SHOKA

野の花便り ~ 初夏 ~

日本の初夏は白い花の季節と呼んでよいかもしれません。。
この花綵列島に自生する1000余種もの木々のほぼ四分の一が白系統の花をつけますが、そのほとんどがこの季節を待って咲き始めるのです。
日毎に深まる緑の中で、あるものは吹き渡る薫風に踊りながら、人目を引く鮮やかさで咲き、あるものは五月雨にそぼぬれて、煙るように咲いています。
もちろん、この白い花を引き立てるように、白いウエディングドレスのコサージュのように、数は少ないながらも黄や赤の花たちも咲いてくれるのもこの季節です。

東海地方の野山に咲くそんな花たちをご覧ください。

索引

 アサザ アジサイ アゼナルコ アマドコロ アメリカヤマゴボウ  アンペライ イズハハコ
 イチョウの青い実 イヌツゲ イヌドクサ ウツギの実 ウラシマソウ ウワミズザクラ
 ウワミズザクラー2 エノキ エゴノキ エビズル オウギカズラ オオバイボタ
 オオバウマノスズクサ オオバヤシャブシ オッタチカタバミ オニグルミ オヘビイチゴ
 コウホネ カキ カキツバタ カザグルマ カシワ カズノコグサ カナメモチ ガマズミ
 カモガヤ カラスビシャク カヤ カワラナデシコ ガンピ キュウリグサ キキョウ ギシギシ
 キバナノショウキラン キリ クリ クスノキ クチナシ クロガネモチ コアジサイ コウゾリナ
 コバンソウ コメツブツメクサ コモチマンネングサ ササユリ サラサウツギ サンゴジュ
 シブカワツツジ シモツケ ジャケツイバラ シャリンバイ シラン  シロバナシラン スイカズラ
 スダジイ  セキショウ センダン センリョウ タチシオデ タブノキ チガヤ チガヤー
 チチコグサ チョウジソウ ツルアリドウシ ツルウメモドキ テイカカズラ ドクウツギ ドクダミ
 ドクダミ(八重咲き) トチノキ トベラ ナツグミ ナツミカン ナンキンハゼ ナンテン
 ニシキギ ネジキ ネジバナ ネズミモチ 葱坊主 ノアザミ ノイバラ ノカンゾウ
 ノハカタカラクサ  ノビル ノリウツギ バイカモ ハコネウツギ ハクウンボク ハナミョウガ
 ハマニガナ ハマナデシコ ハンカイソウ ヒトツバタゴ ヒナギキョウ ヒメコウゾ ヒメウツギ
 ヒメジョオン ヒメハギ ピラカンサ フタリシズカ ヘビイチゴ ホウノキ ホオズキ
 ホナガタツナミ? マサキ マツ マテバシイ マユミ マルバウツギ ムクノキ ムシクサ
 ムシトリナデシコ ヤセウツボ ヤマウルシ ヤマグワ ヤマゴボウ ヤマザクラ
 ヤマホタルブクロ ヤマボウシ ヤマボウシの変り花  ユキノシタ  リョウブ
 養老の滝で出合った花 小国神社の森の花 桶ヶ谷沼の花

追加: 
2013/05/08 葱坊主  2013/05/13 キュウリグサ  2013/05/18 クスノキ
2013/05/24 マユミ  2013/05/30 ユキノシタ  2013/06/06 リョウブ
2013/06/29  ウワミズザクラ-2
2014/05/06 ムクノキ  2014/05/13 オヘビイチゴ  2014/05/24 ギシギシ
2014/05/30 オオバウマノスズクサ  2014/06/06 ハコネウツギ  2014/06/09  ノビル
2014/06/20 イヌドクサ
2015/05/10  コウゾリナ  2015/05/18 シロバナシラン  2015/05/30 ヤセウツボ
2015/06/20  エビズル
 

May 1、 2006: ウワミズザクラ

  藤原南家の系譜と伝えられる遠江の国人横地氏が室町時代に築いた山城の跡を草友と歩いた。
 深く侵食された暗い谷間には赤い蕾をつけたハナミョウガが茂り、露出してしっとりと濡れて光る掛川層の裾にはオオバノハチジョウシダやシケチシダなどのシダ類が多く、尾根筋の草むらにではハルリンドウやキンランが花の盛りであった。
 一方、木々の花はと見れば、ヤマザクラはすでに散り終わり、クロバイやノイバラの開花にはいささか間があるこの時期、ウワミズザクラの白い花が新緑の中では人目を引く。
 ウワミズザクラは北海道の石狩平野から熊本県までの山地に分布し、日当たりと水分条件の良い谷の斜面などに多い。『中国高等植物図鑑』には四川省や江西省などにも分布するとあるが、掲載されている図はイヌザクラのようだ。
 材が硬く木理が密で美しいため建材や彫刻に利用される。花の終わったあと、実が未だ緑色の内に果穂のまま塩漬けにして食べることもあるという。
 ちょっと変わった名前だが、上溝桜(ウワミゾザクラ)の転訛だという。その由来は古代に亀甲占いをするとき、この材の上に溝を彫ったことにあるとの説である。また、鹿の骨を焼いて表面に現れる割れ目で吉凶を占う風習があったが、この骨を焼くのに使ったので占溝桜と呼んだものの転訛だともいう。
 遠州地方にはクソザクラとかヘッピリザクラという里呼び名があるが、これは枝を折ったり幹を切ったりするときに出る悪臭に由来する。奥秩父の山里、栃本にはツビヤキという名があり、焚き木にするとぱちぱち弾けて火の粉を飛ばして行儀の悪い女衆を狙い撃ちするからだという。山にこもって働く若い男衆の妄想であろう。



May 1、 2010: ヘビイチゴ  Duchesnea chrysantha (Zoll. et Mor.) Miq.

                            ふるさとの沼のにほひや蛇苺     水原秋桜子

 ゴールデンウイークが始まった。五月晴れの好日に、高速道も新幹線も空路も、故郷や観光地に向かう親子たちで賑わっている。誰もが明るく屈託なく笑い、話し合っている。これからもずっとこんな笑顔が見られる日本であってほしいとつくづく思った。
 「待っているおじいちゃんおばあちゃんと楽しく遊ぶの!」と弾んだ声で答えていたオチビさん、田舎の野道の、小川のほとりに這っているヘビイチゴも見つけてくださいね。
 ヘビイチゴ(蛇苺)という名はずいぶん昔から使われていたようで、平安時代の912年頃に著された『本草和名』には漢名の蛇苺汁の和名は“倍美以知古”とある。日のよく当たる蛇が昼寝をしていそうな畦道や農道の際に這い広がっていることが多いためこんな名がついたのだろうか。クチナワイチゴともいう。クチナワはむろん蛇である。ヘビノマクラという里呼び名もあるが、これは丸くて赤い実(肥大した花托とその上にたくさんの瘤のある赤いそう果を乗せたもの)を枕に見立てたのだろう。
 花も実もよく見ればなかなか可愛いのだが、名のせいで嫌われて、清少納言は『枕草子』の153段ー名おそろしきものなかの一つに“くちなはいちご”を挙げている。遠州には“どくいちご”という里呼び名があり、これも蛇からの連想だろうが、毒があるわけではなく食べられる。だが、美味しいものではない。
 近縁種に花がそっくりのヤブヘビイチゴがあるが、日陰に生えることやそう果の形が違っているので区別できる。

                             蛇苺あたりの草のかげは濃き     原田種茅


May 2、 2006:  ヒメコウゾ


雄花の集まり ウニのような雌花の集まり

    楮さく花のゆかりや国栖の里      鳥波
 
 吉野川の支流の高見川に沿った国栖(くず)の里のような古からの和紙作りとはほとんど縁のなかった遠州の地ではあるが、古代にはその繊維を縄に編んだり紙の原料にしたと考えられるヒメコウゾはあちこちの藪で目にすることができる。だが、江戸時代の製紙産業を支えたといわれるコウゾ(楮)には出合ったことがない。

 典型的なコウゾは雌雄異株で雄花序は長楕円形で、雌雄同株で球形の雄花序をつけるヒメコウゾとの違いははっきりしている。両者が別物だということはすでに小野蘭山を始めとする江戸時代の本草学者には気付かれていて、ヒメコウゾからは良い繊維が取れないことも認識されていた。一方、コウゾについては、元禄10年(1697)に刊行された『農業全書』に見るように10種類以上の品種が識別されていた。
 これらのコウゾはすべて栽培管理下におかれていたことからも分かるように、人間によって選抜されたものに違いない。しかしその栽培がいつの時代に始まったのかは不明であった。
 その後、コウゾの形態変異と稔性の研究を通して雑種起源説が浮上した。つまり、コウゾは日本に自生していたヒメコウゾと繊維源植物として大陸から移入されたカジノキとの交雑によって生まれたものだというのである。カジノキは藤原俊成の短歌などから知れるように平安時代にはすでに広く栽培されていた。人為的に交配した可能性も捨てきれないが、おそらく有史前からその繊維を利用していた人里近くにも生えるヒメコウゾと新来のカジノキの間に自然交雑が起こり、その中からコウゾが選抜され栽培されるようになったのであろう。

 ムラサキウニのような形をした雌花の集まりは梅雨の明ける前に熟して赤い小さな桑の実のようになる。この実を見ると、草木の名を覚え始めた高校時代、先輩にしてやられたことを新入生にも経験させたことを思い出す。
 「この木はコウゾ(当時愛用していた牧野図鑑ではヒメコウゾを区別していなかった)というのだ。この赤い実は甘くて初恋の味がするぞ」
 最近の口の肥えた少年はいざ知らず、当時の純真な高校生は迷わず手を伸ばし口に運んだ。するとその直後、
 「ひどいな~」 とほとんどのものが恨めしそうに顔をしかめる。
 それもそのはずで、ウニの刺のようだった長い花柱が乾いて、気がつかないほどに小さく縮んだ状態で赤い実に残っていて、そのため甘いことは甘いが、もぞもぞとした食感がいつまでも残るのである。
 なるほどな~、といった顔をした少年は、私がそうであったように、すでに初恋に敗れた経験者だったのだろう。


May 2、 2011: カシワ  Quecus dentata Thunb.
   初夏の葉広がしわの青きいろ
              見つゝ睫の青きをおぼゆ     金子薫園

 里桜も散り、日々木々の緑が濃くなって行く中で、ひとり褐変した大きな葉を身に纏い、病気で枯れてしまったのではと思わせるような佇まいだったカシワも、ふと気が付けば若葉姿に変身し、萌黄色の組みひものような雄花を揺らしていた。
 極東に広く分布するブナ科の高木だが、日本では遥かな古代から大きな葉を食器に代用していた。カシワという名も“炊葉(かしきは)”ないしは“食敷葉(けしきは)”に由来するものと言われている。
 緻密な材は船や樽作りなどに利用され、樹皮はタンニンを含むので皮なめしや染色に使われた。
 遠州地方では山地でカシワに出会うことは少ないが、東北地方まで行けば、発達したこの木の林を見ることができる。例えば、柳田国男は下北半島の猿が森から田名部に向かう途中の村境の峠から見た観景を、「・・・・、今一度振り返って東の浜を見た時には、こんな寂しい又美しい風景が、他にもあるだらうかと思ふやうであった。見渡す限りの槲(かしわ)の林に、僅かの村里などは埋れ尽くして居る。・・・・・・」と『雪国の春』に記し、大正13年10月26日に小岩井農場郊外の原野で道に迷って悪戦苦闘した宮沢賢治はカシワ林の中を彷徨い、「・・・・・柏林の中にゐると/まるで昔の西域のお寺へ行ったやうだ・・・・・」と『霜林幻想』に詠っている。

   柏の木ものものしくもむらがりて
               山中に見れば尊きごとし    佐藤佐太郎


May 3、2008:
    養老の滝で出会った花 ~ミヤマカタバミ、イワカガミ、ヤマアイ、タニギキョウ

 『草の友会』の皆さんと「養老の滝」の花々を愛でた。

 酒房の”養老の滝”には飲んだくれていた時代いくたびとなくお世話になったが、親孝行な樵の源丞内にまつわる孝子伝説で名高い、この岐阜と三重の県境に近い滝を訪れるのは初めてであった。奈良時代、元正天皇が酒の湧き出すこの滝の話を聞き行幸したころの佇まいはいまや思い浮かべることも難しくなるように良く整備された公園の行き止まりにその滝は落ちていた。滝のほとりの案内板を読むと、源丞内の孝行話に感動した元正天皇は年号を養老と改め、80歳以上の老人に位一階を授け、孝子節婦を表彰した、とある。医療費高騰に伴う経済的な痛みは老人といえども感じてもらわねば困る(自分たちは老人になってもけして痛みを感じることはない身分だが)と「後期高齢者医療制度」なるものを発足させた平成の為政者とは大違いである。

  断崖の中ほどには30mの高みからほとばしる飛沫に濡れて、今が盛りと輝くヤマブキが揺れていた。

  滝へ登る途中の自然観察路にはさまざまな季節の花があったが、以下はそのうちの4種である。

ミヤマカタバミ(Oxalis griffithii) イワカガミ(Schizocodon soldanelloides)


 清楚な白い花と柔らかな薄い緑の葉のミヤマカタバミ(Oxalis griffithii)は東北地方からヒマラヤまで分布している。帰宅して写真を整理しているうちに、ふと山菜として利用されているのではないかと思い調べたところ、さっと塩ゆでして
冷水でしめたものを芥子ドレッシングで食べたり生ハムそえるとよいということだった。
 木漏れ日のよくあたる岩場ではイワカガミ(Schizocodon soldanelloides)の桜色のイソギンチャクのような花が咲いていた。久しぶりの出会いでうれしくなった。舌をかみそうな学名だが、”細かく裂けたベル+小さな貨幣”という意味で花と葉の形を現したものである。和名は無論岩場に生える光沢のある葉を鏡に見立てたものである。宇都宮貞子さんの『春の草木』には妙高山の麓の平谷あたりではカミナリソウとかソラノバアサンノシリノゴイと呼ぶそうである。名前の由来を知りたいものである。



ヤマアイ(Mercurialis leiocarpa) タニギキョウ(Peracarpa carnosa var. circaeoides)

 数百年は経ているに違いない杉の巨木の根元にはヤマアイ(Mercurialis leiocarpa)が茂っていた。東海地方では比較的目にする機会が多いと聞いたが、私はこちらに来てから始めて出合ったような気がする。
 雌雄異株のトウダイグサ科の多年草で、写真の株は雄株である。近くには雌株もあってころりとした無毛で緑色の実がついていた。中国から蓼藍が渡来する以前の上代には藍染といえばこの草を染料としていた。現代でも皇室の神事新嘗祭に着ける小忌衣はこの草で染めるという。

 山藍の小忌の衣手月さえて雲ゐの庭にいづる諸人     冷清太政大臣

 何処からともなく滲みだしてくる清水にしっとりと潤った岸壁にはタニギキョウ(Peracarpa carnosa var. circaeoides)が咲いていた。やわやわとした小さな草で目敏い人でないとなかなか気がつかないような存在である。
 しかし植物学的は大変面白い種である。東アジアから台湾、フィリッピン、ニューギニアに点々と数100kmから3000kmの間隔で隔離分布していて、原(1947)は5変種に分類した。最近シカゴ自然史博物館のBarnesky,A.L. & Lammar,T.G.(1997)はこの隔離分布に興味を持ち26箇所のハーバリュウムに保管されている72の集団の200個体の38の形態を詳細に解析した。その結果、かれらの結論は長距離の隔離があるにもかかわらず、タニギキョウは細分できず1種とすべきもの、ということだった。
 いやはや種の問題は難しい。


May 3、 2012: ムシクサ Veronica peregurina L.
 八十八夜が過ぎ、にわかに初夏の気配が濃くなってくると、草の茂りも日ごとに深まる。

 さして広くもない庭ではあるが、アメリカフウロソウやヨモギやタチイヌノフグリやヒメコバンソウなどなどで埋まっていくのを放置もできず、屈みこんで草取りを始めたところ、直径が2mmにも満たない白い花をぽちぽちと咲かせた、やや肉質で草丈10cmほどの植物が目にとまった。歩いている目線ではまず気がつくことはないだろう。
 イヌノフグリなどと同属のムシクサであった。日が翳ればやはり仲間と同様に花を閉ざす。
 普通は湿り気の多い田や畑に生えるので、小砂利を敷いた庭先で見つけたのは意外であった。アジアからオセアジアに広く分布しているが、日本のものは史前帰化植物だと考えられている。

 ムシクサという和名は果実にゾウムシの1種の幼虫が宿り、よく目立つ虫瘤ができることに由来するらしい。 抜き取らないで様子をみることにした。
  
  今年は景気のよいところは9連休とかで、産土を放射線に追われ“帰りたくても帰れない”人々のことなど忘れはてたように、マスメディアも政治家も浮かれているように見える。大臣たちは喜々として外遊しているが、計画的避難区域と名づけ線でかこった地を視察し考察している姿を目にすることはできないようだ。
 住まうことのできない国土をつくってしまったことを、その原因をうやむやにして、“一億総懺悔”的方向にもっていこうとしているようだ。



May 4、 2010: カヤ Torreya nucifera (L.) Sieb. et Zucc.
  ふくろふの宵々なきし榧の樹の
        うつろもさやに照る月夜かも   長塚 節
 連休のさなかである。取り分けての観光資源もないこの里は、いつもに増して音がない。月明かりに浮かぶ黒い森から聞こえたホーホーというアオバズクの声も絶えて久しい。
 新緑が萌えたち椎の花の香りが流れる丘を巡る散歩の途中、ひと気の絶えて静まりかえった八幡神社に立ち寄った。その境内の榧の大木にも花が咲いていた。今まで気にも留めていなかったがこの老木は雄株だった。長の歳月、来る年も来る年も、初夏の風に乗せて花粉を飛ばしてきたのだろう。イチョウの場合は10km先にも届くといわれているものの、カヤの花粉がどれほどの距離を運ばれるのか知らない。だが、どこかで子孫が育っているに違いない。もっとも老木にとっては、子も孫も曾孫もかかわり知らぬことではあろうが・・・・・。
 平安時代には加倍(かへ)とも呼ばれたカヤは、古代から有用樹として認識されていて、その実は食糧にされ、搾った油は整髪にも使われた。また、硬くて腐りにくい材は建築や細工物などに広く利用されてきた。ことにこの樹から作った将棋盤と碁盤は高級品として珍重されている。


May 5、2008: 小国神社の森の花
     ~ハルリンドウ、ナベワリ、タチシオデ、ハナイカダ、ヤブウツギ、ヤブデマリ

 静岡植物研究会の皆さんと遠州森町の小国神社の社寺林の植物を観察してきた。
 たくさんの植物に出会えてうれしい一日でした。さっそくにその花たちを紹介しようと書き始めたのですが、なんと10年ぶりに性質の良くない風邪にかかってしまい、発熱、咳、痰、頭痛と眼痛にダウンすることになり、PCに向かう気力が失せつつある。
 というわけで、写真と種名だけをUPさせていただき、詳しいことは回復後ということに・・・・・・。 

ハルリンドウ(Gentiana thunbergii) ナベワリ(Croomia heterocepala)


タチシオデ(Smilax nipponica) ハナイカダ(Helwingia japonica)


ヤブウツギ(Weigera floribunda var. floribunda) ヤブデマリ(Viburnum plicatum var. tomentosum)


May 6、 2006:  ヒメハギ
 今日は立夏。市内の広報用のスピーカーからは朝晩の時報代わりに文部省唱歌「茶摘」が流れている。
 例年よりかなり遅れていた一番茶摘がこのあたりでも本格的になってきた。製茶工場からは甘い緑の茶葉が放つ香りが漂い、ミカンの花の香と交じりあう。
 冬季の寒さと乾燥を防ぐために茶畑の畝の間に敷く笹を刈り取った跡の、やや渇き気味の丘には、食べるには育ちすぎた早蕨が残り、すくっと立ったキンランは金の小粒のような花を咲かせ、もうずっと以前に花時が過ぎて今では逞しいほどにしっかりとした花茎の先にいくつもの実を結んだショウジョウバカマも多い。枯れ草の間からハルリンドウの空色の盃が覗き、その写真を撮ろうと屈むと「わたしもお願い」とヒメハギが囁きかける。
 小さな、うっかりすると見落としがちなヒメハギの花だが、よくみれば不思議な姿の花である。紫色の左右に広がったものは5枚あるガクの一部で、白い口髭のようなものが3枚の花弁の一つである。しかしこの構造はどんな役目をしているのだろう。やはりこの口髭に魅了される昆虫がいるのであろう。


May 6、 2010: マツ Pinus densiflora Sieb. et Zucc. + P. thunbergii Parlatore


 狂った千恵子は口をきかない/ただ尾長や千鳥と相圖する/防風林の岡つづき/いちめんの松の花粉は黄いろく流れ/五月晴れの風に九十九里の浜はけむる/・・・・・・

 松の花粉を浴びながら、いつまでも立ち尽くしていたのは、もう天然の向こうへ行ってしまった千恵子の、その後ろ姿を見つめつづける、高村光太郎であった。
 5月のマツは、青緑の針葉にかこまれた多数の黄色の雄花を花軸に沿って螺旋状に並べ、その軸が空に向かってすっと伸びた“松の翠”の先端に、数個の薄紅色の小さな雌花を咲かせる。
 このマツほど日本人の生活に深くかかわってきた植物は、あまりその例を見ない。
 古代の人々は白砂青松の世界ですなどりし、神々がこの常緑で精気あふれる香を放つ樹に天降りたまうのを待ったし、天平時代の平群氏郎女は「松の花花數にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつ」と越中守大伴宿禰家持の愛を待ったのであった。
 マツを祭る風習はいまも各地に残る。祭られる神が年神である場合、その依代であるこの樹を山に伐りにゆくのが“松迎え”であり、こうして“門松”や“拝み松”が立てられる。また、『徒然草』にもあるように、鎌倉時代には「家にありたき木は松」といわれるようになり、それは“門冠り松”や“見越しの松”など、日本の庭園に欠かせぬ木となった。さらに、長寿・隆盛の象徴としてのマツは、俵屋宗達の描く「松図襖絵」に代表されるような“金屏と青松”の美意識を生みだしもした。
 いっぽう、“結び松”の習俗も古くからあり、絞首される運命にあった有馬皇子が「盤代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」と願ったように、万葉の時代はすでにおこなわれていた。
 松の花粉の流れる砂丘で、光太郎もまた、遠くへ去ってゆこうとする千恵子の心を、九十九里の浜の松が枝よ、しっかり結びとめてくれ、と祈っていたのかもしれない。

