AKI
野の花便り~~  ~~

十日過ぎ二百二十日の萩の花     横山蜃楼

秋涼の風が渡るころになると、野の花たちの彩りも、なにとはなく寂しげになってきます。
そんな移ろいの気配を、遠州の野辺からお届けしましょう。

索引

 アオツズラフジの実 アオツズラフジの花 青蜜柑 アキカラマツ アキノキリンソウ
 アキノノゲシ アケボノソウ アラカシ イシミカワ イワショウブ  ウメモドキ オオイヌタデ
 オオバアサガラ オオバコ オオユウガギク オトコエシ カナムグラ オニタビラコ ガマズミ
 カヤツリグサ カラスノゴマ 変わり朝顔 キツネノマゴ キツリフネ キンミズヒキ
 ギンモクセイ クサボタン クズ クロガネモチ コウヤボウキ コミカンソウ コバノガマズミ
 コムラサキ サクラタデ サネカズラ サラシナショウマ サワシロギク シオン シュウブンソウ
 シラタマコシキブ シラタマホシクサ ススキ セイタカアワダチソウ セリ ソバ タカサブロウ
 タカトウダイ タマスダレ タラノキ ダンギク タンバクリ チカラシバ ツクバネ
 ツリガネニンジン ツルヨシ テンモクザンホウセンカ トキリマメ トゲシバリ ナガバヤブマオ
 ナンテンハギ ナンバンギセル ナンブアザミ ヌマダイコン ヌルデ+五倍子 ヌルデの雄株
 ネコハギ ノアズキ 野菊 ノササゲ ノシラン  ノブドウ ハクホウコウ ハナイカリ
 ハナトリカブト ハマギク ハンゴンソウ ヒガンバナ~除草剤被曝度センサー ヒメシロネ
 ヒメジソ ヒメツルソバ ヒヨドリジョウゴ ヒヨドリジョウゴの花 ヒルガオ フジアザミ 藤袴
 ホシアサガオ ホソアオゲイトウ ホソバヒメミソハギ ホテイアオイ ホトトギス マルバハギ
 ミズオオバコ ミズヒキ ミゾソバ ミツバアケビ ミヤマニガウリ ムラサキキツネノカミソリ
 メドハギ 
モクセイ モッコク ヤクシソウ ヤチトリカブト ヤブキタ ヤブマオ ヤブマメ
 ヤブムラサキ ヤブラン ヤマハギ ヤマホトトギス ヤマボウシ ヨメナ ヨモギ ワルナスビ
 森町「町民の森」の植物 (アカメガシワ アレレチヌスビトハギ イガクサ ヒノキバヤドリギ
 ホザキミミカキグサ) 紅葉散る門桁山 (ヒトツバカエデコミネカエデウリハダカエデ
 富士山五合目 (カラマツ、コケモモ、タカネバラ、 マイヅルソウ、 ミヤマオトコヨモギ、
 ミヤマハンショウヅル、ミヤマフタバラン
) 箱根十国峠の花 (マツムシソウ、トネアザミ、
 ヒメノキシノブ、ヤマハッカ、ノコンギク、ヤマラッキョウ、ミヤマシキミ、 フユノハナワラビ

 真鶴岬 (キチジョウソウ・ イワガネソウ ・ツルソバ) 龍吟の森散策 (イタドリ、ヒガンバナ、
 壱師、シュウカイドウ、ヤマジノホトトギス、ヒヨドリバナ、ヒメカンアオイ、 マルバノキ、
 カシワバハグマ、メドハギ、ヤマハギ、ミヤマガマズミ、コバノガマズミ

 <追加>

12.09.09 アケボノソウ  12.09.16 ネコハギ  12.09.19 ミヤマニガウリ
12.09.27 ヤチトリカブト  12.10.03 ハンゴンソウ  12.10.05 クサボタン
12.10.10 フジアザミ  12.10.18 ハナイカリ  12.10.28  シュウブンソウ 
12.11.04 キツリフネ
2013.09.09 サワシロギク 2013.09.14 シラタマホシクサ  2013.09.20 イワショウブ
2013.09.26 ヒメシロネ  2013.09.28  セリ  2013.10.03 オオバアサガラ
2013.10.11 ヌルデの雄株  2013.10.15 ヒガンバナ~除草剤被曝度センサー
2013.10.25 ナンテンハギ  2013.10.29  ハナトリカブト  2013.11.06 オオユウガギク
2013.11.11 ヒルガオ
2014.09.09 ムラサキキツネノカミソリ  2014.09.16 ヤブラン  2014.09.22 タラノキ
2014.10.03 青蜜柑  2014.10.10 ヨモギ  2014.10.25 藤袴
2014.11.07  トゲシバリ



September 5、 2008: ミズオオバコ Ottelia japonica 
 いくつもの小さな低気圧が日本列島を取り囲んでいて、時折り思いついたように激しい雨が通り過ぎた。
 戸谷の突き当たりの小さな溜池の中に、大きな雨粒があたれば裂けてしまいそうな、薄く透明感のある純白の3枚の花びらを水面の広げて、ドチカガミ科のミズオオバコが咲いていた。
 オオバコに似た大きな葉は沈水していることが多いので、花が咲いていなければその存在を見落としがちである。私などは地域の植物に詳しい方に教えられて気づくのが常であった。
 西国にカワジシャという里呼び名があるように、かつてはこの柔らかな葉を蔬菜として利用したという。
 日本や中国から東南アジア・オセアニア・アフリカにわたって分布してい、葉に鋸歯がありオシベが6本のものはオオミズオウバコ(O. alismoides) と呼ばれる。熱帯ではかなりの大きさになるようだ。中国ではこちらが水車前(みずおおばこ)である。
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 福田総理大臣が唐突に辞任したのには呆れた。「私は自分を客観的に見ることができるのです。あなたと違うんです」と、辞任の弁に対して「人事のようではないか」と質問した記者に気色ばんだのにも呆れた。そして次期総裁選挙に対するマスコミの浮かれぶりにも呆れている。


September 6、 2009:  サネカズラ Kadsura japonica 
 8月11日の駿河湾地震以降、今日に至るまで雨がない。台風11号に期待したが、遠州地方は素通りで一滴も落ちなかった。そんなわけで、数日前から庭土も乾ききりひび割れが目立ち始めたので、植木にも水遣りをせざるをえなくなった。
 今朝、その散水の途中、センダンの根本に散っている小さな花に気付いた。登らせておいたサネカズラがいつの間にか咲いて散っていたのである。秋深くなって真っ赤に熟す和菓子のような果実はよく目にとまり短歌や俳句にも詠まれているが、花は見落とされがちである。かくいう私も散ってからやっと気付いた次第である。
 そっと拾い上げてみると、10枚ほどのクリーム色の苞に囲まれて赤い花托がすでに赤く色づいていた。小皿に浮かべてみると、小さな小さなハスの花のようでもある。
 蔓にとどまることなく早々と散ってしまったのは、やはり水枯れのせいなのだろうか。来年は虚子の詠んだように「葉がくれに現れし実のさねかづら」を見たいものである。
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 衆院選では民主党が大勝したが、政治の仕組みが変ることを期待する。
 2011.09.06来年は虚子の詠んだように「葉がくれに現れし実のさねかづら」を見たいもの、と一昨年書いたが、昨年も実を見ることはできなかった。それもそのはずで、サネカズラは雌雄異株だったのだ。我が家の株は雄株で、散っていたのは雄花だった。うかつといえば迂闊だが、自分の無知さ加減にあきれたしだいである。
 ところがである、雌雄同株の個体も存在することがわかった。 詳細は、
こちらをご覧ください。


September 6、 2008: アオツズラフジの花 Cocculus trilobus
 蒸し暑い朝であった。日の出前の気温が25℃もありしかも湿度は80%を越していた。こんな朝は体調も今ひとつだが、誘われて散歩に出た。
 例によってデジカメを下げてのぶらり旅だが、この季節はまことに野の花が少なく、一度もシャッターを押す機会がないこともあるほどだ。
 しかし今朝は、運のよいことにアオツズラフジの花を見ることができた。秋が深まって丸い実の房が青黒く色づくとよく目にとまる蔓植物だが、直径が2mmほどの白い花を注意して観察したのは始めてである。目ざとい家人のおかげであった。
 雌雄異株で、写真は雌花である。6枚の花弁は外側3枚が小さく内側3枚が大きい。6匹の子兎を連想させるものは退化したオシベ、中央は6個の小さなメシベの束である。雄株があるかと探したが、残念ながら見つからなかった。
 牧野図鑑によれば、和名の“アオ”は茎が緑色であることをあらわし、“ツズラ”はこの蔓茎で編んだ籠のことだという。カミエビという名でも呼ばれるが、こちらの“カミ”は神で、“エビ”はブドウの古語だろうといわれている。
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 帰宅して新聞を開くと農水省が売却したメタミドフォスやアフラトキシンなどで汚染している有害米が食用として流通していることが報じられていた。10年も前からだという。流通させた業者は論外だが、政府が有害米を輸出国へ直ちに返却しないばかりか買い取っていたことも理解できない。


September 6、 2011: ヒヨドリジョウゴの花  Solanum liratum Thunb.

 大型の台風12号は豪雨をともないながら鈍牛の歩みで四国から山陽山陰を北上して4日未明には日本海に抜けたが、雨は降りや先ず、各地で洪水や土砂崩れが起こり、多くの犠牲者が出た。とりわけて紀伊半島での被害が大きかった。奈良県上北山村には72時間で1600mmもの降雨があったという。津波もそうだが、水の破壊力の凄まじさを再認識させられた。

 台風は日本海上で昨夜やっと温帯低気圧になり、遠州の雨も夜明け前には止んで、久しぶりの日が射した。気温も23℃と涼しい朝になり、二人で常葉の丘に登った。
 秋の花はまだ少ないが、藪に絡んだヒヨドリジョウゴの蕾が、淡い紫色のマントを脱いで、筒状にまとまった紫褐色のオシベの束を貫いた白いメシベを見せていた。

  ここに来てひよどりじゃうごといふ花を
    われは愛でつと人は知らなく   斎藤茂吉


 インドシナ半島上部から中国は長江流域以南と韓国と日本に分布するナス科の蔓性の小木で、晩夏にひそかに咲く花は目立たないが、秋も終わりに近づくころには、いやでも人目を引く真っ赤で艶やかな丸い実となる。

           鳥の声光る鵯上戸の実     長山あや           赤い実がひよを上戸にしたりけり     一茶

 貝原益軒の『大和本草』などを見ると、日本人は冬枯れても枝先に残るこの紅玉を風情あるものと覚え、古来庭園に植えて観賞したことがわかる。また、1603年に編まれた『日葡辞書』にも「Fiyodorijogo:垣などに巻きつく草の一種」とあり、はるばる渡来したイエズス会の修道士たちの目にもとまっていた。
 漢方では全草を白毛藤と呼んで、解熱・鎮痛剤として関節痛などに処方する。また芽立ちのころの柔らかな蔓は茹でて水に晒せば食べられるという。


September 7、 2005:  タカサブロウ   Eclipta prostrata
 今年の14号は九州地方を中心に降雨量の新記録を樹立して、今は日本海上を北海道に向かって進んでいる。進行の緩慢さがあだとなり、予想をはるかに上回った雨が長時間にわたって降り注ぎ、各地に洪水と土砂流災害を引き起こして、人々の命を奪っていった。
 東海地方は幸いにして大きな被害は免れ、昼過ぎには強風が時々吹くものの、陽射しが戻ってきた。庭に出てみると、葉が茂っていた鉢物は倒れ、リコリス類の花茎の多くが地表に頭をつけてしまっていたが、背の低い野草のタカサブロウなどは何事もなかったように花を咲かせていた。
 タカサブロウとは曰くありげな名であるが、なぜなのかわからないが人名の高三郎のことだろうとか、古名のタタラビが転訛したのであろうとかいわれる。だが、いずれも説得力に欠ける。平安時代の『本草和名』にはウマシタキとあるが、これも意味不明だ。また、中国名は鱧腸(リイチャン)、つまり”ヤツメウナギの腸”だが、これもなぜそう呼ぶのか良くわからない。
 アジアの人里に広く分布していて、岡山県の縄文時代後期の遺跡から痩果が出土していることなどから、日本のものは史前帰化植物ではないかといわれている。


September 8、 2004:  アキカラマツ   Thalictrum minus var. hypoluecum

  各地に瞬間最大風速の新記録を残して日本海の上を駆け抜けていった台風18号だが、我が家でも花壇の彩が乱され、葉を茂らせた鉢物がことごとく吹き倒された。 吾がいとしの清少納言さまは「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」と、強風に乱された庭園のようすを楽しまれているのだが、後片付けをする身になってみると、そうもしていられないのは悲しい。
 鉢を立て直し終わった頃には青空がのぞき、こちらも風雅心をとりもどし、「野分のまたの日」の野の様子はと、いつもの丘へ出かけてみた。
 途中に通った水田では、あちこちで取り入れ間近の稲穂が押さえつけられたようにねていたが、丘の草たちはいつに変わりなく見えた。わずかばかりの風にもゆらゆらと揺らいでいたアキカラマツさえ、花も散らさずに立っていた。
 和名は「秋に咲く唐松草」の意味だが、アジアの暖温帯に広く分布するキンポウゲ科の多年草で、地下部には歯痛や解毒に効く成分が含まれている。



September 8、 2010: ホソアオゲイトウ Amaranthus hybridus L. 
 台風9号が日本海に入り山陰地方に上陸して本州を横断し東海も暴風圏に巻き込まれるらしいという予報を聞いていたので、降りだす前にと東の空の朝焼けした野道を歩いた。
 藪に絡んで咲き始めたクズや点在する白いノアサガオはあるものの、日照り続きの猛暑で乾ききった野には咲く花は乏しい。水枯れで黄変し元気のない路傍の草むらだが、その中で際立って元気がよかったのがホソアオゲイトウだった。
 熱帯アメリカが原産地といわれるが、世界中に分布していて、日本でも北海道から沖縄にかけて、荒地や道端に生育している。明治時代の末に渡来したものと考えられている。
 日本では利用しているという話は聞かないが、メキシコ中央部のアステカ族、ユカタン半島のマヤ族、北アメリカの先住民は薬草や野菜として利用している。例えばチェロキー族は葉を青トウモロコシの粉と混ぜて月経過多の治療に使い、ケレス族は全草の煎じ汁を胃薬にする。またアコマ族は若い草を湯がいて乾燥させて冬季の食糧として保存しているという。
 ホソアオゲイトウは近縁の北米原産でやはり帰化しているアオゲイトウ(A. retroflex L.)などと容易に交雑して中間型ができるという。画像の個体は茎の赤みが強く、ひょっとしたらこの中間型なのかもしれない。


September 9、 2004:  コムラサキ  Callicarpa dichotoma

  和子が可愛がっているコムラサキの、宝石のような実が薄紫に色づいてきた。園芸店ではムラサキシキブの名で売っていることが多いようだ。よく似てはいるが本物のムラサキシキブの枝は斜めに立ち上がり、枝垂れることの多いコムラサキと区別できる。葉の縁のぎざぎざもコムラサキのそれより荒い。日本のほか韓国と中国にも分布していて、どちらかといえば湿った土地を好むようだ。
 ムラサキシキブは平安の才女、紫式部を連想しての名らしい。それで、木振りが優しいこちらは小紫式部、略してコムラサキということのようだ。人によってはコシキブ(小式部)とも呼ぶ。

        小式部に濁りすぐ澄む沢ふかし  篠田悌二郎
        白式部白となりつゝ珠太る      江口竹亭

  稀だが、実が白く熟す個体もある。



September 9、2012: アケボノソウ Swertia bimaculata (Sieb. et Zucc.) Hook et Thoms.
 日本のすばらしい自然を、美しい日本語で記し続けられて、20年前の冬の日に、その自然に溶け込まれた宇都宮貞子さんが「丈高く、行儀よく、スッと立つ娘。きまりのいい、理知的な娘」と表現されたアケボノソウが咲いていた。
 私もこの花が好きだ。涼やかで静かな、初秋の朝の野そのもののような花である。
 そんな花なのに、なぜか俳句にも短歌にも詠まれていないし、古典や江戸時代の本草書にもその名を見ない。リンドウ科でセンブリと同属だが漢方でも薬草として利用されることがなかったので注目されなかったのだろうか。とすれば、この花に最初に注目したのは Ophelia bimaculata Sieb. et Zucc. という学名をつけたシーボルトだったのかもしれない。
 また、アケボノソウという和名の由来もよくわからない。牧野図鑑は「曙草でその花の色があけがたの空をいろどり、特に花冠に散布する細点を暁の星と見立てて名付けたものであろう」と解説しているが、いまひとつ納得がいかない。英名は double-spotted swertia だが、これは花弁に対になって並ぶ蜜腺様の斑点に注目していて、わかりやすい。
 シーボルトの採用した Ophelia という属名はスコットランド生まれでキングス・カレッジの教授だった植物学者のDon David がセンブリの仲間につけたものだが、花弁の斑点を小惑星に因んだものか。それとも花のイメージが「ハムレット」のオフィーリアを連想させたのか。


September 9、 2013: サワシロギク Aster rugulosus Maxim.
 異常気象と呼ばれる日々が続いたが、白露を過ぎるとともに秋の気配が濃くなってきた。野菊がにぎやかになる季節の始まりである。今朝の最低気温は22℃で、丘の辺をわたる風が心地よかった。
 切通しの斜面から滲みだす水でいつも濡れている道端の草むらの中で、細長い葉をまばらにつけて頼りなげに伸び上がった茎の先に小さな白い菊の花が咲いていた。
 サワシロギクだった。
 北海道から九州までの各地に分布しているがなぜか中部地方西部からの記録が多い。分布密度の高いシラヤマギクと似ているので葉の形に注目しないと花が咲いていても気がつかないのかもしれない。
 
 2020年のオリンピックが東京に決まって、マスメディアによると日本中が喜びで沸き立っているようだ。派手だった招致活動について聞かれた仮説住まいで帰るに帰れない双葉町の農業の方が「どこの国の話だろう。ここは日本ではないのかな~」と応えていたことが耳に残る。そして、最終プレゼンテーションでの安倍総理の放射性物質での汚染状況についての安全宣言には目が回ってしまった。


September 9、 2014: ムラサキキツネノカミソリ Lycoris sprengeri Comes ex Baker
 8月のあの高温の日々をまだ身体が忘れないうちに、一気に秋がやってきた。
 雑草の茂るにまかせた庭の片隅で、30年ほど前に江蘇省宜興に近い善巻洞地区の松林の中で採集してきたムラサキキツネノカミソリからの実生個体が開花していた。
 日本の野にも定着できるかもしれない。

 ムラサキキツネノカミソリという和名は市井の植物分類学者で『静岡県植物誌』の著者杉本順一先生の命名だが、園芸店では学名をカタカナ書きしたスプレンゲリの名で販売している。
 私が杭州植物園などとリコリスの共同研究をするため頻繁にかの地を訪ねていたころと違って、石原前東京都知事に挑発された民主党政権が尖閣諸島の国有化を表明して以来、安倍首相の靖国参拝が火に油を注ぎ、日中の政治的関係は冷え切ったままだ。しかし民間の交流は以前と変わらずに続いている。
 私などは身近なマスメディアからの情報を鵜呑みにしやすいが、いろいろあたってみると、政治がらみの出来事は何が真実なのか、まことに判りにくくなってくる。西アジアイスラム圏での争いもウクライナでの出来事も、どちらが正しくどちらが悪いのかは軽々に決められないように思えてくる。
 家人のAlzheimer症状も少しずつ進んでいて、これに関する情報、とくにアリセプトなどの薬効などについても疑問が多く、効果には個人差があるといわれても困惑する。自身の老化現象も気にかかる昨今だ。


September 10、 2005:  コミカンソウ   Phyllanthus urinaria 
 近年になくメディアがかしましかった衆議院選挙運動会も今日で幕。いよいよ明日は投票で、日付が変わる前までには大勢が決まることだろう。個人的には、人を食ったはぐらかし名人は全く信用していないが、取り込まれてしまう向きも結構あるようだ。さて、如何なることになりますやら。
 台風の後に続いている厳しい残暑に身体がついて行けず草取りをおろそかにしているリコリス園では、少し前までは5cm足らずの草丈で弱々しかったコミカンソウが大きく育って、オレンジ色の小さな果実を鈴なりにしていた。
 コミカンソウはトウダイグサ科に分類されているが、典型的なトウダイグサの仲間とはいろいろな点で異なっている。先ず、草体を傷つけても乳液は出ない。子房の中の胚珠は1室に1個ではなく2個ずつ入っている。そしてオレンジ色の果実は一見すると複葉の中肋に沿ってついているように見えるが、実は小さな葉を互生させた枝の下面に並んでいるのだ。このためトウダイグサ科に含めることに異論を唱える研究者もあった。そこで遺伝子レベルでの研究が進み、最近は、トウダイグサ科の種とは別の進化の道を辿ったコミカンソウ科という別群として認識されるようになった。


September 11、 2009: ヤマボウシ  Benthamidia japonica

 今日は二百二十日だがよく晴れて南の空には入道雲さえ立っている。一昨日日本を離れていった台風12号も結局のところ遠州へは雨を運んでくれなかった。大地は乾ききって、野の草ぐさは萎れ枯れ始めている。
 街路樹たちも気息奄々だが、そんなかでヤマボウシの真っ赤に熟し始めた実が太陽に挑むように輝いていた。
 昔も今も私が育ったこの里にはヤマボウシは自生していない。そのためこの実と、しかもそれが甘く食用されることを知ったのは大学1年の秋の天城山への野外分類学実習のときであった。そして伊豆ではヤマッカと呼んでいることも教わった。山路ではヤクシソウの黄金色の柔らかな花が秋の風に吹かれていた。
 風といえば、このきつい日差しの街中でも、渡ってくる風はすでに秋の風で、木陰に入れば、夏が足早に去ろうとしていることが感じられる。
 秋の風でふと思い出したのだが、ごく最近まで上田敏の訳詩『枯葉』の冒頭<秋の日の ヴィオロンの/ためいきの 身にしみて/ひたぶるに うら悲し>のヴィオロンはバイオリンのことと思っていた。しかしこれはマロニエの葉を散らして吹き過ぎる冷たい秋の風のことであった。無知とは怖いものである。



