか、朝のうち少し太陽がのぞいてヤマモモの花穂の赤味を引き立てたものの、ほどなく霙交じりの雨天となってしまった。
 
       楊梅の花に雨ふる峠口     丸太 肇

 ヤマモモは暖地性の常緑樹で日本海側では福井県、太平洋側では関東地方以西の沿海部に分布し、中国南部から台湾やフィリピンにもあり、その少し松脂臭い甘酸っぱい果実が食べられている。
 ヤマモモの漢字表記には中国名の楊梅を使う。和名の方は「山の桃」の意味とも楊梅の中国読みのヤンメイに由来するとも云う。
 雌雄異株だが早春に咲く花は雄花雌花ともに花びらがなく目立たないので、身近にあっても開花に気がつかない人が多いようだ。根には放線菌類が共生した瘤があり、マメ科の植物のように空中の窒素を固定できるという変わり者でもある。


February 18、 2012:  オオイヌノフグリ Veronica persica Poir.

 雨水を前にして春雨というには早い、枯野を慰めるような細く柔らかな雨が、バレンタインデーを挟んで降ったり止んだりしていが、今日はよく晴れてオオイヌノフグリが目を覚ました。
 
空は地をかかえこみにしいぬふぐり 柚木紀子
 オオイヌノフグリは明治の中ころから人里の路傍で目につくようになった、知る人ぞ知る帰化植物である。
 ヨーロッパ南部から中近東あたりが原産地といわれ、いまではほぼ世界中に分布しているが、イラン北部が原産で新石器時代にヨーロッパに帰化したと考えられるV. polita E. Fries(2n=24)とコーカサスからイラン原産のV. ceratocarpa C. Myere(2n=24)との雑種の複二倍体(2n=48)だと報告されている。
 花つきが良い草で、厳冬期といえども日の良く当たる畦道などでは、誇張していえば空色の花で地が覆われるほどに咲き満ちる。そして、昆虫がやってきている気配も無いのに、100%に近い花が結実する。日が翳って花が閉じる際に自家受粉するからだという。分布が広まっている割には変異がほとんどないのはそのせいだろう。

 秋に一回発芽するだけなので、冬の間に除草すれば花壇にはびこることは無いが、寒がりの私にはそれができないでいる。 


February 19、 2007: ショウジョウバカマ
 時どき通る切通しの、湿っていて陽のよくあたる場所に群生しているショウジョウバカマの一株がもう咲き出していた。
 ほとんど紅葉しない株もあるが、この個体はみごとに猩々緋に色づいている。この違いは生えている環境、つまり日当たりや土壌成分などによるものなのか、それとも個体間の遺伝子の違いによるものなのだろうか。移植比較実験や交配実験をすれば直ぐにわかることなので、既に誰かが結論を得ているのだろうが、手元の資料やネット検索で調べてみたかぎりでは確認できなかった。
 和名の由来については大方の書籍が「花の色を猩々の赤い顔に、葉の形を袴と見立てたもの」としてある。しかしこの説には釈然としない思いが残る。
 この写真に見られるように”猩々緋に色づいて地表に袴のように広がる葉叢”に由来するものと考えるのが自然ではないだろうか。
 
 バクダッドでは昨日も60人余の民衆が爆殺された。今月だけでも既に200人が。何をおいても先ずは米軍が撤退することだ。
 


February 20、 2005: ハウチワノキ
 ひび割れが十数か所もあるシュラウドだが安全性には問題がないという、にわかには理解し難い専門家たちのコメントを半信半疑で受け止めている逃げ場のない何万もの人たちが周辺に居住する浜岡原子力発電所の近くの丘で、雄花の盛りのハウチワノキに遭遇した。
 本来、こんなところに生えているはずのない木である。翼のある軽い果実は風に乗って遠くまで散布されることはよく知られた植物なのだが、図鑑でで見れば世界の熱帯から亜熱帯に、日本では小笠原や琉球諸島に分布することになっている。
 人の背丈ほどに茂っているところをみれば、芽生えて数年は経ているに違いない。雌花は見つからなかったが雌雄同株ということだからこの地での種子での繁殖も考えられる。これも地球温暖化の証左の一つであろうか。
 温暖化問題といえば、先般発効した京都議定書のことが気にかかる。16日のNYタイムズに出ていた各国のCO排出量のグラフを眺めると日本の約4倍のアメリカは批准拒否、約3倍の中国は発展途上国で削減免除、などなどで結局約束を守るために孤軍奮闘するのは日本だけというのが実情である。なんということだ。


