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ヒガンバナの民俗・文化誌

(X)

〜 ヒガンバナ渡来説再考 : その3 〜

 何か他に渡来の時期を知る手がかりは残っていないだろうか。
 里呼び名は手がかりにならないだろうか。言葉は遺伝子(DNA)と似ていて、時の流れとともに変化するが、DNAの塩基配列を調べることで生物の進化(変化)の跡をたどることができるように、言葉の変遷とその伝播の過程もかなり詳しく追うことができるからである。

<里呼び名が示唆すること>

 ヒガンバナの里呼び名は、越谷吾山が安永4年(1775)に著した『物類称呼』に18種、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(弘化元年、1844)にはすでに47種類も挙げられているが、その後の山口隆俊をはじめとする多くに人々の精力的な収集により、現在では1000余の呼称が記録されている。例えば、松江幸雄著『日本のひがんばな』の巻末には1090の呼び名が地域別にまとめられている。もっとも、これらの呼び名のうちには、ジャンボンバナとジャンボバナ、ボンボンササキとボンボンササギ、エンコーバナとエンコバナなどのように長音の有無やわずかに音韻変化したものも別称として数えられている。とはいえ、これほど多くの名で呼ばれる植物は他にない。なぜこれほど多くの里呼び名が生まれたのだろう。

 人々に注目され始めてから今に至るまでの時間が長かったからという解釈も可能だろう。たとえば、ヒガンバナに次いで多い540余の里呼び名が知られているイタドリは、『日本書紀』の反正天皇紀ではタチ(多遅)、『本草和名』ではイタトリ(以多止利)と呼ばれている。古代から山菜として利用されていた植物である。典籍に現れるのは室町時代以降だが、ヒガンバナも民間では古代から注目されていたと考えてよいのだろうか。
 一方、新しく渡来し、急速に各地へと伝播したものだから、あちこちで勝手に名を付けたのだ、という解釈もありうるだろう。たとえば、天正4年(1576)に長崎に渡来した南京芋(ジャガタライモ)は400年たらずのうちに約270もの里呼び名をもつようになった。
 植物の里呼び名の起源とその変遷についていくつもの論稿を残した柳田国男は、「此花にはまだタンポポやスモウトリバナのやうに、確定した名称が近頃までなかったから、いろいろな名が付け易かったのである」と『鍋墨と黛と入墨』のなかに記している。柳田は渡来の時期については名言を避けているが、山口隆俊の“弥生時代渡来説”を高くかっていたようだ。

 また、この膨大な里呼び名を整理分類して比較すれば、そこから渡来の時期あるいは伝播についての情報が得られるかもしれない。先ずは、それぞれの意味を調べることから始める。まったく意味不明な呼び名もあるが、大部分はいくつかのグループに分類できることがわかる。その主なものを以下に列挙する。


 
@ 毒性、疾病などにかかわる呼び名
     例: イットキゴロシ、オヤゴロシ、ドククサ、ドクユリ、ドクホージ、シタマガリ、テクサレ、ミミクサリ、
        ボデバナ、カッタイバナ、カブレバナ、ドクスミラ、シビレ、ドクモメラ、ドクイビラ
 A 仏教、死、葬儀などにかかわる呼び名(これが最も多い)
     例: シビトバナ、シビトクサ、ユーレイバナ、ソーシキバナ、ソーレングサ、ケサカケ、ハカバナ、
        ジゴクバナ、オボンバナ、ヒガンバナ、ホトケバナ、マンジュシャゲ、テラバナ、ジャンボンバナ、
        ジゴクモメラ
 B 形態や生態を表した呼び名
     例: ノタイマツ、イカリバナ、ハタガシラバナ、ネコクルマ、イチジバナ、イッシセン、ケナシイモ、
        カメユリ、アカバナ、カジバナ、ワスレグサ、ハミズハナミズ、ハッカケバナ、ハヌケグサ
 C 子供の遊びから生まれた呼び名
     例: オチョーチンボンボラコ、オリカケバナ、ジュズバナ、スベリグサ、シュートンバナ

 以上の4グループの呼び名のほかには、イヌ、ウマ、ウシ、キツネ、ネコ、ヘビなど動物の名を冠したものが多く、自然現象のアメ(雨)、カミナリ(雷)を冠したものやドバイ、ドベノキ、ホドズラなど意味あるいは語源のつかめないものもある。
 これらの呼び名のなかに渡来の時期あるいは伝播の過程を反映しているものがあるのだろうか。
 注目に値するのは、おもに近畿地方以西に分布する「スミラ系」と「モメラ系」の呼び名である。この2系列に入ると思われるものを以下に列記する。

