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野の花便り ~ 弁財天川河口の花々~

遠州灘を渡ってきた白南風が遠浅の浜へ白波を寄せ、梅雨明けの熱い日差しに乾いた白砂を、
丘の草地へと運んでいた。
砂が草を覆い、覆われた草が負けじと砂の上に顔を覗かせている。
その、草と砂がせめぎあう、弁財天川の河口を歩いた。


                潮鳴りを遠くに聞きて小川辺にハマボウの花今盛りなり    倉田悟

 砂丘を押し開くようにして遠州灘の浜辺に注ぐ弁財天川のほとりに数株のハマボウ(Hibiscus hamabo)があった。
 この美しい花に目をとめて、日本でHAMABOと呼ばれているハイビスカスだとヨーロッパに紹介したのはかのシーボルトである。
 シーボルトは『日本植物誌』に、あちこちで植栽されていて、野生状態のものは海岸で見られるが稀だと記している。江戸時代でもめったには自生するものに出合えなかったのは、この植物の生態の特異性であった。自然界では生育可能環境が限られているのである。5mmほどの種子には空気室があって、海流によって広く分布されるのだが、砂浜などには定着できないのである。
 融合して管状になったオシベとそれを貫いて飛び出しているメシベの基部は赤く染まっている。甘い香りを期待して顔を寄せてみたが、まったく匂わなかった。

 砂丘に茂る雑木林を抜けて浜辺へ下る道にはノブドウ(Ampelopsis brevipedunculata) 這い、クリーム色の小さな星型の花を咲かせ、青い若い実を育て始めていた。実は食べられないが、根を乾燥させたものは煎じて関節痛などに投与されていた。


 ノブドウの近くにはコマツナギ(Indigofera pseudo-tinctoria) が小さな桃色の花穂を立てていた。
 藪と砂浜との境目では中天に燃える陽光を遮ったテリハノイバラ(Rosa wichuraiana) のオシベが真っ白な花びらにくっきりと影を落としていた。


 
砂浜に下りると、先ず目に入ったのが小さな赤い手毬を寄せ集めたようなハマボウフウ(Glehnia littoralis)の実だった。ああ、もう花の季節は過ぎたのかと、少しがっかりしたが、数メートル先を見やると、白い花むらがあった。今を盛りと咲くハマボウであった。
 ベニシジミやコハナバチたちが飛び交っていた。

             ねむるもの赤き蜻蛉とわが君と浜防風に真白き砂に    吉井 勇

 ハマボウフウは東南アジアから北太平洋の沿岸地帯を経てカリフォルニアにわたる地域に分布するセリ科の多年草で、北米のものはleiocarpaという亜種に分類されている。
 和名は海辺の防風という意味だが、中国では実の形態に注目し珊瑚草と呼び、北米では花の白さに因んでアメリカン・シルバートップという。

 私たちには刺身のつまとして親しい浜辺の草である。

 


 白い砂地に、たっぷりと墨を含ませた筆先を無数に立てたようにみえる、コウボウムギ(Calex cobomugi)の群落があった。ムギの仲間ではなくカヤツリグサ科の多年草でその実も食用にはならない。しかし飢饉に際しては炒って食べたともいう。雌雄異株で太い筆を立てているのは雌株である。地下茎が砂の中を深く長々と這っているので、砂止めにも役立っている。

               夏すでに砂丘の光おぎろなし弘法麦の筆の穂のいろ     北原白秋

 コウボウムギと入り混じってハマニガナ(Ixeris repens)が咲いていた。ジシバリなどとよく似た明るい黄色の柔らかな花だが、白い砂に黒い影をくっきりと焼き付ける強烈な光に臆することなく立ち向かっている。

                       風紋といふ 砂波乱し 浜苦菜      静

 少し行くと二つに割れて短いビロード状の毛で覆われた穂先を鴨の嘴に見立てられたケカモノハシ(Ischaemum anthepholoides)があった。こちらはイネ科である。昔は硬い根を束ねて束子として利用したという。


 砂丘の窪地にはクマツズラ科のハマゴウ(Vitex rotundifolia)が茂っていた。開花には間があるようで蕾はまだ固かった。この低木の実は古来強壮剤として利用されていて、三陸海岸では漁師がこの実を酒につけたものを飲んで海上での厳しい寒さを凌いでいた。


 河口をまたいで最近架けられたらしいコンクリート製の弁財天橋の橋脚の周りにはジャノメギクやヤナギハナガサなどの帰化植物が目立った。
 日差しを避けて弁当を食べるために腰を下ろした橋の下砂地にはシロバナマンテマ(Silene gallica var. gallica) と
ヨツバハコベ(Polycarpon tetraphyllum)も生えていた。どちらもヨーロッパが原産のナデシコ科の一年草で、前者は明治時代に、後者は昭和の初期に帰化したと考えらている。

 


 途中で立ち寄った湿生植物保存園には、以前はこのあたりの池沼にごくふつうに生えていたが今や貴重な存在になっているというオニバス(Euryale ferox)が移植してあった。
 東アジアに広く分布しているスイレン科の1属1種の植物で原始的な形質が昔から注目されていたが、近年のDNAの研究からも最古の被子植物の生き残りの一つであることが明らかにされている。いわば、生きている化石である。

 種子にはデンプンが多量に含まれ食用されるが、若い葉や茎も食べられていた。漢方では種子を芡実(けんじつ)と呼んで滋養強壮に処方される。そのためであろう、中国では3000年も前から栽培されてきた。

 日本では絶滅に瀕しているが、生命力は強いようで北米にも帰化している。

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