HAKONE−2

皐月の箱根湿生花園

 仙石原の一角に箱根町が造成したこの湿生花園には、パンフレットによれば日本各地の低地から高山帯にかけて散在する湿生植物200種の他、さまざまな植生帯から集めた土着種と外国種1700余種を植栽しているそうです。
 そのため、いながらにして、列島各地の移ろい行く四季折々の花の色を楽しむことができます。
 というわけで、観光地のセンターでもあるためドライブのできない私たちにとってもアクセスが便利なその花園の木道を、大好きな花の名前も忘れがちなAlzheimer's D.初期症状の家人と散策しました。

L: クリンソウ Primula japonica A. Gray
  鐘を聞く谷間の湿り九輪草   今井恵美子
  木漏れ日の揺れる小さな流れの縁でクリンソウ赤桃色の花車を何段にも咲かせていた。
  「この花、え〜と、ほら、クリンソウでしたっけ・・・。たしかあの子が幼稚園だったころ戸隠奥社参道で見たのがはじめてだったかしら・・・」「うん、そうだったかな〜」「いろいろ咲いていたわね。でも、よく思い出せないわ。なんか次々と忘れてしまう。困ったものね・・・・。ところで、ここどこでしたかしら・・」
 日本列島に固有のサクラソウの仲間で、江戸時代から庭園に植栽されていた。海外ではJapanese primroseの名で知られ、交配親としてさまざまな園芸品種を生み出している。
R: カザグルマ Clematis patens Morren. et Decaisne
  鉄線の初花雨にあそぶなり   飴山 實
  中国から渡来した華麗なテッセンの方が野に咲く瀟洒なカザグルマより人気があったのか、俳諧ではカザグルマにも“鉄線”をあてている。しかし、私には“風車”の方が風情があると思うのだが。とはいえ、風が通り過ぎても揺らめくだけで回らない車ではある。そして、風の記憶を留めたであろう花びらは、やがて散り果てる。


L: ヤナギトラノオ Lysimachia thyrsiflora L.
  珍しい花に出合えた。中部地方以北の寒冷地の湿原に生えるサクラソウ科の多年草。日本では珍品だが、北半球の温帯から寒帯に広く分布している。 北米では北緯37度線付近を境に、東部はケベック、西部はアラスカまで分布しているがニューハンプシャーなどでは絶滅が危惧されている。ヨーロッパでもほぼ全域に点在しているが、イングランドでは稀な植物である。
R: ヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. 
  夏早く至れる山や草叢にはげしく紅き躑躅の静まり    宮 柊二
  火口原の草を濡らしてゆく雨に山つつじ花赤く咲きゐし  峯村国一
 日本の山野でごくふつうに出合うことができる躑躅の一つだろう。仲間と連れ立って山遊びをしていた子供のころ、この花を摘んで花筒を吸ってその甘さを楽しんだことが思い出される。庭木としても好まれ、ムラサキヤマツツジやサンヨウツツジなど多くの品種が知られている。
 初夏の里山ではたいへんよく目立つ花なので、万葉集にも詠われている。その一つ、西海道節度使として晩秋に旅立つ藤原宇合郷に贈った、花々が咲く春が来てお帰りになるときをお待ちしますという意味の高橋連虫麿の「・・・・ 龍田道の 丘辺の道に 丹つつじの 薫はむ時の 桜花 咲きなむ時に・・・・」という歌の“丹つつじ”は真赤なヤマツツジに違いない。


L: タニウツギ Weigela hortensis K. Koch
   谿うつぎ濃きときめきの一途なり   文挟夫佐恵
  谷川に沿った、よく日の当たる斜面の藪を、桃赤色の花の連なりが彩っている。スイカズラ科のタニウツギである。北海道と本州に分布し、日本海岸側に多い落葉性の日本固有の低木で、飢饉に際しては若葉を摘んで屑米の粉と混ぜてたべたという。妙高高原など新潟県と長野県の境界付近にはダニバナ福井県にはダニウツギという里呼び名があるが、これはタニウツギの枝によくつくアワフキムシの泡をダニの唾と考えていたかららしい。したがって、タニウツギという標準和名は“谷ウツギ”ではなく“壁蝨ウツギ”で、ダの濁点が落ちたものだという説がある。そういわれてみれば、谷川からは遠く離れた高原や山の斜面にも群生している。
R: ツクバネウツギ Abelia spathulata Sieb. et Zucc.
  市街地の道路沿いに生垣として植栽されている、あの良い香りのするハナツクバネウツギの仲間で、東北地方の太平洋側から中部地方以北と四国・九州の山地に分布している。花筒の散った後に残る蕚の形が羽子板遊びに使う衝羽根に似ている。
 スイカズラ科の植物は“・・・ウツギ”の名があっても、その茎はアジサイ科のウツギのように“空木”ではない。


