Fuyu

野の花便り  ・・・・  ・・・・

立冬も過ぎ、早くも小雪を迎えます。
北海道や東北地方などと違い、この辺りでは秋から冬への移り変わりが曖昧で、寒気と暖気がせめぎあいながらいつの間にか本格的な冬になります。
そんな遠州の冬の野山や里で出会う植物たちを紹介いたします。

索引  アシ イソギク  イソギクマガイ イチョウ イヌビワ イヌホウズキ イヌホタルイ オオオナモミ オオジシバリ
 オオツリバナ オニノゲシ 御前崎灯台遊歩道の花 カキ カクレミノ 片葉の葦 カラスウリ カルカヤ 枯れ芙蓉
 枯れススキ キヅタ クサギ クスノキ クロガネモチ クワクサ コウゾリナ ゴシュユ コセンダングサ  サカキ
 サザンカ サネカズラ 初冬の朝の河川敷 ジロウガキ シロダモ 雌雄同株のサネカズラー2
 シロダモの雄花と雌花 スズメウリ スミレ セイタカヨシ センダン タチバナモドキ タツノツメガヤ タラノキ
 ダルマギク ツタ ツルウメモドキ テリハノイバラ トベラ ナツミカン ナンキンハゼ ナンキンハゼー2 ニシキギ
 ニラ ぬばたま ノアザミ ノゲシ ハキダメギク バショウ ハゼノキ ハマヒサカキ ヒイラギ ヒガンバナ
 ヒサカキ ヒメイタチシダ ヒメジョオン ヒラタケ ビワ ベニバナボロギク 穂芒 ホラシノブ マムシグサ ミセバヤ
 ムラサキシキブ モクビャッコウ  ヤツデ ヤブコウジ ヤブマメ リュウノウギク  リュウノヒゲ 紅葉した草木
 帰り花 ヤマボウシ  帰り花 カワヅザクラ

更新 : 
2011. Nov. 20  タツノツメガヤ  2011. Nov. 25 ダルマギク  2011.Nov. 30 ナンキンハゼー2
2011.Dec. 19 ニラ  2011. Dec. 31  リュウノヒゲ
2012. Nov. 11  オオツリバナ   2012. Nov. 23  雌雄同株サネカズラー2 
2012. Nov. 29  クスノキ   2012. Dec. 10 スミレ   2012. Dec. 19  ツタ
2013.11.15 ジロウガキ  2013.11.25  初冬の朝の河川敷  2013.12.05 ぬばたま
2013.12.11 イソギク  2013.12.22 クロガネモチ
2014.11.26  ヒラタケ  2014.12.07  穂芒

November 7、 2008: 冬の始まりを告げる紅葉した草木 ~ガマズミとノブドウ~

 立冬を迎えた朝、気がつけば庭の片隅に数年前に芽生えたガマズミの葉がみごとに色づいていた。背景に茂るイシカグマの緑とは対照的であった。
 散歩の途中では、東名高速の保護フェンスの金網に絡んで、真っ赤に燃えるノブドウにも出会えた。しかし、こんな深紅に変わったノブドウの葉を見たことはなかったのでうれしい驚きだった。
 茶畑の裾のイワヒメワビの夏と変わらぬ厚い茂みは、ヒヨドリジョウゴのルビー色の簪を思わせる実の房で飾られていた。

     あさひさすいなたのはてのしろかべにひとむらもみぢもえまさるみゆ    会津八一

 草木の色の移ろいや空行く雲の変幻自在な姿を見ている限りは、まさに“美しい日本”なのだが、“醜い日本”を演出する、いわゆる“偉い人たち”がいるのは残念である。
 対外的には日本の顔とみなされる総理大臣様が、未曾有を(みぞゆう)、踏襲を(ふしゅう)、頻繁を(はんざつ)と声に出して読んでいる。この方はマンガ愛好家を自認するが、実はマンガも正しくは読めていないのだろう。まさかこれが正しい読みだと主張するおつもりではないだろうが、恥ずかしい限りではある。
 時を同じくして田母神空幕長の論文(というよりテーマを与えられて書いた不勉強な学生のレポート)が問題になっている。立場をわきまえない不適切論文であったと首相が認めることで騒ぎが収まりそうだが、わたしにとっては自衛隊がかつての帝国軍隊に戻りつつあることが確信でき、しかも現政権がその思想を暗に支持しているいることがわかって、暗澹たる思いである。


November 11、 2012: オオツリバナ Euonymus planipes (Koehne) Koehne

 安倍峠から身延へと続く広葉樹林下の道の辺に、真赤な小さな巾着袋を束ねたように、オオツリバナの実が下がっていた。
 甲斐や信濃の山地ではよく目にする木だが、なぜか駿河や美濃には分布していないようだ。
 紅葉した樹林の向こうには、5合目あたりまで冠雪した富士山が輝いていた。
 山巓に始まった紅葉はもう山麓に届きそうである。
 静かな美しい日本の初冬である。
 しかし、人の世は騒がしい。
 メルトダウン状態の政界では放射性物質のような政治屋が飛び回り、解散という爆発も間近らしく、首相は最後の晩餐にいそしんでいるそうだ。
 経済界も土砂降り状態で、日本を代表してきたような家電各社が存亡のときを迎えているらしい。
 東京電力の再建も行き詰まり状態、大飯原発の活断層問題でも原子力規制委員会が立ち往生している。
 海洋強国を目指し尖閣諸島で海上保安庁と鍔迫り合いを続ける中国では内陸のチベットで暴動が勃発中だし、リビアの戦禍も先行きが見えない。
 接戦を制したオバマ大統領の苦戦も続くことだろう。


November 12: 2009 セイタカヨシ Phragmites tarka (Retz.) Trin.
 風の止んだ朝、晴れた空を映す川面にはさざ波の一つもなく、岸辺に茂ったセイタカヨシ(背高葦)の穂が、土手を越して射しこんで来た最初の朝日に白く輝いた。
 セイタカヨシは本州以南、韓国、中国南部、ミクロネシア、オセアニア、インド、パキスタン、アフリカに分布している。セイコノアシという和名もあるが、これは“西湖の葦”の意で花屋での雅称である。西湖のある中国では水竹と呼ぶ。パキスタンではDrumb とかNaluと呼び、ニューギニアでは家畜の餌にしていてPit-Pitというそうだ。

 昨日は平成天皇即位20年を祝う記念式典があったようだが、そこでの「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられてゆくのではないかということです」という言葉に始まった平和を願う天皇の歴史観に親しみを覚えた。戦争責任を明確にできなかった昭和天皇に代表された皇室の存続には否定的だったが、現在の皇室がベン・アミー・シローニ氏が示唆するように環境問題と非戦平和の象徴としてあり続けるのであれば、世界にとっても意義ある存在となりうることだろう。


November 15、 2013: ジロウガキ Diospyros kaki L. f. cv. Jiro
 黄葉が始まったセンダンの木を背景に庭先のジロウガキが熟してきた。捥ごうとして触れると、ほんのりと化粧したような白いワックスがとれて光沢のある赤い果皮が現れた。
 昨年は2個ほどしか実らなかったのに生り年というのだろうか、今年は30個近くも着果した。
 カキには数え切れないほどの品種が知られているが、私が知る限り甘柿の中ではこのジロウガキの甘味が一番のような気がする。
 遠州森町が発祥の地だということは以前から知ってはいたが、その原木が現存するとは、この文を書くために森町のホームページにある文化財の紹介を読むまで思ってもみなかった。
 記事によると当地の百姓の“治郎”なる者が江戸末期の弘化年代に大田川の河原で見つけた株が原木となったという。その後は遠州各地の農家に伝わり、現在広く栽培されている一木系早生次郎柿は大正10年ころに篤農家の一木藤太郎が選抜したものだそうだ。
 秋の果物といえば蜜柑と柿しか身近にはなかった戦後の食糧難時代、空腹を抱えた少年にとってこの柿の甘さは至上の喜びであったことを、ふと思い出した。


November 16、 2009: シロダモの雄花と雌花 
                 Male and female flowers of Neolitsea sericea (Bl.) Koidz.

 日を追うごとに日出の時間が遅くなっている。今日は6:20だった。早朝の気温も10℃を切るようになった。というわけで、このところまだ薄暗いうちから厚着をしての散歩が多くなった。
 今朝は、その日の出前の散歩の途中、山陰の窪地に、仲のよい夫婦のように並んで生えている花の盛りの雌雄のシロダモを見た。雌花(右側の画像)の咲いている枝の一段下の枝には昨年の初冬に受粉した結果の真っ赤な実が連なっていた。
 栽培条件によっては芽生えて花が咲いて何千粒もの種を散らして枯れるまでわづか2~3ヶ月というシロイヌナズナのような植物もあれば、このシロダモのように何十年も生きながら、巡り来る年毎に一年もかけてゆっくりと実りを待つものもある。生き物には実にさまざまな生き方があるものだ。この多様性の背景には、地球の誕生、いやそれ以前から、この宇宙誕生の瞬間からの時の流れがあるのだろう。そしてこの多様性にはなぜか美が宿る。何ゆえか。神の御業ゆえと思考を停止したくはない。しかし、真に何ゆえか。神を認めようとしない数物理学者たちも諦めていないはずだ。

 E-Newsによるとアメリカで開催された生物版ロボットコンテスト、IGEMで火星で生存できしかも地表を温めるために不凍タンパク質と黒い色素を生産する二つの遺伝子を組み込んだ大腸菌を作った東工大チームがゴールドメダルを獲得したそうである。まるでSFのような楽しい研究である。事業仕分けで若手研究者に配分される研究費も削減対象となっているが、GXロケットの開発中止は当然のこととしても、このような研究にはブレーキがかからないようにしてもらいたいものである。 


November 17、 2010: 初冬の御前崎灯台遊歩道

里山を歩く会の皆さんと、御前崎灯台を取り巻くように設置されている“つわぶきの小径”から“椿の小径”を経て潮騒遊歩道の初冬の海岸植物とを楽しんできた。
曇り空でしたが、この地には珍しい無風に近い日和で、穏やかな波が寄せる、洗濯板のように侵食された美しい相良群層の露出している磯では、東海大学の学生さんたちが観察実習に励んでいた。


季節外れの黄砂に煙るはるか彼方の水平線上を荷を下ろして身軽になった大型のクレーン船がゆっくりと通り過ぎていた。大海原に浮かぶ小さな小さな粒である

ツワブキ Farfugium japonica (L. fil.) Kitam
                      今年また冬近づきて槖吾の花にさす日の光弱るかも   岡麓
 吹きつける強い潮風に耐えて、断崖に茂る常緑樹の森の床に、惜しげもなく撒き散らした金貨のように、ツワブキが咲いていた。
 太平洋側では福島県以南、日本海側では石川県以西に分布していて、九州にはオオツワブキ、琉球諸島にはリュウキュウツワブキと呼ばれる種内変異が知られていている。若い葉柄は伽羅蕗などに加工されて食用され、全草は漢方薬種として利用される。
 海辺を好んで生える菊の仲間は少なくないが、ツワブキはとりわけ大きく目立つ花と光沢のある重厚な葉は、古くから注目されて庭園に植栽され、盆栽にも取り入れられてきた。そのため、数多くの園芸品種が作出されている。
                              時雨きて石なまめきぬ石蕗の花    白貧


シャリンバイ 
Rhaphiolepis umbellata (Thumb. ex Murray) Makino
トベラ 
Pittosporum tobira (Thumb. ex Murray) Aiton 
 崖地に茂る常緑樹の仲間はすでに花は終り、いまは稔りの季節である。
 何気なく眺めていれば、いずれも濃い緑で光沢を放つ葉の茂みではあるが、近寄ってよく見れば樹形も葉の形もさまざまである。ことに、実の色や形を見れば、その違いは歴然である。
 黒い豆粒のような実を房なりにつけているのはバラ科のシャリンバイである。その隣に寄り添うように茂っているのはトベラ科のトベラである。長い花柄の先に垂れ下がる丸い実は黄に色づき、熟すとぱくりと割れて粘つく真っ赤種子をのぞかせる。
 どちらも小鳥の好物らしく、庭に立ち寄ってくれた彼や彼女らの落し物から、時々芽生えてくる。

           絶えまなく頚うごかして丸呑みに車輪梅の実食める冬鳥         山口茂吉
           革質長楕円状倒卵形の海桐の葉つやつやしてゐる磯山街道      尾山篤二郎
 


ハチジョウススキ Miscanthus condensatus Hack. オニヤブソテツ Cyrtomium falcatum (L.) Presl
 日本の晩秋の、心もとない寂しさを、白く揺れ動く花穂から私たちに語りかけてくる、蕪村が「山は暮れて野は黄昏の薄かな」と詠んだススキと違って、むしろ逞しさを感じさせるのが、こそハチジョウススキである。 近縁のオギ(4倍体)との間に3倍体と4倍体の雑種ができ、3倍体はオギに近く、4倍体は中間的な形質を持っていることが報告されている。 これらの雑種は、繁殖力が強く、家畜の飼料植物として有望視されている。  オニヤブソテツは沿海地の海崖から低山域にかけてごくふつうに見られ、艶やかな光沢のある濃い緑色の葉が特徴的なシダである。 しかし、有性生殖ができる2倍体と4倍体、受精抜きで繁殖(無配生殖)する3倍体の個体が同所的に分布していて、形態の変異もあるばかりか、近縁種との雑種も存在し分類は容易ではない。
 ベニシダ類やヤブソテツ類にはなぜかこのような3倍体が多い。
 


クコ
 
Lycium chinense Mill. 
ノコンギク
 
Aster ageratoides Turcz. var. ovatus (fr. et Sav.) Nakai
 アジアに広く分布するナス科のクコは、よく知られるように古代から薬草として利用されてきた。特に真っ赤に熟す実は滋養強壮の効果があると、現代でも使われている。
 川沿いの土手や溝の縁などを好む低木だが、潮風に吹かれる海崖でも逞しく茂っていた。
 野に咲くキクの種類を決めることは、私にとっては真に難しい。冠毛の状態や葉の性質などから見て、この個体はノコンギクだろうと思うのだが・・・・。
 典型的なノコンギクは遠い過去にヨメナの祖先とシロヨメナなどの祖先種との間の交雑で生まれたものと考えられている


アシタバ Angelica keiskei (Miq.) Koidz. ツルグミ Elaeagnus glabra Thunb. ex Murray
 駐車場から灯台へと登る遊歩道の周りの藪の中ではアシタバが咲いていた。5~6月に咲くハマウドと良く似ているが、こちらは秋咲で、花序の基部の白い苞が目立つ。相模湾から紀伊半島に亘る海岸と伊豆諸島に自生しているが、よく知られるように食用に栽培されている。
 アシタバの上に覆いかぶさるように茂っていたのは花を咲かせ始めたツルグミであった。海辺の丘陵地帯に多いが、かなり内陸部でも目にする。変異の幅が広く、ナワシログミとの中間型も現れる。実は4月ごろに赤く熟す。


ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii Zoll. ex Kurz イソギク Chrysanthemum pacificum Nakai
 暗い藪を抜ける遊歩道に際には、福島県以西に分布するヒメユズリハがあった。ユズリハとの違いは葉が小ぶりで側脈の数が半分ほどであることや、初夏ならば蕚片の有無で識別できる。雌雄異株だが、この株には実が見えないので雄株かもしれない。南方に分布するものほど変異の幅が大きくなるらしい。  最近に整備されたらしい潮騒遊歩道を下ると“潮騒の像”の手前の石垣の上にイソギクが咲いていた。
 銚子の犬吠埼からここ御前崎までの太平洋側の海岸に固有の野菊だが、古くから庭園や盆栽に植栽されている。家菊との雑種で舌状花のでるのがハナイソギク。


ホソバハマアカザ Atriplex gmelinii A.C.Meyer  ハマカンゾウ Hemelocaris var. littraris Makino
ハマアザミ Cirsium maritimum Makino ツルナ Tetragonia tetragonoides (Pallas) O.Kuntze
 かつての砂浜は、原発の建設のために作られた御前崎サンロードに切り取られてしまったが、それでも崖下のわずかに残された砂地にはホソバハマアカザやツルナが這い、ハマカンゾウやハマアザミが花を咲かせていた。


ランタナ Lantana camara var. aculeata (L.) Moldenke 燈台守の息子 Lighthouse keeper's son
 南アメリカの熱帯が原産地だとされるランタナ、和名七変化は、我が家の庭でも茂っているが、灯台下の民家の庭でも元気よく美しい花を咲かせていた。
 霜に当たれば地上部はダメージを受けるが、繁殖力が強く、温暖化の進む近年では東海地方でも帰化して迷惑がられる存在になりつつある。ランタデネスなどの有毒物質を含み家畜に被害が出るため、世界の熱帯では早くから有害植物として駆除の対象となっている。
 ランタナを見つめていた(ように思えた)年齢不詳の燈台守の息子(と、勝手に命名)が、私に言いました。
 「あんた、呑気そうやね。わいの親父さんなんど、民主党にもあきれ果て、日本の行く末を嘆いておりまっせ。わいは賛成でけんが、中国やロシヤや北朝鮮に馬鹿にされんよう、はよう核武装に踏み切らなあかんと、いきまいっとりまっせ。あんさんはどない思ってまっか。ま、孫を泣かさんような国にせんとあかんな~。ワン!」



November 18、 2007:  クワクサ Fatoua villosa (Thunb.) Nakai
 今朝の気温はとうとう10℃を切った。一気に冬が来たようだ。
 庭先の野の草もほとんどが枯れて土に返ったが、気がつくとクワクサが頑張っていて、まだ花を咲かせていた。名前のとおりクワのミニチュアのような姿の草である。
 畑地に生えることが多いので有史前に大陸から渡ってきた植物かもしれない。

 話は変わるが、最近人類進化を解説した3冊の翻訳書を読んだ。
 いずれも内容的には最新の情報をとりあげていて面白かったが、残念なことに、わが国のこの種の翻訳書のほとんどとおなじく、参考文献がすべて省略されている。それでも1書では出版社のウエブサイトを見れば参考文献の一覧を見ることができるようになっていたが、本文のどこにも引用番号が記されていないのでほとんど役に立たなかった。
 またこの訳書では原著にある図版のほとんどがカットされ原著に無い挿画がいくつもあり、しかも本書のタイトルや各章のタイトルが実に大胆な意訳で、原著者が知れば怒るのではないかと思った。
 例えば、タイトルの『BEFORE THE DAWN : Recovering the Lost History of Our Ancestors』が『5万年前:このとき人類の壮大な旅が始まった』であるし、各章のタイトルにしても「Exodus」が「ネアンデルタール人たちとの死闘」、「Stasis」は「インドに到達、さらに遠方へ」という調子である。小見出しにいたっては訳者と監修者の主観でつけられていたのである。というわけで、読者によっては眉唾の内容と思ってしまうに違いない。


November 19、 2006: ヤブマメ
 北海道の佐呂間町を日本では初めてという猛烈な竜巻を起こし9人もの人の命を奪った風が吹き抜けた。地球温暖化が原因の異常気象との説もあるが、自然現象は複雑で予測できないことの方が多い。
 東海地方では昨年と違って今年は暖冬だろうといわれてきたが、ここ数日、明け方の最低気温が5℃を下回っていて、野もすっかり冬の気配である。
 しかし南に面した風当たりの少ない山すその藪には未だ秋が残っていて、ヤブマメが今年最後になるであろう花を咲かせていた。
 ヤブマメは北海道から九州まで広い範囲に分布するありふれたつる性の一年草だが変わった性質を持っている。それは2種類の果実を実らせることである。一つは地上部に形成される豆莢形のもの、もう一つは子葉の腋から出て地中を這う糸状の地下茎に実る球形で桃色がかった実で、1個の大きな種子が入っている。こちらは食べることができ、北米に分布するよく似たブラクテアタヤブマメのそれはチェロキー族などの先住民の大切な食糧となっていた。


November 20、 2004:  リュウノウギク
  一輪の野菊のために晴れし空     三村純也

 詩歌の世界で野菊と呼ばれるキクは、秋から初冬にかけて野に咲く小振りなキクの花の総称で、俳句や短歌に詠われた野菊の種類を特定することは難しい。 しかし私の直感では、三村純也さんの見た”一輪の野菊”はリュウノウギクのような気がする。この野菊はまこと小春日和が似合う花である。
 リュウノウギクは東北地方南部から九州にかけて広く分布していて、田畑の路傍に多いヨメナやユウガギクなどと違って山道のやや乾燥気味の斜面などに生えている。遠州での里呼び名はコギクで、ヤマギクと呼ぶ人もいる。
 標準和名の漢字表記は龍脳菊で、葉や茎が放つ香りが龍脳のそれに似ているからである。龍脳というのはボルネオ島などのアジアの熱帯に生えるフタバガキ科のリュウノウジュという巨木に含まれる成分で、昔は貴重な医薬品として珍重された。


November 20、 2011:  タツノツメガヤ Dactyloctenium aegyptium (L.) Beaub.

 まるで台風のような雨風が過ぎ去った朝、濁って激しく流れる菊川の土手を歩いた。青く澄んだ空に、まるで生き物ように真っ白な飛行雲が一直線に伸びていった。

 ふと足元を見ると、季節外れの濃い緑の草群があった。タツノツメガヤ(竜爪萱)だった。
 アジアからアフリカにかけての熱帯が原産地といわれ、琉球列島や小笠原には古くから帰化していた記録があり、本州でも稀に見つかっている。
 一年草だというが、来年も出合うことができるだろうか。それとも一期一会だろうか。

 あの巨大な異界の生き物のような津波と、爆発して膨大な放射性物質を撒き散らした原発を知った日から、私の心には晴れる日がない。
 そして、“徐染”というごまかし造語を目にし耳にするたびに、この国の為政者とマスコミいい加減さに腹が立つ。

 手元にあるどの辞書を見ても、汚染(細菌、有毒物質、放射性物質に汚れること)とはあるが、除染という日本語はない。為政者もマスコミもこの言葉を使って、いかにも放射性物質が除去され安全になるような錯覚を人々に与えようとしているが、実体は放射性物質を寄せ集めているだけである。
 細菌は殺して無害にでき、有毒物質はすぐに無害化できるが、放射性物質は時の過ぎるのを待つしかないのだ。


November 21、 2004:  ゴシュユ
  久しぶりに東名高速道の南側にある大頭龍神社へ出かけてみた。車の行きかう道に沿った茶畑の向こうの、わずかに残っている雑木林の縁に、周りの色づきはじめている木々とは違って濃い緑色の複葉をつけた枝先に赤い実の房を乗せた低木があった。ミカン科のゴシュユだった。
 ゴシュユとは日本語としては奇妙な発音しにくい名だが、中国名をそのまま音読みしたものだ。中国では古くから鎮痛、解毒、利尿などの薬効のある植物として利用されていた。熟した種子からは油も採れ、葉からは黄色染料をとった。揚子江流域とその南の地域に分布している。
 日本に入ったのは享保年間で、小石川薬草園で栽培され、やがて各地に広まったという。雌雄異株だが、日本に来たものは雌株だけで、地下茎で繁殖している。
 しかし、あちこちの藪陰に点々と見られるようすを見ると、種子での繁殖を疑ってみたくなる。単為発生はないのだろうか。この写真の実が熟す頃にもう一度でかけで確かめてみよう。

  追記: 一ヶ月が過ぎたところで再訪してしてみました。果実は皆黒くしおれていて、触るとほろりと落ちてしまいました。潰してみましたが、種子らしきものは作られていませんでした。単為発生はないようです。



November 22、 2004:  キヅタ

  廃屋の壁を覆ったキヅタが花の盛りだった。光沢のある濃い緑の葉群の中から小さな薄緑の花の束がのぞいている。星形に開いた5枚の花びらと互い違いにツンと飛び出した雄しべの先の黄色の葯からは花粉がこぼれていた。ハナアブの訪れを待ちかねているのだろうか。
 キヅタは木本性の蔦の意味だが、寒蔦、冬蔦などとも呼ばれるように常緑性である。葉や茎は漢方薬になるが有毒だ。日本ではあまり注目されることのない植物だが、ヨーロッパに広く分布するキヅタとよく似たセイヨウキヅタ(同種とする説もある)は古代から親しまれ、さまざまな習俗や俗信に登場している。
 例えばギリシャ神話では「キッソスというニンフが神々の宴席に呼ばれ美しくも激しく舞い、そして酒神ディオニソスの足元で息絶えた。ディオニソスはこのニンフを哀れと思い、その亡骸をセイヨウキヅタに変えてやった」ということになっている。ギリシャの人々は常緑で生き生きとして木や岩に絡まるこの植物を優雅なものと感じていたのだろう。
 アイビー(Ivy )という言葉を聞くと、多くの日本人は落葉性で紅葉するツタを思い浮かべるようだが、ヨーロッパ系の人にとってははセイヨウキヅタだ。



November 22、 2009: 帰り花~カワヅザクラ
                   Unseasonable flower of Prunus x kanzakura cv. Kawazu-zakura

 全国の天気予報を見ると低地で雪になったところは稚内だけだったようだが、今日は小雪である。
 早朝の気温は9℃で、雲も厚く、肌寒い一日となった。磯菊が花の盛りを迎えた坪庭に出ると、裸になった河津桜の一枝にぽつりと帰り花が開いていた。むろん春のあの艶やかさはなく、色褪せた花びらが寒々としていた。

   さかりをや俤にしてかへりばな   風虎
    夢に似てうつゝも白し帰り花         蓼太

 過日、チェンマイへ発つために成田空港へ向かう車中で読んだ静岡新聞の書評欄に長谷川真理子さんが紹介していた『フルーツ・ハンター 果実をめぐる冒険とビジネス』を帰国したその足で丸善に寄り購入した。書評から期待した内容とはいささか違っていたが、楽しく読んでいる。J. Narby: Inteligence in Nature を肯定的に引用したり、ポリグラフで植物と意思疎通ができるという実験を信用しているらしいので、この植物の心への想いが著者の果物への熱愛を呼び起こしているようだ。



November 23、 2005:  ミセバヤ

 みせばやの珠なす花を机上にす   和地清
 草友に分けてもらったミセバヤが花の盛りである。
 一つ一つの花には星形に開いた5枚の花びらがあり、その内側に長短5本ずつのオシベがある。中央の和菓子を連想させるメシベは5つに割れていて、まるで5本のメシベがあるように見えるが基部は合着している。見れば見るほど均整の取れた美しい花だ。
 日本の特産種であるが、いまでは自生するものは小豆島に限られていて、絶滅危惧種の筆頭にランクされている。
 ある僧侶が自分の和歌の師匠に「きみにみせばや」と添え書きをしてこの草を贈ったのがミセバヤの名の由来だといわれているが、僧侶は吉野の深山でこれを採ったということになっているので、かつての分布はかなり広かったのかもしれない。江戸時代から盛んに栽培されたようなので、美しさが禍して、野のものが絶えてしまったのだろうか。
 シーボルトが1830年に帰国した折に持ち帰ったものの子孫がヴュルツブルグの植物園に植栽されていて、Siebold-Fetthenne(シーボルトのベンケイソウ)と呼ばれている。


November 23、 2012: 雌雄同株のサネカズラ - 2
                     Hermaphrodite Kadsura japonica (Thunb.) Dunal -2 

 下のURLのように、サネカズラ(=ビナンカズラ)については既に何度か触れたが、今年も私にとっての新発見があった。

 http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/nonohana.dayori.aki.html#sanekazura
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/nonohana.dayori.natu.html#sanekazura.harmaphrodite
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/banshu-gentou-hana.html#sanekazura

 図鑑類にはこのツル植物は雌雄異株とあるが、昨年は雌雄同株の個体もあることを知った。しかし我が家の個体は、実生苗をもらったものだが、昨年まで雄花しかつかなかったので雄株だと信じていたのだったが、今年はたくさんの雌花が咲き、真赤な洒落た和菓子のような実がついた。
 実をつけるためにはエネルギーの投入が要求されるので、株が若いうちは葉の数も少ないため雄花しか咲かせないのだろうか。
 また、植松寿樹が「ひとり生えのまゝにはびこる美男かづら実が色づけば小鳥啄み去る」と詠んでいるように、小鳥の好物のようで、庭の実も少し高いところのものは色づくや消えてなくなり、あとには緑の花托が覗いていた。
 そして、これも私にとっての新発見であったが、食べつくされた後の花托が右側の画像のように膨れて赤く色づいた。これも美味しそうだが、まだ小鳥に啄ばまれる気配はない。



November 24、 2004:  カクレミノ
  柔らかな日差しに誘われて、近くの公園に出かけてみた。色づいた葉を散らし、寒そうに梢をさらした木々の中でひときわ目立っていたのがカクレミノだった。本来の住処の、光に乏しい常緑樹林の中では見過ごしがちな樹木の一つだが、こんな人工の環境では見落としようがない。黒い実の房も人目を引く。
 カクレミノの名は、まとえば姿が消えるという天狗の持つ”隠蓑”に若い木の3裂した葉の形が似ているのでつけられたという。同じウコギ科のキヅタもそうだが、若いうちは切れ込んでいる葉が歳をとった木では丸くなるのは植物にとってどんな意味があるのだろうか。
 遠州ではテシバとかテバキと昔の人は呼んでいたが、3裂した葉の形が手に似ているので”手柴””手葉木”の意味らしい。伊勢辺りではムクノキというが、これは”剥くの木”で小枝に輪状に切れ目を入れて引くとつるりと樹皮が剥けるからだという。
 東南アジアから韓国・日本にかけて分布するが、面白いことに大変よく似た種が中南米にもある。謎の隔離分布である。


