祝の赤い実 AUSPICUOUS RED FRUITS

Jan. 1, 2005

  北半球の温帯に位置し、複雑な地形と豊かな降雨量に恵まれた日本列島には4500種に近い花の咲く植物がある。そしてこれらの植物は、琴の音色のように円やかに、しかも緩急自在に移り変わってゆく季節のおりおりに合わせ、芽吹き、花咲き、実をつけ、紅葉し、落葉する。
 ドイツのケルンに生まれ1933年に来日されて以来、先年93歳でお亡くなりになるまでずっと日本に住まわれた佐野えんねさんが「日本の季節は4つではなく12あります。月々に自然の色が変わり気分が変わる」と語られていたが、まことにそのとおりだと思う。
 このような自然こそが、「造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし」と『笈の小文』のなかで芭蕉が説くような日本人の心をはぐくんだのであろう。
 その日本人は、花の賑わいも紅葉の宴も果てた、冬枯れの、あるいは白一色の世界の中にも、身近に”花”を求めた。
 むろんその”花”は文字通りの花だけではなかった。花が変身した果実や、ときには削掛や繭玉のような人工のものも”花”であった。それを正月などの「ハレ」の日に、戸口や室内に飾ったのである。
 こうした日本人の暮らし方を「昔の日本人は、自然といっしょの生活をしてきました。それは私には魔法のように見える」と語るのも佐野えんねさんである。
 飾られる”花”の種類はさまざまだが、天平の時代から今に伝わるものもあれば、江戸時代、あるいはもっと近年になって生活の中へ取り入れられたものもある。これらの中で、特に正月の祝(ほがい)の花として重用されたものは、寒気にも負けない強い生命力と長寿とを象徴する、常緑の葉と光る赤い実をつけた植物であった。


ヤブコウジ 藪柑子
 こうした植物の一つがヤブコウジである。この小さな木は、北海道から九州まで広く分布していて、丘陵地の林床で目にすることができる。真夏に小さな白い花を開き、実は晩秋から冬にかけて熟す。下草の枯れ果てた林の中や、淡雪に覆われた山道の際では、その赤い実がひときわ人目を引く。それゆえ古代から注目されてきたのである。
 天平勝宝2年の12月、大伴家持が遠く都に思いをはせつつ越中の地で詠んだ「この雪の消残るときにいざ行かなやまたちばなの実の光るも見む」という歌や、任を終えて都に戻った彼が、激動する政局を象徴するかのようにとどろく雷鳴とともに行きが舞った天平勝宝8年の奈良の冬に詠んだ「消残りの雪に合え照るあしびきのやまたちばなをつとに採み来な」にみえる”やまたちばな”がこのヤブコウジのことである。
 家持は何故か”やまたちばな”の赤い実に執着した。それは大伴一族の末永き繁栄を願ってのことであったかもしれない。当時すでにこの植物が、そのような願いを適えてくれるものと考えられていたか否かは定かではないが、平安時代になると、明らかに長寿の象徴とみなされるようになっていた。
 長徳5年の初卯の朝、加茂の薺院から御文が中宮定子のもとにとどいた。夜来の雪が新たに積もり、庭先の雪の山が美しかった。清少納言から手渡された御文を中宮がおあけになると「卯杖のさまに頭などつつみて、山橘(ヤブコウジ)、日かげ、山菅など、うつくしげに」飾り付けた「五寸ばかりなる卯槌ふたつ」があるだけで肝心の文がない。そこでよく見ると、卯槌に結んである小さな紙に「山とよむ斧の響きを尋ぬればいはいの杖の音にぞありける」と記されていた。赤い実のついたヤブコウジと霊力を秘めた日かげ、山菅の祝草を添えたその卯槌は、中宮定子の多幸長寿を願っているのであった。
 源氏物語の「浮舟」の章にもよく似た描写がある。正月の初卯の日、浮舟の侍女右近から中君の侍女大輔に宛てた包文と立文がとどく。薫からの文ではと疑った匂宮は、中君からそれをとりあげ開いてみっると、包文には小さな卯槌が添えてあり、文のおわりに「これ若宮の御前に。あやしう侍るめれど」とあった。卯槌は丁寧なつくりで、赤い実をつけたヤブコウジが、二股に分かれた松の枝にさしてあった。「またぶりに、山たちばな作りて、貫き添えたる」その枝には、若君のためのご長寿を心より祈り申し上げますという意味の歌が添えてあるのであった。
 さらに、寺島良安の和漢三才図会などをみると、江戸では小児の髪結初(かみおき)を祝って、ヤブコウジの茎葉を髪に挿したり銚子に活けたりしたことがわかる。
 このように長寿を祝う意味でヤブコウジを飾る風習は現代でも行われているが、江戸時代も中期以降になると、冬の室内装飾としても愛好された。例えば、安永3年の『抛入手毎の清水』という華道書には、鮟鱇切りの花器に活けたヤブコウジの絵がある。また江戸琳派は、ことに好んでヤブコウジを描いた。それはいま、酒井抱一の『六歌仙四季草花図屏風』や池田孤邨の『四季草花図』などに見ることができる。
 当然のことながら、園芸家もこの植物に注目し、蓬莱台や盆栽に仕立てた。実生では斑入りなどの変り種がよくできるので、一時は100品種もが記載された。明治の中ごろには新潟で狂乱的に流行し、当時の金で一株300円などというとてつもない値がつくものがあらわれ、県知事が売買禁止令を発したこともあったという。


