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野の花便り 〜 戸隠高原の6月の花 〜


 平安の夢の埋もれし樹林下におしだ茂れり戸隠の里    静香

 信州は“戸隠の里”、それは私にとっては忘れがたき思い出にあふれた山里である。
 屏風を立てたような険しい岩壁の連なる戸隠山と女神の乳房にも譬えられる飯綱山とに挟まれた、平安の昔に遡る神事の歴史を連綿と今に伝えるこの山里は、私の助手時代に植物同好会の学生さんたちと楽しい一夏を過ごした里であり、そしてまた独身時代の妻と二人で最初に訪れた里であり、娘がやっと一人歩きするようになったころから幾たびとなく家族で訪れた里でもある。
 その懐かしい山里を、これもまた懐かしい植物同好会のOBの皆さんと訪ね、自然観察森林の花を楽しむことができた。 これはその備忘アルバムである。

森林植物園の主のような、精霊たちの依り代のようなブナ Fagus crenata の古木。 戸隠連峰を映す鏡にたとえられている鏡池 奥社の神殿横から振り仰ぐ戸隠山(1904m)


マイズルソウ Maianthemum kamtschaticum
 私がこの草に始めてであったのは高校1年の夏の奥大井寸又峡での合宿の折であった。朝日岳の山頂近くであった。名の由来は舞鶴地方で最初に見つかったためかと思ったが、葉の形がディスプレイで広げた鶴の羽に見立てたものと教えられた。その後、この草の葉面積が南方から北方へときれいな勾配(クライン)を見せることを、河野昭一さんたちの研究で教えられた。
ヒメシャガ Iris gracilipes
 北海道南部から九州の北部の低山地で時折目にすることのあるヒメシャガが宿坊の庭に咲いていた。
 姫著莪の花に墨する朝かな   杉田久女
 シャガに比べればずっと華奢で可憐な面持ちの花である。茶花として愛好されるゆえんであろう。
 土屋文明は「みちのくの処女のともの送り来し花かつみはよくある姫しやがならむ」と六月風に詠んでいるが、花かつみは水辺の花の総称である。しかしヒメシャガは水辺の花ではない。


ヒメウツギ Deutzia gracilis
 低地ではとうに花時が過ぎたヒメウツギが、ここでは花の盛りであった。この白さは太陽の下では眩しすぎる。月明かりがよく似合う花だと思う。
サラサドウダン Enkianthus campanulatus
 宿坊の庭ではサラサドウダンも咲いていた。近畿地方より東の山地で見られるが、花色には変異があって、濃赤色のものが変種のベイサラサドウダンである。


ヒメツルニチニチソウ Vinca minor
 ヨーロッパから北コーカサス地方が原産地のヒメツルニチニチソウが中社参道わきの空き地に這っていた。淡いブルーの花には涼感がある。
サイプレス・スパージ Eupholbia cyparissias
 同じ空き地で見たトウダイグサ科のサイプレス・スパージ。地中海域のヨーロッパ側からトルコにかけて分布して耐寒性がある。


イファケンシス・マンテマ Silene hifacensis
 スペイン原産で本国では絶滅したとも言われるシレーネも咲いていた。どうやらこの空き地には上の屋敷の庭園からこぼれてきた花が多いようだ。この植物については http://lycoris.at.webry.info/200805/article_7.html にも書いた。
ハクロバイ Potentilla fruticosa var. leucantha
 南アルプスと剣・石立山に自生が知られている植物だが、母種は北半球温帯に広く分布していて”アボッツウッド”という白花の園芸品種もあるので、同じ空き地に生えていたことから考えると、画像の株はそちらかもしれない。 


ノビネチドリ
 Gymnadenia camtschatica

 草原にあるものは60cm近くに育つが、樹林科のこの株は30cmたらずで柔やわとしていた。日本全土とカムチャッカ、サハリンに分布する。
オドリコソウ
 Lamium album var. barbatum

 この季節にオドリコソウを見たのは初めてである。つまり、6月の戸隠を知らなかったということだ。純白の踊り子はこの里によく似合う。
クリンソウ
 Primula japonica

 森の中の小道にはハルニレの実が散り敷き、水芭蕉の茂る湿地の中の小さな流れはクリンソウのにぎやかな花で縁取られていた。


 

ヤグルマソウ Rodgersia podophylla
 夏山といえば7月中旬以降の山行きばかりだったので、花時のヤグルマソウは初めてであった。大きなたくましい矢車型の葉によく似合った花だった。
    みずからもまた頼めなき思いせり
              雨に乱るる矢車草みれば    毛利文平
ヒメフウロ Geranium robertianum
 日本では中部地方西部と四国の剣山だけに自生している珍品だが、北半球全域に渡って分布していて、園芸植物として市販されてもいる。これも花壇から逃げ出したものであろう。