February 20、 2010: ホトケノザ - 2 Lamium amplexicaule L.
 今年の冬は昨年よりはるかに寒い日が多いように感じているのだが、温室効果ガスの蓄積によって年平均気温は確実に上昇しているという。年平均というから、冬の寒さは変動はあるもののさほど変らず、夏季を中心にした高温期の温度が高くなって来ているのかも知れない。いずれにしろ、自己家畜化が進んだ現代人は、おしなべて1℃前後の温度の変化には鈍感になっているようだ。
 だが植物とそれに頼って命を繋いでいる野生の動物たちは、平均気温の上昇に敏感に反応しているらしい。
 例えば、今朝の散歩道に明るく咲いていたこのホトケノザもその一つである。私の記憶では20年ほど前まで関東から中部地方にかけては雛祭り以前にこの花を目にすることはなかったように思う。その頃出版された手元にいくつかある図鑑にも開花期は4~6月と書いてある。
 だが昨今は、日当たりさえよい場所であれば、霜の立つ真冬でも、ちらほらと咲くホトケノザに出合うことができる。やはり地球規模の温暖化は起きているのであろう。その原因は主に人類の活動によって排出されているCOと言われているが、これに異を唱える研究者もいる。しかし、原因が何であるにせよ地球が暖まりつつあるのは確かなようだ。
 そして、その行く着く先は現代の科学をもってすれば想像に難くない。
 しかし、それを教えられても、吾ら人類の大多数の行動は相変わらずである。さて、いかが相成りますことやら。


February 20、 2011: ダルマギク  Aster spathulifolius Maxim.
 冬と春が入ったり来たりの日々だったが、昨日今日と早朝の気温が3月の下旬並みに10℃に近かった。
 とはいえ、厳しい寒さが続いたため庭先のカワズザクラの蕾はかすかに色づいたままだ。
 そして、その株元では、ヒメリュウキンカが一枚の金貨のように輝く傍らに終焉のときを迎えたダルマギクが物憂げに枯れ残っていた。
 ふと、昨今の世情を思った。
 春を購うかのように煌くヒメリュウキンカは中華人民共和国、生気を失ったダルマギクは島国日本のようだ。
 その死に体に近い島国の中で、国の現在と未来を先頭に立って考えるのが仕事のはずの政治家たちが党利党略と保身に夢中である。返済計画も立てないままで赤字国債はなんと900兆円に達しようとしている。税金をあげることしか念頭にないのではないかと危惧する。そして、国債を買っている金融機関や政治家を含む富裕層など、いわゆる資本家たちは、利息で益々太ってゆく。いまここで国の経済が破綻したとしても、貧窮するのはサラリーマンや中小企業の事業主や年金受給者たちだけであろう。
 やんぬるかな。

 


February 20、 2012: ヘクソカズラの実 Paederia scandens (Lour.) Merrill
 昨日は雨水だったが、よく晴れ風も穏やかで春の気配を感じられた一日だった。しかし寒気は居座ったままで、今朝は氷点下4℃になり、数日前の雨にしっとりと潤っていた花壇には3cmほどもある霜柱が立っていた。それでもヒボケが咲き始め、カワズザクラの蕾は色濃くなってきている。
 だが日陰はまだまだ冬の装いで、絡むにまかせておいたフェンスのヘクソカズラの枯れた蔓には、あせた金色の丸い小さな実がたくさん残っている。
 ヘクソカズラの名の由来はよく知られているが、その臭いの元は植物体に含まれるペデロシドという硫黄化合物が分解してできる揮発性ガスのメルカプタンである。これらの物質は昆虫や草食獣から身を守る役をしていると考えられるが、逆手を取っているものもいる。
 ヘクソカズラヒゲナガアブラムシがそれで、伸び盛りの蔓芽にとりつきヘクソカズラが細胞内に蓄えたペデロシドを草汁とともに吸い取り、この硫黄化合物を体内に溜め込むのである。その結果、アブラムシが好物のテントウムシを辟易させて保身を図っているのだという。
          