September 11、 2004:  ミズヒキ   Antenoron filiforme
  小川の縁の藪の中に、いくすじものミズヒキの花穂が縺れあって風に揺らいでいた。地味な花なのだが、この季節の野を彩ってくれる。米粒よりも細かな花が茶緑の長い花茎に連なって咲いている。タデ科の植物で花びらはなく、4枚のがく片のうちの3枚が赤く、1枚が白い。それが連なる様を紅白の水引と見立てたのだ。
   夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に/水引草に風が
   立ち/草ひばりのうたひやまない/しづまりかへつた午の林道を
 立原道造の秋愁の詩だ。
 今日は「9・11」、3年前のこの日、21世紀のパンドラの箱の蓋が開けられた。ずらしたのはアルカイダ、開け放ったのはネオコン。あの時2749人が燃え果て、イラクでは既に1000人余の米兵とその10倍以上の人々が死んだ。アフガンでも、スーダンでも、ロシアでも、----。そしてやがては。


September 12、 2005: 森町・町民の森の植物
 昨日は静岡植物研究会の皆さんと遠州森町の「町民の森」の植物を楽しんだ。東名の袋井インターチェンジの北方約10Kmに位置する丘陵地帯で、40万mが自然公園として整備されいくつもの観察路が尾根と谷を巡っている。
 谷筋にはシダや湿性植物が多く、乾燥した尾根筋にはソヨゴやヒサカキやクロバイの木が多く、林床にはコシダやウラジロが茂っていた。
 そんな町民の森で出逢った植物の一部を紹介します。
上の写真:
左) 弾けたアカメガシワ (Mallotus japonicus)の実。初夏に咲く淡い黄色の雄花は甘い香りを放ち、虫たちばかりか私たちをも喜ばしてくれます。樹皮はベルゲニンという苦味物質を含み、胃や十二指腸の潰瘍に効くそうです。葉の煎じ汁は痔の治療に外用されます。効き目のほどはお試しあれ。
中) ヒサカキに寄生しているヒノキバヤドリギ (Korthalsella japonica)。節の部分にある黄色の小さな玉は果実です。中には1個の種子が入っていてねばねばのゼリー状の物質に包まれています。関東地方以西から東南アジア、オーストラリアまで分布しています。
右) 谷間の湿地に群生していた
ホザキノミミカキグサ (Utricularia racemosa)です。タヌキモ科の多年草で、花茎の基部にある葉の変形した仮根に小さな捕虫嚢があります。インドや中国にもありますが、日本では北海道から沖縄まで分布しているものの生育に適した湿地が少なくなり、目にすることは次第に難しくなってきています。小さな花で、風の吹く谷間での撮影はフォーカスがなかなか合いませんでした。

上の写真: 
左) カヤツリグサ科、ミカヅキグサ属の
イガクサ(Rhynchospora rubra)です。花序を栗の毬(いが)に見立てた名前です。亜熱帯性の植物で、日本での分布北限は千葉県です。遠州では湿地でよく見かけます。
右) 松林に中の観察路で美しい花を咲かせた見慣れれぬマメ科の植物がありました。北アメリカ東南部が原産地の
アレチヌスビトハギ (Desmodium paniculata)でした。最初の日本での採集記録は太平洋戦争時代の1940年だそうです。最近は全国の荒地や道端で目にする機会が増えているようです。自然公園の中にも帰化植物が進出している時代です。



September 13、  2004:  タマスダレ  Zephyranthes candida
  家から歩いて数分の距離にあって重宝していたコンビニをかねたドラッグストアーが閉店してしまった。1キロほど先に、広い駐車場と売り場面積をそなえた同じ業界の大規模店ができたためだ。自然環境に優しいノンカー族にとっては、運動不足の解消に一役買ってくれると感謝すべきなのだが、急いでいるときにはまことに不便だ。とはいえ、買い物袋を提げての道すがら、路傍の野の花に出会えるのはうれしい。
 今日はタマスダレの白く輝く花に会った。
 アルゼンチン原産のヒガンバナ科の植物で、明治の初めに観賞用に持ち込まれたものという。いまではあちこちで野生化している。緑の細長い葉が茂り、そこに白い花が咲くようすが玉簾を連想させるというのだが、わたしにはピンとこない。学名のゼフィランテス・カンディダは、ギリシャ神話の西風の神の白い花、という意味だ。西風の神と聞いてすぐ思い出すのが「プリマヴェーラ」の中の青白い顔なので、この名にも違和感を覚える。


September 14、  2004:  ヤブマオ  Boehmeria japonica
  私の住む町には、茶畑の点在する丘陵地帯を巡るウォーキング・ルートが何本かあり、今日は虹ヶ丘へ登るルートを歩いてみた。
 澄んだ青空を、真っ白な直線を引いて、小さくきらめく飛行機が通り過ぎてゆく。空ががずいぶんと高く感じられ、秋の訪れを実感した。とはいえ、陽射しはまぶしいほどの明るさである。
 切通しの斜面の低いところはきれいに草が刈られていたが、残されて上から垂れかかるススキのなかに、太くて重そうな花穂をつけたヤブマオがあった。
 ヤブマオの仲間には少数の有性生殖種と交雑起源と思われるさまざまな無性生殖種が存在していて、分類をしたがる人にとっては腹立たしいほど厄介なものらしい。この写真の個体も葉が厚く、東海地方に多いという、ラセイタソウとの雑種かもしれない。
 ヤブマオは藪真苧で、インド原産の繊維植物の苧麻(ラミー)に似ていて野生するものの意味だ。戦時中はラミーの代役を務めた。


September 14、 2010: キンミズヒキ
                 Agrimonia pilosa Ledeb. var. japonica (Miq.) Nakai

 昨日は静岡市で36.9℃に達したという。9月の気温としては新記録だそうだ。だが、大陸からの高気圧が張り出してきていて、14日は秋の気配が濃くなるだろうという、その予報どおり、今朝は23℃の心地よい秋の風が流れた。
  久しぶりに歩いた西方川沿いの藪中の小道ではキンミズヒキの、金粉をちりばめたような細く長い花穂が、ゆったりと揺らいでいた。 近寄って目を寄せれば、ヤマブキのそれのミニチュア細工のような小花の連なりであった。

秋の風川面を渡り藪影の金水引の花穂なで過ぐ 静

 極東からインドシナ半島に亘って広く分布し、日本では北海道から沖縄まで、ごくふつうに見られるバラ科の多年草である。漢方では全草を乾燥させたものを仙鶴草あるいは龍牙草と呼んでいて、収斂・止血作用のあるアグリモニンなどの成分が含まれている。
 ヨーロッパにも大変よく似た種が分布していて、イングランド西部では tea-plants と呼んで、摘み取った葉や花に熱湯を注ぎ、冷ましたものを健康飲料として飲む。
 花の終わった後、蕚筒が膨らんで先端にたくさんの小さな鉤棘をつけた、いわゆる“引っ付き虫”といわれる実になるが、晩秋に野山を歩くとこれがいつに間にか衣類に付きなかなか取れないので、花よりもこちらの方が注目されることが多い。そのためか、里呼び名の多くもこの性質にかかわるものである。また、その形も面白い。宇都宮貞子さんは茶筅を連想させるというが、フランスでは修道院の慈善係の尼さんが持っていた合図のための振鈴に見立てて“野の修道女 religieuse des champs”と呼び、感謝・報恩のシンボルでもある。


September 14、 2013:  シラタマホシクサ Eriocaulon nudicuspe Maxim.
 豊橋市にある葦毛湿原を訪ねた。“東海の尾瀬沼”とも呼ばれるように暖地らしくない植物をはじめ東海丘陵要素植物の複数の種が生育している貴重な湿原である。
 その湿原には小さな雪玉が降りかかったようにシラタマホシクサが花の盛りを迎えていた。
 小指の先ほどもない頭花は反り返った總苞の上に密集した50個ほどの小花から構成されている。近寄ってルーペでのぞくと、雪玉かと見えたそれには金平糖のように沢山の突起があった。合着した蕚の先端であった。
 伊勢湾と三河湾そして遠州灘西部の沿海地の砂礫堆積酸性貧栄養湿潤地に固有のホシクサ科の一年草だが、人間居住地の拡大などにともなって生育適地の多くがが失われ絶滅が危惧されている。
 ボイジャーが太陽系を脱出して、太陽風もとどかない星間空間への旅を始めているそうだ。搭載したプルトニウムの崩壊熱を利用した電源は2020年ごろに寿命がつきるという。そして孤独なたびの果てに、遠い未来どこかで、すでに人類のいない地球からは何百光年もの彼方で、何者かに出会うことができるのだろうか。


September 15、 2006: シラタマコシキブ  Callicarpa dichotoma cv. 'Siratama Koshikibu'
 今まで西北に進んでいた中心気圧945ヘクトパスカル、最大風速45メートルもの台風13号が西南諸島あたりで進路を東北にに変え本州をうかがっている。その余波であろう、今日は時おり雨粒が落ちてくる生憎の天気だった。
 昨年は9月の初めに14号が九州地方に記録的な雨を降らせ大きな災害をもたらしたが、今年はあのようなことにならないことを祈る。いまのところ今年の東海地方は直撃した台風がなく、静穏に過ぎているが、これからはどうなるのだろうか。庭の数箇所あるアシナガバチの巣は人の背丈より高い位置に作られているので、古来の言い伝え通りだとすれば、大事にはならずに済むかもしれない。台風に備えての庭仕事は面倒なのでぜひそうあってほしいものだ。
 いはいえ、もしものこともあるので、先ほど園芸店に出かけて支柱やテープなどを買い足してきた。
 その途中の街路に沿った花壇の中で目に留まったのがこの美しい、小さな白玉団子のような、シラタマコシキブであった。コムラサキシキブの白実の一品種である。


September 16、  2004:  ノアズキ  Dunbaria villosa

  土地の人たちが”一本松”と呼んでいる丘に登ってみた。今は展望用の櫓があるだけだが、30年ほど前に松枯れ病にかかって枯れてしまうまでは、樹齢200年を越したらしい立派な黒松が1本立っていたので、この名が残っている。
 その日当たりのよい南斜面の草原のなかに、明るい黄色の花が点在していた。草を掻き分けて近寄ってみると、ノアズキ(野小豆)だった。日本では宮城県以南に広く分布し、奄美大島や小笠原諸島にもあるそうだ。韓国や中国の野でもよく目にするつる草だ。葉の形がクズの葉を小さくしたようなので、ヒメクズの名もある。
 小さな花なので接写しようと近寄ってファインダーを覗くと、奇妙に捩れたおかしな形をしていた。花は普通左右相称か放射相称なのだが、これはどうしたことか竜骨弁の先がおかしな具合に曲がっている。受粉を成功させるための一工夫というところだろうか。蜜を吸いにやってきた昆虫も首を傾げそうな形だ。
 帰りの下り坂にかかると、眼下を菊川が蛇行して流れ、岸のあちこちにヒガンバナが燃えていた。立ち止まって眺めているうちに、あの悲しい出来事のあった思川の風景がオーバーラップした。言語道断のことではあるが、いろいろな生き方をしている人のあることを、あらためて思わずにはいられなかった。



September 16、 2012: ネコハギ Lespedza pilosa (Thunb.) Sieb. et Zucc.

 台風16号が、14,15号とほとんど同じコースを辿って琉球・奄美諸島を通過中だ。最大瞬間風速70mという強さというから、直撃される所の被害が思いやられるが、幸いなことに今回も東海地方への影響はほとんどなさそうだ。
 先月以来、日中は30℃を割ることがない暑さが続き、雨もほとんど降っていないので、野道もからからに干上がり、メヒシバをはじめとするイネ科の草々ですら萎れ気味である。
 ところがそんな草の茂みを覆うように伸び広がるつる草があって、白い米粒大の花を咲かせていた。
 極東の暖地に広く分布しているネコハギだった。

 この小さな地表を這う草になぜ猫の名がついたのかよくわからないが、茎や葉に生える白く柔らかな毛が猫を連想させたとも、すでに犬萩とよばれるものがあったので猫にしたのだなどともいわれる。

 中国では鉄馬鞭と呼ばれ、熱がななか下がらない症状に処方する薬草だそうだ。魚釣島熱にも効くとよいのだが。

 野田政権にも困ったものだ。このところの政策は支離滅裂といわざるを得ない。
 30年後には原発ゼロにすると決定したかと思うと、使用済み核燃料の再処理は継続するといい、果ては枝野産経相が工事中断中の3基の原発は稼動させることを前提に工事を再開させると言い切った。選挙とお金のことが気になって思考停止状態のようだ。どうなることやら。


September 16、 2014: ヤブラン Liriope platyphylla Wang et Tang
 無住寺となりて藪蘭ばかりかな     田原憲治

 昨日は敬老の日で、市長からの敬老会への招待があったが、家人をほっては置けないので欠席させてもらった。
 この町の人口は47000人あまりだが、うち約5000人が77歳以上だという。100歳を越した方も30人とのこと。
 めでたくもあり、めでたくもなし、といったところか。
 二人でそんな話をしながら通りかかった、無住になって墓地だけが残された小さな寺の庭に、ヤブランが咲いていた。
 本州以西、東アジアの暖帯に広く分布し、地下にできる数珠状の貯蔵根を干したものが解熱・袪痰の漢方薬麥門冬として利用されたため、奈良時代の『常陸国風土記』や平安時代の『本草和名』などにも“也末須介”の和名で登場する。ただしこの“やますげ”は類似の薬効のある貯蔵根をもつリュウノヒゲなどの近縁種の総称だった。ヤブランの呼称は江戸時代以降のものらしい。小野蘭山は『重修本草綱目啓蒙』のなかに麥門冬には「大小葉数種アリ、大葉ノ者ヲヤブラント云」と記している。

 藪蘭や本草図譜を身辺に        飴山 實

 天保元年に刊行された岩崎灌園の『本草図譜』には美しい“藪蘭”が描かれているが、地中を這うつる枝も描かれているから、現代ではコヤブラン(L. spicata Laur.)として識別されているものである。江戸時代にはヤブランとよく似た花や葉のコヤブランとヒメヤブランも、まとめて“藪蘭”と呼んでいたようだ。


September 17、 2006:   カナムグラ  Humulus japonicus

  早朝の散歩で、いつもより少し遠くまで足を延ばしてみたものの、いささか疲れてしまい、帰路は近道をと、踏み跡も定かならぬ薄明の藪道を通った。雑木の枝が頭上を覆っているせいか朝露は少ないが、ときおりざらりとした触感でズボンの裾に絡まる蔓草が茂っている。花時のカナムグラであった。
 クワ科の一年生草本で中部地方以北に分布している。雌雄異株である。フラッシュを発光させて撮ったこの写真は雄株である。
 ビールの苦味つけに利用されているホップ(セイヨウカラハナソウ)と同じ属で、英語ではジャパニーズ・ホップである。よく茂るのでヨーロッパでは日よけ植物として利用されることもあり、斑入りの品種が好まれるそうだ。一方、故郷の日本では厄介者扱いだが、昔は葎草(りつそう)呼び茎葉を干したものを解熱剤などに利用したし生葉を潰して搾った汁は田虫などのかゆみ止めに使ったという。
   むぐら延ふ賎しきやども大君の
              まさむと知らば玉敷かましを

 この万葉集の短歌の”むぐら”はカナムグラと考えられているが、やはり日本では古代から厄介者であったようだ。



September 17、 2008: タンバクリ Castanea crenata
 中国大陸へ向かうかと思われた台風13号は進路を東に変えながらも西南諸島で足踏みしながら日本列島縦断をうかがっているようだが、今日の東海地方では絹雲が美しくたなびく秋の空が明るく輝いている。明日からは本格的な雨になるという予報が信じられないほどだった。
 東名高速道と並行する農道を歩いていると、茶畑の片隅に豊かに稔ったクリの木に、岡の向こうから顔を出した太陽が照り映え、今にもはじけそうなほどに膨れた大きな毬が眩しそうにしていた。 野性のシバグリの何倍もある大きな実を結ぶクリを丹波栗と呼ぶが、これは品種名ではなく栽培栗の総称だそうで、銀寄、筑波、長光寺などの品種が識別されている。
 遺跡の研究などによりクリの栽培は縄文時代にはすでに始まっていたといわれるが、丹波地方には大きな実をつけるクリがあるということは日本書紀に記されている。
 この時代は無論のこと、ごく近年まで我々は山の幸、海の幸、そして田畑の幸を安心して食べていたのだが、いまや金の亡者たちの手で毒にまみれた米やミルクが食卓へ送り込まれる時代となってしまった。


September 18、 2010: クズ Pueraria thunbergiana Benth.

 山のべににほひし葛の房花は
        藤波よりもあはれなりけり    斉藤茂吉

 里山の、見捨てられて、草ぐさにその場を譲ってしまった廃道に、クズの花が咲いていた。
 縄文の遥か古代から日本列島に暮らす人々の衣食住に深くかかわってきた植物であるが、現在はほとんど利用されることなく、その旺盛な繁殖力が災いして、迷惑がられる存在となってしまっている。このあたりではモウソウチクと併せて“山荒し”などと呼ぶ向きもあるが、彼らは「身勝手な人間どもめ」と思っていることだろう。
 クズ自身が望んだわけではむろんないが、1876年のフィラデルフィアでの万国博覧会に日本の野に咲く美しくも有用な蔓植物として出展されたのがアメリカ人の目に留まり、これが縁で20世紀にはいるとともに飼料植物としてフロリダ半島で栽培されるようになった。1930年代に入るとダム掘削後の斜面の流土防止やグラウンドカバーとして、東洋からの救世主のごとくもてはやされた。
 しかし、多くの帰化植物の常として、クズはいったん野に放たれるや広々としたアメリカを第二の故郷として茂り始め、北はメーン州から南はフロリダ州・テキサス州、内陸へはケンタッキー、ミズーリ州まで席巻してしまい、今では“好ましからざる侵入者”のレッテルを貼られるまでになっている。除草剤や刈り取り作業でこの悪魔の蔓の繁茂を押さえ込もうと努力していると聞くが、その年間経費は600万ドルにもなるらしい。


September 19、 2009:  ヤブキタ Thea sinensis cv. 'yabukita'
 茶畑に入る農道の切通しに茂っていたススキやもろもろの野草がきれいに刈り払われていた。刈り取った草は日に乾され、やってくる冬に備えて防寒と保湿のために茶畝の間に敷きつめられるらしい。
 切通しを登りきると、眼前には整然と刈りそろえられた緑濃い茶畑が広がっていて、そこには数え切れないほどの数の防霜用の扇風機が手持ち無沙汰に立ちつくしていた。
 すっかい秋めいた朝の風が、さわやかな花の香りを乗せて、丘の麓へと流れっていった。
   花びらの白きが包む黄の蕋の
       ややあらはれて匂ふ茶の花  木村流二郎

 現在このあたりで栽培されている茶樹のほとんどは“やぶきた”という品種である。この品種は100年ほど前に篤農家の杉山彦三郎が実生株から選抜したもので、これを牧の原台地にある農林省茶業試験場(現農水省種苗管理センター)で試験栽培し、1953年に茶農林6号として登録して栽培を推奨したものだそうである。藪を開墾して開いた北側の茶園で見つかったのが名の由来といわれている。


September 19、 2004:  ホテイアオイ Eichhornia crassipes 
 大井川用水が完成して以来、稲田への水の供給を心配しなくてすむようになったからだということだが、昔はあちこちの谷地にあった溜池が次々と姿を消し、いまや貴重な歴史的産物となってしまった。そんな小さな溜池の一つが時々通る散歩道の脇にある。
 その池の一隅に、吹き寄せられたようにかたまっているホテイアオイが、薄紫の花を咲かせていた。風もないのに時折花が揺れるのは、葉陰で魚たちが餌をあさっているせいだろうか。
 この水草は熱帯アメリカが原産地だが、今では世界中に広まっている。日本には明治時代に鑑賞が目的で持ち込まれたという。水温が10℃以下では枯れてしまうが、泥土の中で越冬する株もあるし、種子でも殖えるので、生活廃水が入り富栄養化した水系では夏に大発生することがある。
 インドネシアの一部では若い芽や花を野菜として利用している。



September 19、 2010: シオン Aster tataricus L. fil.