November 25、 2004:  カルカヤ (メガルカヤ)
 丘の麓の休耕田の畦で一叢のカルカヤが風になびいていた。

     かるかやの穂にうすうすと遠き雲    石井几輿子

 カルカヤは、恐らく縄文以前の昔からであろうが、仮屋の屋根を葺くために利用されてきた草の一つである。枕草子では「いとめでたき」秋の花の一つとしてあげられ、源氏物語や徒然草にも登場する上代から日本人に親しまれてきた草だ。しかし現代の若者に言わせれば「オミナエシやキキョウはよいとしても、カルカヤのどこが美しいのでしょう」ということになる。
 たしかに近年のあでやかな園芸植物を見慣れた目には、カルカヤが美しいものとは映らないに違いない。それは、「別れなんおぼつかなさをかるかやの思いみだるる秋の暮れかな」のような空間や浄瑠璃の刈萱道心に謡われる石童丸の悲劇に涙する世界の美しさなのだろう。
 この草の硬いひげ根を束ねた刈萱束子やその茎を編んだ刈萱手桶なども、もはや博物館でしか目にすることはできない。


Novedmber 25、 2010: モクビャッコウ Crossostephium chinense (L.) Makino
 錦江湾を東シナ海から区切るように突出する、竜宮城伝説の発祥の地ともいわれる長崎鼻の岩場近くに、モクビャッコウが群生していた。
 残念ながらまだ花茎が立ち上がってくる気配もなかった。しかし、灰白色の短毛で密に覆われた肉厚の葉は花以上に美しく思えた。


 このキク科の低木の原産地はトカラ列島悪石島以南の島々から中国南部の石灰岩上やサンゴ礁である。小笠原の硫黄島にも自生する。長崎鼻のモクビャッコウは観賞目的で植えられたものが殖えたのだろう。
 モクビャッコウ属は、分類学者によっては産地ごとに見られる変異を重視して4種に分けるが、Mabbery, D. J.(2008)は1属1種としている。

 中国では芙蓉菊あるいは玉芙蓉と呼び、盆栽として植栽されている。皮膚疾患などの漢方薬でもある。
 北朝鮮が大延坪島(テヨンピョンド)の軍施設と市街地を唐突に砲撃した。と、日本ではマスコミが騒いでいるが、過去にも幾度となくあった銃撃戦のエスカレートの結果で、予想していた人も少なくないらしい。したがってエスカレーションは止まらず、やがて第3次世界大戦となる定めだという。人類の来し方を思うと、私には笑えない説である。


November 25、 2011: ダルマギク  Aster spathulifolius Maxim.
 10年前、こちらへ転居したばかりのころに友人が持ってきてくれたダルマギクが、ほとんど手もかけないのに大きくなって、初冬の遠慮がちな日差しの中で咲き続けている。
 江戸時代から庭園で栽培されていたという記録があるそうだが、東日本には分布していない。現在知られているのは九州の東シナ海沿岸と島々、本州では山口県の日本海沿岸、そして韓国の東沿岸地帯からウラジオストックにかけてである。この分布のしかたはどんな地史を反映しているのだろう。大変興味深い。種子には結構長い冠毛があるので、風が運んでくれても良いのではと思うが、分布域が広がる様子はない。
 
 朝日の朝刊に連載されている『プロメテウスの罠』を読んでいるが、昨日の記事には唖然とさせられた。東京電力は福島第一原発から飛び散った放射性物質は“無主物”であるからそれを除去する責任はないと主張している。空気や雨などと同じように所有者の存在しないものだからと・・・・・。
         目に見えぬ放射能の雨降れば英知も無知も濡れて哀しき      モーレンカップふゆこ
          反核のデモも署名も気休めか癌病むごとき我らの文明        モーレンカップふゆこ


November 25、 2013: 初冬の朝の河川敷 A grassy dry riverbed at early winter
 早朝の河川敷では、白い棘毛だけを残して熟した実が散り落ちたエノコログサの穂が、朝日の中で銀色に輝いていた。最低気温が4℃以下になる日が続いている。氷が張る本格的な冬が、この遠州の地にも、間もなく来だろう。
 時を同じくして、日本での言論の自由が、特定秘密保護法案によって凍りつくことになりそうだ。
 どんな秘密の漏洩が処罰の対象になるのか、それは秘密であると、法案を通そうとする人たちはいう。悪しき歴史は繰り返されるのだろうか。封印した情報の中で、携わった人々やその後継者に都合の悪いことは60年経っても明かされないらしい。真実が暴露されたとしても、それは嘘であると言い続けることができる。疑念を口にするものは直ちに捕縛して隔離すことができる。国家の安全保障には必須の法案だとくだんの人々は言い張るが、よこしまなことを考えている自分たち自身の安全保障に違いないように思えてならない。5000万円もの裸銭を受け取り配偶者の口座にプールしていたという都知事殿も、これは都知事選とは関係く、オリンピック開催のための秘密資金で違法なものではないと言い張るのだろうか。
   
 C.K. Yoon著『自然を名づける~直感と科学の衝突』はなかなか面白かった。著者は数量分類学も分岐分類学も環世界センス(直感、5感)に基づいた分類ではないことから分子系統分類とともに科学としているが、主観が入る点では真に科学的とはいえないだろう。計測する形質の選別や何が派生形質で何が原始形質かは簡単には決められない。分子データから逆読みするしかないだろう。それはそれとして、種概念に対する著者の認識には賛同する。


November 26、 2005: イソギクマガイ (ハナイソギク)
 蕾が固いうちは葉の形態から見てイソギクとばかり思っていた貰い物の鉢菊が咲き始めた。なんと白い舌状花、それも形が不揃いの舌状花に縁どられていた。どうやらイソギクとイエギクないしはリュウノウギクなどとの雑種らしい。そこでイソギクマガイと呼ぶことにした。
 白亜紀以降、昆虫や小鳥たちとギブ・アンド・テイクの生活をしてきた花たちは、皆均整の取れた美しい姿をしている。しかしこのイソギクマガイの花はその長い歴史に培われた美しさを損なっている。しばらく見つめていたが、小春日和というのに訪れる小蜂とていない。地下茎で増えることはできるだろうが、花粉を運ぶものがいなくては未来を託す種子もできず、やがては消える運命なのだろう。庭にあってはなおさらで、イソギクのつもりで植えた人の多くは、そのまま栽培し続けようとはしないだろう。
 それを人間の勝手だという人もいるだろう。多分、イソギクマガイが誕生した背景には人間による自然環境の撹乱があるのだから。
 しかし、生命の長い歴史のなかでは、さまざまな出来事で環境は撹乱され、その結果の交雑や突然変異でイソギクマガイのようなものが生まれては消えてきたのであろう。人間のせいだと決め付けるのはたかだか数十万年の歴史しか持たない人間のおごりと言えるのかも知れない。
 


Novdember 26、 2014: ヒラタケ Pleurotus ostreatus (Jacq. Fr.) P. Krunm.
 5年前の台風で倒れたブラキキトンの枯れ切り株においしそうに見えるころりとした形のキノコが生えた。
 その傘は、雨が降り始めた一昨日見つけた時には直径が3cm足らずだったのだが、今朝写真を撮ろうとのぞいてみると、それは直径10cmにも育っていた。筍並みの成長速度だ。
 キノコの種類についてはさっぱりなので、早速ネットや図鑑で調べてみた。どうやらエリンギと同属で、世界中に分布していて寒茸とも呼ばれるヒラタケらしい。とすると美味しく食べられるわけだが、有毒のツキヨタケがよく似ているというので、やはり口する勇気は出ない。
 しかしこのキノコは古代から食用されていることが知られていて、たとえば『古今著聞集』の十八飲食の項には「たいらかに平のきやうにすむ人はひらたけをこそくふべかりけれ」という観知僧都の歌があり、『平家物語』や『今昔物語』などにもヒラタケが登場している。
 道かはす人の背籠や茸にほふ 水原秋櫻子
 この茸狩りの人の背籠にもヒラタケは入っていたのだろうか。


November 27、 2004:  ベニバナボロギク
  丘の向こうから日が昇るのがずいぶんと遅くなった。窓に差し込む今日の初光に時計を見ると6時45分だった。霜が降りるほどではなかったものの、風が運んでくる冷気は薄手のブルゾンの上から染入ってくる。早朝の散歩には不向きな季節がいよいよやってきたようだ。
 とはいえ、日が高くなり朝露がすっかり消えてしまう頃には、日当たりのよい道の端や最近できた更地などで、元気に咲いているベニバナボロギクに出会うことができる。
 ベニバナボロギクは”紅色の花の襤褸菊”ということだ。襤褸菊はサワギク(沢菊)の異名で、集まって咲いている花の姿が襤褸布を連想させるからだという。ボロギクの名が付くものは、ベニバナボロギクの他にノボロギク、ダンドボロギク、シマボロギクなどがあるが、私には彼女たちの姿から襤褸布を連想することは難しい。
 うつむいて咲くベニバナボロギクの花など、恥らう乙女のようではないか。オトメギクと名づけたいような気もするが、1mにもなる草姿や旺盛な繁殖力が相応しくない。マユハキギク(眉掃菊)というのはいかがだろう。もっとも、眉掃?、なんのこと?と眉をしかめられるのが落ちだろう。
 ベニバナボロギクはアフリカが原産地と考えられているが、人間の移動に伴って精力的に分布を広げ、いまでは世界中の暖帯から熱帯でありふれた雑草となっている。。
 1920年ごろから東南アジアで、1930年代には台湾で、1950年代には九州で目にするようになったといい、長田武正博士によると台湾では昭和草とか南洋春菊と呼ばれていたそうだ。春菊のような香りがして食用されたという。


November 27、2009: トベラ Pittosporum tobira (Thunb.ex Murray)Aiton

   割れしより赤飛び出せる海桐の実   小川龍雄

 庭先のトベラの実が熟した。小豆粒ほどの、粘液で濡れて光る赤い種子は臍の緒のような胚柄で果皮とつながっていた。
 この種子は小鳥の好物のようで、この我が家の株も落し物から芽生えたものである。濡れて光る粘液が甘いのかもしれないと思い舐めてみたが、無味無臭だった。小鳥が味を楽しんでいるのか否かはわからないが、少なくとも飲み込み易いことは確かだろう。

 くれなゐに割れてねばねばし海桐の実
    指もて触るれば指ねばつくも   尾山篤二郎

 岩手県以南の海岸部に分布していて、中国や台湾でも見られる。海桐は中国名である。従来は花の形態の類似からバラ目の中に分類されていたが、近年のDNA比較解析から、意外にもセリ目のウコギ科などに近縁であることがわかった。

 よく知られているように、日本人には古代から近しい植物で、鬼やらいの目的で除夜の門口にこの木の枝を飾った。また葉を煎じたものは白癬などの皮膚病や家畜の下痢止めなどに使われた。


November 28、 2005: オオオナモミ
 河川敷で遊んでいた散歩中の小犬が、何かに驚いたようにくるくると回りだしだ。
 飼い主の少女はおろおろするばかりだ。みてやると藪の中にあったオオオナモミの機雷のような実が3つも4つも取り付いていた。ひっつき虫だ。温かで柔らかな家の中で育てられている子犬には何か恐ろしいものにでも襲われた気がしたことだろう。
 オオオナモミにとっては子孫繁栄のためのチャンス到来というわけだが、子犬にとっては災難だった。
 このメキシコ辺りが原産地ということになっているキク科の帰化植物は、今では世界中の人里に広がっていて、日本での最初の記録は岡山県金光町で、1929年のことだという。しかしその後70年足らずで、史前帰化植物のオナモミを押しのけて日本全土に分布を広げている。強力な”ひっつき能力”のおかげである。 帰宅して着替えをすると、いつのまにか私のズボンの裾にも3個のひっつき虫がついていた。むしりとるのに苦労するほどしっかりと取り付いていたが、それは果実の刺の構造の所為だった。先端が鉤状に曲がっていて、それが繊維をしっかりと捕らえていたのである。

 1948年、スイス人のジョルジュ・デ・メストラルさんは愛犬の毛についてなかなか取れないオオオナモミとよく似た構造の鉤刺をもつ野生牛蒡の果実にヒントを得て、試行錯誤の末に面ファスナー(マジックテープ)を発明したそうです。



November 29、 2004:  ナンキンハゼ

  夜来の強風に吹き払われたのか、一片の雲もない青空を背景に、初冬の日を浴びて真っ白なナンキンハゼの種子が照り映えている。
 ナンキンハゼは揚子江流域以南の中国が原産地のトウダイグサ科の高木で、庭木や街路樹として植栽されているが、九州の山間部では野生化しているところもあるという。
 樹皮や種皮に脂肪分が多いので、中国では古代から蝋を採る木として利用されていた。一方、「烏臼微丹菊漸開ーナンキンハゼがほのかに赤く色づく頃、キクの花が咲き始める」と詠まれているように、初秋から紅葉する葉が美しく、庭園樹でもあった。烏臼はこの木の中国名だ。実が熟して果皮が取れ、純白の種子が梢の先に残っているようすは白い花が咲いているようで、元の黄鎮成は「前村烏臼熟疑是早梅花ー村の入り口のナンキンハゼの実が熟している、まるで早々と咲いた梅の花のようだ」と詠う。
 日本に入ったのは江戸時代、恐らくは1700年前後らしい。享保9年(1724)の小石川薬園の『御預御薬草木書付控』の「烏臼木之実」と記されている。



November 29、 2009: ハゼノキ Rhus succadanea L.
    櫨紅葉にも燃ゆる色沈む色    稲畑汀子

 日出直前まではきれいに晴れていたが、散歩に出るころには空の半ばが雲に覆われていた。遥かな太平洋上に生まれた台風22号の影響だろうか。
 しばらく通っていなかった富士の見える丘の道でハゼノキの幼木が美しく色づいていた。
 このあたりの里山の林の中ではごくありふれた木で、子供のころ蝋が取れると知って数人の友達とその実を煮てみたことがある。蝋が取れたのかだめだったのかの記憶はあいまいだが、鍋をのぞきこんで湯気に当たった一人が一週間も学校を休むことになるほどにかぶれたことはよく憶えている。したがって、大人になってからこの木が外来種だと教えられた時は、にわかには信じがたかった。
 牧野図鑑には昔琉球から渡来したとあるが、その時期には諸説があって、室町時代にはすでに九州南部で栽培されていたとも、蝋を採る技術とともに江戸時代前記の天正年間に中国から伝わったともいう。
 ハゼノキは常緑樹が多い里山の初冬の賑わいの一つだが、良く似ていて葉に毛が多いことで区別できるヤマハゼは里から離れた落葉樹の多い山地を彩る。