 岩手県山田町の震災瓦礫焼却を巡って島田市が騒然としたが、反対していた地元の人たちも焼却灰の放射線量がバックグラウンドとほとんど同じだと知って許容するという。良識的・科学的な判断である。だが、これと脱原発とは別問題であることを政治家たちは肝に銘じてほしい。溜まりにたまっている使用済み核燃料無害化の方策すら確定できないのが現状である。


February 20、 2014: シロバナタンポポ Taraxacum albidum Dahlst.
 土脈潤い起こると記された雨水も過ぎ、野はかなり春めいてきた。
 ホトケノザやオオイヌノフグリは立春のはるか以前から陽だまりがあれば花開いていたが、以前に比べて散策の回数が少なくなっているせいかもしれないものの、シロバナタンポポのこのブライダルベールを思わせる花には今朝初めて出合った。

 昔は関西以西にしか分布しないといわれていたこの花を、私がはじめて見たのは大学生になって東京に住むようになった昭和30年のことである。その当時の遠州地方では目にすることができなかったから、自然に西から東へと分布を広げて行ったのではなく、国内帰化とでも表現したらよいのか、近畿から東京へと東海地方を飛び越したのだ。飛び越したのは多分当時の人の移動量の多寡の反映だろう。
 しかし、日本列島の幹大動脈となった東名や新幹線はむろんのこと第2東名も開通した平成の今は、遠州地方でもシロバナタンポポはわが春を謳歌している。
     
 中部電力が浜岡原発4号機の再稼動を原子力委員会に申請した。電力会社も政権も官僚も原子力発電が総合的にみてもっとも安上がりだという。あいも変わらず絶対安全だというのだ。F1程度の被災があってもたいした問題ではないと考えているのだろう。しかし巨大地震に揺す振られ浜岡原発が放射性物質を撒き散らす事態になれば、日本の幹動脈は破裂し日本という国は死ぬに違いない。
 もっとも、その前に反知性主義者や国家主義者が蔓延って庶民はまた英霊への道を歩まされるかもしれない。そうあってほしくはないのだが・・・・・。


February 21、 2008:  ヨモギ
 仁和寺のついぢのもとの青よもぎ
       生ふやと君の問ひたまふかな  与謝野晶子

 いよいよ冬も遠のいていく気配である。
 仁和寺の築地のもとならぬ菊の川の堤に、にこ毛を被って芽生え始めたヨモギの柔緑の絨緞が敷かれていた。
 遠い昔、雛の祭りに供える菱形の草もちを搗くためにこのさわやかな香りを放つ若草をつまされたことを、懐かしく思い出していた。
 そして、鏡開きをした水餅を干して細かくしたものを揚げたかきあられの、あのなんともいえない甘い香りと塩味が口の中に戻ってきたような錯覚を覚えていた。
 あれは戦後間もない、まだ食料の乏しかったころのことだったと思う。

 いざ出でて蓬摘まうよ和ぐさの
      香に立つ摘まばこころなごまむ  若山喜志子


February 22、 2007:  ノジスミレ
  風も止み明るい春の陽射しの中を家人と散策した。ヤブツバキの濃い緑の葉が艶やかに輝き、金色の蕊を赤い衣で抱きしめている温かそうな花に顔を埋めていたメジロが顔を上げると金粉が舞った。
 「あら、もう菫が咲いている」と声を弾ませた家人の足元の枯れ草のなかで微笑んでいたのはノジスミレだった。

 この菫は秋田県から屋久島まで分布しているが、低地の人里に限られているそうだ。スミレとよく似ていて区別に迷うことがあるが、『日本のスミレ』の著者のいがりまさしさんの「花も葉もなんとなくびろびろしていて、だらしない感じがする」と言う説明はうまく特徴を捉えているように思う。
 それにしても、スミレの仲間の分類は難しい。『日本のスミレ』には64種がリストアップされていて、その多くはいくつもの変種や品種に分類されている。しかもそれぞれの分類群の中にさまざまな変異があるようで、正直いって頭を抱えてしまうことが多い。