いつもならば、墓参に向かう途中の田の畔にはもうすでにヒガンバナの篝火がにぎやかに並んでいるのだが、今年は猛暑と渇水が続いたためだろうが、朝夕には秋の気配が濃くなったものの、まだ花茎が首をのぞかせはじめたばかりである。
 父母兄姉の眠る墓に詣でた帰路、菩提寺の花壇を覘くと、丈高く育ったシオンが花の盛りを迎えていた。
 昔はあちこちの庭で目にすることができた花だが、車に占拠されて小さくなってしまった昨今の家庭の庭には大株になるゆえ住みづらくなったのであろうか、出合が少なくなった。
 中国地方以西の高地の草原に自生するが、平安時代にはすでに観賞用に栽培されていた。史前帰化植物との説もある
 高校の古文の授業で先生が、平安時代にはシオンを“しおに”と呼んでいたというヒントを出して、『古今集』の「ふりはへていざふるさとの花みんとこしをにほひぞうつろひにける」はシオンを詠み込んだ最初の短歌だが、どこにシオンが詠み込まれているかわかるかと私たちに問いかけた。直ぐに答えられた学友がいたか否かは記憶にないが、答えを教わったときには平安人の感性と諧謔に感心させられたことを懐かしく思い出す。


September 19、 2012: ミヤマニガウリ Schizopepon bryoniaefolius Maxim.
川風や草にもよらず秋の声 士朗
 水面にたなびく朝霧のなかに、2本だけ残った立ち枯れ木が幻のように浮かんでいる大正池の水際を離れて、中千丈沢の押し出しの迫る道を行くと、朽ちかけた倒木にからむつる草に、直径が5mmたらずの小さな白い花が咲いていた。
 初めて目にするミヤマニガウリ(深山苦瓜)であった。すでに花が終わったものは、花柄を長く垂らし、その先に緑色の小壷のような実を結んでいた。
 和名は深山の苦瓜ということだが、つる性であることを除けば花も実も苦瓜(ゴーヤー)とは大違いである。何故こんな名になったのだろう。
 極東の温帯に広く分布し、沢沿いなどの湿った場所を好む1年生の植物だが、暖地の遠州では見ることができない。またかつては宮崎県の山地にも分布していたが、現在は絶滅したそうだ。
  穂高連峰から梓川に沿って、肌に心地よい秋の風が流れて行き、どこからかオオルリの声が聞こえてきた。これから南の国へ渡るのだろうか。


September 20、 2008: ナガバヤブマオ  Boehmeria sieboldiana
 台風13号の中心は御前崎の沖60kmほどを房総半島を目指して通過していった。
 そのためやや内陸に位置するこの地域は雨風ともさほどのこともなく、夜が白む前までには止んでいた。被害を受けられた方々には申し訳ないが、よいお湿りであった。
 とはいえ、背高く育った庭のシラハギは、たっぷりの雨の重みで枝垂れて周りの花草をすっかり抱きこんでしまっていたので、抱え起こして束ねて支柱を立てた。覆いかぶさられたものたちもほっとしたことだろう。
 数年前にどこからかやってきてこの庭に居を定め2m近くまで育っていたナガバヤブマオも、花の盛りだったのにすっかり倒れ伏していた。ナガバヤブマオは東北地方南部以西に分布しているが、近くの里山では目にしたことがなく、どうして我が家の庭に生えてきたのか不思議である。園芸店で購入してきた草木の苗についてきたのかもしれない。茂っても、ヤブマオのような鬱陶しさはなく、むしろ風情のある草姿なので、ご本人が気に入っているなら、この小庭に住んでいてもらいたいと思っている。
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 一週間ほどに前は食用できない事故米なるものを偽って食用に流通させていたことが発覚したが、昨日あたりからはメラミン入り牛乳が騒ぎになっている。害にならない程度に薄まっているならよいではないか、昔は饐えたご飯も洗って糒にしたしカビの生えた餅も削って食べたものだ、という御仁もいたようだが、それとこれとは別問題である。


September 20、 2013: イワショウブ Tofieldia japonica Miq.

 葦毛湿原のシラタマホシクサ群落の中に数本の白い花穂が立っていた。木道に腰をすえてズームアップした液晶画面には思いがけない花があった。図鑑には本州亜高山帯の湿原特産とあるイワショウブだった。遠州灘から20kmもない内陸低湿地の、亜高山帯とはほど遠い環境に生育しているのは驚きであった。遠い昔、この地が寒冷であったころからの生き残りなのだろうか。
 従来の主に形態比較に基づいた分類ではイワショウブはユリ科とされてきたが、DNA塩基配列の比較による系統解析の結果、チシマゼキショウ科(Tofieldiaceae)なるサトイモ科やオモダカ科に近縁な科の一員ということになった。
 20世紀末までは、生物の進化の過程とその結果(類縁)の推定は、主に化石と現生種の形態に頼らざるをえなかったが、今世紀に入ってからは遺伝子であるDNAに書き残された歴史を紐解くことが可能になり、次々と新知見が得られている。これからがますます面白くなりそうである。



September 21、  2004:   ソバ  Fagopyrum esculentum
  中国への旅のあいだに薬が底をつくことがわかったので、病院へ処方箋をもらいに行った。広々とした水田の向こうに、南北に連なる小笠山の山並みを見晴るかす丘の上に立つ病院で、雑木林や茶畑に取り囲まれている。
 処方箋を受け取ったときには、すでに帰りのバスが出てしまった後だったので、次のバスを待つ間、裏手の南面した耕作地を歩いてみると、緑濃い茶畑の切れた向こうに、白い花がかたまって咲く畑地があった。遠州の沿海域ではあまり栽培されることないソバの花だった。しかし、かつてはこのあたりの農家でも自家用程度には栽培していたそうだ。
 ”蕎麦の無駄花”という言葉があるように、イネなどに比べるとソバの結実率は低い。ことに数株程度栽培してもほとんど種子ができない。近寄って小さな花をよく見るとわかるのだが、メシベが長く突き出た花をつけた株と短い株がある。この異なるタイプの花の間で花粉のやり取りをしなければ結実しないからである。
 話は変わるが、ソバの発祥の地に付いては、中央アジアの草原地帯とかシベリアから中国北東部にかけての地とか諸説がある。では日本には何時入ってきたのかというと、正確なことはわからないものの、縄文時代晩期にはすでに栽培されていたらしい。青森県三戸郡田子町石亀の縄文晩期の遺跡から花粉が見つかっているのだ。弥生時代の登呂遺跡からは種子も発掘されている。史料としての最初のものは『続日本記』で、米の不作を補うためソバを植えるようにという養老6年(722)の勧農詔だ。大陸から渡来し、畿内を経て中部、関東、東北へと伝播していったのだろう。
 


September 22、 2005: ヌルデ+五倍子   Rhus javanica var. roxburghii

 明日は彼岸の中日ということで久し振りの掃除をかねて墓参に出かけた。昨年の今日見たときは小川の土手を真っ赤に染めていた彼岸花が、今年は未だ影も形もない。開花の遅れは真夏の日照りのせいなのかも知れないが、どうもそれだけではないようだ。かつてはその名にたがわず彼岸にはいつも満開だったように思うが、温暖化が影響し始めているのだろうか。
 今は亡き母が父のために建てた墓は、急な斜面の丘の最上部に近く、茶畑の広がる眼下を新幹線の列車が金属音を残して矢のように行き来し、在来線の近距離列車がのどかに通り過ぎてゆく。なかなか得難い風景ではあるが、関節を病むパートナーにはその登り降りが苦行となりつつある。そろそろ下界に新居を建ててお降りいただくことになりそうだ。しかし、この丘へ登る斜面にはいろいろな木や草があって、墓参のたびにその花を楽しむことができるので捨てがたくもある。
 今年はヌルデの雌株の終り花と小さな怪獣が群れたような奇妙な形の五倍子(附子)を見ることができた。
 ヌルデはウルシ科の低木でヒマラヤ地方まで分布している。秋の地味な紅葉に風情がある。白い花びらに囲まれた子房は桃色で、受粉後は膨らんでやがて赤く熟す。
 五倍子はヌルデシロアブラムシが寄生したためできた虫こぶで、タンニンが蓄積されている。そのためこれを粉末にして歯に塗り、鉄漿(お歯黒)を染める際の媒染・染着剤として利用した。またこの粉末は歯痛止めや切り傷の薬にも使われたという。

  {訂正} この写真の虫こぶはヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)による5倍子(ヌルデミミフシ)ではなく、ヤノハナフシアブラムシ(Nurudea yanoniella)の寄生でできたヌルデハベニサンゴフシでした。かなり稀なものということです。タンニンの含量については未調査だそうです。



September 22、2014:  タラノキ Aralia elata (Miq.) Seemann
    底見えぬ崖に茫々楤の花   加藤知世子
 海抜100m足らずの丘陵地ではあるが、さすがに戦国時代には山城が築かれていただけあって、痩せ尾根の両側には暗く深い谷が刻まれている。
 覗くと、その底を隠すようにタラノキが茂り、濃い緑の葉の上に白くやや黄みを帯びた大きな花穂が立っていた。
 そして、ふと思う。700万年の進化の歴史の果てにいるホモ・サピエンス(HS)は、今“底見えぬ崖”の縁に立っているのではないだろうかと。 原因は何にしろ、確実に温暖化が進む地球は日に日にHSには住みにくくなっていて、寒暖の違いはあるものの、拡大してゆく氷床に追い詰められていった先史時代の人々の姿を思い起こさせる。HSが排出する二酸化炭素が主因と考えるIPCCはそれを減らすよう世界各国に働きかけているが、地球規模では増加の一途である。HSはマスとしてみると、理屈ではわかってはいても目先の利を優先する生き物のようだ。谷底が本当に見えないのか、見て見ぬふりをして歩みを進めているのか。 止めれば止められるのにそうしようとしない。もろもろの戦争も、原発再稼働もそれぞれがこの例の一つだろう。


September 23、 2010:  アラカシ Quercus glauca Thunb. ex Murray
 今日は彼岸の中日。開花が例年になく遅れて、埼玉の巾着田などでは恒例のイベントに間に合わないと心配されていたヒガンバナが、一斉に咲き始めた。さすがに彼岸花である。
 台風12号の接近で怪しくなってきた空模様だが、すっかり秋めいた風に誘われて歩いた早朝の常葉の丘の道では、薄く色づきはじめたアラカシの団栗に挨拶された。
 アラカシは古代から建材や家具材や薪炭材などに利用され、団栗は非常食として貯蔵されていた里山の有用木の一つである。また団栗は昔の子供たちの遊び道具でもあった。冬の日の当たる縁側で、拾い集めてきた団栗のヘソに楊枝を挿してコマにしたり、袴(殻斗)を飯事の茶碗に見立てたりして遊んでいた。
 そんな親しい植物であったため、里呼び名も多く、静岡県下だけでも30に近い呼称が収録されている。ただしアカガシのそれと重複するものが少なくない。例えばどちらをもオオバガシと呼ぶ地域が多いが、その土地の方にうかがってみると、オオバガシには幹が鱗のようになっているものと滑らかのものとの2種類があることが認識されていた。前者がアカガシで後者がアラカシである。材質には大差がないとのことでもあった。


September 24、 2005:  メドハギ  Lespedeza cuneata
 台風17号が遠州灘沖遥を八丈島に向かっている。そのため心配した雨風もほとんどなく、ときには晴れ間から陽が差した。近くの丘へ登る道野辺には萩の仲間が花盛りである。
 その一つがメドハギである。人間も含めて、なべて生き物の多くは、近くによって親しく接してみないとその美しさを見落としがちであるが、少しも自己主張をする気配のないメドハギもそんな植物ではないだろうか。
 かく言う私もマクロレンズを通してしみじみと眺める今日まで、路傍に咲くこの花の清楚な美しさに気づかないで過ごしてきた。
 東アジア一帯からアフガニスタンにかけて分布していて、中国では全草を”夜関門”の名で薬用している。喘息、気管支炎、胃痛、視力の減退に効能があるといわれている。
 メドハギは平安時代には女止久佐(メドクサ)と呼ばれていて、その真っ直ぐに伸びる茎を占いの道具の一つの筮(めどぎ)として使っていた。これは後に加工しやすい竹に取って代わられ今では筮竹となった。

備忘録: 萩の仲間の属名はLespedezaだが、これはフロリダ州知事だったVincente Manuel de Cespedes への献名が誤植され、それが定着したものだそうだ。



September 25、 2005:  タカトウダイ  Euphorbia pekinensis

 台風17号は房総半島沖を北上し、遠州はよく晴れた。台風一過で秋の気配を期待したが、未だ夏が居座っているようだ。
 春に咲く花の苗を、親友にして家庭園芸の師匠のY君からたくさん分けてもらったので、その定植にそなえて肥料や土を仕入れに近くの大型DIY店へ出かけた。
 その帰り道、少し遠回りをして牧の原台地に近い里山の中を歩いた。
 稔りの香りが立ち昇る稲田の畦ではヒガンバナが赤く燃え、茶畑を縁どるように残された雑木の林を抜ける小道の草むらではアキノノゲシの薄い黄色の花やユウガギクのかすかに紫を帯びた青い花が揺れていた。だかその中に、頼りなげな細い茎にもかかわらず、風に逆らうように動きの少ない硬質感のある草があった。タカトウダイだった。
 トウダイグサ科のタカトウダイは中国と韓国にも分布する変異の多い種で、このあたりのものはセンダイタイゲキとよく似ている。また標準的なものの開花期は6~7月ということなので、9月も末になって咲いているというのは例外的な存在なのだろうか。漢方では乾燥させた根を利尿剤とするが、有毒植物で要注意である。


September 26、  2004:   マルバハギ  Lespedeza cyrtobotrya

 今日は彼岸の明け。さすがに早朝は肌寒さを感じるようになったが、日が登れば名残の夏がやってくる。
 更地になっていた庭に無造作に植えたマルバハギの苗があっという間に育って、もう私の背丈を越して茂っている。秋の気配が忍び寄るころからぽつぽつと咲き出し、今は満開だ。この花はミツバチの大好物らしく、近づけばつぶやくような羽音が絶えな間なく聞こえる。花穂が短いので、しだれる枝を抱くようについている葉の上に乗っているように見える。
 本州から九州にかけての山地にごく普通に見られる萩で、韓国と中国にも分布している。中国名は短梗胡枝子。
 ハギ属に分類されているものは10種ほどあるが、日常的に萩の名で括られるものは実に短い柄のあるヤマハギ亜属の5種ほどのハギである。
 ところで、 ”萩の花”には奈良平安の時代から日本人は格別の思いを寄せてきたが、憶良や赤人の詠んだハギはこの内のどれだったのだろう。


September 26、 2013: ヒメシロネ Lycopus maackianus (Maxim.) Makino
 秋彼岸も過ぎ、山の湿地をわたる風は肌に涼やかだが、ヒメシロネが米粒のような花をつけて立ち上がっている根元の水は、澄んだ空からの強い日差しを吸って、まだ温んでいた。
 北海道から九州までの各地の水辺に生えるシソ科の多年草で、韓国と中国にも分布している。
 さほど珍しくもない草だが、あまりにも地味な存在なのだろうか、野草愛好家でも気づかずに通り過ぎることが多いようだ。そのうえ、生育に適した環境も近年はずいぶんと狭まってきている。

 シロネ属には東アジアと北アメリカに約14種が知られていて、日本にはヒメシロネのほか5分類群が記載されているが、そのうちの1種のシロネはその横走する白い根茎の先端部が古代から食用されてきた。同じように、北米先住民のオカナゴン族などにとってはエゾシロネの根茎はだいじな食糧の一つだった。またイロコイ族はアスペルシロネ(L. asper Greene)の全草の煎じ汁を小児用の下剤として利用していた。
      
  シリアが悲惨なことになっている。ブッシュが開け放ったパンドラの箱から飛び散った、人の心に寄生するダークネイチャーが哄笑している。箱の底に残っているはずの希望はどこへ行ってしまったのだろう。見つからない。アラブの冬が始まっている。
  安倍首相がまた政府専用機で飛び立っていった。出かけるたびに何十何百億円もばら撒いている。赤字国債は1000兆円を越すというのに国内向けには何兆円もの補正予算を気軽に組んでいる。法人税は引き下げるそうなので、財源は8%の消費税や庶民から徴収している復興税そして赤字の積み上げなのだろうか。国連では「日本は積極的平和主義で世界に貢献する」と演説するようだが、これって「武力で平和を」と言っていることにならないか?大政翼賛会的になってきたマスコミは相変わらず突っ込みをせず“o/mo/te/na/shi”に浮かれている。完全にアンダーコントロールのようだ。
合掌。


September 27、 2006: 富士山五合目、お中道
 富士山のお中道を「里山を歩く会」の皆様と歩いてきました。
 標高2400m~2500mの亜高山帯の小道の花の季節はとうに過ぎていたが、黄葉し始めた草木や色付きはじめた果実の姿を楽しむことができました。
 そのいくつかを紹介しましょう。
 快晴に恵まれ、南アルプスの重厚な山並みを堪能できました。右端は甲斐駒、左へ順に、鳳凰、千丈、北岳、間ノ岳です。  山頂につづくガレ場ではオンタデが鮮やかに色づいていました。緑色が残るのはミヤマヤナギだと思います。
 コメツガやシラビソの茂る林床にはコケモモの濃い緑の光沢のある葉が敷きつめ、その中に小さな紅玉のような実が点在していました。  ガレ場を横切る路の際に頑張っているミヤマヤナギにしっかりと絡みついたミヤマハンショウヅルの毛槍のような実の房が風を受けて身を震わせていました。
 「日本の薔薇」という意味の学名をもつタカネバラの髭を生やしたトウガラシのような形をした実が藪の中で光っていました。  日光や信州のカラマツはのびのびと育って均整の取れた樹形となっていますが、森林限界に生きている富士山のそれは風雪に耐えているためか、中にはハイマツのような姿のものもありました。
 遊歩道に置かれた溶岩の敷石の影でヤマホタルブクロが咲いていました。敷石より上に伸びた茎は無残に踏み切られていました。  勢いを増すガレ場の崩落に飲み込まれそうなハクサンシャクナゲの林の際で、ミヤマオトコヨモギが秋の日を浴びていました。
 シラビソの林床にさす木漏れ日の中でマイズルソウの色づいた実を見つけました。  コケモモの絨毯の中にぽつぽつと、枯れ落ちる寸前のミヤマフタバランが、生えていました。


September 27、 2012: ヤチトリカブト
                 Aconitum senanense Nakai var. paludicola (Nakai) Tamura

 霞沢岳や六百沢からの伏流水が湧き出して生まれた田代池の湿原にも秋色は迫り、ワタスゲはすでに黄葉していた。
その湿原の片隅に、すでに盛りが過ぎた、それでも逞しさの残るハンゴンソウに寄りかかるようにして、ヤチトリカブトが咲いていた。
 中部地方以北の高山草原に分布しているホソバトリカブトの変種で、花をつけた茎が水平方向に広がるのが特徴だとされている。
 とはいえ、トリカブト属の分類は一筋縄ではいかない。北半球の温帯に100種以上が知られていて、ことに極東に多い。北隆館の『牧野新日本植物図鑑』には24の、平凡社の『日本の野生植物』には46もの分類群がとりあげられていて、初めて出合ったものが何なのかはなかなか決め難い。
 最初に日本のトリカブトの仲間を細かく分類したのは東京帝国大学の中井猛之進教授だが、その詳細さに音を上げた学生が「何処が違うんですか?」と疑いを挟むと「判る者には判る」と突き放されたという話は伝説となっている。
     
 「政局の話しなどもう聞きたくもない」という人たちが巷に溢れているようだが、マスメディアはまるで自民党の情報機関かのように大騒ぎをしている。自民党代議士と取り巻きの受益者以外の庶民にとっては誰が総裁になろう同じことだろう。方や野田総理は国連で領土問題を演説しすでに帰国の途についている。日本にとっては理想的正論ではあったようだが、韓国・中国が受け入れるはずもないし、他国が仲介に走ることもないだろう。成り行きを楽しんでいる国すらあろう。さて、どんな形でガス抜きがおこなわれるのだろうか。大いに心配である。


September 28、 2010: 龍吟の森散策
 26日の日曜日、久しぶりによく晴れた秋の空の下、岐阜県瑞浪市釜戸町の不動川に沿って作られた、7つの小さな滝が連なる龍吟の森の散策路を歩いてきました。2kmほどの緩やかな登り道だということでしたが、私にはいささか堪えた坂道でした。常緑落葉混交樹林の林床は暗く、シシガシラなどのシダは茂っていましたが、季節がらか花数は期待したほどではありませんでした。

イタドリ Reynoutria japonica Houtt. ヒガンバナ Lycoris radiata (L'Herit.) Herb.
 豊田JCTで東名から比較的最近開通した東海環状道に移り、さらに土岐JCTから中央道に入るころになると、切り開かれた丘とその斜面を埋めるように大変よく目立つ真っ白な花が咲き連なっていた。目を凝らしてみると白い花には2種類あって、低木に咲く穂状のものはタラノキで、もう一つの、切通しに多いのはイタドリであった。
 龍吟峡に到着して歩き始めた森の入口の道祖神の周りではヒガンバナが咲き始めていた。いつもなら満開を過ぎているころだが、今年は全国的に異例といってよいほど開花が遅れていた。地中の温度が高く、しかも土壌水分が低かったためと思われる。

 こうしてイタドリとヒガンバナの画像を並べて見て、ふと思い出した言葉がある。万葉集に登場する“壱師の花”である。
 この壱師を巡っては、江戸時代から諸説があって、現代では牧野富太郎さんの主張したヒガンバナ説を信じる人が多い。私は拙著『ヒガンバナの博物誌』にさまざまな説を比較して、“白い花”とみる説を支持したが、前川文夫さんのイタドリ説には懐疑的であった。イタドリが環境によってはこれほどに目立つ白い花群となることを不明にして知らなかったのである。今では、イタドリであっても不思議ではないし、またヌルデの雄花であっても良いのではないかと思っている。
 ヒガンバナ説が支持される背景には、国民的アイドルだった牧野富太郎博士の提唱した説ということがあるのかもしれないが、ヒガンバナそのものの持つ独特の雰囲気も影響しているのだろう。 


シュウカイドウ Begonia evaniana Andr.
    うつろひし秋海棠は踏石の
            あたりに見えて赤茎あはれ   佐藤佐太郎
 江戸時代中期U(寛永年間)に中国から渡来して広く栽培され、いまでは半ば野生化している。陰湿な場所を好む。
 
ヤマジノホトトギス Tricyrtis affinis Makino
 シガシラ、ヤワラシダ、イッポンワラビなどのシダやササクサの茂る小道にヤマジノホトトギスの小さな群落があった。花被片の紫斑点が少なく反り返っていないのでホトトギスとは区別できる。ヤマホトトギスの変種とする研究者もある。。


ヒヨドリバナ Eupatrium chinense L. var. oppositifolium (Koidz.) Murata et. H. Koyama
   からげたるわが裾涼しこの山は
            鵯草のさきむながれり  木村流二郎
 ヒヨドリバナという和名はなにに因んだものだろう。一般には『古今要覧稿』の「ヒヨドリが来る頃に咲くから」と言う説を孫引いているが、解せない。対生する葉の形が木々を渡るこの鳥の羽に似ているからという説もあるが、さていかがなものか。
ヒメカンアオイ Heterotropa takaoi (F. Maekawa) F. Maekawa ex Nemoto
 中部地方と高知県南東部に限って分布している小さな丸葉のカンアオイである。葉がさらに小さく真円に近い変種のゼニバサイシン(var. hisauchii) が静岡県でも知られている。カンアオイ属の分類は花を見ないとわからないものが多い。このような同定の難しいものに出合うと、パチンと挟めば直ちに種名がわかるUSBサイズのDNA検出器具がほしいと思う昨今である。


マルバノキ Disanthus cercidifolia Maxim.
 沢沿いの林にはたくさんのマンサク科のマルバノキが生えていた。葉柄がやや長いことを除けば、マメ科のハナズオウのそれとそっくりな丸い葉である。あの赤いヒトデのような形の小さな花に出合うには少しくるのが早すぎた。11月ごろ真っ赤に紅葉した葉の下に花は咲く。
クルマバハグマ Pertya rigidula (Miq.) Makino
 残念なことに花はすでに終わっていたが、クルマバハグマが2株生えていた。草姿はまったくといってよいほど違うが、コウヤボウキと同属である。これは花を比べてみれば一目瞭然である。和名のクルマバは葉の配列を表すが、ハグマはヤクの尾の白い毛で、花の形に因む。


メドハギ Lespedeza cuneata (Du Mont. d. Cours.) G. Don ケハギ Lespedeza thubergii (Don) Nakai var.
obtusifolia (Nakai) Ohwi
 日本の秋の野の向陽の地では、さまざまな萩の花の盛りである。山上憶良が秋の七草の筆頭に詠んだように、古代から親しまれた植物の一つである。
 しかし、一口に萩といっても、ヤマハギ、キハギ、マルバハギなどなどさまざまな種類がある。憶良が詠んだ萩は何だったのだろう。
画像のケハギはミヤギノハギの野生種だといわれている。


ミヤマガマズミ Viburnum wrightii Miq. コバノガマズミ Viburnum erosum Thunb. ex Murray
 一方、林を抜ける道の辺で、旅人の目を楽しませてくれるのは鮮やかな朱色に染まったガマズミなどの木の実たちである。


September 28、 2013:  セリ Oenanthe javanica (Blume) DC.

