CHUSHUN

野の花便り ~ 仲春 ~

寝ころぶや手まり程でも春の山     一  茶

遥か彼方の南アルプスの山並みは未だ白銀の世界ですが、遠州灘から遠からぬこの辺りでは、
野も山もすっかり春の色です。

山笑ふうしろに富士の聳えつつ     島谷征良

 索引  アケビ アリアケスミレ イカリソウ イカリソウー2 一葉松 イヌガシ イヌガラシ
 ウグイスカグラ ウグイスカグラー2 オオイヌノフグリ オキナグサ カケガワザクラ
 カキドオシ カタクリ カタヒバ カワズザクラ カンヒザクラ クサイチゴ ケヤキ コスミレ
 コデマリ コブシ シキミ シデコブシ シバヤナギ ショウジョウバカマ  シロガネスミレ
 シロバナタンポポ ジロボウエンゴサク ジンチョウゲ スギ スズメノヤリ スモモ
 ソメイヨシノ タチツボスミレ タネツケバナ タラノキ ツクシ ツクシー2 ドウダンツツジ
 トサミズキ ニオイタチツボスミレ ニラモドキ ニワウメ ネコヤナギ ネコヤナギー2
 ノミノフスマ ノミノツヅリ ハクモクレン ハハコグサ ハルノノゲシ ヒカゲツツジ
 ヒサカキ ヒメウズ ヒメオドリコソウ ヒメカンスゲ ヒュウガミズキ フキ フッキソウ
 ホトケノザ マンサク ミツマタ モミジイチゴ ヤクシマアセビ  ユキヤナギ
 失われた里山の春 カタクリの里・香嵐渓 (妖精たち 新緑への序章台所畑は花盛り
 卜伴椿と雨蛙  緋梅  連翹

追加

2013.03.08 カワズザクラ  2013.03.16 一葉松  2013.03.22 ケヤキ
 2013.04.06 アケビ

2014.03.05 マンサク  2014.03.18 カケガワザクラ  2014.03.26  ユキヤナギ
2014.04.07 カタクリ

2015/03/06 ネコヤナギー2  2015/03/25 シロガネスミレ 2015/04/04 イカリソウー2

March 3、 2008:  オキナグサ

 おきなぐさに唇ふれて帰りしが
    あはれあはれいま思ひ出でつも  斎藤茂吉

 このあたりでも過日は牧の原台地の春の草原でこの草に出合うことは難しいことではなかったが、いまでは絶滅したのではないかと危ぶまれるほどの存在になってしまったようだ。
 そんな時代が来ることなど思いも浮かばなかったに違いない花好きの伯母が、茶畑の土手から掘ってきて植えたのだというオキナグサが、日当たり抜群の従兄の庭で咲いていた。 彼は種が取れたら野に帰してやることにしているというが、安住の地を探すのも大変な今日この頃ではある。

   翁草野の枯色はしりぞかず    橋本多佳子

* 今日のNaturenewsに「街中の雑草の種子はすばやく進化する」という記事があった。問題の植物はフタマタタンポポ属のCrepis sanctaで、10年足らずの間に遠距離散布のできない大きな重い種子の割合が急増したという。海洋島での進化と似ていて面白い。



March 4、 2007: ハルノノゲシ
  西日さす土あらはにて一むらの
      春の野芥子のしどろにたけぬ   土屋文明

 今日はまるで初夏のような温かさだった。平年並みの日がなかったわけではないが、わが家の温室用加温機の灯油消費量が昨年冬の半分で済んでいることからも飛びぬけた暖冬だったといえるだろう。
 そんな気候だったせいで野の花たちも戸惑い気味である。たとえばこのハルノノゲシだが、例年ならばまだやっと花茎が立ちはじめる3月の初めなのに、道の辺ではもう草丈が50cmにもなって青々と茂っている個体が多い。
 地球全体の温暖化が急速に進んでいるという報告はすでに1980年代からあったが、その原因には人間の活動にともなうCO増加をはじめ複数の説があった。しかしここに来て人為説が有力となってきた。
 南極では広大な氷棚が消失し、広がった海には深海からの魚類をはじめこれまでに報告されたことのない新たな生態系が生まれているという。陸も海も、その環境が激変してゆく気配だ。


March 5、 2007: フキ
 季節外れに発達した低気圧が日本海を横切っている。
 韓国では昨夜から強風と高波で大きな被害が出ているが、日本でも東北地方から北海道にかけて暴風雪が心配されている。
 しかし東海地方では春が足早にやってきていて、草木の花が次々と咲き出している。
 例年ではまだ地表からぽつんと薹が頭を持ち上げる程度の庭のフキが、今年は既に花茎の背丈がが20cmに達して5弁の小さな白花を次々と咲かせている。

 ソメイヨシノの蕾も膨らんで薄く色づき、開くのも間近だろう。

 そして、暖冬の年は統計的には冷夏になる確立が高いだそうだが、そうなると植物たちもとまどうことになるだろう。注意して観察を続けたい。

 ちょっと面白いNewsを読んだ。雲南省昆明市富民県勤労郷梨華村の森林保護区で乱開発の結果禿山となった老首山を大量の緑色ペンキの噴霧して”緑化”したという。笑い話のような、しかし本当の話であった。
 思い返してみると、規模ははるかに小さかったが、数十年前の日本でも同様のことをしていた。正確な場所は失念したが、林道の開発が盛んだったころ、谷間を縫う道の幅を広げるため削り取って裸になった岩肌をモルタルで固め、さらにその上に緑の塗料を噴霧したところを通ったことがあった。 どちらも”緑化”のほんとうの意味を理解していないがゆえの、あるいは承知の上のごまかしの行為だろうと思ったが、あちらの新聞を覘いてみたところ、雲南省のケースは”風水”がらみであった。 富民県委員会の庁舎の”風水”を改良するための工事だったというのである。さすがは中国というべきか。


March 5、 2014: マンサク Hamamelis japonica Sieb. et Zucc.
 まんさくの黄にこごる花は手にとれど
       衰へし目にただ対ふのみ  土田耕平
 庭のマンサクが満開になっていた。霙の降りそうな余寒の朝に似あう花である。ふと、土田耕平のこの短歌が、思い浮かんだ。オートフォーカスのカメラは花の細部まで捉えてくれるが、老いた私の目には、縺れ縮れた細い黄色のリボンの塊と映る。
 遠州では南アルプスの先端に近い積雪がある山地まで行かないと出会えないが、春に先駆けて咲いてくれる花木として好まれ、植栽している家も少なくない。
 種内での地理的な変異が多く、諸説があるものの一般的にはマンサク・オオバマンサク・マルバマンサク・アテツマンサクの4変種に分類されている。
 ヴィーチ商会が1862年にイギリスへ導入したマンサクが4変種のうちのいずれかだったかは不明だが、変異し易いものだということは当時から知られていて、種子を蒔くと親株とは違ったいろいろな花形の実生ができてしまうと嘆いた育種家もいた。
 マンサク属は北米に3種、中国と日本に1種づつの5種が記載されている小さな属だが、白亜紀にはすでによく似た植物が存在していたという。
     
 シリアを地獄の混乱に陥れたロシアとアメリカ+EUの対立がウクライナにも飛火した。トルコまで巻き込まれれば、21世紀のクリミア戦争になりかねない。もしそうなれば、殺し殺されるのは住民庶民である。希望はパンドラの箱の底深く隠れてしまった。
 安倍政権はあちら立てればこちら立たずに立ち往生しているように見える。
 その国内では、物騒な政策がまかりとおりつつあり、首相をはじめ多くの議員が戦後の自虐史観から脱却しなければ真の独立はないと叫んでいる。何も経験していない戦後生まれの子供たちに何をどう吹き込もうというのか。もっとも彼ら自身もも戦後生まれではある。
 首相はフォークランド戦争に勝利したサッチャーの自虐偏向教育改革を本会議で絶賛した。まさか、尖閣諸島をフォークランド諸島にみたて、中国と一戦交え勝つつもりではないだろうね。
 83歳の作家の米谷ふみ子は、戦争を覚えている75歳以上の人々に“目覚めよ!75歳以上の年寄り”と檄を飛ばす。いま老人たちが沈黙していれば、再び日本人をふくめ数百万もの人々が死ぬことになる。だから、大声で叫び、書き、語れ、という。そのとおりだろう。だが現状の日本では、聞く耳を持たず、読む気も起こさない、そして沈黙に沈む人があまりにも多いように思う。 さて、私はどうする。
 池澤夏樹は原爆安全神話を信じよう信じさせようとする日本人は“危機意識「永遠にゼロ」”だと嘆く。戦争に対しても危機意識「永遠にゼロ」なのだろうか。 そしてやってくる未来は・・・・・・・・。


March 5、 2015: ネコヤナギー2 Salix gracilistyla Miq.
 くぐもりたる皮をはじきて芽をふきし
         此の猫柳に日はあたり見ゆ  今井邦子

 道端で、先日までは遠慮がちに咲いていたホトケノザやオランダミミナグサが、一昨夜の雨の後の暖かな日差しに励まされてか、一気に茂り始め、河岸の猫柳の花穂の真っ赤な雄蕊も弾け、金色の花粉で飾られていた。
 目覚めるごとに春の深まりが肌にも感じられる季節である。
 一方、これは私個人の感じ方の問題かもしれないが、人の世は乱気流に弄ばれる飛行機のように行方定まらぬ未来へと向かっている。
 地球上のいたるところで人々はいざこざを起こし続けている。それぞれの都合を主張して戦争、そして人々は死に、生き残った者たちの中からまた戦争を企むものが現れる。ホモ・サピエンスはこうして今も地球上にあふれている。
 Zimmer, C (2003) は「地球上のあらゆる種の中で人間だけが他個体の考えていることを推測する能力がある」というが、この能力ゆえに猜疑心が起こり、そして戦争が起こるとすると、悲しい能力だ。
 Sudendorf, T (2013) はホモ・サピエンスは現生する霊長類の中で「心の中の時間旅行」ができる唯一の種で、これが彼我の間に横たわる大きなギャップだという。我々が過去を知り未来を推論できる存在なら、その思いを共有すれば、戦争の無い未来に到達できるのだろうが・・・・。
 「違法ではないから、まったく問題ない」といいはるような厚顔無恥の政治家がいるうちは望み薄だ。人が顔を赤らめるのはホモサピエンスに固有の特徴だとダーウィンも言ったが、そうだとすると彼らはホモ・サピエンスではないのだろう。


March 6、 2005: ホトケノザ
  北九州では季節外れの大雪になっているそうだが、こちらは曇りがちながら時おり明るい陽がこぼれ、ミツバチが軽やかな羽音を立てて飛び交う菜の花畑の縁には薄桃色のホトケノザの花が盛りになっていた。
 ホトケノザは主にユーラシア大陸の暖温帯と北アフリカに分布していて、北アメリカにも帰化している。オドリコソウと同じ属で、英語名はヘンビット・デッド-ネトゥル(鶏がついばむオドリコソウ)である。オドリコソウをデッド-ネトゥルというのは葉の形がネトゥル(イラクサ)に似ていて有毒の針を持たないからである。
 和名のホトケノザは、茎を抱く二枚の葉が合わさって仏像の蓮華座のような形になる故の名である。遠州ではクルマソーとも呼ぶが、これは対生する葉の上下で茎を切り取り、これを軸にして両の手のひらでそっと挟んでフッと吹くとくるくると回るからだ。岩手でカザグルマ、群馬でクルマグサ、瀬戸内でクルマグサと呼ぶのも同じ理由である。
 花は近寄ってみるとなかなか面白い形をしていて、筒の上部が唇形に分かれている。スプーン状の上唇にあたる部分の中にはそれぞれ一対の、長いオシベと短いオシベがあって、その後ろに先が二股に分かれたメシベがある。ハチがプラットホームの役をする下唇にあたる部分に降りて筒の中の蜜を吸おうとすると、その背中に花粉が付着し受粉もできる仕組みだ。また、蕾の中には開くことなく閉じたままで自家受粉をして種子を作ることができる、いわゆる閉鎖花もある。なかなかしたたかな生き残り戦略ではある。

 中国では宝蓋草と呼んでいて、筋肉痛などに効く薬草として知られている。 


March 6、 2010: シロバナタンポポ  Taraxacum albidum Dahlst.