February 23、 2006:  ネコヤナギ

 今朝も最低気温は8℃だった。雨水を過ぎてからは寒い日よりも春の温もりを感じる日が多くなったようだ。庭のネコヤナギも朝の陽の中で、赤い粉袋を割って金色の花粉をこぼし始めていた。
 風もない日和で、ガーデンテーブルでの10時のお茶のをいただきながら、「三寒四温とはよく言ったものだね」と云うと、「それって冬の最中にいう言葉でしょ」と家人にたしなめられた。半信半疑で、書斎に戻ってから辞書を引いてみて、中国東北部や朝鮮半島北部の冬の気候を言い表す言葉だと知った。越し方を思い返せば、冷や汗が出る。

    継橋のたもとに茂る猫柳花にゆるみし寒さなりけり   尾山篤二郎

 春の椿事という慣用句はなかったかもしれないが、”ホリエモン→献金→武部家次男”のメール騒動は、われらが首相様がガセネタなどという品のない教養を疑われる(すでに疑われて久しいという向きもあろうが)お言葉での応酬もあり、証拠を出せ、いやそちらこそ白状せよ、と盛り上がったものの、言いだしっぺの永田某が、詐欺にあったと自覚したのか敵前逃亡をして、一件うやむやに落着かと思いきや、これまた蒸し返しが始まる気配である。これ、まさに春の椿事である。
 どうでもよいが(いや、よくはないが)、金の亡者が跋扈する現代を生きている庶民には、メールは偽造かもしれないが、その言わんとするところは真実であろう、と思われてもしかたがない。でなければ、次男殿のお父上が、嬉しそうにホリエモンと手を握り合い肩を抱いて「私の弟、いや息子だと思って・・・・」などと絶叫するものであろうか、という次第である。



February 24、 2007:  白花の桃
 クラスター爆弾禁止条約に日本政府は加わらないそうだ。平野隆一・外務省通常兵器室長(こんな部署があるとは、しかも防衛省ではなく外務省に!)は「今回は主に人道的な観点での条約論議だったが、安全保障上の問題について論議がないから宣言には加わらない」との意味のコメントをしていた。私は不明にして知らなかったのだが、なんと自衛隊も保有しているという。だとすると”安全保障上の問題”というのは日本に侵攻してきた外敵を阻止するために必要だということなのだろう。なんという感覚だ。クラスター爆弾で死傷する人々の80%以上が爆弾が炸裂したその土地に生活する庶民であるという明白な事実を当然と肯定していることになる。とんでもない安全保障である。
 内閣支持率からみると日本人の大半がこのように考える政府を支持しているのだ。ほんとうにそうなのだろうか。そうは思いたくない。ただこの事実を知らないだけではないだろうか。
 
 自然から乖離した狂ったサルの一個体である私だが、国家や民族などというものがないことにして一人野に出れば、矛盾なく時の流れに乗って流れる自然の一部である。
 仰ぎ見た青い空のなかに、純白の白い花が浮かんでいた。気候に逆らわずに素直に咲いた白い桃の花であった。


February 25、 2005:  シキミ

  関東地方はまた雪模様のようだが、遠州では久し振りに風も止み、3月下旬のような暖かさだった。
 伊豆方面では既にシキミが咲いているという花友達のブログ情報で、菩提寺のシキミの古木を思い出し、久し振りの墓参がてらでかけてみると、こちらでも既に開花が始まっていた。

  つやつやと樒に厚き丘の上の墓かわくとき何がにほふや    生方たつゑ

 シキミは宮城県以西の日本列島、済州島、台湾、と中国南部に分布している。日本では古代から注目されていた植物で、万葉集や枕草子などにその名が見える。植物全体に強い香気があり、しかもアニサチンなどの強い神経毒を含んでいる。死者を埋葬する際シキミの枝を添えたり仏花にしたりする風習はこのためであろう。シキミの毒性は果実、ことに果皮が強く、「毒物及び劇物取締法」で指定されているほどの危険な植物である。
 日本のシキミを最初にヨーロッパに紹介したのはシーボルトで、Illicium religiosum (人をひきつける芳香があって宗教祭事に使われるという意味を持つ)学名をつけ、『フローラ・ヤポニカ』に美しい絵を添えて発表している。