 橋の影うつれる河の洲に咲ける
       芹の小花の白のかなしさ  木下利玄

 台風20号は遠州灘はるか沖を通り過ぎ、その隙にというように大陸の寒気が秋を運んできた。
 16℃まで下がった朝、稲刈りが始まった田の際の水路あちこちに純白の小さな小さな花を傘型に集めてセリが咲いていた。ミゾソバが厚く茂り、花がなければそこにセリが生えていることには気づかなかったに違いない。長かった夏の名残花である。
 セリ属は熱帯アフリカからユーラシアにわたって約40種が記載されているが、日本に分布しているのはセリだけである。日本書紀や出雲風土記など700年代初頭の古典を初め万葉集やその後の多くの文献にとりあげられているが、おそらく人類がアフリカを発ってアジアに足を踏み入れたその最初のころから利用されてきた草の一つなのだろう。
 もっとも、注目され利用されたのは食糧や薬になる若葉や白い地下部で、花はほとんど注目されなかったようだ。現代でもセリは春の七草の一つとしてはよく知られるが、花に思い及ぶ人は稀だろう。



September 29、 2004:  キンモクセイ (桂) Osmunthus fragrans var. aurantiacus

  久方ぶりに訪れた古都杭州の町並みは変貌のさなかであった。見違えるほど高層ビルが増え、上海や内陸の町々とを結ぶ高速道路が、消えてしまった清朝の家々の上を、複雑な曲線を描いて走っていた。空はスモッグで霞み、けたたましいクラクションが絶え間なく耳を打った。
 しかし、これだけは変わっていなかった。どこからともなく漂ってくる爽やかなモクセイの香りである。町のいたるところにこの木は植栽されているが、西湖の辺に開かれた杭州植物園には広大なキンモクセイとギンモクセイとウスギモクセイが混植された庭園があり、この季節は香りを楽しむ人々でにぎわっている。今年はなぜかウスギモクセイの花が多かった。
 中国ではこれらのモクセイを”桂”と呼ぶ。その花は”桂花、グイファ”である。日本では樹皮が犀の厚皮に似ているというので”木犀”と呼んだという。
 中国原産のモクセイが日本に入った時期ははっきりしていない。室町時代の『尺素往来』に桂花の名を見ることができるが、それ以前の典籍にある「桂」はカツラともモクセイとも決めがたい。静岡県の三島大社にある天然記念物のキンモクセイの樹齢が1200年というから、その渡来は奈良時代以前だったのかもしれない。

       木犀の夕しづもりの遠き香にさそわれ出でてちぎれ雲みつ      新村 出


September 30、  2004:   オトコエシ (白花敗醤  Patrinia villosa
  いわば日本のゴールデン・ウイークにあたる中秋節の休暇が始まったのにもかかわらず、30名に近い生命資源科学科のGSの学生さんたちが、綿野さんと私の話を聞いてくれた。杭州市の外れに新設された杭州大学の新キャンパスは、壮大の一語に尽きる。学部学生のための実験実習室の設備も、日本に比べれば桁外れに充実していた。
 講演終了後、傳教授の運転で、私たちは最初の目的地の天目山に向かった。以前きたときに比べれば道路事情は格段によくなってはいるが、車の数も激増しているため、郊外に出るまでにはずいぶんと時間がかかったが、臨安市を過ぎて高速道から山間の道に移ると、私の少年時代にタイムスリップしたような懐かしい風景があった。
 今宵の宿の西天目山麓の実習山荘に着いたときはすっかり日が落ちていて、山の冷気が心地よかった。
 一息ついた後、傳さんが山料理と卑下する夕食を老酒を楽しみながらいただく。蛙の唐揚を入れた入れたスープ、田鰻の煮付け、もちもちしたトウモロコシなど、美味しくいただいた。中でも気に入ったのが山草の炒め物だったが、素材を伺うと、この山に多産するオトコエシの葉とのことだった。


October 1、  2004:   天目山鳳仙花  Impatiens teinmushanica Y.L.Chen
  今日は西天目山に登った。とはいえ、正確に言えば、標高約1000mの地点までマイクロバスで運んでもらって、この足で登ったのは200m足らずである。中国第五大仏教名山ということで、老若男女の観光客がやってきていた。観光用パンフレットには「茫茫林海、清浄幽雅、冬暖夏涼、四季如画」の地だとある。確かに森は深く、柳杉や金銭松の古木が聳えていた。また、この山は野生のイチョウがあることでも知られていて、樹齢500年という、断崖に根を下ろして大きく枝を張った株の傍には「活化石」と記された説明の石板があった。
 帰路は標高1100mの地点から、延々と続く九十九折の急な石段を下った。鍛えが足りない筋肉と関節が悲鳴を上げ始めたが、次々と現れる江南の秋の花のおかげで、なんとか700m地点の村落までたどり着くことができた。
 写真は標高900m付近の沢沿いに群生していた天目山鳳仙花(インパティエンス・ティエンムウシャニカ)である。2枚のピンクの花弁と白い花筒と距とのコントラストが絶妙だ。薄命の美女を思い起こさせるような優しげな花であった。


October 2、  2004:   ヤマホトトギス(油点草)  Tricyrtis macropoda

 杭州にもどった昨夜は、傳教授の研究室で10時過ぎまで学生さんたちと意見交換し、ゲストハウスの神農賓館に戻ったときは11時に近かった。
 今日は綿野さんの研究材料のフモトシダがたくさん生えているという五雲山の西麓にある雲棲竹林と大清谷に連れて行ってもらう。緯度的には九州南部と同じで、植生もそっくりである。雲棲竹林では捜すまでもないほど簡単にフモトシダが採れたが、大清谷は茶畑の広がる谷に鉄塔を建てたバンジージャンプ台ができていたり、すっかりレジャーランド化が進んでいて、植生はずたずたになっていた。
 それでも、わき道にそれて林の中へ入れば、かつての里山の姿がかろうじて残り、懐かしい草花に出会うことができた。その一つが、この写真のヤマホトトギスである。日本人は赤紫の斑点のある花びらから鳥類のホトトギスを連想して山不如帰と書いたが、中国の人は葉に現れる斑点に目を留め油点草(ヨウディアンカオ)と呼んだ。
 ホトトギスの仲間はアジアに固有の植物で20種ほどが知られているが、その半数以上が日本に分布している。観賞用植物としては珍重されるが、取り立てて役に立つ植物ではないらしく、漢方でも使われていないようだ。



October 3、  2004:   カラスノゴマ (田麻)   Corchoropsis tomentosa
 シダ植物が豊富でしかも比較的にアプローチがよいということで、杭州の西南約200kmにある千島湖に案内してもらった。50年前に完成した発電のための人造湖で、入り組んだ渓谷に散在していた1300余の小村が湖底に沈んでいると記念碑に書いてあった。千島というのは湖面に孤立した山々のピークである。移住を余儀なくされた人々多くは、新たに建設された建徳市や淳安県で発電や観光産業などに従事したようだが、一部の農民は水没をまぬかれた山間部に農地を開墾して自給自足の生活を続けているという。
 私たちが案内されたシダの谷の入り口にも、一部の人しかその存在を知らないという4・5軒の農家があった。傳先生の話では、彼らは違法に保護区を開墾しているのだそうだ。政府も目をつぶっているのだろうか。
 谷川の両側に切れ切れの細い帯のように連なる水田では収穫のさなかで、昔懐かしい足踏み式の脱穀機を囲んで家族全員が働いていた(写真左)。
 道端には日本でもよく目にするアキノキリンソウやイヌタデが咲き、水辺にはジュズダマが群生していた。そして藪陰にはカラスノゴマも咲いていた(写真右)。この草の中国名は田麻(ティエンマ)といい、茎の皮をはいで乾燥させ麻に代用するそうだ。


October 3、 2012: ハンゴンソウ Senecio cannabifolius Less.

反魂草黄は夕風を誘ふ色
              五十嵐哲也


 陽が山陰に落ちると、山気はにわかに冷涼となる。
 ほどなくやってくるに違いない夕闇に呑まれないようにと、急ぎ足で下る山路の際には、金塊のような花房をいただいた、人の背丈をこすほどのハンゴンソウが揺らいでいた。

 東アジアの温帯からアラスカにかけて分布し、日本では中部地方の山地から北海道で見ることができる大型のキク科植物である。
 変わった名前だが、その由来についてはいろいろな説がある。
 初出するのは小野蘭山の『重修本草綱目啓蒙』で、李時珍のいうとろの「劉寄奴草」が“ハンゴンサウ”であると記しているが、漢字表記ではないため“ハンゴン”とは何のことかわからない。そこで後世の人々があれこれと思いをめぐらすことになった。
 そこである人は、「漢の武帝が他界した妻を偲んで焚いた香草の煙の中に生前の姿が浮かび、その香草が反魂香と呼ばれるようになった」という伝説の植物が劉寄奴草で、和名のハンゴンは亡き人の魂を呼び返す力のあるこの香草の名に因んだものだと説く。 近年の漢方で使われる“劉寄奴”はゴマノハグサ科(→ハマウツボ科)のヒキヨモギとキク科のアノマラ・キオンだというが、後者はハンゴンソウに近縁の植物である。
 劉寄奴草という名は唐の李延寿が著した『南史』に、宋の高祖劉裕(=劉寄奴)が戦場で傷ついた兵士たちに与えた起死回生の薬に由来するとある。化石的な話ではあるが“越中富山の反魂丹”を思い起こす。
 また、友人の山男は、夕闇迫った初冬の高原のあちこちで、白く色の抜けた大きな人の手のひらのようなハンゴンソウの葉が冷え冷えとした風に揺れる様子は、まさに死者の魂を呼び返しているように見えたという。
 しかし、この草を身近に暮す山里の人たちは、反魂草などという、取ってつけたというか学をひけらかしたというか、そんな名で呼ぶことはない。
 宇都宮貞子さんの『秋の草木』によると、麻に見立てた名が多いそうだ。直立する太い茎に互生する、深く切れ込んだ葉の姿がアサを思い起こさせるからだ。19世紀初頭のドイツの植物学者Lessing, C.F.がつけた種小名のcannnabifoliusも“アサに似た葉の”意味である。
 信州から信濃にかけてはヤマソ、ヤマアサ、あるいはアサガラと呼ぶ里が多いし、東北地方にもマネアサ、ヘビアサ、マネアサなどの呼名が知られている。繊維源としての利用はないので、すべて立ち姿からの連想である。
 また木曾や安曇野にはトーヘンジという変わった里呼び名があるが、これは人の背丈ほどに育った太い中空の茎を切り取って笛をつくって吹くと山向こうまで届く、つまり“遠返事”ということらしい。
 ハンゴンソウの赤紫の芽立ちは摘んで塩漬けにする。風雅な味は正月料理のアクセントともなる。



October 3、 2013: オオバアサガラ Pterostyrax hispida Sieb. et Zucc.
 水無月のしっとりと柔らかな谷の風にゆらいでいる純白の花房の群れるオオバアサガラをはじめて見たのは、いつのことだったか。
 おぼろな記憶を辿れば、光岳をめざして学友と歩いていたこの寸又峡の林道だったのではないか。神無月のいま、むろんあのときの花の盛りだった木ではないだろうが、振り仰げばふわふわとした薄い茶色の毛で覆われた実の房が、木漏れ日に光っていた。

 エゴノキ科のアサガラ属は東アジアに4種のみが知られるが、そのうちの2種が日本に分布している。オオバアサガラは材としては利用価値が少ないようだが、最近の研究では鹿の食害を受けた森林の再生に有効な樹種の一つだという。若葉や芽立ちには独特の臭気があり、そこに含まれる化学物質を鹿が嫌うかららしい。しかし、たとえば芦生原生林のように鹿の密度が上がり食べ物が欠乏すれば、オオバアサガラとて樹皮を食べられてしまう。また、横に広く根を張るので岩礫地の安定化にも使えるという。
        
  この夏、政財界や原子力村関連できっと流行るなと思ったのが「合理的楽観主義者」である。2010年に出版されたマッド・リドレーの『THE RATIONAL OPTIMISMT~ How prosperity evolves』 を気楽に援用する主義主張を売り物にする族である。案の定さっそくそのての経営者の著書が出版され大々的に宣伝されている。
 マット・リドレー.については『ゲノムが語る23の物語』でよく知っていたので、大田直子さんたちが翻訳した『繁栄~明日を切り拓くための人類10万年史』を副題に惹かれて読んだ。邦題と違って、明日を切り拓くための具体的な方策は何も記されていなかったが、その内容にははじめて教えられることが多く、楽しく読めた。たとえば、人類の文明の進化はおよそ一万年前に始まった農耕に起源するのではなく、石器時代からおこなわれていた交易によって花開いたという説は、私にとっては新鮮だった。内容は大雑把に言えば「人類の未来は心配することはない。今までどおり何とか切り抜け発展してゆく」というものである。細かいことをいえば、日本には羊が古代から沢山飼育されていたという記述は誤解である。スリーマイルもチェルノブイリも大騒ぎすることはない。ミュータントは生まれていないし鹿も猪も元気に繁殖している、というようなことも書かれていた。
 並行して読んだ(こちらは読みでがあったが)ジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界~文明の源流と人類の未来』は日本語訳の副題はリドレーのそれとよく似ているが内容はかなり違っていた。こちらは原著の副題ーWhat can we learn from traditional societies?ーのとおり、有史以来の人類の伝統的な社会のありようから現代人は何を学べるかというものであった。
 とはいえ、どちらも現代社会への提言ではある。


October 3、 2014: 青蜜柑 Premature mandarin
 老いの眼の僅かにたのし青蜜柑 
                百合山羽公
 老いにともなう体力の低下か、霧散してゆく執着心ゆえのあきらめのせいか、手入れがほとんどできなかったリコリス園だったが、オオキツネノカミソリに始まった花の宴は、往年のにぎわいはなかったものの、いつものようにヒガンバナの篝火で終わりを迎えつつある。だが、その園の片隅では温州蜜柑の青い実が青年のような輝きを放っていた。
 輝きはいつかは失われるものではあるが、朝日新聞の凋落ぶりには目を覆いたくなるものがある。このところの紙面の大半は商業広告とスポーツであり、政治・経済・外交等にかかわる肝心の記事は腰が引けていて迎合的ですらある。戦前戦中の、軍や政権を賛美し庶民を煽りたてたことを深く反省したといいつつも、戦後は逆の立場で誤報と認識していながらそれをもとに人々を煽ったのである。もっともその誤りを知りながら、それを強く主張する論戦を張らなかった他のマスメディアも学者も情けなく、ある意味では同罪である。
   現場に立つことのできない人々には、記者自らが己の目で見て確認しその背景を検証した事実を自分好みに編集することなく報道してもらいたい。総じて昨今のマスコミの報道にはコピペ的な無責任さ、いい加減さを覚えて仕方がない。
                                                   青蜜柑おのが青さに青ざめて    川崎展宏

      
  最近、思いがけなく、とても面白い本に出合えた。 R.M.サルポスキー『サルなりに思い出す事など ~神経科学者がヒヒと暮らした奇天烈な日々 A Primate's Memoir - A Neroscientist' Unconventional Life Among The Baboon』 である。
 “ヒヒ”という言葉に惹かれて購入したのだが、読み始めると研究対象にした“ヒヒ”のことよりも、彼らの住む東アフリカのサバンナに生活する人々の話に夢中になってしまった。ことにマサイ族のアフリカでの立場には初めて知ることがほとんどで驚かされた。アフリカに暮らすバンツー族などの農耕民族にとって「牛を連れたあの長身で骨ばった民族は、とても迷惑な人たち」だという。しかし、独自の文明を変えることを拒むマサイ族にとっては、遅れてやってきて農地を広げていく人々こそ迷惑な存在なのだろう。また、ダイアン・フォッシーがルワンダに足を踏み入れなければあれほど多数のマウンテンゴリラが殺されることもなかったろう、という話も初耳だった。


October 4、 2007:  ツルヨシ   Phragmites japonica

 昨年の今頃は丑三つ時が過ぎるころには目覚めてしまって苦しむ家人と、夜の白むのを待って散歩に出かけていたが、今年は処方されている薬の効果で日が昇るころまでお互いに眠れるようになって、やや心が休まっている。しかし、すべての外的な刺激に敏感に反応して、鈍感な私などには被害妄想と感じる反応は相変わらず続いている。レビー小体シンドロームかも知れないと思い始めているのだが、医者の診たては違うようだ。

 そんな日々なのだが、時折の散歩も続けている。
 今日は菊川土手の斜面に咲き始めたツルヨシを見た。茶色を帯びた薄い紫の花穂が朝露に濡れていた。
 立ち上がった直線的な茎に沿って60度の角度ですっと伸びた葉が、周りのイネ科のなよなよとしたそれに比べてすがすがしさを感じさせる。
 極東に広く分布して川に沿った砂がちの環境を好むようだが、このあたりではあまり目立たない草である。

 話は変わるが、最近3冊の人類史にかかわる新刊の翻訳書を読んだ。2002年あたりまでの文献はかなり目を通していたのだが、その後の古人類化石の発見や現生人類の遺伝子系統樹の構築の成果を楽しむことができた。
 しかし、“Out of Eden : The Peopling of the World”という原題が「人類の足跡10万年全史」というぶっきらぼうなタイトルになっているのは、わかりやすいといえばそうなのだろうが、原著者には気の毒な気がした。



October 5、 2005: ノササゲ Dumasia truncata + ヌマダイコン Adenostemma viscosum

  「里山を歩く会」の皆さんと小笠山の秋の花を楽しんだ。先年のワールドカップで全国的に名が知られるようになったエコパはこの丘陵地の北西端の麓にある。ケスタと呼ばれる瘠せ尾根と深い谷の刻まれた地形が幸いして豊かな植生が生まれ、ことにシダ植物が豊富で176種もが記録されている。
 先ずは、ほの暗い谷間で見た花の内、ノササゲとヌマダイコンを紹介しよう。
 ノササゲは日本の固有種で本州以南の山地の林縁で目にすることが多い。花は地味だが脈沿って薄く白斑の入った葉との釣り合いは絶妙だ。豆莢は熟すと黒紫色となり、これも美しい。
 ヌマダイコンの仲間は熱帯性の植物だがこの種はオーストラリアから赤道を越え東南アジアを経て関東南部にまで分布している。漢方では風気草と呼んで、関節などの痛みに処方している。



October 5、 2012: クサボタン  Clematis stans Sieb. et Zucc.

