igawa

野の花便り〜行く秋の井川峠


大井川と安部川の分水嶺となっている長い尾根の中ほどに位置する井川峠の行く秋を里山を歩く会の皆さんと楽しんできました
麓ではイロハカエデが真っ赤に燃えていましたが、峠道の林床にはすでに色あせたハウチハカエデやイタヤカエデやブナの葉が散り敷いていました
冬が秋を追いやろうと、すぐ近くまでやってきている気配でした
 深く紅葉した山々の向こうに薄く雪化粧した富士山が浮かんでいました



リュウノウギク Dendranthema japonicum トネアザミ Cirsium nipponicum var. incomptum

 登山道の入り口近くで最初に出会ったのはリュウノウギクだった。夜間の気温がかなり下がっているのだろう、10時を過ぎた日の光の中でも萎れ気味の風情であった。その隣にはまだ蕾をいくつもつけたトネアザミ(だと思う)が少し寒そうに咲いていた。

リンドウ Gentiana scabra var. buergeri ヤマハハコ Anaphalis margaritacea

 少し行くと、草紅葉の間にひときわ鮮やかにリンドウが咲いていた。それは、清少納言が「・・・こと花どもみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし」と記すとおりであった。
 しばらく行くと、やや開けて渇き気味の斜面に、消え残った初雪のような白さでヤマハハコが咲いていた。近寄って触れてみるとまるでドライフラワーのような触感であった。
シラネセンキュウ Angelica polymorpha ヘビノネゴザ  Athyrium yokoscense

 日あたりはよくなったにもかかわらず、散り敷く落ち葉の絨毯が広がり、いずこからともなく冬の足音が迫る林床に、緑をとどめる草は多くはない。
 中国原産の薬用植物センキュウに似ていて白根山に多いのでこの名で呼ばれるシラネセンキュウには繊細なレースを思わせる純白の小花が咲いていた。
 山道でごく普通に目にすることのできるヘビノネゴザはだいぶん緑が褪せてはいたものの、未だ枯れ残っていた。株が大きくなるときれいに放射状に葉を広げるので、蛇がとぐろを巻いて昼寝するのに具合がよさそうということで”蛇の寝御座”ということなのだろう。
ホソバシケシダ  Deparia conilii ヤマトリカブト  Aconitum japonicum var. montanum

 夏ならば沢蟹が身を潜めているに違いない小さな流れの縁にはホソバシケシダが緑を保っていた。シケシダの仲間の分類は雑種が容易に生まれることもあってかなり難しいが、この株は典型的なホソバシケシダで6倍体(2n=240)であろう。
 緑の豆鞘のような袋果を、長い花茎の先に2つ3つと立てたヤマトリカブトにも出合った。この属も分類が難しいものの一つで、日本だけでも30種以上が記載されている。葉形や毛の生え方やその有無などで分類するので、私などには自信を持って同定できるものは少ない。かつてこの属の分類を研究した中井猛之進先生は学生が「何処が違うかわからない」と首をかしげると「わかる者にはわかる!」と言い放ったという伝説があるほどである。化学成分で植物を分類する学問分野をケモタクソノミー(chemotaxonomy)というが、友人の一人はふざけて「トリカブト属の分類はケノタクソノミー(毛の分類学)だ」などといっていたのを思い出す。
バライチゴ  Rubus illecebrosus ノコンギク  Aster microcephalus var. ovatus

 本来ならば夏に咲いているはずのバライチゴの白い花が、まるで我々を待っていたかのように(というのはいささかあつかましいが)一輪だけ開いていた。太平洋側の関東以西の山地に分布している。 庭園で植栽されている八重咲きのトキンイバラはこの種の変種 (var. tokinibara Hara) らしい。
 バライチゴの近くには、こちらは典型的な秋の花のノコンギクが咲き競っていた。
テンニンソウ
 
Leucosceptrum japonicum
マムシグサ Arisaema serratum ミヤマノキシノブ
 Lepisorus ussuriensis var. distans

