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漂着する植物
Imigration of Plants by Ocean Currents

  種子は旅する


誕生したばかりの火山島は生物の訪れを待っている


 「新島に上陸したときの第一印象は、新しい大地というには、あまりにもおびただしいゴミの漂着でした」
 これは当時千葉大学の生物学教室にいた気鋭の植物生態学者大沢雅彦が、昭和50年10月、誕生して間もない
西之島新島の浜辺に降り立ったときの感想である。

  この島は小笠原諸島の父島の真西、約130Kmに位置する西之島に至近の海底からの火山活動で昭和48年(1973)の4月から翌年の6月にかけて形成された小島である。現在はその後の成長と侵食により本島の西之島と合体している。 


 もちろん大沢はゴミを調査するためにこの誕生直後の小島を訪ねたわけではない。太平洋のただなかに忽然として出現した裸の小島に、緑がどのように定着してゆくのか、その初期過程を知るためであった。
 彼は発泡スチロールの破片、ビールの空き缶、ビーチサンダル、廃油ボールなどを掻き分けるようにして漂着しているであろう果実や種子を捜したという。


ガラパゴス諸島の一つ、フェルナンディナ島の溶岩原に定着したヨウガンサボテン


 大陸から遠く離れた太洋島へどのようにして植物がたどり着くかという問題は、C.ダーウィンが『種の起源』の初版の11章から12章にわたり50ページ近くも費やして論じているように、昔から博物学者、そして近代の生物地理学者たちによって研究され続けてきた。
 その結果、大陸からの隔たりの程度、その島の気候、あるいは海流や風向、そして島の地形などがこの問題と深くかかわっていることが知られるようになった。そこで分かったことは最初の渡来者はほとんどの場合、漂着する種子であった。
 西之島新島の場合はどうだったのだろう。


最初に根づいたのはグンバイヒルガオ


 約一年後の火山活動停止からまもないS.49年7月に、新島南側の浜に本葉を5枚つけたグンバイヒルガオの一株が発見されている。さらに翌年の調査では奥浦や東浦の浜辺で計3株が観察され、そのうちの一つは4mほどの広さに5本の茎をはわせていた。
 新島は間もなく浮き砂などが積もって本島と連結したが、S.58年にはおよそ70mほどの広さのマット状に茂り、確実に地歩を固める気配であった。

 グンバイヒルガオはヒルガオ科のサツマイモ属の1種で、種子の表面には黄褐色の毛が密生し、内部には空気室を備え大きさの割にはたいそう軽い。つまり典型的な海流散布型の種子を持つ多年草である。この性質ゆえに、全世界の熱帯から亜熱帯の海辺の砂地に広く分布しているが、耐寒性に乏しく、日本では石川県や茨城県下で夏期に当年発芽の幼植物を見ることはあっても冬を越せず、定着しない。
 人間の生活とはあまりかかわりのない植物ではあるが、かつて硫黄島では飛砂を防ぐために植栽したしたことがある。地下部を救荒食物とした記録もある。また、西インド諸島では祭礼の儀式の前にこの葉を入れた水を浴びて身を清める風習があったという。


 なおグンバイヒルガオの名は葉の形が軍配扇に似ているからで、中国名の馬蹄草も種小名のペスカプラエ(pes-caprae、山羊の足) も同様の見立てによるものである。
 西表島のパマカッツアや、与論島のパマカジラなどの里呼び名は浜葛の意味であろう。


新島を覆う新しい植物


 昭和58年の調査ではグンバイヒルガオのほかに、ツルナ・テリハボク・モモタマナ・ゴバンノアシ・モダマ・ココヤシの6種の漂着種子または果実が、1〜2個ずつではあるが確認されている。
 若葉を食べるために栽培されることもあるツルナ(ツルナ科)のほかはすべて熱帯産の樹木である。例えばモモタマナ(シクンシ科)は元来はインド洋から西太平洋域が原産地と考えられているが、今では全世界の熱帯から亜熱帯で目にすることができる。この海浜性の樹木は、その革質で大きな葉が落葉を前にして美しく紅葉することで知られる。またその種子はアーモンドに似た味を持ち、樹皮からはタンニンが取れる有用樹でもある。
 いまのところグンバイヒルガオ以外はこの新島に根を下ろし定着した気配はない。また、発芽して生長を始めたとしても、この25ha足らずの、しかも絶え間ない浸食作用にさらされているこの小島では、高木林はむろんのこと潅木帯の生まれる可能性はまずないだろう。しかし時が経てば、海鳥や風によって運ばれる種子も加わって草本植物は次第にその数を増していくに違いない。


ツルナ モモタマナ

 陸地から遠く離れた海洋のただなかに新たに生まれた島とはいえないが、激しい火山活動の結果として生物が一掃されてしまった島への植物や動物たちの進出してゆく過程を詳しく調査されてきた有名な例がある。それはジャワ島とスマトラ島を境するスンダ海峡のほぼ中央、ジャワ島からは約60km離れた位置にある
クラカタウ島である。

