BANSHUN

野の花便り ~ 晩春 ~

南風にかすかな遠州灘の香りが運ばれてくるころになると、広ごり始めた柔ら葉を容赦なく叩く春の驟雨が唐突に通り過ぎるようになります。季節は駆け足で移り始め、何処からか舞い込んで来た桜の花びらもいつの間にか消え、野には白い花が目立ち始めます。

行く春に散り敷く花の香を惜しみ

索引  アオキ アツバスミレ アマドコロ  イスノキ イチョウ イロハモミジ イワヒトデ イワボタン
 ウバメガシ ウワミズザクラ オオジシバリ オオギバセントウソウ オシドリザクラ 
 カキドオシ ガクウツギ カジイチゴ キブシ キランソウ キンラン ギンリョウソウ クサボケ
 クリハラン クロモジ ケキツネノボタン コオニタビラコ コナラ ザゼンソウ サルトリイバラ
 サンショウ セッコク ゼンマイ シコクハタザオ シュンラン 白花のカラスノエンドウ
 シロバナヤマブキ ジロボウエンゴサク シロヤマブキ  シュロ スズメとカラス  スミレ
 ダイコン  タガラシ タチイヌノフグリ ツメクサ ツルナ ナシ ナツグミ ナツトウダイ
 ハウチワカエデ ハナノキ ハハコグサ ハルリンドウ ヒカゲツツジ  ヒトリシズカ
 ヘラオオバコ ホウチャクソウ ホソバテンナンショ ミツバアケビ ミヤコワスレ
 マルバコンロンソウ  ミヤコグサ ミヤマハコベ ムラサキケマン モチツツジ モミジイチゴ
 ヤブデマリ  ヤマキケマン レンゲソウ  

追加:

13/04/12 ウワミズザクラ  13.04.20 ヘラオオバコ  13.04.27 サンショウ
13.04.30 シュロ
14/04/13 ムラサキケマン
  14/04/18 ミヤコワスレ  14/04/25  ナシ
15/04/13 ツメクサ   15/04/22 アツバスミレ  15/04/30  ミヤコグサ


April 7、 2007:  ならここの里のカエデの花 ~イロハモミジとハウチワカエデ~

 ”里山を歩く会”の皆さんと原野谷川上流の井尻”ならここの里”の春を楽しんできた。
 大尾山の南斜面の林に埋もれるように点在する家々の畑地には濃淡の微妙に違う花桃がいまを盛りと咲き零れ、まさに桃源郷の面持ちであった。
 路傍にはカキドオシ、ムラサキケマン、ジロボウエンゴサク、キランソウ、オヘビイチゴなどが咲き、林縁の日陰にでは光沢のある葉に抱かれるようにしてミヤマシキミの白い花穂が立ち、カンスゲがひっそりと咲いていた。

 足元に気をとられすぎたなと、目を上げれば、落葉樹たちは新緑の森への変身に余念がない。その緑は私たちをはじめさまざまな生き物を喜ばせてくれるが、植物たちにとってはまた来る年に子孫を残すための準備である。
 そして、春の芽立ちとともに咲く花は、昨年の夏に茂った葉が蓄えてくれたエネルギーを使って命を新世代へ伝えるための見事に構築された器官である。

 頭上では、時おり吹きわたる春の風に、黄緑のコナラや赤銅色をしたアカシデの尾のような形をした花穂が泳ぎ、イロハモミジやハウチワカエデの赤い小さな花がゆうらりと揺らいでいた。

イロハモミジ ハウチワカエデ


April 7、 2010: クロモジ  Lindera umbellata Thunb. 

 枯れ山に花先んじて黄に咲ける
     黒もじのえだ折ればにほひぬ  中村憲吉

 昨日、里山を歩く会の方々と、3年ぶりに“ならここの里”の春を歩いた。
 この3月で廃校になったという原野谷小学校の、飛び跳ねさんざめく子供たちが消えてしまった校庭には、50数年前の校長が植栽したというソメイヨシノの古木たちが、静に花を散らせていた。
 人造湖を巡る遊歩道に沿った林ではスルガテンナンショウが薄緑の鎌首をもたげ、芽吹き始めているヤマグワの枝に絡んだアケビは、秋に熟す実のミニチュアのような色と形の葯をもった雄花の房をゆらし、頼りなげな細枝に沿って、杯状に開いた数枚の萌黄色の葉の下に小花を集めて、クロモジが香っていた。

 黒もじのうす黄の花にやはらかき
      雨ふりそゝぎ春の暮れゆく   木下利玄

 クロモジは渡島半島以南に分布するクスノキ科の低木で、モチバナノキやモチギノキなどと呼んで小正月の餅花をこの木の枝に刺して飾る地方(群馬、伊豆地方、近畿地方など)がある。クロモジという呼称はこの木から作る黒楊枝に女房詞の“もじ”をつけたことに由来するというのが通説だが、枝にある黒い斑点を文字に擬えたことに因むという説もある。
  
 今日 R. Preston の "The Wild Tree" を読み始めたら、懐かしい素敵な言葉が引用されていた。 『沈黙の春』 の著者、Rachel Carson が世界の子供たちのために書いたという “The sense of wonder”の一節、Those who dwell among the beauties and mysteries of the earth are never alone or weary of life.(地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれたりすることはけしてないでしょう。 上藤恵子訳)である。
 わたしもそのように在りたいと願っている。


April 7、 2012: タチイヌノフグリ Veronica arvensis L.
 この季節、庭の草取りを始めると、いかに帰化植物が多いかに気づかされる。
 とりわけてはびこっているのは、白い小花をたくさんつけたオランダミミナグサだが、このタチイヌノフグリも結構たくましい。花柄がほとんど無い小さな花が咲いていないと、オオイヌノフグリと混同しやすい。
 オオイヌノフグリと前後して江戸末期から明治時代に帰化したらしい。

 地中海域から中央アジアが原産の地と考えられているが、現在は世界中の市街や耕作地に分布している。とはいえ、地にかがんで、この小さな空色の花に見入る人は、多いとはいえないだろう。
 こんなことを思いながら草を引いていると、よい花の香が漂ってきた。ナノハナに似た香だが庭には無いはず、と立ち上がって見まわすと、アクセントにと抜き残しておいた花壇のハボタンに明るい黄色の十字花が咲いていた。

 春たけなわである。 
 その春たけなわの日本では、北朝鮮が打ち上げるというロケットに政府=防衛省=自衛隊が大騒ぎだ。あちらは気象衛星を軌道に乗せるためというが、破片やら本体部が何処に落ちてくるか予想がつかないからと、イージス艦とパトリオット部隊を南西諸島と東京に配置した。10億円以上が必要な自衛隊の演習の大義名分ができたというところだろう。


April 8、 2006:  ナツグミ

 毎度のことで、そのたびに腹を立てるのはバカバカしいことだとは思いながらも、教科書検定の結果を知ると一言いわずにはおれなくなる。
 新聞記事によると高校1年生が来春から使う教科書で「ペットを家族の一員と考える人もいる」という記述が「ペットを家族の一員のように親密に思っている人もいる」と書き直させられたという。はて?元の文章ではなぜいけないのだろう?とほとんどの人は思うのではないだろうか。理由は”動物(ペット)は家族(人間)ではない”からだという。私はあきれてしまう。検定官という公務員がこんな書き直しを指示するため存在するということは嘆かわしい。
 もっとも、この程度の書き換えには実害はないし、仮にどんなことが書かれている教科書であっても、学生に直接接する教師がそれを鵜呑みにしないで客観的な講義をすればよいわけだが、これが必ずしも容易ではないという悲しい現実がある。

 こんなボヤキを家人にぶつけて散歩に出ると、ご近所の生垣のナツグミが、立夏はまだまだ先なのに、雀斑のような微細な鱗毛をつけた蕾を開き始めていた。



April 9、 2005:  ヒトリシズカ  一人静

 赤茶色の小さな芽が地表に顔をのぞかせたのはほんの数日前だと思うのだが、今朝のぞいてみるともう光沢のある4枚の葉の間から小さな白い瓶ブラッシのような花穂が立ち上がっていた。
    山蔭のおどろがしたに生ひにける
           ひとりしづかの葉はしげりたり   尾山篤二郎
 花の期間はごく短く、数週間して春が終りを告げるころには草丈も伸び葉も広がり、この歌のような姿になることだろう。
 日本のほか中国と韓国にも分布しているセンリョウ科の植物で、中国で解毒作用のある薬草として利用している。白く細い花びらのように見えるものは実は薄緑の小さなメシベを取り囲むオシベで、蕚も花びらもない。
 一人静という呼び名は誰がいつ付けたのか定かではないが、江戸時代の初めには既にこの名があったことは、静御前を連想するゆえの名だと書く『和漢三才図会』からもわかる。ただし、この百科事典のヒトリシズカの絵は実物とは大違いの別物である。現在と同じ認識に至ったのは江戸末期の『本草綱目啓蒙』の著者、小野蘭山先生あたりからのようだ。



April 10、 2005:  ハルリンドウ
 春は日ごとに、というよりは時々刻々その頂点へと向かっているようだ。野山は花の色と香りで優しく人の心を癒してくれる。市の南東部に位置する横地城跡を訪れると、ハルリンドウが明るく微笑みかけてくれた。
 だが、人の世は騒がしい。
 北京では日本の教科書検定問題や国連常任理事国入りなどに刺激された抗日デモが暴走した。暗澹たる思いである。中国の友人も心を痛めている。在日の人たちもいろいろな意味で困惑しているに違いない。これをきっかけに日本が改憲、そして核武装の道へと走り出せば、その行き着く先は庶民にとってあまりにも悲惨である。領土問題、国の大儀、民族の尊厳、などなどを掲げて衝突したときの結果はいやというほど歴史が教えてくれているではないか。
 しかし、 「歴史は学ばれることはない、ただ忘れ去られるだけだ」という恐ろしい言葉が思い出される。
 人類という裸のサルには、同族で争い殺しあう行動が抑制できないという生物種としての限界があるとは思いたくない。


April 11、 2005:  キンラン

 今日は嬉しい出会いがあった。
 満開の桜をしっとりと濡らして霧雨がふる山の小道にキンランが晴れやかに咲いていたのである。
      金蘭や降りて明るき山の雨     中牟田千代子
 キンランは近年はめっきり個体数が減り、絶滅危惧種にリストアップされているが、これは無論のこと雑木林の減少が原因なのだが、心無い人たちの盗掘も無視できない。
 根に菌類が共生していてその働きに大きく依存している地上性のランの多くは移植が難しく、移せばほとんどが枯れてしまう。最近は目にすることは少なくなくなったものの、山草屋が山採りしポット植えにしたものを売っていることがある。愚かな行為といわざるをえない。
 しかし、ダムや道路の建設予定地域にキンランが生えていた場合、それで予定が変更されることはまずないだろう。独立法人水資源機構ではこのようなケースでのキンランの救出方法を模索し、大分県大山ダム予定地のキンランを大量の土壌とともに根をいためないように掘り取り別の場所に移動させる方法を考案しているが、活着率は60%程度にとどまっている。