 早朝の透明な冷気は木犀の香がしていた。
 秋は日々深まっていく。
 色なき風が水面を渡る小川の際の藪の中に、ひっそりとクサボタンの薄紫の小さな釣鐘のような花が咲いていた。

 クサボタンは本州の山地に広く分布していて、厳冬期の枯野では羽車のような形の銀鼠の集果をつけて人目を引くが、この秋に咲く地味な花に気をとめる人は少ない。未だ緑濃い藪の中では見落としがちな存在である。
 そのためだろうか、私の知る限りではこの植物を詠んだ短歌も俳句も見当たらない。
 山里の人々にもほとんど注目されていならしく、『日本植物方言集成』にも4つの里呼び名が収録されているに過ぎない。そのうち、近畿地方のキグサと秋田のドッチツカズは茎の下部が木化しているものの上部は草のように冬には枯れる生態を捉えたものであろう。標準和名のクサボタンも同様で、葉が牡丹に似ているからである。
 日本の政局の混迷も日々深刻になってゆくようだ。なにしろ財界ことに原子力ムラと、それに取り込まれた官僚、そして自分勝手なアメリカさんにいわれたことを、さも自分が決断したかのように胸を張る、高村薫のいうところの「ただのしゃべる人形」野田佳彦首相が続投しているのだ。


October 6、 2009:  ノシラン  Ophiopogon jaburan

 数日後には伊勢湾台風クラスの大型台風が本州を直撃する可能性が高いと予報されているので、まだ晴れているうちにと出かけた海辺に近い古刹の照葉樹林下で久しぶりにノシラン(Ophiopogon jaburan)の花を見た。
 花期の終わりに近かったので、ほとんどの花穂ではまばらに花が残るだけで、なにとはなく寂しげであった。
 ヤブラン属のものと似ているが子房の位置やオシベの形態が違っていて、ジャノヒゲとともに別属に分類されている。かつては紀伊半島以西に分布すると考えられていたが、実際は房総半島以西、琉球、済州島などの海浜地帯に生えている。
 ノシランという和名が何に由来するのか、一説には葉の形が“熨斗”に似ている“蘭”だというが、私には納得がいかない。この葉から熨斗を連想できるのだろうか。学名のほうも混乱していて、種小名はjapuran(ヤブラン)となっている。命名者のKunth, K.Sに日本ではヤブランと呼ぶと教えた江戸時代の学者がいたのだろう。つまり、昔の日本ではヤブランとノシランは同じものと認識していたにちがいない。

 標準和名のノシラン以外の里呼び名は分布密度の低い本州、四国では収録されていないが、鹿児島県悪石島ではミシバあるいはミッシバと呼び、琉球ではヤマシバ、ヤマビラなどと呼ぶ。
 この記事を書き始めて気がついたことなのだが、なぜか『牧野新日本植物図鑑』にはノシランがとりあげられていない。『牧野富太郎選集』『植物一日一題』『植物一家言』などの著作にも見当たらない。牧野先生は知らなかったのだろうか。いささか不思議である。


October 7、 2005:  ツクバネ   Buckleya lanceolatus

 小笠山の尾根道にはビャクダン科のツクバネが多い。水はけの良い比較的乾いた場所を好む雌雄異株の潅木である。書物に拠れば半寄生性とある。しかし、寄生する宿主植物が何かと思って調べると、これがよくわからない。ある本にはスギ・ヒノキ・モミなどの針葉樹に寄生するとある。またある本にはアセビ・ネジキ・ウリカエデ・クロモジ・コナラなどが宿主になると書いてある。どうもかなり場当たり的な寄生をしているようだ。もっとも、半寄生という概念もあいまいだ。他の植物の根に吸盤で張り付いていても葉緑素を持っていて光合成ができるからということだろうが、どれほど宿主に頼っているのだろう。稼ぎながら親元を離れようとしない近頃の息子や娘のように、ひょっとしたら宿主が枯れても生きてゆけるのではないだろうか。違っていたらツクバネさんごめんなさい。
 ツクバネという名は正月の羽根突きの羽根を連想させるからだが、羽根突きの風習は室町時代に始まったものである。したがってこの名はそれ以降についたものである。とすると、清少納言を始めとする平安の才女たちはこの可愛い木の実をなんと呼んでいたのだろう。気になるところだ。



October 8、 2005:  キツネノマゴ   Justicia procumbens
 今日は旧暦の9月6日、24節季の寒露である。北国からTVの電波に乗って紅葉の便りが届けられる季節となったが、太平洋沿岸に沿って長く不連続線が横たわっていて、小雨が降ったり陽が差したりしている。狐が嫁入りで忙しいらしい。
 そんな天気だからと、部屋にこもってパワーポイントで講演のためのスライドを作り始めたものの、やはり雨が上がれば野の花に会いたくなる。といっても遠出はならず、こんなときのために放置してある(というのは嘘だが)我が家の”雑草園”を覘いてみた。
 こんなわずかな空間にといつも感心するのだが、実にさまざまな草が生えている。一年に一二度はスコップを入れドクダミや大きくなるイネ科の植物は取り除いている所為でもあろう。そのなかで今日綺麗に咲いていたのがキツネノマゴだった。
 一見するとシソ科の植物にも見えるが、メシベの先が2つに割れて果実が4つの分果にわかれているしそ科のそれと違って先が丸いメシベと熟せば2つに裂ける楕円形の果実をつけるので区別できる。
 キツネノマゴという名前はなんとなく可愛い感じがする名だが、なぜそう呼ばれるのかわかっていない。キツネノゴマのゴマがいつの間にかマゴになったという説もあるようだが、さてはて?である。


October 9、 2005:  カヤツリグサ  Cyperus microiria
 いまさら教科書を買ってもな~、という思いもあったが、懐かしさが先立って注文してしまったD. J. Futuyma (2005)の EVOLUTION が届いた。他の著作同様にイラストや図表が美しい。
 内容は取り立てて目新しいものではないが、バランスの取れた良い教科書だと思う。
 それはそれとして、講義をする立場から離れている今、気楽にこのような書籍を読んでいるとなかなか楽しい。例えば今仲良くしているご近所のニャンコやワンコたちと私はおよそ1億年もの昔に存在した共通のご先祖様の子孫であるが、そんなに遠い遠い親戚なのに心を通わすことができる、と私は、そして多分ワン、ニャンたちも思っている。ところが、それよりも2000万年も後になって分かれたネズミさんやウサギさんとはいまひとつ心が通わない。
 なぜだろう?心とはなんなのだろう?
 そんな取りとめもないことを考えながらの散歩をしていると、足元にカヤツリグサが咲いていた。
 私はカヤツリグサと心が通うのだろうか?そのみごとな美しい構造に感心している私をカヤツリグサはわかってくれるのだろうか?残念ながら、カヤツリグサが今何を思っているのか、私には全く感じ取ることができない。この隔たりは、私とカヤツリグサの先祖が別々の進化の道を歩いてきた10億年以上の時の流れがもたらしたものだろうか?
 一生懸命に講義を聴いていながら、先生が意図し期待していたこととはまったく別の、突拍子もない質問をしてくる学生さんの気持ちが少し理解できたような気がした、そんな素敵な散歩だった。


October 10、 2005:  ダンギク    Caryopteris incana

 一昨年、我が家の庭にどこからともなく到来したダンギクの子供たちが今年も親株からだいぶん離れた場所で咲いている。
 最初に花壇の片隅で見つけたときはてっきり家人が購入して植え込んだものだと思ったが、知らないという。元来が中国大陸の植物で日本では九州に自生するのみという種類なので、ご近所のどなたかの庭から訪ねてきてくれたか、あるいは園芸店で購入した何かの鉢に種子が入っていたに違いない。
 しかし、これだけ種子での繁殖力があるのに、日本での分布が対馬と九州北西部を出ていなのはなぜなのだろう。気候や土質が四国や本州と九州のそれとが分散を許さないほど異なっているとは考えにくい。現に我が家の庭では世代を継いでいるではないか。何か定着を許さない生物学的な要因でもあるのだろうか。それとも、ひょっとしたら大陸から九州に入ったのが名前が書物に登場する江戸時代中期のことで、自力で分布を広げるまでには至っていないのではないのだろうか。
 「外来生物法」が制定されて、人間がコントロールしようとしても思うに任せない、ミズヒマワリのような繁殖力の強い外来植物が槍玉に挙げられる昨今だが、ダンギクならば仮に外来種だとしてもお目こぼしに預かることだろう。



October 10、 2012: フジアザミ Cirsium purpuratum (Maxim.) Matsum.
     朝霧に岩場削ぎ立つ富士薊      水原秋櫻子

 この季節、東冨士山荘の茸汁が有名な、須走口の駐車場の傍に、幾株ものフジアザミが咲いていた。
 雨が降るたびに、雪が溶けるたびに、崩れて地表の状態が変わってしまうような不安定な地形にもかかわらず、耐えて大株に育つことができるのがこの薊である。太く逞しい直根の持ち主である。親指ほどの太さの真っ直ぐな花茎と、その先に大きな頭状花がうつむきに咲くさまは洒落たステッキを思わせた。
 関東地方から中部地方の山間地に分布している日本固有種だが、とりわけて富士山周辺に多いのでこの名で呼ばれる。また富士山南麓ではスバシリゴボウとも呼ぶ。このほか、オニアザミ、オオアザミともいう。フォッサマグナに沿った崩れ易い第三紀層の露頭にも多く、信州ではカワラアザミとかカケアザミあるいはガケアザミの呼び名もある。
 以前、戸隠中社の宿坊に泊ったとき、このアザミの根の味噌漬けをいただいたが、牛蒡のような食感だったことを思い出す。大きな葉の軸(葉柄)の皮をむいて塩漬けにして置き、冬季に青物がないときに食べるということを聞いたのもこの宿のことだった。

   

 政治家や官僚のいい加減さは重々承知していたつもりだったが、復興予算の使い途の浅ましさには、あらためて呆れはてた。19兆円のほんの一部だから気づかれないですむだろうなどと思っていたのだろうか。そして、この予算の執行状況を検証するための衆院決算行政監視委員会小委員会は民主党委員全員の欠席で流れてしまった。
        
 昨年の秋に自ら収束宣言を出していた福島第一原発4号炉を野田首相が7日に視察した。真っ白な防護服を身に纏って。収束しているといったのだから、普段のブランドスーツ姿で胸を張って見学するのかと思ったよ。
       収束はしていないと見る防護服          三神玲子
 浜岡原発再稼動の是非を問う住民投票条例は原案も修正案も、わけのわからない理由をつけて県議会で大差で否決された。やはり原発マネーは県会議員たち行き渡っていたことが証明されたというところだろう。 川勝知事は記名投票を主張していたが、これもパフォーマンスに終わった。もっとも、いちゃもんをつけられるような条例案を提出した市民団体にも問題がある。16万人もの署名のうち、投票権がないと切って捨てられた20歳未満の若者は何パーセントほどだったのだろう。


October 10、 2014: ヨモギ Artemisia princepus Pampan.
    風吹いて雨すぐ乾く蓬かな   秋灯

 浜松に上陸した台風18号が落としていった大雨で増水して避難警告を出させた菊川の土手では草紅葉が始まっていたが、ヨモギの茂みだけは緑をたもち、白く米粒のような頭花の蕾を並べていた。
 開花した後の、あの乾いたような褐色の花筒の連なりより、優しげで美しかった。
 しかし、この花に目を止める人はほとんどないようで、詩歌に登場した例を私は知らない。
 よく知られているように、ヨモギは古代から薬草として利用され、香りの高い精油成分が含まれるため5月の節句などに邪気払いに飾られ湯船に浮かべられたり、雛の節句の草餅に搗かれたりした。また、現代ではほとんど使われることはないが、艾(もぐさ)の原料でもある。
 ヨモギ属は北半球を中心に広く分布していて400種以上が記載されているが、中にはマリファナ主成分THC類似の有毒成分を含むものもあり、香りが似ているからといって吸引するのは危険である。
      
 イスラム国に戦闘員としてリクルートされる日本の若者、ノーベル平和賞を受賞した17歳のマララ・ユスフザイ、彼女を称賛する人々、彼女は欧米の世界に利用されているだけだと顔をしかめるパキスタンの男。人々の思いは多種多様。これほど多様な内面を持った種がほかに存在するとは思えない。いや、地球という複雑な環境を持った星の生き物はすべてこのようなものかもしれない。
 今日、小気味よい正論を読んだ。法政大学総長の田中優子氏が静岡新聞のコラム『現論』に投稿した、マスメディアとそれに煽られた人々が熱中している“慰安婦報道バッシング”に対する冷静な批判論 「女性の人権侵害が本質」 である。彼女が指摘する本質問題への考察と主張が批判されている側から出てこないのが情けない。


October 11、  2004:   白苞蒿    Artemisia lactiflora Wall.
  台風22号の強風に激しく揺すぶられて傾いてしまった庭木を切り詰めて立ち直らせたり、千切られて散乱した花壇を整理したりと、今日は忙しい一日だった。
 夕食の片付けも済んで、中国で撮影してきた花の写真の整理をしながら何気なくTVに電源を入れると、西安で発見された遣唐使の墓誌についての解説が始まっていた。その被葬者の中国名は井真成。717年の遣唐使に阿部仲麻呂らとともに19歳で派遣された留学生で、17年の滞在の後、帰国を目前にしての死だったようだ。
 遣隋使にしろ遣唐使にしろ、今からは考えられないほどリスクの高い旅程だった。彼らの知識欲はそんな危険をものともしないほど強烈なものだったのだろう。そして彼らの持ち帰った知識と感性がこの日本の文化の礎となったことは間違いないだろう。
 彼らは大陸の地でさまざまな草木を目にし、それらと人々のかかわりを学んだことだろう。

 天目山や千島湖で撮ってきた写真をPCのディスプレイに映しながら、ふと、東シナ海の波頭を乗り越えてたどり着いた江南の地のから長安へと旅する若者たちは、どんな花と出会っていたのだろうと思った。
 写真は天目山で見たヨモギ属の1種の白苞蒿(バイバオハオ)である。江南の秋の野で大変よく目立つ花である。日本名はわからない井真成という若者もこの白い花を見たのだろうか。



October 11、 2013: ヌルデの雄株
          Male plant of Rhus javanica L. var. roxbulghii (DC) Rehder et Wils.

 この季節、台風は秋を深めてくれるというのが相場だが、24号は真夏の熱気を残して去った。とはいえ日が昇る前の大気は涼やかに澄んでいて、やはり秋がここにはあると教えてくれる。
 野の道ではススキが穂をほころばせ始め、ホトトギスの垂れ下がる茎に連なる角バッタ蕾もあと数日で開く気配である。雑木林はといえば黄ばんだ葉の数が増えて常緑樹が目立ちだしている。その葉叢の中に、ひときは白く目立つものがあった。ヌルデの雄花であった。
 ヌルデは雌雄異株である。咲き始めの雄花雌花の識別は遠目では難しいが、当然ながら冬が来れば一目瞭然となる。だが花のうちに確かめたい向きは、花穂をたぐって見ればよい。雄花は突出したオシベが目立ち、雌花の中央には丸い小さな、受粉がうまく行けばやがて朱に色づく子房がすわっている。

    ちりかゝる中にぬるでの紅葉かな   左流

 霜が降り始めれば、いまはまだ濃い緑の複葉も、鮮やかに紅葉する。



October 12、  2006:  チカラシバ    Pennisetum alopecuroides (L.) Spreng.
 近頃は滅多に出合えなくなったねと、数日前に遊びに来てくれた草友と話し合ったばかりのチカラシバがエノコログサやキンエノコロなどさまざまなイネ科の草に混じって土手道の際に生えていた。
 朝露をにぬれた花穂はあの黒々とした逞しさはなく、まるで子狐のふわふわとした可愛い尻尾を連想させた。
 チカラシバは日本全土と韓国中国から東南アジアのほとんどの地域に分布している典型的な道端植物で、田園の小道まで舗装されている現代と違って、かつてはいたるところで出合うことができた。
 そのころ、腕白坊主たちはこの草を遊びの小道具として盛んに利用した。私もその例にもれず、2,30センチの間隔を置いて生えている二株の花穂を結んで半円の輪を作り、知らずに通りかかった大人がこの罠にかかるのを物陰に隠れて待っていたものだ。他にも”水玉相撲”とか”お天気占い”とかいろいろな遊び方があった。
 そんな草であったから里呼び名も多く、遠州ではケムシグサとも呼んでいた。また悪餓鬼の大将が、子分どもにこっそり教えた名がツンビノケだった。


October 12、 2010: ワルナスビ Solanum pseudocapsicum L.
 衆議院予算委員会質疑が始まっているが、首相をはじめ各大臣の応答を聞いていると、相変わらず答えている与党は自民党で質問をしている野党が民主党であるかのような錯覚を覚える。議員年金廃止に付いての首相の答弁など、開いた口がふさがらない。昨年の今頃は、野党時代の民主党が主張していたことが実行に移されるのかとかなり期待した身としては、あれれ~??である。
 そんな日々だが、山歩きと一寸油断しての過飲が原因らしい不整脈もほとんど元に戻ったようなので、久しぶりに庭の草取りをした。 イネ科のものはほとんど枯れ始めていたが、ナス科の帰化植物は元気に茂っていて、その内の一つ、ワルナスビに可愛い花が咲いていた。その花に似合わず、暗紫色の茎に生えている棘は鋭く、それがこの和名の由来となっているようだ。 北米原産で、世界中に帰化していて、やっかいな畑地雑草として嫌われているが、原産地の先住民のチェロキー族は虫下しや家畜の皮膚病の治療などに利用している。
 日本に入ってきたのは明治の終わりごろで、千葉県の御領牧場のあった三里塚に牧草の種子に混入してきたものが広まったといわれています。


October 13、  2008:  野菊   Wild Chrysanthemum

 従兄のTさんが94年間を過ごされたこの世に別れを告げて静かに他界された。3年前に先立たれた奥様S子さんのもとに早く逝きたかったのかもしれない。

 野辺にはS子さんが愛された野の菊が咲き乱れる仲秋の朝であった。

     草の中に野菊咲くなり一里塚      正岡子規

 大学受験で初めて上京したときから卒業して離京するまでの4年間、杉並のご自宅にいく度となく泊めていただき、いろいろとお世話になったことを、なつかしく思い起こした。

      想い出はみな古り野菊畦に咲き     岸風三楼

 最後のお別れをしたときのTさんのデスマスクは静に美しかった。



October 14、  2004:   セイタカワワダチソウ   Solidago altissima L.
  今日は久しぶりによく晴れた一日だった。中国への旅で汚してきた野歩きようのズボンやシャツなどをクリーニング屋へ運ぶ途中、近くの空き地に群生するセイタカアワダチソウを見た。最近は頻繁に除草作業が行われるので、街中でこの草を目にする機会は激減していたのだが、なぜか背丈を越す高さまで育って、みごとな黄金の花穂を秋風に揺らしていた。
 北九州ではベトナム戦争が勃発したころから急速にふえだしたためベトナム草と呼んだことがあったと聞いたが、1920年に採集された標本があるので、大正時代にはすでに帰化していたいたのだろう。原産地は北アメリカである。
 アメリカではこの類を一括してゴールデン・ロッド(黄金の鞭)と呼ぶが、よく似た種類が多くて見分けにくい。セイタカアワダチソウはハイ・ゴールデン・ロッドである。
 故郷のネブラスカでは州の花として親しまれているが、日本ではあまり評判がよくない。猛烈な繁殖力のせいでもあるが、1969年に兵庫県のある医師が、この草の花粉が喘息のアレルゲンの一つだと報告したことが評判を落とした原因である。
 しかしブタクサなどのような風媒性の花粉症抗原植物と違って、ハチやチョウが花粉を運ぶ風媒花なので、濡れ衣を着せられたきらいもある。


October 14、 2009: ヨメナ Kalimeris yomena

 早朝の気温が13℃を切るようになり、草むらの露が滲みたズボンの裾が重く冷たく感じられるようになった。
 四半世紀前ころまでは数軒の人家があった、その今は無住になった集落を抜ける細道に取り残された地蔵尊を取り巻くように、ヨメナが咲いていた。

    子狐の隠れ顔なる野菊かな      蕪村

 蕪村の詠んだこの野菊がヨメナだったのかそれともノコンギクなどだったのかはわからないが、近代の歌人も里や山路に咲く菊を細かく区別することなく“野菊”と呼んでいるようだ。これは無理からぬことで、花をむしって冠毛の長さを比べたり、はたまた細胞を顕微鏡で観察して染色体数を調べたりしないと、識別が困難な分類群なのである。おまけに雑種となって有性生殖ができなくなっても、減数分裂なしで無性的に種子をつくって増えることができるものも少なくないので、形態に頼る分類はお手上げとなる。したがって、“野菊”とまとめて認識するのが一般の人にとっては精神衛生上よろしいようだ。



October 15、 2006: 箱根十国峠でみた花
「草の友会」の皆様と十国峠の草花を楽しんできました。
 よく晴れた日でしたが気温も高く富士山は霞んでいました。
 ケーブルカーで峠に着くとたくさんのマツムシソウが出迎えてくれました。
 峠の斜面はハコネザサの群落で覆われていました。


 ナンブアザミの変種のトネアザミ、別名タイアザミ。
 棘が鋭く触ると痛いから、イ!タイアザミだそうな。

 ヒメノキシノブ。ノキシノブより小
 型で葉の先端が丸いのが特徴。

 ヤマハッカ
 ハッカの香りはしません。

 ノコンギク。  この季節、山道で出会う野菊の代表的な種です。

 ヤマラッキョウ。草むらに踏み込むと、強烈なネギ臭がしました。気づかずにヤマラッキョウを踏んでいました。

 姫の沢公園に下る雑木林の中で目に留まったミヤマシキミの紅玉のようなつぶらな実です。

 姫の沢公園の遊歩道の際に群落を作っていたフユノハナワラビ。中国では解毒に使う薬用植物です。


October 15、 2013: ヒガンバナ~除草剤被曝度センサー

 以前に比べれば路傍や空き地への除草剤の散布は減ってきたと感じるが、今年の夏も散歩の途中で除草剤枯れしている場所をあちこちで見た。
 秋が来て、そんな場所のいくつかでまた異形のヒガンバナが咲いていた。
 かつてこのような異形のヒガンバナの2つのタイプが新変種としてワラベノカンザシ(L. radiata var.kazukoana)とニシキヒガンバナ(L. radiata var. bicolor)の名で記載されたことがある(米沢信道、1989:植物地理・分類研究、第37巻第2号、73-74)。しかし、遺伝的に固定したものではなく、除草剤の作用を受けた一時的な奇形である。
 ヒガンバナの里呼名を熱心に蒐集しその分布状況などを研究されていた松江幸雄さんもこれらの異形ヒガンバナのことを気にされていて、ご自宅の庭に移植され観察され、翌年には普通の花形に戻ることを知らせてくれた。また原因はそれだけではないのかもしれないが、花芽形成期の球根を高濃度の除草剤で処理すると画像のような奇形花が咲くことも確かめられている。
 1945年の8月、長崎の地中にあって強烈な放射線被曝をしたヒガンバナはショウジョウバカマのような小さな花を咲かせたあと、死に絶えたと前川文夫さんは報告している。
 野獣たちが跋扈し、生い茂る草木が瓦礫を埋め隠す福島の禁断の里では、どんなヒガンバナが咲いたのだろうか。

             つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華       山口誓子
 


October 16、 2008:  ナンバンギセル Aeginetia indica 
 道の辺の尾花がしたの思草いまさらさらに何をか思はむ    万葉集巻10

 日に日に秋が深まってゆく。明るくなり始めた岡へ登る草道を行くと、天空から降りてくる心地よい冷気に身が洗われる。朝日に染まり始めた筋雲が少しずつ形を変えている西の空には、まだまん丸な白い月が浮かんでいた。
 その岡の道の、所々にススキが生えている法面を仰ぐと、盛りは過ぎてはいたが数本のナンバンギセルが白く口を開いていた。
 ナンバンギセル(南蛮煙管)という名は真に的を射た命名だが、誰がいつ名づけたのかは定かではない。典籍にこの名が初出するのは明治36年に刊行された前田曙山の『園芸文庫』らしいが、オランダとの交易が盛んになった室町時代から江戸時代の初頭までにはこの名が登場していたのではないだろうか。
 では上古の人々はなんと呼んでいたのだろう。
 ただ1首のみだが万葉集に収録された巻10の2270番の上記の短歌にある“思草”がナンバンギセルだとする説が有力のようだ。
 その第一の論拠は“思草”は尾花(ススキ)の根元に咲く花ということである。ハマウツボ科のこの植物は好んでススキの根に寄生するという事実に合致するからである。
 しかし、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』ではツユクサの別名として“思草”を挙げているし、貝原益軒は『大和本草』で“思草”はリンドウの別称だと書いているが、これはこれでそのような呼び方もあったのであろう。

 野辺みれば尾花がもとの思草枯れゆく冬になりぞしにける    和泉式部


October 17、 2005:  ヒメジソ   Mosla dianthera Maxim 
 東経135度北緯25度のあたりの太平洋上でぐずぐずしている台風20号の影響だろう、降ったり止んだりがもう3日も続いている。気が滅入る。
 沈んだ気分にさらに追い討ちをかけてくれたのがわれらが首相様の靖国参拝のニュースである。適切に判断して秋の例祭の初日に出かけたのだそうだ。外相や財務相が困惑の表情あらわにコメントする姿が想像に難くない。そして明日当たりにはチルドレン大臣も加わった「皆で参拝する会」~正しくは「皆で参拝すれば怖くない会」~の皆さんがぞろぞろと出かけられることであろう。
 マスコミによる世論調査が正確ならば、国民の約半数は首相様の行動を肯定しているようだ。だが、無残な死が洪水のように溢れた時代に少年期を過ごしてきた臆病な私には、アジアの歴史の歯車がプレーバックを始めたような、そんなうそ寒さが感じられる。

 たっぷりと冷たい雨を吸った路傍の草むらでは、物言えば唇寒しの秋の風にヒメジソの小さな小さな唇形の花が、かすかにかすかに揺らいでいた。
 日本全土と中国からインドまでの広い範囲に分布するシソ科の一年草で、可憐な花に似合わないたくましさがあって、厳しい環境にもめげない。北米にも広く帰化していて Miniature Beefstakeplant と呼ばれている。”小型のシソ”という意味だ。ヤマジソやホソバヤマジソと同様にチモールなどの薬効成分を含んでいる。


October 18、 2004: オオイヌタデ  Persicaria lapathifolia(L.)S.F.gray subsp. nodosa(Pers)A. Love

  ここ何日か澄んだ秋の空を見ることができたと思ったのもつかの間、またまた台風だ。23号が琉球列島を襲っている。予報では22号とよく似たコースをたどりそうだ。伊豆の伊東では未だほとんど復旧が進んでいない。24号も発生しそうだという。もう願い下げにしてもらいたいのだが、自然現象に対しては人間はなすすべがない。熊が里に下りて暴れるのも頻発する台風がストレスになったせいだという識者もいるほどだ。
 怪しくなってきた空模様に、今の内にと思って野に出てみた。花の数も減って少し寂しくなったものの、藪陰にはイヌタデやミズヒキの赤い花穂が盛りである。乾いて茶色に色づき始めた河原に目立つのは背丈ほどの高さに茂ったオオイヌタデだ。オオイヌタデは、普通は水辺に多い蓼だが、かなり乾いた造成地などにも群生する。アジアに広く分布していて、インドから東南アジア、中国、韓国などでもありふれた種類である。和名は「大きな食用にならない蓼」の意味だが、中国では旱苗蓼という。「旱魃で枯れそうになた蓼」ということらしい。



October 18、 2009: 真鶴岬 Cape Manazuru
   
キチジョウソウ Reineckia carnea と イワガネソウ Coniogramme japonica と ツルソバ Persicaria chinensis

 晩秋の真鶴岬の磯と森を見てきました。江戸時代から保護されてきた“御林”ではクロマツやクスノキの巨木が空を覆い、暗い林床にはシダなどが茂っていいました。クジャクフモトシダのタイプロカリティーです。


 残念ながらフモトクジャクシダには出合えなかったが、この美しい斑が入ったイワガネソウ(Coniogramme japonica) をはじめ、アスカイノデ、ホソバカナワラビ、リョウメンシダ、フモトシダ、コモチシダ、オニヤブソテツ、ベニシダ、ハシゴシダ、ミゾシダ、オオイタチシダなど、たくさんのシダを目にすることができた。
 暖地では林床を埋めるように茂るキチジョウソウ(Reineckia carnea) は珍しくないが、花にはめったに出合えない。幸運にもその花を見ることができた。庭に植えておいて偶然にも花が咲けば、その家には吉事が起こるという言い伝えから“吉祥草”の名がついたという。また、花とともに年を越した暗赤色の実も見ることができるので、これも吉事の予兆だともいう。中国の揚子江流域と日本に分布する1属1種のユリ科の多年草だが、スズランなどの仲間に近いといわれる。

      昭らけく悟展けしこのあした聖が摘ます吉祥草花     岡本かの子

 中国では咳止めや止血や骨折などのの治療に処方するそうだ。

 


 急坂を下って磯に沿った遊歩道を歩いた。海は穏やかで寄せる波も黒い岩と戯れ笑い声を上げるように時折り白い飛沫を立てていた。
 マルバグミが葉隠れに白い花をつけ、崖下のトベラの実は割れて艶やかな朱色の種をのぞかせ、シロダモの赤く熟し始めた実を下げた枝には今にも開きそうな蕾もたくさん着いていた。
 波打ち際の岩の割れ目にはハマボッスが咲き残り、テリハノイバラの小さな赤い丸い実が輝いていた。
 そして、今日の私の収穫は、ツルソバ(Persicaria chinensis) に出合えたことである。初めての出合だった。
 『牧野新日本植物図鑑』では四国以南、『日本の野生植物』では伊豆七島、紀伊半島以南に分布するとあるように、真鶴岬や伊豆半島の沿海部にも分布することがわかったのは最近のことだという。
 小さな白い花はひそやかに開きすぐに閉じる。花びらと見えるものは蕚片で、これが黒く膨らんできて液果のようになる。

 中国では長江流域から南西部に広く分布して、火炭母の名で呼ばれている。全草が薬用され、解熱・解毒の薬効があるとされている。


October 18、 2010: ヤブマメ   
 Amphicarpaea bracteata (L.) Fernald subsp. edgewarthii (Benth.) Ohashi var. japonica (Oliver) Ohashi

 尖閣諸島の領有を主張する中国の内陸部大都市で激しい抗日デモが頻発している。領海侵犯をしたとして逮捕された中国漁船船長の拘留をきっかけにもちあがった騒動はいったん収まったかに見えたのだが。
 自然発生的な愛国運動ではなく、おそらく共産党内の権力争いと劉暁波さんのノーベル平和賞受賞隠蔽工作とが背景にある政治的デモなのだろう。
 在中国の日本人にとってはむろんのこと、在日の中国系の人々にとっても不幸なことだ。
 中国沿海部出身の友人は、これまで分け隔てなく接していてくれた町の人たちの視線が冷たくなったように思うと悲しんでいた。
 ホモ・サピエンスの内には、テリトリーを犯した別群のオスを集団で惨殺するチンパンジーと変わらないものがある。それはDNAに摺り込まれたものではなく、文化的なもので、努力により修正可能なものと思いたい。

 そんなことを考えながら散策した西方川の土手の茂みに、ヤブマメの淡い紫色の花が静に開いていた。
 琉球を除く日本全土と中国・韓国に分布するありふれたつる草だが、地上に稔る豆鞘とは別に、落花生のように、地中に食用される一粒の丸い種子を抱く実をつける。


October 18、 2012: ハナイカリ Halenia corniculate Cornaz

 須走口登山道5合目の古御嶽神社参道際で珍しい花に出合えた。極東の温帯から亜寒帯にかけて分布しているリンドウ科のハナイカリである。
 錨を連想させる変わった花形なので古くから注目されていたのだろうと思ったが、李時珍の『本草綱目』をはじめとする中国の本草書に取り上げられていなかったせいか、江戸時代のあまたの典籍にもその名を見ない。初出するのは、私の知るかぎりでは幕末の1856年から1862年にわたって出版された飯沼慾斎の『草木図説』である。その解説記載文が「北地高山駒ケ岳白山等ニ生ズ、・・・・」と始まっているように、ハナイカリの自生地は人里を遠く離れている。これも本草学者たちに注目されなかった一因かもしれない。
 中国でも事情は同様らしく、 『中国高等植物図鑑』では日本での漢字表記の“花錨”を流用している。

 日本に分布しているのはハナイカリただ1種だが、ハナイカリ属にはヨーロッパ東部から極東、北米、中米、南米にわたって約70種が記載されている。
その内の22種の核DNAと葉緑体DNAを使った系統解析(K. B. v. Hagen and J. W. Kaderett, 2003)によると、ハナイカリのように発達した距(錨状の突起)をもつ東アジアの種が祖先型で、これが100万年前あたりから先ず北米に分布を広げ、次いで中米、南米アンデスへと南下して行ったと考えられるという。蜜を貯める距の形態は、新大陸へ渡ったのち、中南米の吸蜜昆虫との共進化で多様化したと見られている。
 ちなみに、ネパールではヒマラヤ山系に分布するエリプティカ・ハナイカリ(H. elliptica D. Don.)の全草の搾り汁を熱病の治療に使う。

        
 13日のフランス2の“そこまで言って委員会”的番組でGK川島のキーピング・フォームを4本腕に画像加工したものを映して、福島原発の放射能によるミュータントかも、とキャスターが笑いを誘った。日本政府は早速在仏大使館を通して福島県民を傷つける悪い冗談だと謝罪を要求した。確かにその通りではある。しかし、復興予算の財源にすると称して集めた借金(税金)をおかしなところに流用していると知った困窮している被災民はもっと傷ついたろうし、地球環境フォーラムで、クリーンエネルギーの開発に邁進し30年代までには原発ゼロにすると宣言した首相の、放射性物質を撒き散らした国が、原発輸出に力を注いでいる現状は悪い冗談では済まされないのは無論のこと、グロテスクな冗談だと思うのは私だけだろうか。


October 19、 2005:  変わり朝顔    Mutant Morning Glory
 昨年の夏の終りに佐倉市の国立歴史博物館で開催された公開講座「海をわたった華花」を聴講した折に”変わり朝顔”の種を7粒もらった。今年蒔くつもりで冷蔵庫に入れておいたのだがうっかりしていて周りで朝顔たちが咲き始めてから思い出し、駄目だろうなと半ば諦めながらも蒔いたところ5粒が発芽した。しかし苗の育ちが遅く、葉もウイルスに冒されたようなちじれ方で、開花までもつのは望み薄のようだった。
 それが、ここにきて花ひらいた。普通の朝顔とさして変わらぬ花をつけたものもあったが、一株にはこの写真のように、牡丹咲とまではいかないがオシベとメシベが完全に花弁化した花が咲いた。もちろん種子は採れないからこの秋限りの楽しみである。
 ”変わり朝顔”の鑑賞は日本独自の文化で、江戸時代に始まった。その最盛期は、諸外国の船が盛んに来航し始めて鎖国下の幕府が対応に苦慮し始めた江戸末期の嘉永・安政のころであった。当時の愛好家はメンデルの法則がヨーロッパで再発見されるより遥以前から遺伝の法則を理解していたに違いないことを、さまざまな”変わり朝顔”の存在が教えてくれる。


October 19、 2009: ギンモクセイ  Osmunthus fragrance 
   銀木犀身じろげばまた香もゆらぐ   篠田悌二郎

 この家に入ったとき玄関先に植えたギンモクセイの幼木は8年たった今も未だ私の背丈ほどにしか育っていない。元来成長が緩やかなのか、それとも場所がよくなかったのかはわからないが、3年ほど前から細々ながら花を咲かせ始めた。
 花数は多くはないし、咲けば間もなくほろろと散っていくのだが、それでもあの爽やかな秋の香を、抜けてゆく風に渡して、私の書斎へと送ってくれる。
 最近何冊もの楽しい本に出合えているが、いまギンモクセイの香りを聞きながらページを繰っているのは“イーダ Ida”という愛称で呼ばれる4700万年前の霊長類の化石を紹介するコリン・タッジ Colin Tudgeの『The Link』である。
 初期霊長類の化石といえば、ばらばらに発掘された断片的なものしか知られていなかったが、ドイツのメッセル・ピットの油母頁岩から掘り出されたこの化石はほとんどすべての骨格がそろった美しいものである。
 Darwinius masillaeという学名をつけて発表したFranzen et al.(2009)は原猿類と真猿類とを繋ぐ、いわゆるミッシング・リンクだと主張している。
 BBCやアッテンボローさんを巻き込んだ大々的な発表だったが、学術的にはさほど大騒ぎするほどのものでないという否定的な意見も少なくなく、メディア・サーカスだと酷評する向きもある。
 しかし、ルーシーやツルカナ・ボーイ以上にみごとな化石であることは確かである。


October 20、 2007:  ヤマハギ   Lespedeza bicolor Trcz.
 国会では米国の「不朽の自由作戦」を支えるためのインド洋上での給油活動を国際公約?だからと継続させたい与党と国連の決定でもなくしかも国会での承認事項違反だから止めるべきだという野党とがやりあっている。しかし政治家もマスコミの論調も日本国内の庶民の困窮する現状を忘れているようだ。インターネットカフェをアパートの一室代わりにせざるを得ないワーキングプアの人々は、このわけもわからない300億円に近い税金の使われ方を認めるはずもないのだ。
 こんな日本は何処へ行くのだろう。ありえないことと思いつつ、膨らむ一方の国債が紙切れになる日がいつまでも来ないことを祈らざるを得ない。
 そんな日々なのだが、私は今日も何事もなかったかのように深まりつつある秋の野を歩いている。
 里山の花はめっきり少なくなって、ススキの穂が揺れ、ヨメナやカントウアザミが枯れ草に彩を添えている程度である。しかしヤマハギの茂みのある丘は冬の到来を拒否するかのように明るく暖かだった。


October 21、 2005:  オオバコ (車前草)  Plantago asiatica L.
 公園の散り始めた染井吉野の根元でオオバコが咲いていた。
 踏まれても咲くタンポポの笑顔のような明るさはないが、やはり踏みつけに強いオオバコの穂に咲く花にはそれなりの風情がある。その花は穂の下から上へと咲きあがっていくのだが、雌性先塾でまずメシベが白く突き出し、それが萎むと先端に葯を乗せた4本のオシベが伸びだして毛羽立ったように見えてくる。間もなく、風が吹いて穂が揺れるたびに熟した花粉が若いめしべを求めて舞い散ってゆく。やがて地表に散る種子は雨に濡れると種皮が分泌するプラタンサンという多糖類が粘つくようになり、通りかかった人間の履物や犬や猫の足に付着して新天地へと運ばれるのである。
 オオバコの分布は極東に限られるが、同じ属には270種もが記載されていて、全世界にわたって分布している。多くは草本だが南ヨーロッパのセンペルヴィレンス・オオバコやハワイのパキフィラ・オオバコのように低木状のものもある。
 オオバコのように人里の路傍というような環境に適応した種類の多くは世界各地で薬草や食草として利用されている。例えば中国ではオオバコを車前草と呼び全草が気管支炎や高血圧症に処方され、その種子、車前子は泌尿器系の疾患に用いられる。アメリカ先住民もさまざまな種類のオオバコを鎮痛剤や利尿剤などに使い、リュウマチや皮膚疾患にも処方している。
 日本でも中国同様に薬草と利用してきたが、身近な草だけに子供の野の玩具となったり、死んだ蛙を生き返らせる力があるというような俗信も生まれた。


October 22、 2008: ウメモドキ Ilex serrata

  裏やぶにここだく赤きうめもどき
         手ぐりて引けば実をこぼしたり   平福百穂

 明日からは雨模様の日が続くという予報だが、岡の向こうから射してくる朝日に茜色に染まる筋雲がたなびく明るい空にはその兆しもない。
 散歩道で目にする木々に赤い実が輝く季節になったが、今朝はウメモドキに出合えた。
 モチノキ属の潅木で本州、四国、九州の山地に自生していているが、実が美しいので古くから庭園に植栽されてきた。中国中部にも分布し、落霜紅と呼ばれている。和名は葉のようすが厚みがあって光沢のあるモチノキやクロガネモチと違ってバラ科のウメなどのに似ていることに由来するらしい。
      ひゑ鳥のうたゝ来啼きや梅もどき     蕪村
 赤く光沢があるこの実はヒヨドリなどの小鳥の大好物だといわれているので、いつの日か我が家の庭でも落し物からの実生が見つかるのではないかと楽しみにしている。



October 23、  2004:    ガマズミ   Viburnum dilatatum Thunb. ex Murray
  願いむなしく23号は各地に悲しみを残して去っていった。自然のエネルギーのものすごさを思い知らされ、人為の空しさに心萎える。されど、今日も明日も明後日も、生活は続く。幸いにしてこの辺りでは22号の時より風も雨も少なく、田畑や野山の傷みもさほど大きくはないようだ。
 ぐずついていた天気が回復して、ほんとに久しぶりの青空と爽やかな風を満喫しながら岡に登った。
 吹き落とされてしまったのではないかと気をもんでいたガマズミの実は無事で、秋の陽を浴びてルビー色に輝いていた。
 ガマズミとは奇妙な名だが、その語源については諸説紛々でいずれとも決めがたい。江戸時代以降の書物に登場する名で、それ以前はなんと呼んでいたのかわからないのだが、材が鎌の柄に適していて果実が甘酸っぱいので”鎌酸味→ガマズミ”と呼ばれたという説などは庶民的でうなづける。遠州地方ではヨウゾメと呼ぶ人が多いが、コジキモモ(乞食桃)などというガマズミが腹を立てそうな名もある。
 それはそれとして、この美しい実を使った果実酒は透き通るような赤い色で、すばらしい秋の恵みである。


October 24、 2007:  ホトトギス  Tricyrtis hirta (Thunb. ex Murray) Hook

   油点草こまかき蝶のまぎれこみ  五十嵐哲也

 フモトシダには形態では識別しがたいが生殖的に隔離されている複数の系統、つまり潜種があるらしいと推測して各地の個体を集めて遺伝子解析をしているW教授の頼みで、サンプルを採りに近くの丘陵にでかけた。ごくありふれたシダの一つなのだが、いざ探してみると意外に少なく結構歩かされてしまったが、そのおかげで秋の野の花を楽しむことができた。
 そのうちの一つが、咲き始めたばかりのホトトギスだった。
 花には細かな紫の斑点があり、これが杜鵑(ほととぎす)の胸部の羽毛の模様に似ているのでこの名で呼ばれるのだが、錨のようなオシベとメシベの集まりも面白く、室町時代にはすでに茶花として注目されていたらしい。しかしこの花にまつわる伝説や逸話のようなものはまったく知られていない。ようするに庶民の花ではなかったということだろう。
 中国名は油点草だが、詩歌の世界ではこれをホトトギスと読ませている。冒頭の句の”こまかき蝶”はヤマトシジミだろうか。



October 25、 2010: モッコク Ternstroemia gymnanthera (Wight et Arn) Beddome

 経済的格差の広がりにいらだち始めた大衆の不穏な動きが目立つ大陸への上陸を嫌がるように台湾海峡に停滞していた台風13号の余波が、奄美大島を襲った。大量の雨水とそれに運ばれる土砂の力には人知は及びようもない。
 幸いにして東海地方には秋の時雨が通り過ぎるほどの雨風で、いつになくたわわに稔ったモッコクの林檎色の実が綺麗に洗われ、そのいくつかは裂開して、これもまた真っ赤な種子を覗かせていた。
 関東南部から東南アジアにかけて、主に沿海部に分布していて、常緑の葉、赤い実だけでなく樹形も美しいので庭木として植栽されている。従来ツバキ科に分類されていたが、近年はDNA情報を基にヒサカキ属、サカキ属、ナガエサカイ属などとともにモッコク科(Ternstroemiaceae)なる独立した科に分離している。 よく知られるようにサカキやヒサカキは神事に使われるが、モッコクもまたその厳冬期にも艶やかな葉を茂らせる強さからか、日本各地で魔除けに使われていた。例えば、南河内の滝畑では、大晦日と節分の夜、ハギの串に鰯の頭を刺し、ユズリハやモッコクの枝を添えて大戸口に飾って除厄にしたという。


October 25、 2013: ナンテンハギ Vicia unijuga A. Br.
 足早の28号を追うように、ぐずぐず台風27号やっと動き出したようだ。大雨が心配されている大島では人々が島外や島内の避難所に移り始めている。
 今朝はこのあたりにも雨雲が垂れ込め、かすかに頬に触れる霧雨が通り過ぎてゆく丘の草原にはナンテンハギの濃い紫の花が咲いていた。
 複葉で先端が巻き鬚になるスズメノエンドウやクサフジと同じ仲間で、Vicia という属名にも「巻きつく」という意味があるが、ナンテンハギにはそれがない。この草が進化してきた環境がそれを必要とさせなかったからであろうが、それはいまナンテンハギが生育している草原と同じ環境だったとは限らないだろう。
 ちなみに、unijuga という種小名は「一対の」という意味で、ナンテンハギの一対の小葉のことである。和名は葉の形が南天のそれに似ているからというが、里ではフタバハギと呼ぶところが多い。こちらのほうが憶えやすい。中国にも両葉豆苗という似た名前がある。
 北海道から九州まで、各地に分布していて、若葉は山菜として食用されてきた。中国では家畜の飼料用に栽培したり、痛み止めの薬草として利用することもあるようだ。


October 25、 2014: 藤袴(サワフジバカマ)
                Eupatrium fortunei Trucz. x E. lindreanum DC.