 イギリスではハーブ・ロバートと呼んで薬草として利用している。


タニウツギ Weigela hortensis
 鏡池のほとりのタニウツギは満開だった。日本海要素の低木で、信越国境辺りに行くと花時には山腹を桃色に染めるほどだという。
 名前から谷間の植物だと思い込んでいたが、高原や山の斜面に多い。どうやら福井などに今も残るダニウツギが元の名のようだ。ダニというのはアワフキムシのことで、しばしばこの木の枝がアワフキムシの泡で覆われているからだという。戸隠の里ではダニをとって単にウツギと呼んでいた。
レンゲツツジ Rhododendron japonicum
 よく知られるように日本特産のこの美しいツツジは有毒植物の一つで、アンドロメドキシンやロドヤポニンなどの致死的痙攣を引き起こす成分を含んでいる。この毒は花蜜にも含まれているので、有毒蜂蜜が問題になることもある。子供のころ庭のサツキの甘い花蜜を吸ったことのある人も少なくないと思うが、レンゲツツジを吸ってはいけない。
     日のうちは光まぶしき高原に
                蓮華躑躅のもろ葉衰ふ   植松寿樹


キレンゲツツジ
 Rhododendron japonicum f. flavum

 鏡池にはレンゲツツジと並んで黄花品種のキレンゲも植栽されていた。開発が進み、ペンションやロッジが立ち並ぶようになった戸隠では以前はあまり目にすることのなかったレンゲツツジの仲間があちこちに植栽されていた。
イヌコリヤナギ Salix integra 
 湿原のあちこちでイヌコリヤナギの実が熟し、もこもこと白い綿毛をつけて風が渡るのを待っていた。
 柳行李を編むのに利用されるコリヤナギと違って活花の材料に使われる程度だが、日本全土に広く分布している水辺の柳である。


ケナシヤブデマリ Viburnum plicatum f. grablaum
 西岳を映した鏡池をあとに、鬱蒼と茂った森の小道に分け入ると木漏れ日を探しているように咲いているヤブデマリが迎えてくれた。太平洋側で見慣れたヤブデマリよりずっと繊細な感じがするケナシヤブデマリだった。日本海側の低山地から標高1400m付近までに分布しているようだ。
 戸隠の山向こうの鬼無里ではクサギと呼ぶそうで、若葉が臭いからというが、「臭い臭いといって嗅げば臭くない」そうだ。この“あれれ?”の話は宇都宮貞子さんが『夏の草木』の中で紹介している。
タチカメバソウ Trigonotis guilielmi
 ウワバミソウやイッポンワラビなどが茂る林床に薄い空色のワスレナグサに似た花を長い花序に連ねた草があった。
 柔らかな葉の形が亀の甲羅に似ているゆえの名のようだ。だが、どちらかと言えば、スッポンの甲羅ではないだろうか。
 北海道から本州の落葉樹林下に分布している。


 

ズダヤクシュ
 Tiarella polyphylla

 ユキノシタ科にはときおりチャルメルソウなどのように“へ〜”的な面白い形の花があるが、ズダヤクシュもその一つである。
 名前のほうも変わっているが、ズダというのは信州の方言で喘息のことだそうだ。つまり、“喘息薬種”ということで、薬用されてきた。
サイハイラン
 Cremastra appendiculata

 天命稲荷の石灯籠の下にサイハイランが咲いていた。花の姿が采配をイメージするからという。こちらはわかりよい命名である。
 南千島以南日本全土、韓国、中国、ヒマラヤにわたる広域に分布している。地中の塊茎が食べられるので中社のお年寄りはカタクリと混同してハアクリと呼んでいた。
クルマバツクバネソウ
 Paris verticillata

 鹿児島大学のM.J.先生の学位論文の材料の一つで、お手伝いした身としても懐かしい植物である。
 花びらのように見えるのは苞でその間にたれている糸状のものが花被である。
 単子葉類には珍しい4数性の体制の植物である。大きな染色体も魅力的である。


 

サンリンソウ Anemone stlonifera
 もう少し早い、5月のうちだったら盛一面を白く染めていたのだろうが、いまやかろうじて咲き残っているサンリンソウがあった。
 この森にはイチリンソウもニリンソウも咲くそうだが、混じりあうことはなく別々に群落をつくっているそうだ。
 
ヤマサギゴケ Mazus miquelii f. rotundifolius
 小道の際にはサギゴケに似ていて、もう少し柔らかで匍匐枝を長く伸ばし立ち上がり気味に花をつけているヤマサギゴケが生えていた。