April 12、 2006:  駿河の国の高草山
                     ~ クリハラン、イワヒトデ、マルバコンロンソウ、シコクハタザオ、 ミヤマハコベ、
                                 ミヤマキケマン、オオギバセントウソウ、ジロボウエンゴサク ~

 この日曜日、駿河湾を行き来する船舶にとっては良い目印となるという高草山(501m.alt.)の花たちに合いに、静岡植物研究会の皆さんと一緒に登った。
 今回は焼津口からではなく、北側の岡部町廻沢口から岡部川に沿った登山道に入り、山頂を目指した。
 一重の大きなヤマブキの花が谷を彩り、キブシが青味を帯びた香りを放って風に揺れていた。


 山頂近くまで車が入ることの出来る舗装された道だが、その入り口にある廻沢の村落では桃と桜が花の盛りで、ちょっとした桃源郷の面持ちであった。人家が途切れた辺りからは道に接した山側の斜面に生えるシダ植物が多くなった。
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イヌシダ、イヌワラビ、トラノオシダ、コバノヒノキシダ、ハコネシダ、トウゲシバ、ツルデンダ、オリズルシダ、ノコギリシダ、ヘラシダ、クルマシダ、オオキジノオシダ、キジノオシダ、マルバベニシタ、ヒメイタチシダ、ヤマイタチシダ、クリハラン、イワヒトデ、ジュウモンジシダ、アマクサシダ、ベニシダ、ホシダ、コモチシダ、マメズタ、ノキシノブ、シケシダ、ナガバノイタチシダ、ワラビ、イワヒメワラビ、ヒメワラビ、イノモトソウ、マツザカシダ、オオバノイノモトソウ、タチシノブ、ホラシノブ、コシダ、ウラジロ、ゼンマイ、シノブ、イワガネゼンマイ、コウヤコケシノブ、ヤマヤブソテツ、ナガバヤブソテツ、フモトシダ、クマワラビ、ヒメカナワラビ、コバノカナワラビ、オオカナワラビ、ヒトツバ、アイアスカイノデ、イノデ、フユノハナワラビ >
 道に沿って歩いただけでも上記の50余種が観察できたが、なかには辛うじて生き残っているようなものもあった。車道を通したことにより環境が破壊撹乱される以前にはさぞやみごとなシダの谷だったことだろう。


クリハラン Neocheiropteris ensata

イワヒトデ Colysis elliptica

 上記のリストを見ても明らかなように、高草山のシダフロラは典型的な暖地型である。写真のクリハランは関東地方以南インドシナ半島にかけて広く分布している。和名は”栗の葉に似た葉蘭のようなシダ”ということだが、中国では扇蕨と呼んでいる。イワヒトデの方がより暖地を好み、日本では伊豆半島以南で、やはりインドシナ半島まで分布している。

マルバコンロンソウ

シコクハタザオ

ミヤマハコベ

 この季節、野山には色とりどりの花が咲きこぼれるが、何故か人々の目は艶やかな桜や躑躅や山吹の花に奪われがちである。しかし野に入り山路を行けば、その足元にひそやかに咲く白い花たちの美しさにも魅了されるに違いない。
 高草山に咲いていたそんな花たちをご覧ください。

 マルバコンロンソウはタネツケバナの仲間で日本固有種のようですが、ほんとうに小柄で地味な、花時を外せば気づかれることもなさそうな草である。通りかかった人は誰でも目を留めて「きれいだね」と話し合ってくれるニリンソウの群落の片隅に、ひっそりと咲いていた。
 シコクハタザオには私は初めて出合ったが、その名を教わった最初の感想は「駿河の山にも四国の名のつく草があったのか」というものであった。しかし図鑑を繰ってみると関東以西に点々と分布するものらしい。分類学的にはフジハタザオの変種ということになっていた。地理的な変異が多く、線引きは難しそうだ。
 スギの植林地を抜ける林道の縁でびっくりするほど大きな花のハコベを見つけた。花の直径は15mmほどであった。ミヤマハコベであった。日本全域と済州島に分布していて、秋になると閉鎖花をつけるものもあるようだ。
 

ヤマキケマン

オオギバセントウソウ

ジロボウエンゴサク

 林道に覆いかかる雑木が切り払われて日当たりのよくなった場所ではカキドオシやムラサキケマンがにぎやかであったが、木漏れ日が緑の絨毯の上で揺れるような場所には、絹布のような柔らかな肌触りの葉をもった草たちが茂っていた。
 ヤマキケマンは関東地方以西、中国からインド北部にわたって分布している多年草で、清水が滴るような湿った斜面に群生していた。時には薄紫の花をつける個体もあるそうだ。
 オオギバセントウソウは高草山で発見され、セントウソウの品種として記載されたものである。この山では母種と混生していて、中間的な個体がないわけではない。しかし典型的な個体は葉の形だけでなく花のサイズも大きく、区別は容易だった。
 ジロボウエンゴサクは関東以西の山地の林床によく見られるもので、高草山でも道沿にあちこちで咲いていた。おかしな名前だが、牧野図鑑によると漢字では次郎坊延胡索と書くという。伊勢地方ではスミレのことを太郎坊といい、この花がややスミレに似ているので次郎坊と呼ぶのだとある。延胡索はこの仲間の中国での総称である。
私には、なにとはなく優しくそして寂しげな花に思える。気温が上がれば、いつの間にか消えてしまうスプリングエフェメラルである。



April 12、 2011: ザゼンソウ 
              Symplocarpus fortidus Natt. var. latissimus (Makino) Hara
 清明を過ぎた8日、植物同好会OBのKさんご夫妻の招きで、冷たい雨がしとど降る中を湖北の野の草木を訪ねた。
 見はるかす野坂山地の三国山や乗鞍岳の残雪はまだ深く、下ってくる風は冷たかったが、山肌にはタムシバの花が点々と消え残ったはだら雪のように咲いていた。
 咲き満ちる頃ともなれば、交通規制がしかれるほどだという湖に沿った大崎の桜並木の蕾は未だかたかったが、案内していただいた今津町弘川の新興住宅地に隣接した、タブやハンノキとモウソウチクが混生しているザゼンソウ保護区では100株をはるかに超すザゼンソウが元気に育っていた。
 ミズバショウのあの美しい純白の仏炎苞に形は似ているものの、ザゼンソウの暗い臙脂色のそれはいささか不気味である。それゆえ、そして湿地に生えることもあって、この花に触ったり臭いを嗅いだりする人は少ないようだが、仏炎苞は意外に固くまるでプラスチックのような触感であり、臭いといえば思わず顔を背けるほどのものである。


   座禅草の五つ三つに水奏で     上条 勝
 本州の中部地方以北と極東に分布するサトイモ科の多年草で、今津町の群落は南限だという。アイヌの人たちはこの草をシケレペキナあるいはカムイキナと呼ぶが、前者は葉の味がカラフトキハダの実のそれと似ているから、後者はヒグマがこのはを好んで食べるからだという。キナは草のことである。独特の味があるものの若葉を湯がいて食べたり、乾燥させて保存食ととした。
 北米東部にはSkunk-Cabbageと呼ばれるザゼンソウの近縁種があるが、先住民のイロコイ族も食用している。また、薬草としても利用され、例えばチッペア族は根を咳止めに、デラワエ族は葉を潰したものを痛み止めに湿布する。


                            座禅草眠り落つ児に母衣揚げよ   小串歌枝


April 12、 2013: ウワミズザクラ  Prunus grayana Maxim.

 今朝は3℃まで気温が下がったが遅霜にはならなかったようで、茶農家はほっとしていることだろう。
 市の広報拡声器からながれる時報の『茶摘み』の調を聴きながら常葉の丘に登ると、ウワミズザクラの真っ白な花穂が朝日に輝いていた。
 石狩平野以南の暖温帯と中国に分布する高木である。遠州の丘陵地ではよく目にする樹種の一つだが、花の美しさよりも伐ったときに材の放つ悪臭が気にかかるせいだろう、ヘッピリザクラとかクソザクラなどという名で呼ばれている。
 では、ウワミズザクラというこの標準和名は何に由来するのだろう。初めてこの名を知ったとき以来、なぜか“上水桜”だと思い込んでいた。山間の小川の際で出合ったためだったかもしれない。“占溝桜”が正しい語源らしいと知ったのはしばらくたってからのことである。古代、人々が呪術の世界に生きていたころ、この木の材を燃やして鹿の骨を焼き、そこに生じたひび割れ(溝)で吉凶を占なったからだという。‘ウラミゾザクラ’→‘ウワミズザクラ’と転訛したと説かれていた。
 青い未熟な実を集めて塩漬けにして食べると聞いたので、機会があったら試してみよう。


April 13、  2005:  カジイチゴ

 ぐずついていた天候もようやく回復に向かい始めたようだ。
 未だ雲は切れてはいないが、まるで隣室の明かりが閉ざした障子の向こうから漏れるように、上空の太陽の温もりが地表にまで届いている。
 その温もりを喜んで、庭の花々が輝きを増す。
 冷たい春の雨の下でじっと待っていたカジイチゴの花蕾も次々とほころびはじめていた。
 純白の花びらは、しかし、アイロンをかけ忘れた木綿のハンカチーフのように皺しわである。蕾の中で待ちくたびれて皺が寄ってしまったようにもみえる。だが、この皺の寄った花びらがこのイチゴの特徴の一つで、時がたってもピンと延びることなく茶色に変わって萎れてゆく。
 花が終わってしばらくすると、緑の果実は大きく育って艶々としたオレンジ色に変わる。甘みは少ないがさっぱりとした食感のイチゴである。
 太平洋側の暖地の沿岸部に多い刺のない潅木で、葉の形がカジノキ(梶)のそれに似ているのでカジイチゴと呼ばれる。クサイチゴとの間に生まれた雑種はトヨラクサイチゴである。



