2004年6月


「命」 2004年6月30日
「少年犯罪」 2004年6月13日



ゆ〜じ「命」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)も柄にもなく「命」について熱〜く語りたいと思う。

 前回の雑記(月記)に関連しているかも知れないが、今回は「命」をテーマに少し考えてみたいと思う。最近、よく「死ね」だの「殺す」などという言葉を耳にする。そんな言葉を耳にする度に激しい憎悪を感じる。勿論、私自身はそんな言葉を口にする事はない。そんな言葉を口にする人間は身近な人間を失った事がないはずだ。身近な人間を失い「命」の尊さを身を以て知っている人間なら、そんな言葉を口にする事はないはずだから。私は以前、大切な人を病気で亡くした事がある。それまでは、冒頭のような汚い言葉を使った事があるが、それ以来、そんな言葉は使わなくなった。否、使えなくなった。
 人間はこの世に生を受け、その人生を全うするまで、自分自身の「命」を実感しながら生きていく。「命」は自分が生きているという証なのだと私は考える。なのに、その「命
」を自ら絶とうとする輩がいるのも事実である。そう『自殺』だ。自分を産んでくれた親を裏切り、必至で生きようとしている全ての人間に対する侮辱的な行為。その理由は様々だが、私は断じて『自殺』を許さない!私は死ぬのが怖い。幼少の頃、親の死を考えて泣き叫んだ事がある。幼心に「命」が大切で、何より尊い存在なのかを感じていたのであろう。『自殺』する人間は生きる事に苦痛を感じ、生きる事から逃げたのだと思う。ただ、死ぬ事より苦痛な事があるだろうか?確かに生きていれば苦しい事もたくさんあるが、生きているからこそ感じる歓びもたくさんある。それが生きる事であり、それを感じる為に必要なのが「命」なのではないだろうか?

相変わらず脈絡のない文章であるが、これを読んで皆様が「命」について少しでも考えてくれれば、私も嬉しい限りだ。


ゆ〜じ「少年犯罪」について熱く語る!
 今回の雑記(月記)は先日、発生した小学生の殺人事件を例に「少年犯罪」について熱〜く語りたいと思う。

 現在問題になっている少年犯罪についても考えてみよう。最近、新聞やテレビのニュースで少年同士の喧嘩で相手を殺してしまったと言うのを耳にする。喧嘩といえばナイフを持ち出してくる少年が増えているみたいだが、やはり、喧嘩は素手でやるのが最低のルールだと思う。少なくとも私はそうだった。喧嘩に関しては私は賛成である。現在親友と呼べる奴の一人は高校時代些細なことで殴り合いの喧嘩をしたのだが、その結果、お互い分かり合える関係になった。要は、一線を越えなければ良いと思う。少年犯罪の原因は暴力的なシーンをテレビなどのメディアで公開したり猥褻な画像をインターネットで公開していることであると言う方がいたがそれは違うと思っている。暴力シーンを含んだ作品を好き好んで見ていた時期があったが、それで人を殴りたくなったことなんかないし、AV(アダルトビデオ)を見たからって女性に暴行をはたらいたこともない。肝心なのは、いかに健全な精神を身につけるかと言うことだと思う。それと、人の痛みを知ることだと思う。幼年期に親がちゃんとしたしつけをし、子供と向き合って話をすることで信頼関係と、一般常識を身につけることができると思う。そして、友達と喧嘩をすることで痛みを知り、越えてはいけない一線を学ぶことだと思う。私はそうやって学んだ気がする。皆さんはどう思いますか?何が正しいかは解らないが、答えを見つけなければならない問題だと思う。

相変わらず脈絡のない文章であるが、これを読んだ皆様が『何か』を感じてくれればHPを作っている私も嬉しい限りだ。




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