November 29、 2012: クスノキ Cinnamomum camphora (L.) Presl
 冬浅し、と云うのであろう。霜が降りたにちがいないと思ったほどの朝の冷気も、牧の原台地の向こうに太陽が顔をのぞかせると、たちまちに頬に心地よい温もりをおびる。
 頭上では、朝日を浴びてクスノキの真っ黒な実玉が輝いていた。
 クスノキは関東以西に分布し、記紀に記されているように古代から船材や臼や杵などに利用されてきたが、各地に歳経た巨樹があり、信仰の対象になっているものも少なくない。
 黒い実はヒヨドリやムクドリの好物で、種子は広範囲に散布され、我が家の庭にもしばしば実生が現れる。しかし、九州方面を除けば、なぜか山中には巨木は少なく、静岡県下では幹周5m以上の大木の90%が海岸から10km以内の範囲に分布している(佐藤、2002)。そして幹周10m以上のものとなると、すべて社寺や人手が入った場所に生育している。この分布状態は何に起因するのか。年間の平均気温とかかわるとみるのが一般的だが、人が保護しないものは大木に育つ前に建材や薪炭材などとして刈られているのかもしれない。あるいはまた、古代に信仰の対象として九州あたりから運ばれ植栽されたのかもしれない。
   先年訪れた南アフリカはケープ半島のステレンボッシュで立派なクスノキの並木を見たが、これは200年ほど前に日本からオランダへ運ばれる途中の畳に混じっていた種子を蒔いて育てたのだそうだ。


November 30、 2005:  アシ

 遠州灘から吹き寄せてくる風は強く冷たいが、今日もよく晴れた。丘裾の休耕田を埋め尽くしたアシの白い穂がきらきらと輝いていた。
 半世紀ほど前までは、何代にもわたって大切に耕作され、秋には黄金色の稲穂を波打たせていたところも、いまや放置されアシなどの茂るがままになっている。
 現代では厄介者扱いされることの多いこのアシも、古代からほんの最近まで、編んで葭簀や簾にしたり、若芽を葦芽(あしかび)と呼んで食用したりと日本人の生活に深く関わっていたから、日本中どこでも水辺近くにこの植物を見ることができた。
  若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦邊をさして鶴鳴き渡る 
                            万葉集巻6:919
 こんな風景が津々浦々にあったのだろう。
 そういえば、近年の植物分類学者はアシではなくにヨシと呼ぶ。アシは「悪し」だから「良し」にしようという次第。鉄筋を抜いた「悪し」ビルを「良し」ビルと売っている「悪し」国に日本が落ちぶれたこととは関係ないだろうが。
 



November 30、 2011: ナンキンハゼ -2  Sapium sebiferum (L.) Roxb.
 今年、庭のナンキンハゼはいつになくみごとに紅葉した。
 このように美しく色づいた紅葉を見るたびに思うことだが、これは何のための装いだろうかということである。

 なぜ紅葉するか。生理学的には、気温の低下と水分の不足が離層形成をうながし転流できなくなった糖類が溜まって赤い色素アントシアンに変わるからとわかってはいるが、進化の過程でこの形質が選択されたのはただそれだけではあるまい。その植物にとってなんらかの役に立ったからであろう。進化生態学者は花が彩り豊かに装って花粉媒介者を呼ぶように、紅葉は目立たぬ果実の存在を小鳥たちにアッピールしているのだろうと考えている。

 しかし、我が家を訪れるヒヨドリやムクドリは紅葉時のナンキンハゼは無視して、ピラカンサやセンダンの実を啄ばんでいる。葉が落ちて割れた果実から真っ白な種が顔を出すのを待っているのかも知れない。
   案の定、すでに多くの専門家が指摘していたとおり、東電第一原発1号機のメルトダウンした核燃料のほとんどは格納容器の底に落ち、一部は容器の鋼鉄の底をも破りそうなとこまで来ていると東電が公表した。しかし、今までの経緯を見ると、この発表も信用できない。岩盤に達し、地下水を汚染し、海へ滲みだしているというチャイナシンドローム説が誤りであることを祈りたい。


December 1、 2004:  ツルウメモドキ

  今日から師走。さすがに早朝の外気温は10℃をきったが、日中は20℃を越すぽかぽか陽気である。
 いつもの散歩道では、つい先日まで黄色にもみじした葉の美しさを楽しませてくれていたニシキギ科のツルウメモドキがすっかり裸になっていて、裂開した実の中から艶々した種子がのぞいていた。初夏に咲く小さな薄緑色の花は見落としがちだが、初冬の姿は小鳥の目ばかりか人の目も引く。三つに裂けた黄色の部分が果皮で赤橙色の部分は種皮である。
 最近では活花の素材として使われる程度だが、昔はよく伸びた蔓で柴や薪をを束ねたりした。また、アイヌの人たちは樹皮を加工して真っ白な繊維をとり、弓の弦にしたり紐に編んだりしたそうだ。
 図鑑には、英語名はジャパニーズ・ビタースウィートだとあったので、”苦甘”とはどんな味かと思ってさっそく口にしてみたのだが、苦くも甘くもなく無味に近かった。おまけに、調べてみると、ビタースウィートはナス科のヒヨドリジョウゴに似た植物だった。どうしてこんな名が付いたのだろう。



December 2、 2005:  ハマヒサカキ
 小鳥の落し物から芽生えたハマヒサカキが3年目で咲いた。白い小さな花はヒサカキと同じように少し青味を帯びた香りを陽だまりに漂わせている。
 芽生えを見つけたときはどんな木の子供なのか皆目見当がつかなかったが、艶やかに陽を照り返す厚みにある濃い緑の葉に惹かれて鉢植えにしておいたものが、すくすくと育った。
 葉の様子からは海浜性のものであろうと思われたが、花がないので名知らずのままであった。だが、やっと本名で呼んでやることができた。
 小鳥が運んできてくれたということは、この近くに親木があるのだろう。しかし遠州灘沿いの山地でこの木を見た記憶がない。だが平凡社の『日本の野生植物、木本』で調べると分布は本州(中南部)以西になっていて、このあたりに自生していても良いことになる。そこで今度は杉本順一先生の『静岡県植物誌』のページを繰ってみると、伊豆下田産の記録のみで、しかも先生自身はご覧になったことがないとある。静岡県では滅多にないのだろうか。すると我が家の庭に種を運んでくれた小鳥はどこでお腹に収めていたのだろうと不思議に思った。
 だが、この謎は間もなく解けた。なんと家の近くの公園で、植え込みの囲いに植栽されていたのだ。


December 3、 2004:  イチョウ
 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり岡の夕日に

 金色の小鳥の形をしていると与謝野晶子が詠うイチョウの葉が、はらはらと音もなく散り始めた。
 この高木は、いわゆる生きている化石で、その姿は中生代のジュラ紀以来ほとんど変わっていない。恐竜たちにはなじみの木であったに違いない。しかし今では野生の銀杏は中国大陸の数箇所にしかなく、それも絶滅に瀕している。この秋に訪れた浙江省天目山にも生き残った野生の古木があり、細々と種子繁殖をしていた。
 現在世界中の街路や公園で見られるイチョウはすべて中国から持ち出されたものの子孫だが、日本で栽培されるようになったのは鎌倉・室町時代のことらしい。平安時代以前にはこの木についての記述が見られないからである。
 種子が銀杏(ギンナン)で、黄緑色の胚乳を食べる。天目山の参道でも採れたてのギンナンを売っていた。食糧にするのは人間だけかと思っていたら、タヌキがこの実を好むそうだ。ただし食べるのは種子ではなく果肉らしい。


December 3、 2010: テリハノイバラ Rosa wichuraiana Crepin
 50年ほど前までは、強い西風が渡り刻々と風紋が変わっていた鯨の背のように大きく美しい砂丘は、今やほとんど失われ、あちこちに基岩の一部が露出している。 その、潮風に吹かれる丘に、人間の立ち入りを拒むように、赤い実をつけたテリハノイバラの鋭い棘をつけた枝が這いおぼどれていた。
 海浜環境に適応して進化した種であろうが、内陸部の河原でもしばしば出合え、一部は標高1000mを越すブナ帯の草地にも進出している。ノイバラとも同所的に分布しているところもあるが、雑種らしきものは未だ見たことがない。花期が一ヶ月ほどずれていることが交雑を回避させているのかもしれない。

 今年も余すところ僅かとなった。秋には少しばかり無理した山行きで心臓を痛めてしまったが、それを別とすれば、相変わらずの一年であった。いや、10年ぶりに、体調が大分よくなった家人と、FDAを利用して開聞岳と桜島を眺めに出かけたことは特筆すべきであろう。
 たくさんの書籍を楽しむこともできた。とりわけて、A.DesmondとJ.Mooreの『ダーウィンが信じた道』は勉強になった。進化論関連のダーウィンの著作はいろいろと読んできたが、彼の自然淘汰説は人種差別と奴隷制度を否定することを目的として構築されたものだというのは不明にして知らなかった。矢野真千子・野下祥子さんの訳もすばらしい。来年も良い書籍に出合えることを願っている。


December 4、 2005:  イヌホタルイ
 広々とした水田では、刈り取り後に放置されている稲株から40cmほどの高さに伸びた稲穂が、二度目の実りもならずに、空っ風に弄ばれている。
 離れて眺めればただ黄褐色の冬枯れの世界だが、畦道に屈んで見ると未だ点々と緑が残っている。それがイヌホタルイの細茎の束で、ミニチュアの松毬のような形の小穂をいくつもつけていた。
 イヌホタルイはホタルイ(Scirpus juncoides Roxb)の変種で互いによく似ているが形態や生態に微妙な違いがある。イヌホタルイはもっぱら水田に生え、小穂が先き尖りの弾丸型だか、ホタルイは水田では稀で溝や湿地を好み、小穂は丸みを帯びている。
 したがって水田にはびこって稲の育ちの妨げになるのはイヌホタルイの方である。そこで除草剤が使われることになるが、なかなか根絶やしにならないようだ。田植えに備えて鋤き入れをしたとき土中深くにもぐった種子は休眠し、その寿命が20年近くもあるというから、何年か経って地表近くに出ることができれば新たな子孫を残すチャンスに恵まれることになる。おまけに最近は除草剤抵抗性のあるものも出てきたという。生きとしいけるものの底力である。


December 5、 2004:  スズメウリ
 真夜中に、猛烈な雨と風を運んで、季節外れに発達した不連続線が通り過ぎ、日が昇るころには打って変わった好天となった。穏やかな南風が心地よく、早速近くの丘に出かけてみた。
 草木はほとんど風に傷められた様子もなく、茶畑の上の笹薮を覆うつる草に混じって、小さな白い玉が三つ、四つ、五つと下がっていた。スズメウリの果実である。まろやかな輪郭で、糸のように細い花柄に下がっているようすはなにとはなく謎めいていて、玉の中には小さな妖精が眠っていそうな気がしてくる。
 夏に咲く直径7mmほどの白い花は見落としてしまうことが多いが、初冬に実るこの白い瓜はよく目に付く。スズメウリと呼ぶのは瓜の形がスズメの卵に似ているからという説もあるが、実際のスズメの卵はもっと大きいし灰色地に茶色の細かな斑点がある。したがって、スズメのように可愛いから、という説のほうがよさそうだ。
 スズメウリは本州から九州にかけてと韓国の済州島に分布して、カラスノチョーチン、カンチンチャガマ、キンブンシキなどの里呼び名が知られている。遠州ではオンジョタマと呼ぶのだが、意味はよくわからない。


December 5、 2013: ぬばたま
                Seeds on bursted capsules of Belamcanda chinensis (L.) DC.

 冷気を刺し貫く朝日を浴びて、裂開してくるくると巻き戻った薄い果皮に支えられるように、直立した胎座に並んだ“ぬばたま”が黒々と輝いていた。
 居明かして君をば待たむぬばたまの
      わが黒髪に霜は降るとも   磐姫皇后
 “ぬばたま”はヒオウギ(射干)の種子のことで、記紀万葉の時代からの呼名である。熟して裂開する前の黄緑のふっくらとした蒴果からは、こんな漆黒の玉が潜んでいることなど想像もつかない。それゆえだろう、この実が唐突に姿を現した時の驚きは、太古の人々にとっても忘れがたかったに違いない。
 しかし、なぜ古代の日本人が“ぬばたま”と呼んだのかは解明されていない。私がなんとなく納得できるのは松岡静雄の『日本古語大辞典』の説く「ヌはオニの原語アヌから、バタマはマタマ(真魂)の転呼」という解釈である。たしかに、この黒さはただごととは思えない。松岡が鬼を想起した気持ちがわかるような気がする。
 そして私にはこの漆黒の玉がブラックホールのような気がしてしてきた。気がつけば、私を含めてすべてのものが飲みこまれていく。ふとそんな幻覚が起こった。


December 6、 2005:  オニノゲシ
 昨日とは打って変わって風も止み陽射しも温かに微笑んでいる。太平洋側ならではの明るい冬の一日である。
 家人がそろそろサヤエンドウを蒔きたいというので、猫額菜園でモンシロチョウの幼虫の餌にしていたボロボロキャベツを3株残して後は抜き取り天地返しをした。少し汗ばむ程度の短時間労働だったが、久し振りに使われた筋肉が喜んでいるような気がした。
 腰を伸ばすと、隣の雑草園の中で縮こまりながらも花を咲かせているオニノゲシが目に入った。直径が2cmほどの小さな頭花だが、冬を忘れさせてくれる明るさがある。
 オニノゲシがいつから日本の野に咲いていたのか、特徴的な縦皺のある種子の炭化物や化石が出れば面白いのだがそれもないので確かめるすべはないが、最初にこの草が日本で記録されたのは1888年の小石川植物園だった。そして文献や標本の調査からヨーロッパに広く分布している Sonchus asper そのものとわかり、明治時代の帰化植物の一つとされ、ノゲシより硬く鋭い刺があるので鬼野芥子という日本名を授かったという次第である。


