momiji

紅葉の話Folklore of autumn-tinted leaves, MOMIJI.



”もみじ”する植物

 秋も深まり、澄んだ大気に肌寒さをおぼえる頃になると、落葉性広葉樹の多くは”もみじ”しはじめる。
 この現象は、気温の低下が引き金になって、葉柄の基部に離層が形成され、水分や養分の移動が妨げられ、それにともなって葉肉細胞内のクロロフィル(葉緑素)が分解されることによって始まるが、普通は日平均気温が15℃以下で明け方の最低気温が9℃以下になることが必要条件だといわれている。
 クロロフィルが分解され緑色が消えると、イチョウなどではその下に隠れていたキサントフィルやカロチンの色が目立つようになり、その葉は黄色に変わってゆく。一方、離層形成で葉にとどまった糖や澱粉は分解されフラボノイドとなる。そのフラボノイドがアントシアンの一種のクリサンテミン場合は赤色葉となる。また湿度や紫外線の量なども色づき具合を左右するらしい。


 ”もみじ”する植物は多種多様であるが、やはりカエデ科がその代表であろう。この科にはディプテロニア属とカエデ属の2属がある。
 果実の翼が円盤状でその中央に種子があるディプテロニア属には2種が知られていて中国特産である。一方、カエデ属は北半球に広く分布していて、約200種が記載されている。ほとんどは落葉性だが、マレイシアやインドネシアには常緑の種がある。よく知られるようにカエデ属の果実には兎の耳のような形の翼がついていて、風に乗って遠くまで運ばれてゆく。この果実を英語ではキー(key) と呼ぶが、これはその形がゼンマイ時計のネジ(ウオッチ・キー)に似ているからである。

 日本にはカエデ属の植物は約28種あるが、各地でごく普通にみるのはイロハモミジとオオモミジである。
 イロハモミジはタカオカエデとも呼ばれるが、この名は京都の清滝川渓谷の高雄に因んだもので、東京郊外の高尾山とは関係ない。
 両種とも5〜7裂した掌状葉が美しく紅葉する種類だが、ふつうオオモミジの方が赤味が強い。やはり紅葉するカエデの一つで、9〜11裂する大型の葉を持つのはハウチワカエデである。
 黄葉するカエデの代表は材の硬いことで知られるイタヤカエデである。イタヤは板屋の意味で、板葺き屋根のように葉が密に重なり茂るからであろう。したがって”雨宿りの木”の名もある。アイヌの人たちがイタヤカエデをトペニ(乳汁の木)と呼ぶのは樹幹に傷をつけると白く甘い樹液(トペンニ・ワッカ)が流れるからである。ニシテとも呼ばれるが、これは”硬い木”の意味だそうだ。
 イタヤカエデのように樹液に糖分を含むカエデは多いが、取り分けて有名なのは北米原産のサトウカエデで、ホットケーキのシロップなどに使うメイプル・シュガーが採れる。季節によってはこの木の下に立つと小ぬか雨のように降りかかるものがあり、蜜の雫(honey-dew)と呼ばれる。樹液を吸ったアリマキが、ほぼ30分に1回の割りで排泄する甘い雫である。


 カエデの仲間の葉といえば、ふつうその名の由来の「蛙の手」に似た深裂した手のひら状の葉が思い浮かぶが、中には変わり者もある。
 たとえば山地の谷間に多いチドリノキはブナなどに似た単葉をもつ。またメグスリノキとミツデカエデの葉は3枚の小葉に分かれている。葉の形だけからはカエデ属の植物とは思えないようなこれらのカエデも、果実さえついていればその所属を間違える心配はない。
 
 カエデ科以外の植物ではバラ科のナナカマド類やウルシ科のヌルデ、ハゼノキ、トウダイグサ科のナンキンハゼなどの”もみじ”が美しい。また高山帯の岩場を真紅の絨毯を敷きつめたように覆うのは、ウラシマツツジである。