February 25、 2010:  春の紅葉、ゲンノショウコ Geranium nepalense Sweet
 東京では春一番が吹いて、羽田空港はときならぬ濃霧に襲われ欠航に次ぐ欠航で大混乱だったが、遠州は初夏のような心地よい日和であった。
 野道には草ぐさが萌え、ナズナとミミナグサとハコベの小さな白い花とオオイヌノフグリ空色の花とホトケノザの桃色の筒花が競い合っていた。そして、その側には一冬を耐えて役目を終わろうとするゲンノショウコのモミジのような葉がが真っ赤に染まっている。春の紅葉である。
 そしてファインダーから目を離して立ち上がったとき、これは私の心理状態の異常さだろうが、点在する赤い葉が原野にこぼれた血痕のように見えた。今朝の新聞でアフガニスタンでのアメリカ兵の死者が1000人を越え、タリバン兵士にも住民にも死者が増え続けているというニュースを読んだせいかも知れない。
 12,000kmも彼方のアフガンの荒野を、ラスベガスに近い長閑なクリーチ基地の移動コンテナ内で、偵察機とミサイルを搭載した無人航空機を衛星経由で操縦して攻撃している兵士たちはどんな思いでミサイル発射ボタンを押しているのだろうか。偵察機の愛称がプレデター(捕食者)、攻撃機のそれがリーバー(死神)だという。やはり彼らも狂っている。


February 25、 2011: カワズザクラ-2 Prunus X kanzakura cv. Kawazu-zakura

 4月並の暖かさが2日続いて、固い蕾のままだった庭先のカワズザクラが一気に花開いた。
 ところが、ほとんどの花が傷ついて、形が崩れていた。食べ物の少ない冬を耐えたであろうヒヨドリが目敏く見つけて蜜を吸いに来たため、その花にとっては大きな挟みのような嘴や強い羽ばたきに傷つけられたのだろう。
 少しはなれたところで見ていると、こんどはメジロがチリチリと鳴きながらやってきた。その若草色の小鳥が首をかしげながら注意深く吸蜜する姿はこの花にお似合いであった。

 小さな庭に始まっている春色を楽しんで書斎に入り、TVの電源を入れると、22日にNZのクライストチャーチで発生したM.6.3の地震の惨状が放映されていた。どうしたらこんな崩壊が起こるのだろうと訝しくなるほどの壊れ方をしたビルの中には語学留学中の日本人学生28人が閉じ込められているという。一人でも多い生還を願って止まない。そして、地中海沿岸域のアラブ諸国では、サハラ砂漠から吹く季節外れのシロッコに煽られるように、火と死をともなって独裁的体制の崩壊が始まっている。



February 25、 2013: スハマソウ Hepatica nobilos Schreb. var. japonica Nakai

はるのくるあしたのはらをみわたせば
        霞もけふぞたちはじめける  源俊頼
 平安の世の長閑な春の一景である。
 北国では記録的な大雪が降りしきっているが、遠州の里には光が溢れ、朝にはまだ薄氷が張るものの、庭先に置いたスハマソウの小鉢では、数日前まではうつむいて縮こまっていた蕾が、すっと伸びた花茎の先で3枚の緑の苞葉に抱かれて、俊頼の見たであろう霞のように淡々と咲いている。
 だが、いまや、現世の春の霞の中には、なにやらパンドラの箱から湧き出した、諸々に災いをもたらすものたちが潜んでいるようである。 無論このパンドラの箱は人類の物質・金融文明社会である。

 『進化生物学入門』の再校を終えて、少し気を抜いてTVの報道番組を見ていると、オバマ大統領に就任挨拶に出かけた安倍首相が、会談後の記者会見の席でドヤ顔をして I am back, Japan is back と発言していた。なんのこっちゃ?アナウンサーはあちらの記者たちにも大いに受けたといっていたが、私には嘲笑されたとしか思えなかった。