  ふじばかま淡きをはなのこころとも   田村萱山

 新潟中越地震から早いもので10年が過ぎた。
 あのとき4日ぶりに、崩落した巨岩のなかから救出された2才の赤子も、いまやたくましい柔道少年となった。
 地が裂け山が崩れ集落も田畑も土砂に覆われ、もはや廃墟となるかと思われたあの山古志村にも活気がもどり、牛たちは横綱相撲さながら、いやそれ以上の迫力で角突き押し合い、大きな錦鯉たちがファッションショーさながらのあでやかさで泳いでいる。
 あの日、人の気配の途絶えた集落のあちこちで風になびいていた薄の穂は寂しさをいや増しにしていたが、いまは晩秋の日差しに銀色に輝いている。
 そして「ここは故郷、私の住む場所はここ以外にはないの」と再建なった瀟洒な民家の門口で語っているご老体の傍らには、アサギマダラにも立ち寄ってもらいたいと植栽されたという藤袴が淡く咲いていた。
 近年のフラワーショップでフジバカマの名で売られている、この画像のように花茎や葉が赤味を帯びるものは、サワヒヨドリとフジバカマの雑種のサワフジバカマで、古典に登場する“藤袴”と区別すべきだと主張する人がいるが、丸山応挙その人か、その一派の筆になるものらしいといわれる京は冷泉家に伝わる“花貝合せ”に描かれているのが、いわゆる本物のフジバカマではなくこのサワフジバカマなので、江戸時代の人々も両者を区別していなかったのだろう。本物のフジバカマは今や絶滅危惧種で野外で出会うことは難しい。


October 26、  2004:   ススキ  Miscanthus sinensis Andersson

 立て続けの台風の深い傷跡が未だ開いたままだというのに、今度は烈震が新潟地方を襲った。なんということだ。激しい余震は今日も続いている。研究者たちは「この手の活断層地震は予測できない、起こってみなければわからない。日本中何時何処でも起こりうる」というような情けないことをいう。東海地震なら予測可能だともいうが、それは膨大な金を注ぎ込んできた手前の政治的な発言かとかんぐりたくもなる。
 それよりも何よりも、被災した人々への救援が遅々として進まないのに腹が立つ。現実的には難しいのかもしれないが、あれもできるだろう、これもできるだろうと思うことが多すぎる。
 上空からの映像には、人影の絶えた山古志村の、崩落した土砂に半ば埋まった民家の傍らで、寂しそうに揺れるススキの穂があった。
 ともに旅したこともある小千谷に住む知人との連絡は、いまもとれない。心配である。



October 27、 2006: トキリマメ  Rhynchosia acuminatifolia Makino

  吹き渡る風が、今年の仕事を終えて老い色に変わった木々の葉を黄泉の国へと誘って行くと、明るくなった藪の中で新たな命を宿した木の実や草の実が輝きを増す。
 身も心も、環境の変化に適応してゆくことに疲れてきた家人との散策の路で、こんな自然の移ろいを目にすると、その自然の流れのようにはいかない人の世の悲しさを思わずにはいられない。
 この早春、桜の蕾が膨らみはじめたその頃、病を得て入院を続けられていたお向かいの奥様が、7ヶ月ぶりにご自宅に戻られた。まだ車椅子の生活をなさっているようだが、南面したお部屋から色付きはじめたイロハモミジを眺められておられることだろう。
 そして、今朝出合ったトキリマメの明るい朱色の莢は、草紅葉の中にこぼれた紅玉のようだった。この小さな鞘の中には艶やかな漆黒の実がしまわれているはずである。それは、ビックバンが起こる直前のもう一つの宇宙なのかもしれない。

 
 トキリマメはタンキリマメとよく似ているが豆莢に4mmほどの柄があるので区別できる。



Octover 27、 2009:  ヤブムラサキ  Callicarpa mollis Sieb. et Zucc
 台風20号は遠州灘沖を通り、伊豆諸島を吹き荒らして北太平洋へと消えていった。
 台風一過というには少し違うような気もするが、朝からすっきりと晴れ上がった空の下、散歩に出た。
 西方川の右岸に沿って行くと、荒縄で結界の張られた金山神社を取り囲んで鬱蒼と茂っている常緑樹林の縁で、葉の裏表を覆う白い毛が目立つヤブムラサキの実が赤紫に色づいていた。
 はじめて見たという家人にもムラサキシキブの仲間だということはすぐにわかり、「でも少しむさくるしい感じがする。なんという名なの」と聞く。

 そこでふと思う。ヒトは何故に物の名を知りたがるのだろう、と。これは生物学上の大問題、『種とは何か』、とかかわっている。現在までのところ(多分これからも)、すべての生物に当てはまる“種の定義”はないが、それはそれとして、ヒトが種の問題を抱え込むに至るその発端は、ヒトが言葉で意思疎通を図る能力を獲得した遥か古代、その時に遡るのだろう。

 言葉を使って知識を伝達しようとする場合、自らの発する言葉の意味を相手と共有する必要がある。ある美味しい果物のなる木を見つけて、それを他の個体に伝えたいと思ったとき(思わなければそれまでだが)、言葉を持たなければ、その木になっている実物を食べてみせるしかないであろう。この方法での情報伝達速度は緩やかで、しかも実物が眼前にないと役に立たない。しかし同時にこの果樹に名前をつけて、その名を多くの個体間で共有しておくことができれば、場所や時間の制約なく情報のやり取りができる。そして、名を知ることは、新たな情報を得ると同時に、伝達者としての資格をも身に付けることである。
 ヒトが生き物の名を知りたがる根底にはこのような原初的な背景があるのであろう。



      

October 28、 2012: シュウブンソウ Rhynchospermum verticilliatum Reinw.

 秋分のころから咲き始めるのでこの名があるシュウブンソウは真に目立たない植物である。野の花に取り分けての興味を持っている人でないと、恐らく足元にあっても気づかずに通り過ぎるに違いない。そんな花である。
 しかし目立たないというのは人間の勝手で、関東以西の日本列島と韓国南部、中国、東南アジアまで広く分布しているところをみると、目ざとく見つけて訪れる虫たちにはこと欠かないのだろう。とはいえ、これだけ広範囲に分布していても、近縁の種が無く、1属1種の、ある意味では寂しい存在でもある。
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 最近読んだ本の中で面白かったのは更科功著『化石の分子生物学』とJ. Bering著・鈴木光太郎訳『ヒトはなぜ神を信じるのか~信仰する本能』である。
 前著はこの種の著作としてはたいへん読みやすく、化石からのDNAの抽出の難しさとその解釈の問題点がよくわかる。しかし、第7章「カンブリア紀の爆発」以降の記述はいささか乱暴である。紙数が限られたせいだろうか。
 後著は他の存在が何を考えているのかを知ろうとする“心の理論”はヒト種だけがもつ適応的遺伝形質で、“神”はそれが生み出す適応的錯覚だと主張している。ドーキンズの切って捨てるような著書、『神は錯覚である』との対比が面白い。


October 29、 2005:  サクラタデ  Persicaria conspicua (Nakai) Nakai
 国立国会図書館の特別展示『描かれた動物・植物~江戸時代の博物誌~』で勉強させてもらい、翌日は上野の国立博物館で『北斎展』を堪能し、夕刻へとへとになって帰宅したのだが、久し振りに充実した2日を過ごすことができた。
 平安時代にはすでに日本に採り入れられていた中国の本草学を下敷きにして、鎖国下の江戸時代に花ひらいた独自の自然認識術、すなわち江戸的博物学はヨーロッパの知識も吸収して庶民にも喜びを与える存在となったのだが、脱亜入欧を目指した明治時代以降は非科学的な古臭いものとして省みられなくなった。しかし私には江戸的博物学は、西欧の博物誌ともども、人間という生き物の身の丈に合った、心地よさを与える自然観だと思っている。
 そこには遺伝子を弄り回すようなリスクは存在しない。
 などと取留めもない思いを巡すうちに、ふと北斎の絵の背景に描かれていたタデの花が頭をよぎり、その連想で数日前に野の道で見た開花直前のサクラタデのことが気になりだした。
 というわけで、今朝早速出かけたところ、咲いて間もない清楚な花が私を待っていてくれた。


October 29、 2013: ハナトリカブト Aconitium carmichaeli Debx. ?

 とりかぶと兜ゆるめて咲きほけぬ   角 松石

 10年ほど前に家人が園芸店で購入したトリカブトが今年も花の盛りになった。
 しかし、どうも私の記憶にある日本の山野のトリカブト類とは趣がどことなく異なる。手元のいくつかの日本産植物の図鑑や検索表をみても一致するものが見つからない。そこで、園芸店由来であることを思い出して外国の図鑑類ものぞいてみた。その結果、大陸極東に分布している中国名が“鳥兜”の Aconitium carmichaeli Debx. らしいことがわかった。さらにネットで調べると園芸家はハナトリカブトの和名で呼んでいると知った。
 とはいえ、この画像の株がほんとうにハナトリカブトそのものかは自信がもてない。というのも、この属の分類は難物中の難物で、その多くは名前を付けた分類学者以外には同定できる人はいないのではないかなどという人たちもいるほどだからである。しかし属としては形態的にはたいへんよくまとまっていて、どこの産地からのものでも、一見してトリカブト類とわかる。そして、強弱の違いはあるもののすべてアコニチンなどの恐ろしいアルカロイドを含んでいる。

  とりかぶとの青く光るはいやしめど
          庭にいきほふ草いまだなし   鹿児島寿蔵
   
 特別秘密保護法案が閣議決定された。物言えば唇寒し秋の風である。しかし、メルケルさんの私的電話も盗聴できる現状にこんな法律を作っても意味がないようにも思うが・・・・。
 F14号炉の使用済み核燃料棒取出しが始まるが、今日、もし失敗して放射性物質が飛び散った場合を想定して避難訓練をしたという。なんとも心もとない話である。完全にコントロールされているのではないか・・・・。そんなはずがあるわけはないが・・・・・・・。


Octover 30、 2009: コバノガマズミ Vibrunum erosum Thunb. ex Murray

 昨夜の雨を含んで滑り易くなった丘の小道を、足元に気を配りながら歩いていると、ヒヨドリたちのけたたましい叫びと飛び立つ羽音に驚かされた。目を上げると厚く茂った藪から光を求めて道沿いに枝を張ったコバノガマズミの赤い小粒の実が輝いていた。
 関東以西の太平洋側に分布する低木で、変異がありいくつかの変種に細分する人もいる。この画像の個体は多分葉に少し光沢のあるテリハコバノガマズミであろう。
 昔からガマズミと同じく果実の赤い色素は食紅や衣類の染料として利用されていたというが、ヨースズ、ヨードメ、ロッソ、ドッスなど静岡県下の里呼び名にも共通するものが多いのもそのせいだろう。

 民主党政権が発足して一月が過ぎ、いろいろと軋みが聞こえるが、これは当然のことで、日本という国がこの軋みを経てどのように変ってゆくか、興味津津である。
 鳩山さんには直江兼続の“愛”ならぬ“友愛”の飾り兜で頑張ってもらおう。



October 31、 2005:  ホシアサガオ   Ipomoea triloba L.
 このところ愚図つき気味だった天候が晴れの期間に入ったようだ。青く晴れ上がった秋の空を仰いでいると、何かすばらしい未知のものとの出会いがありそうな、そんな気がしてくるのは私だけだろうか。
 今日は隔月の定期健診日で、市立総合病院の若先生の毎度のご注意を拝聴した。ついでに8月の健診の帰りに見つけた谷戸地形の里山の道を歩いてみた。この季節の里山には、春から初夏にかけてのあの賑やかな色鮮やかさのある花はないものの、始まったばかりの草紅葉の褥に隠れがちに咲く花を見つける楽しみがある。
 恐らく朝夕に通う農作業用のライトバンが巻き上げたであろう土ぼこりを薄っすらと被った路傍の草むらで、小さな小さな朝顔形の、この辺りでは目にしたことのない花が咲いていた。気をつけていなければ見落とすに違いないような地味な花だった。
 帰化植物植物に違いないと目星をつけて『日本の帰化植物』で調べてみると、直ぐに南米が原産のホシアサガオとわかった。ポリネシアやミクロネシアでは有史前から分布していたらしく、土着のものとみなされている。日本には太平洋戦争後に入ったらしい。


November 1、 2005:  アキノノゲシ  Lactuca indica L.
 春はただ花のひとへに咲くばかりもののあはれは秋ぞまされる
 朝日の朝刊に連載されている丸谷才一さんの『袖のボタン』がこの拾遺和歌集の読み人しらずの一首で始まっていた。
 主題はこの和歌にもある「もの」談義であった。「もの」が何を指すのか、識者により見解は異なるが、丸谷さんは大野晋説が最も納得がゆくそうだ。大野さんだから勿論タミル語に語源があるということになるが、「もののあはれ」の「もの」はタミル語の man に対応するもので”永久”また”さだめ、きまり”の意味だという。この解釈だと万葉集の「世の中はさみしきものと知るときしいよいよますます悲しかりけれ」のいいたいことが良く理解できる。
 私にとっての「もの」は何だろう。大野説のような意味合いで理解している面が多いようだが、本居宣長のように「ひろくいふときに添ることば」でもある。
 今朝のTVには、あの激震から1年が過ぎた山古志村の今の映像が流れていた。惨憺たる様相で、一向に復旧は進んでいない。かつての明媚な谷筋は泥土に埋まったままである。泥原のなかにまるで浮かんでいるように屋根だけがのぞいている。
 生まれたときからの思いがこもっているであろう倒れた家の前で、老夫婦が言葉には表しきれない面持ちで、たたずんでいた。わずかに以前の面影をとどめた庭には雑草がはびこり、風に運ばれてきて根付いたであろうアキノノゲシが静に揺らいでいた。
 ”もののあはれ”を覚えずにはおられない。
 しかしこの「もの」に中には丸谷さんの「必然的な掟、宿命、道理」である「モノ」を入れるには忍びない。私の「もの」のなかには「偶然、理不尽」も入っているのである。この世で生起することはカオスの中の突発的現象であろう。
 庭に出ると、夏の間に茂ってしまったクスノキの根元で、瘠せた背の低いアキノノゲシが咲いていた。その柔々とした花にも秋の「あはれ」を覚えた。
 フィリピンなどの東南アジアでは畑地に生えたものは抜かずに野菜として利用している。インドネシアでクバン・カユという名で売っている野菜はアキノノゲシの変種で切れ込みのない大型の葉をつける。台湾では龍舌菜と呼ぶ。


November 2、 2004:  クロガネモチ  Ilex rotunda Thunb. ex Murray
  29日朝、広島へ発つ直前に小千谷の友人の元気な声を聞くことができた。耐震構造の家屋だったせいもあり、壊滅的な被害からは免れたそうだ。それにしても、さぞや恐ろしかったことであろう。間もなく雪の季節を迎えることが一番の心配事だとも話していた。
 広島へ向かう新幹線の車窓の外は、明るい日の光の下に、いつもののどかな、それでいて生も死もある世界が続いていた。
 日・中・露の植物染色体の研究者による国際会議が開かれた東広島市鏡山の広大のキャンパスは、かつて広島市内にあったものには比べようもないほど広々としていた。その一隅に、赤い実をにぎやかにつけた3本の大木があった。クロガネモチの古木であった。
 クロガネモチは公害に強いというので最近各地で庭や公園に植栽されるようになったが、昔は比較的稀だったような気がする。中国では樹皮を解毒や痛み止めの薬にしている。雌雄異株というのに庭に一本植えただけでも実がつく。どこか遠いところから花粉が飛んできているのだろうか。


November 3、 2007: ノブドウ 
 Ampelopsis glandulosa (Wall.) Momiyama var. heterophylla (Thunb. ex Murray) Momiyama

 半世紀ほど前までは、岸辺にはメダケが茂り、水面はシイなどの常緑の樹冠に覆われ、フナやタナゴやウナギがよく獲れた”小川”と呼ばれていた水路も、今では雨水と生活排水の流れる、小魚も棲まなくなったコンクリートの溝に変わってしまっていた。
 しかしそんな溝に沿っていつの間にか小さな土手が生まれ、そこにはさまざまな帰化植物や小鳥が運んできたのであろうピラカンサやハマヒサカキのささやかな藪が育っていた。その藪に宝玉のような実を連ねてノブドウが絡んでいた。
 日本全土の山野に広く分布し、市街地の庭にもいつのまにか顔を出すことが珍しくない蔓植物である。
 夏に咲く小さなクリーム色の花は見落とされることが多いが、秋に色づく実の美しさは格別である。はじめは白く、紫を経て熟せば空色となる。注意してみると果皮にはそばかすのような細かな斑点があるが、これは気孔である。実の中には白くて大きくやや歪んだ物がある。ノブドウミタマバエに寄生された虫こぶ(ノブドウミフクレフシ)である。



November 4、  2004:   ハマギク  Chrythanthemum nipponicum Matsum.
  昨日今日と、新潟方面の皆さんには申し訳ないような好天である。空は高く、冠雪した富士の姿がくっきりと見える。
 所用のついでに、久しぶりに御前崎燈台の立つ岬付近を歩いてみた。 潮風が頬に心地よかった。
 その風に揺れて、純白で大振りの菊の花が岩陰に咲いていた。近寄ってみると、それはこの地にはあるはずのないハマギクであった。ハマギクは日本特産で、青森から茨城県の那珂湊にかけての太平洋側にのみ分布する種である。江戸時代からあちこちで栽培されてはいるらしいが、最近はこの辺りのフラワーショップでもこのキクの苗を売っているので、どこか近くの庭から逃げ出してきたのであろう。 それとも自然に分布域が南へと広がってきたのだろうか。
 近年はミンミンゼミの声が遠州の沿海部でも聞かれるようになり、逆にクマゼミが関東以北まで分布を広げ、南方系のツマグロヒョウモンがこの辺りでもごく普通に見られるようになったりしているが、動きの少ない植物の世界でも同じようなことが起こりつつあるのかもしれない。

    浜菊のむらがり白き丘吹きてかがよふ風よ人に逢ひたし   生方たつゑ

 生方さんが見たこのハマギクは何処の浜辺に咲いていたのだろうか。


November 4、 2012:  キツリフネ  Impatiens noli-tangere L.

 吹き上ぐる風にゆらぎてとどまらぬ
     草の中なる釣船の花  木村流二郎

 南アルプスの南端でも紅葉が始まっているというが、麓の深い谷間の沢筋にはまだ仲秋を思わせる草の緑が残っている。記録的だと報告された神無月を通しての夏日の多さのせいだろうか。
 水際の湿地に、衰えの気配も見せずに茂るキツリフネに、黄金細工のような花が咲いていた。
 ヨーロッパから極東の温帯と北米の西海岸側にわたって広く分布している一年草で、水辺を好む。中国名の水金鳳は生態と花色とホウセンカ属の1種だということを端的に表している。
 日本ではあちこちで近縁で赤紫花を咲かせるツリフネソウと混生しているが、雑種は知られていない。くるりと巻いたツリフネソウのそれとは違う蜜を貯めた苣の形が、訪花昆虫を選別しているのだろうか。
 
 つり船草揺れるに合はせ息をつぐ  加藤治美


November 5、 2005:  オニタビラコ  Youngia japonica (L.) DC.
 今にして思えば、現役のころも一年に5,6回はフィールドに出ていたが、それは野外実習の指導や自分の研究に必要なやサンプルを採るためで、現在のように野に咲く花々の移ろいを求めて足しげく里山を訪れることは絶えてなかった。
 そのためといえば言い訳がましいが、身近な植物たちの生活様式や成長過程について新たな発見をし、こんなことも知らなかったのかと、忸怩たる思いをすることがしばしばである。
 この朝、目にしたオニタビラコについても然りである。
 オニタビラコの花は春から初夏にかけてだけ咲くものだとばかり思っていたのである。かつてこの季節にこの花を見たことはあったのであろうが、調べもせずに”狂い咲き”と決め付けて記憶にも残さなかったのであろう。今日は少し気になったのであれこれ当たってみた。するとこの植物は東南アジアまで分布していて、彼の地では周年で開花するということであった。チャンスさえあればいつでも咲いて子孫を残そうという逞しい草であった。


November 6、  2004:   ヒメツルソバ  Polygonum capitatum Buch.-Ham.ex D.Don.