 このような”もみじ”する植物に彩られる日本列島の秋はまことに華麗であるが、類似した植生をもつヨーロッパや北米の温帯林も、やはりその晩秋は”もみじ”する植物たちによって、錦織りなす世界へと変貌するのである。
 だが、面白いことに、何故か日本人だけが赤く色づくカエデ(モミジ)のみに格別の執着を示し、他に類を見ない”モミジ文化”を育んだ。


古典にみる”モミジ”観の変遷


 ”もみじ”は遥か古代からこの島国に住む人々にとって大きな関心事であった。それは『万葉集』の138首もに”もみじ”という言葉が使われていることからもわかる。
 現代では”もみじ”といえば”紅葉”と表記するのがふつうだが、万葉集中の”もみじ”のほとんどは”黄葉”と表記されている。そして、特定の植物を指す言葉でもなかった。
 たとえば、巻10に収録されている「黄葉を詠める41首」にみるように、スギの葉も、ナシの葉も、そしてハギやクズのような山野の草の葉も、秋冷の大気に触れて色づけば、それが”もみじ”であった。つまり万葉人は、冬枯れを前にして黄色を基調に着色した木の葉草の葉を”もみじ”と呼んでいたのである。


だとすれば、
  わが屋戸に黄変つ蝦手みるごとに
      妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし
   巻8:1623
 と大伴田村大嬢が詠んだ蝦手(かへるで)は葉が黄色に色づき形がカエルの手によく似ているイタヤカエデであったのかもしれない。
 また、軽(かる)に住まわせていた恋妻の死を血の涙を流して悲しむ柿本人麻呂の歌、
  秋山の黄葉をしげみ迷ひぬる
         妹を求めむ山道しらずも 
   巻2:208
 には、黄葉の山を死者の世界とする当時の山中他界観がみられる。


 これは死者の世界を”黄泉”と書くことにもかかわり、イザナギ・イザナミの神話の世界へ万葉人を誘ったのであろう。神ならぬ身の人麻呂には黄泉の国への道を知るすべはなかった。当時の人々にとっては黄葉は単に美しいだけのものではなく、永遠を暗示する他界の色の現れであった。

 やがて、”もみじ”といえばもっぱら”紅葉”と書くようになったが、それはいつの頃からだったのか。調べてみたところ、平安時代の『古今集』以降のことらしい。
 もちろん『万葉集』にも、

  妹がりと馬に鞍置きて生駒山
     うち越えくれば紅葉散りつつ 
  巻10:2201

 のように”赤いもみじ”も登場するが、しかしこれは1例にとどまる。
 ではなぜ黄葉より紅葉が愛好されるようになったのだろう。それは唐の文化の影響と考えられている。

 中国では漢代から楓(フウ、マンサク科)を霊樹とみなして宮廷に植えていたが、当時の典籍にはこの木は「霜が来ると美しく赤変する」とある。そこでこれを呼んだ平安朝の人々は実物を知らないままに葉が赤くなるということに注目し、日本のカエデのなかで”赤くもみじする”ものが”楓”だと思い込んだようだ。
 時代は下るが、1600年刊の『日葡辞書』の”楓”の項には「緑色をしている間はカイデと呼ばれ、秋に赤い色に変わってからはモミジと呼ばれる木」とあり、カエデとモミジの関係がよくわかる。
 こうして”もみじ”を”紅葉”と表記するのが主流となるのだが、この転換は『平家物語』が記される頃にはもう確定的になっていた。この物語では紅葉を赤旗をかかげた平家一族の滅亡の象徴として頻繁に使い、たとえば、戦い果てた壇ノ浦の、平家の赤旗で染まる水面の様を「竜田河の紅葉葉を、嵐の吹き散らしたるごとし」と語るのであった。
 このような紅葉観は鎌倉から室町、江戸時代へと、あまたの文人たちにより受け継がれてゆくが、これと並行して美術工芸家も好んで紅葉を描き彫刻し、園芸家たちは200を越す品種を作り出した。
 
 世界に類を見ないわが国の”モミジ文化”はこのようにして成立したのである。

 このページのトップへ   目次へ戻る