 今日は啓蟄。目覚めた6時の外気温は14℃もあった。あいにくの春雨の一日となってしまったが、土の中や落ち葉の陰に潜んでいた虫たちも喜んだことだろう。

                 啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる      山口青邨

 この雨の啓蟄は予報されていたので、うらうらと晴れ上がった昨日、家人と連れ立って春の野を楽しんだ。
 道の辺の緑は目に見えて濃くなってきていて、切通しの斜面ではヒメカンスゲの白い花穂が温かな風に遊び、ハコベの黄緑の若葉の間ではニオイタチツボスミレの薄紫の花が競うように微笑んでいた。
 畦道ではオオイヌノフグリの空色の小花に取り囲まれて、シロバナタンポポが嬉しそうに咲き、その株もとのカラスノエンドウの若葉の上では、アリマキを探しているらしいナナホシテントウが忙しげにしていた。
 シロバナタンポポの分布の中心は近畿から九州だが、近年は中部地方でもよく目にするようになった。また京都では大変珍しい存在のようだが、近衛豫楽院が著した『花木真写』には正確に描かれているので、江戸時代の京都ではありふれたものだったかもしれない。このタンポポも5倍体無配生殖なので花粉を作る意味がなさそうだが、低頻度ながら形成されるバランスの取れたゲノム構成の花粉を蜂や蝶にたくして新たな種の誕生を期待しているのかもしれない。
 
                 啓蟄や生きとし生きるものに影      斎藤空華

 空華が見た「生きとし生きるものの影」は何だったのだろう。春光の下の物理的な影か。それとも、想像するほかないが、私が人類に見ている影もその一つのような気がする。
 米軍のプレデター(捕食者)もリーバー(死神)も、自爆攻撃を仕掛ける集団も、路上生活者を襲う者たちも、そして釜ヶ崎で年間100名もの路上死者を出し続けている社会に住むものも、すべて人類の黒い影であろう。



March 7、 2006: よそおう緋梅の林

 啓蟄も過ぎた今日は風もなく、少し歩けば汗ばむほどの温かさである。遠州の里も春たけなわの気配が濃くなってきた。
 親友のY君が、「E中学校のグラウンドに面した丘の斜面の林の一部が火の色に染まっている。何の木の花だろう、一緒に確かめに行こう」と誘ってくれた。
 二つ返事で連れて行ってもらうと、息を呑むほどのみごとさであった。急斜面に植え込まれた緋梅系の梅林がこのところの気温の上昇にすばやく反応して一斉に咲き始めているのだった。
 梅には桜や椿などと同様に300を越す園芸的に選別された品種があるそうで、私などには一つ一つを見分けることなどできるはずもないが、盆栽業者の平尾彦太郎氏が大別した4つの系統、野梅系、紅梅系、豊後系、杏系の区別はなんとなく分かる気がする。
 この林の梅は、紅梅系であるのは間違いないだろう。手持ちの図譜を開いてみた限りでは紅梅系の中の緋梅にあたりそうだ。
 
 これは余談だが、以前中国に滞在した折、学友の王さんが日本からもっていった梅干を見て「これは紅梅ですね」というので「いや、豊後梅という白梅ですよ」と答えると怪訝な顔をされた。後で分かったことだが、中国では赤く染めてある梅の実を紅梅、染めてないものを白梅というとのことであった。
 両国は同じ漢字文化圏だが、このような違いはけして少なくないので、お互いに気をつけないといけない。


March 8、 2005: ミツマタ
 菩提寺の庭でミツマタが咲き始めていた。南面した丘の斜面にあるその庭は暖かで風も優しく、ジンチョウゲ科に特有のあの甘い香りで満ちていた。確かに春になったのだと実感する香りであった。
 三叉する小枝の先を黄色の小さな手毬のような花序で飾り、遠くからでも一目でそれと知れる木である。白い子猫の手先を連想させる軟毛を被った筒状の蕾は外側から順に咲き始める。開けば蕾の外観からは思いもつかないような明るい黄色の花びらが現れる。そして、その花びらは見えるか見えないかという細い白い毛で縁どられ、霞んだようにも見える。
 花筒の入り口には4個の黄色の花粉袋がのぞいていて、色香にに引かれたミツバチたちの飛来を待っている。ふと思いつき、いささか無粋ではあるが花筒を裂いてみると、花粉袋は下にも4個あり、さらにその奥にはメシベが隠されていた。そして、これは何のためかはわからないが、最奥の緑の子房とメシベの境目にも細い白い毛が密に生えていた。

 すべては子孫繁栄のためであろうが、にわかには人智のおよばない美しくも精巧な仕組みであった。


March 8、 2013: カワズザクラ Prunus x kanzakura cv. Kawazu-zakura
 久しぶりの寒い冬を固い蕾で耐えてきた庭先のカワズザクラが、数日前からの4月並に暖かな陽射しを受けて、やっと花開いた。
 植物たちはまことに気温の変化に敏感である。この勢いではすぐに葉桜に姿を変えそうだが、しかし天気予報では週明けにはまた冬に逆戻りのようである。とすると、しばらくはこの優美な花を楽しめるにちがいない。
 振り仰ぐと桜色の背景は春霞した薄青色の空であった。
 このうらうらとした空には目に見える黄砂だけでなくいつの間にやら国産をはるかに超えた中国生まれのPM2.5とやらが紛れこんでいるようではあるが、放射性物質同様に五感での感知はし難い。
 
 3日後は3・11、さすがにこの日を忘れた人は未だいないようだが、もう済んだこととしている政治家たちや投機筋の人々もいるようだ。空しさを覚える。そして、2日後の3・10は、外国人は仕方ないとしても、ほとんどの日本人が忘れているように感じるのは悲しい。


March 9、 2006: ヒサカキ
 かつては雑木の茂る斜面に挟まれて小さな稲田が階段状に続いていた地形を利用して造成された市営の公園を友人と歩いた。数年前までは子供たちのためにかなりワイルドな遊びができる遊具がいくつも設置されていたそうだが、市の予算が逼迫していて保守管理も思うに任せず老朽化が進み危険になり、さりとて新たに設置することもかなわず、すべて取り外されてしまったそうだ。いずこの地方小都市でも見られるお寒い現実ではある。
 しかし、園内のおちこちに残った造成以前からの樹木が元気に生き残っているのは嬉しかった。
 ひときわみごとな常緑樹が小道の天蓋のように茂っていて、傍に行ってみると、幹の直径が20cmもありそうなヒサカキの古木であった。青味を帯びた香りが降りてきて、振り仰ぐと白い小さな花が開き始めていた。
    ひさかきの花をこぼして巫女とほる    飴山 實

 茂みの中からチュィーと鳴いて、巫女ならぬメジロの番が飛び立っていった。


March 10、 2005: オオイヌノフグリ
 春の光の中に続く野の道は空色の小花でちりばめられていた。目を上げれば、未だ冬枯れ色の残る山並みが、陽炎の向こうに霞んでいた。
 遠くから昼時を告げるサイレンの音が聞こえてきた。丘の向こうの工場からであろう。
 空襲警報のサイレンは何の役にも立たなかった。
 60年前の今日3月10日はアメリカ空軍の300機ものB29が、寝入っていた東京都民を焼殺すべく1800トンもの焼夷弾を投下した日だ。死者は10万人を超えたと記録されている。そして、広島、長崎。パールハーバーのお返しと世界の平和のためだと彼らは言い、休む間もなく韓半島で、インドシナ半島で、ナパーム弾を落とし枯葉剤を撒いた。そして、今も未だ爆薬の臭いと機銃の唸りのなかで人々が倒れ伏している。
 人々は3月10日を「東京平和の日」と呼び、広島の爆心には「許してください、過ちは二度と繰り返しません」と記した。自己反省を表明する謙虚な人たちがいて、恬として恥じない加害者がいる今の地球。
 隅田川の土手にも下町の小さな空き地にも、焦土と化したあの日に咲くはずだったオオイヌノフグリが生えていたに違いない。


March 10、 2010: ハハコグサ Gnaphalium affine D. Don.
 中国地方や東北に時ならぬ大雪と強風をもたらした二つ玉低気圧は北太平洋に去り、今日の遠州にはまた暖かい春の陽が射している。
 四日続いた春の雨にすっかり潤った大地は温もり、寒さに息を潜めていた野の草に生気を蘇らせた。彼方の、南アルプスの前山には霞が生まれていた。足元では、タンポポに隣り合ったハハコグサの蕾が金色に輝いていた。
 
  ははこつむやよひの月になりぬれば
          ひらけぬらしな我宿のもも  曽弥好忠

 ハハコグサといえば、よく知られるように正月に摘む春の七草の一つであるが、これは江戸時代あたりからの風習で、それ以前には平安時代の曽弥好忠のこの短歌に見られるように、3月の節句の餅草であった。

   花のさく心もしらず春の野に
      はらはらつめるははこもちゐそ   和泉式部

 先月27日午後にM.8.8の巨大地震がチリで発生した。その日の夜のインターネット上には日が昇って明るくなったコンセプシオンなどの惨状がUPされていた。ファンフェルナンデス島では4m(一部報道では40m?)もの津波で、エル・ユンケの麓のあのこの島唯一の村落が壊滅状態になっていた。かつて訪れたことのある懐かしい風景が消えていた。
 太平洋を渡っ日本列島に到達した津波は幸いなことに大きな被害をもたらすことはなかったが、津波警報を90%もの沿海域の人たちが無視したというのは、ちょっと意外だった。
 しかし、考えてみれば、間もなく巨大地震が発生するに違いないといわれるこの東海地方に住み続けている私たちも似たようなものである。

 ところで、普天間基地問題はどうなるのだろう。移設を打診されたヤマトンチュウの多くは声を揃えて「基地はごめんだ」という。ご免だというだけで、誰も代案を出さない。沖縄でも仕方がないということらしい。しかし、もし沖縄据え置きを現政権が決めたとすれば、公約違反も最たるものである。極東の安定のために米軍基地が必要だという選択を日本人がするのであれば、沖縄だけに負担を強いるべきではないだろう。

                    美ら海に大和人が軍用の空港作るは手込めの如し       向田哲彦


March 11、  2006: ショウジョウバカマ
 大げさな言い方かも知れないが、茶畑の裾の急な斜面は、氷河期の拡大する氷床を逃れた植物たちが辛うじて生き残ったレフュージア(避難地域)に似ている。そこには昔懐かしい里山の草々が細々と命を継いでいる。
 このショウジョウバカマもその小さなレフュージアで温かな春の陽射しを浴びていた。仲間の株の多くはすでに花茎を伸ばし、その先端には淡い桃色の6弁の花を咲かせていたが、晩生のこの株はやっと総苞を割って蕾が顔をのぞかせたところだった。蕾の中央の小さなお結びのような形の紫色のものは、花粉が運ばれてくるのを待つ無垢の柱頭である。
 この蕾を見たとき、私はある恥ずかしい経験を思い出していた。
 30数年前、初詣に出かけた成田山新勝寺の善男善女で賑わう参道には大小とりどりの露店が並び、その中にミズゴケで根元を巻いた”水石蘭”という名の花苗を売る男がいた。初めて聞くその名と、見たこともないその芽の形と線香のような香りに、好奇心をくすぐられて買わされてしまったのだが、それは根生葉をきれいにむしって香水で匂い付けしたショウジョウバカマであった。みごとにはめられたという次第である。


March 12、 2005: ネコヤナギ
 奈良は東大寺の二月堂でお水取りの仏事が行われ、善男善女が一年の無病息災を願って松明の火の粉を浴び、競って御香水をいただくころになると、佐保川の辺でもネコヤナギの銀鼠の花穂から伸び上がる真っ赤な葯がはじけて、金色の花粉がこぼれ始める。
 
    水ぬるむ田川の岸の猫柳ほほけて人に知られたりける    岡 麓

 昔はもっぱら川柳と呼ばれていたこのヤナギの標準和名が植物学者によってネコヤナギとされたのは明治時代になってからのことだという。
 しかし庶民にとっては、遠い昔から言い伝えられてきたそれぞれの土地の里呼び名のほうが本当の名前であろう。そしてその里呼び名は驚くほど多く、『日本植物方言集成』には130に近い名が集められている。この多さは、とりもなおさずこの植物が山村の生活の中でいかに近しいものであったかの指標である。