L: クサタチバナ Cynanchum ascyrifolium (Franch. et Savat.) Matsum.
  本州の関東地方以西と四国の山地樹林下の草地に見られる比較的稀なガガイモ科の植物である。純白の、少しテイカカズラのそれと似た花は草むらでひときわ目を惹いた。群馬県南端に近い西御荷鉾山には大きな群落が知られているが、今花の盛りではないだろうか。韓半島から中国東北部にも分布していて、潮風草と呼ばれる。根はフナバラソウとともに“白薇”の名で薬用されている。
R: フナバラソウ Cynanchum atratum Bunge
  北海道以西の山地に広く分布するが、こちらも遠州ではなかなか目にすることはできない。秋吉台などには多いそうだ。中国名は白薇で、百蕩草ともいう。全草が薬用され、腎炎などに効果があるという。


L: コウホネ Nuphar japonicum DC.
  火の山に夕日なほあり目の前の骨蓬の花暗くなりつも  川田 順
  北海道から九州までの池沼に生えるスイレン科の植物で韓国とロシアの日本海側にも分布している。かつては石狩川枝流域にも多く、カバトと呼ばれていた。アイヌの人たちは水底の泥に横たわる根茎を引き上げて食糧とした。削ったものを茹でた後、網袋に入れて川水で晒し、魚スープの具にした。干して貯蔵したものは混ぜご飯に入れた。よく知られるようにアルカロイドのヌファリジンなどを含む根茎を乾したものは“せんこつ;川骨”と呼び強壮薬、止血薬として利用していた。
R: イブキトラノオ Polygonum bistorta L.
  北半球の温帯〜寒帯の草原に広く分布するタデ科の多年草だが、日本のものは変種(var. japonica Hara) としてあつかうこともある。屈曲して横走する地下茎には多くのタンニンが含まれているので収斂剤として薬用される。漢方では“拳参”と呼んでいる。ヨーロッパでも薬用し、口内炎の嗽薬や吐き気止めに使う。タンニンが多いので濃褐色の染料にも利用する。和名は伊吹山に多い草で虎の尾のような花穂をつけることに因んだものという。


L: カキツバタ Iris laevigata Fisch.
  かきつばた水のみぎはに紫のひと花さくをあはれがりゆく   太田水穂
  極東の沼沢地に広く分布し、日本でもかつてはありふれたアヤメ科の1種であったが、治水が近代化され低地の宅地化が進むにつれ身近では見られなくなった。カキツバタという名は“書付け花”の転訛だという。花の汁を搾って布の染付けに使ったことに因んだものである。そんな昔の人々生活を思い浮かべると、あの酒井抱一の「八ツ橋屏風」や「燕子花図屏風」の美しさが親しく感じられてくる。
R: ニッコウキスゲ Hemenocallis dumortieri Morr. var. esculenta (Koidz.) Kitamura
  日光キスゲとその名覚えてまた霧へ   加藤楸邨
  「この花を見ると、あの壊れかかった大八車の置いてあった小さなロッジ、ほら、え〜と、ほら・・・」「コロボックル」「あ、それ、それ。あの山男のオーナーさん、元気でいるかな〜。あの草原一杯に咲いていたわね」「そうだったね。手塚さんは引退して、息子さんがやっているようだよ。あのときの車山のニッコウキスゲはみごとだったな〜。でも、最近は鹿の食害でさんざんだそだよ」「そうなんだ・・・」
 蕾は甘くて美味しい。乾燥したものは土産品として長野駅でも売っていた。


L: トビシマカンゾウ Hemenocallis dumortieri Morr. var. exaltaat (Stout.) Kitamura
  トビシマカンゾウのラベルのすぐそばに咲いていたのでそうだろうと思っただけで、よくわからない。ニッコウキスゲとは変種同士の関係で、飛島や佐渡島など日本海に浮かぶ島々に分布していて花序につく花の数が20個前後と多いのが区別点だと図鑑にはあるのだが・・・・・。
R: ヤブデマリ Vibrunum plicatum Thunb. var. tomentosum Miq.
  スイカズラ科でガマズミの仲間で、横に長く張り出す枝に、日が当たると眩しいほど白い装飾花に囲まれた手毬状の花序を並べている。関東地方以西に分布するが暖地に行くほど多い。たくさんの里呼び名が知られているが、遠州ではヤブニッケンと呼ぶ。藪肉桂のことだろうが、葉の形も質も花姿も肉桂に似たところがない。どうやら刈った枝を燃やしたさいの煙の臭いに因んでいるようだ。かつて若い人たちと歩いた房総の清澄山で出会ったお年寄りはオンジイスズミともいうと教えてくれた。オンジイとは長男に対して次男以下のものの総称、スズミはガマズミのことで、ガマズミの弟分というわけである。