February 26、 2007: ソラマメ

 明け方の気温は4℃。かなり寒かった。しかし陽が差すとS字曲線的に温かくなり、10時ころには12℃にあがっていた。
 私たちの散歩ルートに点在する農家のエントランスに作られている家庭用の菜園ではブロッコリーの大きな葉が太い葉脈だけを残して、ちょっとしたオブジェのように列を作っていた。ヒヨドリたちのサラダパーティーの名残である。
 しかしその横では肥料のよく効いているに違いないソラマメが緑の垣根のように大きく育ち、その葉陰には薄い桃色の地に血管のような紫の脈が走る、ヘラジカの角を連想させる旗弁を広げた大ぶりの花がすでに咲いていた。翼弁には大きな黒い斑点があるのも特徴で、目玉に譬える人もいる。 
     そら豆の花の黒き目数知れず    草田男

 北アフリカから東南アジアにかけてが原産地というこのマメが日本に入った時期はかなり古いというだけで定かなことはわかっていない。伝説では天平8年(764)で、僧行基が栽培を始めたことになっている。



February 27、 2006:  カワズザクラ?
 市街が眼下に広がる高田ヶ原への登り口にある保育園横の3株の桜が、3月を前にして咲き始めていた。
 ぽってりとした感じの花房が、やや重たげに短枝の先についている。蕾はソメイヨシノより赤味が強く、花柄や蕚には細毛があり、展開した花びらは薄い桃色でふわりとした咲き方である。
 カンヒザクラ以外で早咲きの桜といえば、数日前から開花情報がTVのニュースで流されているアタミザクラやカワズザクラだが、この株は後者であろうか。それとも別の品種か。図鑑であれこれ当たってみたものの、確信がもてない。
 国立遺伝学研究所のHP、遺伝研の桜、を読んでみると、カワズザクラの原木は河津町の飯田家の先代が山から掘ってきたもので、オオシマザクラとヒカンザクラの自然雑種らしい。
 遺伝学の最先端を行っている研究所なのに、遺伝子が詳しく解析できるはずなのに、どうしていまもって”らしい”の域を出ていないのだろう。それぞれの種に固有の遺伝子が捉えられない以上、交雑に起源した分類群の両親種を特定することはできないということだろうか。


February 28、 2005:  フキ 

  卒壽を過ぎてしばらくしてから亡くなった叔母の7回忌法要に招かれての帰路、間もなく傘寿を迎えるという従姉に誘われて、牧之原台地の麓にある日陰という村落で春を探した。
 地形の関係で昼を過ぎれば日が陰ってしまうのがこの村落の呼び名の由来だというが、丘に広がる茶畑の裾の土手には春の陽射しを喜ぶようにフキがあちこちで薹を立て始めていた。

  蕗薹ちさきを択りて摘みとりぬ爪にはさまる土のつめたさ   岡 麓

 東アジアの温帯に広く分布していて、いち早く春の到来を知らせてくれるフキは、一方では春先の貴重な食草として古代からこの列島に生活する人々に親しまれてきた。そのためであろう、食用する部位ごとに名前が付けられていて、例えば信州では広がった葉はフキッパ、葉柄はフキノスネ、花と花茎をフキッタマとかフキンボと呼び分けている。遠州では花茎が延びて花が終わったものをフキノオバケと呼んでいた。
 先年バンクーバーの東方にあるタシメという小さな町で見つけたフキの茂る場所は、第2次世界大戦中の日系移民強制収容所の跡だと教えられた。故郷を偲ぶよすがにとフキの地下茎をはるばる日本から携えてきていたのである。