December 7、 2004:  コウゾリナ
 ご近所のSさんが卒壽を目前にして亡くなられた。ついこの間まで矍鑠としたお姿を目にしていたように思うのだが、今年の春先に奥様に先立たれてからは日を追って元気をなくされたとのことであった。
 告別式は、各地で時ならぬ夏日が記録された日であった。
 最近できたばかりだというセレモニーホールの周りの草原は、すでに枯野の色であったが、近づけばタンポポやアザミなどの緑のロゼットが枯れ草の間で春を待っていた。
 枯れ、芽生え、茂り花咲いて枯れる、巡る命の輪である。
 その輪の重なりの中に、少し周期のずれた花があった。ぱっと明るく咲いているコウゾリナであった。
 コウゾリナとは剃刀菜という意味で、茎や葉に硬い細かな毛が生えていて、不注意に触ると怪我をしそうな気がするからだという。刃こぼれした剃刀というところか。 サハリンから九州までと韓半島、中国に広く分布している。中国名は毛連菜。軟らかなロゼット葉を天婦羅にしたり湯がいたりして食べることができるそうだ。


December 7、 2008: サネカズラ Kadsura japonica
葉がくれに現れし実のさねかづら
      高浜虚子


 さねかづら西行庵の竹垣に
       尾沢柳冠子
 
 今日は大雪、暦どおり今朝はこの冬一番の冷え込みで、我が家の庭にも霜柱が立った。しかし陽が登るにつれ気温は上がり、心地よい小春日和となったので、食料の補給をかねて散歩をした。
 雲ひとつなく晴れ上がった高い空を楽しみながら、昔ながらの農家が点在する谷津田の道を歩いた。そのうちの一軒の、かなり大雑把に刈り込まれているヒサカキ交じりの生垣を縫うように這っているサネカズラに、舞妓さんの髪飾りにしたいような面白い形をした実がいくつも下がっていた。
 関東地方以西、済州島、台湾、中国華南に分布するマツブサ科の植物だが大陸のものは右の写真のように果柄が長いナガエサネカズラ(K. longipedunculata)という別種に分類されることもある。
 この果柄の長いタイプの中国名は南五味子(ナンウーウェズ)とよばれ、韓国でも中国名をハングル読みしてナムオミーチャと呼ぶ。
 実を干したものは漢方薬でもあったため、日本でも古代から注目されていて万葉集にも詠まれている。枝を切るとにじみ出る粘液は髪を固めるためにも使われたのでビナンカズラの名もある。


December 7、 2014: 穂芒 Miscanthus sinensis Anderess
 穂芒の波にわが夢流しけり 古賀勇理央

 暦に合わせたように昨夜から中国山地と剣山系北面には大雪が降った。孤立した村落へは自衛隊も向かっている。
 そしていつものことではあるが、遠州の平地には肌を刺すように冷たい西からの強風が断続的に吹き渡っている。
 その風の止み間をねらって、久しぶりに二人で菊川土手を歩いた。
 初秋に除草機で刈り取られた後に芽生えた、背の低いセイタカアワダチソウの花の終わりを慰めるように純白に近い芒の穂がしな垂れていた。
 俳人古賀が穂波に流した夢をがどんなものだったかは想像するほかないが、この白糸の滝の流れのような穂芒をみていると、彼の思いはわかる気がする。
 とはいえ、少年航空兵になるとか、宇宙飛行士になるとか、SF作家になるとか、確かに流れた去った若いころの夢はあったが、この齢にいたってから流した夢が私にあるかと問われると、思いつく答えは昨夜見た夢くらいのものだろうか。そして、直前のことも忘れてゆく家人には、もはや現実が流れゆく夢なのかもしれない。
 


December 8、 2005:  マムシグサ

 遠州の里にも霜の降りる季節がやってきた。今朝は外気温が3度にまで下がり、昨日までは紅葉しながらも花を咲かせていた庭のヒメツルソバが白く凍てつき縮れてしまっていた。
 山すその雑木林もすっかり冬景色になったろうと出かけてみると、見通しが良くなった林床にやっと立っているといった面持ちではあるが、真っ赤に色付いたマムシグサの肉穂が鎌首をもたげていた。
 美しいといえないことはないが、やはりなにとはなく不気味な雰囲気を漂わせている。しかし、この草のコンニャクのような形をした塊茎は、遥か有史以前、植物を栽培する文化段階以前、野生の草や木の実を採集して命の糧としていた人々にとっては大切なデンプン源だったと考えられている。
 塊茎にはデンプンは含まれるものの有毒成分のシュウ酸石灰の針のように鋭い結晶が多量にあり、これを取り除かなければ食べることはできない。当時の人々は加熱したり水でさらしたりしてこの毒を抜くすべをよく心得ていたのであろう。
 寒々とした林床に立って、間もなく朽ち果てるであろうマムシグサを眺めていると、時の彼方からひたひたと近づいてくる前期縄文時代の人たちの足音が聞こえてくるような、そんな気がした。
 彼らの衣食住は、どれをとっても貧しく厳しいものであったろうが、採集が仕事の女性や子供たちがマムシグサやヤマノイモを見つけては笑いさんざめく、ある意味では幸せな生活だったに違いない。
 金銭のためには他人の命すら顧みない、他人のことなどどうなろうと知ったことではないという、耐震基準を無視した住宅を売るような人々が大手を振っている現代などよりも、古代の人々ははるかに心豊かな日々を送っていたのであろう。
 



December 9、 2004:   ヒサカキ

 夜が白む前に目が覚めてしまってカーテンを引き開けると、南東の空に金星と木星に守られるように、煌々と10日の月が輝いていた。外気温は6℃。いよいよ本格的に冬になったようだ。
 菊川源流に近い牧の原台地の北斜面では数日前から霜が降りているという友人の言葉を思い出し、日が射す前に出かけてみると、なるほど茶畑が白く露霜に覆われていた。休眠中の茶の芽には悪いことではないのだそうだ。
 帰り道でチー・ツピーというメジロの声がする茂みをのぞくと、ヒサカキの青黒い実が朝日に光っていた。小鳥たちの好物の実だが、かつては少年たちの遊びにも欠かせないものだった。
 私たちはインクモモノキと呼んでいて、そのインクのような果汁をいたずら道具としていた。懲りもせずに白壁や障子にいたずら書きをしたり、すました少女の着物にマーキングしたりして、大目玉をくらっていた。
 ツバキの仲間で、サカキに似ていて小振りのため「姫榊」と呼んでいたのが訛ってヒサカキになったという。”榊にあらず”で「非榊」のような気がするのは私だけか。



December 10、  2004:  ヤブコウジ
  最近ハクビシンをよく見かけるようになったと聞いた里山の、ほとんど通う人もなくなって笹がはびこりだしている山の道を歩いてみた。
 常緑樹と落葉樹が交じり合う、そのやや渇き気味の林床の朽ちかけた倒木の周りに、積もった枯葉を隠すようにヤブコウジが茂っていた。濃い緑の葉と、小さいながらも存在を主張しているような赤い実が美しかった。
 ヤブコウジはツツジ科の小低木で、北海道の奥尻島から本州、四国、九州の山地に普通で、韓国や中国にも分布している。漢方では地上部も地下部も利用するが、とくに根の皮が重要で、煎じたものを咳止め、止血、解毒剤にする。

   この雪の消残るときにいざ行かなやまたちばなの実の光るを見む

 この大友家持の歌に見るように、日本でも古代から注目されていた植物で、万葉の時代にはヤマタチバナと呼んでいた。それは積もる雪の中でも緑を失わず、祝色の赤い実をつけている生命力の旺盛さへの信仰である。日本庭園の下草として植栽されるのも同じ思いからであろう。


December 10、 2009: ヤツデ Fatsia japonica (Thunb.) Decne. et Planch.

         窓の外に白き八つ手の花咲きてこころ寂しき冬は来にけり       島木赤彦

 大雪は過ぎたものの最低気温が5度以下になる朝は未だやってこない。この冬は暖かいだろうという気象庁の長期予報が的中するのだろうか。
 庭の片隅ではヤツデが咲き始めているが、今年は少し開花が遅れているような気がする。これも暖冬のせいだろうか。
 ヤツデは茨城県以南九州にかけての、おもに沿海部山地に分布しているが、昔から家々の庭にも植栽されてきた。これはHP=秋澄む野辺の色移り=にも書いたことだが、ヤツデの大きな常緑の葉に邪悪を祓う霊力があると信じられたからである。
 おそらくほとんどの方は、庭の片隅に緑白色に咲くヤツデを目にしても「ああもう師走になったのだなあ」と季節の移ろいを感じながらも、そのまま通り過ぎられることだろう。だが、近寄ればやはり花というその造化の妙に魅入られるに違いない。日が射して気温が上がれば何処からか小さなハナアブや蟻が蜜を楽しみやってくる。
 右の画像の5枚の花弁と5本のオシベと半球形のメシベからなる花は雄性期で、花粉が散ると間もなく花弁もオシベも落ちて右上片隅にのぞいているドングリ形の雌性期に移り、受粉する。自家受粉を避けるためであろう。30前後の、長い花柄をもった花が集まった一つ一つの花序はぽんと弾けた花火のように丸い。先端に葯をつけたオシベがつんつんと飛び出した形は機雷に似ていなくもない。

 太平洋戦争では機雷がこの島国を取り囲んでいた。いまあのような海戦が行われている地域は幸いにない。だが、“正義”を標榜した殺し合いは今も続いている。陸の機雷ともいえるクラスター爆弾を撒き散らしながら。
 ローマ時代から語り継がれている「平和を望むなら戦争を準備せよ」という諺があるそうだが、ノーベル平和賞の米国大統領も「武力行使は不可欠なだけでなく、道徳上も正当化されることもある」と主張したそうだ。そう思っているからこそ3万もの兵士をアフガンに送り出せるのだろう。かくて若い兵士も、逃げるすべのない庶民も、次々と理不尽な死を強いられてゆく。
 8日、バクダッドでは自爆攻撃で127人が死に448人が負傷したという。ブッシュ元大統領が開け放ったパンドラの箱から希望が立ち現れるのはまだまだ先のようだ。

          むざむざとおのれを滅却することなかれふゆ霜ひかり花ひらく八手   坪野哲久


December 10、 2012: スミレ Viola mandshurica W. Becker
 昔は道といえば人が歩くためのものだったが、車のためのものになった。
 遠州の空っ風が吹けば土埃が舞ったこの小さな町も、いつのまにか小奇麗になって、土が露出しているような道はなくなってしまった。そして、それにともなって、オオバコやチカラシバなどの子供たちの遊び道具にもなった道端雑草も姿を消した。しかし、そんな環境変化も耐え抜き、いまでも舗装道路のわずかな隙間で花咲くものもある。
 スミレはそんな植物の一つである。
 敷きつめられたアスファルトの車道と一段上がった歩道との境目の、コイン一枚が差し込めるかどうかのわずかな隙間に、スミレが幾株も列をなしていた。
 しかも、普通は春から初夏にわたって咲く花が、ここでは師走の冷風の中で平然と微笑んでいる。この車道と歩道の境界空間の微気候は案外春並みなのかもしれない。
 下校途中の小学校高学年らしい5人の少女たちがにぎやかに通り過ぎたが、彼女たちはこのスミレの花に目をとめたことがあるのだろうか。
     菫一厘青鉛筆よりは濃し     山口青邨


December 11、 2005:  オオジシバリ
 霜が溶け、陽が南中するころには、田の畦の草たちも冬の最中に恵まれた小春の温もりを喜んでいた。
 畦は平らな田の中のささやかな連丘であるが、よくみると南に面した傾斜面ほど緑が濃く、ホトケノザやハコベなども花を開いている。なかでもひときわ鮮やかな緑のマットがオオジシバリで、柔らかな黄色の舌状花を乗せた花茎が遠慮がちに伸び上がっていた。
 日本全土に分布しているが、海の向こうの韓国と中国でもごく普通に見られる耕作地や路傍が好きなキク科の多年草である。
 図鑑では4月から6月ころが花期ということになっているが、このように、場所によっては初冬から咲いている。春の七草には入っていないが、今のように栽培された野菜がとき知らずで手に入ることなどありようもなかった江戸時代以前には、苦味はあるものの食用されていた。中国では剪刀股と呼んで、解熱や消炎の効果がある薬草としている。
 よく似た草にジシバリがあるが、こちらはだいぶん小型で、匍匐茎がずっと発達しているので区別は難しくない。


December 11、 2013: イソギク Dendranthema pacificum (Nak.) Kitamura

  近寄れぬ場所を磯菊選びをり  小川龍雄

 図鑑類では開花期が10月から11月ということになっている庭先のイソギクが、12月に入ってやっと咲き始めた。毎年のことだが、潮風のとどかない環境のせいだろうか。
 よく知られるように日本固有の植物の一つで、銚子から御前崎にかけての比較的狭い範囲にしか自生していない。しかし江戸時代にはすでに園芸植物として栽培されていて、享保4年(1719)に伊藤伊兵衛政武が著した『廣益地錦抄』も岩菊別名泡菊として紹介されている。岩菊というのは海崖の岩場に生えることに因み、泡菊の名は「花ハ黄色一所におほくあつまりさきて泡のごとくなれば」とある。また「立花の草とめにつかひてよし」とも記されている。
 最近はインターネット上のフラワーショップで容易に入手できるので愛育している人も多く、場所によっては逸出して野生化したり家菊や野菊と交雑した個体が見つかっている。

 磯小菊黄をつくしたる崖の径   臼井良子
     
  交雑といえば最近のネイチャーやサイエンスに化石人類と現代人のDNAの比較解析の論文がいくつか発表されていて、それによると我々のDNAにはネアンデルタール人やデニソワ人と交雑していた痕跡が色濃く残っているという。つまり、アフリカから旅立ってきた我々の祖先は行く先々で先住の人類と交わっていたのであった。また、スペインのシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟で発掘された40万年前のハイデルベルグ人の大腿骨からのmtDNAはデニソワ人のそれと一致するところが多いという。この説が正しいとすれば、さまざまな名で呼ばれている化石人類と現代人とは同一の生物学的種と言わざるを得ないだろう。
 
 先日成立した特定秘密保護法の全文を流し読みした。疲れた。よくもまこんな持って回った言い回しができるものだ。やはり時の政権が恣意的に決めれば何でも秘密になるとしか読み取れなかった。シドニー大学のジョン・キーン教授のいうところの、機能不全に陥った“代表デモクラシー”の中で甘い汁を吸い続けようとする政治家や官僚が、現在進行中の“モニタリングデモクラシー”への移行を阻止しようとしている現われともいえよう。


December 12、  2004:  ノアザミ
 師走も半ばだというのに、歩けば汗ばむほどだ。まさか冬将軍が引退してしまったわけでもあるまい。
 幾たびとなく草刈が繰り返された土手の斜面に、ぽつぽつと背の低いノアザミが花を咲かせている。その周りには枯れ草を押しのけて春待ち顔に緑のロゼットが日を浴びている。不自然な風景ではある。
 ノアザミの花どきはふつう4月から9月ごろまでである。伸びては刈られ、伸びては刈られが繰り返され、種子を作って風に運んでもらうことができず、今度こそは子孫を残そうとけなげにも時はずれの花を咲かせているのだろう。
 踏まれても咲くタンポポの笑顔かな、と弱者の処世術に使われた俳句があったが、刈られても咲くノアザミは、けして笑っているようには見えなかった。哀れというべきか。