               松の花ちるべくなりて朝あつし春蝉のこゑしづかにそろふ     吉植庄亮
       


 普天間問題を載せた鳩山丸が案の定座礁した。どうも計画的座礁のように思える。日本列島に住む人々は、この荷をどの島に下ろすことも強硬に反対するから、米国さんが引き取ってくれと交渉を始めるのではないだろうか。そのかわり、日本は9条を廃棄して近隣とのバランスを保つため軍事強国の道を歩くからよろしく、そして日本国民もそのつもりで・・・・という方向に持ってゆきたいのではないだろうか。垂れ流される脳天気なバラエティー番組で笑わされているうちに、歴史が繰り返され始めたよう気がする。 



May 6、 2011: オニグルミ 
      Juglans mandshurica (Maxim.) var. sachaliensis (Miyabe et Kudo) Kitamura

 立夏の朝にふさわしい明るい日差しを背に浴びて常葉の丘に登った。
 桜並木の左手の崖下のグラウンドからは、朝錬中らしい女子高生たちの元気のよい掛け声が聞こえてくるが、姿は葉の茂みに遮られて見えない。
 その並木の尽きるあたり、黄緑の若葉を広げ始めて木漏れ日を散らすオニグルミの古木が佇立していた。振り仰ぐと灰色の細い枝からは子羊の尻尾のような雄花の穂がいくつも下がり、はるか高みでは蛾の触角のような赤い柱頭をつけた雌花の花序が柔緑の褥から陽を求めて立ち上がっていた。
 オニグルミはサハリンから九州にわたる山地の沢沿いに分布し、極東大陸のマンシューグルミの変種ないしは亜種として扱われている。縄文時代のほとんどの遺跡からクリとともに出土し、古代から重要な食料であったことがわかる。むろん、登呂遺跡など弥生時代の遺跡からも出土していて、稲作が広く展開されるまでは欠かせない食糧の一つであった。
 常葉の丘の周辺には古墳もいくつかあり、鏃などもたくさん出土している。この丘のオニグルミはそんな時代からの生き残りかもしれない。
      

 先ほど、緊急記者会見で菅総理が浜岡原発の4・5号炉を含むすべての停止を中部電力に要請した。3号炉の再起動を許可しない程度でおわるに違いないと思っていたので、20km圏に居住する身としてはこの英断を諸手を挙げて歓迎したい。



May 6、 2014: ムクノキ Aphananthe aspera (Thunb.) Planch.
 たまたまに花をもちたる椋の木の
       梢は軒にとどかむとすも  松村英一

 今まで通ったことのなかった丘の急坂を、少し息を切らせて登っていくと、ふつうは遥か頭上の葉の茂みの中に隠れ目に留まることがないムクノキの花が眼前にあった。
 根元は坂下にある古木の梢が、細道に垂れかかっているのだった。
 5枚の萼片と5本の雄蕊だけからなる何とも地味な小さな花の集まりである。その集まりの先にある茶色の虫のように見えるのが雌花である。
 ムクノキ(椋)は関東地方以南から台湾、済州島、中国南部の低山帯に分布し、同じニレ科だが別属のエノキ(榎)と混同されやすい。
 実を見比べれば違いは歴然なのだが、葉の形や樹形が似ているからであろう。
 そこで、「榎の実ならばなれ木は椋の木」とか「椋はなっても木は榎」と、どこかの総理大臣殿にもあてはまりそうな諺が生まれた。江戸時代の寛永15年(1638)にでた『清水物語』をみると“自分の主張をなにがなんでも譲らない強情者”の喩に使われている。
 現代の強情者の威勢の良い言説に心惹かれる戦後世代が多くなってきた。憲法記念日の朝日新聞オピニオン欄に作家の小林信彦さんが寄稿した、「今この国はどこにあるのか」という論説は、先の愚かな戦争に狩り出され翻弄された庶民の姿を、自らの経験をもとにやさしく説いている。日本という国の庶民はいまルビコン川のほとりに立たされている。やはり、人々は 「絶望の真実より希望の嘘を信じる」のであろうか。心配である。


May 7、 2007:  イズハハコ
駿河湾から焼津の市街を越え、朝比奈川の流れに沿って吹き上がってくる薫風が無腸の鯉を泳がせている”玉露の里”でイズハハコに出合えた。

 南アメリカが原産地の帰化植物のアレチノギクやオオアレチノギクと同じキク科イズハハコ属(Coynza)の1種で、日本では関東地方以西の海辺に近い山地に自生しているが、中国から東南アジアを経てアフガニスタンあたりまで分布している。
 花が咲いていなければ痩せたハルシオンと間違えそうなひょろりとした草姿であるが、花そのものもまことにじみで、教えてもらわなければ気づかずに通り過ぎるところであった
 ところがこの植物は環境省レッドデータブックに絶滅危惧Ⅱ類の一つとして登録されている。
 美しい山草として乱獲の憂き目にあっているとは考えにくいが、何がこの種を絶滅に向かわせているのだろう。
 それほど特殊な生育環境を要求しているようにも思えない。他種との競合があるのだろうか。


May 8、 2008: シラン (Bletilla striata)
   うしろ向き雀紫蘭の蔭に居り
        ややに射し入る朝日の光     北原白秋

 喉に痛みはまだ残るものの風邪の具合が少し良くなり、微熱も去ったようなので何日かぶりに朝の庭に出た。すっかり緑が濃くなり、ヤマボウシの苞も大分伸びて白くなり、蜥蜴が走り出した庭石の蔭ではシランが花の盛りになっていた。
 シランはかつてはこのあたりの丘陵ではどこに入っても目にすることができるほどありふれた存在だったが、宅地造成や茶畑の拡張で丘陵地が切り刻まれた近年では、運がよければ出合えるところまで減ってしまった。それでも性の強いランで、何とか生き残ってはいる。白花の個体も稀ではなく、JR東海の在来線の切通しの斜面一面に咲いていたのを見た記憶があるのだが、無論今では幻である。
 話は替わるが、今日の朝刊を見ると、日本の国債が急落し始めたとあった。いまのところ外国資本が買っている額は大きくないようだが、700兆円も発行されている債券が紙くずになってしまう日が近づく足音を聞いたような気がした。


May 8、 2009: ツルウメモドキ Celastrus orbiculatus 

 数年前からアメリカで問題になっていた、原因が特定できていないミツバチの大量死が今年は日本でも起こり、果樹や野菜のハウス栽培農家が困惑している。
 そういわれてみると、庭の花にやってくるミツバチの姿をほとんどみかけない。ミツバチだけでなく訪花する昆虫そのもの総数が減っているように感じる。
 人類による環境汚染が昆虫たちの生存をも脅かしているのだろうか。それとも彼らは何事かを予感してどこかへ非難しているのだろうか。
 人類もまた次々と性質を変えるインフルエンザウイルスに右往左往している昨今である。
 家人は、子供の頃に細胞に取り付いて水疱瘡を発症させたヘルペスウイルスが暴れだしたための帯状疱疹に、今ベッドで苦しんでいる。運悪く唇と口腔をふくめた右下顎部に水泡ができたため食事がとれず、点滴による栄養補給を続けている。痛みは想像を絶するほどらしい。
 一日も早く自力で食事ができるまでに回復することを願っている。

 このツルウメモドキの花を舐めにきたミツバチはどこから来てどこへ帰るのだろう。
 ニシキギ科のこのつる性の植物は北は南千島から南は沖縄にわたってこの長い花房のような日本列島の山地に自生している。樹皮や蔓の繊維が強いので物を縛るのに昔から利用されてきた。アイヌ語ではハイプンカルというが、これはこうした蔓の性質を表わしているそうだ。 


May 8、 2013: 葱坊主  Allium fistulosum L.
 泊まることにしてふるさとの葱坊主   山頭火

 霜が降りたのではと思ったほど冷たかった朝も、陽が上がればたちまち初夏の気に充ち、抜き忘れられたネギに白い花玉が輝き土が香りたった。
 いつのころからだろう、この花玉を親しみを込めて(と私には思えるが・・・)“葱坊主”と呼ぶようになったのは。
 日本中に大小さまざまな仏寺が建立されて僧侶が庶民と親しく接するようになってから生まれた呼名のような気がするが、いかがだろう。
 ネギの原産地のセンターは中央アジアで、おそらく中国の西部で2000年以上前に栽培され始めたらしい。その後各地に広まり、今では世界中で多様な品種が作出され利用されている。平安時代の『本草和名』に大陸で“葱”と呼ぶものの和名は“岐”だとしているので、日本には奈良時代までには渡来していたと考えられる。だが記紀に記録はなく、万葉集にも詠われていない。

 時間からこぼれてゐたり葱坊主   橋 閒石
    
 朝日新聞朝刊「オピニオン」に内田樹(たつる)さんが寄稿した『壊れゆく日本という国』という論稿は我意を得たりであった。グローバル企業の利益は企業本体と投資者の利益であってけして国民国家の構成員(庶民)のものではない。それを国の利益のようにマスコミや為政者は言い募ってごまかしているのが現状である。ことあるごとに「できないなら日本から出てゆく」と叫ぶグローバル企業の恫喝に屈して(庶民をその気にさせて)政治屋とその腰巾着は原発を再稼動させもろもろの便益を与えている。そしてこのごまかしを庶民の目からそらすため、安倍政権は隣国との確執をあおり、「主権回復の日」なる式典を強行し、天皇皇后を臨席させた上で「天皇陛下万歳」とやった。まさに“壊れゆく日本という国”である。


May 9、 2006:  カナメモチ
 お向かいのカナメモチの生垣に、真っ白な花が咲き始めた。
 昨年までと違って、薄く埃を被った赤い新葉が、少し乱雑に伸びるに任せてあるのは、寒さもやや和らぎ始めた春分の夜に奥様が倒れ入院され、それ以来ご主人がほとんど付ききりで看病されているせいであろう。花の咲いているうち退院できるようにと祈らずにはおれない。

 灰色に埃かゝれるかなめ垣
         うるほふ雨に矢来を通る   木下利玄

 カナメモチは東海地方から九州の山地にかけて自生するが、古代から庭木や生垣として植栽されていて、『枕草子』の40段にも”そばのき”の名で登場している。清少納言は桜も桃も散りはてた新緑の中で、まるで時はずれの紅葉のような赤い新葉がめだつところが珍しいという。”そばのき”は白い花が”蕎麦の花”に似ているが故の名であろう。
 材質は非常に硬く、昔は農機具などに加工されていたという。カナメは扇の要にしたからとか。モチは葉がモチノキのそれと似ているからである。


May 10、 2007:  アゼナルコ

 最低気温が14℃前後となり、一昨日から家人との早朝の散歩を始めた。
 秋の野と違って、初夏の朝の野では露を見ることがない。夜間の冷え込みが緩やかになった証しである。
 川沿いの土手にはスイバのレンガ色の花穂とアカツメクサの柔らかな桃色花とノアザミのしゃきっとした赤い花が目立つ。しかし、その気になって視線を走らせれば、草の茂みでひそやかに咲く花たちも少なくないことがわかる。
 今日であったのはその一つ、アゼナルコであった。
 本州以南に分布し、中国から東南アジアでも目にすることができる。
 和名は畦道に多く鳴子を連想させる草姿に因んだものだが、そのように説明されても、”畦”?”鳴子”?と困ったような顔になる若者が多いのが昨今である。
 畦や鳴子という言葉を聴いただけで、私などは時の彼方に過ぎ去った懐かしい風景を思い浮かべることができるが、そんなものを目にしたことない彼らにはまさに異次元の世界の話であろう。



May 10、 2012: ニシキギ Euonymus alatum (Thunb.) Sieb.
  錦木のこまかき花の散りしより
     しどろに春は老いにけるかな  宮 柊二

 晩春と初夏が行ったり来たりの連休が終わった。リコリスの葉も茶色に変わり溶け始めている。
 牛渕川の源流に近い牧の原台地の西面の山道を歩いていると、満開のニシキギを見つけた。黒い土の上には、その小さな薄緑色の花が散り敷いていた。
 カメラを寄せ、レンズが葉に触れると、4弁の花はほろほろと零れた。
 極東アジアの山地に広く分布している落葉低木で、花は目立たないが秋に真赤に紅葉する葉のみごとさと古い茎に張り出してくるコルク質の翼の面白さのため室町時代までにはすでに庭園で植栽されていた。もっとも中国では枝にできる翼の形が矛に似ているので、古代から“衛矛”の名で呼ばれ、呪術に使われていたというから、日本でも奈良時代にはすでに注目されていたのかもしれない。
 『枕草子』の「花の木ならぬは」にあげられている“たそばの木”がニシキギだという説もあるが、これはカナメモチだという人の方が多い。
   
 一審で無罪判決が出た小沢一郎が控訴された。この結果を待たずに党員資格を復活させた民主党は揺れ動いている。
 何も決められない政治家が舵を取る、すべて停止した50基の原発と大量の使用済み核燃料を乗せ、無数の活断層でひび割れ、竜巻までをもともなう異常気象のなかを航海する私たちの乗っている日本丸の命運やいかに・・・・・・?


May 10、 2015: コウゾリナ Pieris hieracioides L. subsp. japonica (Thunb,) Krylov.
 フィリピン沖に迫った台風6号は進路を東に変えて列島にそって北上し始めたらしい。そのため天気は下り坂となり、かなりの降雨が予想されるというので、日ごとに緑濃く茂ってゆく丘陵に続く道を歩いた。
 草原の中ではハルシオンの白や薄紅の花が圧倒的に咲き誇るが、ところどころに金貨のように輝くコウゾリナが人目を引いていた。

 日本全土に分布していて、いくつもの地理的変種が記載されている、いわゆる土着の植物なのだが、少年時代を過ごしたかつての遠州では少なかったのか、大学生になって植物学を学ぶころまで、私は帰化植物だと思い込んでした。
 コウゾリナという標準和名は葉がざらざらして硬い、いかにも手が切れそうな感触に由来することは直ぐに理解できるが、さまざまな里呼び名には何に因んだものか悩むものも少なくない。
  昔泊まった戸隠の宿坊の方から、甲信地方ではガンボウジと呼ぶことを教わったが、その意味は“ぼさぼさ頭”ということで、花が終わったあとのほほけた実の集まりに因んだものだろうということだった。漢字表記すれば願人坊主だそうだ。柳田國男は“おかっぱ頭”の意味だという。
 ざらざらとした茎や葉は、かつてのこの地方の子供たちには格好の遊び道具で、ヤエムグラ同様に投げ合って着物に張り付けて楽しんだそうだ。

      
 米国の日本研究者らが5日に公表した日本政府へのメッセージの内容と同様の危惧を抱き表明してきた日本人は少なくないように思うが、安倍総理とその追従者や賛同者には無視され、場合によっては恫喝さえされてきた。今回の米国の研究者たちからの呼びかけには今のところ政権側からの表立った反応が見えない。やはり無視か。韓国や中国への呼びかけも含まれていたが、両国からも反応がないようだ。それでも、私には東アジアがきな臭くなって発火点が近づいてきたと感じている。戦火が絶えないホモ・サピエンスの社会はこの種が絶滅するまで続くのだろうか。


May 11、 2010: タブノキ Machilus thunbergii Sieb. et Zucc.


              たぶの木のふる木の杜に入りかねて木の間あかるきかそけさを見つ     釈 迢空

 掛川から大須賀に抜ける林道では、ノダフジが樹上で揺れマルバウツギの雪のように白い花が咲き零れていた。
 昭和53年に竣工した小笠山トンネル出て、すぐ右手の、急斜面に茂る林の中の小道を登り尾根に出ると、ソヨゴには黄緑の、タイミンタチバナには赤銅色の新芽が吹き、[危険]表示がある痩せ尾根のから見下ろす谷間ではタブノキの古木が真っ赤な花と見まがう新葉を展開していた。
 タブノキは北海道を除く日本列島の沿海部と韓半島南部、中国南部に分布するクスノキ科の喬木である。高みに咲いてなかなか見る機会はないが、地味だが味のある薄緑の花で12本のオシベがある。
 中南米原産のアボカドに近縁で、研究者によってはアジアの熱帯・亜熱帯が分布の中心となっているタブノキの仲間をアボカド属(Persea) に含める。
 有用樹で、材は建材や舟材などに、樹皮は潰して練ると粘るので線香を作るときの繋ぎにしたり、タンニンが多いので染料にした。中国では紅楠と呼び、樹皮は筋肉痛に薬用し、種子を搾って香油や潤滑油を採った。
 和名の由来については諸説があるが、倉田悟は、大木に育ち古来樹霊信仰の対象となっているので“霊(たま)”が“たも”を経て“タブ”となったと考え、中田薫や深津正は丸木舟を意味する“ton-bai”という韓国語が“ta-bu”となったのだろうという。いずれが正鵠を射ているのだろう。タマグス、タマツバキ、タマノキ、タモ、タモノキなどの里呼び名が各地に残ることを考えると、私は倉田説に手を挙げたくなるのだが・・・・・。 

 真偽のほどは私には判断の下しようもないが、北朝鮮沿岸近くのベンニョン島(Baekryong Isl.)で爆沈した「天安」についての面白い話が http://tanakanews.com/100507korea.htm にあった。米国の原潜も近くに沈没しているという。韓国軍ー米軍との間に起こった深刻な事故だという。このような報道に日本の政府やマスコミがなんのコメントもしないのは、アメリカから規制されているからだろうか。



May 12、 2011: タチシオデ Smilax nipponica Miq.
 鹿島神社境内の林床に薄緑の小花を手毬状に集めてタチシオデが咲いていた。
 かつてはユリ科に入れられていたが、いまではサルトリイバラなどとともにシオデ科シオデ属としてまとめられている。雌雄異株なので雌株を探したが、目に入った株はいずれも雄花をつけていた。
 ところで、この株はほんとうにタチシオデで間違いないのだろうか?しみじみとながめているうちに迷いが生じてしまった。
 図鑑や検索表からえた知識では、タチシオデがよく似たシオデと異なる形質は花被片が反り返っていないことと葉柄が長いことなのだが、この個体はどちらかといえばシオデ的である。
 しかし、花期が5月であることと葯が小さく球形に近い点ではタチシオデである。草姿も立ち上がっている。やはりタチシオデなのだろう。とはいえ、葉の幅が典型的なものに比べてずいぶんと狭い。まさか雑種というわけではないだろうが、これから気をつけて観察してみようと思う。


May 13、 2011:  スイカズラ  Lonicera japonica Thunb.
 さみだれの雨間風なきうす日でり
         香にたちて咲く忍冬の花    岡 麓

 台風1号は熱帯低気圧となったが、発達した不連続線が太平洋上に停滞したため夜来30mmほども降ったが、明け方には止んで、眩しいほどの初夏の日が射した。
 庭に出ると薄紫の蕾の上がったセンダンの枝に絡んだスイカズラの蔓に、一列に並んだ小さな白い踊り子たちのような花が咲いていた。雨上がりで気温も低いせいだろう、あのむせるような甘い香はなく、顔を寄せるとかすかにレモンに似た爽やかな香がした。
 中国では忍冬と呼び、古代から解熱消炎の効のある薬木として利用していたが、日本では、平安時代の『本草和名』に和名“須比加都良”とあるように、薬というよりは花筒の底に溜まった蜜の甘さに惹かれていたようだ。
 時は流れ、幕末に来日したスウェーデン人のチュンベリーは、長崎でこのスイカズラに出合い、Lonicera japonica と命名して、その花姿と香のすばらしさをヨーロッパへ紹介した。
 それ以後世界各地に移入されたものの、近年ではその種子と地下茎による旺盛な繁殖力のせいで駆除困難な強害草にランクされるようになった。ことに北米での拡散速度はすざまじく、1970年当時はマサチューセッツ州からテキサス州までの東部地域に限られていたが、2000年にはカリフォルニア州にまで広がっている。
        
 今日、浜岡原発の4号機の炉心に制御棒が挿入され、原子の火が消えた。明日は5号機も止まるはずだ。使用済み燃料棒が冷却プールに残る問題はあるが、それでも福島の惨劇が繰り返される恐れがなくなったことは喜ばしい。今後は原発関連で生計を立てていた人々の救済が速やかにおこなわれなければならない。政治家たちの腕の見せ所だろう。



May 13、 2013: キュウリグサ Trigonotis peduncularis (Threvir.) Benth.