 琉球諸島を除く日本全土のやや湿った落葉樹林下に大きな群落を形成することでよくし知られるテンニンソウの花の終わった花穂が冷たい山の風に揺れていた。この名の由来は、深津正さんによると下から咲きあがる花の鱗状の苞が一枚一枚剥がれてゆく様を散り行く天花とみたて、花穂そのものを天上に向かう天人に擬えたからであろうという。しかし、行く秋の中で枯れ萎れている姿は堕天使のようでもある。
 晩秋の山路で出会っていつもドキッとさせられるのがマムシグサの異様な赤さの肉穂である。小さな蒟蒻玉のような地下の芋には澱粉があって擂り下ろして洗濯物の糊に使ったことがあるそうだが、蓚酸塩の針のような結晶があってそのままでは食べることはできない。この赤く熟した実はどんな味がするのだろうかといつも思うのだが、さすがに試食する気にはならない。
 道を広げる際に命拾いをしたらしいイタヤカエデの古木の幹にはミヤマノキシノブが着生していた。
クロモジ  Lindera umbellata ママコナ  Melampyrum roseum var. japonicum

 黄色に変わった葉をわずかに残すだけとなったクロモジの枝先には早春に開く蕾がもう膨らみ始めていた。しかし、まもなく雪に閉ざされて眠りにつくことだろう。
 標高1658mの井川峠の直ぐ下の、コメツガの優先する林床にはママコナが群生していた。夏に咲く桃赤色の花は目にしたことがあるが、この季節の稔った実を見たのは初めてである。米粒大のつやつやした実は硬く、熟せば黒褐色となる。”飯子菜”と呼ばれる理由がわかった気がした。もっとも、花弁についている二つの白い点を米粒と見立てたという説もある。 半寄生植物ということだが特定の宿主があるのだろうか。少し掘り起こしてみたが、さまざまな根と錯綜していてよくわからなかった。。
ホウライスギゴケ Pogonatum cirratum subsp. fuscatum ツルリンドウ  Tripterospermum japonicum

 ママコナの群落の隣にはホウライスギゴケの鮮緑色の絨毯があった。中部地方以西、東南アジアまで分布している蘚類である。
 ツルリンドウの赤く輝く実もあちこちにあった。東アジアから東南アジアにかけて数種類が知られているツルリンドウ属の1種である。日本全域の山地に普通に見られる。実の下の褐色の部分は萎れた花冠で、この姿から連想されたのか小動物の雄の性器にたとえた里呼び名が多い。例えば信州ではサルノキンタマ、東北ではキツネノキンタマ、山口ではイヌノチンポなどと呼ぶそうだ。
ミヤマガマズミ Viburnum wrightii シノブカグマ Arachnioides mutica

 コメツガの大木の影には、ほとんど葉を落とし、小鳥たちの食べ残した、フローラの女神に似合うガーネットのアクセサリーのような、小粒の赤い実をつけたミヤマガマズミがあった。低山帯から標高1400mまでの山地に分布するというから、この株は分布限界近く生えていることになる。
 尾根道に沿ってブナの林があったが、その枯葉の積もった林床に日本の温帯林に生育するシダを代表するものの一つであるシノブカグマがあった。カグマという言葉のつくシダはこの他にミサキカグマやサクライカグマなどあるが、カグマは東北地方の方言でオシダなどのシダの葉を意味するガクマに由来すると思われる。
オシダ  Dryopteris crassirhizoma クマイザサ  Sasa senanensis

 シノブカグマの近くには本来のガクマ、つまりオシダが生えていた。これも温帯林のシダで、根茎を乾燥させたものを綿馬根(めんまこん)と呼んでいる。古代からサナダムシなど腸内寄生虫を駆除するために薬用されていた。
 尾根の両側は部分的ではあったが、クマイザサに覆われていた。シナノザサとも呼ばれ、北海道から本州の寒帯〜温帯の樹林下に分布している。チマキザサによく似たササである。
ミズキ  Cornus controversa ツネノチャダイゴケ  Crucibulum laeve

 県民の森センターの近くにはミズキの大木があり、黒青色の実をこぼれるほどにつけていた。小鳥たちは先ずは赤い実に惹かれるのであろうか。コケシ作りにははこの樹の白い材がむいているそうだ。
 森の中では数年前に切り倒されたと思われる切り株に面白い形のキノコが生えていた。直系1cmにも満たないコップ状で、ふと、”森の精霊のぐい飲み”という名が浮かんだ。チャダイゴケ科のツネノチャダイゴケであった。
井川峠のブナ(Fagus crenata : 山毛欅

山毛欅の樹のみきはくろめりわが去なむ宿べのかげにさむく立ちつ    石原 純

このページのトップへ      目次に戻る