マンリョウ 万両
 日本では関東以西に、大陸では韓国から中国、インドにわたって分布しているマンリョウの実も赤く美しいので正月に飾られるが、注目されだしたのはヤブコウジほどには古くない。

 現在知られているマンリョウについての最初の文献は江戸末期の享和年(1803)に出版された小野蘭山の『本草綱目啓蒙』である。しかし、この書には「花家に多くあり」「花戸にてシキンジャウと呼ぶ」などの記述があり、実際はかなり古くから栽培されていたことがわかる。ヤブコウジと同属の植物で類似点も多いから、両者ともども”山橘”として認識していた可能性もあるだろう。
 『本草綱目啓蒙』のすぐ後に出た『草木奇品家雅見』には斑入りや異型葉の11品種がとりあげられているそうだから、熱心な愛好家がすでに大勢いたのだろう。明治時代になるとさらに多くの品種が知られるようになり、昭和9年の『実際園芸』という雑誌には茎の色、葉の形、斑模様、実の色などの特徴から25もの品種が紹介されている。
 残念ながらこれらの品種の多くは第二次世界大戦の混乱の中で失われてしまったが、ここにきて古典花卉研究家たちの努力が実り、復活の兆しが見える。

 

センリョウ 千両
  正月の床の間や玄関先を飾る祝木の一つとして欠かせないセンリョウは、関東南部以西の常緑広葉樹林の林床に生え、中国南部やフィリピンなどの東南アジアからインドのアッサム地方にまで分布している。
 ヤブコウジ科のマンリョウと見かけが似ているが、こちらはセンリョウ科の低木である。
 植物学的には大変興味深い存在で、被子植物でありながらシダや裸子植物と同じように仮導管をもち、花の構造も特異的で蕚や花弁を欠き、しかも小さな一本のオシベがメシベの脇腹に付着しているというものである。熟した実の上にある小さなシミのようなものは、そのオシベの痕跡である。この特異さのため原始的な被子植物と考えられてきた。最近の遺伝子レベルでの研究でもそれは裏付けられたが、さらに進んで単子葉植物に最も近い被子植物だということもわかってきた。
 マンリョウと同じくセンリョウも江戸時代以降に正月の”花”とみなされるようになったものだが、家康が幕府を開いた慶長8年に、長崎でイエズス会によって出版された『日葡辞書』に仙寥花(センリョゥクヮ=センリョウ)の名が見えるから、室町時代までにはその存在は認識されていたのであろう。
 中国名は九節花、あるいは草珊瑚だが、明の李時珍の『本草綱目』にもそれ以前の本草書にもセンリョウにあたると思われる名がない。大陸でも比較的近年になって認識された植物なのだろうか。

ナンテン 南天
冬になりていくたび霜のかかりけん南天の実のあかくなりたり  三ケ島葭子

 やはり正月の”花”として活けられることの多いのが真っ赤な実と常緑の葉を茂らせる南天である。ナンテンはメギ科の低木で中国と日本に分布している。
 日本では東海道以西の山地にときどき野生が見られるものの、庭園に栽培されている株からヒヨドリなどによって広められたものかもしれない。いっぽう中国では長江流域の四川、湖北、安徽、浙江省の山地の疎林の中に自生しているが、庭園にも植え込まれている。
 低木と書いたが、普通の樹木のように形成層の働きで作られる木ではなく、ヒマワリなどのように草質の茎が硬くなったものである。いわば見せかけの木である。『和漢三才図会』の著者、寺島良安も「コレ木ニテ而草ニ似」と悩んでいる。
 このような性質の植物だから、その茎はあまり太くはならない。したがって、金閣寺や柴又帝釈天題経寺で床柱に使われているナンテン材はきわめて珍しいものである。題経寺のそれは直径が9cmほどもある。
 ナンテンの中国名でよく使われているのは南天燭だが、南天竹、南燭、烏飯草、黒飯草などとも呼ばれる。南天燭は宋の蘇頌が著した『図経本草』に初出する。南燭の名を使う本草書も多く、宋の『開宝本草』や明の『本草綱目』などがその例である。
 南宋の『重修政和本草』の南燭の説明には、茎と葉をつき砕いた汁に玄米を何度も浸し、蒸して乾燥させると硬くしまった乾し飯となり、携帯食となる、という意味のことが書いてある。烏飯草とか黒飯草と呼ばれる所以だ。南燭はツツジ科のシャシャンボないしはネジキだとする説もあるが、宋の時代に南燭と呼んでいたものは、その記述からみて明らかにナンテンのことである。

 日本の古典で、ナンテンが最初に登場するのは鎌倉時代初頭の『明月記』だとされている。このころ大陸から移入されたのかもしれない。また、日本では”南天”を”難転”の意味にとり、病魔を除ける力を持つ木だとしたが、これは中国にはない習俗である。

 活けおきし南天の葉も硬ばりてきさらぎ寒き日となりにけり   森山汀川

 この他、”祝の赤い実” をつける木としてはヤブコウジ科のカラタチバナ(百両)、ツルマンリョウ、ツルコウジやミカン科のミヤマシキミ、などがある。

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