 静岡県下での里呼び名は、なぜか上に挙げた書籍には1例しか収録されていないが、野口英昭さんの『静岡県樹木名方言集』をみると、イヌヤナギ・オサルサン・チンコロヤナギ・ニャンニャン・ネコボンボン・ネズミボーズなどなど、白い綿毛で包まれた花穂の形から思いついたであろう名が挙がっていた。
 全国各地の呼び名も、身近な動物にたとえたものが圧倒的に多い。佐渡島のニャキャンなどは猫と犬が合体していて面白い。


March 12、 2012:  タネツケバナ Cardamine flexuosa With.
 昨日の最低気温は12℃と4月並だったが、今朝はマイナス1℃まで下がり、午後には霙を降らせた黒雲が通り過ぎた。 ラニーニャは消えたというが、相変わらず寒暖が激しく入れ替わる日々だ。
 9日に降り続いた雨がまだ溜まっている街中の側溝にタネツケバナの小さな白い花がたくさん咲いていた。足元には確かに春が来ている。

   種漬花の花の頚まで雨後の水   内山宏

 東日本大震災・原発メルトダウンからやっと一年が過ぎた。
 昨日はあの日の、世界中を震撼させた、津波とものすごさと原発の爆発の映像が、繰り返し放映されていた。じわりと湧き上がった放射能への恐怖感と、寒々とした無常観はまだ私の中で続いている。
 アスリートやアーティストたちの盛り上げに、にこやかに笑いあって「勇気をもらいました!ありがとう」といっていた人たちの心の奥はけして明るくはなってはいないであろう。慰める言葉を私は持たない。
 しかし世界中の多くの人が、被災した日本の人々のために祈ってくれた。これは、ひとえに第2次世界大戦後の日本が半世紀以上にわたって非戦の平和国家として世界へさまざまな貢献をしてきたことに拠っているのであろう。
 だが、この一年の日本では、世界の人々の祈りに応えているのは、被災したその人々と彼らを支え手を添えている庶民だけであろう。政争に明け暮れる者や自分たちことしか考えていない人々もこの国には少なくない。
            
 ゴリラの全ゲノムが解読された。その結果、1000万年前にゴリラとヒトーチンプ祖先が分岐し、600万年前、ヒトの祖先とチンプが分岐。西ゴリラと東ゴリラの分岐は175万年前、と Nature 483 (March 2012) はいう。その後、人類は何種類にも分岐したが、生き残ったのは現生人類、ホモ・サピエンスのみ。この現生人類も1万年ほど前からいくつかの遺伝子群で急速な分岐が始まっているという。“継ぐのは誰か”は興味あるところだが、タイムマシンが無い以上、私にはいかんともし難い。


March 13、 2010: クサイチゴ Rubus hirsuta Thunb.
  草いちごの幽かなる花咲き居りて
      わが歩みゆく道は楽しも     斎藤茂吉

 久しぶりの、雲一つない空の眩しさを楽しみながら、お気に入りの散歩ルートをあるいた。草ぐさは日を追うごとに背丈を上げ、色とりどりの小花が競い合うように咲いている。とある切通しの日のよく当たる斜面では、早くもクサイチゴが淡々と紅をさした白い5枚の花びらを開いていた。
 始めてこの花を目にしたした昔、その柔やわとした優しげな花に惹かれて、摘み取ろう手を伸ばし痛い思いをしたことを思い出した。バラには棘がつきものということを忘れはてていたのであった。
 
 歩みゆく春の野の道は真に楽しい。後何ほどあるのかわからない、私の“果てしある流れの果て”に向かう時の流れの道も楽しくあってほしい。だが、これは、日本という国、あるいはこの星に生きているかぎり、望み薄かもしれない。「それは、君、心の持ちようだよ」と識者にいわれても、今の私にはこのクサイチゴのように微笑むことができないのが悲しい。達観すなわち諦めだというのも情けない。


March 13、 2007: ツクシ
 さほ姫の筆かとぞみる土筆雪かきわくる春のけしきは   藤原為家

 陽のよく当たる土手の斜面では既に2月の中旬から頭をもたげていたツクシだが、気がつけばわが家の庭の片隅でも緑色の胞子を放ち始めていた。

 わたしが春風の中で、このスギナの繁殖器官であるツクシに出合うたびに思うことの一つは、進化と呼ばれる現象の不思議さである。
 スギナの祖先は、サクラやユリのように花を咲かせ種子で繁殖する植物が現れる遥か以前の4億年もの昔から存在し、石炭紀の森の中では10mを超すほどの巨木になっていたものもあった。現在の頼りなげな姿のスギナとは大違いである。
 しかし、その基本的な構造はサイズのみ縮小された形で数億年の時の流れを経て現在に継承されている。もっとも繁殖装置である胞子のサイズと弾糸という特殊な鞭のような構造は石炭紀のころのものとほとんど変わっていない。
 化石の記録をたどると、過去の地球上に出現した膨大な数の動物種と植物種の、なんと90%以上は絶滅している。我々が目にするものは姿形を変えて偶然に生き残ったものたちのしばしの宴にすぎない。そんな中で、どうしてスギナたちは古代の姿を留めたままで生きてこられたのだろう。
 あれこれの説はあれど、スギナの茂みに寝そべって太古の森に思いをはせれば、やはり謎は増すばかりである。

  つくつくし春野の草といふめればかすみも添へて家づとにせん  村田春海


March 13、 2011: 失われた里の春 ~ 東日本大震災

 11日の14:40ころ、石原慎太郎都知事が4月の都知事選に立候補する旨の記者会見がまさに始まろうとしているとき、TV 画面の中の会場が大きく揺らぎ記者たちが騒然となった。先日来幾たびか揺さぶられていた東北地方が震源の地震だろうと家人と話していると、我が家もゆったりと揺れ始めた。東日本大震災の始まりであった。
 当然のことながら、都知事選の話題はどこかへ飛んでしまって、映像は東京都内の騒然としたようすを流し始めた。
 間もなく、東北地方沿岸に打ち寄せる巨大な津波に巻き込まれ破壊され押し流される家や船や車の映像が、ヒステリックに叫ぶキャスターの姿とともに映し出され始めた。
 スマトラ沖地震の際の映像を見てその凄さはわかっていたつもりだったが、いま眼前にしているものは想像を絶した津波のエネルギーである。はじめてみる凶暴な巨大な生き物が恐ろしい速さで移動していているような感じであった。
 夜になると福島第一原発の1号炉の異常が伝えられ始め、炉心への給水ができず、燃料棒が露出する恐れが伝えられた。水温は100℃以上に達しているという。
 千葉ではコンビナートのブタンガスタンクが爆発炎上し、東京でも交通機関が全面停止となる。心配していた娘は1時間半ほど歩いたが無事に帰宅したとメールが来た。安心と不安を抱えて眠りにつく。
 翌日になっても原発の加熱と水素ガスの発生はとめられず、ついに14時頃には爆発し外壁が飛散した。そして夜に入るとついに炉心の溶融が始まった。そして、今日は3号炉まで給水冷却不能に陥っている。
 被災地の現状に、人々の悲しみ苦しみに、そして3日前までの静かな優しい里山の、いまその泥とごみにまみれた黒々とした姿に、胸ふさがる思いである。
 失われた芽吹きの春が、一日も早く帰ってくるのを祈るのみである。現地に出向いての手助けはなにもできないが、できることはないか思いを巡らせている。そして日本の国政に携わる人々には、この3.11の悲劇を真剣に受け止めて政争・派閥争いを止めて、復興に邁進してもらいたい。
 来るのは間違いないという東海地震と浜岡原発を抱えた遠州に生きるものとして、この地震を見つめていきたい。


March 14、 2005: スギ
 このところ日によって寒暖の差が大きい。一昨日は霜さえ降りた。 遠州の空っ風で知られた土地で、海岸線からは14kmほど内陸だが、3月になってから朝夕のひと時風が静まることに気づいた。まるで朝凪夕凪のおももちだ。海からは離れているとはいえ、途中には高くてもせいぜい海抜30m程度の丘があるだけだから、気象的には海岸なのだろう。
 そして、その低い丘にはスギの林が多い。そのためこの季節、その花粉が舞い始め、道行く人の多くがマスクで顔を覆っている。
 ある調査によると日本人の花粉症患者は全国平均で16.4%だが、東海地方では28.7%に達していて、これは第一位である。しかも昨年の猛暑の影響でこの春の花粉飛散量は例年の10数倍にもなるだろうといわれている。患者には苦難の春である。
 私が子供のころにはスギの雄花が花粉で丸々と太ってくるこの季節は”麹鉄砲”で遊ぶことができる楽しい季節でもあった。”こうじ”と呼んでいた雄花(正確には雄花の集まり)がやっと入るほどの細い篠竹を筒にして、削った竹ひごで押し出してプチンと飛ばすのである。顔などに当たると結構痛かったことを憶えている。
 しかし、今と違って複合汚染のなかった当時、花粉症などとは聞いたこともなかった。


March 15、 2009: イヌガシ Neolitsea aciculata

 中学校の修学旅行で見学したはずだがさっぱり記憶に残っていなかった清水寺を60年ぶりに訪ねた。
 ここでこけると2年以内に死ぬという二寧坂を恐る恐る(でもないが)登りきり、修学旅行生や中国や韓国からの観光客でごった返す三年坂で少し汗をかきながら、左右とも口を開いている狛犬の置かれた石段をやっとの思いで登りきり、久々の御開帳という千手観音を拝観して、なにやら少し傾いているように感じた舞台から市街地を眺めた。なるほど絶景ではある。
 眼下の林はまだ冬模様で、紅葉も桜もその芽は硬く閉じていた。
 帰路の緩やかな坂を下ってゆくと、それでも木蓮が純白の花びらを灰色の苞の破れ目からほんの少しのぞかせていて、その根本には朱色の花房を点々と細枝に飾ったイヌガシ(Neolitsea aciculata)があった。
 房総半島以西の暖地に分布していて比較的個体数の少ないクスノキ科シロダモ属の高木である。昔は薪炭材として利用されていたが、最近は花の美しさが認められ、刈り込んで生垣などに植栽されるようになっている。



March 15、 2007: ヒメカンスゲ
 花師匠が遊びに来てくれて、家人ともども花談義を楽しんだ。
 このところの”真冬の戻り”で野の花たちもとまどっているようだという話から、昨年の3月の中旬に咲いていた花は今年はどうしているのだろうということになり、師匠の車で近くの丘に連れて行ってもらった。
 車を降りて尾根筋に向かう道を行くと、どこからともなく青味を帯びた少し甘さを感じる爽やかな香りが流れてくる。ヒサカキの花が咲いているのだ。遠州の仲春の香りである。
 茶畑と宅地造成で切り刻まれた丘ではあるが、それでも辛うじて昔の植生の一部が生き残っている場所はある。そこが私たちの目指す場所である。
 昨年の3月5日に師匠と訪れたときはショウジョウバカマが咲き始めたばかりであったが、今年はすでにあちこちで20cmほどに伸びた花茎の上で、花粉袋を空にして子房の膨らみはじめた花が春の陽に光っていた。

 そのショウジョウバカマの隣では、ヒメカンスゲの1cmたらずの白い雄花がかすかな風にふるふると震えていた。


March 16、 2005: コデマリ
 花祭りといえば4月8日の仏生会に執り行われるのが一般的だが、近くの寺ではなぜか昔から3月の15日である。屋台が出て、植木市も立ち、檀家の人たちが集まってくる人々に甘酒をふるまう。昔は本堂の前に花御堂があって、子供たちがお釈迦さまに甘茶をかける姿もあったが、今は絶えた。
 植木市には今が盛りのサンシュユやアセビやマンサクなど春色とりどりの花木が並べられていたが、なかでも満開のコデマリの枝垂れが美しかった。普通は4月、サクラの花が終わってから咲くものなので、特別に早咲きする品種なのかと思ったが、聞いてみると温室の中で加温したものだという。花屋さんにとっては正月にも出荷できる都合のよいものだそうだ。
 コデマリは中国の江南地方が原産のバラ科の低木で、麻葉綉綫(ma・ye・xiu・xian)と呼ばれている。
 日本に入ったのは江戸時代になってからのようだが、元禄11年に出版された『花譜』にはその特徴が詳しく記されている。