 April 13、 2014: ムラサキケマン Coridalis incisa (Thunb.) Per
   紫華鬘咲く丘の辺は花吹雪     静

 散り敷いたソメイヨシノの花びらが消え残った春の雪のような常葉の丘の裏道を下ってゆくと、香草のコリアンダーとよく似た葉を茂らせて、ムラサキケマンが咲いていた。
 北海道から琉球諸島、中国大陸の低山山麓や里の藪陰に分布しているケシ科の越年草だが、最近は目にすることが少なくなった。
 写真映りが良い均整のとれた花序を探すのだが、花の並びに規則性がなく、あちらこちらを向いている。それがこの草の特徴のようだ。筒状に見える花だが、上下左右4枚の花弁が集まっていて、上弁の基はつんと尖った苣になっている。初夏に移るころ、熟した実に触れるとパチンと跳ねて黒い小さな種子を飛ばす。種子には白い種冠と呼ばれるものがついていて、これを目当ての蟻が散布を助けている。
 和名の由来は、やはりケシ科で中国から渡来した、花形が仏殿の天井から下げて飾る“華鬘”に似ている園芸植物のケマンソウ(タイツリソウ)に近縁で花色が紫を帯びているからだという。しかし素人目にはその花の形はケマンソウに似ているようには見えない。リンネ式の西洋分類学を知ったた幕末の本草学者が、ケマンソウとの類縁を理解したうえで、形はともかくとして花の色に注目してムラサキケマンと呼ぶようになったのだろう。
 クサニンジン、ヤブニンジン、ヤブゼリなどの古来の里呼び名は、花よりも葉の形に、ヘビノマクラやキツネノチャブクロは花の形に因んだものだ。
 有毒植物だが、漢方では皮膚病などに外用される。
 葉の形はセリのそれともよく似ていて同じような場所にも生えるので、菜摘の際は要注意である。



April 13、 2015: ツメクサ Sagina japonica (Sw.) Ohwi
 道行く人々が気にも留めずに踏み過ぎて行く小砂利溜りに、小さな小さな白い花が咲いている。
 詩歌に読まれることもほとんどないツメクサの花である。
 私が知っているのはただ一首、土屋文明の詠んだ「金剛山毘盧の高嶺の爪草の一つのこりてわが庭に咲く」だが、1000mを越す金剛山の爪草は街中の路傍に生えるツメクサとは別物だろう。
 ツメクサの名の由来は小さな光沢のある多肉質で尖った葉の形が小鳥の爪に似ているからだという。
 分布域の廣い草で、日本全土は無論のこと千島からインドにわたる人里で目にすることができる。しかし、ツメクサは人類が北半球全域に進出して集落を作るよりはるか以前からどこかで生きていたはずである。そのどこかで今の姿と生態を獲得していたにちがいない。そのどこかは、人類に狩られていまや残存状態になっている草をはむ多くの動物たちが踏みしめていた広大な草原だったような気がする。
 ツメクサたちは、たとえ人類に踏みにじられても、その人類が消えてしまった後でも、どこかで何者かに踏まれながら生き続けていくに違いない。


April 14、 2005:  モミジイチゴ

 山火事の通報で消防隊が駆けつけてみたら、山間から立ち昇る激しい煙と見えたのは、なんと大量のスギ花粉だったという笑うに笑えない事件が先日あったが、この辺りでも風が起こると杉林から白黄色のまさに煙と見間違えるほどの花粉が舞い立つ。

 そんな杉の林でも、手入れがされているところでは林床にシダはが茂り、林縁にはホウチャクソウの緑かかった釣鐘花や白い妖精のようなモミジイチゴの花を見ることができる。
 葉の形がモミジを思わせるのでこの名があるが、遠州ではキイチゴと呼ぶ人が多い。木になるイチゴということだ。しかし、サガリイチゴ、バライチゴ、ヤマイチゴなどの名も各地で聞かれる。
 全国的にみれば60を越す里呼び名が記録されていて、キイチゴのほかサガリイチゴやアワイチゴと呼ぶ地方が多い。これは人々が花よりもその実のつき方や形に注目しているからであろう。
 それは、このイチゴの実が山では取り立てて美味しいからである。



April 15、 2005:  コナラ

 つい先日まで薄茶色で殺風景だった丘の雑木林が、いつの間にかふわふわと煙るように軟らかな萌黄色に変わっている。
 山笑うと詩歌が詠う季節の到来である。
 
     山笑う野はさざ波の光満ち    手塚 順

 「山笑う」という言葉は宋の時代の禅宗画家郭熙の画譜にある「春山淡治而如笑 夏山蒼翠而如滴 秋山明浄而如粧 冬山惨淡而如眠」からの借用だが、まことに春山の情景に相応しい言葉である。
 ある樹木はは静に微笑み、またある草は楽しげに歌い、そしてまたある花は声を上げて笑い転げているように見える。
 薄緑色の細い花穂を垂らして、風が渡るたびに黄色の花粉を放っているコナラは、萌黄色の林の中で静に微笑んでいるものの一つだろう。
 日本各地に広く分布し縄文の時代から既に人々の生活に深く関わり、親しまれてきた樹木の一つである。



Aplil 15、 2010: シュンラン Cymbidium goeringii Rheichb. fil. 

 杉むらを木ぶかくとほす日のひかり
           春蘭の花開きたるかも    藤沢古実
 赤茶色の毛虫のようなアカシデの雄花の穂がたくさん落ちている、その大きな木の根元に花の盛りの一叢のシュンランがあった。顔を寄せると爽やかな香りが放たれていた。
 里山に人々が通い、薪炭材を切り、山菜を生活の糧としていた頃の雑木林にはたくさんの野の花が咲いていた。 そんな雑木林の中を遊び場としていた子供が、ある春の日、祖父の時代にはすでにそこにあったという大きなコナラの根元の草の中で、つんと立った赤みを帯びた細い茎の先に、弥次郎兵衛のように花びらを広げた香りの高い花を見つけた。摘んで帰って母親に名前を聞くと“はっくりばぁさ”だという。“ばぁさ”は“お婆さん”であることは察しがつくが“はっくり”は何のことだろう。翌日学校で担任のS先生にうかがうと、それは黒子のことで、花の中の斑点模様がお婆さんの肌の染みを連想させるからだということであった。“はっくりばぁさ”は小笠地方の里呼び名で教科書的な呼び名はシュンラン、つまり春に咲く蘭だとも教わった。懐かしい思い出でである。
 春蘭の花はすぐなるくきの上に
          緑もあさく咲きて匂へり    大橋松平

 ワシントンで開催された核安全保障サミットに出席し、ついでに、というかそれが目的の、普天間移設問題を話し合おうとした鳩山首相が、オバマ大統領にほとんど相手にしてもらえなかったことなどについてのワシントンポスト紙のコラムの一節~ By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama ~という文章を訳した佐々木類記者の日本文と、それを鵜呑みにしているらしい官房長官やマスコミについて、ネットの中は侃々諤々である。
 翻訳には訳者の主観が入らざるを得ないのは確かだが、 loopy の訳し方でこの文のニュアンスが変ってしまうこともまた確かである。異文化を正しく理解することの難しいのもこんなところにあるのだろう。
 例えば、過日のA新聞の見出し『展望なき自民脱出』のような文は「展望なき-自民脱出」と「展望なき自民-脱出」の皮肉を込めた洒落た表現と日本人なら直ぐに理解するが、この意味が伝わるように、しかもシンプルな英語見出しに訳すことはなかなか難しいのではないだろうか。
 言葉というものはそれを使った人の優しさや教養などが現れていることが多いように思う。ISSで地球を回っている山崎直子さんの「瑠璃色の地球も花も宇宙の子」に「フロンティア夢も宇宙も無限大」と応じた前原誠司国交相は日本という島国のフロンティアでボクも頑張ってるよと自慢したかっただけだろうし、「行きたいな総理も我らも宇宙人」と答えた平野博文官房長にいたっては何をかいわんやである。


April 16、 2006:  ナツトウダイ

 新緑が目に優しいこの季節、丘の斜面と谷津田とを境する道の辺はなべて柔らかな緑の世界である。その中では、白いクサイチゴの花や薄紫のタチツボスミレやホウチャクソウの芽立ちなどのように人目を引くものから、なにげなく見過ごしてしまうような、ちょうどこのナツトウダイのような花も少なくない。
 草むらの中では取り立てて変わった印象のないごくありふれた姿のナツトウダイだが、顔を寄せてその小さな花をしげしげと見ると、なにやら見知らぬ深海の生き物ではと思うような奇妙な形をしていることに気づく。
 まことに奇妙な造りの花で、普通の花にある蕚と花弁はなく、4個の牛の頭のような形の褐紫色ものは杯状体といいこの内側に複数のオシベと1個の柄をもったメシベがある。ルーペで詳しく見るとオシベにも柄がある。この特殊な形は植物学的には花の集まりと解釈されている。つまり、1本のオシベは1個の雄花、メシベは雌花で、これが単純化したものと見られている。
 トウダイグサ科の植物は傷をつければ粘つく乳液を出すが、その中にはステロイド系の何種類ものトリテルペノイドという化合物があり、薬としても利用されている。 ちなみに、春に咲くのにどうして”夏燈台”なのだろうといぶかしいが、一説では最初に咲く”初燈台”が本来の名だという。



April 17、 2005:  クサボケ
 切通しの春の草の茂みに、飛び散った血痕のようにクサボケの花が咲いている。
 中国から渡来したボケとよく似た花を咲かすが、地を這うように延びる樹形が庭木としては具合がよくないので、滅多に栽培されることはない。
 日本古来の花木で、草の茂みに隠れるように咲くのでクサボケと呼ばれるが、これはボケ(木瓜)が入ってきてからの名で、それ以前はシドミ(樝)と呼ばれ、いまでも詩歌ではこちらの名で呼ぶことが多い。

   道のべの古草まじり新草の
            葉がくれしどめ道もえんとす       香取秀真
 シドミはシドメとも呼ぶ。遠州ではこの名のほうが通りがよい。

    あしびきの山のたをりにこころよし
            熟めるしどみの香をかぎ居れば     斉藤茂吉
 秋に黄色に熟す直径4センチほどの実は独特の芳香がある。


April 17、 2007: イチョウの花
 今日は久し振りに二人で散歩した。
 このところ温かな日が続いていたので、明るい日差しの中を満開の里桜を楽しもうか、などと話し合って気楽に出かけたまではよかったのだが、3月の上旬を思わせる冷たい風が吹く中を首をすくめて急ぎ足で歩くはめになってしまった。
 しかしスミレやタンポポやジシバリなど、4月の花たちには寒そうなそぶりもなく、今が自分の咲き時だという風情である。
 街路樹も芽吹き始めていて、ハナミズキの総苞がほぐれだし、エゴノキの蕾の束も目立ち始めている。
 銀杏通りを歩いていると、「あら、夫婦イチョウだわ」と家人がつぶやいた。なるほど、雌雄のイチョウが並んでいた。