 胡瓜草揉みては嗅ぎぬ石垣の
        石の隙よりほそく垂りたる   谷 鼎
 どこが胡瓜に似ているのだろうと不審顔の少年に、この草の名を教えてくれた先生が「葉や茎を揉んで潰すと胡瓜のような臭いがするからだよ」といった。少年はさっそくその通りやってみたが、草の臭いがするだけだった。それでも少年はなるほどとわかったふりをした。先生は満足そうだった。少年は良い子だったのだろうか?
 そのとき以来、この草に出合うと私は思い出したように指先を汚して臭いをかいで見るのだが、いまだに納得できないでいる。
 粟つぶといはむ蕾のひらきては
            空色の花さかす雑草   谷 鼎
 アジアの暖温帯に広く分布しているムラサキ科の越年草である。くるりと巻いた花茎に押し合うようにして並んでいる蕾はまさに粟粒のようだが、ぱっと開いた小さな小さな花は、あの勿忘草の空色である。
 花の色は青いのに、何故に紫科なのだろうと、不審に思う人も少なくないかもしれないが、この科名は花の色にはかかわりなく、万葉集にも詠われた、根から紫の染料をとったムラサキに因んだもので、キュウリグサもその仲間だということである。

        
 J.ダイアモンドの新著『昨日までの世界~我々は因襲的な社会から何を学ぶことができるのか』を読みはじめた。プロローグで“国家とはそもそもなにか”を解説しているが構造論にとどまっていて、いささか期待はずれではあったが、目次を追ってみるとなかなか面白そうで、目から鱗的な刺激がもらえることを期待して読み継ごう
 話変わって、今日の橋下維新の会代表の‘慰安婦は戦場の必需品’的な発言には気分が悪くなった。半世紀ほど昔、大陸でのやりたい放題の行状を自慢げに話す復員兵士と酒席をともにしたことがあったが、橋下氏のような若い世代の中にも悪夢が住んでいるのは悲しい。
 もう一つ、「侵略の定義」については学術的な論争があるという話にも驚かされた。学術的ではなく感情的にはの間違いだろう。


May 13、 2014: オヘビイチゴ
         Potentilla sundaica (B.) Kuntze var. robsuta (Franzch. et Savat. ) Kitag.
         P. kleiniana Wight. et Arn. subsp. anemonefolia (Lehm.) Murata
 カラスノエンドウが黄ばみ始めた野道ではスイバやノアザミの背の高い花が目立ち始めたが、そんな草々のかげに隠れるようにしてオヘビイチゴが咲いていた。
 本州、四国、九州のやや湿った路傍の草地でふつうにみられるバラ科の多年草で、大陸にも分布している。地表を這うように生えるよく似た仲間が多いので、里呼び名には他種と重複するヘビノイチゴやキジムシロなどが知られているが、5枚の小葉が目安となる。
 中国では蛇含とか五爪竜など呼び、全草の煎じ汁は虫刺されの解毒や咳止めや止血の薬効があるという。

 中国といえば、昨今の共産党のやり口はいささか度を越している。ここまでやらなくては体制が維持できないのだろうか。彼らが非難し続けてきた帝国主義そのものではないか。一方、面子をたてに、虎の威を借りて角つき合わすような日本政府の対応も、まるで悲劇の幕を開けようとしているかのようだ。


May 14、 2006:  桶ヶ谷沼の花

 静岡県西部、磐田原台地にベッコウトンボの生息地として知る人ぞ知る桶ヶ谷沼がある。今日はその沼と隣接する鶴ヶ池を取り巻く自然環境保全地域の花々を植物研究会の皆さんと楽しんだ。
 池沼を廻る自然観察路は水辺とよく茂った照葉樹が優占する林の間を縫うように設置されていて、さまざまな植物を目にすることができた。

アンペライの群落

アンペライの花

コウホネ

 池沼にはアンペライが水面のかなりの面積を覆い隠すほどに茂り、その周りにコウホネやノタヌキモなどの水生植物が辛うじて花を咲かせていた。
 アンペライ(Machaerina rubiginosa) とは奇妙に聞こえる名で、初めての人は帰化植物に違いないと感じるようだ。だが、本州の太平洋側から東南アジア、オセアニアにかけて広く分布するカヤツリグサ科の植物である。名の由来は同じ科の熱帯に分布しているアンペラソウ(Lepironia articulata)に似ていてしかもイグサ科のイ(Juncus effusus)にも似ているからだという。しかし、アンペラとはなんのことだ?実は現代では死語の類だが江戸時代からアンペラと呼ばれた筵(むしろ)があり、これがアンペラソウを編んだものだった。どうやらアンペラとはマレイシアでのこの草ないしはその製品の名称のようだ。それにしてもややこしい名前を付けたものではある。というわけで、牧野図鑑ではネビキグサという別名を採用している。引き抜くと地下茎が長くついてくることを表す名である。
 スイレンに似た長さ30cmほどの大きな葉を水面に広げ、その間から直径が5cmもある濃い黄色の大きな花を咲かせるコウホネはなかなか見ごたえのある水生植物である。コウホネはカワホネ(河骨)の音便で、私はまだ実物を見たことがないが、水中に長く這う根茎が白骨に似ている故の名だという。この根茎にはアルカロイドが含まれるが漢方では川骨と呼んで強壮や止血などに処方している。

 この池沼での花との出合いのなかで一番嬉しかったのはカキツバタとのそれであった。というのも、今まで野生状態で群生するカキツバタを目にする機会がなかったからである。
 時おり水面を渡ってゆく風に揺らぐ風情は、和装をした清楚な女性を髣髴とさせるものであった。



 万葉の時代から皐月の水辺を彩る花として親しまれ、清少納言も「むらさきの花の中には、かきつばたぞすこしにくき」と一目置いていた花で、尾形光琳の『燕子花図』や酒井抱一の『八ツ橋図屏風』を筆頭に江戸時代の花鳥画には頻繁に描かれてきた。かつては日本の水辺にありふれた花で「何れ菖蒲か杜若」と人々に親しい存在だったが、いまや絶滅が危惧されるまでに稀少な植物となってしまった。
 ちなみに現在静岡県でカキツバタが自生するところはこの桶ヶ谷沼・鶴ヶ池をふくめて2箇所だけだという。


May 15、 2006:  キリ
 遅れていた茶摘もどうやら峠を越したようだ。連休のころには未だ萌黄色だった列車の窓の向こうに広がる茶畑の畝は少し縮んで濃緑色に変わっている。そしてのどかに鯉幟が泳ぐ農家の裏山では、キリの大木が淡紫の花房で飾られ始めていた。

   桐の花あまきかをりぞただよへる
            五月のあさの畑のよろしき       佐佐木信綱

 箪笥を作るのに最適な材となるキリは、かつてはこのあたりでも女の子が生まれると嫁入りに備えて家々で植えて育てたものだったが、今では用無しになって、それでも季節が来れば艶やかな花を咲かせて目を楽しませてくれている。
 奈良時代以前に中国から渡来したものと考えられていて、平安時代には内裏の庭にも植えられて鑑賞の対象となっていた。清少納言もこの木の花や葉の姿が好きだったようで、「紫に咲いた花もすばらしいが、おおらかに広がる大きな葉も飛びぬけている」というような意味のことを書いている。


May 15、 2009: ヒナギキョウ Wahlenbergia marginata
 田植えがすんだばかりらしい、豊かに水をたたえた田の中を抜ける道の草むらに、直径が1cmにも満たない、淡い青紫の花が咲いていた。
 まだ完治というわけにはいかないが、退院するという家人を迎えに行く途中で出会ったヒナギキョウである。

 田を渡る皐月の風やヒナギキョウ
        かすかに揺れつ空色に染む  静

 関東以南の原野や低山の陽光の地で時折り見かけるキキョウ科の小さな多年草で、花が咲いていなければその存在に気付く人とていないであろう。
 そんな草ではあるが、中国では華南から雲南地方に分布していて、美花参とか娃児菜と呼ばれその根が薬用されている。薬効は鎮静や血圧降下作用だという。皮膚疾患にも処方するともある。

 アジアだけでなくインドシナ半島からニュージーランドにまで分布している。 


May 16、 2007:  ホナガタツナミ 
 今日の散歩道で見つけたタツナミソウ(左)は数日前に出会った典型的なタツナミソウ(右)とは別物のように思えた。
 帰宅して図鑑類を繰ってみたがどうもはっきりしない。
 しかしあえて決めるとすれば福島県以南に分布しているというホナガタツナミということになるように思うのだが、さてどうだろうか。

 なにはともあれ、私が知ったのはこの属の分類の難しさであった。

   何をたのしといふにもあらず
        甥とふたり
    たつなみ草をふく風の中 
       
        生方たつゑ



May 16、 2011: コバンソウ Briza maxima L.
 そよげるは生家の跡の小判草   清崎敏郎

 更地となって久しい街中の小さな空き地に、人目を引くハルシオンに負けじとコバンソウが茂っていた。
 あるかなしかの風が渡ると、きらきら光る細い釣糸のような花序柄の先に下がる、黄緑色の、小判を連想させる小花の集まりが、かすかに震えた。
 いや、空気の流れではなく、間もなく起こるという東海地震の前触れの、人間には感知し得ない、かすかな地殻の蠢きに震えたのだろうか。
 地中海沿岸域が原産地といわれる一年性の耕地雑草で、いまでは世界中に帰化している。風情のある植物ゆえ、日本には明治時代に観賞目的で導入されたが、土壌を選ばず乾燥にも強いので、間もなく逸出し、いまでは東北地方以南で目にすることができる。

 奥入瀬の風が揺らすよ小判草  石川星水女

 俵麦、貝殻草、大鈴萱などのなもあるが、いずれも花穂の形に因むものである。


May 17、 2008: チョウジソウ Amsonia eliptica
 体調不良で野歩きも思うに任せない身を慰めてくれるかのようにチョウジソウ(Amsonia eliptica)が我が家の庭で乳青色の小花を優しく開いている。
 遠州地方には分布していないこの草の控えめな青い花に初めて出合ったのはトネハナヤスリを探して分け入ったアシの茂る利根川の河川敷であった。
 水辺を好むキョウチクトウ科の多年草で日本・韓国・中国に分布するが、河川改修や宅地造成のあおりを受けていまや準絶滅危惧種にリストアップされている。もっともこれは最近始まったことではなく、牧野富太郎先生も昭和31年に出版した『植物一家言』に「以前は、武蔵の志村の原に野生して、よく碧紫色の花を発いておったが、今はまったく、絶滅してしまった。・・・どうも、この世が進みて工場、住宅が建つようになり、誠に是非もなき次第である」と記している。
 根にはインドール系のアルカロイドなどが含有されているが、中国では薬草として利用していて小児の解熱などに処方されている。 チョウジソウの仲間は北米にも数種があって、その一つのウーリーブルースター(A. tomentosa)の根はニューメキシコ州の先住民ツニ族がガラガラヘビにかまれたときに解毒につかうという。


May 18、 2006:  マルバウツギ
 夜が白み始めたころ遠くにホトトギスの初鳴きを聞いた。
 きっとその所為であろう、日が昇るとにわかにウツギの花が恋しくなり、数年前のこの季節、緑の中の残雪を思わせたほどにみごとにウツギが咲いていた一駅向こうの里山へ出かけてみた。
 記憶に残るその山の道は、雑木林の斜面の中を抜ける柔らかな土の道だったが、今日見るそれはアスファルトに固められ谷側には白いガードレールが土への思いを断ち切らせる壁のように立ちはだかっていた。
 時おり走り抜ける車と不幸な出会いをしたらしいハクビシンの無残な骸が無慈悲に横たわる道にはむろん歩道などない。
 道といえば、かつては人の歩くところであったが、今や車の走り抜けるところである。人が歩くことを許されるのは歩道という名の細道のみになってしまった。その所為ばかりではないだろうが、現代では人の道に外れた行為が平然と当たり前のようにまかり通っている。
 お目当てのウツギは未だ固い蕾だったが、かわってオレンジ色の蜜線のリングがメシベを取り囲んでいるマルバウツギの純白の笑顔が、渋面の私を慰めてくれた。


May 18、 2013: クスノキ Cinnamomum camphora (L.) J. Presl.
 このところ初夏らしい朝が続いている。柑橘類の花の清々しい香が流れる丘の道を行くと、昨年の霜月の末に黒く輝く実を沢山つけていたあのクスノキに米粒ほどの蕾がつき、そのいくつかは開き始めていた。
 しかし、短歌や俳句にほとんど詠まれていないように、6弁のこの小さな白い花に気づく人は少ない。それも無理からぬことではあろう。樹下を通りかかった人々が、そよぐ葉むらが放つあの樟脳の香に惹かれて、思わず振り仰いだとしても、皐月の光に照り映える若葉のなかに埋もれている小さな花はなかなか目に入らない。
 クスノキは照葉樹林文化圏に生活した人々にとっては古代からさまざまに利用できる有用樹であった。根・茎・葉のすべてに含有されている樟脳は強い防腐・殺虫効果があり薬用植物としての価値が高く、材は耐水性があるので建材・船材とされてきた。安芸宮島の大鳥居もその一例である。
 こうした効用に合わせて、暖帯では数少ない巨木に育つこともあってのことだろうが、クスノキの老大樹は精霊あるいは神々が宿る霊樹と敬われてきた。
 かつてはそのようなクスノキの大樹が、村里に温存されていた照葉樹林や古い社寺林にあった。トトロもそんな樹を住処にしていた。


May 18、 2015: シロバナシラン Bletilla striata (Thunb.) Reichb. fil. 

 紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり 北原白秋

 ラティスに掛けたままにしておいたハンギングポットにシランが生えて花を咲かせた。
 白花だった。実生であることは疑う余地がない。
 庭には12年前からシランを植栽していて、毎年明るい赤紫の花がにぎやかに咲き実をつけている。今までもその子供たちが庭の数カ所で育って親譲りの花を開いていたが、白い花の子供が生まれたのは初めてである。
 この辺りの野生の群落の中にも時折り白花の個体を見かけるので、そのあたりから風に乗ってやってきた子供の可能性もあろうが、我が家の子供と思って大切に育てることにしよう。立派な育ての親になれるとよいのだが。

 紫蘭咲いていささか紅き石の隈
     目に見えて涼し夏さりにけり 北原白秋

 
      
 19~20世紀にかけてヨーロッパ列強の都合で引かれた粗い網目のような北アフリカと西アジアの国境線が破れ始めている。どんな形に落ち着くのか、今のところ誰にも予想がつかないのではないだろうか。人類史が示すようにこれからも戦争が繰り返され、そのたびに国境線が引きなおされていくことだろう。たたし、人類が武器の製造を止めることができれば、国境なき地球の誕生も夢ではないと思う。


May 19、 2009: ヤマボウシ Benthamidia japonica

                          雨去って白眉の花の山法師     米谷静二

 太平洋から列島を斜に横切って日本海にまで延びた不連続線が、時折りの驟雨をともなって通り抜けていった。
 明ければさわやかな五月晴れである。
 庭に出て大きく育った栴檀の下に立つと、涼やかな香りに包まれる。続いた雨に紫は褪めたが、花房はまだしっかりとしていた。そして、その栴檀からの木漏れ日の中で、米谷静二が白眉とみたヤマボウシの純白の総苞が輝いていた。
 ヤマボウシはミズキ科の高木で本州以南と韓国に分布しているが、これがヒマラヤヤマボウシ(B. capitata)に近縁の種だと最初に認識して、japonica(日本の)という種小名で記載したのはシーボルトであった。
 今では街路樹や庭園木としてあちこちに植栽されているが、元来は箱根山地などの低山帯に自生しているものである。
 江戸参府を果たしたシーボルトが長崎への帰路に箱根を越えたのがちょうどこの季節、5月21日だったから、さぞやこの美しい花を楽しんだことだろうと思ったが、なぜか目にしていない。箱根の町を発ったのが午後遅く、おそらくヤマボウシが咲いているあたりを通ったときは、すでにうす暗くなっていて気が付かなかったのであろか。あるいは、江戸時代の5月はまだ気温も低く、開花が始まっていなかったのかもしれない。彼は6月8日から13日まで逗留した大阪で手に入れた幼木を出島に移植したが、うまく育たなかったと『日本植物誌』に書いている。

                            霧深く恥らふごとく山法師       菖蒲あや

 明日からはまた雨模様になるらしい。 
 昨年のこの季節、訪れた川根の里では、霧雨の中、谷向こうの山肌には、白い小鳥の群れのようにヤマボウシが咲いていた。


May 19、 2011: ヤマボウシの変り花
              Abnormal flowers of Benthamidia japonica (Sieb. et Zucc.) Hara


                           朝鳥に花ちりばめつ山法師    水原秋櫻子

 区画整理の終わった小さな町にできた、直線で200mほどの山法師通りのヤマボウシが咲き始めた。
 その植栽された木々に風変わりな花が咲いていることに、今朝の散歩の途中で気がついた。
 本来は4弁の総苞が6枚のものと5枚のものである。
 花序形成過程の初期に遺伝子発現のタイミングが狂ったのであろうが、その原因は何だったのだろう。ブロック舗装した歩道に沿って植栽されているのに、市役所も近くの住民も枯れれば植え替えればよいと思っているのか、水枯れに気を使う気配がないので、そのあたりが変異の起因かもしれない。あるいは、絶え間なく行き交う自動車の排ガスに含まれる化学物質が作用しているのだろうか。
 まさか、20kmほど南に位置する浜岡原発から漏れる放射性物質のせいということはないだろうが・・・・。

 その浜岡原発では、停止作業に入った5号機の腹水機の配管が破れて海水が400トンも混入し、そのうちの5トンが圧力容器内に入ってしまったそうだ。その結果、幸か不幸か、中電は廃炉にする必要はないといっているが、5号機を再稼動させることはできなくなったらしい。しかし、地震や津波がきたわけでもないのに、このての事故がいとも簡単に起こってしまうとは。自民政権が声高に喧伝していた絶対安全はまったくの虚言であったということだ。

                            旅は日を急がぬごとく山法師    森 澄雄

 いつまでも薫風を楽しめる初夏が巡り来る世界であって欲しいものだ。



May 19、 2012: スダジイ Castanopsis sieboldii (Makino) Hatusima

 甘き香は何の花ぞも夏木立   太祇

 丘陵地帯の常緑樹の森のあちこちに、鬱金色の小島のようにスダジイが花を咲かせていた。
 ブナ科のほとんどは風媒花で頭上に花があっても香で気づくということはないが、クリ属やシイ属は虫媒花で人間にも感知できる特有の香がある。しかしこの香を甘いと感じる人がいるとは思えない。太祇が聞いた、何処からともなく漂ってきた香は、どんな花が放っていたのだろう。
 炭太祇は宝永6年に江戸に生まれ、長じては北は奥州、南は九州にへと行脚し、多くの句を残したが、この夏木立の句は何処の地で読まれたのだろう。それがわかれば、江戸時代の植生から香の主が推察できるかもしれないものの、当然ながら確かなことはいえない。彼が晩年をすごした京都島原あたりの情景だとすれば、森の中を流れるノイバラかスイカズラかリョウブなどの芳香かもしれない。
 
 話は変わるが、17日の中日新聞の朝刊に、原発の緊急時には最前線で対応する立場にある保安検査官のほとんどが、事故対応力向上目的の研修を受けていないことが明らかにされていた。中電浜岡原発では配置されている7名の定員のうち受講していたのは副所長一人だけだった。困ったでは済まされぬ、深刻な事態である。
 かつて、南極越冬隊長で放射能漏れで廃船となった原子力船事業団理事を勤めた西堀栄三郎が原子力を恐れ危険なものと思っている人々は時代遅れの「火を恐れる獣の類である」と言い放っていたが、現在原子力発電に携わりかかわる人たちも同じ考えなのだろう。


May 20、 2007:  カザグルマ
 この花に出会ったのは何年ぶりだろう、いや何十年ぶりかというべきかも知れない。
 いつどこで出会ったのかも定かではないほどの記憶ではあるが、その清楚な美しさだけは忘れがたかった。
 その忘れがたかった花、カザグルマに県西部の蛇紋岩地帯の丘で再会できた。
 カザグルマはその名のとおり遠い昔から子供たちの遊具だった風車を連想させる。上代の人々もこの花の存在を知っていたに違いないと思うのだが、なぜか江戸時代以前の典籍にその名を見ることがない。
 室町時代ににはよく似た近縁種で中国原産のテッセンが渡来して茶花としてもてはやされるるようになるので、これにともない日本産のカザグルマの美しさが再認識されたのかもしれない。
 元禄8年(1695)に出版された『花壇地錦抄』にはカザグルマには白、薄紫、薄桃色などの花色があることが記されているので、この頃には広く知られるようになっていたのであろう。
 中国東北部と韓国でも知られていて、日本では中部地方以南に分布しているが、現代では目にする機会は少なく、絶滅危惧種の一つである。
 

 神我に預け賜えど障害児我ら果てなば返すすべ無し    野原 武



May 21、 2009:  ヤマグワ Morus australis

摘みとりて掌の上に見れば桑の実の
       熟れし熟れざるかゞやきにけり  川崎杜外

 庭の片隅で小鳥の落し物から芽生えたヤマグワがたくさん実をつけて、懐かしいあの濃黒紫色に染まり始めている。
 桑の分類はなかなか難しいようで、手元の図鑑や解説書はそれぞれで見解が異なっている。
 ここではとりあえず保育社の『日本の野生植物』に準拠して、葉の切れ込みが多いこと、柱頭の切れ込み方、毛の生え方とでヤマグワとしたが、正直なところ自信がもてない。

生あたたかき桑の実はむと桑畑に
       幼き頃はよく遊びけり     佐藤佐太郎

 熟した実を頬張ると、歯も唇も紫色に染まって、その顔が面白いと、友達同士で笑い転げたことが今も忘れられない。


May 22、 2011: カズノコグサ Backmannia syzigachne (Steud.) Fern.

 まだ田植えの始まっていない、ひょっとしたら今年から休耕田となるかも知れない田の畦道に生えているカズノコグサを撮ろうと近寄ると、ケリ、ケケッリッと絶叫してケリが飛び立ち私の頭上を旋回しながら激しく鳴き続けた。
 御前崎周辺の自然の保護に熱心な、日本鳥類学会特別会員で、里山を歩く会にも参加されている宮本勝海さんの『小笠山・掛川・御前崎周辺の植物・昆虫・野鳥』によると、水田の中に営巣するケリは子育て中には偽傷行動と激しい威嚇行動をするそうだが、今朝のケリも子育て中だったのだろう。
 ところで、イネ科の植物は目立つ花や特徴のある葉を持つものが少なく、なかなか名前が覚えられないものだが、このカズノコグサだけは一度憶えれば迷うことがない。花穂の形が、正月の御節につきものの数の子によく似ているからである。
 アジアの暖温帯に広く分布するが、日本では水田周辺でしか目にすることがないので、おそらく稲作にともなって渡来した史前帰化植物の一つなのだろう。多少の耐塩性があり、沿海の湿地などに茂ることもある。
 近年は、稲作を導入したカリフォルニア州などには帰化している。



May 23、 2009: ヒトツバタゴ Chionanthus retusa

 緑の葉群の中に、白い雲がたなびいたような花が咲いていた。繊細な花びらが身を寄せ合って薫風に揺れていた。

名を問えばなんじゃもんじゃの木ぞという
      白き花咲き目につく一本    若山貴志子

 “なんじゃもんじゃ”と呼ばれる木にはいろいろあって、貴志子の見た“なんじゃもんじゃ”がこのヒトツバタゴであったか否かはわからないが、目につく一本であることは確かである。
 ヒトツバタゴに近縁の植物はアジアだけでなく北米東北部にも1種(C. virginicus)が知られているので、地質時代には広範囲に分布していたと考えられるが、現在の本州では長野・岐阜・愛知県の一部にかろうじて自生しているに過ぎない。状況は韓国でも中国でも似たようなものらしい。
 臨終の床にある牧水に筆先に浸した酒を含ませたと伝えられる貴志子は、この純白の花をどんな思いで見つめていたのであろう。



May 24、 2013: マユミ Euonymus sieboldianus Blume

  一本の檀は若葉しげり立ち
       わがさ庭べは春過ぎにけり  高田浪吉

 遠くに望む里の丘陵地はスダジイの花の萌黄色と竹の秋の明黄褐色とが入り混じり、もう春の景色は目をつむらなければ思い浮かべることはできない。歩めば汗ばみ、皐月は足早に過ぎようとしている。
 藪陰では青緑色の葉を茂らせたマユミに直径1cmほどの4数性の薄緑白色の花が咲いていた。細く長い花茎の先の小花はハナアブがとまってもゆらりと揺れるような気がする。“釣り花”という里呼び名の由来であろう。
 マサキなどと同じニシキギ科の潅木で、極東アジアに広く分布し、日本では北海道から九州で普通に目にすることができる。種小名から判るようにシーボルトに因んで、インドネシアの植物の分類に貢献したCarl Ludwig von Blumeが命名している。材は硬く将棋の駒などに加工されるが、昔はこの木の枝で弓を作ったのでマユミ(真弓)と呼ぶのだという。この木に“檀”をあてるのは日本語だけで、恐らく材の硬い紫檀や黒檀の仲間と考えてのことだろう。地方によっては若葉を食用するそうだ。