 1883年の史上最大といわれる大噴火でこの島の大半が吹き飛んでしまうまでは南北9km・東西5kmほどの無人島でしたが、噴火により海底下200mに達する巨大なクレーターが出来て島のほぼ4分の3が消滅し、海上に残った部分からもすべての生命が失われた。
 噴火が静まった1ヵ月後、残った島の一つ、
ラカタ島に上陸した科学者たちの見たものは厚い火山灰で覆われた死の世界であった。
 しかし3年後の植物学者Treub,M.たちの調査では内陸の火山灰原には藍藻類(シアノバクテリア)が広がり始めシダ類の小さな株が育っていた。これらは風によって運ばれてきた胞子が発芽したものであろう。標高800mの山頂には近づくことが出来なかったが、沖合いの船上から望遠したところでは上部にも草地が出来ているらしかった。また海岸には西之島新島の場合と同様、グンバイヒルガオが定着し、デイゴとゴバンノアシの芽生えが観察された。ココヤシの実もいくつか打ち上げられていた。いずれも海流によって漂着した植物である。このほかクサトベラ、テリハボク、ハスノハギリ、ハマグルマなどが育っていた。結局この調査では15種の被子植物、11種のシダ類、2種の蘚類、6種の藍藻類が記録された(Treub、1888)。なぜか大陸ではパイオニア植物の一つとされる地衣類は見つかっていない。

 この後も継続的な調査研究が続くが、1940年代にはほぼ噴火前に近い植生が成立したという。半世紀ほどでの植生の回復は意外に早いと感じられるが、これはラカタ島が比較的陸地に近いことと潮流の複雑な海峡にあるためかもしれない。標高800mで険しく複雑な地形の島であることも一つの要因であろう。西之島新島のような小さな海洋島では望めないことである。


  海上の道をたどった漂着植物


 海流に運ばれた種子が漂着するのは西之島新島のような処女地ばかりではない。
 すでに何百種類もの植物が茂る島の浜辺にも、複雑巨大な植物相に覆われた大陸の渚にも、新島と同じようにさまざまな種子や果実が打ち寄せられている。


椰子の実
 名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の実一つ
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 島崎藤村が作詞したこの『椰子の実』は大中寅二の作曲と東海林太郎の美声を得て昭和11年7月13日からNHKラジオで放送され始め一躍有名になったが、これは若き日の柳田國男が渥美半島伊良湖岬の恋路が浜に打ち寄せられた椰子の実を見たことを藤村に話したのが発端と伝えられている。
 「君、その話を僕にくれ給えよ、誰にもいわずにくれ給えよ」と藤村は熱心に頼んだという。柳田も戦後までこの事実を伏せて語らなかった。
 

 椰子の実だけではない。延々26,000km余の海岸線に恵まれた日本には、はるかな古代から黒潮・親潮に運ばれ、あゆ、あごきた、あらはえ、しらはえ、あなじなどと四季折々に千変万化する風に押されて、さまざまな植物が渚に打ち寄せられている。
 だが、漂着植物と聞けば、椰子の実の歌の影響であろうか、日本人の多くはヤシを思い浮かべるらしい。というわけで、ただそれだけの理由で、漂着植物の代表としてヤシを選ぶことにしよう。
 

ノーフォークアイランドヤシ
 ヤシ科はたいへん大きな分類群で約198属2650種も記載されているが、柳田が見つけた椰子の実は西之島新島にも流れ着いていたココヤシ(COCONUT : Cocos nucifera) の実であろう。
 ココヤシは現在は世界中の熱帯の海辺で目にすることが出来るが原産地については諸説がある。
 現在の分布を見ると南アメリカとアフリカの大西洋側には栽培個体を除いて野生のものは見当たらないことから原産地は恐らく東南アジアであろうという説が有力である。つまり、東側の太平洋域と西側のインド洋域へは人類がする出現よりはるか古代に海流に乗って分布を広げたとの推測である。大西洋域への分散は、ココヤシの実を長い航海を通して貯蔵の利く便利な食糧として利用することを知った人類が運び育てたのである。
 熱帯の気候に適応した植物であるから、暖温帯に位置する九州以北に漂着しても定着はかなわない。したがって琉球諸島を除いては日本に住む人々は近くの浜辺に茂るココヤシを目にすることは出来ない。
 だが、古代この列島に住んだ人々も、黒潮に運ばれ風に押されてひっそりと砂浜にたどり着いた何物とも知れないこの実に大いに関心を抱いていたらしい。

 
それは銚子市南小川町の縄文時代のものとされる粟島台遺跡などからココヤシの殻を加工した容器が出土することからも分かる。なお銚子の海岸には今日でも多数の熱帯圏由来の果実や種子が漂着しており、ココヤシをはじめホウガンヒルギやニッパヤシなどがかなりの頻度で見つかっている。

 玄界灘沿岸の漂着物を研究している石井忠の好著『漂着物(よりもの)の博物誌』には彼の地に打ち上げられた数々の南国産の果実や種子が紹介されている。そのうち、マンゴー、ドリアン、マンゴスチン、パパイヤなどは東南アジアの人々の出したゴミの一部とみられるが、モダマ(マメ科)やテリハボク(オトギリソウ科)などは自然落果したものが漂着したのであろう。なおモダマは屋久島以南に分布する大型の蔓植物で、幅10cm・長さ1mにもなる硬い豆鞘には10個ほどの大きな種子が納まっている。ちなみにモダマは”藻玉”の意味である。海藻とともに漂着するこの直径が5cmもある黒い円盤状の種子(玉)を海藻の種子と考えたからである。


種族保存のためのさすらいの航海


 長い進化の過程で海浜を生活の場として選んだ植物の一部は、上に挙げたいくつかの例のように、どこへともお連れくださいと子孫を潮流に預け遥かなたびへと送り出すことで種族の存続を図っているのである。
 新天地に送り届けられ定着する可能性はまことに少ない。無駄に費やされるエネルギーも莫大であろう。だが長い目で見れば、このような散布能力は、全地球的な気候の変動などに対処するための一種の”保険”ともいえるのである。
 人類という生き物の思慮なき活動によって遠からず到来するであろう、大気中CO増加がもたらす地球規模の気候激変にも、彼らはすでに備えていたのである。

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