 イチョウの実のギンナンは誰でも知っているようだが、雌雄異株で雄花と雌花が別々の木に咲くこと知っている人は思いのほか少ないようだ。しかも知ってはいても実物を目にした人はもっと少ないらしい。
 そんな珍しい花が、ほとんど目の高さに咲いていたのであった。
 裸子植物だからむろん蕚片も花弁も子房もない花である。雌花は細長い花柄の先端に2個の白い胚珠が付いているだけの単純な構造で、雄花は花粉袋の集まりに過ぎない。バナナの房のようにも見える。
 イチョウのこの姿はたくさん見つかっている化石からわかるように1億年以上も昔の中生代からほとんど変わっていない。シーラカンス並みの超保守的な生物というわけだ。生きている化石と呼ばれるゆえんである。


April 17、 2012: キブシ Stachyurus praecox Sieb. et Zucc.
 気がつけばソメイヨシノは散りはて、人里では花桃が満開となっていた。
 二日三日のうちに、季節はあわただしく移り変わっている。
 西方川左岸の崖の下道をゆくと、垂れかかる褐色の細枝の先に、淡黄色の小花の房が幾すじも下がっていた。
 このあたりではズイノキと呼ぶ人の多いキブシの花であった。
 近寄って下からのぞき込むと、4枚の瓦重ねの花弁に囲まれた8本ほどのオシベの中央に、淡く緑に染まった柱頭があった。
 キブシの仲間はヒマラヤから日本に亘って分布していて、ゴンズイやミツバウツギなどに近縁だが、独立したキブシ科として分類されている。世界的に見れば結構めずらしい植物である。

  
 浜岡原発の地元の御前崎市の市長選があった。結果は現職で廃炉に向かうか再稼動を政府の決定を待って市民に問うという立場の石原氏が大差で当選した。

 現状では経済・生活を優先するか脱原発に向かうか決心のつかない市民が多かったということであろう。 もし半年前にこの選挙がおこなわれたら、結果は逆だった可能性がたかい。それが民心というものかもしれない。



Aplil 17、 2009: オシドリザクラ Prunus incisa cv. Oshidori

 昨年はヒメハマキガの仲間のナシヒメシンクイ(Grapholita molestaに若茎の芯を抜かれ、おまけにミノムシに葉のほとんどを食べられて気息奄々だったオシドリザクラが、うれしいことに花を咲かせてくれた。
 垂れ下がる長い花柄の先に、柔らかな絹のような手触りの薄桃色の花びらが心もとなげに集まっていて、風が吹いて揺れると、ほろほろと散っている。

 この桜はマメザクラの八重咲き品種ということだが、雑種かもしれないという。野生の一重のものはフォッサマグナ地帯の富士山南山麓とその周辺で見られ、房総半島にも分布しているが、このあたりの山では自生と思われるものを目にしたことがない。


 今年はいつになく春が足早に去ってゆくような気がする。里山はすでに新緑に覆われ、黄緑の波がうねる広大な茶畑の横のキリの花も咲き始めている。たしかに今年は冬もマイルドで、うっかり温室に入れ忘れていた熱帯植物のキバナキョウチクトウも枝先は枯れたものの新芽を吹きだしている。
 今騒がれている地球温暖化現象は地質学的時間の中ではごくありふれた地球の気候変動の波の一部で、大気中の二酸化炭素の増加も人為的なものの占める割合は問題にならないほどだという研究者もいる。その論拠には理解できないところもあって、よくわからない。
 温暖化云々はおくとして、近頃しきりに思うことの一つは、植物はかつて思っていたよりはるかにすばやく分布を広げたり狭めたりできるのだな、ということである。ことに胞子で増殖できるシダ植物で顕著で、例えば数10年前まではごく稀だったマツバランが市街地の石垣や街路の樹幹で目に付くようになっている。これは別の見方をすれば、私がけっこう長生きしていることの証でもあるのだろう。


April 18、 2006:  ケキツネノボタン
 うららかな一日で、明るい日差しに気温も20度を越えた。
 すでに早苗のなびく稲田があるとおもえば、その隣では水を張ったばかりの田の中を耕運機が行きつ戻りつしている。
 待望の男の子の初節句なのだろう、水田の向こうの雑木林を背にした農家の入り口には子供の名を入れた豪勢な幟が立ち、蛙の声を運ぶ春の風にはためいていた。
 農道の側面にはカラスノエンドウやホトケノザやヘビイチゴなど、いわゆる水田雑草が茂り、水辺近くではケキツネノボタンの金色の花が陽の光に照り映えていた。
 ケキツネノボタンは”毛狐牡丹”ということだが、キツネノボタンによく似ていて毛が多いからである。また、どこが牡丹かといえば、葉の形が似ているからだということになっている。”狐”がつくのは本物ではないということだ。このネーミングなどは説明されれば納得できるものだが、同じ仲間のウマノアシガタ(馬足型)の名の由来には首を傾げざるを得ない。根生葉の切れ込みが浅く遠くから見れば蹄の形だというのだが、どう考えても無理がある。元の名前は”鳥足型”だったのを誰かが”鳥”を”馬”と書き間違えたのが定着したのではないかと言った人があったが、こちらの方が納得できる。


 April 18、 2014: ミヤコワスレ Aster savatieri Makino
   眼前を白い花の季節が流れてゆく。
 柔らかな大気が揺らめくと、リキュウバイやユキヤナギやシロヤマブキの花ひらが舞って落ちる。
 そんな庭の片隅では、花友から分けてもらったミヤコワスレが咲き始めている。
 東北から九州にっわたって、さほど深山とも思えない山野にも生える日本固有種のミヤマヨメナから、江戸時代に選抜され栽培されている園芸品種と考えられている。
 和名の由来については佐渡島に流された順徳天皇がこの花の美しさに都恋しさを忘れた故という説がまことしやかに語られてはいるが、この名と順徳天皇云々説は昭和初期にこの園芸品種を売り出した商売上手が考えついたものらしい。しかし、これか本当なら、なかなかしゃれたネーミングではある。
 旅せんか都忘れの咲く頃を  前沢落葉女

 叶わぬ願いだが、独り静かな山旅にでたい季節である。
     
 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニシテ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・・・」 とはじまる教育勅語には「至極まともなことが書かれている」と安倍内閣の下村文部科学相はのたまうが 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ・・・・」 と子供たちに教えるつもりなのなのか。
 STAP細胞の騒ぎには、まだ釈然としない。若いチームリーダーは「あります!」と断言し、統轄した先輩は「ないと説明のつかない現象が観察された」と主張した。ならば、もう一度作成させて決着をつければよいではないか。私自身は一匹狼的に“文化となる科学”を楽しんできたので、彼女の「論文にはうまく表現できなかったがコツがあります」という主張も理解できないことはない。そして、“技術・商品としての科学”を仕事にする人々は大変なのだろうなとも思うのである。


April 19、 2005:  ヒカゲツツジヤマツツジ

 ほんとうに久し振りに小笠山を歩いた。高校の生物クラブにいた頃、先輩や後輩とともに数え切れないほど訪れていた丘陵地である。
 麓の様相は開発の波に洗われすっかり変わってしまったが、人の通わなくなった山道は未だ昔の姿を残していた。
 淡い黄色のヒカゲツツジや軟らかな赤橙色のヤマツツジに心和んだ。



April 19、 2007: タガラシ
 稲田に水が引かれるこの季節、畦道沿って歩くといく種類かのよく似たキンポウゲ属の植物に出合うことができる。
 いずれも金属光沢のある黄色の花びらと中央の緑の仮果を取り巻くこれも金色のたくさんのオシベがあり、花だけではなかなか区別が難しいものが多い。
 今日はそのうちでも比較的わかりやすいものの一つであるタガラシを見た。
 日本では全国に広く分布するが、世界的に見てもありふれた雑草で北半球の亜熱帯~温帯で目にすることができ、英国では”Celery-leaved Crowfoot:セロリ葉のカラスの足”と呼ぶ。タガラシという和名には繁殖力が旺盛で稲を枯らしかねないので”田枯”だという説と他の縁に生える辛味があるので”田辛子”だという説がある。有毒成分のアルカロイドを含むが、漢方ではリンパ結核に処方するという。
 カエルノキツケという里呼び名が房総にあるが、この草の汁をつけると蛙がびっくりするからだと聞いた。鹿児島ではスズナあるいはスズシロとも呼ぶが、これも辛味に由来するのだろうか。


April 20、 2005:  シロヤマブキ  Rhodotypos scandens (Thunb.) Makino
 今日は穀雨である。農作業が本格化する季節の到来ということだが、温暖化が進んだ昨今の農家の方々は既におおかたの春の作業を終えられているようだ。
 この季節、わが家の庭で決まって咲き始めるのがシロヤマブキである。花びらが5枚の黄金色のヤマブキと違って、シロヤマブキは4枚の純白の花びらをもちシロヤマブキ属に分類されている。中国、韓国、日本にこの一種だけが分布している。

    ふるさとや白山吹の町のうら     室生犀星

 現在の日本では野生のシロヤマブキは珍しくなっていて、中国地方の山間部で稀に見られるに過ぎない。
 犀星の故郷は金沢だから、明治時代には石川県辺りでもシロヤマブキをみることができたのであろう。美しい花木ゆえ、掘り取られて野から消えていったとも考えられるが、栽培していてわかるようにたいそうよく結実し、しかもその種子の発芽率も高いので、野生の株が稀少になった原因は人為だけではないのかもしれない。


April 20、 2011: ハナノキ Acer pycnanthum K. Koch


 湿地開発のため絶滅の瀬戸際にある危急種のハナノキが並木になっている場所があるとは意外だった。
 御堂筋線の新金岡駅から大泉緑地へと続く歩道に植栽されたそのハナノキが花時であった。
 日本固有のカエデ科の雌雄異株の落葉性高木で、長野・岐阜・愛知の3県の県境一帯と長野県大町市のみに自生している。
 そんな植物ゆえ、今回が私にとっては最初の出合いで、しかも花の盛りだったので、思わず頬が緩んだ。振り仰いだ空からは春光が降り注いでいた。
 北米東部の北緯50度あたりからフロリダ、テキサスに亘ってハナノキそっくりの、研究者によっては同種とみる、Red Water Maple (アメリカハナノキ:A. rubrum L.) が分布しているが、ハナノキともども氷河期の生き残りだろうと考えられている。
 ハナノキの葉が有毒だという話は聞いたことがないが、アメリカハナノキの枯葉や萎れた葉は、馬にとっては猛毒だという。しかし、イロコイ族やチェロキー族などの先住民は樹皮の煎じ汁を鎮痛薬や目薬などとして利用し、アブナキ族をはじめ多くの種族が樹液を甘味料としている。