 画面に散らばっている褐色のものはハルニレの実である。


コケイラン Oreorechis patens
 随神門へ続く遊歩道の際にコケイランが咲いていた。北海道から九州まで、湿った暗い林を好んで生えるランで、極東に広く分布している。
 和名の漢字表記は小尢魔ナある。宸ヘシュンランやカンランのことだが、細長い葉の形が似ていて小形だから付いた名らしい。
ラショウモンカズラ Meehania urticifolia
 この季節の戸隠の里で一番目に付く花といえばこのラショウモンカズラかもしれない。
 中国東北部から北海道と琉球を除く日本に分布する1属1種の多年草である。和名は膨らんだ蕾の形が渡邊綱が羅生門で切り落とした鬼の腕のようだからというのだが、いささか納得がいかない。


クルマバソウ Asperula odorata

 奥社に向かう参道のみごとな杉並木の根元にクルマバソウが咲いていた。
 ユーラシアの温帯に広く分布していて北アメリカにも帰化している。クルマムグラに似ているが葉が厚く花も大きいので区別は容易である。押し葉標本をつくるとよい香りが発つが、これは含まれているクマリンの香りだという。
ギョウジャニンニク
 Allium victorialis var. platyphyllum

 ミズバショウの茂る湿地の中にギョウジャニンニクの群落があった。開花直前の花を包み込んで膨らんだ白い苞がついと伸びた花茎の先端でうな垂れていた。
 花が咲けば葉は枯れてしまうが、目立ちの若葉は美味しいし強壮の効力もあるので、最近はスパーマーケットなどで山菜として売られている。


ルイヨウボタン Caulophyllum robustum

 数本の杉の古木の下のほとんど下草が育っていない場所にルイヨウボタンが咲いていた。手持ちでシャッターを切るには暗すぎるのでフラッシュをたいたが、淡い黄色の花はやはり白く飛んでしまった。
 葉の形がボタンのそれに似ているので類葉牡丹というわけだ。花びらのように見えるのは蕚片で花弁は蜜腺状に縮んでいる。夏の終わりに実が熟すと子房壁ははがれて真っ青な美しい種が露出する。
 氷河期からの生き残りのようで、よくにた種が北米東部にも分布している。先住民は薬用植物として利用している。
ユキザサ Smilacina japonica 
 北海道から九州まで、落葉樹林の発達する山地の林床でよく目にするユリ科の植物だ。芽立ちどきに摘んで天麩羅やおひたしにすれば美味だそうだが、残念ながらまだ賞味したことはない。
 ユキザサ属には20種ほどが記載されていてヒマラヤ以東のアジアと北アメリカに分布している。
 白い細かな小さな花は可憐で、ヨーロッパの人なら“妖精の髪飾り”などと呼びそうである。そんな可愛い花なのに、なぜか短歌にも俳句にも詠まれていない。しかし注目されていなかったわけでもなく、江戸時代の岩崎灌園『本草図譜』に“鹿薬”の名で描かれている。

 

オオカメノキ Viburnum furcatum
 ガマズミによく似てはいるが、ずっと大きく丸みを帯びた葉のオオカメノキがあった。残念ながら花は終わっていたが緑の実が光っていた。秋になれば赤や黒に変わって小鳥たちを喜ばすことだろう。
オオケタネツケバナ Cardamine dentipetala
 森の小道のあちこちに白いアブラナ科の花が咲いていた。通りすがりに一瞥したときはマルバコンロウソウかと思ったが、案内板の図で近畿以北の日本海側の林床に分布するオオケタネツケバナだと教えられた。


森林植物園の中ではさまざまなシダ植物も見ることができる
そのうちのいくつかを紹介します


クジャクシダ Adiantum pedatum
 奥社の社殿のすぐしたの石段の横に美しいクジャクシダの若葉が広がっていた。赤い株と緑の株のコントラストが面白い。
 ヨメノカンザシ(嫁の簪)という呼び名はよくし知られているが、中社ではヨメノコウモリあるいはジャノメノカラカサと呼ぶそうです。
 宇都宮貞子さんの『夏の草木』には戸隠の柵(しがらみ)のおばあさんの「このコーモリグサの赤いのをヨメサマノコーモリ、青いのをモコサマノコーモリせって、頭の上へさしちゃあすんだし。『おら嫁さまだど』、『おら婿さまだど』なんせっちゃあな」という話が紹介されている。
 また長野市の扇平にはソバハという呼び名が残っているが、これは子供たちが遊びでクジャクシダの葉を唇にあって吸いながら葉柄を横に引いてゆくと柔らかな葉がチュルチュル鳴るので、その音を聞きながら蕎麦をすすることを思い描いたからであろうという。これも宇都宮さんの説である。


ホソバシケシダ Deparia conilii オウレンシダ Dennstaedtia wilfordii


サトメシダ Athyrium deltoidflons キヨタキシダ Diplazium squamigerum


イッポンワラ Cornopteris crenulatoserrulata シラネワラビ Dryopteris expansa


オシダ Dryopteris crassirhizoma ヤマドリゼンマイ
 Osmunda cinnamomea

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