太 陽 |
太陽は最も身近な恒星である。唯一我々が自分の望遠鏡で見える生きている天体である。その表面は千変万化し、一日として同じ表情であることが無い。普通に見えるのは黒点だけだが、白斑も見える。が、かつて長い間太陽を観測していた頃でも白斑はめったに見えたことがない。ま、黒点だけ見ていても十分楽しめるから、昔はアマチュアの太陽観測と言えば、太陽黒点の観測と同義であった。
黒点の観測方法には二種類あり、ひとつは直視法、もう1つは投影法である。私はずっと直視法で観測していたが、最近はこの方法は禁じられているから不思議である。 なんでもPL法とかいう法律ができたせいだと云う。それは製品を使って消費者が危険な目に遭うと、それは製品を作った会社が悪いということになり、作った会社の責任が厳しく問われるのだそうだ。理屈としては全く納得がいくものである。 こんな法律と太陽観測と何の関係があるかというと、直視法で使うサングラスという減光フィルタをメーカーが作らなくなったのである。サングラスがもし太陽の熱で割れて、観測者が失明でもしたら、メーカーの責任になるからだ。 しかしそれじゃあ永年私がやってきた太陽観測は何だったのか。私はつねに失明の危機に晒されながら観測していたというのか。ははは。そんなバナナ。 さらにひどいのは最近の安価な望遠鏡は鏡筒がプラスチックでできているから、太陽そのものに向けないでくれとのことだ。熱で鏡筒が溶けるからだという。これではカビ防止のために、対物レンズを虫干しすることすらできやしない(私はかまわずやっているが)。 こういうところが、現代の製品の粗悪なところだ。昔は安価な望遠鏡でも、必ず金属で作られていた。今は、安い、軽いというだけでプラスチックが使用されている。おかげで太陽に向けられない天体望遠鏡という、誠にもって不思議な商品が市場に出回っている。最も身近な恒星である太陽が観測できなくて、何が天体望遠鏡だ。昔ながらの天文ファンである私には信じられないことである。 という訳で、昔の望遠鏡には必ず付属していたサングラスは、今は全くと言っていいほど姿を消した。太陽投影板が付属していれば、随分とましな製品と言えるだろう。 尤も、現代は現代的な太陽観測の方法がある。太陽観測専用の望遠鏡というのがあるからだ。これは太陽の出すHα光だけを透過させて見ることができる。之を使えばプロミネンスも見えるというのだから凄い。しかし値段も凄い。昔、私が厨房の頃持っていた望遠鏡と同じ4cmの口径で10万円もする。しかも望遠鏡本体だけで、架台も三脚も付いてないでこの価格だ。買えないでしょ、こんなの。3万なら考えてもいいけどぉ。
太陽黒点の観測と言えば、昔はスケッチと、場合によっては太陽面経緯度図というのを使って黒点の位置を記録した。そして欠かせないものとして「ウォルフの黒点相対数」を計算したものである。 当時は標準的な数値として広く普及していたから、私も欠かさずこの相対数をスケッチの傍らに記入したものである。しかし、今から考えるとこの相対数というのは、随分といい加減な数値ではないかと思えて仕方ない。相対数の計算の式は下のとおりである。 k(10g+f) ここでgは黒点の群れの数である。よほど小さな黒点以外、多くの黒点は複数集まって群れをなしている。群れの境界をどこに引くかで悩むことはあまり無い。たいていは、はっきりと分離できる。このgに10をかけるのは、一つの群れは平均して10個くらいの黒点から成っているだろうという想定に基づくものである。だが、この考え自体が先ず変である。10個の根拠はいったい何なのか。ウォルフにはそう見えたのだろうか。だが根拠は全く不明である。 fは黒点の全部の数。これは数えられるからまあ良しとしよう。そしてkは観測者ごとに異なる係数である。今はどうだか知らないが、昔はチューリヒ天文台の太陽観測が標準とされていた。だから、ある程度の年数に自分が観測した相対数を、チューリヒ天文台の数字と比較すれば、計算できないことは無い(8cm、64倍程度の望遠鏡なら、ほぼk=1になるはず)。しかしもとの10g+fの式にあまり意味が無いとすれば、このkだって全くあてにならない。 この相対数の観測によって、太陽活動の11年周期が発見されたせいか、相対数は今でも世界的に用いられているらしい。しかし、太陽活動が活発になれば、黒点の数が増えるから、相対数が増えるのもまた当然のことだ。 つまり、太陽活動の11年周期は、相対数の観測でなければ発見されなかったという理由にはならない。簡単な話、黒点の総数を数えるだけでも、11年周期は発見できただろう。あるいは今なら、コンピュータ処理で黒点の面積が、太陽面の面積の何%を占めるかを、継続的に観測し続けることによって、何か新しいことが発見できるかも知れない。私は、そんな機材を持っていないが。 かつて永年、自分がやってきた黒点観測はスケッチだけは有効だったかも知れないが、相対数は大した意味も無い数字だったと言わざるをえない。自分で自分の観測を否定するのも変だが、今はそう考えている。今後、退職して暇ができれば、また太陽観測をするかも知れないが、相対数を記録することはしないつもりだ。 |