April 20、 2013: ヘラオオバコ Plantago lanceolata L.
 太平洋高気圧の運んできた夏の気配は大陸から乗り出してきた冷気に恐れをなしたかのように退散し、今朝は3月の中旬並みの気温となったが、散策路の川土手では早くもヘラオオバコが咲きだしていた。雲の隙間から射した朝日を浴びた長いオシベの先の白い花粉袋が、ふるふると震えていた。
 半世紀ほど前の遠州でこの花を見た覚えがないが、赴任した千葉大学のキャンパスには鬱陶しいほどに密生していた。私を雇ってくれた気鋭の教授が、この大学にはびこるろくでもない奴らのようだと評したのを忘れることができない。そのとき、それにしては可愛い花だなと思ったことを思いだす。
 ヨーロッパが原産地で、江戸末期にはすでに渡来していたというのが通説だが、現在のような全国的な分布になったのは終戦後のことらしい。
 そのせいかもしれないが里呼び名も少なく『日本植物方言集成』にも青森県での6例が収録されているに過ぎない。
 しかし原産地では古代から親しまれていた。
 例えばシェットランド諸島・オークニー諸島・フェロー諸島などでは“聖ヨハネ祭の花~Johnmas flooer”と呼ばれていて、6月23日の聖ヨハネの祝日前夜に開花した花穂を摘んできてオシベを引き抜き枕の下に置き、翌朝に伸びる新しいオシベの様子で生死や恋愛などの未来を占ったという。またイングランドなどでは子供たちが切り取った穂のついた花茎を打ち付け合って遊ぶ。先に花穂がちぎれたほうが負けというわけだ。民間薬としても利用され、野外で切り傷を負ったときにこの草の葉を噛み潰して止血に使った。煎じた汁は咳止め効果があるという。
 さらに、利用されていたか否かはわからないが、ノールウェイの新石器時代の遺跡の堆積層にヘラオオバコの花粉が含まれていて、現代同様に耕作地の雑草になっていたと推測されている。
 話は飛ぶが、杉野孝雄さんの『静岡県の帰化植物』によると県下には1960年代から急速に広まったという。


April 21、 2005:  レンゲソウ
 代掻きの支度が始まった田の畦道にレンゲソウがぽつりぽつりと咲いていた。
 化学肥料が使われるようになってからは、緑肥としての役目を失い、かつてのように明るく輝く蓮華畑を目にすることがほとんどなくなってしまったのは寂しいが、絶え果てるでもなく水田雑草の一つとして春を彩ってくれている。

  春の田はまだたがやさずれんげさうあぜのさかひもあらず咲きたり  三ヶ島葭子
  蓮華草咲く花ざかりまむかうのあを空ひろくつづく山山          岡 麓

 遠州からは既に消えて久しいこんな懐かしい風景は、いまこの島国の何処に残っているのだろうか。

 日本列島に稲作が伝来したのは縄文晩期と云われているので、この草も同じ頃にわたってきたのかと思ったのだが、確かな記録が残るのは室町時代後期の『運歩色葉集』以降である。もっともこの辞書では「宝幢花」の名で出ていてこれがレンゲソウの筑前地方の呼び名であることを指摘しているのは江戸時代の『物類称呼』の著者、越谷吾山である。
 また、緑肥として本格的に利用され始めたのは江戸時代末期で、明治に入って全国的なものとなったようだ。
 


April 22、 2005:  キランソウ (地獄の釜の蓋)
 さまざまな野の草が競い合って茂っているような場所では目に留まることがなく、畑地の縁や背の高くなる雑草が生えることを許されない墓地や庭園で、その濃い藍色で白い筋が唇弁に走る花を咲かせているのがキランソウである。
 地表に張り付いて葉を広げ花を咲かせる姿は、草を食む獣たちが群れを成す草原の中で獲得されたのであろうか。

 キランソウの名の由来については不明とする識者が多いが、紫の古語のキと藍色の花のアイと草、つまり[キ+アイ+ソウ]→キランソウだと解く人もある。
 別名のジゴクノカマノフタは墓地などの地表に張りついている生態に基づくものだといわれるが、ちょっと可哀相な気がしないでもない。
 同じ属にジュウニヒトエ(十二単)というジゴクノカマノフタとは比べようもない洒落た名前の草があるが、地獄の花粉が十二単の花の中に忍び込んで、キランジュウニヒトエという不倫の子も生まれる。
 どうもキランソウは節操に乏しいようで、同じ属のこれも艶のある名のニシキゴロモとの間にも子をなしている。


April 22、 2010: シロバナヤマブキ  Kerria japonica (L.) DC. cv. ‘alba’

 昨日はよく晴れて夏日になったが、一転今日は朝からそぼ降る雨模様である。わずか残っていた庭のシロバナヤマブキの花も明日には散り果てていることだろう。

 時おくれ咲きし山吹葉がくれに
    昨日ありしが今日散りてなし  尾山篤二郎

 家人が3年ほど前にチェルシーガーデンで見つけてきたこのシロバナヤマブキは、今ではかなり珍しい存在となっているらしい。
 野生で見つかったものか栽培中に生じたものかはわからないが、冨山藩主前田利保が天保10年(1839)に著した彩色図鑑、『棣棠図説』で10品種の内の一つとして“浅黄白”を挙げている。これがシロバナヤマブキである。江戸時代にはさほど珍しいものではなかったのかもしれない。また、これより130年前の宝永6年に貝原益軒が著した『大和本草』の棣棠(ヤマブキ)の項にも「…、又白花ノヒトエアリ、黄花ニヲトル、是ハ棣棠ト一類ニアラズ、實アリ、花ハ似タリ、… 」とある。こちらは断定できないが、別属の4花弁で葉が対生するシロヤマブキのことかもしれない。
 山吹といえば大概の人は、八重か一重かは別にして、黄金色に連なる花を連想するだろうが、尾山篤二郎が詠んだヤマブキは何色だったのだろう。
             春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花     正岡子規

 カリエスのため病の床にあった子規は明治34年4月31日の新聞『日本』に、「病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍、竹垣の内に一むらの山吹あり。」と始まる詞書を添えて、山吹の花連作10首を発表している。これはその内の一首である。
 この数日後、「世の中は常なきものと我愛ずる山吹の花散りにけるかも」と詠んでいる。病状が厳しかったのではないだろうか。

    ヤマブキ については →  http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/shoka-hana.html#yamabuki


April 22、 2012: ミツバアケビ Akebia trifoliata (Thunb.) Koidz.
 海鳴れり通草も黒き花を垂れ  相生垣瓜人

 眩しいほどの朝日が差し込む藪のどこかで鶯が上手に鳴いた。その藪の笹や雑木に絡んだミツバアケビの黒紫色のチョコレート細工のような花房が揺れていた。
 秋に熟し、裂開して白い果肉をのぞかせる実を知らない人は少ないと思うが、この地味な花を目にとめる人は多くはないだろう
 雌雄異花で、雌花は大きくて、柱頭に粘液が光る3~6個の子房があり、雄花には青灰色の花粉を出す6個のオシベがある。
 日本全土と中国に分布していて、アケビとムベとともにアケビ科に分類されている。この科には10属35種が記載されているが、チリとアルゼンチンに分布している1属1種のBoquila trifoliata (DC.) Decne と Lardizabara funaria (Molina) Looser 以外はすべてアジア産である。この隔離分布は何を意味しているのだろう。ゴンドワナ大陸起源を示唆しているのかもしれない。前川文夫は彼の古赤道起源論の証左の一つと考えていた。


April 22、 2015: アツバスミレ
        Viola mandshurica W. Becker var. triangularis (Fr. et Sav.) Mizushima
 この菫がごく身近に咲いていることに昨日初めて気づいた。
 花が咲いていなければいつもあちこちで見かけるスミレと思って通り過ぎていたことだろう。
しかし、ひとたび気づくと、不思議なことに、すぐそばの小砂利を敷き詰めた小さな公園の中にも、群生するヒメスミレに混じって、点々とこの菫が生えていた。
 その時は、ひょっとしたら我が家の庭でも増えているアリアケスミレとスミレとの雑種かなとも、帰化種かなとも思ったが、帰宅して図鑑やネットであたってみると、どうやら太平洋沿岸地域に分布するスミレの海岸型変種のアツバスミレらしいということがわかった。
 『静岡県植物誌』によると、伊豆半島から御前崎にかけて分布していて稀な存在ではないという。内陸部で見つかるものは整地などのために運ばれた海砂に混じっていた種子に由来するものだとあった。
 海辺からは20km以上隔たった我が家の近くに忽然と現れたこのアツバスミレはどこからどんな経路で運ばれてきたのだろうか。


April 23、 2006: ”ならここの里”の白い花

ダイコン

白花のカラスノエンドウ

ギンリョウソウ


 掛川市の奥座敷の一つという人もいる”ならここの里”に咲く花を里山を歩く会の皆さんと楽しんだ。
 平地ではすでに初夏の気配が感じられる今日この頃だが、標高830mほどの八高山やその谷向こうの大尾山から降りて来る山風の通り道になっている原野谷川の、その源流近くに位置するこの山里は未だ春の盛りであった。
 水辺ではカワヤナギが芽ぐみ、山側から細道を覆うように伸びているアブラチャンの若葉の盃の中の蕾は未だ開きそうにもない。白く萎れはじめた花房が目立つとはいえ、ミツマタさえかすかな甘い香りを放っていた。
 足元に目を落とせば、底抜けに明るい金色のタンポポが金貨を撒き散らしたように咲き競い、スミレの紫、オオイヌノフグリの青、カラスノエンドウの赤などの賑やかな色が緑のカンバスを引き立てている。そんな溢れる彩えの中に、塗り忘れられたように真っ白な花があった。