 霜枯れし薊のたもつ綿みれば冬のひかりはかくもこほしき   吉野秀雄

 こんな情景こそ、冬のノアザミには相応しい。


December 13、 2008:  帰り花 ヤマボウシ Reflowering Cynoxylon kousa

 増え続ける送迎の自家用車の増加に呼応して駅前広場が新たに造成され、かつての鄙びた佇まいは時の彼方に消え去ってしまった。数十年ぶりにこの町のこの駅に降り立った人は、間違って下車したのではと戸惑うことであろう。
 その広場の一画へこの秋に植栽されたヤマボウシに帰り花が咲いていた。
 夏の間に作られた花芽が、移植のショックで春を待たずに咲いてしまったのだろう。
 
     夢に似てうつつも白し帰り花     蓼太

 帰り花という言葉がいつから使われていたかは定かではないが、『実隆実記』に見られるように室町時代後期までには存在したようだ。しかし、季節はずれに咲く花のあることは古代から認識されていて、『日本書紀』には履中天皇が霜月に磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)で舟遊びをしているとき杯に桜の花びらが落ちたことが記されている。

     さかりをや俤にしてかへりばな    風虎



December 13、 2005:  センダン
 今朝は一段と冷え込みが厳しかった。日本海側はむろんのことだが、東京でも早々と初雪が舞ったという。長期予報ではこの冬は暖冬だということであったが、これからまた気温が上昇してくるのだろうか。わが身には温かなほうがうれしいが、さてどうなることやらである。気温も低く風もよく吹く遠州地方だが、空だけは真冬でも明るいのが救いではある。
 今朝の庭ではセンダンの木はすっかり葉を落とし、見上げれば真っ青な空を背景にして小正月に飾った繭玉を思い出させる薄い菜花色の実の束が揺れていた。
         栴檀の実に風聞くや石だたみ   芥川龍之介
 この句のようにセンダンには栴檀の漢字を当てるのが普通だが、本家の中国では栴檀と書けば熱帯産香木ビャクダンのことで、センダンは楝である。奈良平安の時代には”あふち”と呼んでいて正しく”楝”を当てていたが室町時代あたりに当て違いが起こったようだ。
 今使われているセンダンという名は、このたわわについた実の様子が鬼子母神に供える千団子に似ているからではないかといわれている。


December 14、  2004:  イヌホウズキ

 双子座流星群を見損なったので、夜明け前の惑星縦列ショウに期待したのだが、あいにくの雲がちの空になってしまい、かろうじて金星と木星が見えただけだった。早起きしたのに残念。
 それでも9時を回る頃には晴れ間が広がり、気温も上がったので、昨夜したためたYさんへの手紙を出しに郵便局へ足を運び、ことのついでにとT学園高校の建つ丘に登った。
 若者たちの声の弾けるグラウンドはフェンスで囲まれていたが、その外側の草むらに星型の小さな白い花が咲いていた。ナス科のイヌホウズキだった。
 世界の熱帯から温帯までいたるところで見ることのできる草で、日本でも列島全域に分布している。原産地は特定されていないが、DNAの塩基配列を比較している人がいると聞いたから、間もなく故郷が探し当てられることだろう。
 有毒植物で草の汁には瞳孔拡散作用物質も含まれるそうだが、漢方では龍葵と呼んで解熱や利尿に使う。



December 15、 2008: ムラサキシキブ  Callicarpa japonica
 今朝は3℃まで気温が下がった。 深と冷えた庭では、ハボタンやリコリス類の葉がしとど露霜に濡れていた。
 露霜という、移ろいゆく季節の一こまを表徴する淡くそして消えやすい現象は、奈良時代からすでに人々の心を捉え、万葉集にもしばしば詠われている。

   露霜にあへる黄葉を手折り来て
         妹とかざしつ後は散るとも   秦許遍麻呂

 その露霜の降りた朝の雑木林に心惹かれ、いつもの岡へ登る道を歩いた。落ち葉の積もった林床はまだしっとりとしていたが、ムラサキシキブの、一夏を経てあちこちに痛みも見える散り残った葉は、すでに乾き、よく見れば小鳥のお目こぼしにあずかった赤紫の玉が冬の初めの陽射しに映えていた。
 1775年に来日し、この低木に“日本の美しい実”という意味の学名をつけたチュンベリーは1年4ヶ月ほどの滞在期間のいつ“美しい実”に出合ったのだろう。江戸参府への旅は初夏だったから、おそらく帰国直前の晩秋の長崎でのことだったのだろう。


December 15、 2005:  タラノキ

 鉄筋不足の欠陥ビル騒動で情けなくもかまびすしいのは日本だが、お隣韓国ではソウル大学のファンウソク教授のグループが人間のクローン胚から世界で始めてES細胞を作ったというセンセーショナルな論文をサイエンスに発表して話題になったものの、これがでっち上げだということになり、韓国マスコミは国辱だといきまいている。しかし、カネが絡めばインチキが生まれるのは人の世では今に始まったことではない。
 こんな人間社会に比べれば、カネにかかわりのない自然は真っ当である。
 庭先のタラの、お饅頭のような形をした実は、今年もまた季節の移ろいに合わせて黒紫色に色づきたわわに実っている。種子を遠くへ運んでくれる小鳥たちとの契約は何百世代にもわったて履行され、突発的な外界の激変がない限り続いてゆくことだろう。
 ところでタラにとっては迷惑極まりないことだが、このジューシーな実は人間をも楽しませてくれる。
 集めてホワイトリカーで一ヶ月ほど漬け込むとチョコレートブラックの果汁が溶け出してくる。これを濾して保存すればちょっとスパイシーな果実酒となるそうである。



December 16、  2004:  ヒメジョオン
 今日の夕刊に『今世紀末「鳥類14%絶滅」』という見出しの記事があった。生息地の減少と気候変動の予測をインプットしたコンピューターの答えだという。こんな傾向は、いまや鳥類に限ったことではない。絶滅危急種をリストアップした「レッドデータ・ブック」のページをくれば、誰でも暗澹たる思いを抱くに違いない。
 しかし、絶滅などという言葉とは無縁のように見えるものもある。幾たびとなく刈り込まれてラフなグリーン状態になった草原にこの季節でも咲いているヒメジョオンなど、その一つかもしれない。
 北アメリカ原産で江戸時代の末に観賞用に栽培されたものが逃げ出して野生化したといわれているが、いまでは都市はむろんのこと、かなりの山間部でも生育していて、ハルシオンとともに理科の教科書にもとりあげられることが多い草だ。野草観察会などに参加すれば、茎が中空の方がハルシオン、詰まっている方がヒメジョオンと教えてくれる。

 遠州の里呼び名は鉄道草だが、御維新草、満州草、戦争草、アメリカ草などの名で呼ぶ地方もあって、日本の近代史を反映する草でもある。


December 17、 2008:  バショウ Musa basjoo

 すでに白い花がまばらに残るだけとなった茶畑の点在する岡の斜面に、一叢のバショウが小春日を浴びて静に揺らいでいた。
 しかし本来ならば庭園に植栽されているはずのバショウが、なぜこんな雑草や潅木の茂る岡の片隅にあるのだろう。いかにも場違いである。だが、おそらくかつてはここに立派な庭のある人家があったのであろう。邸宅であったかかもしれないし、かの芭蕉庵のごとき佇まいだったのかも知れない。いずれにしろ住人が去ってすでに久しい時が流れたに違いない。
  芭蕉葉もやうやく破れて秋ふけぬと
        思ふばかりに物ひそかなり  斉藤茂吉
 バショウは中国南部が原産地だろうといわれているが、平安時代にはすでに渡来していたといわれている。例えば、『本草和名』にある“甘蕉根五葉母”が和名の“波世乎波(はせおは)” がそれだという。
 奄美大島のリュウキュウイトバショウの繊維から織った芭蕉布は涼やかで美しい。漢方では根の煎じ汁を解熱や利尿に処方する。



December 17、 2006:  シロダモ

 遠州の里山にかつては大きな面積を占めていた薪炭林の大部分は、いまでは茶畑に変わり、残されたわずかな林も手入れされることなく荒れるがままである。ことに急峻な斜面の林の中では放置された常緑の高木種の樹冠が光を遮り、シダすらも育ちにくい暗い裸の林床が生まれている。

 そんな林の中で、この季節によく目立つ紅玉色の丸い実をつけているのがクスノキ科のシロダモである。雌雄異株で、晩秋ないしは初冬から咲き始める。受粉した雌花は一年かかって赤く熟すので、花と実を同時に見ることができる。
 標準和名の由来は”葉の裏が白い(シロ)いタブ(→ダモ)の木”ということだが、静岡県の東部ではコガあるいはコガノキと呼ぶところが多い。コガとは桶のことで、昔はこの木の材を桶作りに利用していたからだという。
 赤い実は食べられないが、私が子供のころには竹鉄砲遊びの弾丸としたおぼえがある。また、熟した種子を搾って油を採り、蝋燭を作ったり灯油として利用したという。



December 18、  2004:  コセンダングサ
 処方箋をもらいにいった医院の待合室で、病気など縁がないといっていた草友達に出会った。お孫さんのお相手かと思ったら、ご本人が新型インフルエンザに感染したのではないかと心配してやってきたとのこと。そこで話が特効薬と喧伝されているタミフルのことになり、この自治体では備蓄が底をついたらしいという話から、能転気といわれればそのとおりなのだが、いつのまにか外来植物と在来植物のせめぎあいに話題が移ってしまった。
 その俎板に乗ったのがコセンダングサだった。理由は草原で遊んだお孫さんがこの草の逆さ棘のある種子で目に怪我をした、よって、外来種はけしからぬ、というしまらないものではあった。
 帰化植物図鑑などを繰ると、明治時代には既に入り込んでいて、現在では日本の都市近郊にごく普通に見られる一年草で、熱帯アメリカが原産地だが世界の熱帯に広く帰化していると書いてある。日本も今や熱帯圏なのか。確かの夏の気候は熱帯的だが、12月の半ばの気温は熱帯には程遠い。それでも花を咲かせ種子を作っている。倍数体化したり無配生殖を獲得したりして適応した結果のようだ。


December 18、 2009: 片葉の葦 An ecotype of Phlagmites communis Trin
 堀之内層の層序がくっきりと浮かぶ切り通しの側溝に、カナリア色に黄葉した葦が吹き抜ける風に靡いていた。
 春の芽生えのころからこの道を渡ってゆく風の方向が決まっているのだろう、互生している葉が同じ向きに流れている。いわゆる“片葉の葦”である。
 “片葉の葦”については子供のころから遠州の七不思議の一つと教えられていたので、てっきりこの地に固有の伝説だと思っていた。ところが長じて各地を旅するようになると、あちこちに“片葉の葦”の言い伝えがあることを知った。しかし、その由来についての伝説の内容はそれぞれで異なっていた。
 それぞれの土地で人々がこの一方向に葉を伸ばすアシの存在に気付き、最初に気づいた人々がそれぞれに納得できる由来話を作り上げたのだろうか。それとも、どれかの話が出発点となっていて、それが全国に伝播する過程でそれぞれの土地にあった話へとアレンジされたのだろうか。
 遠州七不思議に魅せられたという石野茂子さんと型染技法画家の田中清さんのコラボ『遠州七不思議』では、日坂峠に住んでいた猟師が誤ってわが子を射殺し、それを嘆き悲しんだ妻が命を絶ち、その怨念が恐ろしい怪鳥となって旅人や里人を襲っていた。これを聞いた都の7人の武士が人々を助けようと下ってきたが、一蹴され逃げ帰ることとなり、これを恥じた武士たちが切腹して果てた原野に生えたアシの葉がすべて日坂峠を向くようになった、ということになっている。
 同じ遠州地方でも、また別の伝説もある。例えば菊川市の応声教院の“片葉の葦”は、源平の合戦の時代、源氏の若武者熊谷次郎真実が、ここに立ち寄り、参拝している間に寺の前に繋いでおいた馬が、そこに生えていた葦の葉を片方だけ残らずきれいに食べてしまった。それ以来この地に育つアシの葉はずべて片葉になったと言う。


December 19、 2005:  サザンカ (寒椿)
 昨日今日と日本列島は半世紀ぶりともいわれる寒波に覆われて、各地から大雪の被害が伝えられているが、幸いなことに赤石山脈が北に壁をなしている遠州地方は雪知らずである。それでも気温の低さと風の強さは厳冬並で、人にも植物たちにも苛酷な日々ではある。
 しかしそんな天候もほとんど苦にしないのか、垣根のサザンカだけは花の盛りである。
 サザンカの原種は日本固有で山口県から琉球列島にわたって分布している5弁の清楚な白花を咲かせるが、江戸時代に色も形もさまざまな品種が作出され、元禄八年(1695)の『花壇地錦抄』にはすでに50品種が紹介されている。この花木を最初にヨーロッパへ紹介したのが1690年に来日し、1712年に『廻国奇観』を出版したドイツ人医師のケンペルである。原典を見ると”San Sa”の名で記載されていて、庶民は”Yamma Tsubakki”と呼ぶとある。しかし古典を見ると、江戸時代になるまではツバキとサザンカは混同されていた。
 この仲間には交配によって生まれた園芸品種が多く、「何れツバキかサザンカか」と判定にとまどうものが結構多い。無理に区別をつければ花びらがばらばらに散るものがサザンカで、ぼとりと落ちるのがツバキである。


December 19、 2008: ヒメイタチシダ Dryopteris sacrosancta
 窓を開けると、くっきりと晴れわたった朝で、牧の原台地の上に曙光を背にした黒富士が浮かんでいた。冷気が頬に心地よかった。戸外の温度センサーをチェックすると5℃だった。
 雲の出る前にその美しい姿を撮っておこうと思い立ち、急いで富士山のよく見える町の西側の岡に登った。しかし残念ながら辿り着いたときは既に黒富士ではなくなっていたが、それでも重厚な朝の富士をカメラに収めることができた。
 帰路、冬枯れた林の中で元気のよいヒメイタチシダに出合えた。
 北海道以外の日本全土に広く分布し、韓国や中国でも見られるシダである。
 いたちシダ類の同定は初心者には難物の一つで、私はシダの名を憶え始めた学生のころ、今は亡き志村義雄先生に小笠山での採集会で懇切丁寧に教えていただいた。
 先生は当時静岡大学教育学部で教鞭をとっておられた。学会政治とは無縁の、真摯の研究者だった。

 話は飛ぶが、ライアル・ワトソンさんが今年の6月25日に亡くなった。いくつもの物議をかもした著作を発表され、似非科学者と斬って捨てる人も少なくないが、しかしその思索には示唆するところが多い。とくにルワンダであの悲劇が起こった直後の1995年に出版された『ダークネーチャー』での人間性への考察はすばらしいと私は思っている。たしかにこの著作においても序章に紹介されているパタゴニアの海辺で体験したというアシカの子に対するシャチの驚くべきそしてある種の感動を呼ぶ行動には、あの”百匹目のサル”と同様の胡散臭さもあるが、それはそれで面白い。


December 19、 2012: ツタ Parthenocissus tricuspidata (Sieb. et Zucc.) Planch. 