   夕庭にこでまりの花咲きそめて
              そよゆれつつも暗みゆくなり   岡 麓


March 16、 2010: コブシ Magnolia praecocissima Koidz.
「あら!あれってコブシとちがう?」
 連れ立って散歩をしていた家人が、まだ30m以上も向こうの、西方保育園の門前で真っ白な花を咲かせている大木を目敏く見つけて、小さな声で叫んだ。 近寄ってみると、なるほどコブシであった。
    辛夷咲き琺瑯の空ゆらぎおり   森 澄雄
 富士川以東ではありふれた木なのだが、なぜか遠州地方では佐久間や春野町などの北部山地以外には分布していない。沿海の低山帯は暖かすぎるのだろうか。このあたりでは庭園にもほとんど植栽されていない。この季節に大きな白い花の咲いている木は99%以上がモクレンだといってもよいほどである。
 したがって、この里に育った私は、大学生になって東京に出た春に、はじめてこの木を知った。重厚な面持ちのある大陸生まれのモクレンとちがって、爽やかでいかにも日本の花といった風情であった。
 それにしても、これほど大きく育ったコブシをこの街中で目にすることができるとは、まことに思いがけない出合であった。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/soushun-hana.html#kobushi
http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/kongetu.no.hana-2.html


March 16、 2013: 一葉松 Pinus thunbergii Parlatore f. uniaculeus

 数年前に歩いた京の街中の画像を整理していたら、面白いものを見つけた。
 すっかり忘れていた1コマである。
 知恩院の庭に植栽されていた “一葉松”である。
 クロマツではあるが、長枝に輪生する短枝には普通に見る2針葉ではなく1針葉がつくという初めて目にしたものであった。
 愛知県稲沢市の盆栽用の苗育成家が実生から見つけ出したものを造園業の富田彦一さんが育てて、法然上人800年大遠忌への供物とし植樹したものだという。
 「二心ない誠実さ」そして「余念のない一心」な信仰心を示すものとして寄進されたものだろう。

  かなり珍しいもののようなどで、調べてみると、稀ではあるがクロマツでは一株で枝によっては1針葉も3針葉も見ることができるようだ。機会があったら私も観察してみよう。それにしても針葉の数はどんな遺伝子のコントロール下にあるのだろう。2針葉のアカマツ、5針葉性のハイマツやヒメコマツにも針葉数の変異があるのだろうか。


March 17、 2006: シキミ -2
 昨夜からこの明け方にかけて、安眠できないほどの強風が吹き荒れた。通りを挟んだ西側に病院が新築され、そこへの4,5本の送電線が2階の窓の高さに引かれたため、風を切る音が時おり断末魔の悲鳴のように響いていたが、夜の白む頃には日ごろの静寂が戻り、丘の向こうから日が登ると、庭のセンダンの残り少なになったチーズ色の実を啄ばんでいたイソヒヨドリが首をかしげて身を震わせた。
 昨夜の予報と打って変わった、静かな温かな春の朝になったので、明日の彼岸の入りを待たずに墓参に出かけた。
 菩提寺の庭ではモクレンが花の盛りで、フジザクラはすでに散り始め、花の香りをこぼしているヤブツバキの茂みでは数羽のヒヨドリが吸蜜に精を出していた。
 昨年は2月の末にはすでに花の盛りが過ぎていたシキミの古木をたずねてみると、この冬の厳しい寒さのせいであろう、やっといくつかの花がほころんだところであった。

  目白啼きてほのかに人を思ひ出づ
              櫁の花の匂ふ山かげ    岩谷莫哀


March 18、 2005: スズメノヤリ
 咲き始めている春の草ぐさを求めて畦道を歩いていると、刈り残された藁色の稲株が整然と並ぶ田起し前の水田から、ゲ・ゲ・ケーとけたたましい叫びを上げてキョウジョシギ(京女鴫)が飛び立った。思わず、「あ、御免、邪魔するつもりはなかったのに」とつぶやいてしまったほどの激しさだった。
 気を取り直して、改めて足元を見ると、一株のスズメノヤリが咲いていた。
 スズメノヤリはイグサ科の小さな草で、極東地域に広く分布している。見掛けはカヤツリグサ科のものと似ているが、茎が丸くて、集まって咲く小さな花には6枚の花びらがあるのですぐに区別できる。
 草の名を憶え始めたころ、私はしばしばこの草とイネ科のスズメノテッポウとを混同していた。というのは、この草からヤリ(槍)を想像することができなかったからである。真っ直ぐについと伸びたスズメノテッポウの花穂の方が槍を思い起こさせるからであった。その後、スズメノヤリの槍は大名行列の毛槍に因んだものと知って納得した。
 昔は飢饉になるとこの草の実を集め粉に挽いて食べたそうだ。地下茎は芋状になっているのでシバイモと呼ばれることもある。


March 18、 2010: ハクモクレン Magnolia heptapeta (Buchoz) Dandy
  木蓮の花許りなる空を膽る    夏目漱石
 「見上げると頭の上は枝である。枝の上も、
                  亦枝である。---」 (草枕)

 弥生、櫻に先立って咲くこの美しい花には、私にとっての悲しい思い出がある。
 大学3年に進級する年の3月31日、私は久方ぶりに古希を迎えてほどない父と酒を酌み交わしながら白黒の石を並べあっていた。50年もの年齢の開きのある二人の間には、暖かな血のつながりはあっても、華やいだ会話の弾む共通の話題はなかった。私は翌朝から出かける大台ケ原の原生林に思いをはせ、父は父で、おそらく翌日の法廷での弁論のことでも考えていたのであろう。
 酒盃が倒れ、卓上にほのほのと湯気が立った。
 一瞬、音が絶えた。
 老いた父が倒れた。
 医師がかけつけ、血圧が測られ、冷たく光る細い針が、蒼白く浮き上がった静脈へ射され、透明な液体が注がれる。
 空白の時が流れる。血圧240。意識戻らず。尿毒症を併発。酸素吸入。
 親類縁者が集まり、家の中は音のない騒然の気に満ちる。
 翌日の夕刻、父は他界した。義姉とまだ高校生だった妹が泣き伏す。母の目は涙の底に沈んでいた。次第に冷たくなってゆく父の柔らかな手を握りしめながらも、私は泣けなかった。鳥肌が立つような寒々しさを覚えていた。
 その夜、通夜の落ち着かぬ席を抜け、私は一人、冷酒を満たしたコップを手に、月明かりの庭に出た。
 芳香にふと顔を上げると、満開の白木蓮の花枝が黒い空の中に浮かんでいた。
 その時、突然に何の前触れもなく私は嗚咽していた。とめどなく涙が溢れた。一気にコップを空け、私は肩を震わせて立ち続けていた。

 次の日、火葬場からの帰路、タンポポやカラスノエンドウやホトケノザなどの咲く田舎道を、白布に包まれた骨壷を抱いて歩いた。
 骨壷は温かであった。あの温もりを、私は今も覚えている。


March 18、 2014: カケガワザクラ
               Prunus jamasakura Sieb. et Zucc X P. cerasoides D. Don.

 TVのローカルニュースのキャスターが、掛川城の下を流れる逆川の土手でカケガワザクラ(掛川桜)が満開だと話していた。初めて聞く名前だったので、早速この目で確かめようと、このところ出不精になってきた家人を誘って花見にでかけた。ネットで検索したところ、この名前は一昨年春に掛川市の緑化委員会が命名して宣伝を始めたものとわかった。

 その目的の桜は、逆川の両岸に植栽されていた。花の盛りはすでに過ぎ、散り敷いた花びらが土手の斜面をピンクに彩っていた。
 並木の中ほどに設置された解説板によると、開花の始まりがカワズザクラより一週間ほど遅いのが特徴で、どうやらヤマザクラとカンヒザクラの雑種らしい。そういわれてみれば、確かにカンヒザクラ的な風情もある。もっか、専門家が研究中だというが、原木は10年ほど前に市内の造園業者が山中で発見したものだそうだ。
 推定の両親種を交配して実生苗を作る試みはしているのだろうが、結論はなかなかでないことだろう。
   
 3.10も3.11も国は形式的な儀式で済ませ、当事者たちの心は置き去りにして、我々の脳裏からもファイドアウトさせてゆく気のようだ。
 だが、そうはさせまじと願う若者たちもいる。
 13歳の中学生石原一麦さんは「安倍首相は赤信号を無視しないで」と、17歳の福島の高校生小野絵理佳さんは「子孫を残してもいいのだろうか」と、深く心を痛めている。
 STAP細胞の件は残念だ。小保方晴子さん一人がマスメディアから責められている構図だが、13人もの共著者は何をしていたのだろう。彼らも厳しく責められるべきだろう。学位を取って間もない駆け出しの研究者の手伝いをし論文にも目を通していたのではないのか?それとも、研究費配分の関係で名を連ねただけなのか?


March 19、 2006:  トサミズキ  Corylopsis spicata Sieb. et Zucc
 米国が強引にはじめてしまったフセイン・イラク解体戦争は今日3年目を迎えても収まる気配はなく、ますます混迷の度が増している。開け放たれたパンドラの箱からはいまも禍の瘴気が立ち昇り、その一部がまるで毒蛇の舌先のように極東の国々を舐めはじめている。これは私だけが感じている幻覚だろうか。
 そんな思いを振り払って、夜来の雨が上がってしっとりとした庭にでると、白い軟毛を被った淡い黄緑色のトサミズキの花が開き始めていた。静かな優しい春の一日の始まりである。
 トサミズキは日本の固有種で、しかも高知県の蛇紋岩や石灰岩のある山地にのみ自生している。観賞用に栽培され始めたのはかなり昔のことらしく、江戸時代中期のものと推測されている京都の冷泉家に伝わる”花貝合わせ”のなかにもこの花が描かれている。
 1823年に来日したシーボルトもこの植物に興味を持ち、ツッカリーニとの共同研究の結果 Corylopsis spicata という学名をつけて『日本植物誌』に載せている。
 なお、庭木としてヨーロッパへ導入されたのは1864年のことだという。
 


March 19、 2009: ヒュウガミズキ Corylopsis pauciflora
 あれから6年、アメリカでは大統領が代わり、思うように行かなかったイラクの泥沼から足を抜くことを決めたというが、その抜いた足の第一歩をあろうことかアフガニスタンというもう一つの泥沼に下ろそうとしている。かつてソ連がほうほうのていで逃げ出した場所である。テロリストを根絶するためというが、憎悪を増幅するだけであろう。
 真夜中の吹き荒れる風雨の音を聞きながら、こんな私にはいかんともし難い人類の悲しさを思った。だが、いまスペースラボの最終組み立てをしながら宇宙を飛んでいる若田さんたちは地球を見下ろしながら希望に満ちた人類の未来を信じているのだろうか。
 夜来の雨は止み、春の光があふれる庭に出ると、満開のヒュウガミズキが薄く香った。
 トサミズキとともにシーボルトが『Flora Japonica』でヨーロッパに紹介した花木で、当時はアオモミと呼ばれていたという。トサミズキが高知県特産なのでこちらは日向に因んだものかと思ったが、九州には分布せず、京都から冨山にかけての日本海よりの蛇紋岩山地が原産である。丹波の名君、明智日向守光秀の日向に由来するのかも知れない。


March 19、 2008: カンヒザクラ  
 何が目的で始めたのか、いまとなっては開戦を命令したご本人にも分らなくなっているらしいイラク戦争が今日で5年目を迎えた。だが事態はいまだ混迷を極めている。開戦を進言した亡命イラク人も、パンドラの箱の蓋を開けてしまったと後悔している。
 この間に4000人以上の米軍兵士が殺され、イラク人におよんでは17万人いやそれ以上が殺され、200万人もが難民となって国外に逃れ、国内で寄る辺なくさすらう人々も200万人におよぶという。
 このまま内戦が始まり、戦火は中東全域を巻き込んで、火種が燃え尽きるまで続くのではないか。こんな心配をするのは私だけであろうか。

 63年前の3月10日未明、、東京も米軍により絨緞爆撃を受け、10万人余の住民が焼き殺された。時の帝国日本の為政者に敗北を認めさせるだけのために。
 この日、新宿御苑の庭ではいつもの年より花色の濃い、真っ赤なカンヒザクラが咲いていたという。


