2005年4月


「才能」 2005年4月30日
「出会い」 2005年4月24日



ゆ〜じ「才能」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)は「才能」について熱〜く語りたいと思う。

 突然だが、私は「才能」という言葉が嫌いだ。時々「ゆ〜じさんは○○の「才能」がありますね」と言われる事があるが、正直言って素直に喜ぶ事ができない。私は「才能」なんてモノが存在すると思っていないのだ。「才能」という言葉が存在する以上、確かに「才能」は存在するのだろうが…(汗)。冒頭でも述べたが私は知人から「才能」があると言われるが、「才能」という言葉で片付けられるのが悔しいのだ。世間に認められるくらいの力を身に付けるまでには、並々ならぬ努力があるのだ。勿論、多くの失敗も繰り返してきた。プライドをズタズタの引き裂かれるような事も言われた。何の苦労もせずに力が身に付く訳など無いのだ。仮に「才能」があるとしたら、力が身に付くまでの間に経験する失敗の数が「才能」の無い人間よりも少ない程度のモノだ。そして、その「才能」を開花させる為には、やはり努力が必要なのも事実だ。結局、努力をしない人間に力は身に付かないのだ。数々の苦難を乗り越えて身に付けた力だからこそ、世間に認められ、通用するのだ。

 ここで断言しよう。私には「才能」など何一つ無い!今の私は27年間の努力が生み出したのだから。そして再確認するのは、私の文章能力の低さである。努力が足りない証拠だと痛感せずにはいられない。


ゆ〜じ「出会い」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)は4月に入り、皆様も経験したであろう「出会い」について熱〜く語りたいと思う。

 人は生きている間にどれだけの人と「出会う」のだろうか?私自身も数え切れない程、多くの方と「出会い」、多くの事を学んだ。クラスメイトや先輩、先生や上司、恋人など、「出会い」の種類は様々。ただし、必ずしもソレは喜ばしい「出会い」だけではないのも事実だ。私にも「出会い」たくない人物がいた…(汗)。勿論、ソレ以上に喜ばしい「出会い」もあった。
 今回は私の人生を大きく変えた『恩師』と呼べる人物との「出会い」を紹介したいと思う。最初の運命の「出会い」は小学校5年生の時だ。理科の専攻教員をしていた名倉先生。幼い頃から生き物が好きだった私を鳥の世界へ導いてくれた人物。当時、私が所属していた科学クラブの顧問で、クラブ活動の一環として始めた鳥類調査で数多くの賞を受賞したりもした。それがきっかけとなり、今でも自然保護のボランティア活動を続けている。次に訪れた運命の出会いは高校時代の柔道部顧問をしていた戸澤先生。私は中学を卒業するまで運動には縁がなく、苦手意識すら持っていた。当時、身体も太っていて性格も内向的、人見知りが激しく人前に出るなんて考えられない人間だった。そんな私を体育会系へ導いてくれた人物。太っていたという理由だけで柔道部へ誘われ、校内一厳しいと評判の柔道部の練習で1ヶ月で20kg近く落ちてしまった。ここだけ聞くと喜ばしい「出会い」とは思えないが、今まで運動をしていなかった私、人と争った事のない私が初めて人に勝つ事の歓びを教えてくれた。今まで経験した事のない運動部の上下関係の中で礼儀作法や言葉遣い、人との接し方を学んだ気がする。今回、紹介した2人の『恩師』との「出会い」で共通して言えるのが、厳しさと、優しさを学んだ事だ。私はこの「出会い」に感謝している。
 それ以外でも多くの「出会い」があった。今、私の周りにいる仲間との「出会い」も私にとって大切なモノだ。喜怒哀楽を共有できる貴重な存在。この「出会い」は精神的な部分で私の大きな支えになっている。数々の「出会い」が私という人間を大きく成長させてくれたと心から思っている。

 皆様は人生を変えるような「出会い」を経験しただろうか?気付いていない人はいると思うが、必ずいると私は思っている。今までの人生を振り返り、運命の「出会い」を探して見てください。その人は隣にいる方かも知れませんよ。



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