 蔦かづら朱けく紅葉づる城跡に
     百舌鳥は高鳴く夕さり来れば  木俣 修
 廃屋の壁面が、燃え盛る火のように、紅葉したツタに覆われていた。わび住まいだった老人が他界されて、はや六年が経っていた。
 日本では北海道以西に普通に見られ、韓国中国にも分布しているブドウ科のつる植物で、古代から紋所などの装飾模様のモチーフに使われている。平安時代に甘葛と呼ばれた甘味料は春に切断したツタの茎から滲みだす樹液を集めて煮詰めたものだといわれている。
  
 自民圧勝である。投票率が59%ではあるものの、日本人の多くは消費税増を認めるとともに、原発のリスクを背負いながらも目の前の生活の快適さを捨てることができなかった。
 日本列島改造論華やかなりしころ生まれた政治屋たちが“国土強靭化”なるものに200兆円をばら撒くといきまいている。1000兆円の赤字国債のことは触れようともしない。ある外国人が“ジャンキー国家”だねと肩をすくめていた。余命いくばくも無いであろう私にも妙案は浮かばない。さてはていかがあいなりますやら・・・・・。


December 19、 2011:  ニラ Allium thuberosum Rottl.

 韮の実の散りこぼれたる後にして
      韮の上しろくおく朝のしも  土屋文明

 冷たい朝が続いている。空気が乾燥しているせいか、深く霜がたつことはなく、陽が昇れば枯れ草の薄化粧はたちまちに消え果る。
 農道の際の枯れ韮の根元には未だかすかに白いものが見えたが、裂けた実の中に留まっている漆黒の種子は輝いていた。

 第一原発から放出された、東電が無主物と主張する放射性物質は、このあたりにはほんのわずかしか飛来していないそうだが、だからよかったなどとはいっていられない。
 政治家はまた“冷温停止状態”などという誤魔化し語を創って、安全を装って、事故は収束(ほんとうは終息と書きたかったのだろう)したと言い放った。
 そして、無主物を撒き散らした炉を管理運転していた誰もが、電源喪失時に作動する緊急冷却装置の正しい操作方法を知らなかったという。
 恐ろしいことだ。



December 20、 2005:  ヒガンバナ
 5時に目覚めてモニターの外気温をチェックすると、なんとマイナス4℃だった。12月のうちに氷点下の朝になったのは何年振りのことだろう。気象予報士の森田さんの説ではこのような厳しい暮れは、このところ10年周期で観測されているとのことである。先週も国際会議で喧々諤々の論議があった、20世紀以降の急速な大気中COの増加がもたらしているという温暖化現象とはどんな関係があるのだろう。

 日が昇ると、風がないことも手伝って、たちまち気温は10℃に近くなったが、庭先で辛うじて緑を保っていた亜熱帯が故郷のティプアナやドドネアの葉は、枝に留まったまま黒褐色に変色して枯死していた。
 しかし、早朝こそぐったりとしていたものの、土手に茂るヒガンバナの細長い葉はたちまち生気をとりもどし、艶やかに冬の陽に輝いた。
 真っ赤に燃えるヒガンバナの花を知らない人は少ないが、厳冬期に瑞々しいこの刀のような形の葉がヒガンバナのそれだと答えられる人は多くはない。ヒガンバナには葉がない、だからこそ不気味な花だ、と思い込んでいた人にも会ったことがある。


December 21、  2004:  ヒイラギ
 今日は冬至。枯葉を連れて行きすぎてゆく風はさすがに冷たい。「冬至冬中冬初め」という諺のとおりで、バイカル湖方面からの寒気団が押し寄せてきて急に冬らしい冬になった。

 柊の刺葉ゆすりて師走かぜ匂いのたかき花を散らすも   今井邦子

 虹の丘から東へ下る山道を歩いていると、背後から涼しい香りのする風が吹き降りていった。
 思わず振り返り上を見ると、黒く茂ったヒイラギの葉の間から白い細かな花がこぼれていた。
 ヒイラギの語源は「疼(ヒヒラグ=ひりひりずきずき痛む)木」、つまり葉にある鋭い棘が刺さると痛いからだという。面白いことに若木の葉ほど刺が鋭く、古木の葉からは刺は消える。雌雄異株で2本のオシベがツンと出ているのが雄花で、中央のメシベが発達しているのが雌株である。モクセイのように香りがよいだけでなく、常緑性で棘のある葉が魔除けにもなるというので庭に植え込まれることも多い。


December 21、2010: サカキ Cleyera japonica Thunb.

 曹洞宗の寺院と天理教の寺院が隣り合う細道に入ると、頭上でけたたましい叫びを上げてヒヨドリが飛び立った。
 驚いて振り仰ぐと、澄みきった師走の空を背景にして、小粒ながら黒光りする丸い実で飾られたサカキの枝が茂っていた。ヒヨドリはこの実を啄ばんでいたようだ。
 この季節、小鳥たちは街中の小さな庭にも飛来するようになるが、何処にどんな木の実が生るのか憶えているのだろうか。それとも無作為のパトロール飛行で見つけているのだろうか。
 我が家の庭にも常連がくる、といっても個体識別はできていないが、ツグミは地表に近いピラカンサやマンリョウを啄ばみ、ヒヨドリやムクドリは色づいたセンダンの実を、メジロは熟して崩れかけた柿の実に寄ってくる。
 しかし、年が明ける頃には、すっかり食べつくして、よそに行ってしまうが、それでもときおりは様子を見に立ち寄るようで、アオキの実が色づくのを待っているのだろう。

 午前中はよく晴れていたので、夕方の皆既月食を楽しみにしていたのだが、天気予報どおり16時過ぎの月の出の頃には雨となってしまった。 しかし、東北や北海道では雲もなく、天体好きの方々が嬉しそうに空を仰いでいるようすがTVで放映されていた。


December 22、 2005:  枯れススキ


 心の安寧秩序を保つため、不快に思うものは避け、腹立たしく感じたものは記憶に留めないというのが、おそらく生来の、私の脳の反応の仕方である。若いころはそんな自分が情けなく強い自己嫌悪に囚われたこともあったが、歳とともにその思いも消えていた。
 しかしこのところ、避けがたく忘却しがたい出来事が、この日本という国では頻発している。それはもう枚挙にいとまないほどである。
 このニュースもその一つ。外務省が約31億円もの対中国広報活動予算を組んだという。人気アニメを中国内で放映したり中国語版ホームページを通して「靖国神社を首相が参拝する真意」を伝えて、今年に入って反日デモが過激化したように対日感情が悪化してきたのをなんとか沈静化させるためだそうだ。できるはずもあるまい。悪化の原因は首相の行動と言説ではないか。そのために何十億という公金が消える。なんという税金の無駄遣いだろう。
 こう思う人は私以外にもたくさんいるに違いない。しかし、少なくない数の日本人が歴史の歯車を逆転させ中国・韓国とことをかまえたがっているのかもしれない。だが「歴史は学ばれることはない、忘れられるだけだ」とは思いたくない。
 耐震構造偽装問題もますます傷口が広がり、その被害は留まるところを知らない。カネの亡者どもは「誠実」ということをあざ笑い忘れてしまったのだ。
 今や日本は枯れ薄状態である。野のススキは季節が巡ればまた茂り花咲かせるが、この国は枯れたまま未来に甦ることなく、過去という暗い時の帳の向こうに消えていってしまいそうである。



December 22、 2013: クロガネモチ Ilex rotundata Thunb.
   黐の実の葉艶に紅さ目立ちけり   さか女
 さか女の目にとまった艶やかな緑葉のなかの赤い実はモチノキのそれだったのかもしれないが、晴れ渡った師走の空を背景にしたクロガネモチを見上げたとき、なぜか私はこの句を思い出していた。
 昔の大人は役に立つ植物のことをよく知っていて、ことあるごとに子供たちにその用途や利用法を教えていたように思う。誰から教わったのかは今では思い出せないが、モチノキとクロガネモチの樹皮をはがして水につけて醗酵させたものをたたいて潰したものから鳥黐がとれることを小学生のうちに知った。当時もそうだったが、遠州では今もモチノキをホンモチ(本黐)、クロガネモチをイヌモチ(犬黐)と呼んでいる。
 だが、教えてくれたオジサンが間違っていたのか私の記憶違いだったのかはさだかではないが、生物学科に入って伊藤洋先生の分類学野外実習に参加するまでクロガネモチがホンモチだと思い込んでいた。
 わかりやすい違いはクロガネモチのほうが樹皮の色が明るい灰色で葉柄が赤紫色であることだろう。よく見ればクロガネモチのほうが実付きがよく赤味が勝っていることにも気づく。
   黐の実に庭園少し華やぎぬ   黒川悦子
   
 直近に起こると予想されている東京直下型地震の被災度のシュミレーションが発表され、さまざまな対策が提言されたが、スカイツリーや超高層ビルがゆっくりと撓って揺れるさまや炎の海など、想像するだに恐ろしい。娘のことが心配になる。
 民主党までもが原発再稼動推進に舵を切った。壊れたF1はブラックホールのように際限なく税金を吸い込んでいる。吸い込まないのは放射性物質で、水や大気に垂れ流している。M.9が予想される、こちらもいつ起こっても不思議はないという南海トラフ巨大地震が起これば、浜岡原発などもきっと壊れるだろう。この場合の後始末もしっかりとシュミレートしたら、再稼動などという言葉は出てくるはずがないのだが・・・・。そして、すべてを廃炉にしても使用済み核燃料をいかにして安全な状態に保ってゆくか、ここにも難しい問題が残るが、爆発→メルトダウン・放射性物資の飛散よりはるかにましだろう。


December 23、  2004:  タチバナモドキ
   ピラカンサばかりが目立つ庭となり   須藤常央

 草は枯れ、色づいていた木々の葉も散り果てるこの季節は、赤や黄の木の実が表舞台に躍りでて小鳥たちを誘いはじめる。ピラカンサ属の1種、タチバナモドキのオレンジ色の実もその一つである。
 ピラカンサとはギリシャ語の"pyr"(火)と"acantna"(刺)からの造語で、「火のように真っ赤な実をつける棘のある木」の意味だといわれている。確かに地中海地方に自生するピラカンサ(トキワサンザシ)の実は真っ赤に熟す。しかし、体験した方はうなづかれに違いなが、この木の棘を刺すとまるで火傷をしたかのようにいつまでもズキズキと疼くのである。私はこれこそ「火の棘」だと思った。
 タチバナモドキは中国の西南部が原産地で、明治の終わり近くに日本に入り、生垣用などに普及したのは大正時代のことだそうだ。

    朝の日のまづピラカンサ輝かす   今井千鶴子
 このピラカンサは真紅の実をつけるヒマラヤトキワサンザシだろう。


December 23、 2010: クサギ Clderodendron trichotomum Thunb.

      旧道の石垣古りし臭木の実    古川芋蔓
 応声教院から陣場峠へ向かう、かつての塩の道だったという細道を歩いた。
 道沿いの藪の木々はほとんど葉を散らし、わづかにアカメガシワとイヌビワの透明感のある明黄色にもみじした大きな葉が残っていた。
 そんな木々の中で、ひときは目立ったのは、飛騨高山の郷土工芸品の“さるぼぼ”を思い出させるような形をした実をたわわにつけたクサギ(臭木、常山木)であった。もっとも細かいことをいえば、猿の赤ん坊をかたどったという“さるぼぼ”と違って蕚の変形した赤い突起は5つだし、頭に当たる丸い実は赤くはなく瑠璃色である。しかし私の脳裏には瞬間的に“さるぼぼ”たちがにぎやかに戯れる姿が浮かんできていた。
 クサギの若芽が食用になることはよく知られていて、春の里山を歩く会でも皆で摘んで天麩羅にして賞味したこともあるが、この実や蕚も利用できることは最近まで知らなかった。 昔から草木染をする人々は瑠璃色の実に含まれるトリコトミン色素で水色を染め、赤い蕚を潰して鉄媒染することで銀鼠を出していたという。

       紫の苞そりかへり常山木の実   拓水
 これは虚子門下の小林拓水が詠んだ句だが、彼にはこの赤い苞(正しくは蕚)が紫に見えたのであろうか。それとも、そんな変異個体があったのだろうか。それとも、単なる思い違いか、はたまた花の知識の不足のせいなのか。


Decmber 24、 2005:  ナツミカン
 日本海側では今日も激しい降雪が続いていて、送電線の凍結が原因で60万世帯もが長時間停電し、やっと復旧した新潟でも、再び積雪量が増大している。洪水、巨大地震、豪雪と引き続く自然災害に苦しむ方々のことを思うと心が重い。
 幸いにしてこの地方は今のところ平穏に過ぎているが、先ほどは名古屋が少し揺れた。TV映像に重なって流れる各地の揺れ具合のテロップを見ていると、やはり震度7は確実だと学者たちが喧伝する東海地震のことが心配になるが、目を窓の外に転ずれば空は青く晴れ、なべてこの世は事もなしとナツミカンの大きな実が師走の陽を浴びてゆったりと揺れていた。
 遠州の農家の庭先には必ずというほど植栽されているナツミカンは江戸時代の中頃に偶然発見されたものだという。それも、長州の青海島の海岸に打ち上げられていたものを西本於長という娘さんが拾い、その種を蒔いて育てたのが始まりで、その後代を萩の士族が屋敷で栽培し各地へ広めたという。
 しかし、この漂着した果実を実らせた親木はどこに生えていたのだろう。不思議なことにその後誰もこれを調べようとした気配がない。ルーツは何処にありや?である。


December 25、  2004:  イヌビワ
 今朝の外気温は2℃。それでも風が吹かないので日が昇れば手袋やマフラーの必要はなかった。通いなれた雑木林の中の道には枯葉が積もり、枝先にかろうじてとどまっているイヌビワの色づいた葉も、触れればはらりと散る風情だった。
 終戦から間もない頃は、子供たちはいつも空腹だった。だから山道や川辺の藪で赤黒く熟したイヌビワの実をみつけるとうれしかった。今では誰も美味しいとは思わないであろうその小指の先ほどの実が、子供には大粒の飴のように思えたのだ。しかし、実の大きさと熟し加減にはばらつきがあり、本当に甘いものは少なかった。それは、雄株と雌株が別で、しかもイヌビワコバチという小さな寄生蜂とのかかわりがあるためだと知ったのは、もう空腹感にさいなまれることのなくなったずうと後のことだった。
 関東地方以西にごく普通に見られる暖地性の低木で、韓国の済州島にも分布している。
 万葉集の大伴家持の歌にある”知智”はイヌビワのことだという説があるが、いやイチョウのことだという人もいる。