March 20、 2005: ジンチョウゲ
 人里を行けば、いずこからともなく沈丁花が香ってくる季節になった。
 その香りは一言でいえば”芳香”なのだが、気温や昼夜の違い、さらには香りを利く人の心情によっても、それは微妙に変化する。不思議な花ではある。
     沈丁花匂い仄かに風の市        吉田丙五郎
     ある時は沈丁の香のみだらなる    土山山不鳴
     闇濃くて腐臭に近し沈丁花       野澤節子
     授乳の目とぢし日向の沈丁花     福田甲子雄
     沈丁やをんなにはある憂鬱日     三橋鷹女
 中国が原産の低木で、日本に入った時期は定かではないが、『尺素往来』や『専応口伝』にこの名が出ているから室町時代の中ごろまでには渡来していたのだろう。
 チュンベリーが付けた学名は Daphne odora である。ダフネはギリシャ神話に登場するニンフの名前だから、このニンフが放つようなよい香りの木という意味かと思ったら、ちょっと違って、豊国秀夫編『植物学ラテン語辞典』によるとダフネは月桂樹のラテン名だった。つまり、月桂樹によく似た葉を持つ香り高い木、という意味らしい。
 と思ったのは私の早とちりかもしれない。
 よく考えてみれば、ニンフのダフネが好色アポロに追い詰められて変身した植物がクスノキ科のゲッケイジュだという説は定着している。では、どうしてリンネはゲッケイジュの属名をLaurusとしてDaphneをあてなかったのだろう。
 リンネはギリシャ神話でダフネが化身した植物が高木になるゲッケイジュでは似つかわしくなく、古代地中海域の人々が“小さなゲッケイジュ”と呼んでいたジンチョウゲ科の低木のグループにこの名をあてたのだろう。
 やはりジンチョウゲの放つ芳香はニンフのダフネのものなのだろう。


March 21、 2005:  ノミノフスマ
 昼少し前、地震のことなどまったく心配していなかった九州北部が強震に襲われた。玄界島のあの風情にとんだ家並みが無残に崩れ落ちている映像は、昨年の秋の山古志村の惨状を彷彿とさせた。 東南海沖地震のような巨大地震はある程度予測することが可能になったが、震度6前後の中規模地震は予測不能で、日本ではいつ何処で起こっても不思議はないのだと第一人者は胸を張ってコメントしていた。
 先日は東京直下型の地震の被災規模の予想が発表されていて、それによると都下、それも比較的狭い都心で、200万人程度が動きが取れない状態になるらしい。これは、阪神を始めとする最近の地震災害とその後の救援活動の実態から考えると、もはや手も足も出ない地獄の出現である。
 日本列島の上で生活している以上、現状では運を天に任せるしかないのであろう。いやなら逃げ出せだが、庶民としては”運天”の人生も味があると開き直るしかないか。
 で、とりあえず思考停止して、春彼岸の墓参にでかけた。
 丘の中腹にぽつんと一つ取り残された、スダジイの大木が覆いかぶさる墓所に登る小道の際に野の草々にまぎれるようにノミノフスマが咲いていた。
 ハコベの仲間で、花もよく似ている。だが、葉の幅が狭く、ハコベのように茎を抱きこむような葉がないので比較的わかりやすい。
 ノミノフスマは”蚤の衾”と書くように、その小さな葉を蚤の寝具とみなした名である。
 ハコベの仲間は世界中に分布していて家畜の飼料にするほか野菜や薬草として利用されている。ノミノフスマそのものの分布は東アジアに限られるが、中国では天蓬草と呼び風邪や痔疾の薬としている。


March 21、 2010: ツクシ - 2 Fertile stems of Equisetum arvense L. 
今日は春分。明け方まで降っていた雨はすっかり上がり、明るい陽を浴びて歩いた田起こしが始まった稲田の畦には、びっくりするほどの数のツクシが、柔らかに温もった土を抜けて空を目指していた。
 
 いづこにもまず春さきのこほしきは
         土筆の萌ゆる土とぞおもふ   土田耕平

 よく知られているように、このシダ植物の分類学上の名はスギナである。これは春から初冬までたくましく茂る、光合成がもっぱらの、スギナ(←ツギナ=継菜)と呼ばれてきた栄養茎が本体で、ツクシ(←ミオツクシ=澪標)はひと時の花と見るからである。
 しかし、昔から人の目を惹いてきたのは、茂ったスギナではなく、花であるツクシだったようだ。
 源氏物語の早蕨巻にも、二条院に入った中君のもとへ山の阿闍梨から「蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、これは、童の供養じて侍る初穂なり」と、雪解けの山郷で摘まれたツクシなどの春草の籠が届けられている。

 ところで、ツクシに土筆を当てるようになったのはいつからだろう。鎌倉時代の文永3年の丹波大山荘文書案にこの漢字が使われているので、そのころからであろうか。中国では土筆は下絵書きに使う筆のことで、これをツクシに当てたのかもしれないが、日本独自の発想のような気もする。ちなみに現代の中国では一般に問荊(wen-jing;尋問に使う鞭)と呼び、筆頭草(bi-tou-zao)ともいう。

 ツクシを楽しんで歩いていると、急に日差しが消え、視界が黄ばんできた。昨日から注意報が出ていた黄砂がやってきたのだった。今まで経験したことのない濃さで、肌に砂粒がつくのが感じられるほどだった。昼ごろには峠を越したようで、空に青さも戻ったが、黄土高原にはよほど長い間雨が降っていないのだろう。
 帰宅して朝刊を開くと、人工衛星“いぶき”が観測した地球陸地全域のCO2濃度分布図が見開きで載っていた。おや?と思ったのは高濃度地帯は人口の密集地ではなく、砂漠地帯だったことである。そして際立った低濃度地域は熱帯雨林の残るコンゴやアマゾン北西部であった。これは緑の力の大きさを如実に示しているのだと思う。都市や工場のCO2排出量を規制することはそれとして、人類は森林の保全回復に全力を注ぐことの緊急さを示していると考えられる図であった。



March 21、 2011: ジロボウエンゴサク Corydalis decunbens (Thunb.) Pers.
 今日は春分の日。いつもの年ならソメイヨシノの開花を待つ人々が、その蕾の膨らみ加減を探って頭上を見上げながら、ご先祖さんに近況報告やお願いをしに墓参に向かっているはずである。だが、今年の春は何と重苦しく胸痛み不安に満ちていることだろう。人々の顔は曇りがちである。
 いつになく多くの参拝者がいた鹿島神社の社寺林の床で、木漏れ日を喜ぶようにジロボウエンゴサクが咲いていた。 昨年の今頃は満開だったハクモクレンは、今年はやっと綻びはじめたところだが、この花はいつになく開花が早い。気候にたいする反応は種によってさまざまなようだ。
  福島第一原発原子炉の破壊は最もひどい状態に陥ってもチェルノブイリのような炉心爆発には至らないようだ。だが、半径50kmの範囲までは深刻な状態となる可能性は棄てられないらしい。そこまで行かないで押さえ込まれることを期待したい。
 浜岡原発の安全性についても、今日、知事や自治体の長と中電との話し合いがもたれた。近隣の長たちは当然ながら、絶対安全と自信を持っていまここで断言できないのなら直ちに止めろと迫っていた。だが・・・・。


March 22、 2006: 連翹 (シナレンギョウ Forsythia viridissima
    連翹のまぶしき春のうれひかな   久保田万太郎
  いまや昔日のように、切なさを伴った春の憂いを覚えることは残念ながらないが、わが身にとっては果てしある時の流れの、その消え失せた後の世への憂いはぬぐい難い。そして「それは杞憂というものですよ」という元気のよい若い声も聞こえてこない。
 しかし植物たちは、なべてこのよはこともなし、といった風情で、太古から繰り返されてきた春に花ひらいている。確かに彼ら彼女らにとっては人の世のざわめきなど邪魔臭いだけなのだろう。
 わが猫額の庭でもスイセンやアネモネやショカツサイなどが咲いているが、ひときは賑やかなのが若葉に衣替えを始めたカワズザクラの下で満開になった連翹である。
 日常的には連翹と呼んですませているが、分類学的にはいくつかの種類が区別されていて、わが家のものはシナレンギョウというものらしい。シーボルトの『日本植物誌』にも描かれている、典型的なレンギョウはまだ目にしたことがない。
           行過ぎて尚連翹の花明かり   中村汀女


March 22、 2013:  ケヤキ Zelkova serrata Makino
 風ながれ芽ぶききらめく欅らよ
    野はかくたけくいのち敷きたり  坪野哲久

 いささか寝坊して、日が昇ってから、門扉の脇の郵便受けの新聞を取りにでると、庭に涼やかだが甘い香が流れていた。大分個体数の増えたヒヤシンスの香だった。
 その春の香に背中を押される感じで、ほんとうに久しぶりに二人で散歩をした。
 路傍には未だ冬の名残の枯れ草も多いものの、ホトケノザやオランダミミナグサなどが咲き、伸び上がってきたツクシたちを取り囲むようにスズメやカラスノエンドウが緑の褥を広げていた。
 振り仰ぐと、かすかに霞をおびた青空を背に、ケヤキの古木の枝先が、淡く色づいていた。

 長閑な里の春である。

 だが、私の心のに映る人の世は相も変わらず騒然としている。
 自爆テロは止む気配もなく、かろうじて押さえ込まれている原発の釜の蓋は一匹の鼠の自爆で開きかけ、宜野湾の漁業権は札束で買われ、「屈辱の日」は「独立を祝う日」にされる。デフレ、インフレ、自転車操業。核兵器にサイバー戦争。なんともはやヒトという生き物はである。

 今日、東京上野や千鳥が淵ではソメイヨシノが満開になったという。
 だが、ここ遠州ではまだ二分咲きほどである。今年の桜前線は複雑に入り乱れているようだ。


March 23、 2006: ヒメウズ
 いつどこから紛れ込んだのか、わが家の庭石の陰でヒメウズが咲いている。立春を過ぎたばかりのまだ寒気が厳しい頃から葉がひろごりはじめていたのだが、春分を境にしてにわかに白い細かな花が目立つようになった。
 ヒメウズは姫烏頭のことで、草姿が小さなトリカブト(烏頭)に似ているからだという。だが私にはこのなよなよとした頼りなげな姿からあの猛毒のトリカブトを連想することは難しい。中国にも分布していて、あちらでは天葵と呼んでいるが、これもなぜそのような名になったのか理解できない。 私の感覚が普通ではないのかもしれないが、これは置くことにしよう。
 学名を Aquilegia adoxoides あるいは Semiaquilegia adoxoides というように、植物学的にはオダマキに近縁である。そう知って、開いた花をルーペで拡大して観察してみると、なるほどオダマキの花のミニチュアである。違うところといえば、オダマキに特徴的な鉤型に曲がった苣が見当たらないことである。しかしよく視ると白いが少し紅を帯びた5枚の蕚の間から、内側の開ききることのない花弁の基部にある申し訳程度の苣が覘いていた。


March 24、 2006: スモモ
 遠白くすももかたまり咲く見つつ
             風あらぬ野をあゆみ近づく   谷鼎
 花友だちが散歩の途中で見つけたというキツネノカミソリの群生地へ案内してもらった帰り道、遠くに広がる茶畑の片隅に、真っ白な花を雪を被ったように咲かせている木があった。一瞬、満開のユキヤナギの大株かと思ったが、車から離れて近くへよってみるとスモモの大木であった。
 スモモは中国が原産地ということになっているが、現時点では野生状態のものは発見されていないという。中国名は”李”で、この名は漢代前期あるいはそれよりも早い時代に編まれたと考えられている『爾雅』に見ることができる。一方、和名のスモモは”酢桃”の意味で酸味が強いからというのが通説である。
 スモモがわが国へ渡来した時期はウメよりも遅く、『日本書紀』の記述などから推古天皇の時代ではないかと言われている。中国では桃と李は春を代表す花木だが、日本での受けは今ひとつで、万葉集ですら大伴家持の詠んだ1首が載録されるのみである。 