February 29、 2008:  カワズザクラ と オオイヌノフグリ

 4年に一度の2月29日が巡ってきた。このページは2005年から書き始めたので、その意味では初めての29日である。
 地球の大気圏と水圏の温度が年を追うごとに上昇していて、それと連動するように世界各地で災害をもたらした不規則な異常気象が観測されている。
 私の小さな庭でも草木が年毎日毎の不規則な寒暖の波に翻弄され戸惑っているようだ。
 例えばこのカワズザクラ。昨年は2月の中旬にはすでに3分咲きだったのに今年はまだ蕾の状態である。
 しかし中には逞しい草もあって、オオイヌノフグリなどはその筆頭のようだ。朝には霜に覆われていたのに、陽が射せばたちまち小さな空色のパラボラアンテナを展開する。
 それぞれの命の歴史の違いである。
 地球規模の異常気象とはいうものの、今年このまま氷河期に突入するわけでもなさそうなので、庭のカワズザクラも3月中旬までにはほころんで目を楽しませてくれることであろう。


February 29、 2012: ヌルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehder et Wils.
 4年前の閏年も寒い冬だったが、今年はそれよりも低温の日が多い。気象庁は26年ぶりの寒さだという。
 常緑照葉樹の濃い緑も凍りついたように生気が無く、林縁のヌルデの裸木の枝先には、晩秋の紅葉時には黄色に色づいていた実房が真っ白に脱色されて残っている。
   
おしなべて白膠木の木の実塩ふけば
        土は凍りて霜ふりにけり   長塚節

 白膠木はヌルデのことだが、塩麩子とも塩膚木とも書く。白膠木は幹を傷つけると白い粘り気のある汁(白膠)が出ることに因んだものという。後の二つは冬を耐えて残った、塩を吹いたように白化した実に由来するのかもしれない。
 東は北海道から西はヒマラヤ山地までの広域にわたって分布する有用植物で、日本ではアブラムシ類の寄生によって作られる虫こぶ(五倍子)に含まれるタンニン類をもっぱら染料や薬として利用してきたが、分布の西端のネパールやブータンでは実を生で食べたり酢漬けにしたりする。また、果実を粉末にしてヨーグルトに混ぜ赤痢患者に処方したり、煎じた汁は家畜の口蹄疫に効くと信じられている。


March 1、 2008:  ユキワリイチゲ  Anemone keiskeana

  三つ葉なすうてなの上につつましく
       目をみはりたる雪割草の花   若山喜志子

 歌人若山が詠んだ雪割草はおそらくスハマソウであろうが、この名で呼ばれる早春の花は多い。
 暖温帯から寒帯にわたる積雪地帯で、春一番に雪解けを待ちきれないように萌えて可憐な花を咲かせる草は並べてこの名を授けられているようだ。
 その一つのユキワリイチゲが庭の片隅に忘れられていた小鉢の中で咲いていた。真夏の暑さが厳しいこちらに転居して以来、一度も花を見ることがなかったので絶えたと思っていた株である。
 関西地方から九州の山地林床に群生するキンポウゲ科の多年草で、日本のアネモネの一つであるが、絶滅が危惧されている種の一つでもある。
  昨夜衆院で、ガソリン暫定税率維持を含む租税特別措置法案が強行採決された。このていたらくでは自転車操業のこの国は遠からずパンク転倒することだろう。止める手立てはあるのに情けないことではある。



March 2、 2006:  サンシュユ - 2

 東京での現役生活を終えられて、悠々自適の老後を自然に囲まれて楽しまれている山野草愛好家の従姉から、先々代が植えられたというサンシュユの古木が咲き始めたので愛でに来ないかとの便りが届いた。
 昨日の肌寒い雨模様と打って変わって、今朝は明るい好天となったので、早速お邪魔して写真を撮らせていただいた。昨年に比べると一月ほど遅れての開花である。かほどにこの冬の寒気は深かったということである。とはいえ、春小金花の異名もあるこの明るく輝く花が咲けば、春は確かにそこに来ていることを覚らされる。
 
 さんしゆゆの盛りの枝の錯落す    富安風生

 風化した溶岩のような沈んだ色合いの樹幹から複雑に入り乱れて走る細い灰色の枝と、その先にぼんと弾けて咲いた命の塊のような花の取り合わせは、生と死の輪廻を想起させた。