 韓国の中央日報の論説委員が原爆投下は神の懲罰だというコラム記事を書いたという。維新の橋下氏と同レベルの人はあちらにも少なくないようだ。


May 24、 2014: ギシギシ Rumex japonicus Houtt.
   ぎしぎしや雀隠れの穂をあげし  吉岡禅寺洞
 新興住宅地の迫る稲田の中の、夏草が背丈を競いあう農道では、スイバの花穂が枯れ、バトンを渡されたかのようにギシギシが咲き始めていた。
 日本全土の里の路傍のやや湿った場所ごく普通に生えるが、極東にも広く分布していて、中国では羊蹄(ヤンティ)と呼んでいる。
 植物の呼び名の由来あるいはその語源にはよくわからないものが多い。漢名は茎に接した葉身の基部が二又に分かれていることに因んだのかなと推測もできるが、標準となっている和名のギシギシとは何のことだろう。江戸時代には京都方面ですでにこの名が使われていたことが『重修本草綱目啓蒙』に記されているが、その由来については諸説があるものの、納得いくような説は聞いたことがない。
 ギシギシの根は古代から皮膚病や便秘に薬用され、平安時代の『本草和名』では羊蹄の日本での呼び名は“志乃禰(シノネ)”とあるので、ギシギシのシはこの音とかかわっているのだろう。
  一方、里呼び名は豊富で、『日本植物方言集成』には250余の呼称が集められている。古くから人々に近しい植物であった証である。
 静岡県下にはウマキチキチとかウマスイバと呼ぶ地域があるが、この“ウマ・・・”名は東北から近畿地方に共通するもののようだ。 宇都宮貞子さんの『草木おぼえ書』を読むと、信州から新潟にかけての里ではウマズイコと呼ぶ人が多く、馬や牛や兎が喜んで食べるそうだ。“ウシ・・・・”という名もあり、これはおもに近畿~中国地方に多い。伊勢にはライオングサという面白い名があるが、これは大黄草のなまったものだろう。
     
  現政権と財界と、それに追従する政治家・官僚たちがこの群島に住む人々に再び厄災をもたらそうとしている。都合の悪いことは理屈にもならない理屈を並べて隠そうとし、国家が国民を守るためと称して平和憲法を葬ろうとゴリ押ししている。国家が戦争を始めることができた旧憲法下の日本帝国は国民を戦死させ、二つの原爆と無差別爆撃を呼び、無数の非戦闘員を死に追いやった。国民を守ることなどできなかったのだ。わたしは1946年以降現在に至るまで、戦死者がこの花綵列島から一人として出ていないことを誇りに思う。これからもそうあってほしい。


May 25、 2009: トチノキ Aesculus turbinata

しずかなる若葉のひまに立房の
     橡の花さきて心つつまし   佐藤佐太郎

 菰張山や大日山を水源とし、深い谷を刻んで下る吉川上流の山里の、すでに廃校になって久しい小学校の校庭の片隅に、大きな年経たトチノキがあった。
 花の盛りで、天狗の葉団扇のようなゆったりとした浅緑色の掌状葉に支えられるように、たくさんの乳白色の花穂が青い空に向かって立ち上がっていた。花びらに小さな赤い斑点をちりばめた小花からは、白いおしべがつんつんと突き出している。
 北海道南部から九州にかけての低山のいわゆる山奥の谷沿いで出合えるが、大きな黒い栗に似た種子が古代から救荒食として利用されてきたことでよく知られる高木で、北上山地には「橡の木2,3本ない家には嫁に行くな」という口碑が残るほどである。 また、叩いて潰した実を焼酎につけたものは、打身や内出血の治療薬でもあったという。

  動きゆく人群の中橡の実に
     一人かがめば深山さびつも   土屋文明



May 26、 2009: ジャケツイバラ Caesalpinia decapetala var. japonica

 吉川の渓流を挟んだ東西の険しい山肌に江戸時代から営まれてきた亀久保の村落には、国の重要文化財に指定されている友田家がある。
 この18世紀前半に建てられた「片喰い違い型」の古民家を見学に行く途中、沢のほとりで咲き始めたジャケツイバラに出合えた。日本に自生するマメ科の木本植物の中では随一の美形である、と思うのは私だけであろうか。南国産のあの艶やかなサンバガールのようなオオゴチョウと同属ではあるが、こちらは清楚な浴衣姿の娘さんを連想させる。
 しかし、その花姿から想像できない性質を隠している。それは恐ろしいほどに鋭い鉤形の棘である。美しい花に惹かれて不用意にジャケツイバラの茂みに踏み込もうものなら、怪我をせずに抜け出すのは難しい。棘に捕らえられてもがいている小鳥を見たこともある。サルカケイゲ、シシモドシなどの里呼び名もこの棘の鋭さに因んだものである。伊豆半島の山里ではふつうサルトリイバラと呼ばれている。

         さるとりの若き芽生ひのひたぶるになよめくものを刺たちにけり      釈 迢空

         釈迢空の見たこの“さるとり”はジャケツイバラか、それともユリ科のサルトリイバラか、どちらだったのだろう。


May 26、 2010: ウラシマソウ Arisaema urashima Hara
 浦島草けむりのごとき糸を垂れ   日美井雪

 八坂神社の裏手の藪にウラシマソウがひっそりと咲いていた。

 何時、何処の誰が、この細長く撓った鞭のような付属体に浦島太郎の釣竿と釣糸を連想して、この謂いえて妙なる名を付けたのだろうか。文政7年(1824)に出版された『武江産物誌』に、道灌山に生えている虎掌なるものに‘うらしまさう’とルビが振ってあるので、江戸時代以前の命名だということはわかる。だが、浦島伝説そのものは古く、8世紀になったといわれる『丹後国風土記』にはその原型がすでに語られているから、そのころからこの名があった可能性もある。
 ウラシマソウは北海道から九州にかけて分布する日本特産のテンナンショウ属の1種だが、元禄12年版の『草花絵前集』では天南星の名を当て、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』では虎草と呼んでいる。虎草という名は唐の蘇敬の『新修本草』に見られ、この本草書を解説した平安時代の『本草和名』には、その和名はオオホソビ(於々保曾美)だとある。
 ウラシマソウを含むテンナンショウ属はコンニャクやカラスビシャクなどに近縁で、北半球のアフリカからユーラシア、北アメリカにかけて170種ほどが記載されているが、その約25%は日本に分布している。球茎(いわゆる芋)には多量のデンプンがあるが蓚酸やアルカロイドも含まれ、いわゆる毒草である。
 テンナンショウの仲間がいつの時代から日本人の生活とかかわってきたのかは定かではないが、『本草和名』の記述や鎌倉時代の『馬医絵巻』に天衣草の名で描かれているところを見ると、かなり古くから薬草として認知されていたようだ。
 いかにも毒々しい外見であるから、よほどのことがないかぎり食欲をそそる代物ではないが、照葉樹林文化圏説で知られる中尾佐助は、‘イモ食文化’をもっていた縄文時代の人々は食糧として利用していただろうと推論している。

 食糧にしたという古代の記録は知られていないものの、江戸末期の『八丈実記』に、アザミ、ワラビ、ヘンゴなどが「八丈ニテハ飢年ニハ上食の菜蔬ナリ」としるされていて、ヘンゴすなわちシマテンナンショウ(A. nrgishii Makino) が救荒食となっていたことがわかる。
 この記録に興味をひかれ、八丈島でヘンゴがどのように食べられていたかを調べたのは、植物文化史研究家の関葉子である。彼女によるとシマテンナンショウの球茎(ヘンゴ玉)から作られる餅は現在でも食べられていて、‘玉’の皮を厚めにむき、茹でて、臼で搗いて食べるという。杵とりには水ではなく椿油などを使うとえぐ味がおさえられるそうだ。
 縄文時代の人々も、こんな食べ方をしたのだろうか。それとも、ハワイなどの島々でおこなわれるポイ料理のように、醗酵過程を入れてえぐ味を抜いたり、アイヌの人々がエゾテンナンショウ(A. amurense Maxim.) を調理したように、炉の熱い灰の中で焼いたのだろうか。

 
 21日の朝日新聞の1面に“「人工生命」ほぼ完成、ゲノム合成し細菌作る”という見出しで、『サイエンス電子版』にJ. Craig Venterの研究チームが自己増殖する人工細胞作成に成功したという論文が載った、という記事があった。
 見出しだけ読むと、ついに試験管の中で生命が誕生したと早とちりしそうだが、そんなすごいことではなく、単に細菌のクローン作りに成功したというに過ぎないようだ。もっとも、合成(コピー)したゲノムを使った点は画期的ではあろう。
 現時点ではゲノムを合成はできても、複雑な小器官から構成される細胞質を人工的に作ることはできない。これができて初めて人工生命(人造生物)といえる。
 ちなみに、人工生命(Artificial life = Alife)という言葉はコンピューター上で自己増殖できるソフトAlife、ロボットなどのハードAlife、生化学的人工細胞などのウエットAlifeの総称として使われている。
 ソフトやハードのAlifeはすでに作られていて、ウエットAlifeとは本質的に異なるものである。
       

 総理はお叱りは甘んじて受けると開き直り、普天間移設問題はどうやら平凡で停滞的な結末へ向かいつつあるようだが、沖縄県民に加えて大和人の拒否反応が強まれば、国外移転となるかもしれない。米軍が日本から出て行ったとしても、直ちにアジアの近隣国との間に武力衝突が発生するとは私には思えないが、社民党やマスメディアはそんなケースのシュミレーションをしているのだろうか。



May 26、 2011:  コメツブツメクサ Trifolium dubium Sibth.
 台風2号の影響か、朝からの曇り空の下、西方の水田地帯を歩いた。5,6羽のケリがなき交わしながら着地点を探すように旋回していた。
 農道の際にはさまざまな帰化植物が、昔ながらの稲田の草たちを押しのけて我が物顔に茂っていたが、中でもひときわ大きな群落をつくっていたのがクローバと同属のコメツブツメクサだった。
 どちらも小柄で地表を這い黄色の花を咲かせ、おまけに名前が似ているせいもあってウマゴヤシ属のコメツブウマゴヤシ(Medicago luplina L.)と混同されるが、よく見れば葉も花も実や種子の形も違っている。わかり易い違いはといえば、コメツブウマゴヤシの茎は緑色で、コメツブツメクサのそれが赤褐色だということであろう。
 ヨーロッパから西アジアにかけてが原産の地だと考えられているが、今では世界中の耕作地や道路沿いに帰化している。日本で最初の記録は東京都内で1936年に採集されたものだそうだが、分布の状態から見て明治時代にはすでに渡来していたのだろうという。

 福島第一原発は益々混沌としてきたようだ。汚染水貯槽の水位が入れても入れても下がるので「漏れている可能性がある」と東電は言っているが、漏れているに決まってるではないか。ことほど左様だ。報道ではセシウム137の心配だけか喧伝されているが、半減期が100万年もあって、蛹に照射すると不稔オスが生まれるというセシウム135も飛散しているはずだ。長期にわたる生態系の崩壊につながるのではないか。



May 27、 2009: カラスビシャク Pinellia ternata
   からすびしゃく青き苞立てり震えつゝ
             苞より吐ける舌さへ青し      植松寿樹

 数年前から、この季節になると我が家の庭でも、カラスビシャクのなよりとした緑色の仏炎苞を目にすることができるようになった。どうやら、花壇の縁取りにするために花師匠に分けてもらったジャノヒゲの株に、球茎がまぎれ込んでいたようだ。ジャノヒゲよりこちらの方が季節感を味あわせてくれる野草で、私にとっては思わぬ贈り物であった。
 日本列島のいたるところの畑地や路傍で目にすることができるサトイモ科の多年草だが、繁殖力が強く、農作業をする人たちには困りもの一つであった。
 韓国や中国にも広く分布していて、漢名は半夏(ban-xia)、韓国では漢名をハングル読みしてban-haと呼んでいる。半夏は古代から薬用植物として知られ、球茎の皮を剥いて乾燥させたものを使う。吐き気止め、咳止め、痰切り、脚気の治療などに処方されるという。
 半月蓮、三歩跳、地八豆という別名の他は、隣国でのこの草の里呼び名についての知識はないが、日本にはいろいろと面白い呼称がある。とりわけ動物の名を冠したものが多い。カラスビシャクに始まってカラスがつくものが多く、『日本植物方言集成』には16の名が挙がっている。スズメ、キツネなども多く、ヘビ、トンビが付くものもある。
 遠州の一部では“ヘノヘ”という里呼び名が収録されているが、さてはてこれは何に因んだものだろう。微妙に湾曲している花茎が平仮名の‘へのへ’と読めるというのだろうか。

 北朝鮮が核実験をしミサイルを発射したというので“勇ましい”防衛大綱の提言が自民党から出されるようだが、同レベルで競り合うのは悲劇だ。


May 28、 2006:  ホウノキ  Magnolia obovata Thunb.
 このところの数週間、土日になると天候が崩れる。今日もまた夜来の小糠雨が止む気配がない。その雨の中を、千葉大学植物同好会OBの皆さんと、伊豆の国市の”虹の郷”の森を散策した。
 呼び物のシャクナゲの林は花の盛りを過ぎ、ハナショウブ園はまだ蕾の状態だったが、何本もの、樹高10mを越すほどのエゴノキの古木は、きらめくシャンデリアのように白い花を枝々に咲かせて甘く香り、見下ろす谷の斜面からはゆったりと風に揺れる大きな葉に支えられるようにして、ホウノキの、はるか中生代の昔からの変わらぬ大輪の練色の花が、悠久の時の流れを語りかけていた。
  青葉やまさやぎは雨にをさまりて
     あなすがすがし朴のしら花  土屋文明
 ホウノキのずしりとした質感のある花の美しさは、その下に重なる浅緑の葉群により一層惹き立てられている。万葉の時代、講師僧(かうじほふし)恵行はこの枝先に展開した大きな葉の集まった様子を蓋(きぬがさ)に見立て、「わが背子が捧げて持たるほほがしはあたかも似るか青き蓋」と詠んでいる。


May 29、 2011: ホオズキ Physalis alkekengi L. var. franchetii (Masters) Hort.
   大粒の雨ふりいでて土香立つ
          庭におつるはほほづきの花   岡 麓

 台風20号は九州と四国を暴風圏に巻き込んで太平洋上を北上しているが、その先触れのような雨がここ遠州にも降っている。
 その雨に打たれて、ドクダミの白い小花にまぎれるように、二つ三つと葉陰に隠れてホオズキの白い花も咲いている。
 中国全土に広く分布していて、日本では野生のものも見られるものの、ほとんどは庭園に栽培されているため、薬用に移入された史前帰化植物とみる説が有力なナス科の多年草で、『古事記』に始まり『枕草子』『源氏物語』など多くの古典や江戸時代から現代に亘るさまざまな典籍ににその名の見える、日本人には馴染み深い植物の一つである。
 ホオズキ属には70種以上が知られていて旧世界に広く分布しているが、その多くは北米大陸で記載されていて、先住民にとって有用な種が多い。
 例えばアパッチやチェロキー族はヘデリフォリア・ホウズキの実を食用し、イロコイ族はヘテロフィラ・ホウズキの干した葉と根茎の煎じ汁を火傷の治療に、ダコタ族はランケオラータ・ホウズキの芽生えや若葉を茹でて肉料理に添えて食べる。
 ちなみに、観賞目的で持ち込まれたアジア生まれのホオズキはウイスコンシン州など北米東部に帰化している。
 
                          ほほづきの花のひそかに逢ひにけり    安住 敦


May 29、 2012: カモガヤ Dactylis glomerata L.
悲鳴を上げ始めた膝をかばいながら、往還道に続く常緑樹林の中の急坂を下ってくると、視界が開け、カモガヤのぼぼけた花穂が迎えてくれた。
 夏日の陽射しが眩しかった。

 カモガヤはヨーロッパ原産で、今では世界中に帰化している。日本に入ったのは江戸時代末期、文久年間に渡来したとの説もあるが、牧野富太郎は明治時代になってからアメリカ経由で牧草として導入されたと考えていたらしい。
 英語名のCock-footは花穂を構成する開花直前の小穂の配置が鶏の足形に似ているからというが、和名の命名者の松村任三は鶏のそれより鴨のそれに似ていると思ったのだろうか。しかし、この画像のようなぼぼけた花姿から“鳥の足形”を連想するのは至難である。Ochard grassとも呼ぶのは、日陰でも育つ性質を買って果樹園のグラウンドカバーに利用したからだそうだ。
 分類学者の中にはたくさんの亜種あるいは品種に区別する人もいるが、交雑起源の稔性のある4倍体と考えられ、そのために実生の形質が多様なのだろう。
   

 先日から国会事故調査委員会なるもので、昨年3月11日に始まった原発の暴走処理にかかわった政治家と東電社員たちへの公開質問がおこなわれているが、この時期になにをやっているのかなと思ってしまう。メルトダウンしメルトスルーしているかもしれない上に、注いでも注いでも汚染水はだだ漏れ状態で地中に消えていってしまう1~3号機と、濁った水に沈む4号機の使用済み核燃料棒などを何とかしてからにしてほしいものだ。静まり返って草ぐさに埋もれてゆく飯館村を忘れないでもらいたい。


May 30、 2013: ユキノシタ Saxifraga stolonifera Meerb.

 真白くも小さき蝶の形して
   夏きたるとて雪のした咲く  窪田空穂

 予想していたより10日も早く入梅し、庭弄りの予定がすっかり狂ってしまった。
 雨に喜んだ庭木たちは一晩で枝葉をぐんと茂らせ、私の剪定の遅れを楽しんでいるようだ。だが、晴れ間を待ってばっさりとやるしかないだろう。ことに、隣家へ伸びだした枝は早急に処置せねばなるいまい。とはいえ、香り高く咲き始めたばかりのトベラを切り詰めることはできないだろうな~。
 その庭の、手付かずの草の茂みでは小さな白い妖精たちが並んでわたしを歓迎しているように、ユキノシタの花が咲いていた。
 本州、四国、九州の山地の沢沿いの岩上や水の滴るような斜面を好んで生え、江戸時代にはすでに庭園に植栽されていた。中国にも分布し虎耳草と呼ばれる。和名のユキノシタにはふつうは雪下をあてるが、二枚の長く伸びた白い花弁を舌とみなし“雪舌”だとする説もある。俳諧では“鴨足草”と記すこともあるが、これも花の形に由来するという。

 昔は高等学校の生物実験でユキノシタの葉裏の表皮細胞をはがして原形質分離・浸透圧の観察に使ったが、現在でも教材として利用しているのだろうか。


May 30、 2014: オオバウマノスズクサ Aristolochia Kaempferii Willd.
 牧の原台地の麓にある本家の法事に顔を出したついでに、菩提寺の裏山に入ってみると、藪のヒサカキに巻きついたオオバウマノスズクサに花がついていた。
 なんとも奇妙な姿の花だ。ウマノスズクサ属の植物には、このように花筒部がUの字形に曲がり中ほどが膨れたものが多い。膨れた部分の中には柱頭がある。筒の入り口から落ち込んだ虫が驚き羽ばたいて花粉を散らしてくれるのを期待した構造だろう。
 花蜜は作らないが、独特の、人間には不快だが、ハエなどには魅惑的らしい臭気を放っている。この赤紫色の花筒の口とその奥の模様もまた虫たちを誘惑するのだろう。
 アリストロキック酸(aristlochic acid)というアルカロイドが含まれる毒草だが、ジャコウアゲハの食草である。このアゲハの雌の前肢の先端にはアリストロキック酸を感知する器官があって、この草を探し出すごとができるのだそうだ。幼虫はこのアルカロイドを体内に蓄積し身を守っているわけだ。
 和名の“馬の鈴草”というのは花の形に因むというが、馬の首にかけるという鈴を見たことがない私にはピンとこない。花の形ではなく、完熟して裂開した実のようすがたくさんの鈴をひとまとめにしたように見えるから、という本田郁夫さんの説の方が説得力がある。学名はギリシャ語のaristos(非常に良い)とlochos(出産)の合成語で、これも花の形に因む。正常出産時に子宮内で胎児が頭を下にする姿を連想させるというわけだ。さすがわリンネ先生である。


May 31、 2015: ヤセウツボ  Orobanche minor Sutton.
 雨になるという予報がめずらしく外れて曇り空となったが、散歩する老いの身にはきつい日差しがないほうが初夏の風が感じられて心地よい。
 久しぶりに歩く菊川土手の道で、時々出会って顔見知りになった愛想のいいコーギーにご挨拶しようと屈みこんだその足元に、枯れかかった麥の穂先のような形の、咲き始めて間もないヤセウツボが立っていた。
 地中海域が原産地のハマウツボ科の寄生性一年草で世界各地に帰化し、日本では昭和10年に千葉県下で記載されたのが始まりで、いまでは関東以西の各地で目にすることができる。
 キク科やセリ科の植物にも寄生するらしいが、専らはマメ科、それもクローバーの仲間が宿主のようだ。この株の近くにもシロツメクサの花が咲いていた。
     
 
 先日、安全保障法制特別委員会のTV中継を見たが、安倍総理の誠意のない、この法制の本質をあいまいに言い逃れる答弁に、胸が痛んだ。この国の未来は暗い。人々は表面上威勢の良い多弁断定的な物言いに惑わされてゆくのであろうか。外国資本の仕掛ける株高現象に気を取られ浮かれているようにも見える。ペシミストの愚痴だと切って捨てる人々が昨今は多いように私は思う。
 中東はメルトダウン中だし、南沙諸島もきな臭くなってきた。それに乗じて安倍総理は尖閣まで問題を広げようと思っているらしいし、1Fの汚染水処理は完了したなどと脳天気な報道がされるし、口永良部島は爆発的に噴火し、父島の下700kmもの深みでM.8.1もの地震が起こり東京の高層ビルのエレベーターは長周期の揺れで軒並み停止し復旧まで2時間もかかり、山手線も不通になるし、このところ日本列島も不穏である。
  ** E. コルバート著・鍛原多恵子訳『6度目の大絶滅 E. Colbert; The Sixth Extinction - An Unnatural History, 2014』を読んだ。1955年に出版されたR. Leaky & Lewin, L.: The Sixth Extinction - Biodiversity and its survival があったのでその2番煎じかと思ったが、たしかに過去の5大絶滅と人類の存在が第6の絶滅を引き起こしつつあることについての論旨はほとんど同じことの繰り返しになっていたものの、6度目の絶滅の第一要因が二酸化炭素の増加による大気温暖化と海洋の酸性化であるとの主張は本書の特徴である。最近の絶滅の実例の解説は勉強になった。


2005年 ~ 皐月の花      


気がついてみれば早くも皐月は過ぎ水無月となってしまいました。花たちは次々と咲き競ってくれていますが、こ年の5月はパートナーの体調悪化のためのあれやこれやで、写真の残すのが精一杯の日々でした。
何はともあれ、紹介だけはしておきましょう。