March 25、 2006: ソメイヨシノ
 この冬は遠州でも数十年ぶりという低温の日々だったので、ソメイヨシノが咲き始めるのは4月も中旬にまでずれ込むのかと思ったのだが、なんと暖冬だった昨年よりも早く開花が始まった。
 2月になってからは例年以上に気温の高い日が繰り返されたので、積算温度としては開花に十分だったからだと解説されていた。積算温度がある線を越せば開花が始まるというのは経験的に確かめられていることだろうが、ソメイヨシノは身体のどこで積算をしているのだろう。たぶん花芽の中の細胞だろうが、日々に変わる気温の積をどのように記憶するのだろう。遺伝子そのものは変わりようがないのだから、ある時期に遺伝子の指令で作られた感温性のタンパク質が少しずつ構造変化を引き起こさせ、最終的な完成した構造になると開花生長を開始するように別の遺伝子に働きかけるのであろうか。解明される日は遠くはないだろう。
 かく人間は余計なことに頭を使う生き物だが、ソメイヨシノにはかかわりのないこと。花は咲いて虫たちを喜ばせ、そして実を結ぶことがすべてであろう。雑種のソメイヨシノにも小さいながら桜ん坊ができる。


March 25、 2008:  カタヒバ  ここにはまだ冬が

 静岡でも東京でもソメイヨシノが開花した。
 このところ最低気温が7℃以下になることがなく、春は本番となったが、北側の山陰にはまだ冬が居座っていて、紅葉したカタヒバが岩肌を覆っていた。
 カタヒバはイワヒバ同様に盆栽などに植え込まれることのあるシダ植物で、宮城県以南の各地の山地で見られる。韓国南部から中国、台湾、東南アジアまで分布している。
  日本では観葉植物だが、中国では金扁柏などと呼び、解熱剤や止血剤として利用している。またインドネシアではカタヒバによく似たカウダータカタヒバの若葉を野菜として利用するそうだ。

  うららかな日差しを浴びて桜がほころび、木の芽が冬の衣を脱ぎ捨てて身じろぎを始めている、そんなすばらしい季節が来たというのに、若いヒトは狂う。土浦ではゲームをなぞったような無差別殺傷を、岡山では刑務所に入りたいからとホームに立っていた会社員を入ってきた電車に向かって突然突き飛ばす。こんな狂い方をする生き物は他にはいない。ヒトは何処へ行くのだろう。



March 25、 2012: カキドオシ
               Glechoma hederacea L. subsp. grandis (A. gray) Hara
 春雨が、やがて雨戸を叩くほどになったが、一夜明けると窓の外には光る風が渡っていた。
 野に出ると、枯れ草を褥に冬を耐えたカキドオシが、遠慮がちに咲いていた。

 奥の細道ここにはじまる垣通し 西本一都

 芭蕉が奥の細道へと旅立った“弥生も末の七日”、深川の庵の垣の下にもカキドオシの花が咲いていたのだろうか。
 
 垣通つる伸びきって村痩せる   遠藤煌

 あれから三百猶予年、曾良をともなって蕉翁が歩んだあの古の道の所々には、東電の所有物ではなくなった放射性物質が降り、無住になった村々は草に覆われている。
 しかし、その村々の、昨年の弥生も末の日より、通る人の絶えた道の辺にも、カキドオシは今も咲いているにちがいない。
 
 朝日新聞の書評欄に紹介されていた『世界を騙しつづける科学者たち』を、福岡洋一さんの訳ということと原発暴走についての諸説紛々の昨今ということもあって、早速に読んだ。いささか、期待はずれであった。ことに、原著タイトル~Merchants of Doubt~をこの邦題に訳したことには、私のようなおっちょこちょい読者が誤解することを期待した、出版社の売らんかな精神の発露と感じた次第である。


March 25、 2015: シロガネスミレ
               Viola mandshurica W. Becker f. hasegawae Hiyama
 この季節、アスファルトで舗装された歩道とそのわきの側溝の壁とのあるかなきかの隙間に点々と咲くスミレに出合えるようになる。
 今日はその中に、唇弁に薄く紫線が走る真っ白な花を咲かせた複数の個体を見つけた。
 東京都立大の講師として牧野富太郎さんの残した40万点にも及ぶ標本の同定を精力的になさった檜山庫三先生が白金台で採集されて命名したシロガネスミレのようだ。
 図鑑によればかなり稀な存在のようなので、目ざとい山草屋に持っていかれないことを願う。
 そんな心配を後にして、久しぶりに登った常葉の丘では、モミジイチゴの白い花が星座のように並び、シバヤナギが黄緑の細長い花穂を連ねて嫋やかに揺れていた。 
 温暖化現象の進行によるといわれる地球規模での自然環境の変化はみられるものの、この遠州の地での春は、ありがたいことに、穏やかに繰り返されている。
   しかし、人間社会の権力争いや流血沙汰は、一向に収まる気配がない。
  これがホモ・サピエンスの特徴か。S.ピンガーの『暴力の人類史』に挙げられるうんざりするほどの殺し合いの歴史を見ると、残念ながらそう思わざるを得なくなる。アインシュタインさんも「第3次世界大戦では持てるすべての兵器が使われるだろうが、第4次世界大戦は棍棒と拳で戦うことになるに違いない」と心配している。とはいえ、T.ズデンドルフが『現実に生きるサル・空想を語るヒト』 のなかで説くように、ヒトは心の時間旅行者であるとすれば、歴史を学び理想の未来の構築を目指すはずである。しかし再び歴史を振り返ると、ヒトという動物の群れにはその能力がないのでなないか、と私には思えるのである。そして、現在の日本の政治家たちや無関心な若者たちを見るにつけ、「歴史は学ばれない、忘れ去られるのみ」というバーナードショウの警句が思い浮かび、春の甲子園野球開会式で一糸乱れずに行進する球児たちの朗らかな姿が学徒動員のあの悲壮な行進と重なって見えてしまうのも悲しい。
 


March 26、 2006: 台所畑は花盛り
 うらうらとした、これぞ春だという一日だった。野を行くと甘い香りが漂ってくる。
 田舎道に沿って点在する農家の入り口近くには決まって数種類の野菜が栽培されている台所畑があって、季節柄もう収穫時期が過ぎて薹が立って花が咲き始めていた。その香りだった。
 その多くは、濃淡はあるものの黄色の花を咲かせるアブラナ科の野菜である。「野を懐かしみ・・・」というような気分で漠然と眺めれば、何れも同じハナナなのだが、目を寄せて観察すれば、それぞれの葉の形が違うように花にも微妙な違いがあることがわかる。
 しかしこれらのハナナの祖先は一つで、数万年前に人類が定住を始めて身近に台所畑を作り、野生種を植え始めたそのときのある1種が出発点だと考えられている。つまり、台所畑で人類に選択されて進化した植物というわけだ。だからお互いにまだ濃い血のつながりがあって、人手が加えられずに放置されればたちまち花粉が交じり合ってどちらとも決めがたい中間型の子孫が生まれてくる。これを”化け菜”と呼ぶ人もいる。

                       写真は左から、キョウナ、ブロッコリー、ハクサイの花。


March 26、 2014: ユキヤナギ Spiraea thunbergii Sieb. ex Blume

   月うるむ地にただようて雪柳    石原八束
 庭先のユキヤナギが満開となった。おぼろな月の光の下でも白々と明るい。
 関東地方以西の山地の渓流に沿った岩場に自生するバラ科の潅木だが、現在は野外で目にすることは難しい。既に江戸時代には広く庭園で植栽されていて、『和漢三才図会』には糏花(こごめばな、小米花、古々女波奈)の名でその特徴が説明されている。これより少し古い『大和本草』にある笑靨(ココメ)花は「花シゲクシテ白キコト雪ノゴトシ」だが「葉マルクシテ・・・」とあるから中国から室町時代に渡来したシジミバナのことらしい。そういえば、ユキヤナギも中国が原産地だという説もあった。自生といわれているものがいずれも人里かかって人家があったと思われる地域に見だされるからだという。しかし人里に茂る植物のすべてが渡来種だというわけではない。もう半世紀も前のことだが、カラクサシダをもとめて歩いた栗山川の清流の岸辺に沿って、残雪を思わせるほどの白さで茂っていたユキヤナギは、とても逸出したものには見えなかった。
   ちればこそ小米の花もおもしろき   莫二


March 27、  2007: ノミノツヅリ
 アスファルト舗装の車道とブロック敷きの歩道との境目の、高さ10cmほどの段差に吹き寄せられて溜まった土の帯の上に、直径3mmほどの白い5弁の花を咲かせた薄緑色のハコベのミニチュアのような草の塊があった。
 ナデシコ科のノミノツヅリであった。属名がアレナリア(Arenaria)が砂を意味する arena に由来するのもこのようなわづかな砂地にも生えるからであろう。
 原産地はユーラシア大陸で、日本には遥か古代に人間に付着して入り込んだ史前帰化植物だと考えられている。いまでは世界中で目にすることができる植物の一つとなっている。
 ノミノツヅリという和名は”蚤の綴”という意味である。綴は布切れを継ぎ合わせて作った衣類のことで、小さな小さな丸い葉を蚤の着物と見立てたものだという。
 屈み込んだり寝そべったりしないと気がつかないほどの小さな野の草から蚤の着物を連想した人は、きっと楽しい童話も書ける人だったのではないだろうか。


March 28、 2006: イヌガラシ
 春風に誘われて牛渕川の土手を歩いた。老朽化しているから、渡るのなら自己責任でという意味の行政サイドの注意喚起標識のたっている橋の下にはよく澄んだ流れがあるが、小魚一匹も目に映らなかった。水温がまだ低すぎるせいであろうか。それとも水質の汚染が進んでいて魚たちを寄せ付けないのであろうか。
 それでもしばらく目を凝らしていると、なにやらうごめくものがある。水流に逆らって水底の餌を捜しているらしい小さなイシガメであった。いささか救われた思いで橋を渡りきることができた。
 しばらく行き、まるで斑雪のように真っ白な花を咲かせているタネツケバナの群落に惹かれて土手の下の休耕田に降りてみると、遠目では気づかなかったイヌガラシも明るい黄色の4弁の小花を開き始めていた。
 イヌガラシは人里植物の一つで、日本全土に分布するが、印度、東南アジア、中国、韓国でも普通に見られるアブラナ科の多年草である。クレソン(オランダガラシ)と同じ芥子成分が含まれ、ネパールなど各地で野菜として調理されている。生で食べることもできる。中国では全草を咳止、胃薬、黄疸などに薬用している。


March 28、 2008:  ニワウメ
 そろそろと、冬に遠慮するようにやってきた春は、いまやたけなわである。
 昨夜の雨でアンズの花は残り少なくなったが、李、花桃、染井吉野は満開で、お気に入りの野の道は明るく輝いている。
 その道の途上に、私がこちらに来て間もなくの春のある日に、庭仕事をされているところへ声を掛けて以来の花友であった、今は亡きNさんが独居されていた屋敷がある。その門前にはNさんが手を入れられていた郁李(ニワウメ)が今年も優しく微笑んでいた。
    曙や郁李の匂ふ家の前     青木月斗
 中国原産の人の背丈足らずの低木で、長江以南の山地に自生が見られる。わが国へは室町時代以前に渡来していたらしい。
 赤く光沢のある直径1cmほどの果実は食用されるが、その核は郁李仁と呼んで利尿に使う。また、整腸効果もあるという。
 中国原産にもかかわらず日本の杏(Prunus japonica)という意味の学名をもつが、これは命名者のチュンベリーが日本原産と思い込んだからである。


March 28、 2010: ドウダンツツジ  Enkianthus perulatus (miq) Schneider

 どうだんの白鈴の花日を振りて    猿山木魂

 雨模様だという予報が外れて、青空がのぞいた。満開に近いソメイヨシノが並ぶ、その丘の麓の小さな公園では、プラチナ細工の小さい鈴のようなドウダンツツジの花が咲き初めていた。
 伊豆半島以西の太平洋側の山地に自生する低木だが、春の花も秋の紅葉も美しく、しかも樹形が整え易いこともあって江戸時代にはすでに庭園に植栽されていた。
 ドウダンツツジという和名のツツジはわかりやすいが、ドウダンとはなんだろう。
 江戸時代に太田全斎が著した方言辞典『俚言集覧』にこの木の別称として“どうだいつつじ”が収録されていて、これをもとに『大言海』では“どうだい”すなわち“とうだい:燈台”で、ここからの転訛で“どうだんつつじ”となったとある。ここでいう燈台は、雛飾りにも使われている、篝火を支える3本足の器具のことである。すなわち、ドウダンツツジの三叉に分かれる枝の形状に因んだものというのが定説のようだ。