 急峻な傾斜地を開墾した狭い畑に黄色の菜の花に混じっていたその白い花はダイコンの花であった。畑に放置されて薹が立って咲いている花の中で白いものはダイコンだけではないだろうか。肥大した根を食べるので同じ仲間と思われがちのカブもその花は黄色である。ダイコンが野生化したハマダイコンは赤紫の花を咲かせるが、人手に頼らずに子孫を残すために、花粉媒介をしてくれる昆虫を誘引する能力の高い遺伝子を持つものが適応した結果であろう。
 河原に作られたキャンプ場の草むらでは純白の花のカラスノエンドウに巡り合った。枝変わりというのではなく、この個体は咲いている花すべてが白であった。発色にかかわる遺伝子が壊れた突然変異個体であろうが、野原でこのような個体に出合ったのは初めてだった。
 人造湖を廻る舗装された遊歩道の縁には、切り落とした斜面の上の林からこぼれてきた枯葉の溜りができていて、その中から透き通るような白さのギンリョウソウが顔をのぞかせていた。こちらは花だけでなく植物体全体にまったく葉緑素が形成されない。生活に必要なすべての養分はモノトロポイド型と呼ばれる菌根に住んでいる菌類に頼っている。この菌類は枯葉などを分解吸収するほか、周りのほかの植物の根にも入り込みそこから養分をもらっているらしい。

 同じ白い花を咲かせる植物でも、その生き方や背負っている歴史はさまざまである。



April 24、 2005:  ハハコグサ
 生い茂るカラスノエンドウに負けじと草丈を伸ばしたハハコグサが黄金細工のアクセサリーような花を咲かせた。

 東南アジアから極東にかけて広く分布していて、中国では鼠麹草とか仏耳草と呼んで古代から薬草として利用され、3月3日にはこの草を煮て粉と蜜を加えた団子を作って邪気払いに食べていた。この習俗を古代の日本でも取り入れて3月3日に餅につき込んで食べていたことが平安時代(879年)の『文徳実録』などに記されている。
 ただし、日本ではなぜハハコグサ(母子草)と呼ぶようになったのかということについては、いまのところ諸説紛々である。
 そのなかでは、奈良時代末期か平安時代初期までには渡来していたと考えられる唐の『新修本草』にある「白蒿」の説明が身の回りにあったハハコグサ(当時この草をなんと呼んでいたかは知る由もないが)に合致するので[ハクコウ→ホウコウ→ハハコ]になったという説が無理がなさそうだ。あるいは「白蒿」の別名とされた「蘩白蒿」から[ハンハクコウ→ハハコ]かもしれない。


April 24、 2011: スズメとカラス  Vicia hirsuta (L.) S.F.Gray and V. angustifolia L.
 春雨とはとてもいえないほどの激しい雨が通り過ぎ、今朝は明るく晴れた。
 花の終わった11月以降放っておいたリコリス園には、気温が上がって枯れ始めた秋期出葉タイプのヒガンバナたちに替わってハルシオンやヤブタビラコやカラスノエンドウなどが元気よく育っている。
 茂りすぎは見た目も悪いので、少し抜き取ってやろうと腰を落とすと、スズメノエンドウとカラスノエンドウが仲良く絡み合っていた。
 名の由来は草丈や葉の大きさ、豆鞘の形の比較からついたものらしいが、花の姿をよく見れば、雀はともかくとして鴉と呼ぶのはいささか可哀相な気がする。カラスノエンドウは江戸時代には野豌豆(ノエンドウ)とも呼ばれていて、若い柔らかなものは蔓も実も食用されたという。

    壷にさすからすの豌豆くるくると
            鬚ほそぼそし細き鬚蔓  尾山篤二郎


April 25、 2005:  ウバメガシ

 遠州の海辺近くの丘陵地の尾根筋にはウバメガシが多い。葉が硬いせいか、積もった落ち葉は長く原形をとどめているので、この木下の乾いた坂道はとても滑りやすい。気をつけてはいたのだが、今日も高天神城址から尾根伝いに下山する途中、みごとに尻餅をつかされた。
 ウバメガシは神奈川県以西の日本列島の沿海部と中国大陸に分布するコナラ属の常緑樹で、樹齢を経たものは高さ10mもの大木になる。
 材質が硬いのでさまざまに利用されてきた。
 もっともよく知られるのが薪炭材としての用途で、その炭は備長炭の名で呼ばれる。元禄年間にこの炭を焼きだした紀州の備後屋長右衛門に因んだ名という。炭にする場合は幹の直径が10cm前後のあまり太くないものを使うので、大木に育つわけにはいかないが、その代わり根元から次々と若い茎が萌芽して、こんもりとした樹形となる。遠州の里山にはこのようなものが多い。
 炭にするほかは手漕ぎ船の櫓臍や櫓杭に加工され珍重されたという。
 



April 25、 2014: ナシ Pyrus pyrifolia Nakai var. culta (Mak.) Nakai
   日のかげになれるところも日あたりも
   咲のまさかり棚梨の花   岡 麓

 遠州の沿海地方では梨畑を見かけないが、花木として植えられたのか果樹として期待はされたが放置されたのかは定かではないものの、時折かなりの古木の花の盛りに出あうことはある。
 今日も、そんな一木が、丘のふもとで咲いていた。
 梨花白し此頃美女をみる小家
                  正岡子規

 梨は日本と中国に分布するヤマナシから古代中国で見出されたされた栽培品種と考えられていて、日本には奈良時代以前に渡来したようだ。『日本書紀』では持統天皇が梨の栽培を奨励している。また、日本のヤマナシの分布は人里に限られているので、自生ではないだろうという人が多い。
 静岡県が南海トラフ巨大地震とそれにともなう津波によって浜岡原発がクラッシュした場合の半径31キロ圏住民86万人の避難シュミレーションを発表した。受け入れ先が決まっていたとして、全員避難には計画通り整然といったとしても32~46時間かかるという。机上の空論である。福島第一原発崩壊の状況と現状を知っている人々は蜂の巣を突いたような行動をするだろうし、車道も鉄路も寸断され、日本がメルトダウンすることだろう。
               白く美しい梨の花を楽しみ、甘くみずみずしい果実を賞味できる日など戻っては来ないだろう。

            願はくばわがおくつきに/植ゑたまへ梨の木幾株//春はその白き花さき/秋はその甘き実みのる//
                       下かげに眠れる人の/あはれなる命はとふな    三好達治


April 26、 2005:  ホソバテンナンショウ
 浙江大学の傳教授が指導している大学院生でビャクブ科の系統解析をテーマに研究している李さんが、中国には分布していないナベワリの生態を知りたいので自生地に案内してほしいとメールをよこした。
 彼が文献で調べたという自生地のリストには、遠州地方では島田、家山、上川根、大尾山、粟ヶ岳など私の居所に比較的近い場所が列記されていた。しかし困ったことに、私はこれらの場所は四半世紀以上も前に歩いたことがあるだけで、しかもナベワリを見たかどうかも定かではなくなっている。地形環境も大きく変わっていることだろう。
 そこで返事を書く前に、一応はそのうちの一箇所だけでも確かめておこうと思い立ち、先ずはアプローチが楽そうな家山に出かけてみた。
 よく晴れた日で、新緑の中を大井川沿いに走る電車の窓からは、川根茶の香りがしてくるような、そんな錯覚を覚えた。
 家山川に支流に沿った山道にかかって最初に出会ったのがテンナンショウの亜種のホソバテンナンショウだった。その薄い緑の仏焔苞はなぜか私から顔を背けていた。


April 26、 2005:  モチツツジ
  ときおり、錚々とした谷川の水音から離れて、あの鈴を転がすようなカジカ蛙の声が聞こえてくる。晩春の谷川の道は彩りだけでなく音も豊かである。
 未だ花の終わっていないヤブツバキなどの常緑樹がと芽吹き始めたばかりに木々が混じる谷の斜面に明るく春を歌い上げるようにモチツツジが咲いていた。
 本州中部以西の低山に普通に見られるツツジで、民家の庭にも植えられている。そのため、西行とか花車などと呼ばれる園芸品種が数多く知られている。
 モチツツジという名は花芽の鱗片に粘液を分泌する腺毛があって、触るとべとつくからである。
 人里近くで目にするツツジなので、モチツツジのほかにもいろいろな呼称が知られている。紀州にはアメツツジやヒッツキツツジの名があるというが、駿河や遠州にはネバルツツジとかいかにもこの地方らしい方言調のネンバルツツジという名もある。また伊豆半島ではムシトリツツジと呼ぶ。いずれも腺毛による「ねんばり」に因んだものだ。


April 26、 2005:  イワボタン

 ナベワリは腐葉土が厚く堆積した斜面が好きだと図鑑に書いてあったので、細い沢に沿った枝道に踏み込んでみた。
 積もった枯葉や枯れ枝の中から聞こえてくるギュギュグ、グググと鳴き交わすカエルの声に、目を凝らして姿を求めても、一向にその居場所がつかめない。多分、伏流水の中に産卵するというタゴガエルなのだろう。
 代わりに目に入ったのが、種子をこぼしてしまった後の裂開した子房を乗せたイワボタンだった。
 イワボタン(岩牡丹)と呼ばれるゆえんについての牧野図鑑の説明には釈然としないが、別名のミヤマネコノメソウからわかるようにユキノシタ科のネコノメソウ属の1種である。種内の変異に富んでいて、5変種に区分されているが、その違いは微妙だと思う。
 ネコノメソウは「猫の目草」ということだが、裂開した実の形が猫の目を連想させるからだ。
 主に北半球の暖温帯に分布していて60種ほどが記載されているが、そのうちの2種は遠く離れた南米にある。



April 26、 2005:  サルトリイバラ
 杉の林がしばらく続いて、やがて視界が開けた。尾根筋の雑木林のさらにその上に谷向こうの市井平の村落があった。
 左手の下草が目立ち始めている落葉樹の林床にナベワリを捜してみようと道を外れて踏み出すと、ズボンの裾に絡むものがある。展開して間もない黄緑の柔ら葉をつけた花の盛りのサルトリイバラだった。
 サルトリイバラはユリ科(最近はサルトリイバラ科に分類されるようになった)の蔓植物で日本全土で目にすることが出来る。雌雄異株で写真は雄花である。
    さるとりの若き芽生ひのひたぶるに
            たよめくものを刺たちけり     釈 迢空
    さるとりの鬚しなやかに濡れにけり
            露はつばらにこまやかにして   釈 迢空
 和名の由来は無論その鋭い刺にあり、野猿すら絡め捕られてしまうという意味である。東北でのジゴクバラや伊豆地方でのモガキとかモンガキバラという里呼び名も実感がこもっている。


April 26、 2005:  ガクウツギ
 なんとなく期待して辿った枝沢沿いの道だったが、結局ナベワリに出会うことはかなわなかった。

 思い直して引き返し始めると、にわかに雷鳴が轟き始めた。今朝みた天気予報は快晴を約束していたこともあって、最初は浜松基地を飛び立ったF16戦闘機の爆音かと思ったのだが、急に暗くなった空から雨粒が落ちてきて、その音は雷鳴だと悟った。
 雷も苦手だが、それよりも雨の中の下山は願い下げである。急いで来た道を引き返す。

