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野の花便り 〜 湿生花園の夏の花 〜

箱根の千石原にある湿生花園の夏の花のいくつかを紹介します。
この花園は箱根火山の活動終末期に早川が堰き止めらてできた湖沼の点在する千石原湿原の一角に30年ほど前に造成されたものです。したがって、隣接する天然記念物、千石原湿原植物群落を構成する種のほかに、各地の高層湿原や草原から移植されたものも植栽されている見本園です。
とはいえ、木道に沿って散策すればさまざまな花を短時間に楽しむことができ、植物愛好家にとっては嬉しい見本園ではあります。


早朝、谷川の音を聞いて目覚める。緑濃い渓谷には静に霧のような雨が降っていた。送り梅雨というのであろうか。遠くから鐘の音が渡ってきた。
鐘撞いて僧が傘さす送り梅雨    森澄夫

間もなく雲が切れ、明るい夏の空が広がった。湿生花園ではどんな花たちが待っていてくれるのだろう。


チダケサシ Astilbe microphylla


 花園に入って真っ先に出迎えてくれたのがチダケサシ(Astilbe microphylla)。本州、四国、九州の湿地や草原に分布しているユキノシタ科の多年草。チダケサシは漢字表記では乳茸刺と書くが、これはキノコ狩りで採れたチチタケをこの草の長い花茎にさして運ぶからだそうだ。チチタケ(乳茸:Lactarius volemus)は日本各地の雑木林に生える食用キノコ。傘の中に白い乳液を満たした乳管があって、傷つけるとこの乳が流れるのでこの名で呼ばれる。
 私はキノコ狩りの経験がないので、よく分からないのだが、チチダケが生じる雑木林にはチダケサシも多いのだろうか。


ダイコンソウ(Geum japonicum) エゾミソハギ(Lythrum salicaria)

 水辺近くの草むらの中に明るい金色の花が揺れていた。ダイコンソウ(Geum japonicum)だった。マメヒラタアブ(Sphaerophoria mentastri) が蜜をなめに来ていた。
 水際には”お盆花”と呼ぶ人が多い禊萩が咲いていた。低地の水田の畦などで目にするものよりもずっと大型で、花のサイズも大きいエゾミソハギ(蝦夷禊萩:Lythrum salicaria) だった。蝦夷とはいうが、本州から九州にかけても分布している。ミソハギの漢字表記は禊萩と書かれることが多いが、これはその花穂でお盆の供物に水を散らす風習を表すものだという。しかし異説も多く、水辺に生えるので水萩あるいは溝萩、またハギに似てはいるが小さいのでミソカハギ(微萩)とも書かれる。


エンビセンノウ(燕尾仙翁:Lychnis wilfordi) ナミキソウ(Scutellaria strigillosa)

 雑木林の小道に入ると、赤い小さな焔のような花があった。ナデシコの仲間のエンビセンノウ(燕尾仙翁:Lychnis wilfordi)です。花びらの形がツバメの尾を連想させるのでついた名だそうだ。北海道と本州中北部の山地草原に自生するものだが、観賞用に栽培されてもいる。
 遊歩道の際で、うっかりすると踏みつけてしまいそうなところでナミキソウ(Scutellaria strigillosa) が咲いていた。本来の自生環境は海岸の砂地ということだが、熱海や伊豆の海辺を歩いた観光客の靴に付着した種子が運ばれてきたのだろうか。


ゲンノショウコ(Geranium thunbergii) ギンバイソウ(銀梅草:Deinanthe bifida)

 ナミキソウの近くではゲンノショウコ(Geranium thunbergii) も咲いていた。これも観光客の置き土産だろう。古来、下痢止めの薬草として親しまれてきたせいもあってたくさんの里呼び名がある。『植物方言集成』にでているだけでも150ほどもある。遠州では’医者泣かせ’とか’猫の足’などと呼んでいる。後者は細かな毛のある葉からの連想だろうが、微笑ましい呼び名だ。
 ハンノキなどが茂った暗い林床には葉の先端が矢筈のように割れたユキノシタ科のギンバイソウ(銀梅草:Deinanthe bifida) の身悶えているような花があった。まさに学名どおりの”葉が2つに裂けた不思議な花”である。関東以西の湿った谷間などに分布している。地下茎にはねばねばした粘液が含まれ、昔は紙漉きに加える糊として利用したそうだ。


イワシャジン(Adenophora takedae) ヒメユリ(Lilium concolor)


 林縁部で湿った岩の斜面の草の中ではイワシャジン(Adenophora takedae)が涼しげだ。中部地方東部から関東地方西部だけに分布する貴重な種である。
 林の中の少し開けた草地にはヒメユリ(Lilium concolor)が朝まで降っていた霧雨の雫を留めて晴れた空を仰いでいた。


イヌゴマ(Stachys riederi) クサレダマ(Lysimachia vulgaris var. davurica

 それほど珍しいものではないようだが、遠州の里ではとんと見かけない草の一つのイヌゴマ(Stachys riederi) に出合えた。北海道から九州にわたって分布するシソ科の多年草で、正月料理に使われるチョロギと同属である。よく似ているのでチョロギダマシとも呼ぶことがある。種子の形がゴマに似ていているが、有毒で食用にならないのでこの名がついたという。
 明るい雑木林の下にはホタルブクロやオミナエシなど色とりどりだが、今日一番目立っていたのがサクラソウ科のクサレダマ(Lysimachia vulgaris var. davurica) だった。学生時代に始めてこの名を教わったとき、なぜかかってに”腐れ玉”と解釈して記憶していたが、実は”草連玉”だということを最近になって知った (・_・;) 地中海地方が原産のマメ科の低木のレダマ(連玉、Retama:Spartium junceum) の花に似て草本性だからこの名が付いたのだそうだ。しかし似ているのは花の色だけで、他は少しも似ていないように思うのだが・・・・・。ちなみに、スペイン語のretama はエニシダの仲間の総称である。