 歳時記を見ると“満天星”と漢字表記してドウダンと読むようだが、満開の花時のようすを的確に捉えた命名だとおもう。中国には分布していない植物なので和製の漢語なのだろう。
 それにしても、満天星と呼ぶに至った中国の伝説を実しやかに紹介している書籍があるのは解せない。


March 29、 2007: フッキソウ Pachysandra terminalis
 野の花というわけにはいかないが、最近となりに開業した病院の植え込みのグランドカバーのフッキソウに花が咲いていた。

 目立たない花なので、ほとんどの人が気がつかないようだ。雌雄異花で、花茎の下部には数個の雌花が、上部にはたくさんの雄花がついている。雌花は緑色の花柄の先に白い羊の角のような柱頭がある子房が乗っているだけの単純なもので、雄花には薄いベージュ色のガクがあるもののやはり花弁がない。目立つのはオシベで、パキスアンドラ(太いオシベ)という属名が表わすように、真っ白な太い花糸とその先端の茶色の葯だけの花のようにみえる。縫いぐるみの白い羊の足を連想するという人もいる。

 私がこのツゲ科の匍匐性の低木を見知ったのは信州の戸隠神社の森の中であったが、図鑑を見ると北海道から九州に渡る山地の林床に分布するとあるので、さほど珍しいものではないようだ。
 しかし、伊豆・駿河から遠州にかけての地では神社仏閣の庭などで栽培されていたものが逃げ出して広がっているる記録はあるが、富士山麓以外には自生地の報告はない。

 中国では長江流域に分布していて長蕊三角眯と呼ばれ、解毒・解熱の薬効があるといわれてきた。

 植物地理学では昔から注目されていて、同じ属のもの数種がアジアと北アメリカに隔離分布していることから、氷河期の生き残り、いわゆる周極要素の一つだと考えられている。


March 29、 2009: ヒカゲツツジ Rhododendron keisukei
 このところ数日は冬将軍が忘れ物を取りに戻ったらしく、霜注意報が出るほどの寒い朝が続いている。我が家の庭でも今朝は3℃まで下がった。しかし、寒さが戻る前の異常なほどの暖かさが効いているのであろう、ヒカゲツツジが満開に近い。
 そういえば、昨日静岡からの帰路の車窓から見た、大山崩れの北斜面の藪の中でも、例年になく早くヤマブキが咲き誇っていた。

 昨年夏までの予想を超えた原油価格の高騰を受けて政府が思いついた高速料金の値下案だったが、秋に入ると価格が下がりその必要も薄れたところで、こんどはリーマン・ショック。総選挙を控えて人気取りに汲々とする与党は安直にこのお蔵入りしかけた値下案を復活させた。
 なにしろ高速料金がどこまで行っても1000円ということで、特定給付金とあわせて思わぬボーナスと勘違いした素直な庶民はいそいそと出かけているが、結局は5兆円の税金が注ぎ込まれるのだから、自分の足を食べて腹の足しにしている蛸のようなものである。おまけに大量のCO2を放出している。やれやれである。


March 30、 2006: ウグイスカグラ
 また寒さが戻ってきた。農工大で開催された育種学会の分科会でLycorisの交雑による種形成についての話をしてくれというので出かけた府中市は真冬並の今にも小雪が舞ってきそうな冷たさであった。
 始めて行く場所だったので早めに出かけたため、開演前の時間をもてあまし、キャンパスの中を散策した。
 植栽された木々は大きく育ち、そのまだ冬枯れの梢から梢へとエナガやシジュウカラが渡っていた。だが、その林床は春色濃く、シャガやヤマブキが咲き、ウグイスカグラが薄紅色の小さなラッパを、展開してほどない若葉を並べた細い枝から吊り下げていた。
 ウグイスカグラは日本の固有種で北海道南部から九州にかけての山地に分布しているが毛の多いものから無毛のものまでさまざまな変異があり、写真のように葉にも花にも毛がないものをウグイスカグラと呼んでいる。
変わった名だが、ウグイスは鶯で、この鳥が鳴き始める頃に咲くからだというのが通説である。とはいえ、この季節に咲く花は他にもある。一方”カグラ”の語源についても諸説紛々で、鶯が隠れる(ガクレ)が転訛したともいう。


March 31、 2007: コスミレ
 一昨日来、急に温かさが増し、昨日の最低気温は17℃もあった。足踏みしていた桜の開花も爆発的に進み、遠州でも満開になったところが多いようだ。
 いつもの散歩道沿いの菊川の土手も若草色で染まって、花たちの彩りもにぎやかになったが、やはり明るい黄色のセイヨウタンポポの頭状花やひょろひょろと伸び上がった枝先に咲いて揺れるカラシナの金色の十字花が目を引く。
 だが、足元をと見れば、緑色の胞子を飛ばし終わって気の抜けたような姿でややうなだれて立っているツクシたちに取り囲まれるようにして薄い青紫の花を咲かせたスミレがあった。Viola japonica(日本のスミレ)という学名をもらったコスミレであった。
 いがりさんの『日本のスミレ』によれば、低地の人里に多いスミレの一つだが、花の色や形に変化が多くて観察者を悩ませるスミレらしい。生育地にも幅があり、比較的標高の高い山地の半日陰でも見かけることがあるという。写真の株は花色が薄い個体である。


March 31、 2009: タラノキの芽 Shoot of Aralia elata
  楤の芽を起こして行くや風の韻 
  一日遅れで読んだ朝日歌壇に、服部じゅんさんのこんな素敵な句が選ばれていて、庭の片隅でひょろりと伸びたままになっているタラノキのことを思いだして様子を見に立った。見上げると綿雲が浮かぶ霞がかった青い空を背景に柔らかな煉瓦色をした若芽がかすかに揺らいでいた。長閑である。
 春の自然の遷り行きはまことに長閑ではあるが、人の世わが身に思を返せば、長閑どころではない。
 天声人語氏は幸田文の書いた「身の納まり」を紹介していたが、わが身がどのように納まるのか、はなはだ心もとない。幸田の書いた畳職人のように若い者の手本になるような納まりは考えもしないが、心臓や血管が壊れる前に動けなくなる事態もありうるだろうし、ころあいを見計らって幕を引くという選択肢もあろう。人生設計などという結構な言葉があったが、結末を決められないのでは設計などできない。
 やはり花鳥風月を愛で、ほかの事を考えるのはよしたほうが幸せというものか。


April 1、 2008: シバヤナギSalix japonica)とモミジイチゴRubus palmatus var. coptophyllus)
 満開になった高田ヶ原のソメイやオオシマザクラを眺めに登っていった丘の藪は芽立ちのときを迎えていた。
 ヒサカキの花の青味を帯びた香りが降りてくる小さな崖の下で振り仰ぐと、枝垂れかかるシバヤナギには子猫の尾のような花穂が連なり、モミジイチゴの長く伸びた枝には純白の花が萌黄色の若葉を背にして微笑みかけていた。
 シバヤナギはjaponicaというチュンベリーが与えた種小名からもわかるように日本特産のヤナギで、関東地方南部から東海地方にわたる比較的狭い範囲の浅山に分布しているが、遠州地方ではごくありふれた存在である。チュンベリーは標本は長崎で採集したと記しているが、これは彼の記憶違いで、たぶん江戸参府の途中に箱根あたりで採集したものだろうといわれている。
 モミジイチゴもよく目にする木苺の1種だが、その黄色に熟した果実は、おそらく日本に産する野生の苺のなかでは最も美味なものといってもよいだろう。というわけで、かつて家人の要請で庭に持ち込んだことがあったのだが、実を楽しむより前にその旺盛な地下茎による繁殖力と鋭い棘に恐れをなして、まことに勝手ながらお引取り願った。

 日本の政治に関してはほとほとあきれ果てている昨今だが、今日もまたあきれることがあった。道路特定財源の無駄遣いと関連公益法人の点検をするための「外部有識者」のメンバーに国交省と密接な天下り財団のトップの梅田氏が加わっているという。おかしいではないかという声に氏は「肩書きに応じて人格を使い分けている。中立の立場は貫ける」と答えたそうだ。開いた口がふさがらない。ブータンを旅しているとき関野吉晴さんが「腐った民主主義より、賢い君主による王政のほうが人々を幸せにできる」とつぶやいていたことを思い出していた。


 April 1、2010: ヤクシマアセビ 
            Pieris japonica (Thunb.) D.Don. var. yakushimensis Yamazaki
   アブシンベル神殿へ登る坂道で拾ってきた種子から育てたブラッキキトンは15歳で身長6mにもなったが、未だ花を咲かせてくれない。対照的に、その根元で毎年のように花穂を立てるヤクシマアセビは、少しも背丈が延びない。
 ヤクシマアセビは屋久島の標高1000m付近に自生するアセビの変種で、昔から盆栽などに仕立てて栽培されている。大きくならないというのは、小さな島の高地という厳しい環境への適応の結果であろうが、花穂もアセビのそれのように下垂せずに立ち上がっているのは背の低さを補う、花粉媒介者へのアッピールではないだろうか。
 動物地理学の分野では、島嶼化といって、島に隔離された大型の動物は小型化することが知られていて、2004年10月にネイチャーに発表された約12,000年前までインドネシアのフローレス島に生存していてチンパンジーほどの脳容積で身長1mていどのホモ・フロレシエンシスもその1例ではないかといわれたが、植物では、いくつかその例に挙げられている種があるもの、全体としてみると、動物ほどには顕著ではない。
       
 米軍基地問題はどうなることやら、である。3月末には決定するといっていた鳩山総理は今日の党首討論会で「腹案は決まったが、発表はできない」と見得を切っていた。小沢幹事長は静岡県連の意向を無視して参院選への二人立候補を強行するという。私のような素人から見れば、二人とも落選する可能性のほうが高い。


April 2、 2007: カタクリの里、香嵐渓


 「草の友会」の皆さんと愛知県豊田市足助町の香嵐渓に咲く春の花を眺めに行ってきた。
 三河湾でとれた塩をはじめとする物資を信濃へと運ぶための古代からの”塩の道”に沿った渓谷で、秋の紅葉の美しいことで有名だが、近年は”カタクリの里”としても名が知られるようになり”花見客”も多くなったようだ。
 
 山も谷も、日本海を越えて飛来した黄砂で煙ってはいたが、ときどき木漏れ日の舞う林床には色とりどりの春の花が微笑んでいた。


 お目当てのカタクリは、巴川とその支流の足助川に囲まれた飯盛山(254m alt.)の北西斜面に大群落を形成していた。今年は例年より一週間ほど早く咲き始めたそうで、やや峠を越した感じではあったが、それでもその美しさを堪能できた。
 何万個体もが急な斜面を覆うように群生し、朝のうちまで降っていたらしい雨の雫を葉や花びらに留めて、きらきらと輝いていた。

林床を彩っていた妖精たち

ニリンソウ タチツボスミレ

ヒメカンアオイ

ショウジョウバカマ

マルバコンロンソウ

ムラサキサギゴケ

ヤマネコノメソウ

ネコノメソウ

ヤマルリソウ

キツネノボタン

ジロボウエンゴサク

ナベワリ

ムラサキケマン

新緑への序章


マルバアオダモ

コブシ

ボケ

ミツマタ


April 3、 2008:  タチツボスミレ(Viola glypoceras) と ニオイタチツボスミレ(Viola obtusa)


 今朝も気温は低く、我が家の庭では6℃まで下がっていた。毎年のようにこの季節にやってくる花冷えの日々である。とはいえ、日が昇ればうららかな一日が始まり、野の道ではカラスノエンドウやホトケノザなどの小さな花たちが優しい風にかすかに揺れて微笑む。
 散り始めたソメイヨシの丘ではタチツボスミレとニオイタチツボスミレの花に会えた。
 柔らかな空紫の花を散りばめるタチツボスミレは北海道から琉球列島までの低地や山地にごく普通に分布しているスミレで、尾形光琳の『草花図屏風』や近衛豫楽院の『花木真寫』などにも見事に特徴を捉えて描かれている。遠州でも里山で出会う機会が最も多いスミレである。
        片岡の日向に咲ける壺すみれ松の落葉にうもるるもあり
 スミレは詩歌に詠まれることが多いが、スミレの仲間は日本だけでも50種以上が記載されているので、歌人や俳人が眼にしているそれがどの種なのかを読み取ることはなかなか難しい。しかし、この藤沢古実の見た“壺スミレ”はタチツボスミレに違いない、と思う。
 一方、ニオイタチツボスミレはタチツボスミレと似てはいるが花の色が濃く葉や茎には細かな毛がめだち、なによりも香りが良い。こちらも分布は広く北海道から九州までの山地で目にすることができる。

 朝刊に尖閣諸島の魚釣島で30年前に日本の某政治団体が持ち込んだ番(つがい)のヤギが繁殖して、小さな無人島で独自の進化を遂げていた植生が絶滅に瀕しているという記事があった。ふと、エデンの園を追われたアダムとイヴの子孫によって崩壊の瀬戸際に追い詰められている地球上の自然のミニチュアではないかと思った。ヤギの駆除の嘆願書を生態学会などが出したそうだが、アダムとイブの子孫の駆除の嘆願書もどこからか出てきそうではある。 



April 4、 2006:  イカリソウ Epimedium grandiflorum Morr.
 