  このごろ街中のレンガ道やちょっとした空き地でよく目にするようになった植物がヒメツルソバだ。霜にあたらなければ一年中咲いているが、晩秋の頃の花が一番美しいような気がする。イヌタデと同じ属で、明治の中ごろに観賞用に栽培されるようになったそうだが、ここ十年ほどで急速に分布を広げているようだ。石垣や歩道などの乾燥した環境では葉も花序もちまちまと詰まって可愛いが、水分と栄養があれば伸び伸びと育ってかなりの草丈になる。
 原産地はヒマラヤ山麓といわれるが、インド北部からブータン、ネパール、中国南部などの道端に野生している。
 ネパールではピレ・ヤールとかラツノーロと呼んでいて、潰してペースト状にしたものを火傷や切り傷の薬にしている。絞り汁を胃の薬にすることもある。よく茂るので、家畜のえさとしても利用されている。
 このあたりでは、顔見知りの花屋さんを「数年前まではポットの苗がよく売れたっけが、いまでは買う人なんていないずら」と嘆かせるほどありふれた野の花となった。



November 6、 2010: ミツバアケビ  Akebia trifoliata (Thunb.) Koidz.
 台風14号が大雨を降らせて通り過ぎ神無月を迎えると、一気に秋が深まり、毎朝の気温が10℃を切るようになった。
 今朝も8℃まで下がって、散歩用のブルゾンを着ていても冷気が忍び込んできたが、みどり台の丘に登ると、牧の原台地から顔をのぞかせた太陽の温もりが心地よかった。
 東海道本線をまたぐ宇東跨線橋から市街地へ降りる道は車の行き来が激しく、滅多に通る人はいないのだが、路傍の藪の草木が面白いので、私たちは散歩道の一つにしている。今朝はこの藪の中で色づき始めたミツバアケビの実を見つけた。
 少年の頃だったら思わず歓声をあげていたにちがいない。甘いものに飢えていた昔の里の子供たちにとっては、すてきな秋の恵みであった。だが、もっと美味しいものが容易に口に入る現代の子供たちにとっては、何の魅力もない存在のようだ。
 藪に揺れるこの実も、やがて紫に色づき、ぱくりと割れて、真っ白な果肉をのぞかせ、啄ばんでくれる小鳥が来てくれなければ、むなしく朽ちてゆくことだろう。人の口に入ることは期待薄である。


November 6、 2013: オオユウガギク
      Aster yomena (Kitam.) Honda var. angustifolius (Nakai) Soejima et Igari

 台風29号、30号ともにフィリピン東の太平洋から大陸に向かい、幸い日本への影響はほとんどないらしいが、明日の立冬を前にして気温は肌寒いほどに下がってきた。陽射しもずいぶんと優しくなった。
 野菊の仲間は分類が難しく名前を決めるのには躊躇することが多いが、今朝見たそれは冠毛の長さやだらりと垂れ下がるようにして広がっている様子からオオユウガギクのようだ。
 大分昔のことになるがこの仲間の染色体数と核型の研究がされていて(藤原悠紀雄、1955)、オオユウガギクは2n=72で外部形態では区別が難しいヨメナ(2n=64)やユウガギク(2n=18)と異なることがわかっている。とはいえ、残念ながらこの画像の個体の染色体がいくつかまでは調べていないので、オオユウガキクのようだ、としかいえない。従来オオユウガギクの学名にはAster incisus Fisch. あるいはKalimeris incisa (Fisch.) DCがあてられていたが、タイプ標本が採集された中国に分布し日本産のものと同じだと思われていたものが2n=18だとわかり、新たな分類群として認識されるようになり、ヨメナの変種 Aster yomena var. angusutifolius として記載することが多くなっている。
   
 しくじれば1本で1000ミリシーベルトの放射線が放たれる、瓦礫のなかから掘り出したような使用済み核燃料棒の取出しが間もなく始まる。作業員をはじめ人々の無事を願って止まない。うまく取り出せたしても、汚染水タンクどうようにキャスクが溜まり続けることになりそうだが・・・・・。
 池澤夏樹が「利で釣る方式をいくら合理化しても理想の社会は生まれない。利と理想は互いに排除しあうからだ」と書いていたが、そのとおりだろう。そして欺瞞と格差が蔓延する。そんな社会はやがて崩壊するのだろうが、その後の世界は理想的なものとなりうるだろうか・・・・・。


November 7、 2005:  紅葉散る門桁山(1375m)    Autumn color in Mt. Kadoketa

  日本列島を撫でるように東に移動していく南北に連なる不連続線が近づきつつある最中の昨日、里山を歩く会の皆さんと天竜川の東に位置する水窪の門桁山の紅葉を楽しんだ。
 標高1400mに近い門桁山の山頂近くは紅葉の盛りで、ヒメシャラやブナやさまざまなカエデ類が茂る登山道はさまざまな色と形の木の葉が散り敷いていた。
 近づく雨の先触れのひいやりと湿った風が吹き始めると、さらさらと優しい音をのこして、色とりどりの離れ葉が谷に向かって舞っていった。

 花の形や色は花粉を媒介してくれる虫や鳥たちへの、そして果実の香りや彩りは種を散布してくれる鳥や獣たちへのシグナルと考えられているが、生殖の役目を果たした末に木々の葉がこれほど豊かな彩りに変わるのにも何かわけがあるのだろうか。
 獣や鳥や昆虫たち対する何らかの呼びかけなのだろうか。それとも、きらめく宝石がそうであるように、化学物質の偶然の組み合わせが生み出した彩りだろうか。
 紅葉する植物たちの進化の歴史は、高だか300万年程度の進化史を持つに過ぎない人類が現れるはるか以前から綴られてきたものであってみれば、この美しい秋の世界が人間のためのものであろうはずはない。とはいえ、私たちは、このいまだ人知のおよばぬ自然の営みの、その不思議な完全美に魅入られずにはおられないのである。
ヒトツバカエデ
 日本固有種。東北地方から近畿地方に分布。
コミネカエデ
 日本固有種。本州、九州、四国に分布。
ウリハダカエデ
 日本固有種。本州、四国、九州に分布。真っ赤に色付いた葉や明るい黄色に色付いた葉もあった。


November 7、 2014: トゲシバリ Cladia aggregata (Sw.) Nyl. 
最近はこの辺りでも鹿の姿を見ることがあると聞いた痩せたアカマツの疎林を抜ける小道を行くと、少し湿った腐土を、ふわふわとしているが少し冷たそうな、トゲシバリのマットが覆っていた。
 まだ調査が行き届いていないのかもしれないが、ブラジル、オセアニア、東南アジアと日本の暖地という飛び飛びの変わった分布をしている地衣類である。

 ツンドラ地帯に生きるトナカイは地衣類を食べるそうだが、餌が乏しい冬になればニホンジカたちもこれを食べるのだろうか。
 いまやこの狭い島国に330万頭に近いシカが棲息し、古来の植生は大きく変化し始めている。
 ニホンジカの食害が取りざたされるようになったのは1980年代だったようなきがするが、始まりはいつだったのだろう。最上位の捕食者だったニホンオオカミが絶滅した時からだろうか、それとも鳥獣保護法が施行され狩猟者が減り始めた時からだろうか。
 ソウルゼンバーグ、W.の『捕食者なき世界』を読むと、「シカが保護されオオカミがいなくなったアメリカでは、森が荒れ果て、病気や事故で人も苦しむことになっている。そして、人による駆除には限界がある」とある。そこで、イエローストーン公園では一部の反対を押し切って、1995年に8頭のオオカミが放たれた。その結果、10年後には300頭に繁殖し、いまや自然界のバランスが取り戻されつつある。
 日本でこの手は使えそうもないが、現状を見ていると捕獲だけでは問題は解決しそうにない。下草が消え樹皮をはがれた木々が枯れた荒涼たる森の中でシカたちが飢えて倒れる時を待つしかないのか。


November 8、 2005:  イシミカワ

 先週末から気になっていた逆さ睫を抜いてもらいにいつもの眼科医院へでかけ、ついでに、というよりこちらの方が主な目的だったのだが、帰路に遠回りをして菊川の土手を散策した。
 昨日ほどの風もなくよく晴れて気持ちの良い小春日和に野の草も幸せそうに輝いている。
 この季節はアカマンマを筆頭にタデ科の花が目立つが、とりわけて私が好きなのがこのイシミカワである。
 奇妙な名であるが地名に由来するとか「石膠」が転訛したのだろうと言われるが、よくわからない。東アジアに広く分布し、日本でもごくありふれた草なのにどうして、大阪の石見川という特定の地名で呼ばれるのか、はたまた取り立てて強い粘着物質が含まれるわけではないのにどうして石の膠なのか、どちらの説も釈然としない。
 名の由来はともかくとして、この草は花も金平糖を連想する可愛いものだが、この季節に色付いてくる青い実に風情がある。実と書いたが、正確に言えば青いところは花が終わったあとに残って膨らんだ蕚である。これを開いてみると中に一個の黒く艶やかな本当の実が入っている。



November 9、  2004:  サラシナショウマ

  ファルージャへの一斉攻撃が始まった。死は闇に隠され、花火大会のような彩りの閃光が映し出されていた。私の中で、それは、東京大空襲や硫黄島玉砕の映像と重なった。ホモ・サピエンスの性とは思いたくない。しかし、どうしたら止めることができるのだろう。神を消去するか。
 思考を停めて野を歩いた。
 草紅葉が始まった林床のあちこちで、真っ白な、への字に曲がった花穂が、冷気を帯びた風に揺らいでいた。久しぶりに出会ったサラシナショウマであった。私の好きな花の一つだ。キンポウゲ科の多年草でシベリヤ東部、カムチャツカ、サハリン、日本、中国、韓国などに広く分布する。和名のサラシナショウマは晒菜升麻と書く。春の若芽を茹でて晒して食べるので付いた名だという。升麻はこの類の中国名だ。以前に試食したことがあるが、一日以上流水に晒しても独特の青臭さが残っていて、取り立てて美味しいというものではなかった。



November 10、 2004:  ツリガネニンジン
  日の射さない細い谷道をつめて尾根筋にでると、明るい草原が広がって、ツリガネニンジンの薄い空色の釣鐘が出迎えてくれた。信州や信濃の高原では夏の初めから咲き出す花で、いまはもう枯れ果てているのだろうが、このあたりでは未だ盛りである。ご本人はもう憶えているはずもないだろうが、幼稚園生だったころの娘と蓼科山麓を歩いたとき、「この花は妖精さんのお家のドアベルだよ」と話して、あまり受けなかったことを思い出していた。
 キキョウ科の多年草で極東に広く分布しているアデノフォラ・トリフィラという種の変種として分類されているが、地域によりさまざまな姿となり、例えばこの写真の花など信州の高原に咲くものとは大違いである。それでも同じ種に括られているのは、全体としてみると変化は連続していて、切り分けて別種とすることができないということなのだろう。
 この辺の里呼び名はチチクサかチョーチンバナ、あるいはツリガネソウである。いずれも花の形によるものだ。よく耳にするトトキという名は長野や新潟の里呼び名で、この地方では細くて白い牛蒡のような根を昔から食糧として利用していた。信濃町富士里あたりでは「山でうんまいものオケラにトトキ 嫁にくれるも惜しょござる」と歌ったそうだ。
 宮沢賢治の童話、『貝の火』の中では「つりがねさうが朝の鐘を『カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン』と鳴らしてゐます」。
                   ささやける風に釣鐘人参も     安原 葉


November 11、 2004:  アキノキリンソウ
  ピレネー山脈で最後の雌の一頭だったウルスス・アルクトスのカレンが、自分の猟犬を守ろうとしたハンターに射殺され、シラク大統領がその死を悼む声明を発表したそうだ。ファルージャでは今も多くのホモ・サピエンスが射殺・爆殺されている。その死を悼む声はあの国の大統領からもこの国の首相からも聞かれない。動物園の檻の中で丁重に飼育される最後のホモ・サピエンスを描いたSFがあったが、そこまでいかないと価値が出ない生き物なのか。
 尾根を越して下り始めると、切通しの湿った斜面に黄金色にアキノキリンソウが咲いていた。
 セイタカアワダチソウと同じ属で、仲間は120種近くも知られているが、大部分が北米大陸に分布し、ユーラシアにはこの種を含めて数種類しかない。アキノキリンソウのソリダゴ・ビルガウレアという学名は”傷を固める・黄金の枝”という意味で、ヨーロッパでは古くから傷薬として利用されてきた。エリザベス一世の時代のロンドンではこの草の粉末はかなりの値段で取引されたという。
 しかし、一方ではこの草を不吉なものとする風習もあったようで、英国のダービーシャー州などでは、近年でも庭に植えることは拒む人がいる。

 射殺されたヒグマのカレンも、ピレネーの秋の山道に咲いていたアキノキリンソウに出会っていたに違いない。


Novmber 11、 2013: ヒルガオ  Calystegia japonica Choisy
 秋が冬に席を譲ろうとしている川岸の斜面に、季節外れの、それも夏の忘れ物のようにヒルガオが咲いていた。
 柔やわとした筒花の縁には透きとおった朝露が乗っていた。
 どうして今頃になって咲いたのだろう。なにか原因があるはずだが、散歩の途中でたまたま出合った程度ではわかるはずもない。
 そして、昼顔なのに日が昇って間もない早朝に咲いているのもなにやらおかしい。
 とはいえ、「昼顔のまだ色うすき朝の花猫はしずかにすぎて行きしも」という今井邦子の短歌もあるところをみると、昼日中ではなく早朝に開くのが普通なのだろうか。
 そこでいくつかの文献にあたってみると、アサガオどうように朝に開花するが日中の強烈な日差しを浴びても萎れることがなくよく目立つためにヒルガオと呼ばれることがわかった。身近な植物なのによく観察しなかったことが恥ずかしい。
 また、これも知らなかったが、あれほどたくさんの花を咲かせ虫たちも訪れるのに滅多には実を結ばないという。ヒガンバナのように3倍体かと思ったが、2n=22の2倍体だった。不稔の原因は根茎による繁殖でクローン化していて自家受粉しているせいかもしれない。


November 12、 2005:  ナンブアザミ
一月ほど前、朝日新聞のウイークエンドの欄に外来生物法の対象植物の選定が非科学的だという、オオキンケイギクを例に挙げた、東京農大の近藤三雄さんの論考が掲載されていたが、選定に当たった専門家グループ植物部会長角野康郎さんのこれに対する反論が今日の同欄にあった。
 近藤さんは園芸的な価値が高く在来植生を圧迫しているような事例のないこの植物を選定するのは非科学的だと主張したのだが、角野さんは圧迫されない、つまりこの植物が入り込みがたい植生がある一方、天竜川上流の堤防に繁殖したこの植物が在来の植物に取って代わった結果として裸地化が起こり土の流失が始まったという例を挙げて選定の妥当性を論じていた。
 しかし、角野さんの挙げた例は在来植生が壊された例といえるのだろうか。人工の堤防の植生構成種のほとんどは帰化植物であろう。ヒトが自然を加工したための必然の結果とも言えるだろう。
 今日歩いたハイキングコースになっている山道にはひっそりとナンブアザミが咲いていたが、そのまことに自然のままに見える草むらの中にタイワンホトトギスが咲き誇っていた。花を愛するどこかのヒトが植えたに違いない。


November 13、 2004:   ヒヨドリジョウゴ
 11日の深夜から明け方にかけての雨はアスファルトに穴が開くのではないかと思うほど強烈だった。近くの牧の原台地では一時間に270mmを超える雨量だったそうだ。しかし一夜明けた朝は富士の姿がくっきりと見えるほどよく晴れ上がっていて、南東の空では木星、月、金星が直線上に並んで輝いていた。
 数日前からその真っ赤に色づいた実が気になっていたヒヨドリジョウゴは、あの雨を浴びたのではもう残ってはいないだろうと半ばあきらめて訪ねてみると、清らかに艶やかに雨の雫をとどめて朝日に輝いていた。
 和名はこの赤い実がヒヨドリの好物ということに由来するらしいが、平安時代には保呂之(ほろし)とか都久美乃以比禰(つぐみのいひね)と呼ばれていた。よく知られた薬用植物で、解熱・解毒の効能がある。漆などのかぶれにもよく効くのでウルシケシの呼び名もある。

 白い花弁が反り返ってダーツの矢のような形をした花は晩夏に咲く。


November 14、 2007:  ホソバヒメミソハギ  Ammannia coccinea
 小笠原の南方に発生した台風22号はこちらにはやってくる気配はなく、昨日も今日もよく晴れた。やや風はあるものの日向は心地よい典型的な小春日和である。
 そんな日差しに誘われて西方川の流域の田の畦を歩いた。一月も前に収穫の済んだ水田では刈り後の株から新たな稲穂が伸び始め、日あたりに恵まれるようになった水田雑草が勢いを増していた。
 お馴染みのタカサブロウやタマスゲやミゾソバに混じって以前から気にかかっていたまだ名を知らない草があった。花の咲く夏には水が張られていて近くで見ることができなかったが、水の無い今日は踏み込ませてもらって調べることができた。実の形からミソハギ科のものと見当をつけて図鑑に当たったところ帰化植物のホソバヒメミゾソバだとわかった。
 熱帯アメリカが原産地でいまではオーストラリアや南アフリカを除く世界の熱帯から暖温帯に帰化しているということである。日本で最初に記録されたのは佐世保の水田で1952年のことだが、今では関東地方以西で目にすることができる。


November 15、 2004:  コウヤボウキ

  昨日は火伏権現として地元の信仰を集めている火剣山へ登った。旧東海道の金谷宿と日坂宿を結ぶ小夜の中山峠より少し南に位置し、牧の原台地越しに駿河湾と富士山が展望できる丘陵である。その南麓に広がる、きれいに刈り込まれた広大な茶畑には、季節はずれの牡丹雪を思わせるように、一面に白い花が咲いていた。
 茶畑の中を登りつめて細い山道にかかると、晩秋に咲く野の花たちが次々と出迎えてくれる。
 真っ先に目を奪われたのは、コウヤボウキの削り掛けを連想させる花であった。キク科の低木で、冬が来れば葉を落として、細い枝は枯れ草にまぎれてしまうが、この季節には白い花びらの先をくるりと丸めた頭状花がよく目立つ。
 漢字では高野箒と書くが、これはかつて高野山の僧たちがこの枝を束ねて箒にしていたからだという。

 初春の 初子のけふの たまははき 手に執るからに ゆらぐ玉の緒   大伴家持

 たまははき(玉箒)は奈良時代からのこの木の呼び名で、正月の初子(はつね)の日に、ネズミにカイコが食べられないことを願って、コウヤボウキを束ね紫革で柄の部分を巻いて玉で飾った”たまははき”で蚕室を掃き清める神事を執り行った。当時の玉箒は今も正倉院南倉に眠っている。



November 16、 2004:  ヤクシソウ
  秋と冬の狭間に変動する日の光の中で、ひとときヤクシソウの花が明るく輝いた。屈託のない晴れ晴れとした金色の花びらと蕊が美しい。二股に割れた柱頭にも金色の埃のように微細な花粉がついていた。
 ファインダーの中のクローズアップされた蕊に止まっていた花粉の一つが、風もなく花蜂の気配もないのに弾かれたようにフッと消えた。走査電子顕微鏡で観察していた花粉が電子線で弾かれて視野の外に消えた時とよく似た感じだった。
 ふと、あほなことが脳裏をよぎった。宇宙線に弾かれたかなと。
 こんなことを思ったのは、理化学研究所の森田浩介さんが原子番号113番の新元素を発見したという、今朝読んだ新聞記事の所為に違いない。
 実験室の中で生まれたこの元素は1/1000秒の寿命を終えて消滅したという。
 ヤクシソウは二年草、ヒトは100年も生きることができ、縄文杉は4000歳以上とか。なんという違いだ。時間とは何だろう。存在とは何だろう。少年の日の思索が甦る。


November 17、2005:  ミゾソバ

 溝そばと赤のまんまと咲きうづみ   高浜虚子

 川岸の藪の中で金平糖を散らしたようにミゾソバが咲いていた。
 秋口から咲き始めているようだが、草紅葉のこの季節は一段と目に付くようになる。
 金平糖のように見えるのは一つの花序で20~30個の花の集まりである。それぞれは細かな花なので近寄ってルーペなどで覗いて見ないとわかりにくいのだが、先端が赤い突起状のものは蕾で、ひらけばソバの花そっくりだ。蕾の基部には緑色の鱗片状の物がついているが、これは苞で、端紅の花びらのように見えるのは蕚だという。つまり花弁を欠く花ということだが、これは形態学上の概念で、基部から順に、苞・蕚・花弁・雄蕊・雌蕊となっているものが完全な花だから、ミゾソバでは蕚が花弁をかねているというのである。
 ありふれた野の花ゆえ里呼び名も多く、東北地方では葉の形が牛の顔を正面から見た感じに似ているのでウシノヒタイと呼ぶ。遠州ではカエロッパともいうが、これも半ば水につかった葉の形がなんとなく蛙を思わせるからであろう。



November 18、 2004:  アオツヅラフジ
  早朝、いつもの散策路からそれて、黄葉し始めた草々がおいかかる細道を辿って丘に登り、露時雨に濡れた足元の冷たさに秋の終わりを知らされた。
 以前に比べればだいぶん見通しがよくなった藪の中では、野の生き物たちへの秋の恵みが色とりどりに染まっている。常緑の葉陰に隠れがちの黒く熟し始めているヒサカキとは対照的に、紅玉細工のようなサネカズラの実は自らを喧伝し、気付いてもらえればうれしいなというように控えめなのがアオツヅラフジの実だ。
 アオツヅラフジはツヅラフジ科の落葉性蔓植物で、北海道を除く日本全域と中国・韓国とに分布している。漢方では茎と根を乾燥させたものを木防已と呼んで解熱・鎮痛・利尿などに処方される。平安時代にはオオツヅラフジともども阿乎迦都良(あおかづら)と呼んでいたが、青蔓(あおづる)、葛篭葛(つづらかづら)などの名もある。遠州ではトズル、トンズルと呼ぶ人が多い。藤蔓という意味だろう。しかし蔓はもろくてすぐ切れるし、野葡萄に似た実も美味しいものではない。

身に染む風が日の落ちた末枯野を渡るようになりました。間もなく小雪です。
「野の花便り~秋~」の幕を引き、
「野の花便り~冬~に移ります。



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