<立夏が過ぎて> -1
ヒメウツギ ナツミカン アマドコロ


 ビャクブ科の遺伝子解析をテーマにしている浙江大学の李さんがナベワリをサンプリングしに来たいというの話は前に書きましたが、下見を兼ねて4月に出かけた家山では見つけることが出来ませんでした。そこで改めて昔の採集記録にある八高山に出かけてみました。
 福用の駅から沢に沿った道に入ると、ヒメウツギの小さな白い花が迎えてくれました。茶畑の中の作業小屋を守るように茂ったナツミカンの木は、よい香りを漂わせて花の盛りでした。尾根を越した道が北側へ回ると雑木林の中にアマドコロが咲いていました。朱色の花柄の先にふっくらとした白い筒が下がり、薄い緑色の花びらが地表の虫たちにささやくように開いていました。

<立夏が過ぎて> -2

チガヤ エノキ シャリンバイ


 野の道を行くと緑濃くなった草原の中に、風に吹かれて右へ左へと揺れ動くチガヤの穂(左の写真)が目立ち始めました。古代王朝の姫君たちも楽しんだ初夏の風景ですね。ほほける前の未だ赤味を帯びた若い花穂はなめると甘みがあって、昔の子供たちに喜ばれたそうです。田村大嬢が 「茅花抜く浅茅が原のつぼすみれいま盛りなりわが恋ふらくは」と詠んだ季節は、茅花(チガヤの花穂)がたち始めた晩春でしょうか。
 草原を抜け、雑木の丘にかかると、坂の入り口に陰をつくるエノキの古木に細かな薄い黄色みを帯びた花が咲いていました。オオムラサキの幼虫を育む木で、その実は人にも食べられるのですが、この辺りではほとんど虫こぶになってしまいます。
 丘を登りきれば、潮風が渡る海辺の林が広がり、その中に白くシャリンバイが香っていました。


<立夏が過ぎて> -3 : センダンの花の舞


 皐月の爽やかな風を思い起こさせる花といえば、何をおいてもセンダンではないでしょうか。

      花あふち梢のさやぎしづまらぬ   橋本多佳子

 センダンという名は「千珠」から転訛したというのが通説ですが、昔は「楝」と書き「あふち」と呼ばれていました。その後「樗」と書くようにもなりましたが、これは葉の形がニガキ科のシンジュに似ているために起こった誤認です。江戸時代になると「栴檀」とも書くようになりましたが、これも「栴檀は双葉より芳し」の栴檀(香木のビャクダン)との混同です。
 道幅の狭い日本では街路樹に利用されることは滅多にないようですが、熱帯圏ではしばしば道路に沿って植栽されているのを目にします。
 上の写真は左が5月5日、中央が5月12日、右が5月20日に撮影したものです。


<立夏が過ぎて> -4 
ドクダミ フタリシズカ ハクウンボク

 この季節、山村の小道を行けば必ず目にすることの出来る花の一つがドクダミです。4枚の白い花びらのように見えるものは総苞と呼ばれるもので、その中央に立っている小さな瓶ブラッシ状のものが花の集まりです。黄色の突起物はオシベです。一つ一つの小さな花は蕚も花弁もない単純な構造です。種子は出来ませんが地下茎による繁殖力は旺盛で、庭や畑では困った存在です。しかし植物学的には面白い存在で、アジアの特産ですからヨーロッパの植物園などでは見本園に植えられ大切にされています。
 山道にかかり杉の古木が暗い影をつくる辺りに来ると、大きな4枚の葉の中央からツンと白い角のように2本の花穂が立つフタリシズカにも出逢えます。近寄ってみればわかりますが、白い粒状のものが連なっていて、これが花です。この植物にも蕚と花弁がありません。白いのは密着したオシベで、内側に花粉袋があります。ヒトリシズカはこの仲間です。
 沢に沿って尾根への道を進むと、頭上からかすかに甘い香りが降りてきます。振り仰ぐと、黄緑の葉群からこぼれる日を受けて白く輝くハクウンボクの花穂がありました。エゴノキ科の植物で、材が硬くエゴノキ同様に傘の轆轤や駒などを作った。種子を絞った油からは蝋燭を作ったそうです。いろいろな里呼び名が知られていますが、なるほどと思ったのは伊豆半島の一部にあるサラソウジュという呼び名です。


<立夏が過ぎて> -5

 5月22日、退職なさった先生で自然が大好きな方々が立ち上げられた「里山を歩く会」に誘っていただいて、遠州平野と北遠山地にまたがる静岡県立浜北森林公園の花々を楽しませていただきました。
 200ヘクタールほどの広大な自然園で、みごとなアカマツの林が優占し、谷間にはさまざまな湿生植物が元気よく育っていました。

ネジキ ガマズミ

 丘陵の尾根近くはかなり乾いていますが、さまざまな木や草が混在していました。
 最初に目に留まったのが、ちょうど花の盛りだったネジキでした。ツツジ科の潅木で、成長に伴って幹や枝が捩れるため”捩木”と呼ばれます。アセビのそれとよく似た有毒成分が含まれるそうです。材は大変硬く、木工に使われ、炭は漆器磨きに使われます。萌芽した新芽は美しい紅色で、アカメの名で知られる活花の材料です。
 ネジキの近くの藪にはガマズミも咲いていました。こちらはスイカズラ科の潅木です。秋に赤熟する粒状の果実は甘酸っぱく、ルビー色の美しい果実酒ができます。この辺りではドス、ドスノキ、ドッスなどという名で呼びますが、語源は不明です。

 

トベラ ピラカンサ


 丘陵の最上部には森林公園会館などの施設があり、本来この地のものではないユリノキやヒメシャラなどが植栽されていました。上の写真のトベラとピラカンサもそのような樹種です。
 トベラ科のトベラは関東以西の海岸に生える常緑の低木で普通は人の背丈よりやや高い程度ですが、この公園のものは5m以上もありました。両脇をヤマモモの高木に挟まれているためでしょうか。開いたばかりの花は純白ですが、間もなく黄みを帯びてきます。この頃には甘い香りがいっそう強くなります。遠州にはない風習ですが、九州などでは鬼やらいの目的で除夜に戸口にこの木の枝を差します。茎や葉が悪臭を放つからだといいます。それでトビラノキと呼んだのが転訛してトベラとなったのだそうです。
 ピラカンサ(トキワサンザシ)も外来種でヨーロッパが原産地です。冬が来て赤く色づく実が美しいので垣根などに利用されています。小鳥たちにとってはご馳走で、立春を迎えるころになるとすっかり食べつくされてしまいます。


ツルアリドオシ ガンピ


 湿地性の植物も観察できる「自然観察の道」は変化に富んでいて面白かった。
 枯葉が厚く積もった斜面に白い小さな花が二つ並んで咲いていました。アカネ科のツルアリドオシでした。可愛い双子の姉妹ニンフといった面持ちです。この植物の花には2形があって、一つはこの写真のようにメシベが突出した長花柱花、もう一つはメシベは短くて花筒に隠れ、かわりにオシベが顔をのぞかせています。氷河期からの生き残りで、大変よく似た種類でパートリッジ・ベリーと呼ばれるものが北アメリカに隔離分布しています。
 尾根筋から少し下がった林の中では清楚なガンピの花が咲いていました。花姿からもわかるようにジンチョウゲ科の植物です。樹皮の繊維が強くて光沢があるので古代から紙の原料として利用されてきたわけです。大井川より東には分布が見られないので、北限に近い存在です。小笠山にはなぜかガンピが多く、1960年頃まではガンピ集めを生業にしていた人がいたそうです。

 

ハンカイソウ エゴノキ


 谷間の湿地には木道が渡されていて、湿生植物が観察できました。
 中でもひときわ目立っていたのが花の盛りのハンカイソウでした。深く切れ込んだ大きな葉が特徴的です。静岡県以西に分布しますから関東以北の人にとっては珍しい植物の一つです。「樊噲草」と書きますが、これは漢の高祖劉邦の功臣の名に因んだものだそうです。しかし中国では「望江南」と呼ばれていて、「樊噲草」は日本でだけ通用する名です。ではなぜ日本では武将樊噲の名を当てたのかというと、これが良くわからないのです。一説にはハンカイソウの内、葉の切れ込みがほとんどないタイプを、これも劉邦の家臣の張良の名を当てて「張良草」と呼んでいたので、切れ込みの深いタイプに樊噲の名を当てることを思いついたのだろう、というのですが、ではなぜ張良だったのかというと、これもよくわかりません。小野蘭山先生は京都相国寺の僧侶が中国から持ち帰って、嘲弄しながら栽培していたので「嘲弄草」と呼んでいたのが、いつの間にか「張良草」になったのだと教えていたそうですが、嘲弄しなが栽培するなどという行為が理解できませんね。留学中によほどいやなことがあったのでしょうか。
 谷間には細い流れがあって、ところどころで岩が上流から運ばれてきたものをせき止めています。そんな小さな堰の一つに直径が1cmほどの白い花が溜まっていました。エゴノキの花でした。かすかですが、甘い匂いもそこに留まっていました。まさに、「えごの花ながれ溜まればにほひけり」という中村草田男の句の世界でした。

   

アサザ ノハカタカラクサ

 流れの先の小さな池には、最近では目にすることが難しくなってきているミツガシワ科のアサザが咲いていました(左の写真)。霞ヶ浦では護岸工事の影響で絶滅寸前となったものを「アサザプロジェクト」を立ち上げて小学生から一般市民が保護活動をしています。アサザは北半球の温帯に広く分布していて英語圏ではFringed Water-Lilyと呼んでいます。明るい黄色の花びらの辺縁に細かな毛が生えているようすに因んだ名です。
 車の往来の激しい国道から少し入った森林公園への登り口近くの農家の周りにはノハカタカラクサ(トキワツユクサ)が群生していました(右の写真)。原形質流動の観察に使われるムラサキツユクサと同じく南アメリカが原産の帰化植物です。観賞用に栽培していたものが逸出したもので、温暖化に伴い関東地方まで分布を広げています。

 

カキ シブカワツツジ


 天竜浜名湖線の岩水寺駅近くの民家の垣根越しに延びたカキの枝には未だ花が残っていました。この花が終わるころには梅雨が始まることでしょう。カキの枝の隣には、これももう終わりかけたシブカワツツジの花が咲いていました。ジングウツツジの変種で静岡県西部の特産だそうです。名前は最初にこのツツジが認識された渋川温泉に因んだものです。

 なにはともあれ、楽しい花巡りの一日でした。



June 1、 2007:  ヤマホタルブクロ
 蒲公英も野芥子も白き絮を噴き
          一期の旅の風を待ちおり   田原徹夫

 今年もはや水無月である。春の花たちはすっかりその盛りを過ぎ、多くのものはすでに子供たちを手放し、自らは土に還りつつある。
 しかし蒸し暑くなるこの季節を待っていたように咲き始める草もまた多い。ホタルブクロの仲間はそんな草の一つである。
 今日は鹿島神社の麓の茶畑の裾を廻る小道の斜面で、その一つのヤマホタルブクロに出会えた。
 ホタルブクロ(Campanula punctata)は北海道から九州に亘る山野に普通で、中国と韓国にも分布している。毛の多少、花色、花形などに変異が多い種で、東北から近畿地方にかけて見られるヤマホタルブクロ(C. punctata var. hondoensis)は、ガク裂片の間に典型的なホタルブクロにはある反り返る付属体をもたない変種である。
 細かな分類のことは分類学者に任せるとして、それよりもこの花の自家受粉を避け他家受粉を完遂するために構築された巧みな構造には驚かされる。

 花の構造については本多郁夫さんのすばらしいHP http://w2222.nsk.ne.jp/~mizuaoi/ をご覧ください。


June 2、 2006:  ヤマゴボウ

 早朝の散歩から戻ってきた家人が、川向こうの藪に珍しい花が咲いていたという。
 こちらもメールの整理やら何やらが一段落したところだったので、さっそく詳しく場所を聞いて入れ替わりに出かけてみた。なるほど近年とんと目にすることのなかった昔懐かしい珍しい花の一つだった。
 市街地や里山でしばしば出合うヨウシュヤマゴボウと似てはいるが、そのだらしなく伸びて下垂する桃色の花穂と違って、すっと直立した長楕円形の大きな白い花穂はまぎれもなくヤマゴボウのそれであった。花穂の先の方はまだ蕾で、薄く桃色に色づいているのは閉じた花びらに包まれているオシベの花粉袋の色が透けているためである。
 昔懐かしいと書いたが、この草は日本土着のものではなく、江戸時代以前に食用と薬用をかねて中国から移入されたもので、かつてはあちこちで栽培され、その一部が逸出し野生化していた。しかし今では栽培する人もなくなり、なかなかお目にかかれない存在となってしまった。
 漢方ではヤマゴボウの根を”陸商”と呼び、利尿剤として処方している。よく肥大した根を秋に掘り取り、乾燥させ煎服する。日本の民間では肋膜炎や肺炎の治療にも使われた。またよく揉んだ葉を根の煎じた汁で浸したものを幹部に貼ると悪性の腫瘍に効果があるという。しかしこの根には有毒成分のアルカロイドのキナンコトキシンや硝酸カリが含まれるので、素人が安易に扱うのは危険である。
 一方、食用するのは若葉で、茹でてから水にさらしておいて胡麻和えなどにする。私は未だ試したことはないが、ちょっと辛味があってなかなか美味しいという。太い根も薄切りにして灰汁で煮て、さらに数日水に晒せば食べられると聞いたが、これも試さない方が良い。試されるなら、コンピュータのソフトのように自己責任で、というところだろう。



June 2、 2011: ヤマウルシ Rhus trichocarpa Miq.

 近道をしようとして迷い込んだ、久しく人の通ったことのなさそうな谷道に、花の盛りのヤマウルシの雄株が覆いかぶさるように茂っていた。
 春先の、ベニシダの芽立ちのような色づきをしていた若葉は、葉軸にその赤味を留めるものの、すっかり大きく展開し、その明るい緑色の複葉の笠に守られて、淡い黄色の粟粒ほどの雄花を集めた何本もの花穂が小さな虫たちを集めていた。
 北海道から九州まで、山地に普通に見られ、栽培される中国原産のウルシ同様の漆成分を分泌するが、その量はわずかで代用にはならない。とはいえ、人間に皮膚炎(かぶれ)を起こさせるには充分な量ではある。
 遠州の里人の中には、この木をハゼノキやヌルデと混同している方が少なくないが、姿形が似ているばかりかかぶれ成分を含み秋には美しく紅葉する点でも共通しており、無理からぬことである。
 遠州にはハンジという里呼び名もあり、はじめて聞いたときには何に因んだ名なのかと首をかしげたものだが、その後にハンジノキという名の存在を知って、ハゼノキから転じたものと合点した。



June 3、 2008:  ドクウツギ Coriaria japonica A. Gray
 東海地方は今日入梅した模様と気象庁が発表した。例年になく早い雨の季節の到来である。
 だが今朝5時に目覚めたときにはまだ雨が来る気配はなかったので、二人で久しぶりに駅北の丘陵の道を歩いた。その道すがら、近年はほとんどお目にかかることのなかったドクウツギ(Coriaria japonica)の赤い実に出合えた。昔はさほど珍しいものではなかったのだが、どうして少なくなってしまったのだろう。
 名前のとおりの有毒植物で、コリアミルチン(Coriamyrtin: C15H18O5)という神経毒を主に種子に含んでいる。赤い色の若い実はシャリシャリとした歯当たりだが、熟して黒くなったものはやわらかく甘みがあるので昔は子供が中毒死したことがあったという。昭和56年には毒とは知らずこの実で果実酒を作って飲んだ福島県下の男性が激しい痙攣発作に襲われたが、幸いにして命は取り留めたそうだ。
 こんな危険な植物だということが知れ渡ったのが、ひょっとしたらドクウツギが少なくなった原因かもしれない。


June 4、 2006:  ササユリ
  遠州の里山ではいまがササユリの盛りである。むかしからこの辺りではヤマユリ同様にごくありふれた百合だったらしいのだが、何故か少年の日の思い出の中には、むせ返る香りを放つヤマユリは鮮烈なのだが、ササユリは存在していない。夏休みに出会うことの多いヤマユリと違って、ササユリは子供たちの行動半径が狭まる入梅のころに咲くからかもしれない。

    かりそめに早百合生けたり谷の房   蕪村

 蕪村の生けた早百合がササユリ(笹百合)であったという証拠などどこにもないのだが、私は勝手にそれに違いないと決め込んでいる。ノイバラに執着の深い蕪村が目に止め心に留める百合といえばこのササユリを置いて他にはないと思うのだ。
 チュンベリーが Lilium japonicum という学名をササユリに与えたのも、静かな日本の自然の具象のような優しい面持ちを、この百合に見たからではないだろうか。
 静に夜も更けたいま、本家の裏山から手折ってきた一もとのササユリが書斎の片隅で甘く香っている。


June 5、 2005: ノイバラ
 今日は陰暦4月29日、芒種である。
稲や麦などの芒(のぎ)のある穀類を播種する目安とされた日だ。しかし品種改良と温暖化現象があいまって、この辺りの水田では既に背丈の伸びた若稲が初夏の風になびいている。
 しかし野生の者たちは、温暖化に反応はしているものの、ほとんど昔ながらの花暦の沿って咲いては散っている。
 植物たちの生活のリズムには、また動物たちのライフサイクルも同調する。たとえば、腐草為蛍(ふそうほたるとなる)といわれたようにホタルが飛び交い始めるのもこの頃からである。
 そのホタルを見ることができる場所が菊川の源流に近い倉沢にあると聞いて、下見がてらでかけてみた。
 牧の原台地の西斜面にあたる場所だが、美しい棚田には保存会の方々によって植え込まれた稲苗が元気よく育ち、どこからかホトトギスの声が渡って来た。そして、水田を挟む丘の斜面には、もうその盛りは過ぎてはいたが、ノイバラが咲いていた。

   路たへて香にせまり咲くいばらかな    与謝蕪村



June 5、 2012: セキショウ Acorus gramineus Soland

    石菖の花咲くことをわすれゐき
                うすみどりなる石菖の花   若山牧水

 ホトトギスが鳴き渡る岡の雑木林を縫って流れる沢水加川の岸辺に、斑入り葉のセキショウの小さな群落があった。
 近寄ってみるとショウブのそれのミニチュアのような花穂が立っていた。
 昔遠州の子供たちはメッパジキと呼んでいて、私も友達と一緒に、折り取った弾力のある花穂で瞼を弾き上げて“パッチリ目”などといって遊んでいたことを思い出した。
 関東地方以西の渓流の縁に自生するが、近年はあまり見かけなくなっている植物の一つである。
 ショウブと同様に古代から薬草として利用されてきたが、日本庭園の水辺にも植栽され、いくつかの品種が知られている。
 植物学的にも大変面白い存在で、形態に基づいた分類ではサトイモ科に入れられてきたが、DNA塩基配列の解析から、サトイモやテンナンショウなどの仲間(サトイモ科)ではなく、すべての単子葉類の共通祖先に近い存在であることが確かめられ、今ではショウブ科、ショウブ目という独立した系統だと考えられている。

           石菖の朝露かろしほととぎす    素牛
       

 私にはもはやかかわりがないが、などと思いながら『2050年の世界地図』を購読くした。かなり勉強になった。メガシティ、水ストレス、先住民などの問題は今までほとんど考えたこともなかった。現在の30台以降の人たちが生きなけねばならない世界の問題ではあるが、そんな人たちだけでなく、今生きている誰もが考えねばいけない近未来への警鐘であった。 



June 6、 2009: チガヤ ー2


 家人の帯状疱疹の腫れや痛みはほとんど治まったが、内耳の神経に麻痺が残っていて平衡感覚が不安定で、いささか心配ではである。2週間の間隔を置いて診察を受けに出かけた病院へ彼女を迎えに行く途中の川土手一面に、白いチガヤの穂が折からの青嵐に吹かれ靡いていた。

         浅茅原つばらつばらにもの思へば故りにし郷し思ほゆるかも      大伴旅人 (3-333)

 同じように花の終わったあとの姿ではあるが、チガヤのそれには晩秋のススキの白い波のような寂しさはなく、なにやら柔らかな母親の頬の感触を思わせる。それは離れて思う故郷の優しさではないだろうか。そしてこれは、古来、日本という島国の自然に育って始めて覚える感覚かもしれない。
 人は生まれ育った自然の一部であり自然そのものなのだろう。だからこそ、その自然と共感できるのだろう。
 
          しらじらと茅花ほけ立つ草野原夕日あかるく風わたるなり       古泉千樫

 スダジイやクスノキの花も終わり、里山の緑は日ごとに深まり、今通り過ぎた風にはどこからか運ばれてきたクリの花の香りがした。
 自然だけに思いを寄せていれば、なべてこの世はこともなく幸せな日々なのだが、人の世は多事多難である。
 TVの映像や新聞の紙面で北朝鮮の現状を見ると、第2次世界大戦に突入する直前の日本やナチの一糸乱れぬ大衆行動が想起される。日本のマスコミや一部の人々のややヒステリックな反応も気になる。ノドンが一発東京に落ちたら、さて日本政府や国連はどんな行動を起こすのだろう。まさか真珠湾攻撃後のあの世界の愚が繰り返されるとは思いたくないが・・・・。



June 6、 2011:  ヤマザクラ  Prunus jamazakura Sieb. ex Koidz.
 桜の実の匂へる午後の木下道
     われはとほりぬ曇空ひくく  佐藤佐太郎

 梅雨の晴れ間、戦前から手付かずのまま残されたらしい雑木の杜の、沢沿いの小道を辿った。
暗い沢の底から立ち上がっているヤマザクラの、木漏れ日を浴びて枝垂れかかっている枝には、点々と赤い桜ん坊が光っていた。
 ところが帰宅して画像を整理してみると、ミヤマザクラやマメザクラのように、花柄に小さいものの托葉が残っている。しかし、葉や樹皮の特徴はヤマザクラのそれである。来年の花時に確かめる必要がありそうだ。

 代議士たちは相変わらずの体たらくで、なんともしがたいが、青森県では自公民推薦の現職知事が大差で再選された。原発については安全第一というものの様子見だという。結局は、福島に懲りずに、御用学者と政治家と電力会社の絶対安全説を信じたふりをして県民の生活向上のためといいつつ原発を新設・再稼働させるのであろうか。
 最近買ったR. Fortey著渡辺政隆・野中香方子訳『乾燥標本収蔵1号室~大英自然史博物館・迷宮への招待 Dry Store Room No.1 - The secret life of the natural history museum 』はめっぽう面白かった。何処も同じといってしまえまそれまでだが、科学史に名を残す人々の論文からは知りえない姿は微笑ましかった。節足動物の研究で知られたシドニー・マントン女史の妹が、私がシダ植物の染色体研究にのめりこむきっかけとなった著作の著者イレーネ・マントン教授だったとははじめて知った。現役の方々には古きよき時代を懐かしんでいるだけだろうといわれるかもしれない著作ではあるが・・・。
 反対に、最近買ってシマッタと思ったのが岩波の『日本語語感の事典』である。私が日本語を学ぶ留学生だったらさぞや役にはたったのだろうが・・・・・。