  一昨日は雨に降り込められ、昨日は昨日で台風並みの強風が吹き荒れ、御前崎では風速30mが測定されたほどのさんざんな日であったが、今日はそれが嘘だったかのような穏やかで暖かな晴天となった。
 師匠が新タマネギを手土産に遊びに来てくれて、家人と3人で久し振りのガーデンティーを楽しんだ。庭の花もほっとした風情で微笑んでいる。
  こちらに居を構えたときS種苗の重役さんからいただいたイカリソウも今年はやっと花を咲かせてくれた。
  4年ぶりの開花だというと、師匠は「それは直射光が当たりすぎることと肥料不足の所為だろうと」いう。そう指摘されてみればなるほどである。
 イカリソウ談義に花を咲かせるうちに「私が見つけてある白い花のイカリソウが咲いているかもしれないよ」と師匠が言い出し、さっそく現地へ案内してもらった。
 たどり着いた谷戸の北面した斜面に、その花はほころび始めていた。乳白色のまことに清楚な花であった。この辺りではなぜか赤いイカリソウを目にすることはないと師匠は言う。面白い分布パターンだ。

 なにはともあれ、今日は幸せな一日であった。


April 4、 2015: イカリソウー2 Epimedium grandiflorum Morr.
 碇草煎じつつぞ思ふ誰も誰も
    老いて静けくなりたるときを   鹿児島寿蔵
 13年前に友人が持ってきてくれて更地状態に近かった庭の飾り石の影に植え込んだイカリソウが、このところよく咲いてくれる。植え木が茂って日陰をよく作ってくれるようになったせいなのだろうか。
 お隣の国ではこの草を“淫羊藿(いんようかく)”と呼び、薬草として利用されてきた。唐代に蘇敬によって編まれた『新脩本草』には“淫羊藿”の名の由来が書かれている。それによると、現在の四川省にあたる西川の北部に一日に100回も交尾する“淫らな羊”がいて、その羊が好んで食べていたのが“藿”と呼ばれる豆に似た葉の草だったことに因んだものだという。この“藿”がイカリソウだということになっている。というわけで、中国では古代からこの草には強壮・強精作用のあると考えられてきた。
 平安時代に深江輔仁が著した『本草和名』にもこの故事が紹介されていて、大和ではヤマトリクサ(也末止利久佐)と呼ぶとある。山鳥草という意味だろうか。イカリソウという呼び名は鎌倉時代以降のことらしい。この名は花の形が碇に似ているからというが、一説にはその薬効を表すともいう。鹿児島寿蔵の句もこのあたりを言いたいのだろう。


April 5、 2005: ニラモドキ
 グワヤキルからパナマシティ経由でヒューストンに降り立ったのは昼を少し回った頃であった。 コンコースに置かれた、颯爽と風を切るようなブッシュ・パパの立像に辟易させられながら、昨夜オロ・ベルデ・ホテルで視たTVニュースのことを思った。尖閣諸島と竹島を巡る日中韓三国間のあの問題についてのレポートであった。
 広東省やソウルでの激しい領土主張のデモ行動と「困ったことですね~」と他人事のように薄ら笑いを浮かべる彼の国の首相を放映していた。
 領土とは、国境線とは何なのだろう。庶民が死を賭してまで守る価値のあるものだろうか。
 脊椎動物の多くはテリトリーを巡る争いをする。それは自らの遺伝子を残すための雄の行動であり子を守るための雌の行動である。しかしそれが死を賭してまで行われることはまずない。
 しかし人類の国を単位としたテリトリー争いは異質である。国家とは何かと深く考えたこともなく、問い詰められれば困惑してしまう庶民が、その国のためと思い込んで血を流して争う。それは思うに、国という徴税収奪単位を維持しコントロールすることにより美味しい思いをしている少数の集団の利益を守るための悲しい戦いである。ならば、それを無くせばよい。だが、それがまことに難しい。
 こんなことを考えながら、イミグレーションで指紋採取と顔写真撮影をされて、鍵をかけないで預けたスーツケースを受け取って外に出ると、乾いているが温かな空気に包まれて心が和んだ。ここヒューストンも春のさなかであった。森の小道にはスミレやハコベなどの見慣れた顔の野の花が咲いていた。その内の一つがニラモドキであった。北米が原産地なのだが日本でも逸出帰化している。一見ニラに似ているのでこの名がつけられているがニラのようなネギ類特有の香りはない。


April 5、 2012: 卜伴椿と雨蛙
            Cameria japonica "Bokuhan" and Hyla japonica Gunther

 春の嵐というにはあまりにも強烈は風雨をともなった寒冷前線が通り過ぎた後は冬模様の冷たい朝が戻った。
 とはいえ、日が射せば、やはり春で、農家の生垣に咲く卜伴椿(Cameria japonica "Bokuhan")の側には、訪れる虫を待つらしい雨蛙が、うっとりとした、ちょっと眠そうな顔で座っていた。
 この椿はヤブツバキから選抜された園芸品種だそうだが、栽培の歴史は古く享保4年(1719)に著された『公益地錦抄』にも紹介されていて「花形しまりてしやんとして中くらゐの小りんひとへ花中一はいにちやせんしべあり・・・・」とその特徴が書かれている。この本では茶筅状のオシベはすべて紅だとしているので、これは“日光”と呼ばれる型で、画像のような白いシベのものは“月光”というそうだ。
   椿葉のかぐろ厚葉の日の光
      真赤の花がこぼれんとすも  古泉千樫 
 今日は、あれれ~?と思うニュースがあった。
 数日前まで大飯原発の再稼動は考えられないといっていた枝野経済産業相が、暫定基準が決まったから福井県に説明して再稼動を要請するという。おまけに、官房長官は現地の同意は法律上必須ではないと言い放った。



April 6、 2006: アリアケスミレ
 庭のあちこちで有明の空のように花の色が変化に富むというアリアケスミレが咲き始めている。
 4年前に最初の一株が出現したときには嬉しくなって何枚となく写真を撮ったものだが、昨年辺りから急に増えだして、いまや花壇の中やら植木鉢の中やら所かまわずに顔をのぞかせている。これほどの繁殖力があるとは知らなかった。
 結構大きな株に生長するので、適当に間引いているのだが、どうもその間引く手が滞りがちになるのが増殖を止められない原因ではある。というのも、このスミレはあの美しい南方系の蝶、ツマグロヒョウモンの幼虫の食草ということで、採りきってしまうのはかわいそうだという意識が働くからである。家人は気味悪がるが、黒地に真っ赤な模様の入ったおっとりと動く幼虫はそれなりに美しいと私は思っている。
 ところが、昨年まではこの季節になると、風の止んだ暖かな日には、このツマグロヒョウモンの越冬した個体が舞い降りてきてくれたものだが、今年は未だ一頭も現れない。この冬の厳しい寒さで冬越しができなかったのだろうか。ちょっと心配だ。


April 6、 2013: アケビ Akebia quinata (Thunb.) Decaisne

 小学生たちの通学路にもなっている宇東跨線橋に続く長い石段を登っていくと、左手の雑木林の中に、真っ白な蕚片を朝日に輝かせたアケビの花房が、かすかに揺らいでいた。
 足早に通り過ぎていった春の嵐にソメイヨシノは散り果て、早くも里桜が満開になろうとしている。
 だが、飛散した放射性物質がまだ人々を寄せ付けない、あの浪江町の泉田川堤防では、ことしも万朶の桜が空しく散り敷いている。
 現役を退いて10余年、遅ればせながらやっとヒトという生き物の心の多様さを認めることができるようなったが、達観の域にはほど遠いようだ。
 怒りという感情が湧くことはなくなったが、理不尽さに不愉快になることは少なくない。
 例えば、政官と一体になった三菱重工業の企業連合がトルコで原発建設の受注を確実にしたというニュースなどは不快でいらだたしい。2年前の原発暴走以来国内では脱原発をとなえながらの売込みである。ネットを検索すると同じ思いの人も結構いる。あるドイツのご婦人は「日本人はおかしい」と顔をしかめていた。


April 7、 2005: ヒメオドリコソウ
 清明も過ぎ、ソメイヨシノも満開となり、まさに春たけなわである。

     清明や翠微に岐る駅道   松瀬青々

 早春の間は日当たりを求め、縮こまるようにして咲いていた野の花たちも一気に元気になり、のびのびと草丈を上げて、空に向かって笑いかけている。
 ヒメオドリコソウもそんな野の花の一つで、このところ目だって茂り始めている。
 
 和名は姫踊子草ということだが、あまり踊子らしくない。同じ属に花の形が笠を冠って踊る踊子を連想させるというオドリコソウがあり、それよりずっと小さな草姿ゆえに付けられた名である。
 元来はヨーロッパを故郷とする草だが、いまや北半球に広く分布している。先日通りすがったヒューストンの道端でも目にした。日本に帰化し始めたのは明治時代のようで、松村任三さんが「明治26年、東京駒場ニ於テ検出」と当時の植物研究雑誌に発表している。


April 7、 2011: ウグイスカグラ -2 Lonicera gracilipes Miq. var. glabra Miq.
 水道山の坂道を登りきったところにあるF家のイチイの生垣の間から、若緑と小さな薄紅色の花をちりばめた細い枝群が顔をのぞかせていた。近寄ってみると、スイカズラ科のウグイスカグラであった。
 北海道南部から九州にわたって広く分布しているが、遠州の山野ではあまり目にすることがない。杉本順一先生の『静岡県植物誌』によると掛川市の西郷地区の山地に記録があった。
 花見の季節に、遠慮がちに藪陰に咲く目立たぬ花木ではあるが、ふと目をとめれば、その思いがけないほどの優しさに人々は魅了される。そのためであろう、この潅木は昔から庭園の片隅に植栽されたり盆栽として親しまれている。

 うぐいすかぐら咲くよと囲む尾根の道 上野蕗山

 福島原発は終息に向かう気配がない。日本人は古来水に流すのが得意だったが、放射能汚染水は流してはいけない。

 だが、いまや、人体には直ぐには影響ないと言って、地獄の釜(原子炉)から漏れた水を垂れ流している。それなのに、TVでは脳天気なお笑い番組を流している。人々が暗くならないためだという。しかし私には明りがみえない。



April 7、 2014: カタクリ Erythronium japonicum Decne.
 片栗の花ありこゝも日のかすか   細見綾子

 ソメイヨシノは満開を過ぎ、その散り敷いた石畳を踏んで、撮ったすぐあとに画像を消去するように記憶の残らない家人を連れて、茶畑の侵食から免れているカタクリの花を見てきた。
 撮った写真は帰宅後すぐにプリントし、家人の外付け記憶装置でもある小さなアルバムに並べた。

 静原の山べの森の下かげに
      ほのぼの咲ける片栗のはな  新村出

 新村の愛でた北洛の静原の里のカタクリが今でも健在か否かは知らないが、牧之原台地のそれは小さな公園の東斜面の、フェンスで囲まれた2,000㎡ほどの落葉樹の林床で保護されている。
 静岡県植物誌をみると、遠州ではカタクリは稀な存在だが、それでも明治維新で碌を離れた士族の「金谷開墾方」が見捨てられ荒原となっていたこの台地に入植した当時には、珍しくはなかっただろう。

桜が散れば、春はもう残り少なです。「野の花便り~仲春~」はここで幕とし、あわただしく過ぎてゆく残りの春に咲く花たちを「野の花便り~晩春~」としてご覧いただくこととします。

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