 いつものことではあるが、登ってくるときには気がつかなかった花が次々と目に留まる。その一つがこの写真のガクウツギだった。
 東海地方から近畿・四国・九州の低山地に分布する繊細な感じの潅木で、愛鷹山が分布の東限だといわれている。
 名はウツギだが花の姿からもわかるようにアジサイ属の1種でウツギ属ではない。よく似たものにコガクウツギがあるが、こちらは静岡県では伊豆半島だけに分布している。 


April 26、 2005:  ホウチャクソウ

 結局、ナベワリに出会うという目的は達せられなかったが、それもこれも突然の雷雨のせいにして、出発地点の家山に戻った。

 金谷行きの列車が到着するまでの時間がかなりあったので、近くの千葉山智満寺へ寄ってみた。平安時代の千手観音像を本尊として祭る由緒ある古刹である。山門の手前の右手には「茶どころの茶の木畑の春雨」と記された山頭火の句碑があり、左手奥の子育て地蔵の周りにはシャガが茂り、それに混じってホウチャクソウの白い一対の釣鐘花があちこちで咲いていた。

 ホウチャクソウは宝鐸草と書く。宝鐸は馴染みのない言葉だが、仏堂の四方の簷(ひさし)に飾る大型の風鈴のことである。花の形がよく似ていると見立てた名である。
 日本全土で普通にみられるが、韓国や中国南部にも分布している。中国でも宝鐸草と呼ぶことが多いようだが、淡竹花の名もある。これは葉の形が淡竹(ハチク)に似ているからだ。
 日本では若葉を山菜として湯掻いて食べることがあるが、ネパールでも近縁の万寿竹(Disporum cantoniense)をマーヤリとかサノ・ククルディノと呼んで山菜にしている。
 ホウチャクソウは薬草として利用されることもあり、宇都宮貞子さんによれば戸隠村ではエンメと呼んでいて、根茎をすりおろしたものを紙に塗って吹き出物などに貼るとよく効くそうだ。中国では万寿竹が重要な漢方薬で、咳止め・内臓の止血・消化促進などに処方されている。

 * ホウチャクソウは毒草? *
 H.O.さんから「山菜として食べる」と書いてあるが、ホウチャクソウは毒草ではないのか?というお便りをいただいた。
 私は高校時代の採集会で先生から美味しいものではないが食べられると聞いて以来有毒との認識は持っていませんでした。その後、アマドコロなどと一緒に灰汁で茹でてさらしたものを少量かじったことがありますが、おいしいものではありませんでした。 平凡社の『世界有用植物事典』にも「山菜として利用する」とあります。また、データハウス社の『毒草大百科』をはじめ、手持ちの毒草関係の文献にもホウチャクソウはとりあげられていません。 ところが、インターネット検索すると毒草(あるいは毒草らしい、中毒症状不明、毒成分不明)とするページが相当数ヒットします。
 どうやら、ホウチャクソウ毒草説が流布し始めたのは2001・05・13に放映された”所さんの目がテン!~都会で発見、山菜の科学~”以降のようです。 オリジナルの情報の出所を確かめるつもりですが、ご存知の方がおられたら、ぜひお教えください。
 
化学成分に対する反応には個人差がありますが、読者の皆様は用心なさって、口になさらないでください。 2006/05/08



April 26、 2011: ゼンマイ Osmunda japonica Thunb.
 むらさきの綿かづきたる薇の
         芽に春の日は光をなげつ  岡 麓

 ここ数日、早朝の気温は6℃前後まで下がっているが、日が昇ればやはり晩春の暖かさで草木に勢いを与えている。常葉の岡のゼンマイも、間もなく緑の胞子を柔らかな風に運んでもらうことだろう。
 福島原発の暴走によって、理不尽にも人々は追いやられ、悲しげな家畜の声と鳥たちのさえずりとときおり吹き過ぎる風の音の他はしんと静まり返っている双葉の山里でも、ゼンマイのぼぼける日が直ぐそこまで来ているはずである。
 知れば知るほど、胸つぶれる思いの深くなる春である。
 政争に明け暮れる国会議員たち、脱原発などできるはずもなかろうと嘯く老齢の都知事、自衛隊機で帰京しようとした東電社長~なんという官民癒着だ。国民優先だとストップをかけた防衛大臣は正しい。新聞社のアンケートで総理大臣にふさわしい人の第一位が9%程度で小沢だというが、これは適任者が見当たらないということだろう。なさけない。


April 27、 2006:  イスノキ
 常緑で光沢ある葉の茂みの陰で、真っ赤なイスノキの花が咲いていた。
 奇妙な形の花である。花弁はなく、痕跡的な蕚片がいく枚かあり、その先に赤い米粒のようなオシベと花柱が2つの釣り針状に分かれたメシベがある。
 イスノキはマンサク科に分類されているが、専門家でないかぎり、この花の形や質感のある常緑の葉を一見しただけでその所属がわかる人はいないだろう。早春に咲く夏緑性のマンサクやトサミズキなど典型的なマンサク科のものとは異質の存在である。
 イスノキそのものの語源は皆目わからないが、貝原益軒の『大和本草』にもあるように古くはヒョンノキと呼ばれていた。これはこの樹に寄生したモンゼンイスアブラムシによって作られる大きな中空の虫こぶを笛に見立てて吹いたときのヒョンヒョンという音に由来するらしい。

 私がこの木に初めて出合ったのは、千葉大学植物同好会の学生さんたちと訪れていた南伊豆は吉佐美の八幡神社境内であった。1978年の4月の末のことであった。そんな遠い昔のことをどうして覚えているのかいぶかしく思われるかもしれないが、この名を知ったその日、お世話になっていたシダ植物の分類でその名を知られた倉田悟先生の訃報を受け、急いで帰京した故である。
 その後、先生が他界される3年前に出版された『樹木民俗誌』のなかで、この八幡神社の全国的にも稀なほどのイスノキの巨樹について触れられていることを知り、不思議な縁と記憶に刻まれたのであった。


April 27、2009:  ヤブデマリ Viburnum plicatum var. tomentosum

 藪手毬白き簇花咲きそめて
         若葉のながめ夏めきにけり     岡 麓

 西方川のほとりから、おちこちの梢にノダフジの花穂が連なって揺れている常葉の岡へ登った。
 登校を急ぐ少年が、重そうなバッグを前籠に置いて、息を切らせて自転車を押してゆく、その急坂が抜ける藪の中で、咲き初めたヤブデマリに出合えた。
 木漏れる朝の光の中ですら、その純白の装飾花は眩しかった。 関東以西の山地の谷間で目にすることの多いスイカズラ科の低木で、秋になって真っ赤に熟す小粒の果実も美しい。
 信州鬼無里ではこの木をクサギとかネコノクサギと呼ぶそうだが、これは土地の人たちがいうようにヤブデマリを薪にして燃やすと猫の尿のような悪臭を発するからだろう。
 
 メキシコで豚インフルエンザが人に感染し、すでに100人を越す死者が出、感染者は地球規模で広がりつつある。止められるか。



April 27、 2013: サンショウ Zanthoxylum piperitum (L.) DC.
 山椒に実のなることは予て知る
        嘗て記憶になき花あはれ  尾山篤二郎
 まことに地味な花である。
 春と夏が綯い混じるこの季節、新緑の雑木林の木漏れ日の中で咲く小さな花は、触れればほろりと散る。
 北海道から九州にわたる山地でよく出合うミカン科の低木だが、花期があわただしく過ぎ去ることとその地味さとがあいまって、尾山が詠んだように花を見たことがないという人が多い。
 それに引き換え‘木の芽’と通称される清香を放つ若葉と、舌と唇に痺れ感を残す実は、和食の引き立て役としてあまりにも有名である。
 ことに実の方は“はじかみ”の名で古代から利用されていたことが記紀の記述からわかる。例えば古事記には「・・・・久米の子等が垣下に植ゑし波士加美口ひびく・・・・・」とあるからこの時代には既に野から庭へと移されていたのだ。

 山椒の若葉をつめば山椒の
     香こそだだよへむせぶばかりに  大悟法利雄
 このところ日本政府の外交方針が支離滅裂である。
 自民党政権とその支持者たちはどんな日本の未来を思い描いているのだろう。核不拡散条約準備委員会の核兵器使用禁止共同声明への署名も拒否した。核武装して肩怒らせ他国と角突き合わせるる北朝鮮的軍国にしたいようにも見える。そうなれば、真っ先に死の縁に立たされるのは兵士たちと老若男女である。
 彼らは国に殉じた英霊に敬意と謝意を示すために靖国神社を参拝するのだというが、300万に近い英霊の思いを考えているのだろうか。彼らの考えている国とは何なのか。
 英霊として祀られた人々はその死に直面して、父母妻子恋人に幸あれ故郷に幸あれと願っていたに違いなかろうが、戦って敵をとってくれと願っていたはずもないだろう、と私は思う。
 思慮深く行動してもらいたい。


April 28、 2005:   オオジシバリスミレコオニタビラコ

 東海道の在来線が牧の原台地を貫く金谷トンネルを抜けて大阪方面へ向かうとき、右手の車窓から見ることのできる、山腹に”茶”の字が読めるこんもりとなだらかに盛り上がった山が粟ヶ岳である。
 記録ではこの山にもナベワリがあることになっていたので、一昨日の疲れが未だ抜け気ってはいない老躯に鞭打って(というほどでもなく、むしろ浮々と)出かけてみた。
 結果はまたもや空振りであったが、麓近くの山道では数え切れないほどの晩春の花々にお目にかかれた。
 オオジシバリは夏を思わせる強い陽射しを跳ね返すように輝き、スミレは時おり地面を吹き払ってゆく風に耐えようとしているかのように身を寄せ合って咲き、コオニタビラコは少し湿った窪地の中で身を隠すように小さな花を開いていた。
 


April 28、 2010: アマドコロ
             Polygonatum odoratum (Mill.) Druce var. pluriflorum (Miq.) Ohwi