March 3、 2005: オランダミミナグサ
  今日は桃の節句、野の草たちも日ごとに緑を増し、花の彩りもにぎやかになってきた。アスファルトで固められた道の辺でも、街路樹の根元にわずかに露出している土を覆って、ハコベやナズナやホトケノザなどが咲き始めている。オランダミミナグサもそんな草の一つだ。
 オランダ抜きのミミナグサは、その名前を知らず返事ができなかった子供たちを「おやま、耳がないのね」とからかった清少納言たち平安の女房たちも親しんだ春の草である。葉の形がネズミの耳に似ているので”耳菜草”と呼んでいたのだといわれている。
 しかし近年は、いたるところに生えているといわれてきたこのミミナグサがなかなか見つからない。替わって目に入ってくるのはオランダミミナグサである。このヨーロッパ生まれの耳菜草を日本で最初に見つけたのは牧野富太郎さんで、明治の初年のことだというが、正確な渡来の年代はわからない。

 写真の個体の花びらは2裂しているようには見えないので別種かと疑ったが、そっと花びらに触れると恥ずかしそうに二つに割れた。

 


March 4、 2005:  カラスノエンドウ

 農地用水路の土手に、ホトケノザやオオイヌノフグリと入り混じるようにして元気よく育ったカラスノエンドウが二つ三つと赤紫色の小さな花を咲かせていた。
 カラスノエンドウは烏豌豆と書くが、これは熟した豆莢が真っ黒になることに因んだものである。また、小葉の先端がV字状に切れ込んでいて矢筈を連想させるのでヤハズエンドウの名もある。12枚前後の小葉を付けた複葉の末端は細い髭のような蔓になっていて周りのものに巻きついて身体を支えるのだが、未だ取り付くほどに生長した草がないので所在無げであった。
    壷にさすからすの豌豆くるくると
              鬚ほそぼそし細き鬚蔓    尾山篤二郎

 人里にごく普通に見られる草で、もっぱら家畜の飼料として利用されたが、若い葉や豆は食用にもなる。私が子供のころには、熟して硬くなる直前の未だ緑色をしたこの豆の莢で草笛を作って誰が一番上手に吹けるか競った。びーびーと鳴る程度の笛だったが、春の楽しい遊びではあった。それでこの草は”シービビー”と呼ばれていた。



March 4、 2012:  アオモジ Litsea citriodora (Sieb. et Zucc.) Hatusima

 確定申告のために立ち寄った市役所の一角で、市内在住の愛好者たちによる華道展が開催されていた。
 活花そのものの上手下手は私にはわからないが、池坊流の方が瀟洒な花器に活けた白く香るアオモジがとりわけて美しく見えた。
 青味を帯びた真珠のような蕾がぽんと開くと、純白の花びらと金色のオシベが手品のように現れる。
 早春の茶室に似合う花材として栽培されてはいるが、南方系のクスノキ科の植物で、主に九州西海岸域から琉球列島に掛けて分布している。
 鹿児島県ではミバナとかホーノキなどと呼んでいて、丸い蕾をたくさんつけた枝を正月に神棚や仏壇にかざる。また、雌雄異株であることを認識していて、今は亡き倉田悟さんの『樹木民俗誌』によると、大きな蕾をつけた雌株の枝をアワボー、雄株のそれをコメボーと呼ぶ里もあるという。
 アオモジ(青文字)という標準和名は楊枝を作るクロモジ(黒文字)に似て枝が緑であることに因んだものという。種小名からもわかるように材がよく香るので、クロモジの分布しない奄美地方ではその代用として使い、ヨージギと呼んでいる。

   
 名古屋市長の友好使節団を前にしての“南京大虐殺事件は無かったと思う”発言には呆れて情けなくなった。殺害した市民の数が少なければよいというものではない。30万人も殺さなかったから事件は無かったなどと、政治家にはあるまじき情けなくなる思考回路の持ち主である。
 武力による争いはあってはならない。責めらるべきは、時の軍・政治・経済界の指導的立場にあった人々である。歴史が証明しているように、戦争が始まってしまえば、ほとんどの人間は狂ってしまうのだ。

あちこちで記録破りの雪模様が続きそうですが、明日は啓蟄、いよいよ本格的な春の始まりです
「野の花便り」~早春~「野の花便り」~仲春~」にバトンタッチします
引き続きお楽しみください

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