「スミラ系」
        ドクスミラ、トクズミラ、ドクズミタ、ドクズミレ、トウズミラ、スビラ、スビラノハナ、シミラ、
        ドクシミラ、エベラ、エビラ、イビラ、ドクイビラ、イビラボウズ、トーイビラ、トービラ、ホウジビラ、
        ゴンセエスブラ、グスクビラ、シビナ、シビレ、シブラ、シブライ、シブル、シブレバナ、シレイ、
        シレイノハナ、シイレン、 シロエ、シロイ、シルイ、シロイモチ、シル、シレ、シリエ、シイレクサ、
        シロリ、スガナ、オオスガナ、 カメカグラ
「モメラ系」
        ノメラ、モメラ、モメラノハナ、ドクモメラ、ウシモメラ、オオモメラ、ジゴクモメラ、ニュウドウモメラ


 脈絡のない呼び名の寄せ集めのように見える。しかし、語源幹を“ミラ”として、田井伸之(1978)の音韻変化論の理論を当てはめると、これらが一連のものであることが明らかとなる。
 
 スミラは鹿児島県と熊本県で現在も使われているユリ科の球根植物ツルボの里呼び名である(江戸時代、肥前ではカタクリもこの名で呼んだ記録がある)。そうとう古い時代からの呼び名らしく、1603年に長崎で編まれた『日葡辞書』には「Sumire、その根はにんにくに似ていて食用にされる」と書かれている。余談だが『万葉集』巻8に収録されている山部赤人の「春の野にすみれ採るみにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の“須美礼”は、可憐な花を咲かせるスミレ科のスミレではなく、ツルボだったというのはいかがだろう。スミレの花を摘む赤人は雅な貴公子の風情だが、酒の肴(?)にツルボを掘るおっさんの赤人も捨てたものではないような気がする。冗談はさておき、“須美礼=ツルボ説を私はまじめに考えている。

 一方、ドクシミラという呼び名は1690年に長崎を訪れたケンペルが著した『廻国奇観』に、ツルボの里呼び名のクイシミラ(食用のシミラの意)と並べて採録されている。
 かくて、共通する語幹の一つとして“ミラ”が浮かんでくる。
 この“ミラ”という言葉は、実は記紀万葉の時代からネギ科のニラあるいは球根と細長い葉をもつ植物の総称として使われていたのである。
  天平宝治8年(764)に記された正倉院文書の一つに「七文毛彌良七巴」の文字があるが、この毛彌良(モミラ)のミラが韮(ニラ)であることは900年頃編纂された『新撰字鏡』に解説されている。


図ー1) 接頭語の音韻変化 〜 田井伸之(1978)の「国語音韻変化論」に依拠

 したがて、太安万侶が和銅5年(712)に撰上した『古事記』の中の歌謡「みつみつし久米の子等が、粟生には、賀美良ひともと、其ねがもと、其根芽つなぎて、撃ちてし止まむ」の賀美良(カミラ)の“カ”は香、“ミラ”は韮、つまり匂いの強いニラのことと考えられる。しかし『本草和名』には韮の和名は古美良(コミラ)とあり、これは小韮を意味するのだろうか。『万葉集』の巻14(3334番)に登場する久君美良(ククミラ)は茎韮と解されている。

 現代の植物学でニラといえば東アジアを原産地とするネギ科の Allium tuberosum という特定の種をさすが、上代ではどうだったのだろう。コミラ、カミラ、ククミラはそれぞれが別の種を指しているのだろうか。そうかも知れないが、これらの呼称は接頭語の母音が音韻変化しただけで、同一種と考えることもできる。つまり、日本語では単語の中のaと0、aとuはしばしば入れ替わる。接頭語のkoはkaに、kaはkuに変化できる。むろん逆方向の変化も起こる。ククミラ(kukumira)のkukuは重複した接頭語のkako(香小)あるいはkoka(小香)が転訛したと見ることも可能であろう。