   木漏れ日と親しみ咲ける甘野老    福原十王

 間もなく連休が始まろうというのに、今年は肌寒い雨の日が多く、いつもなら里に漂っている焙炉の香りも未だない。それでも雲が切れさえすれば初夏の日差しが降り注ぎ、草木はこの季節らしい佇まいを見せ、我が家の庭でも、若葉を広げ始めている山法師の根元で、アマドコロの小さな白磁の壷のような花が葉陰で揺らいでいる。
 アマドコロは極東に広く分布するナギイカダ科(Ruscaceae: APG-system) の多年草で、根茎の形がヤマノイモ科のトコロ(野老)に似ていて甘いのが名の由来である。デンプン含量も多く、古代から食用にされ、平安時代には恵美久佐と呼ばれていた。“笑み草”という意味であろう。この時代、安麻奈とも呼んだ。“甘菜”ということだろう。漢方では滋養強壮薬として使われ、また腰痛や打身には根茎をすりおろしたものを塗布するという。
 有用植物ゆえ里呼び名も多い。『日本植物方言集』には30余の呼称が拾われていて、いろいろと面白いものがある。
 伊那谷に残るキツネノチョウチンは里の子供たちの発想のようだし、野尻湖付近でのエメンコブクロは延命小袋のことで、薬草の知識のある大人の命名だろう。延命小袋は大黒さんの持っている万能薬の入った袋のことだが、むろん開花直前の膨らんだ蕾も念頭にあったはずである。 里呼び名の由来をあれこれと考えるのは楽しいですね。
  
 米軍基地問題はどんな決着を迎えるのだろう。先日の反対集会に集まった高校生の一人が、「基地は沖縄から出て行ってほしい、でも内地の人に引き受けろと言うのは心苦しい。この苦しみは誰にも味わってもらいたくない」と語っていた。これは、米軍基地は日本には要らないということである。今もってはっきりものを言わない鳩山さんは、ひょっとしたら「米軍には立ち退いてもらいたいというのが日本の結論である。その方向で話を進めよう。」と5月の末に発言するということになるのではないか、などど思っている。


April 28、 2012: ツルナ Tetragonia tetragonoides (Pall.) O. Kunze.

 遠州灘から20kmも内陸の、東名高速道の下のバス停の傍に、花をつけたツルナが茂っていた。
 しかし、どうして、どんな道を辿って、こんな所に根を下ろしたのだろう。
 御前崎や浜岡とを行き来する車が頻繁に利用する37号線だから、車体に付着した種子が吹き寄せられて芽生えたのかもしれない。
 大部分の種が南アフリカに分布して、マツバギクやリビングストンデイジーなどのように華麗な花を咲かせるものが多いツルナ科の中では珍しく小さく目立たない花をつける海浜植物で、太平洋域の暖地に広く分布している。
 各地で野菜の一つとして利用していて、日本では“浜辺のホウレン草”などと呼んで、湯掻いて御浸しにしたり天麩羅に揚げたりしているが、アカザ科のホウレンソウとは縁遠い存在である。インドネシアなどでは積極的に栽培し、市場で売られている。また、大航海時代、キャプテン・クックは船乗りの健康維持に重用したことが、1769年の彼の航海日記に記されている。
 中国では全草を乾燥させたものを蕃杏と呼んで、解熱や解毒に処方されてきた。
  
  チェルノブイリ4号炉の爆発から26年経って、劣化した“石棺”からの放射性物質の飛散を防ぐための巨大シェルターが26日に着工された。幅257m、奥行き150m、高さ105mだという。建築費だけで1600億円余がかかるらしい。しかも、メルトダウンした核燃料などが固まった“象の足”の処理はこれから30年後に始まり60年はかかると発表されている。その経費は計り知れない。
 東電第一原発1~3号炉の処理は40年で終わると当事者はいっているが、それを信じている人がいるとは聞いたことがない。
 浜岡原発では津波避けの壁をやはり2000億円近くかけて作っているが、巨費を投じて再稼動を目指す意図が理解できない。そして、耐震性については3.11以後再検討している気配がない。
 それもこれもあって、私としてはM9という東南海地震が近々に起こらないことを祈るのみである。


April 29、 2006:  アオキ Aucuba japonica Thunb.
雄花: 4個の白い点がオシベ。メシベは痕跡的 雌花: オシベはなく緑のメシベだけ

 すべての場所で、というわけではないのだが、この辺りの枝打ちが滞っている杉林の暗い林床では、どんな植物よりもアオキが元気よく育っているように思える。さすがは典型的な陰樹というべきだろうか。そのアオキがいま花の盛りである。
 冬の最中に真っ赤に色づくあの楕円体の果実と違って、アオキの花はまことに地味な存在である。指摘されて始めて知ったという人も少なくないほどである。
 したがって”青木の花”は晩春の季語であるにもかかわらず、それを詠った短歌や俳句は極端に少ないようだ。
 私の知る唯一の句は宮崎白夜の 弾まず来る縁談一つ花青木 だが、みごとにこの花の雰囲気を捉えていて、なにやら静かな物語が始まる気配である。

 この仲間はヒマラヤから日本にかけて3種ほどが記載されているが、アオキそのものは日本の固有種である。厳冬にも生気を失わず美しい実をつけるこの低木は1783年にヨーロッパに導入された記録があるが、このときは雌雄異株であることに気づかずに実のつく雌株だけが持ち込まれたため期待に反したのだが、その後に雄株が移入され赤い実を楽しむことができるようになったというが、その時までには半世紀以上の時が流れていた。
 
 雌雄に関係したことといえば、昨日とどいた『植物研究雑誌、第81巻第2号、pp:107-112』に岡山理科大学の津坂真知子さんたちのアオキの染色体研究の論文があった。それによると雄株と雌株で染色体の組み合わせが違っていて、どうやらXY型に近い性決定の仕組みがあるようだ。 

 

April 30、 2006:  カキドオシ   Glechoma hederacea L.
 道端の枯れ木に寄り添うようにしてカキドオシが咲いていた。写真を撮るために日を遮ると、気がつけば跳ね上がっていた上唇にあたる花びらが下がってしまっていた。
       垣通この村の猫よく眠り   峠素子
       老猫の尿始末せり垣通   安西篤
 なぜか春たけなわの寒村の人懐こい猫が思い出されるのがこのカキドオシの柔紫の唇形の花である。
 花時は周りの草や藪に寄りかかるようにして立ち上がり、対生する葉の腋に一つずつ花をつける。しかし花が終われば地表に倒れ長く蔓状に伸びて行き、接地した節から根を出して茂ってゆく。こんな生態をとらえて日本では垣通、英国圏ではグラウンド・アイビーと呼んでいるが、中国ではその薬効を重視して活血丹という。
 もっとも、分類学者は花のサイズがやや小さなヨーロッパのものと東アジアのものはそれぞれ変種として区別している。
 黄疸や解熱、止血に処方される漢方の連銭草はカキドオシを干したものである。若いものを湯掻いて水に晒せば食べられると言うが、未だ試したことはない。


April 30、 2011:  セッコク  Dendrobium moniliforme (L.) Sw.

 7年前に花師匠に分けてもらったセッコクが連休を前に咲き初めた。
 小さな花ではあるが、顔を寄せれば、ウエディングベールのような優しげな花びらの中から爽やかな芳香がこぼれてて来る。
 岩手県から沖縄に亘って分布し、樹上や岩場に着生するセッコクは平安時代に編まれた『和名本草』に“須久奈比古乃久須穪(スクナヒコノクスネ)”“以波久須利(イワクスリ)”の名で登場しているように、古代から薬用植物として利用されていた。スクナヒコ=少名彦命は皇朝医薬の祖神であり、クスネは薬のことである。
 古来セッコクには石斛という漢名を当てているが、中国の石斛は別種の D. nobile Lindl で、長江以南にも分布しているセッコクには細茎石斛の名を当てている。
 江戸時代には観賞目的もあって広く栽培され、太田南畝(蜀山人)の『一話一言』のには「こヽに石斛と名づくる小艸あり、閑雅の逸物にして、暑地なきも、寒暖土地の嫌ひもなく、つくり楽しむに、いとやすふして愛する人多し、・・・・」などと記されている。
  草の名によりてや人の好らん
           いわくすりとぞ弄ける    蜀山人



April 30、 2013: シュロ Trachycarpus fortunei H. Wendl.

 梢より放つ光やしゆろの花   蕪村

 ゴールデンウイーク前半の3連休が終わったが、日本列島では夏と冬がせめぎあっていて、北海道では雪が舞い、沖縄では海辺に歓声があがっている。そして遠州はといえば、常緑樹の多い丘陵地のあちこちが椎の花でカスタードクリーム色に彩られている。
 その丘の麓に散在する旧家の庭ではシュロの木に黄金細工のような花穂が下がっている。
 中国湖北省以南からビルマとインド北部が原産地で日本でも九州南部のものは自生だといわれるヤシ科の植物である。さまざまに利用される有用樹で、古代から各地で栽培されていた。
 主に利用されるのは枯れた葉の葉柄基部に残る網状の褐色の繊維で、集めてロープ(棕櫚縄)を編んだり、細かな砂と交互に敷いて汚れた水を浄化するフィルターにしたりする。枯れる前の葉は葉柄基部から切り取って扇に代用したり、蝿叩きにする。
 日本では平安時代に編まれた『本草和名』に唐の『新修本草』にある栟櫚木、椶櫚が日本の須呂乃岐(すろのき)にあたると記されていて、すでに植栽されていたのだろう。

 休まむと葉かげに入れば棕櫚の木の根がたくまどりこぼれたる花  谷鼎
   
 3月に福島市が測定した市街地の放射線量マップを見ると、広範囲が居住不適だが、なぜか政府もマスコミも知らぬ顔の半兵衛をきめこんでいる。



April 30、 2015: ミヤコグサ Lotus corniculatas L. var. japonicus Regel.
 急雨の過ぎし明りに黄金花
               深谷雄大

 三軒家という昔懐かしい名の残る地区を流れる菊川の土手を、彼女にしか聞こえない声に反応しパラレルワールドを行ったり来たりする家人と、皐月の風に運ばれてくる藤の花のかすかな香りを楽しみながら歩いた。
 私たちを覗き込むように目の前でホバリングした熊蜂が、すと下がって行った斜面に目を移すと、鮮やかな黄色を誇るようにミヤコグサが咲いていた。
 この草の名が私の脳裏に深く刻まれたのは、駄洒落好きの生物の先生の「田舎にあっても都草」の一言であった。
 古の都の跡のみやこぐさ青草原に黄をちりばめぬ      宇都宮貞子
 この季節、雑木林では白い花がにぎやかだが、草原では黄色の花がよく目につく。
 その中でもミヤコグサの黄は際立っているように思う。そのためだろう、キレンゲ、コガネグサ、タマゴグサ、バナナバナ、オツキサンバナなどの里呼び名がある。

野の花便り~晩春~」はここまでとして、「野の花便り~初夏~」を始めます。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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