December 26、 2006:  ニシキギ
 今朝の最低気温は8℃。昨年のこの時期の寒さを思えば今年はずいぶんと過ごしやすい年の暮れだ。温室の燃料の減りも緩慢で、これはまことに助かる。
 しかし冬であることにはかわりがなく、先日まで燃え立つように紅葉していたイロハカエデも散り果て、与謝野晶子が「金色のちひさき鳥のかたちして」と詠んだイチョウもすでにほとんど葉を落とし、お気に入りの散歩道を彩る秋の名残も日に日に少なくなっている。
 その道で、今日は鮮やかな真紅に染まった葉群をわずかにとどめたニシキギを見た。葉に劣らず美しい赤い実はすでに小鳥たち体内に収まってしまったのだろう、一粒も見当たらなかった。
 極東の一角に分布するニシキギは紅葉の美しさもさることながら直角に交差して枝から張り出す翼状のコルク層が珍しがられ古くから庭木となっていた。『枕草子』に登場する”たそばの木”がニシキギだという説が正しければ、平安時代にはすでに植栽されていたことになる。
 


December 27、  2004:   枯れ芙蓉

 とうとう霜が降りた。昨日までは元気だったヒメツルソバの薄桃色の絨毯はすっかり黒ずみ、ヒガンバナの緑の葉叢はぐったりと倒れ付している。きっぱりとした冬になった。
 どこかの庭から種子が運ばれてきたのだろうが、雑木林のなかに乾ききったようすの枯れたフヨウがあった。枝先には霜の柱のような白い針毛を立てて裂開した実がいくつも残っていて、その中には銀色の1ミリほどの毛で覆われた灰褐色の種子が風に運ばれるの待っていた。

 フヨウは東アジアの暖地に広く分布していて日本でも九州から沖縄に自生している。中国から持ち込まれたものが野生化したと考える研究者もいるようだが、結論は出ていない。
 花が美しいので庭園に植えられることが多いが、茎の皮の繊維が強いので紙の原料にされたが、沖縄ではこの繊維で魚網や籠をを編んだ。
 中国でも古代から愛好されていて、とりわけてよく知られているのは咲き始めてから萎むまでの一日の間に花の色が変わる酔芙蓉である。江南の人たちはその花色の移り変わる様子を「朝は梁山泊だが、夕は祝英台となる」と表現する。梁山泊と祝英台は江南ではよく知られた悲恋物語の美男美女である。朝の純白の花を男にたとえ夕べの桃色から赤く染まる様を女性にたとえるのだ。

  庭くまの枯れし芙蓉の茎に差す夕日の澄みはありき去年も     谷 鼎



December 28、 2006:  ビワ

  冬の日の暮るゝは早し枇杷の花
      ただあはつけく目にとまるかな   土田耕平

 この冬一番の寒気が日本海を南下してきているということだが東海地方は風も穏やかで桜がほころんでも不思議ではないような一日だった。今日ほどではないものの、このところ数日は師走らしからぬ暖かな日がつづいている。そのためだろう、野辺ではホトケノザやハコベやミミナグサなどの春草の花が季節を間違えて咲いている。とはいえ、そんな気まぐれな天気に惑わされることなく、例年と変わらずに咲く師走の花もある。その一つがビワの花である。
 常緑の大きな葉に抱かれるように薄い茶色の花序を立て、白い5弁の小花がまばらに咲いている。寒風に似合った花姿といえるのかもしれない。それでも日が差し風が止むときにはかすかに香ってハナアブたちを誘うが、時にはメジロやヒヨドリも訪れてくれる。

  枇杷の花咲けばさびしき香を尋めて
          あつまり来る小鳥の声々  金子薫園



December 28、 2010: カキ Diospyros kaki L. f

 里古りて柿の木持たぬ家もなし   芭蕉

 よく太った白い猫が門口でこちらを窺っている。その農家のマキ囲いを越えて育った愛宕柿らしいカキの枝には、小鳥たちのためにか、たくさんの赤い実が残され、陽に輝いている。そして、そのさらに上では、ビワの白い花が開き始めている。 師走らしからぬ、ほっかりと暖かなやさしい風が里を渡り、澄みきった空の向こうには、眠る山が連なっていた。
 
 カキノキ属の植物は熱帯亜熱帯を中心に550種ほどが記載されていて、アメリカ、アフリカ、マダガスカルにそれぞれ100種ほど、アジアからオーストラリアに250余種が分布している。日本には7種が知られている。
 現在は800余もの品種があるといわれるほど広く栽培されて我々に身近なカキは、自生種ではなく、奈良時代に中国から渡来したものと考える人が多い。しかし、かつてはあったのかもしれないが、現在の中国では日本ほど多くの品種は認識されていない。
 

 中国でもカキの野生はなく栽培種である。染色体数が2n=90ということから考えれば、おそらく遠い過去に自然に生まれた倍数体の中から選抜育種されたものであろう。多くの品種が選抜できたのも倍数体だったからであろう。
 Yonemori, K. et al. (1998) の葉緑体DNA解析によれば2n=60のシナノガキや北米産のウイルギアナやタイ産のエレティオイデスに近縁のようだ。


December 29、  2004: ノゲシ 

  昨夜遅くから雨になった。暖かな部屋にいて窓外のかすかな雨音を暗闇で聞いていると、真冬であることを忘れてしまう。というより、冬が終わったような思いにかられる。ひそやかな雨の音は、春の音ではないか。
 夜が明けてもまだ細かな雨が石畳をぬらし、白く乾いていた土をあめ色に染めていた。縮こまっていた道の辺の小草たちも少し元気をとりもどしていた。そして雲が切れ日が射しはじめると、小さな花が遠慮がちに咲いた。ノゲシだった。
 この草の花がよく目に留まるようになるのは桜の花が散る春になってからだが、気をつけてみれば一年中どこかで咲いている。
 元来はヨーロッパ辺りが原産地だろうといわれているが、今では世界中何処に行っても目にすることができる。日本でもごく身近な野草で昔から若葉は野菜代わりに利用されてきた。
 これは最近になって気づいたことなのだが、身近で誰でも知っているはずなのに、何故かこの草は短歌や俳句にほとんど詠まれていない。”春の野芥子”という通称はあるものの、いつでも咲いていて季節感に乏しいからだろうか。

 



December 30、 2005:  カラスウリ
 茶畑の風除けの意味があるのか、北西側に茂るに任せたような雑木林が残されていて、その林縁のあちこちでカラスウリが枯葉をまとって真っ赤な実を梢から垂らしていた。時おり吹きすぎてゆく寒風に揺すぶられながらも、陽を浴びて輝く赤い実には温もりが感じられた。
 カラスウリは花の形も実の色も人目につきやすい蔓草なので古代から親しまれており、『本草和名』をみると平安時代の人たちは比佐久(ひさく)と呼んでいたことがわかる。異名も多く”玉章(たまづさ)”や”結び状”という名もあるが、これは昔の人々はあの独特な形の種子にも注目していたことの証である。かつては遠州の子供たちはこの種子を大黒様の打ち出の小槌と教えられ、真綿に包んで小箱に入れて机の引き出しにしまいこんだり、お財布の中に潜めたりした。なけなしのお小遣いが少しでも増えてくれることを願ったのである。
 こんな夢のある世界ではない現の世でもカラスウリは大いに役立ってきた。先ずは食糧として。熟す前の若い青い実は塩漬けや粕漬けにしてその歯ざわりを楽しみ、種子は炒ったり醤油煮にして食べた。地下にできる大きな芋(塊根)にはデンプンが多いので救荒食として利用された。芋をよく洗い、細かく刻んでから数日間水に晒し、臼でついてから布で包みデンプンを揉み出し、これを乾燥させて粉に挽き、整形したものを蒸したりして食べた。
 薬としての用途もあり、あせもの予防や治療に使った天瓜粉の原料はカラスウリのデンプンだった。
 ところでカラスウリの名の由来だが、カラスが好んで食べるからという説と、とりたててカラスが食べるというわけではないが、冬枯れの藪に赤い実がいつまでも残っているのをカラスの食べ残しに見立てたという説がある。後者の方だとする向きが多いが、バードウォチャーが糞を調べたところ種子が入っていたそうだ。というわけで、どちらもありでよいのだろう。

       藪先や暮れ行く年の烏瓜     一茶


December 31、  2004:  ハキダメギク 
  激動の一年も間もなく幕を閉じる。しかし、閉じるといってもそれは暦の上の話で、現実は果てしなき時の流れの果てへと千変万化しながら続いていく。いや、本当に続いていくのだろうか?運命なるものがあると信じる人にとっては未来はすでに存在するものなのだろう。だが、私にとっての未来は現在の変形として今まさに作られているものだ。過去は映像と記憶を残して消え去ったものだ。もはや誰も手に取ることはできない。そして、はるか彼方の宇宙のどこかでは、何億年も後にならなければ知ることのできない現在がある。
 小千谷の、インド洋沿岸地域の、イラクやスーダンやその他のあらゆる現在がどんな未来へと続いていくのだろうと思いを巡らせながら、年の瀬の野の道をあてもなく歩いた。
 目を落とせば、冬枯れの野の道には、まだ緑を残し白い細かな花を咲かせているハキダメギクがおちこちにあった。「掃き溜め菊」などと可哀相な名を牧野富太郎さんからもらっているこの小菊は熱帯アメリカが原産地だそうだ。


December 31、 2008: ホラシノブ Sphenomeris chinensis

 昔は正月飾りに使うウラジロを採りに登ってきた少年たちの呼び合う声が聞こえた丘のシダ谷には、今では吹き抜ける師走の風の音がするばかりである。
 コシダの茂みの下の地下水の滲みだしている斜面で、よく育ったホラシノブが紅葉していた。
 洞窟の入り口のような環境を好んで生えているので洞忍と呼ばれるが、かなり乾いた環境でも目にする。遠州の丘陵ではごくありふれたホングウシダ科のシダの一つで、アフリカからアジア、ポリネシアまで、旧世界の暖帯から熱帯にかけて広く分布している。

  夕かげにおのれ揺れいる羊歯の葉の
         ひそやかにして山は暮れにけり    橋田恵声

 今年も人類はそのダークネイチャーを遺憾なく発揮したようだ。
 マネーゲームに狂奔する人々に資本主義が牙を剥いて襲いかかり、辺縁集団の労働者を巻き込んで暴れている。
 極めつけはまた始まったイスラエルとパレスチナ武力衝突だ。単に思想や信条の違いに起因するものではなく、そこには底知れないホモ・サピエンスのダークネイチャーが垣間見える。殺すことに快感を覚える利己的遺伝子の発現である。
 1950年代の人々は私もふくめて、ネヴィル・シュートの『渚にて』的な人類の滅亡の可能性に心を痛めていたが、21世紀の今、私は、人類のダークネイチャーが、止めようもなく自らを地球上から消し去ろうとしているように思わざるを得ない。
 しかし、化石の記録が示唆するように、ホモ・サピエンスが消えた後の地球には美しく再生された広大な自然が出現することであろう。

   なにはともあれ、とりあえずはよいお年をお迎えください。



December 31、 2011: リュウノヒゲ Ophiopogon japonucus (L. fil.) Ker-Gawl.  

 散り重なったカワズザクラの枯葉を掃くと、瑠璃色の玉が現れた。
 標準和名ジャノヒゲ(蛇の鬚)、通称リュウノヒゲ(龍の鬚)の種子である。一見したところ果実のようだが、子房壁(心皮)は薄く、種子が膨らむとすぐに破れてしまい剥がれてしまう。瑠璃色をしているのは薄い外種皮で、その下は白い内種皮とそれにつつまれた弾力のある胚乳である。

 この良く弾む種子を鳥取では“とんとんとびす”と呼ぶことは清末忠人さんの『さんいん自然歳時記』で知った。また清末さんは蛇には鬚などないのになぜジャノヒゲと呼ぶのだろうと不思議がっている。お祖母さんに聞くと「昔はあっただろうで。龍とは親戚だけーなー」と笑っていたとのことである。
 多くの文献では、この名は細長い葉の形に由来するとある。確かに龍の絵や彫刻には鬚があるが、あっても一対の泥鰌鬚程度で、ジャノヒゲ(リュウノヒゲ)の扁平ですらりと伸びた葉とは大違いである。

 そこで、『語源辞典植物編』の編著者吉田金彦さんは「山口県辺りでその冴えた瑠璃色の実を龍ノ目と呼ぶところから、龍と結びつけられたに違いない。」と推測する。一方、『古典植物を探る』の著者、故細見末雄さんは『和漢三才図会』や『農業全書』にある“ゼウガヒゲ”は恐らく“尉が鬚(ジョウガヒゲ)”で、尉は能面の老翁のことで、ジャノヒゲの葉のようすがその鬚に似ていることに因んだのだろうという。このゼウガヒゲが後世リュウガヒゲに転訛しただとみる。さらに後世、龍のそれにしては貧弱なので蛇の鬚に格下げされたと思われる。この説は面白い。
          
 年が変わるのでなんとなく書斎を片付けていると、書架に貼り付けてあった『声』の切抜きが落ちた。“「慰安婦」証拠がないのが当然”とか“制度根幹崩す母子加算減額”とか“放射性廃棄物東京に埋めよ”などの投稿が載っている。まるで昨日今日の記事のようだが、2007.3.10のものだった。日本の政治が停滞していることの証である。
 しかし、2011年は忘れようとも忘れられない年となった。東日本大震災、巨大津波、福島第一原発のメルトダウンとそれによる放射性物質の飛散。前の二つは自然災害として納得せざるを得ないが、原発は人災である。1976年にGEの原子炉建設部門担当の幹部職員が「われわれの日々の労働が何十万年にも亘って、我々の子供や孫たち放射能という遺産を残すことになるという事実を、われわれはもはや正当化することができなくなった」と言って辞表を提出し反対運動に身を挺している。それにもかかわらず、日本では絶対安全といわれ続けてきた。溜まり続ける使用済み核燃料の山を目の前にしながらである。
 我々は選択を迫られている。その2012年が後数時間で訪れる。

いよいよ今年も今日限りです。皆様よいお年をお迎えください。
「野の花便り~冬~」はこれにて幕を下ろし、
野の花便り~早春~に移ります。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。


このページの索引へ 目次