  『本草和名』にはネギ類が5種類記載されていて、韮(jiu; 古美良)の他は、現在はラッキョウに当てている薤(xie; かい)の和名が於保美良(オホミラ)、ネギと思われる葱(cong; そう)の和名を岐(キ)、ニンニクとされる葫(hu; こ)が於保比留(オホヒル)、ノビルを当てる蒜(suan; さん)を古比留(コヒル)として区別している。しかし、平安時代末期に編まれた漢和字書『類聚名義抄』では葱の和名にキ・ナキ・ニラ・ヒル・ツキ、韮にコミラ・タタミラ・ニラ・ウスシ、薤にミラ・ニラ・ヒル・ナメミラ、蒜にはヒル・オホヒル・ヒラテを当てている。
 したがって、昔は現代と違って、分類は大雑把で、地下部が球状に肥大し、柔らかで細長い葉を生じる植物を総称としてミラ・ニラ・ヒルなどと呼んでいたと思われる。ツルボもヒガンバナも明らかにこの範疇に入る。そこで、これらを語幹とし接頭語をつけてそれぞれの種を特定したのであろう。


図ー2) スミラ系の里呼び名の音韻変化の関係 〜 田井伸之(1978)の「国語音韻変化論」に依拠 

 では、ツルボはなぜスミラあるいはシミラと呼ばれたのだろう。
 ”ミラ”についてはすでに考察したとうりだが、接頭語のスまたはシにはどんな意味があるのだろう。酸味のあるものに“ス”を冠することはしばしば見られるが、ツルボには酸味はない。酸味がないばかりか甘くも苦くもなくほとんど無味に近い。スは素うどんの素と同じ意味かもしれない。ネギ類のミラに特有の臭気や辛さもないさっぱりとしたミラ、つまりスミラということではないだろうか。あるいは、親球根の基部にたくさんの子(シ)球根ができるミラということでシミラと呼ぶのかもしれない。どちらが正しいにせよ si
su の母音は容易に転訛が可能である。

 スミラあるいはシミラがいつから使われていたかは不明だが、『日葡辞書』のスミレと『万葉集』の須美礼が同じだと仮定すると、奈良時代にはツルボをスミレと呼んでいたことになる。スミラやシミラがスミレに転訛するのは容易である。
sumira → sumire のように母音に変るだけである。
 現代植物学の目で見れば、ツルボとヒガンバナは生殖器官の花ばかりか栄養器官の葉の形態も、その違いは混同しようもないが、竹薮のような日当たりのよくない環境ではヒガンバナの葉はツルボのそれに似てくる。大陸が近いがゆえにヒガンバナが最初に渡来したと考えられる九州地方の古代の人たちはヒガンバナをツルボの類と認知したに違いない。ただし、無毒か有毒かの違いははっきりと認識していて、ヒガンバナを有毒のスミラ(シミラ)、つまりドクスミラ(ドクシミラ)と名づけたのであろう。
 その後、どのような特徴を持つかを示すさまざまな名詞が付加されるとともに、接頭語(シ)と語幹(ミラ)の双方で母音の交代、単音の脱落、音節の転移、音節の脱落などが各地で起こり、現在知られる“スミラ系”の里呼び名が生まれたと考えることができる。
 いくつか例を挙げてみよう。

  長崎県にはドクスミタ doku-sumita という呼び名が記録されているが、これは doku-sumi
ra が sumida を経て sumita に転訛したものである。大分県のイビラ ibira は simira の s が脱落するとともに、馬酔木のアシミがアシビになるように子音の m が b に置き換わったものである。福岡県にはエベラ ebera という里呼び名があるが、これは「後ろ見たし -mitasi」の mi が me となり「後ろめたし」となったようにイビラ ibira の二つの母音 ie に換わったものである。宮崎県のエビラは頭の母音 i 一つのイビラから変化で導かれる。やはり長崎で採録されたドクジラメはスミラのサ行音ス su がザ行音ジ zi に、ミ mime に転訛し、これに引かれてメとラの音節が転移したものととれる。地中海地方の魔除けの草として知られるマヨラナ(Majorana)を日本人がしばしばマヨナラと書き間違えるのと同じ現象である。
 
 九州では長崎県対馬でのみ知られる呼び名にシイレとシレイがあるが、四国・中国地方ではシイレ・シレイの他に、これらの転訛と思われるシリエ・シルイ・シロイ・シロエがあちこちで採録されている。シレイはシミラ simira の
m が脱落し、a e に交代してシイレ siire となり、ire が転移してシレイ sirei となったのであろう。この後は、sirei の eo 交代し siroi 、o u に交代してシルイ、 sirui のuoi e に交代してシロエ、シロエの o i と交代すればシリエ sirie となる。