June 6、 2013:  リョウブ  Clethra barbinervis Sieb. et Zucc.
樹のすがたすがすがと風に漉く
  花のしろき総なしてゆれゐる令法
                 栗原潔子

 険しい崖の上の雑木林に、白く明るい花穂群が頼りなげに揺らいでいた。
 ズームアップしたファインダーの中に浮かんだのは、まだ蕾の多い、咲き始めのリョウブの花穂だった。
 北海道以南の山地に普通に分布し、崩落した荒地などにいち早く進出することもできる。ツツジなどに類縁が深いリョウブ科の1種で長江下流域にもあり、浙江省杭州の山中で花の盛りに出合ったことがある。
 リョウブ科には12種がキューバを中心に熱帯アメリカから報告されているプルディアエア属とアジアと中米・カリブ海域を挟んだ南北アメリカと飛んでマデイラ島に隔離分布し約80種が記載されているリョウブ属とがあるが、日本に自生するのははリョウブただ1種である。
 リョウブという和名の由来には諸説あるが、俳句や短歌では“令法”と記すことが多い。若芽は食用できるので飢饉に備えて決まった個体数(法)を植栽せよという官令が古代に発令されたことによるのではないかと深津正は『植物和名語源新考』で推測している。ちなみに中国ではリョウブ属植物を“山柳”と総称している。
 寛元2年(1243)ころ編まれたという『新撰六帖題和歌』に収録されている藤原家良の「里人は若葉つむらんはたつもり外山は今は春めきにけり」にある“はたつもり”もリョウブのことだという。古くから非常食として利用されていたからである。しかし語源については諸説あってよくわからないが、牧野富太郎は食糧とはかかわりなく、白い旗を立てたようによく目立つ花穂の姿に因んだと考えていた。

             瑞々とりやうぶの葉など匂ひつつ山なれば山の悲しみに触る    森村浅香

      
 昨日、安倍総理は成長戦略第3弾として、一人当たりの国民総所得(現在は約570万円)を10年間で150万円増やすと得意げにしゃべっていた。これを聞いた庶民の多くは自分の所得が150万円増えると誤解して、それなら参院選挙は自民党にと思ったのではいだろうか。年金生活者や非正規雇用者の所得がそんなに増えるはずもあるまいのに。おそらく、安倍総理は「平均年収が・・・」と思い込ませるのが狙いだろう。


June 6、 2014: ハコネウツギ Weigela coraeensis Thunb. 
 明日あたりには梅雨入りするかもしれないとの予報を聞いて、それならばと出かけた丘の公園ではハコネウツギが花の盛りを迎えていた。
 関東地方以西の太平洋岸沿いに分布していて、古くから庭園に植栽されていたと思われる。
 シーボルトは『日本植物誌』に「この植物の名は箱根山に由来する。箱根の海抜650から975メートルの高さのところで、他の低木と混じることなく谷間一帯を埋め尽くすように生えている・・・・(瀬倉正克訳)」とあるものの、現代の箱根山では稀で、よく似たニシキウツギの方が多い。両者は葉に生える毛の状態と花形の違いなどで区別できるが、どちらとも言い切れない個体も存在する。これは2種間の雑種だと考えられている。現在は公園や山地の道路沿いに植え込まれていて、この季節あちこちで目にすることができるが幕末まではさほどではなかったらしく、シーボルトは「この低木を庭先で見かけたり、植栽されているところを見かけたりすることは稀にしかない。生け垣や茂みが人家の小さな庭を彩っているのに出会うのも、山地に限られている(瀬倉訳)」とも記している。
     
 先週土曜日の朝日オピニオン欄『デジタルの落とし穴』は面白かった。ガラケーしかもたないという美輪明宏さん(1935生まれ)は「ネットが与えてくれるのは情報であり、情緒や情念、安らぎとはちがいます」というのだが、ちょっと違うな~、PCも持って遊んでみたら、といいたい。ブロガーで精神科医の熊代亨さん(1975生まれ)は「ツイッターの140文字に代表される短文が支配する世界では、言語・非言語を含めた感情表現がやせ細り、単純化、象徴化されたものに変わっていくことが心配」という。同感である。作家・音楽家のたくきよしみさん(1955生まれ)も「若い世代はアナログ的作業の苦労や醍醐味を経験せずに育ち、物事の本質や深みを知らないまま、デジタルツールが使えた時点で満足してしまっている」と警告しているが、そんな若者たちばかりではないと信じたい。


June 7、 2008:  イヌツゲ Ilex crenata

 ご近所の生垣のイヌツゲが花の盛りだった。あまりに細かな花なので手元に寄せようと枝を引くと、ほろりと零れた。

   犬黄楊の低くむらがり生ひにける
          沢にぬれつつ苔をあつむる   鹿児島寿蔵

 詩歌の世界では犬黄楊と書くモチノキ科のイヌツゲ(Ilex crenata)は岩手県以南、四国、九州、韓国南部に分布する雌雄異株の常緑低木で、写真は雄株である。
 産地の日当たりの良い環境を好むものが多く、鹿児島寿蔵の詠んでいるイヌツゲは滝の傍のよく日のあたる崖にでも生えていたのだろうか。
 植木屋さんたちはツゲと呼びツゲ科のツゲ(Buxus microphylla var. japonica) はホンツゲとして区別しているが、素人には花の咲いている枝でも比べない限り識別は困難だろう。したがってこの木がツゲ、またはヒメツゲだと思っている人が少なくないようだ。



June 8、 2005:  テイカカズラ
   歌人の定家葛といふ名すら
            時代移りし花の咲くかな     岡 麓

 近くの神社の境内に入ると甘い香りが流れてきた。
 拝殿の横の歳経た椎の木に覆いかぶさるように茂ったテイカカズラの白い花の香であった。
 北海道をのぞく各地に分布しているキョウチクトウ科のつる植物で、盆栽に仕立てられることもある。名の由来については諸説があるようだが、主流は室町時代の金春禅竹作といわれる謡曲の『定家』起源説で、「式子内親王程なく空しくなり給いひしに、定家の執心葛となって、おん墓に這ひ纏ひて互いの苦しみ離れやらず」と謡われる葛がこれであるという。「庭下に生える葛」説よりロマンがって楽しい。
 式子内親王は後白河天皇の第三皇女で『新古今和歌集』をはじめ多くの歌集にその短歌が収録されている鎌倉初期の女流家人であり。定家はいわずと知れた藤原定家である。

 秋になると葉が美しく紅葉するが、春が来れば再び緑に還る。



June 9、 2007: ネズミモチ
  ねずみもちつぶつぶの蕾むらがりて
            小花ひらかむ時はちかしも   高田浪吉
 街中の生垣でも、丘陵の雑木林の中でも、真っ白な小花を密に咲かせたネズミモチ(Ligustrum japonicum)の花穂が目立つようになった。
 関東地方南部から沖縄に亘って分布しているモクセイ科のイボタ属の小高木である。内陸部より沿海部に多い。常緑で刈り込みにも耐えるので昔から生垣として植栽されてきた。いまではヨーロッパなどでも栽培されていて、先年訪れたスペインのバルセロナでは街路樹となっていた。見つけたときは少し懐かしかった。
 秋に熟す黒くころりとした実の形がネズミの糞に似ていて葉がモチノキにも似ているのでこの名で呼ばれるようになった。ネズミが嫌いな向きはタマツバキ、テラツバキ、ヒメツバキなどとも呼ぶ。
 熟した実を日干しにしたものを漢方では”女貞”と名付け、強壮効果があるという。もっとも本場の”女貞”はトウネズミモチ(L. lucidum)の実である。
 トウネズミモチも大気汚染にたいする抵抗力があるので、街路樹として植栽されている。上海の公園で見たトウネズミモチは可哀相なほど煤けていたことを思い出す。


June 9、 2011: オオバヤシャブシ Alnus sieboldiana Matumura
  道のへのヤシヤの莟は青黝し
     指につぶし見てわが憩ひおり  島木赤彦

 西方川の右岸に迫る丘陵の裾に切り開かれている小道を行くと、崖から垂れ下がったオオバヤシャブシの枝先に、触ればちょっと痛そうな緑の果穂が乗っていた。
 葉の鋸歯が細かくて果穂(雌花序)が雄花の穂(雄花序)より下に付くヤシャブシとよく似ていて葉のサイズがやや大きいからオオバヤシャブシというのだが、このあたりではどちらもオオバミネバリとかヤシャノキと呼んでいる。
 分布域は屋久島が南限のヤシャブシより狭く、福島県から和歌山県までの太平洋側で、海岸に近い山地に多い。
 ヤシャブシと同程度のタンニン含量があって“ふし”に代用されたかは定かではないが、フランキア菌などが根の細胞間隙に入り込んで共生している外生菌根があり、土壌栄養に乏しい環境でも生育できる点は同じである。
 そのため、地震や風水害で崩落した山の斜面の保持・修復のために植栽されることも多い。
 
 福島第一原発はメルトダウンして3ヶ月が過ぎたものの、放射性物質の垂れ流し状態はいっこうに治まらない。この惨状とその人類に対する危険性に敏感に反応したドイツは脱原発を決定したが、当の日本政府は原発を止めるとはこの期に及んでもいわない。β線・γ線を放つセシウム137で茶葉を汚染された茶農家の反原発の声は小さい。国民の声もかき消えそうだ。


            花咲きて愛でる人なく畑ありて種蒔く人なし沈黙の春         北澤早緒理
            刈り捨てる生茶の匂い嗅ぎながら農の人嘆く原発汚染        喜多 功
            いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば     野田珠子
            「原発に馬も豚っこも牛も皆殺られちまっただどうしよもねべ」     寺崎 尚



June 9、 2014: ノビル Allium grayi Regel.
  道のべによろめきて咲く野蒜かな  村上鬼城
 前線はまだはるか南の洋上とはいうものの、東北地方まで梅雨入りした列島は、あちこちで激しい雨に洗われているが、幸いなことにこのあたりは穏やかな梅雨模様である。
 夜間に降った雨の滴が、雲の切れ間から差し込む朝日にきらめいている野の道に出ると、草の茂みの中をうねるようにして立ち上がってきたノビルの細い緑の茎の先に、ほのかに紅をさした小花が集まっていた。
 日本全土の農耕地帯に分布していて、遥か有史前に大陸から人とともに渡ってきたかもしれないともいわれるネギ類の一つで、春の摘み草として有名である。おそらくアフリカを発って極東に達した最初の人類もこの野草の味を楽しんだことだろう。 私見ではあるが、慶長8年に出版されたポルトガル語・日本語対応辞書である『日葡辞書』に「スミレ-この名で呼ばれるある草。根はニンニクに似て、食用にされる」とあることなどを考えると、「春の野にすみれ採みにと来しわれぞ 野を懐かしみ一夜寝にける」と詠んだ山部赤人が摘んだすみれ(須美礼)は、スミレ(菫)ではなくノビルだったのかも知れない。


June 10、 2005:  クロガネモチ  Ilex rotundata Thunb.

 遠州灘の沖はるかを北上してきた台風4号が、間もなく八丈島の南を通り抜け房総半島をかすめるらしい。
 その余波で、この辺りは朝から風が強く、木々は大きく揺らいでいるものの、ときどき青空がのぞく。その晴れ間を狙って、近くのお寺さんの境内で、花の盛りのクロガネモチを撮った。
 関東地方から琉球諸島と韓国南部や中国中南部などの暖地に生える高木で、雌雄異株である。写真は雌株の花である。
 最近の少年たちにはとんと縁のない木であるが、私が小学生の頃は「黐」という字を読んだりましてや書いたり出来なくても当然という顔が出来たのだが、クロガネモチやモチノキを知らなければ恥かきものであった。これらは、当時は禁止などされていなかったメジロなどの小鳥を捕るための「鳥もち」の原料として大いに利用されていたのである。
 梅雨に入る頃、青味を帯びた花の香りを利きながら厚みのある樹皮をはがし束ねて水につけておき、秋になって醗酵が進んだ頃に水切りして石の上で叩き潰すうちに粘度の高い「鳥もち」がとれた。
 
ドラエモンの秘密兵器、影を捕らえることの出来る「かげとりもち」は、私たちの「鳥もち」が進化したものだろう。



June 10、 2010: サラサウツギ
              Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. plena (Maxim.) C.K. Schn.
 今朝はほのかに色づいた優しく柔らかな乳飲み子の肌を思わせるような美しい花に出合えた。

 八重咲きのウツギの一つ、サラサウツギ(更紗空木)である。純白の八重咲きもあって、こちらはシロバナヤエウツギと呼ばれている。

 手元にある図鑑や園芸書には、どちらも古くから栽培されているとはあるが、いつごろ何処で栽培され始めたのかは記されていない。『大和本草』や『重修本草綱目』にも八重咲きのものがあると記されているので江戸時代よりその歴史は古いのだろう。

 それにしても、なんというたおやかさだろう。そして、一見して、和の風土に育ったものと感じさせる容姿である。私はすっかり魅了されてしまった。花は早朝の冷気の中でもかすかに香っていた。


June 10、 2012: コアジサイ Hydrangea hirta (Thunb. ex Murray) Sieb. et Zucc

 寂しげな少女のごとく小紫陽花    静

 谷の木漏れ日の中で、今にも褪せてしまいそうな淡い青紫色の小花を束ねて、コアジサイが咲いていた。
 目立とうとする気配の全く感じられない静かな花であった。
 関東以西九州にかけて分布する日本固有種で、アジサイの仲間だが、装飾花がなく葉に深い切れ込みがあるので、シーボルトは最初にこの花に出合ったとき地中海域原産でキキョウ科のユウギリソウを連想したと『日本植物誌』に記している。
 遠州の里ではこの木をヤマアジサイと呼んでいるが、標準和名でのヤマアジサイは装飾花をつけ葉の切れ込みもほとんどない別種である。しかし標準和名は学術的な記述には必要だが、里呼名が間違っているということではない。認識の違いに過ぎない。江戸時代の本草学者もこの木をヤマアジサイと呼んでいるとシーボルトも書いている。

 大飯原発が再稼動するようだ。原発関連で経済が回っていた地元の政財界の強い要望で、野田総理が「稼動させないと日本の経済と安全が大変なことになる。福島の事故を念頭に置いた上で安全は確認したので、私が責任を持つ」と記者会見で大見得を切っていた。フィルターも防潮堤のかさ上げも避難経路の構築も未だ着工すらしていないのにである。昨日NHKがおこなったアンケートでは総理を信じたのか、それとも信じないからか、再稼動賛成者は25%ほどだった。賛成者は、直下には活断層はないという関西電力の根拠の薄い主張も信じたのだろうか。しかし総理はどのように責任を取るというのだろう。福島の人々はさぞや怒り、そして悲しんでいるに違いない。


June 11、 2005: シモツケ
  台風4号は関東沖の太平洋上で温帯低気圧に変わったものの、この季節では台風一過の青空とはいかない。
 それでも朝のうちは陽も射して、露の残った庭先のシモツケの花を輝かせた。
 シモツケは北海道西南部から九州にわたって広く分布していているほか、韓国や中国にも自生しているバラ科の潅木である。美しい花木なので古代から注目されていたらしく、平安時代にはすでにこの名で呼ばれていて、『枕草子』の67段にとりあげられている。
 もっとも、松田修さんのように、清少納言が美しい花と見たシモツケは「草の花は・・・」で始まる段にあるのだから草本のシモツケソウのことだと主張する向きもある。しかしこの段には萩の花も挙げられているのだから、柔やわとした潅木のシモツケでもおかしくはない。
 産地により変異が多く、高山型のオヤマシモツケ、箱根や富士のヒメシモツケ、伊吹山のウラジロシモツケなどの品種があある。シモツケという名は下野の国に因んだものといわれている。
   しもつけの花を小雨にぬれて折る    成瀬正俊


June 12、 2007: ハマニガナ

  浜にがな浜地しばりの黄が匐ひて
            ぬれゆく砂に雨が漾ふ  生方たつゑ

 私はハマニガナの花にであうたびに、今は亡き生方たつゑのこの句を初めて読んだとき、”砂に雨が漾ふ(ただよう)”というのはどんな現象なのだろうかといぶかしく心に残ったことを思い出す。しかし理屈抜きで読めば幻想的な砂丘の世界をかいま見ることができるのかもしれない。
 遠州灘からの”ながし南風”が吹き渡り産卵を終えたアカウミガメが海へ戻っていった足跡のかすかに残る砂浜で、今日この花を目にしたときも、やはり生方のこの不思議な句を思い浮かべていた。
 ハマニガナは典型的な海浜植物で、ベトナムから中国、韓国、日本列島、そしてカムチャッカまでの砂浜に分布している。インド洋に面した海辺でこの植物を見ることはないので、遥かななる太古に、恐らく南シナ海沿岸地域のどこかで生まれ、やがて海流に乗って北上してきたのであろう。 



June 13、 2009: ナツグミ Elaeagnus multiflora

 夏茱萸がいろくれなゐにむらがりて
       生ふるを見れば古へ思ほゆ   斎藤茂吉

 気象庁は9日に東海地方が入梅したと発表したが、一昨日から好天が続いていて、強い日差しを浴びたテイカカズラの風車形の小花もネズミモチの花房も茶色に変わり萎れ始めている。そんな藪影に、つややかな朱色に熟し始めたナツグミの、長い花柄の先に下がった小さな俵のような実が群がっていた。
 日本全土ばかりか韓国と中国にも分布する低木で、初夏には数少ない山の恵みである。アキグミに比べるとやや渋みが舌に残るが、子供の頃には見つけ次第口にしていた記憶がある。
 おそらく古代から里山に住む人々には馴染みの深い植物であったに違いないのだが、なぜか『万葉集』をはじめとする古典の短歌にはそれと知れるものが詠われていない。しかし平安時代に著された『本草和名』には「久美」の名で登場する。もっともこの「久美」はグミの仲間の総称であろう。



June 14、 2005: オウギカズラ

 霧雨の中、文殊岳へと向かう。下界の眺望は望めないだろうが、それよりも人の気配が絶えた深山の道がうれしい。
 晴れた日に仲間とあれこれ話しながら花を楽しむ山旅にも心ひかれるが、この季節のこんな日和の一人歩きも捨てがたいものだ。
 モンスーンベルト東のはずれに位置する6月の日本列島は、多雨に恵まれ、気温も高まり、木も草も生き生きとしている。その緑の世界の中に一人身を置くと、現代の物質文明に汚染された心が洗われるような気がするのだ。汚染されたと感じているのは、自分が日々取り込んできた情報の無意味さを心のどこかで感じ取っているからであろう。
 そして、その汚染は、もはや洗い落とすことのかなわぬ、脳細胞の死をもってしか消去されえないものと知ってはいるが、不思議なことに水無月の緑の世界はそれを意識の底に沈め、命とともに与えられた無垢の感性を浮かび上がらせてくれるのだ。
 それは、杉の古木が茂るほの暗い修験道沿いに広がるオウギカズラの青い花が、密生する葉群の中から何事か訴えるように浮かび上がっている姿にも似ているような気がした。



June 14、 2010: 旅立つノアザミ Cirsium japonicum DC., Setting for the trip.
 平年より10日遅れで東海地方が入梅したとの気象庁発表があったが、今朝は雲の切れ目から日も射して、ほぐれたノアザミの痩果のパラシュートが最後の別れを惜しむように連なって、茅花流しに揺れていた。
 パラシュートは一つ二つと、そして時には三つ四つがもつれたまま一瞬の早風に乗って旅立っていった。あてのない、そして帰るすべのない旅立ちである。
  旅といえば、昨夜オーストラリアのウーメラ砂漠の上空の戻ってきた“はやぶさ”の60億キロの旅は、壮大で感動的であった。M5ロケットで打ち上げられて小惑星イトカワへ旅立った7年前のことは記憶に残っていなかったが、自動制御装置で小惑星に着陸して岩石採取を試みたとのニュースに接した頃から興味を持った。ことに、エンジン故障により行方不明となったものの通信が回復し、予定より3年も遅れて帰還の途についたと知ったときからは、この日を心待ちしていた。
 大気圏突入とともに散華してゆく“はやぶさ”はあのスペースシャトルの事故を思い起こさせはしたが、切り離されて金色の糸を引くように落下するカプセルには帰還できたことを喜ぶ“はやぶさ”の魂が宿っているようだった。



June 14、 2012: チチコグサ Gnaphalium japonicum Thunb.
 ちちこ草母子草生ふる野辺に来て
       昔こひしく思ひけるかな    香川景樹
 丘陵地の礫岩が露出した高みに建てられた小さな社殿前の乾燥した広場の枯葉の吹き溜まりに、チチコグサが風に吹かれて咲いていた。だが、その小さな吹き溜まりにはチチコグサ以外の姿はなかった。まるで追いやられてたどり着いたレフュージアのようだった。
 香川が恋しく思い出したのは今は亡き父母との在りし日々だったのだろう。そのころはの田園のあちこちでチチコグサやハハコグサに出合えたに違いない。 しかし現代の人里は帰化植物たちの天下となり、チチコグサモドキやウラジロチチコグサがはびこり、香川に昔を思い出させたものたちは追いやられ安住の地を求めて彷徨っている。
 彷徨うのは、なにもチチコグサに限られることではない。ある意味ではすべての生き物が時の移ろいの中で彷徨っている。彷徨いながらあるものは死に絶え、あるものは避難場所に命を繋ぎ、またあるものは姿や生き方を変えて、ひと時の安寧の地に栄える。
 ヒトもまた同じ。アフリカのサヴァナで歩き始めて以来、この星を彷徨い、そして今、行き場を失いつつある。


June 15、 2005: マテバシイ

 公園に植栽されているマテバシイが満開だ。といっても、花びらにあたるものがないので満開という表現はいささかおかしいのかもしれない。だが元気よく突き出したオシベとそこから放たれている虫たちを誘惑する香りは、やはり満開というに相応しいのではないだろうか。
 マテバシイは馬刀葉椎と書く。つまり馬刀(マテ貝)に似た形の大きな葉を持つ椎、という意味である。もっとも私は初めてこの木の名を知ったとき、「明日こそは檜になろう」というアスナロからの連想で「待てば椎になれる」マテバシイだと覚えたような気がする。
 関東地方以西の海岸に近い山野に自生する木だが、元来は南方系のもので九州以南に分布していたものが人手によって広まったものと考えられている。
 愛知県の縄文後期の大地遺跡から40個のマテバシイの実が出土していることを見ると、海上の道を北上してきた古代の人々は既にこの木の有用性を十分に理解し利用していたのであろう。
 マテバシイの実(ドングリ)は大きく苦味もないので、粉に挽いて少し味付けすれば結構食べられる。



