2004年8月


「仲間」 2004年8月31日
「自分」 2004年8月23日





ゆ〜じ「仲間」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)は私が大切にしている「仲間」について熱〜く語りたいと思う。

 突然だが、私には信頼できる「仲間」がいる。仕事だけじゃない、プライベートでもだ。友達という言葉では表現できない、紛れもなく「仲間」なのだ。何が違うのか口ではうまく表現できないのだが…(汗)。共に笑い、共に泣き、共に励まし合い、喧嘩をする事だってある。馴れ合いだけじゃない、友達じゃなく「仲間」なのだ。
 私には○○(私の本名)組と呼んでいる高校時代からの「仲間」がいる。メンバーは10名程だが、10年も付き合っている大切な「仲間」だ。所帯が大きいので反発などもあるが、私は「仲間」という存在を大切に思っている。今は「信じる」という言葉を恥ずかしがって使えない人間が増えているが、私は心から「仲間」を信じていると胸を張って言える。それくらい私にとっては「仲間」という存在が大切なのだ。

 もっともっと熱〜く語りたいのだが、今回はこの辺にしておく。これを呼んでいる皆様にも「仲間」と呼べる人間がいるだろうか?もう一度、自分自身に問いかけてみてはいかがだろうか?



ゆ〜じ「自分」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)は「自分」について熱〜く語りたいと思う。

 冒頭で「自分」について熱〜く語ると書いたが、自己紹介をする訳ではない。最近、友人から「自分を見失っている」と相談された。その時の話を交えながら、「自分」について考えてみたいと思う。突然だが、皆様は「自分」自身について100%理解できているだろうか?私は…正直言って「自分」という人間を理解できていない部分がある。人間は誰しも理解できない「自分」を抱えているのではないのだろうか?勿論、「自分」を理解できないのだから他人を理解するなんて夢のまた夢。理解できないからこそ、お互いを知ろうとするのではないのだろうか?最先端の科学、有能な占い師を以てしても理解できない「自分」や他人。矛盾はしているが、理解できないからこそ、様々な方法でコミュニケーションを取って、少しでも理解しようとする。
 さて話は変わるが、今、季節は夏から秋に変わろうとしている。記録的な猛暑も影を潜め、過ごしやすい気候へと移り変わろうとしている。夏の間に蓄積した疲れを癒すのには絶好の季節だ。心や体に余裕が持てるこの季節に「自分」を見つめてみてはいかがだろうか?今の世界を「自分」の目で見つめ、「自分」や周囲の環境を見極め理解する事ができれば、今より少し、「自分」を理解できるのではないだろうか?


冒頭で話した友人からの相談に対して私が出した結論は今回の雑記(月記)の後半部分に集約した。「自分」を見失うのが「自分」なら、「自分」を見つけられるのも「自分」なのではないだろうか?相変わらず脈絡のない稚拙な文章だが、今回の
雑記(月記)を見て、皆様自身の「自分」を探してみてはいかがだろうか?



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