 柳田国男も『野草雑記』の「草の名と子供」のなかで、シレイとシレイグサをそれぞれ死霊、死霊草の意味にとる宮地美彦の説に反論して、「阿波でも吉野川の上流ではシロイ、壱岐の島にもまたシロエの名があり、対馬でもこの草の葉をオシロイグサというを見れば、シレイは元の音とも言えない。名の起こりはむしろスミラ(つるぼ、綿棗児)と関係がありそうである」と記している。
 対馬でシレイを採録した鈴木棠三は『対馬の神道』に、対馬では地神を祭った島大国魂神社があちこちにあり、その地名をシレイといい立ち入り禁止の聖域となっているので、ヒガンバナをシレイと呼ぶのはこの植物をタブー視することと重なるのではないかと示唆している。
 前川文夫はシロエに注目し、その語源はシログワイだろうと推論している。古代から食用していたカヤツリグサ科のクログワイの黒い球根に比べると、ヒガンバナの球根は晒して食べるために褐色の外側の鱗片を剥くと真っ白なので、これをシログワイと呼び、これが短縮してシロエとなったと考えている。だが、シログワイという呼称が存在していた証拠はない。また前川は傍証としてヒガンバナの里呼び名にシログ・シロギがあることを挙げている。シロギは静岡県で採録されているが、同県にあるスミラ系列のシロリ(シロリの母音音節に子音の r が添加されて sirori となった)との関係はよくわからない。

 大阪、兵庫にはシビラ・シビレ・シブラ・シブル・シブレという呼び名が知られている。これらの呼び名は橘正一の『方言読本』によると、ヒガンバナに含有されるアルカロイドのリコリンなどによって起こる“しびれ”を意味するとのことだが、シミラからの音韻変化の産物と見るほうが自然であろう。ネムノキ(合歓木)がネブノキに変るように simira のと入れ替わり sibina (シビナは島根県で知られたヒガンバナの里呼び名)となり、ウナカミ(海上)がウラカミ(浦上)になるようにnがrに代わることでシビラ sibira となる。残りのものは第2、第3音節の母音の交代のけっかである。


図ー3) スガナ・カグラ系列とモメラ系列の音韻変化

 紀伊半島と愛知県から報告されているスガナ・オオスガナ・カメカグラという奇妙な里呼び名もミラを語幹にしたものではないだろうか。
 ミラの転訛したブラ(bura)のバ行子音
がガ行子音と交代してgura となり、カミラの接頭語のカが加わればカグラとなる。カメカグラのカメは瓶のことで、球根の形を表わしたものとも考えられる。一方、“すぶるぼし=統ぶる星”が“すばるぼし”に転訛したように、gura のア行母音 u a に、ラ行子音 r が ナ行子音 n に交代すればガナとなり、これにスミラの接頭語のスが結びついてスガナになることができる。

 山口県から鳥取県にかけて分布するモメラ系列の呼び名もミラを語幹にしたものと考えられるが、スミラ系列とは接頭語を異にする。正倉院文書にあった毛彌良(モミラ)のモがこの系列の接頭語の原型ではないだろうか。山口県下ではヒガンバナだけでなくツルボもノビルもモメラと呼ぶ地域がある。昔はこの3種を同類とみなしていた証だろう。また、ノミラというという呼び名も知られているからノニラ(野韮)が最も古い名で、尾張にあったムラクノという古い地名がムラクモに転訛したと同じく、noniramonira となり、moniraと交代しモミラ、さらに momira i e に代わってモメラという里呼び名が生まれたのだろう。


図ー4) 大陸での呼称と日本列島南部のスミラ系列の呼び名の分布

 今までに述べてきたミラを語幹とする里呼び名の変遷を整理すると、以下のようなヒガンバナの伝播の経路が浮かび上がってくる。

 いつのころか時代を特定することはできないが、第一段階として、すでにツルボのことをスミラないしはシミラと呼んでいた九州に大陸からヒガンバナが移入されたのであろう。ヒガンバナは球根と葉の形態がミラ類のうちのスミラ(ツルボ)に良く似ているためスミラの一種とみなされ、同じ名で呼ばれるようになったと思われる。区別したい場合は有毒成分を含むことを表わすドク(毒)や大陸起源であることを示すトウ(トー:唐)を付したのだろう。でんぷんを多量に含むので救荒植物としての価値が買われ、徐々に分散し各地へ伝播したのである。この過程で音韻の変化、音節の転移や脱落が起こり、それぞれの地域に新しい里呼び名が生まれたのである。
 沖縄に運ばれたものはグスクビラ(グスクは城)、ガラシビーヒル(ガラシは烏)、ボゥジビラァ(ボゥジは坊主)などの名にミラの名残をとどめている。ちなみに、沖縄ではヒガンバナの葉や花を不眠症の解消のために油で炒めたり豚肉と一緒に煮込んで食べることがあると山口隆俊が報告している。
 四国に渡ったものはシミラに由来するシイレ音節転換して、シレイ、シロイ、シロエ、シルエなどに転訛している。瀬戸内海を挟んだ対岸の岡山にもシレイが知られている。島根ではシロエとシビナが記録されている。
 モメラ系列の呼び名は山口県と隣の島根県に集中している。スミラのスとは異なるモを接頭語にしたミラである。九州から伝播した際、接頭語のスが捨てられたのはなぜだろう。この地域ではツルボのことをすでにモメラと呼んでいたため、九州の人々がスミラを使ったのと同じ理由でモメラを充てたと思われる。
 中国地方ではノビルのこともモメラと呼ぶ。正倉院文書もモミラに遡るのではないだろうか。
 