June 16、 2006:  コモチマンネングサ

  地球上には60億人を超す人間がいて、今年だけでも日々100万の誕生との95万余の死が予測されることを考えてみれば取り立てて異例なことではないのかも知れないが、それにしてもこのところ、戦の最中でもないこの町で、身近で死ぬ老人の数が多い。Aさんも、Bさんも、そして昨日まで元気で小学生の下校時を見守っていたCさんも、突然他界された。
 政治家と中央の役人は、年金生活者のための税収を確保したいが為というが、本気とは思えない”生めよ増やせよ政策”を策定しようとしている。しかし、少なくとも老人にかかる費用は、無用な延命治療を見直せば、間もなく激減していくことであろう。繁殖能力を失い、生への期待も失せた生き物はなべて急速に平穏な死に向かうというのが20世紀の生命科学が証明したところである。
 今朝、Cさんの棺を合掌して見送った、その庭の石垣には、小さいけれども明るい顔をしたコモチマンネングサが咲いていた。万年草との名ではあるが、梅雨の最中に気温が上がれば、力なく伸びて間もなく朽ち果てる。とはいえ、無数の無性芽がこぼれて命は紡がれる。自然には無理がない。


June 17、 2009: アジサイ Hydrangea macrophylla 

 木の下の風はしめりて吹くからに
         紫ふかしあぢさゐの花   松村英一

 昨夜は小気味よいほどの雷雨だった。シャッターを打つ雨粒の音がまるで小石が投げつけられているように激しかった。
 夜が明けると雨はすっかり上がっていたが、心配したとおり、花壇ではペチュニアの柔らかな花びらが重い雨粒に貫かれ切り裂かれて哀れな姿となっていた。
 しかし風はさほど強くはなかったようで、庭の木々はいつもと変らぬ佇まいのように見え、アジサイは雨の雫をとどめて心地よげであった。

  千葉市では31歳の若者が市長の座に就いた。かつてのあの保守色の強かった千葉市に住んだ身としては嬉しい変化である。日本の政治が変りつつあるのだと思いたい。静岡県知事の選挙が間もなくだが、こちらのほうは候補者たちに誠実さが感じられないのが残念である。



June 17、 2005:  ハナミョウガ

 巷ではクールビズなどという聞きなれない言葉が政府の音頭とりで流行っている。空調の温度を28℃に留めたオフィスで働くビジネスマンが暑さを忘れて快適に過ごすために考案されたウエアのことらしい。その目的はいうまでもなく発電によって発生するCO2量の削減である。計算上は室温28℃にすれば27℃を維持する際に発生するCO2の0.3%が削減されることになるという。焼け石に水ではないかという見方もあろうが、やらないよりはましであろう。とはいえ、人類が今のように大量の化石燃料を使う生活を続ける限り大気中のCO2の増加は止まないであろう。化石燃料を使い切るか代替エネルギーにきっぱりと切り替えられたとき、初めて18世紀並の排出量に戻るのであろう。さて、そこまで人類は存続できるのだろうか?
 戦国時代の城跡の残る台地に刻まれた谷間の小道を、こんな愚考を巡らせながら歩いていると、開花する直前の赤い蕾を連ねたハナミョウガの群落に出会った。ふと、半世紀以上も前のことだが、この草の名とその実が伊豆縮砂という胃薬になることを教えてくれた物知りだった亡き叔父のことを思い浮かべた。
 CO2問題など思いもよらない時代であった。



June 17、 2011:  ウツギの実  Fruits of Deutzia crenata Sieb. et Zucc
 歳のせいだろう。今年はことのほか季節の移ろいが早く感じられる。
 白い花は咲いては散り、また新たに咲く。
 ヤマボウシの白妙の苞は散り敷き土色に変り、コクチナシとクチナシが競うように咲き始めている。
 霧雨が時折り渡っていく。
 植生の移るに任せている庭には、白い星をちりばめたようにドクダミが咲き、不如帰が渡って来たころ白く輝いていたウツギの花穂は、緑に彩色された小さな独楽のような実の連なりに変わっている。
 今まで私はこの季節のウツギの実がこれほど美しいものとは知らなかった。冬季に葉の落ちた枯れ枝の先の、乾いて硬い黒い実しか目に留めてこなかったのだ。
 自然は見つめれば見つめるほど、その秘めた美しさを知らせてくれるものと、この歳になってあらためて教えられた。

 しかし、見つめても見つめても、そこにあっても、人間には感知できないものもある。
 その一つが放射能なるものである。
 人間たちの作り出した放射性物質の漂う世界に世代を重ねるうちに、いち早く危険を察知できる、ガイガーカウンターのような感覚器をそなえた生き物が出現するのだろうか。それとも、その前にホモ・サピエンスのDNAは崩壊してしまうのだろうか。


June 18、 2008:  マサキ Euonymus japonica
 梅雨曇の下の岬の森は”まじ”の風にときおり大きく揺らぎ、濃い緑の常磐木の葉がひるがえった。その森の小道に沿って幾株ものマサキ(Euonymus japonica)が茂り、細かな白い花が咲いていた。
 中国や韓国にもあるが、日本では渡島半島以南に分布していて、海岸やその近くの山地に多いニシキギ科の低木である。
 常緑で光沢のある葉も美しいので昔から生垣として利用されているが、詩歌の世界ではほとんど無視されている感がある。よく見れば花も赤く熟した実もなかなか風情があると思うのだが、ユウマダラエダシャク(Abraxas miranda miranda)などの幼虫が多量に発生することがあるので嫌われるのだろうか。
 新古今集に収録されている源俊頼の「日暮るれば逢ふ人もなしまさき散る峰の嵐の音ばかりして」の”まさき”がマサキだという説もあるようだが、いやこれは”まさきかづら”すなわちテイカカズラだという人が多い。

   厚き葉の柾光れり雨避けて
           山の榎の下に憩へば    間島定義


June 19、 2005:  クリ

 東京は既に見渡す限りの焼け野原となっていた60年前の今夜半から翌未明にかけて、静岡市は123機のB29による絨毯爆撃を受けた。無差別殺戮爆撃である。使われたのは10,000発のM47という焼夷爆弾で、上空300mで花火のように破裂して、それぞれが38個のE46焼夷弾を弾き出して地表を襲った。
 木と紙の家々はあっという間に燃え上がったという。114,000人が被災し、約2000人の死者、5000余人の重傷者が記録されている。
 翌朝わが家の庭にも降灰があった。静岡市の西方約40kmの牧の原台地を越えて降ったのである。イチジクの大きな葉が灰色になっていて、花の盛りだったクリの木の枝先にはうっすらと文字が読み取れるような紙の燃え殻も乗っていた。
 触ると、はらはらと崩れた。
 親たちはラジオ放送でこの空襲を知り、こんな遠方まで灰が降ったからには大変な被害だったに違いないと、ひそひそと語り合っていた。
 この秋、このクリが実る頃には、既に日本は敗戦を迎えていたのである。



June 20、 2009: サンゴジュ Viburnum odoratissimum var. awakubi

    花さんご青葉の闇の道しるべ      静

 木下闇が日ごとに濃くなる森の小道を行くと、谷向こうの茂みを郭公の声が渡って行った。
 湿った葉の匂いに混じってかすかに涼やかな香りが漂っていた。振り仰ぐと、葉叢の闇から浮かび上がってきた泡粒のような、サンゴジュの白い花が咲いていた。
 秋に黒熟する前の真っ赤な実のようすが珊瑚細工を連想させることに因んだ名だが、白い小花を支える花茎も珊瑚色である。

 今日はすごい言葉を知った。
 “生と同時に 死を生みおとしたことに気付かないで からになった母体は 満足げに離別を見る”
 詩人、塔和子の「領土」の冒頭である。この歳に至るまで私は‘死が生み落とされる’という発想をしたことがなかった。確かに生と死は一塊の存在であった。生物は死をも生み落としているのであった。



June 20、 2010: カワラナデシコ
               Dianthus superbus L. var. longicalycinus (Maxim.) William

    山かごに乗りておりくる少女子が
        てにとりもたる撫子の花   佐佐木信綱

 里山ではついこの間まで青く香っていたネズミモチの花が緑の茂みの中に消え、クリの花も黄ばみ始めている。そして我が家の庭では夏至を目前にして、早くもカワラナデシコ(Dianthus superbus L. var. longicalycinus (Maxim.) Williams) が咲いている。

    野辺みれば瞿麦の花咲にけり
        わがまつ秋は近づくらしも   西行法師

 この西行の短歌のように昔から撫子(瞿麦)といえば秋の気配を人々に告げる花の一つであったが、近年の気候変動のせいで花期が早まっているのだろうか。それとも、宝暦5年(1755)に橘保国の著した『絵本野山草』にあるように「・・・・、数百種あり、筆につくしがたく、・・・・」というほど花色にも花形にもさまざまな品種が作出されているので、花期についての記述はないものの、画像の撫子はその内の一つかもしれない。



June 20、 2014: イヌドクサ Equisetum ramosissimum Desf.
 数10年も前のことだろうが、丘の斜面の雑木林を切り開いて作られた茶畑を安定させるために組まれた石垣の隙間にイヌドクサが茂っていた。ふと、先日に書店で立ち見した塚谷裕一さんの『スキマの植物図鑑』(あのとき買わなくてごめんなさい、塚谷さん。でもそのうちに・・・)を思い出した。これはまさにスキマ植物である。 そして、原発再稼働や放射性物質汚染拡散を心配し戦争のできる国にしようと躍起になる政治家たちに暗然となっている私などはスキマ人間なのかもしれない。
 イヌドクサは北緯約25度以北の旧世界に広く分布しているトクサ属の1種だが、変異が多く研究者によっては細分している。
 トクサの仲間は古生代石炭紀の森に茂っていた巨大なロボク(蘆木=カラミテス)類の生き残りと考えられていて、かつては現生のシダ植物はヒカゲノカズラ類・マツバラン類・トクサ類・シダ類の4系統群に分割されていた。しかしDNAの塩基配列が解読されたいまでは、ヒカゲノカズラ植物(小葉類)とマツバラン類+トクサ類+シダ類+その他の維管束植物からなる真葉植物の2大系統群が認識されている。


June 20、 2015: エビズル Vitis ficifolia Bunge var. lobata Nakai
 雨も風もさえぎって通さないほどに茂った藪には、枝と枝とを縫い留め固定するかのように、さまざまな蔓植物が絡んでいる。
 この辺りではスイカズラやノブドウやヘクソカズラやヤマノイモ類などが多いが、ときおりはエビズルにも出合える。
 本州から九州と朝鮮半島南部に分布するブドウの仲間で、古来民間では葉を乾燥させ砕いて疣取りの艾として使い、黒く熟した実は食用し、染料にも使ったという。
 このつる草の名を初めて知った後、ふと、ツルは蔓でわかるがエビとは何だろう?海老のことか?とすれば何が海老を連想させるのか?それとも別の意味があるのだろうか?と疑問がわき、この和名の由来を調べてみた。
 その結果、両論があってどちらとも決め難いらしいことがわかった。その一つは初夏に勢いよく伸びる新芽と若葉の濃い赤茶色が伊勢海老の体色に似ているからというもので、いま一つは記紀や出雲風土記の記述から古来ブドウ科の蔓植物を”えびかずら”と総称していたことがわかるので、エビはその古語を語源としているというものであった。


June 21、 2011: ヒメジョオン Erigeron annuus (L.) Pers.
 巫女がいふ雨降り草や姫女苑    星野麥丘人

 今朝も小ぬか雨が降っていた。
 爽やかな皐月の風にそよいでいたハルシオンの花がいつのまにか消え、飽くことを知らぬように細い雨が降り続く水無月になると、空き地や道端の草むらには入れ替わるように白く小さなヒメジョオンの花が咲き始める。
 よく知られるように幕末から明治維新にかけてのころ渡来して、“柳葉姫菊”の名でそれなりに珍重されたというが、瞬く間に全国に分布を広げ雑草として見向きもされなくなったらしい。
 原産地は北米で、USDA plants profile によると現在はアイゾナ州やネバダ州などの乾燥地とワイオミング州などの温帯ステップ地を除くすべての州に分布している。
 日本に最初に入ってきたヒメジョオンが何処から来たのか、今となっては知るよしもないが、黒船とともに無融合生殖をするこの草の種がやってきたのかもしれない。

 オフェリアの抱く姫女苑野外劇    伊藤いと子

 福島原発の困った事態は一向に好転の兆しが見えない。汚染水の垂れ流しは止まず、おまけに地下水を通しての汚染拡散を防ぐために埋設するといっていたシャッター壁は東電経営陣が金がかかりすぎるというので着工がみおくられているという。そして、メルトダウンどころかメルトスルーして、しかもコンクリートの床をも抜けて地中に入りこんでいる可能性が高いと、小出裕章・京都大学原子炉実験所助教は推定している。ほんとうなら、まさにチャイナシンドロームではないか。さてどうする。脳天気な経済人と政治屋さん。そして私たち・・・・・。


June 21、 2012: オオバイボタ Ligustrum ovarifolium Hassk.  

 水無月にはめずらしく、激しい風と雨をともなった台風が、船を座礁させ山を崩し川を溢れさせて、駆け抜けていった。こんな嵐を古代の人々は“あからしまかぜ=倐忽風”と呼んでいたという。
 その嵐の過ぎ去った朝の山辺の、毟り散らされた若葉の散り敷く小道を辿ると、枝先の花穂に白い小花を開きはじめたオオバイボタが垂れかかっていた。
 この半常緑の低木は本州、四国、九州、韓国の沿海地に分布しているが、北米の東北部からテキサスなどの南部にも帰化している。
 浅井康宏さんの『緑の侵入者たち』に拠れば、イボタノキとともに観賞用にロスやサンフランシスコに導入されたものが間もなく野生化したという。黒紫色の丸い実が小鳥に好まれ広まっていったのだろう。

 ゆきゆくと川の堤の水蠟樹の
    芽白くひかりて雨はれにけり 古泉千樫

 詩歌の世界ではイボタノキもオオバイボタも区別せず水蠟樹である。


June 22、 2005: オッタチカタバミ
 今日は夏至、そして快晴。
 除草を思い立ってリコリス園に屈むと、昨夜の雨をたっぷりと吸収している大地から湧き上がる湿気と夏至の太陽の熱気とで、たちまち汗腺が開く。
 以前は人任せだった除草作業も、始めてみると除草対象の草たちからいろいろと教えられることが多い。植物生態学者や園芸家そして農家の方々にとっては「そんなことも知らなかったの!」というようなことに違いないのだが、私にとっては初めて聞く講義のように楽しみである。
 例えば、春草のカラスノエンドウやホトケノザたちだ。放っておけばなよなよとしたリコリスの葉など覆い隠されてしまうほどに茂るので引き抜いては捨てていた。だが抜き忘れたとしても、彼らは梅雨が始まる頃になるといつの間にか消えてしまうのだ。そしてリコリスの生育にも害があるようには見えない。ならば、無精者と思われようと、来年は放置してみようかとも思う。
 ところが多年草のカタバミは少しようすが違う。匍匐茎を四方八方へ伸ばし、地表に目の細かな網をかけたようになる。これではリコリスの

花茎の伸展を妨げるのではないかと思い、今まではこの網の引き剥がしに精を出してきた。だが今年は試しに放置した区画を作ってみようと思っている。結果がよければ楽が出来るのだ。
 一方、同じカタバミ属に北アメリカ原産の帰化植物でオッタチカタバミと名づけられたものがある。これは1965年に京都で発見され、茎が立ち上がることから京都大学の村田源先生からこの和名をもらった。こちらは在来のカタバミと違って匍匐茎を密に張り巡らすことはないので、さほど厄介な存在ではない。
 ともあれ、いまさらながらではあるが、博物学者アガシの”Study Nature, not Books”という警句が思い起こされる日々である。



June 22、 2005:  八重咲きのドクダミ

   梅雨ふりてしめりがちなる草むらに
              毒だみの花ま白なるかも   高田浪吉
 竹やぶに挟まれた細道の両側は暗緑色の葉むらの上に白い十字の花を乗せたドクダミで覆い尽くされていた。
   色硝子暮れてなまめく町の湯の
              窓の下なるどくだみの花    北原白秋
 ほの暗い梅雨空の下で見るドクダミにはなぜか心を疼かせるような風情がある。遠く過ぎ去ったはずの日を生々しく思い起こさせる何ものかもある。
 幾千幾万となく咲こうとも実をつけることのない、それでいて絶えることのないこの草の旺盛な生きざまを思いつつ、ふと気づくとこの奇妙な八重の花が足元に咲いていた。
 花が葉の化身であるとはつとにゲーテが看破したことではあるが、ドクダミの花のつくりの乱れは、まさにそれを明かしてくれているのであった。



June 23、 2007: センリョウの花 Flowers of Sarcandra glabra
  気象庁は平年より一週間ほど遅れて東海地方の入梅を宣言したが、その翌日は梅雨が明けたような青空となってしまた。これもペルー沖のラ・ニーニャ現象のせいだろうか。空梅雨だと節水ということになるが、庭の草花への水遣りを止めるわけにもいかず、日差しが厳しくなる分水道料も心配ではある。

 しかし、幸いにして昨夜はかなりの降雨があって、雨の上がった今朝、土はしっとりと湿り、草木はすっかり元気をとりもどしていた。
 強い風のせいで倒れ掛かっていたフェンネルを抱え起こした後、庭の片隅で十日ほど前から新葉を展開させ始めていたセンリョウをのぞいて見た。米粒よりも小さな花が咲いていた。だが、これが花だと思う人は稀かもしれない。
 というのも、メシベに1個のオシベが寄生しているだけという花で、被子植物のなかでもこれほどシンプルで省エネの極みのような花は他に見当たらないからである。写真の右上に伸びている花茎の先端を見るとわかると思うのだが、花茎についている薄緑色の壷状のものがメシベ(子房+柱頭)でその横についているクリーム色のものがオシベである。若いオシベは白緑色で2個の花粉袋を認めることができる。
 これほど花粉袋と柱頭が近くにあれば自家受粉が容易に起こりそうだ。蜜腺も見当たらないので受粉には昆虫たちの助けがなくてもよいのかもしれない。
 オーストラリアの1億2000万年ほど前の地層からセンリョウ科のものと考えられる化石が見つかっているので被子植物の進化のごく初期の頃からこの仲間が出現していたことになる。
 2003年に発表された遺伝子の比較による系統解析ではヒガンバナなどの単子葉植物はセンリョウ科のそれと同じ祖先から進化したことになっている。


June 23、 2009: ネジバナ 文字摺草 Spiranthes sinensis var. amoena
     仏彫る里にもじずり咲きにけり      林 徹

 この季節、雨の上がったばかりの里の道をたどるのは楽しい。
 目に映る花の姿は多くはないが、草むらにはヒメジョオンの白い小花が揺れ、小川の岸辺ではかの芭蕉が西施の艶姿を想った薄桃色の柔々としたネムの花がほどけ始めている。そして、ほのかに甘く香る風の渡ってきたその向こうには、アカメガシワのクリーム色の花穂が雲の去った水色の空を背景にして、ついついと立っていて、整然と並んだ早稲がすでに尺余に育っている水田の、草刈が済んでほどない畔では、ネジバナの花茎が身を捩りながら少しでも天空に近づこうとしていた。
 ネジバナについては、なにとはなくけなげではかなげな印象の花だという人が少なくない。
 しかし、この小さなランはなかなかタフで、ヨモギやマメグンパイナズナなどのいわゆる雑草の茂る草むらでも、公園の植え込みの片隅でも、子供たちが走り回る芝生のなかでも、何食わぬ顔でこの可愛い花を咲かせることができる。人里になじんだ植物なのであろう。
 もちろんネジバナは人間がこの島国へやってくる遥か以前から山野の日当たりのよい草原や河川の氾濫原などに住み着いていたに違いない。しかし、縄文時代や弥生時代はむろんのこと江戸時代に至るまでの日本人がこの花の存在を認識していたのか否かを記録した典籍は知られていない。だが、江戸時代の初頭にはすでにモジズリの名で呼び、小鉢に植えて観賞していた。
 梅雨のさなか、小鉢の中で螺旋状に巻き上がって咲くその花を、江戸の好事家たちはどんな想いで観賞していたのだろう。深沢七郎のように「ねじれた穂の淡い色は、ひそかな恋、ひそかな悶え、ひそかな怨み、ひそかなひがみ」だと感じたひともいたのだろうか。


June 24、 2005:  ムシトリナデシコ
 連休の頃だったろうか、近くで老朽家屋が取り払われ、表土を剥ぎ取られた更地が出来た。しかし梅雨が来るころにはイネ科やキク科やアブラナ科などの荒地雑草にすっかり覆われ、白や薄黄の地味な花に彩られた。その草ぐさの陰に、飛びぬけて目立つ花を咲かせている株があった。ムシトリナデシコであった。
 ムシトリナデシコはヨーロッパの中・南部が原産地だが、いまでは世界中の暖温帯で目にすることが出来る。白井光太郎の『植物渡来考』によると日本に入ってきたのは江戸時代末期とのことだ。栽培しやすさからあちこちの花壇に植え込まれたため、短期間に日本中に広がり、いまでは在来の野の花と混じって生えるまでになった。
 和名は、花序の下の茎の一部を取り巻いて粘着物質が分泌されていて、時おり小虫が足を捕られてもがいていることに由来する。しかし食虫植物ではないので虫を消化吸収することはない。おそらくこの粘着物質は茎を這い登って蜜や花粉を食べにくるアリなどを寄せ付けない役目を果たしているのだろう。
 英語圏では同じ理由で蝿取草(catchfly)と呼ぶことが多いが、米国ではNone-so-Prettyとも呼ぶ。


June 25、 2005:  アメリカヤマゴボウ

 今日は各地で記録的な暑さだったようだ。中でも兵庫県豊岡市では最高気温が37℃を上回った。幸いこの辺りでは日陰にいて風が通れば心地よさを覚えるような一日だったが、北半球の気候はドラスティックに変動しているようだ。マスメディアはその原因を大気中の二酸化炭素の増大に持っていく論調が多いが、事態はそれほど単純でもなさそうだ。
 それはともかくとして、気温や降水量のランダムな変化に大騒ぎするのは自らが手を加えて作り上げた環境の中で生きているヒトという家畜のような生き物だけではないだろうか。
 野の草や木や動物たちは天候の変動に合わせ泰然自若と振舞っているように見える。
 藪の中でたくましく育って花咲かせ実を結んでいるアメリカヤマゴボウなどに出会うと、そんな思いが強くなる。
 北アメリカが原産地のアメリカヤマゴボウは明治時代になって帰化したと考えられている。日本では毒草扱いされるくらいだが、北米先住民は薬用・食用に利用していて、例えばチェロキー族の人たちは赤黒く熟した実をリューマチ薬とし、芽だちや若葉は茹でて野菜としている。



June 26、 2007: クチナシ Gardenia jasminoides
 みみなしの山のくちなしえてしかな
     思ひの色のしたぞめにせむ   読人不知 (古今集)