コオニユリ(Lilium leichtolinii var. tigrinum) ノリウツギ(Hydrangea paniculata)

 木道にそったイネ科の草が優先する湿地の中に一株のコオニユリ(Lilium leichtolinii var. tigrinum) があった。房状に下がった真っ赤な葯が少し重そうだった。
 少しゆくと、「よく見てね」とでもいいたそうにノリウツギ(Hydrangea paniculata) の花穂が道をふさいでいた。蜜がとても美味しいらしく、アリや花蜂やハナカミキリなどが群がっていた。


ナガホノシロワレモコウ
Sanguisorba tenuifolia var. alba)
クサフジ(Vicia cracca) ヌマトラノオ(Lysimachia fortunei)
 この花園は箱根の植物を植栽しているだけでなく、外国産もふくめ綺麗な花の咲く種を移植栽培している。草むらからすっと伸び上がった花茎の先に生まれて間もない子羊の尻尾のような花穂を垂らしているナガホノシロワレモコウ(Sanguisorba tenuifolia var. alba) もその一つだ。自生地は関東北部から北海道でサハリンにも分布している。
 その近くには、これは低地の路傍でも目にすることの出来るクサフジ(Vicia cracca) が咲いていた。
 水辺から少し離れた雑木林の縁には数株のヌマトラノオ(Lysimachia fortunei)が真っ白な花穂を立てていた。分布域は広く、北海道を除く日本と韓国・中国からインドシナ半島にまでわたっている。新潟では十五夜草と呼ぶそうだ。


カセンソウ(Inula salicina) マツモトセンノウ(Lychnis sieboldii)

 これは私が初めてであった種。オグルマによく似た花のカセンソウ(Inula salicina) だ。これも広域分布種でユーラシアの温帯に広く分布している。もっとも毛の多いアジアのものはヨーロッパ産のものの変種として扱われることが多い。和名の漢字表記は”歌仙草”と書かれるが、歌仙とのかかわりはつまびらかではない、とのこと??”火箭草”だという説もあり、こちらは花の形に因んだものだという。
 林の中にはマツモトセンノウ(Lychnis sieboldii) も咲いていた。この仙翁も箱根にはなく、自生地は九州の阿蘇山である。美しいので江戸時代にはすでに観賞用に栽培されていた。


オカトラノオ(Lysimachia clethroides) キンロバイ(Potentilla fruticosa var. rigida)


 ヌマトラノオの近くにはよく似てはいるが花穂が湾曲するオカトラノオ(Lysimachia clethroides) が競うように咲いていた。琉球諸島を除く日本全土で普通に見られる種で、韓国や中国にも分布している。新芽や若葉は食用になるそうだ。試食経験のあるOBのIさんによると酸味が強いそうで、味噌和えなどにすれば食べられらしい。
 高山系のものが植栽されているコーナーではキンロバイ(Potentilla fruticosa var. rigida)が金露梅という名がなるほどとうなづける花を咲かせていた。千島列島に住むアリュートの人たちは葉を乾燥させてお茶のように飲むそうだ。中国で葯王茶と呼ぶのもこの低木の葉である。


シモツケソウ(Fillipendura multijuga) ツチアケビ(Galeola septentrionalis)

 草原の一角が明るい桃色に染まっていた。花の盛りのシモツケソウ(Fillipendura multijuga) の群落だった。近くによって見ると、朝方の霧雨の雫がなおやかな小花どうしを繋ぎとめていて、まるで綿菓子のようだった。関東以西の山地に多いバラ科の多年草だ。遠い昔のことではあるが、同好会の合宿に参加して、信州は霧が峰の湿原で初めてこの花に出会ったときの感動は忘れ難い。
 暗い森を抜ける木道のそばではツチアケビ(Galeola septentrionalis) の花を見た。盛りは過ぎていて、花数はわずかだった。初秋の山歩きで真っ赤なソーセージのようなこのラン科の植物の果実を見ることは多いが、花に出会ったのは初めてのような気がする。ナラタケと共生する菌糸植物として知られる。漢方で強精薬とされる土通草はツチアケビの果実である。


キツリフネ(Impatiens noli-tangere) キリンソウ(Sedum kamtschaticum)

 ツチアケビを見て少し歩くと、キツリフネ(Impatiens noli-tangere)が揺れていた。花の形を吊ってある舟と見立てた故の名なのだろうが、母親に手を引かれて通りかかった女の子が「黄色の小さな象さんのように見えるね」といっていた。
 林を抜けて岩場植物のコーナーに出るとキリンソウ(Sedum kamtschaticum) が咲いていた。北海道から九州の山地草原、崖地、海岸など多様な環境に分布していて、さまざまな個体変異が知られていて分類もやや混乱しているようだ。若葉を摘み塩茹でして水晒しすればマヨネーズ和えなどにして食べられるそうだ。


アギナシ(Sagittaria aginashi) サンショウバラ(Rosa hirtula)

 千石原湿原の植物を温存してあるというコーナーにはヤマアワの白い穂が揺れ、ミズチドリの花穂が立ち、カセンソウが群れていた。その一角でアギナシ(Sagittaria aginashi) の3弁の白い花が咲き始めていた。写真は雌花である。
 園内のところどころにはサンショウバラ(Rosa hirtula)が植えてあり、初夏に咲き終わった枝先には大きなハリセンボンを連想させる実がついていた。葉の形はサンショウにそっくりで、花や実がなければ間違えるほどである。箱根ではハコネバラと呼んで町の花に選定されているそうだ。

 

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