 対馬海峡を挟んで隣接する韓国南部にもわずかだがヒガンバナが分布していて(近年は全北道の公園などでは大量に植栽されているが)、saumunamというスミナそっくりの方言があることを中井猛之進が記録している。
 兵庫と大阪方面へ分散したものは、岡山のシビナから転訛していったと考えられるシブラ、シビラ、シブル、シビレなどの呼び名となった。
 中部地方以東では、シミラ系列の呼び名は希薄となり、静岡でシイレとシリエ、神奈川でシイレ、シイレン、シイレノハナが採録されているにとどまる。群馬県では100以上の呼び名が記録されていますが、スミラ系列は皆無である。

 このようにスミラ系の里呼び名に的を絞ると、九州から北上して分布を広げるヒガンバナの姿がおぼろげですが浮かんでくる。このヒガンバナは救荒食糧として伝播したと考えてよいだろう。
 言い換えれば、スミラ・モメラ系以外の名で呼ばれるヒガンバナの大部分は食糧としての認識をともなわずに分散したものではないだろうか。先に分類した毒や死や仏教などにかかわる@〜Cのグループに入るものである。この中には、全国的に分布するドクバナやシビトバナのような名もあるが、多くは特定の地域に限られている。標準和名のヒガンバナとマンジュシャゲはさまざまに語尾を変えて広範囲に分散している。児童の遊びの中での思いつきで付けられたものもある。これらスミラ・モメラ系列の以外の呼び名の伝播の後をたどることは今のところできそうもないが、これほど多くの名で呼ばれたということは、我々の祖先がこの植物に並々ならぬ関心を寄せていたことの証であろう。

 だが、すでに述べたように、室町時代より前の典籍にはヒガンバナのそれと特定できる呼び名は登場していない。
 そこで、想像をたくましくして、次のような渡来と伝播のシナリオを書いてみた。いかがだろう。

1) 奈良時代ないしは平安時代、救荒植物として九州に渡来した。

2) ミラ(ニラ)類のツルボの一種とみなしスミラ(スミレ、シミラ)と呼んだ。有毒性を強調するときはドクを頭に付けた。

3) スミラという名は『日葡辞書』に載るまで文献に残らなかったが、救荒植物として栽培し、四国、中国、近畿地方へと伝播して言った。このルートに沿ってさまざまなスミラ系の里呼び名が生まれた。この間、食糧にならない赤い花は注目されなかった。球根を太らせるために花茎が伸び始めると開花する前に切り落としていたかもしれない。また、大切な非常食ゆえ、意図的にタブーとし、表舞台には立たせなかったのかもしれない。

4) 室町時代、僧侶がヒガンバナの深紅の花を仏典に登場する曼珠沙華とみなし、積極的に寺院や墓地に移植して増やし、この花が庶民の目に留まるようになった。その結果、墓地に咲くヒガンバナが、当時布教のために盛んに描かれていた地獄草紙の地獄の炎を連想させ、僧侶の意図から離れてこの花を不吉なものと考えるようになったのかもしれない。

5) 江戸時代、飢饉は繰り返されたものの、農耕技術の発達や新田の開発により、救荒植物としての価値は次第に忘れられ、限られた地域の古老たちの記憶にとどまるにすぎなくなった。この過程で、不吉なものに対する恐れや好奇心から爆発的に里呼び名が増えていったのであろう。

以上が古典と里呼び名から探ったヒガンバナの渡来・伝播考である。


左図) 飛火地獄(益田家本甲巻)部分  右図) 叫喚地獄、雲火霧(安住院本)部分 
 いずれも12世紀後半から13世紀世紀初頭のものらしい。

    

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