 静岡県以西の山地に自生するこの常緑の低木は、その飾り気のない純白の花弁の美しさと甘い香りが好かれ、古代から栽培されてきた。
 果実は黄赤色に色づき冬枯れた庭先に彩をそえる。色の素はカロチノイドの1種のクロセチン(C20H24O)で、布の染色や食紅として奈良時代にはすでに利用されていた。
 
 今年もほどなく梅雨があけるだろう。
 だが今は梅雨の最中。煙るように降る雨の庭先に、この白い花がしっとりと濡れて香っている。
 湿度の高いクチナシの甘い香りは、肉体のタイムスリップを錯覚させる軽く乾いたラベンダーの香りと違って、遠い過去の記憶を呼び覚ます効果があるのだろう。私はSさんのことを思い出していた。

 初めてSさんに会ったのは、思えばもう40年も昔のことである。長引く梅雨につかの間の青空がのぞいたある日曜日の夕方であった。四十路半ばかと思われる物静かなご婦人であった。
 植物園のクチナシの茂みの近くに置かれた小さなベンチで、目を閉じて花の香りに聞き入っているらしいそのご婦人の足元には漆黒の毛長の大型犬が、ときおり耳をぴくりとさせながら、やはり目を閉じておとなしく伏せていた。
 そのクチナシは変種のコクチナシであった。当時の私のスライドストックには未だこの変種の花が収まっていなかったので、早速カメラを向けた。
 私はシャッター音が静かな環境ではかなり大きく響くことを失念していた。パッシャ!という唐突の音に、そのご婦人はふと訝しげに目を開かれた。
 「あ、これはどうも・・・失礼しました」
 ご婦人は優しく微笑まれ、
 「いえ、どうぞお気兼ねなく。それより、クチナシの花がお好きですの」
 「ええ、まあ・・・。・・・良い香りですね。なぜか白い花が好きなんです。自分でもよく分からないのですが・・・・」
 「写真関係のお仕事なさってるんですか?」
 「いえ、そういうわけではありませんが、大学で植物関連の勉強をしているものですから、趣味と実益を兼ねてというところです」
 「そうですの、よろしいですわね」
 そして遠くを見るまなざしで、「主人も好きでしたわ、クチナシの花が・・・・」とつぶやかれた。
 「わたくし、Sと申しますの」
 公園の近くのK町に住んでいて、裏千家の講師として茶道教室を開かれているとのことであった。
 
 このふとした出会いが縁となり、その後茶会などがあるごとに招かれ、お宅へもいく度かうかがわせていただいた。
 そんなある日、やはり庭先にクチナシの香る日であったが、Sさんはクチナシにまつわる身の上話をなさった。

 主人と出会いましたのは私が22歳になったばかりの4月でした。あの朝鮮動乱の始まる前の年でした。私もロングスカートをはいて、ネオンの輝く町を散策してみたい年頃でした。K大学の私が所属していた心理学研究室は学問をする場という意味では確かに刺激的なところでした。でも、当時の私たちにとっては生活環境も含めてすべてが刺激的だったと思います。女学生になってからの数年にわたる夜を、灯火管制のもとで過ごした私たちだったのですから。ネオンという言葉がどれほど新鮮な響きをもっていたか、とても今の若い方たちには理解していただけないでしょう。
 私たち二人の出会いは、真にありふれたものだったと思います。T教授のセミナーでESPがテーマになったとき、デューク大学出身の彼がコメンテーターとして招かれました。これが始まりでした。私たち学生は、ESPの分野がアメリカの心理学者がではどれほど真剣に研究されているかという彼の話に聞き入りました。
 この後、彼は定期的に研究室に顔を出すようになり、学生たちのよき相談相手になってくれました。

 彼はアメリカ人としては小柄でした。けむるようなグリーンの瞳でした。私は異性としての彼に惹かれてゆきました。
 
 ウツギが白く咲き、五月雨にツツジの紅がとけ、やがてアジサイが木漏れ日の下で色づき始める頃になると、日曜ごとのデートが待ちきれないような二人になっていました。
 私たちが結婚を誓い合ったあの日、彼はクチナシの花束を抱いてきました。白く清潔な香りでした。カリフォルニアに住む彼の父親が求婚したときも、この花を母親に捧げたとのことでした。
 それはもう、いろいろと障害はありました。私の父母は許してはくれませんでした。でも、その秋、私たちは結婚いたしました。キャンプの教会での、二人だけの静かな誓いの式でした。
 次の年の5月、息子が生まれました。私たちは幸せでした。あの頃ほど新緑の輝きが美しく見えたことはありません。

 6月25日でした。立川には乳白色の霧雨が降っていました。湿った重い空気が終日爆音に震えていました。朝鮮動乱が始まった日です。
 国連軍とは名ばかりで、60%以上をアメリカ軍の兵士が占める軍団が南北問題に介入したのです。戦況は予想とは裏腹に展開し、早くも7月3日のスーウォンの交戦で国連軍は敗退しました。8月にはいるとともに、朝鮮半島はプサンとテグーの2点以外はすべて人民軍の支配するところとなってしまいました。
 どのような任務についていたのかは教えてくれませんでしたが、主人はほとんど帰宅できなくなっていました。戸外では油蝉が私の不安をあおるように鳴いていました。
 やっと首の据わった息子の世話に気を紛らせ、できるだけ主人のことは考えまいと努めました。でも、それは無理というものです。
 9月の10日、久し振りに主人が帰宅できました。楽しげに、柄にもなくはしゃいで、笑うことができるようになった息子と私を両腕に抱きかかえ、とめどなく話しかけ、口づけし、また口づけしました。私たちの結婚記念日でした。二人で祝う最初で、そして最後になった記念日でした。
 一瞬に過ぎ去ってしまったように思われる夜でした。
 翌朝、初秋の陽の中を主人は歩み去りました。私の腕の中で、小さな私たちの息子は、もう見えなくなってしまった父親に未だあやされているかのように、クックと上機嫌で笑っていました。
 それから数日後、多分9月15日だったと思いますが、アメリカ軍は太平洋域のすべての戦力を投入してインチョン上陸作戦を開始しました。10月の始めには、38度線を突破した国連軍は中国国境に迫っていたようです。[今部隊は鴨緑江(ヤールージャン)の岸辺のトンチュイにいる、息子は元気か]という手紙が届きましたのは11月の始めでした。
 めずらしく早く霜の降りた年でした。
 中国人民志願軍が参戦し、北側の大反撃が始まったらしいという情報が寄せられたのは、巷にジングルベルのメロディが流れはじめた頃でした。軍需景気に沸き返る日本の姿に、同国人とはいえ私は複雑な心境でした。

 あの日は朝から霙まじりの雨が降りしきり、息子はなぜかむずかり続けていました。
 主人の戦死が知らされました。世界が真っ白に変わったように感じました。涙は流れませんでした。あの時の気持ちを言葉で表すのは辛すぎます。

 乳飲み子を抱えた母親が女手一つで生きてゆくのはいつの時代でも容易ではありません。私は米軍属の夫人たちにお茶やお花を教えながらの日々を過ごすようになりました。おかげさまで息子も大きな病にかかることもなくすくすくと成長してゆきました。
 世の中は驚くほどの速さでめまぐるしく変わりました。
 半島ではウォーカー第8軍団司令官が戦死し、4月にはマッカーサー国連軍最高司令が解任され、やがて1953年7月27日に休戦協定が調印されました。
 でも、死んだ人たちは帰りません。そして、仏印に、中東に、アフリカに、いつもどこかで戦火が燃え続けてきました。
 息子はこちらの中学校を卒業すると、父親のそして自らの国へ帰りました。彼は「帰る」といいました。私には彼を私の国に留めることはできませんでした。
 どのような道を歩むのが人間にとって正しく幸せなことなのか、今でもそうなのですが、私にはわからないのです。
息子からのあの手紙を受け取ったのはアメリカ軍による北爆が再会されたと報じられた2ヶ月ほど前のことです。サイゴンからでした。アオザイ姿の可愛らしい娘さんと肩を寄せ合って微笑んでいる一葉の写真が同封されていました。娘さんの手にした一輪の小さな白い花が私にはクチナシのように思えました。あちらにもクチナシがあるのでしょうか。20年前の私自身を見ているような、そんな錯覚を覚えました。

 息子はまだ19歳になったばかりです。大学に進学するとばかり思っていました。その彼が、なぜ軍服姿でベトナムにいるのか。信じられない思いでした。
 何が、誰が、彼を戦場に送ったのでしょうか。
 彼は死ぬのでしょうか。砲弾の雨の中で。それとも地雷に触れ、ジャングルの泥土にまみれて。
 でも、誰のために、何のために・・・・・・。生き残った人たちは彼を英雄と讃えるのでしょうが・・・・・。

「いつまで続くのでしょうか」
 また降りはじめた暗い梅雨寒の空を見やり、Sさんはつぶやいていた。



June 26、 2010: ノリウツギ  Hydrangea paniculata Sieb. et Zucc.
  池の底に影さし白きのりうつぎ
      暮れのこるさま心にとどむ  森村浅香

 小野蘭山生誕200年記念シンポジュウムに出席するため久しぶりに訪れた小石川植物園の分類標本園にノリウツギが咲いていた。
 梅雨前線が少し南に下がったのだろう。雲が切れて、暑い日差が日陰のない園圃に注ぎ、花は眩しいほど白く輝いていた。

 江戸時代にはすでに庭園に植栽されていたが、元来は温帯林の低木で、地滑りなどで崩壊した傾斜地などに真っ先に生えてくる所謂パイオニア植物の一つである。とはいえ、この木はパイオニアの名にし負わず、暖地の低山帯に進出していることがあり、暖地性シダのスジヒトツバが見られる掛川市の小笠山でも目にしたことがある。
 静岡県下では富士山麓や天城山地に多く、和紙の繋ぎ糊に利用したことに因むノリノキやトロノキの名で呼ばれている。

           サビタ咲き山の雲みな走りだす  木村敏男       川音のいきなり近く花サビタ   柴野八洲子

 東北地方からの入植者が北海道で広めたといわれるサビタもまたノリウツギの里呼び名の一つだが、原六朗作曲・大倉芳郎作詞で伊藤久男が歌った、あのロマンチックな『サビタの花』のおかげで、標準和名のノリウツギと聞いてその姿を思い出せなくとも、サビタといえば「ああ、その花なら知っている」という人が年輩者には多い。


June 26、 2011: バイカモ Ranunculus nipponicus (Makino) Nakai

 富士山の伏流水が湧き出す柿田川の透明な流れの中に揺れる、バイカモの緑の糸の束と真っ白な花の美しい映像が、TVで放映されていた。
 以前から是非実物を見たいものと思っていた花なのだが、行動力の乏しさからその機会をつくらないままにしてきた。しかし、暇になるとともに、残された時間のことを思うようになった昨今でもあり、目にしたTV画像にも背を押され、三島の“梅花藻の里”へ足を運んだ。
 思いのほか小さく、寂しげな花であった。

 渡り懸て藻の花のぞく流れ哉      凡兆

 去来とともに編んだ『猿蓑』に自らの詠んだこの句を収めた野沢凡兆が、橋の下の清流に見た藻の花が何であったか、確かなことはわからない。俳諧で言う藻の花は特定の種ではなく、広く水草の花のことだという。
 だが私には、凡兆が見た藻の花は、冷たく澄んだ流れにしか咲かぬというバイカモだったような気がしてならない。

 バイカモはキンポウゲ科の沈水性水草で、北海道と本州に分布する日本特産種だが、夏季でも水温が20℃以下に保たれる清浄な水の中でないと生育できない。したがって環境汚染や気候変動のバロメーターである。
 水系で進化した植物ということもあり、イチョウバイカモ、オオイチョウバイカモ、ヒルゼンバイカモなど、地理的な形態変異が報告されていて、富士の湧水に分布する浮葉が深く切れ込むものはミシマバイカモと呼ばれている。
 形態との関連は不明だが、遺伝子レベルでも地理的な変異が大きいことが報告されている(Koga, K. et al., 2007)。この研究では琵琶湖水系、瀬戸内水系、山陰水系の11集団を比較しているが、面白いことに琵琶湖水系のものと他の2水系のものが遥かな過去に別れていることが示唆されている。
 受粉様式ついての詳しいことはまだ知られていないようだが、水中で開花する場合は花に気泡が生まれ、そこで自家受粉がおこなわれるが、この画像のように水上で開花する場合は小昆虫が訪花し、他家受粉がおこなわれるらしい。むろん種子は水流で散布されるが、栄養体の断裂や地下茎によっても繁殖している。
 中国にも“梅花藻”と呼ばれるものが分布しているが、これはユーラシアに広く分布する R. trychophyllum DC. という別種である。ヨーロッパにはバイカモによく似た種がいくつもあり、まとめて Water-crowfoot と呼んでいる。


 朝日俳壇に市川市の鳥居秀雄さんの「水底を楽の流るる花藻かな」という句が選ばれていた。選者は「水面に藻の花が咲いている。川底の音楽を聴きながら育ったか」と解説していたが、私には水底にたなびく緑の糸とその上を踊るように咲くバイカモの花の取り合わせをを楽譜と見立てているように思えた。 


June 26、 2012: ナンテン Nandia domestica Thunb.

 庭苔の上に散りしける南天の
       花あつまりて梅雨に流るる  大村呉楼

 ナンテンの白い花は、そおっと触れると硬い乾いた紙細工のような感じがするが、少し力を加えるとほろりと散ってしまう。
 冬の長い間、いつでも目にすることのできる真赤な実と違って、咲いたかと思うと明日には赤い柱頭の子房を残すだけの短命の花である。
 中部地方以西の人里に近い山地では野生しているが、ほとんどが人里近くに限られるためや古典への初出が『名月記』であることなどから、古代に中国から渡来したものと考える人が多い。
 実には呼吸麻痺や痙攣を起こさせる有毒成分のナンテニンなどが含まれるが、漢方では乾燥させたものを気管支系の疾患に処方している。小鳥たちはこのアルカロイドを問題とせず種子散布に一役かっているが、実験によるとナンテニンは鳥類にとっても有害だという。それでも啄ばむというのは赤い色に惹かれてのことだろうが、適量というか限界量を知っていて食べ過ぎないようにしているのだろう。
 1804年にナンテンが中国の広東からキューガーデンに送られ、ついでチュンベリーが日本で見たそれを詳細に研究して以来、世界各地で観賞植物として愛好されているが、アメリカの東南部の諸州では野生化し、とくにフロリダでは有害帰化植物のカテゴリーⅠに指定されている。
アメリカの小鳥たちも分布域拡張に手を貸しているそうだ。


June 27、 2007:  イチョウの青い実

  根もとより枝を張りたる大銀杏六月の日の青くけぶれる      窪田空穂

  4月の中旬に散歩の途中で夫婦イチョウに出会ったことは「野の花便り~晩春~ April 17, 2007」に書いたが、今日、そのイチョウの下を通りかかると青々と茂った若葉に隠れて銀杏がすくすくと育っていることに気づいた。
 秋が来て紅葉が始まる頃には黄金色に熟していることだろう。


June 27、 2009: ハマナデシコ Dianthus japonicus

 御前崎方面へのバス停の、日除けもない小さなベンチの足元の、ブロックとブロックの間のあるかないかというほどの隙間に根を下ろして、海辺から運ばれてきたかもしれないハマナデシコが咲いていた。
 しかし、昔から花壇でも栽培されてきた植物だというので、どこか近くのお宅の庭から逸出した可能性もあろう。それにしてもここは、ハマナデシコの故郷の、潮の風が吹き付ける海崖の岩の割れ目に少しは似た環境なのだろうか。

 そう、生き物は環境次第の存在である。生物が進化(変化)するのは環境が変化を続けるためである。むろん生物の存在で環境が変化する面もある。シルル紀からデボン紀にかけて生物が陸上で生活できるほどの大気中遊離酸素を創ったのはシアノバクテリアと藻類であって、非生物的な物理化学変化の結果ではなかった。つまり、生物も環境の一要素である。人類も然り。際限もなく増殖を続け、森を焼き化石燃料を使い切ろうとしている人類という生物の跋扈するこの地球はどんな未来を迎えるのであろう。 



June 28、 2005: キキョウ

 さみだれの降る夜わが家にやすらぎて
              眼前にあるを見る桔梗の花       岡 麓
 キキョウは秋の七草の一つというので、なんとなく立秋の頃から咲き始めるような気がしていたのだが、実際は梅雨のさなかに咲くものもあることを知ったのは最近のことである。
 山上憶良の選んだ秋の七草の内の朝貌がキキョウのことだというのが近年の通説である。しかし、キキョウの中国名の桔梗をそのまま日本語読みで”きちこう”と呼んでいたのに、なぜに朝という字を当てて朝貌(あさかほ)としたのか、釈然としない思いも残る。『出雲風土記』などでは桔梗に日本古来の呼び名の”ありのひふき”をあてている。
 語源考に立ち入りたい誘惑は、名は何であれ実態は変わらないよ、ということで振り切って、みごとに均整の取れた花を見つめていると、中央の柱のような構造から花粉の大部分をメシベに残して5本のオシベが離れ、やがてメシベの先端が5つに裂けて反り返り無垢の状態の柱頭が現れた。自家受粉を回避しようとするみごとな仕組みであった。



June 29、 2005: キバナノショウキラン
  今日はほの暗い杉林の中でであった珍品を紹介する。ラン科の腐生植物、キバナノショウキランである。学名はYoania amagiensisだが、この属名は幕末の植物学者、宇田川榕菴の名に因んだものである。この属には6種が知られていて、アジアのほかアフリカとオセアニアに分布している。
 その蝋細工のような光沢のある姿は、人によっては不気味とも神秘的とも感じるようだ。
 葉緑素を欠くが共生菌のおかげで光合成の必要のないショウキラン属の植物は花茎だけが地上に現れ、本体は菌類と助け合って一年中土の中で過ごしている。
 絶滅危惧種のⅠ類である。


June 29、 2013: ウワミズザクラ -2 Prunus grayana Maxim.

 空はまだ重々しく雲に覆われていたが、梅雨の晴れ間になりそうな気配が漂う朝だった。
 常葉の丘の坂道で4月の中頃に花の盛りを迎えていたウワミズザクラのその花房が、赤く色づき始めた小さな“さくらんぼ”を混ぜた実房に変わっていた。
 もう少し経てば、小鳥たちのお腹に収まり運ばれて、どこかで芽吹いて世代を継ぐに違いない。
 そう、生きとし生けるものは、その方法はさまざまではあるけれど、気の遠くなるほどの世代を重ねていまここにある。無論それができなかったものは、それは数十億年の間に地球に生まれたものの90%以上だろうといわれるが、すでに地層に埋もれ、今ここにはいない。先年物故した進化生物学者のグールドは、今生きて世代を重ねているものたちは奇跡だという。
 我々ホモ・サピエンスもその奇跡の1種である。人類の最初の祖先が、およそ700万年前に2足歩行をするサルとしてアフリカ大陸に出現して以来、次々とあまたの新しい種が生まれたが、なぜかいま世代を重ねているのはホモ・サピエンスただ1種である。やはり、奇跡であろう。
 だがこの奇跡はいつまで続くのだろう。間もなく地層に埋もれたものたちに仲間入りするような予感がよぎる。継ぐものは現れるのだろうか。もう間に合わないのではないか。
 今、TVではAKB48の娘さんたちが、明るく元気よく“掌が語ること”を熱唱している。彼女たちの高く伸ばした綺麗な腕の先で踊る白い掌から生まれるものは、ホモ・サピエンスの未来だろうか。


June 30、 2005:  ノカンゾウ
 明け方、窓を叩く雨の音に夢路から離れ始めたとき、突然の稲光と雷鳴が轟き、はっきりと目が覚めた。で、最初にしたことは階下の書斎へ急行しコンセントを抜くことであった。経験なさった方はうなづかれることと思うが、再設定は願い下げである。
 日が昇る頃にはすっかり晴れ上がり、まさかとは思ったが、梅雨明けの空模様であった。とはいえ、たっぷりと雨を吸い込んだリコリス園ではハマスゲ退治もできず、久し振りの午前休みであった。
 ご無沙汰していたネットサーフィンを楽しもうかと思ったが、所用を思い出して市役所へ向かう。その途中、側溝の脇に咲いているノカンゾウに出逢った。
 記憶では、この花を見るのは梅雨が明けて夏休みが始まる頃のはずだが、今年はおかしいのだろうか。
 最近はヘメロカリス類といったほうが通りがよいようだが、日本に野生する数種類のカンゾウ類のなかではこのノカンゾウの野趣が捨てがたい。交配による園芸品種の中には厚化粧をしたノカンゾウ風のものもあるが、見ると気が滅入る。

  


June 30、 2009: ナンキンハゼ Sapium sebiferum


 シンガポールで経験したあのスコールのような雨が通り過ぎると、ひりひりと肌を刺すような日差しが戻ってきて、庭先では昆虫たちの動きが活発になり、葉陰に潜んでいたツマグロヒョウモンが舞い立った。
 6年ほど前に小鳥の落し物から芽生えた木々の一つのナンキンハゼも今や2m以上に育ち、昨年から開花するようになったが、こちらにも虫たちが訪れていた。
 トウダイグサ科の植物はいずれもユニークは構造の花をさかせるが、シラキ属のナンキンハゼの花も変っている。テントウムシが這っている花穂には雄花が咲いているが、花弁を欠き、小さなカマキリの頭を連想させるオシベが飛び出している。フタオビドロバチの停まっている花穂の基部には錨のように反り返った柱頭のある雌花が咲いている。こちらにも花弁はない。それにしても、この虫たちはこの花のどこに惹かれてやってきたのだろう。どちらも肉食性のようだから、若芽につくアブラムシや青虫が目当てなのかもしれない。だとしても花粉媒介に一役かっているに違いない。
 もう2週間も前になるが、逸見庸さんの『犬と日常と絞首刑』という朝日新聞への寄稿文を読んだ。それ以来、折に触れて人の生命と死、ことに死刑という刑罰(制度、習慣、政策)について思いを巡らせてきたが、いまだによくわからない。テリトリーを守るための殺しは霊長類の中でも見られるが、人類の集団の中での死刑という多数による個の抹殺はどんな状況でいつ始まったのだろう。戦争にともなう殺人行為はテリトリー争いの延長線上のものであろうが、死刑は次元の異なるものではないだろうか。死刑という制度は「命は命で償え」という哲学とは別の次元で存在する。なにやら一つの文化のようでもある。だが、この文化のようなものを激しく拒否するEU型の死刑廃止を至上とする文化もある。死刑を是とするものも非とするものも、どちらの文化も深刻な矛盾を孕んでいる。



今年も今日で後半へ折り返しです。駿河では夏越の”茅輪くぐり”の神事が行われています。
「野の花便り~初夏~」はここで区切りとし、「野の花便り~盛夏~」に移って、更新を続けていきます。
これからもお読みいただければ幸いです。

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