L: クロユリ Fritillaria camtschatcensis (L.) Ker-Gawl.
  黒百合や風の行方に塩見岳      岡田貞峰
  中部地方の高山から北東アジア・アリューシャン列島に分布する。花の形はユリに似ているがユリ属ではなく、アミガサユリやコバイモの仲間である。あまり良くない臭いを放つ花で暗い感じもするが、なぜか登山家の間では人気が高い。わたしも実物を知らなかったころは、菊田一夫作詞で織井茂子さんが歌う「黒百合の歌」の歌詞からずいぶんとロマンチックな花姿を思い描いていた。白山に多いので石川県の県花になっている。また冨山城主の佐々成政と側室玉姫一族の命運についての伝説は有名だが、登場人物については諸説があるようだ。“恋の花”といわれたり“呪の花”といわれたり、いずれにしろ人の心を引く何かをもった花だ。球根は小ぶりながらも各地で食用された。アイヌの人たちはアンラコルと呼んでいて、食糧にしただけでなく黒い花弁を潰した汁で布を染めたり文身(いれずみ)の墨にしたという。
  痩尾根は岩欠けやすしと戒めて黒百合の花いくつか踏みぬ   植松寿樹
R: マルバシモツケ Spiraea betulifolia Pall.
  初めての出合でした。マルバシモツケは中部地方の高山から北海道、サハリン、東シベリアに分布する低木で、よく山歩きする人でも本州では滅多に目にすることができないそうだ。


L: レブンソウ Oxytropis megalantha H. Boiss.
  北半球の温帯〜寒帯に約300種が分布していて日本では5種が知られているオヤマノエンドウ属の1種で、礼文島特産である。もはや原産地に自生するものを見る機会がない私たちはうれしい出合だ。
R: エゾルリソウ Mertensia pterocarpa (Tures.) Tatew. et Ohwi var. yezoensis Tatew. et Ohwi
  約45種が北半球の亜寒帯に知られるムラサキ科ハマベンケイソウ属の1種で北海道の高山に分布している。日本にはもう1種、ハマベンケイソウ(M. maritima (L.) S.F.Gray)が中部地方以北ので見られるが、この種の地下茎がイヌイットの人々に食用されているそうだ。


L: シコタンソウ Saxifraga cherlerioides D. Don. var. rebunshirensis (Engl. et Irmsch.) Hara
  いまではあちこちで栽培されていて珍しい存在ではなくなったが、本来は中部地方の高山の岩場からサハリン、カムチャッカに分布する高山植物である。和名は日本で最初に採集記載された色丹島に因んだもの。
R: コマクサ Dicentra peregrina (Rudolph) Makino
  雪消えしのちに蔵王の太陽がはぐくみたりし駒草の花    斉藤茂吉
  これも有名な高山植物で、中部地方以北の日のよく当たる高山砂礫地に生えるが、自生地では絶滅が危惧されていて、多くの人たちが保護活動をしている。ウスバキチョウの食草でもあるからチョウたちの存続も脅かされている。よく知られる“お駒さん”伝説のように昔から鎮痛作用のある薬草として利用され乱獲された歴史もある。この薬効を示す物質はアルカロイドのジセントリンやコリディンなど(Israilov, I. A.. et al., 1984)で、多量に摂取すると癲癇様の痙攣が起こり、最悪の場合は心臓麻痺を起こすので要注意である。


L: ムラサキツリガネツツジ Menziesia multiflora Maxim. var. purpurea (Makino) Ohwi
  箱根山地の岩場で見られるウラジロヨウラクの変種で葉の表面に荒い毛が密に生えていて母種と区別できる
R: ヒメサユリ Lilium rubellum Baker
  主に朝日山地〜飯豊山地〜越後山脈にかけて自生する日本特産の小形のユリで、絶滅が危惧されているものの、切花用に栽培されていて目にする機会も多い。越後三条の高城城跡では毎年5月末から6月初めにかけて「姫小百合祭」が開催されている。20年ほど前に二人で福島の高清水自然公園を歩いたときカクマ谷地の湿原一面に咲いているヒメサユリを楽しんだことを思い出したが、いまでも見ることができるのだろうか。


L: シライトソウ Chionographis Japonica Maxim.
  DNAの解析に基づいた最近の分類体系ではユリ科ではなく、ショウジョウバカマやエンレイソウなどと共にシュロソウ科(Melanthiaceae)にまとめられた、本州中部以北の沢沿いや湿地に生える。花軸に沿って咲く小さな白い花の6枚の花被のうち4枚が細く長くて白糸草という和名の由来になっている。
R: ショウブ Acorus calamus L. var. angustatus Bess.
  風吹てそよそよのびる菖蒲哉     正岡子規
  よく知られているように、ショウブについての民俗・風習は大陸からの文化の伝来にともなったもので、『枕草子』の時代には既に広くおこなわれていた。
  センリョウやマツモなどのと共に被子植物の共通祖先から単子葉の祖先へと進化しはじめたごく初期の遺伝子群を温存する植物で、サトイモ科から独立したショウブ科に分類されている。


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