後注:1972年10月9日の夜、地球がジャコビニ・ジンナー彗星の軌道を横切った。軌道上に散らばっているダストが無数の流星となって地球に降り注ぎ、未曾有の大流星雨が見られるだろうと予想された。一般人の関心も高くなり、世を揚げての大騒ぎとなって期待された。しかし、流星雨は全くと言っていいほど現れなかった。この騒ぎと結果について、当時大学2年だった若き日の私が綴った駄文である。若いが故の気負いや奢りは感じられるが、内容は今でも正しいと思っている。

ジャコビニ群狂騒曲

 ア〜ア、全く何と言うか、オソマツさまでした。会員諸君も色々な場所で空を見上げていたことだろう。僕もY君、K君、H君と一緒に、野島山という近所の丘に登って見ていたが、結局ダメであった。

 しかし、、実を言うとそんな予感がしないでもなかった。新聞・TV・ラジオ。週刊誌等、マスコミの騒ぎ方は全くキ○○イ沙汰であって、そのせいか野島山の上にも野次馬どもがワンサと押しかけていた。富士山には5000人も登ったとか! Y君、S君、N君の登った陣馬山の上にも、ものすごい数の人が来て、おでん屋が大繁盛したそうである。

 これだけ地上で大騒ぎしていると、、もし僕が天の神だったら、ちょいとイジワルをしてみたくなるもの。「これだけ大騒ぎをしていて、もし一つも出なかったら、さぞ面白かろう」などと、空を見上げながら思ったことすらある。そのかいあってか、結果はあの通りであった。

 8月のペルセウス群のときは、会長が「初めて流星観測をする会員達のために、何とか晴れて欲しい」と、真剣に願っていたから、あのような奇跡的な結果になったに違いない!? ジャコビニ群のときはと言うと、それ以前からK君達と「どうせ大して出ないんじゃあないか?」などと話していたものである。

 ベテランのアマ天や、プロの天文学者たちは、むしろ慎重派であって、静かな気持ちでジャコビニ群を待っていたに違いない。マスコミに振り回されるような天文家であっては、少々情けないんじゃないかとも思う。マスコミは、天文に関しては全くの素人の読者や聴取者に対する宣伝効果を狙って、我々から見ればオオゲサな記事やニュースを報道するのであるからして、天文家の我々はマスコミをリードする立場にあってしかるべきであろう。

 冗談じみたことを書いてはいるが、私の本心を言えば、今度のジャコビニ群は、本当に星を愛する我々だけで静かに迎え、結果のいかんにかかわらず、静かに見送りたかったと思う。天の美はお祭り騒ぎにはふさわしくないのである。星がマスコミの商業主義に利用されることに対して、我々は怒りを覚えずにはいられないだろう。

 地下鉄の中に「一万個の星が降る!」などという記事内容を宣伝したポスターを貼った週刊サンデー○○や、「○○望遠鏡でジャコビニ群を観測しよう!」などというCMを天文誌に載せたA社などは、真に星を知る人々から笑われたに違いない。

 話は変わるが、とんでもない笑い話がある。ジャコビニ群が近づいたある日(詳しい日にちは忘れた)、小山環境庁長官が各省庁の大臣に「市街地のネオンや回転サーチライトは、ジャコビニ群観測の障害になるので、これらを自粛させて欲しい」と依頼したときに、二階堂官房長官が発した言が「天体観測は気象庁の仕事だから、それは気象庁がすることでは?」というのには驚いた。官房長官ともあろうものが、天体観測と気象観測が区別できないとは!!

 一般に政治家の科学知識が極めて低いということは知っていたが、これほどとはついぞ知らなかった。こういった政治家が、科学技術庁長官や文部大臣なんぞをやっても。科学の教育や研究が満足にできる訳がない。ジャコビニ群騒ぎが見せた、政治家のミットモナイ姿の1コマであった。

 ジャコビニ群は今年最大の観測目標であっただけに、もちろん残念ではあったが、観測に失敗することは、誰もが経験しなくてはならないものである。これであきらめてしまってはいけない。私達は5年間もペルセウス群に失敗しながらも観測に挑戦し、遂に6年目であの成功を手にしたではないか!結果の良し悪しにふり回されずに、地道に観測を続ける人だけが、本当の喜びを知ることができるのだ。

 ペルセウス群の成功で流星が好きになった会員の人にとっては、今回のジャコビニ群の失敗は、大きな打撃であったかも知れない。しかし、これを大きな教訓として生かすことが、正しい態度ではなかろうか。

 宇宙は我々の意思とは無関係に、壮大なメロディーを奏でながら動き続けている。そのメロディーを感じることのできる人は、マスコミが大騒ぎするときだけにだけ星空を見るような人では、もちろんない。星空への飽くなき情熱を胸に秘め、しかし冷静に星の光を受けとめることのできる人、あるいは宇宙の底に流れる法則を覚知できる人、この2種類の人だけであろう。我々一人一人はこうありたい。そして、我々はこれからも、種々の流星群観測に挑戦するに違いない。


 

随想・はじめてすばるをみたころ

 今年の初冬の宵空は、中天高い木星と、東天に顔を出した火星とが、ひときわ目だった光を放っている。しかし、例年なら、そしてもう少し空の澄んだ所なら、初冬の宵空で私達の目をとらえて離さない星、いや星たちがある。言うまでもなく「すばる」ことプレヤデス星団である。

 私の観測日記には1965年10月1日21時45分と記されている。もう、今から10年と2ヶ月ほど前のことになる。この年の9月、4cm屈経を駆使しての、星空の探訪が始まっていた。月のクレーターや土星の輪は既に見ていた。また、あの世紀の大彗星として騒がれたイケヤ‐セキ彗星が既に発見され、急速に太陽に近づいていた頃でもある。

 レンズを通して見る宇宙の姿は、もちろん驚きに満ちたものであったが、それ以上に私を喜ばせてくれたのは、私の肉眼に次々と映ずる、初めて知る星座の姿であった。そう、あの頃は肉眼で星空を眺めているほうが、はるかに美しく、また楽しくもあったのである。

 すばるを初めて見たのもそんな頃である。縁側の戸を開けて東の空を見た私は、隣家の屋根の上に小さな星の群れを見出した。真黒に澄んだ空を背景に、激しく輝くこの星群の光を、もう冷たさを少し含んだ秋の夜の空気と共に、今でもありありと思い出すことができる。多くの天文ファンと同じように、私もこのプレヤデスによって、初めて星団というものを見たことになる。もちろん、この星群がプレヤデスであることは、その夜に星座早見盤で調べて初めて知ったのである。

 今では空が濁ってしまったのと、高校生のときあたりから視力が落ちてきたこともあって、以前のような美しさを楽しむことができなくなった。双眼鏡で見れば良く見えるのだが、大きくなり過ぎて、神秘的な光がかえって失われてしまう。しかし、今でもすばるを見るたびに、あの夜が思い出されるのである。


 

注記:1976年3月に20世紀最大の彗星と言われた、ウェスト彗星が出現した。下の写真は私自身が撮影したものである。

横浜の汚れた空では、上の写真の程度にしか見えなかったが、空気の澄んだ土地では大きく広がった壮大な尾が見え、人々を驚かせた。発見されたのは、この前年の1975年であり、以下はその発見を伝える会報の記事である。これを見ると発見時の予想と実際の結果との違いが分かる。


COMET WEST (1975n)

 11月11日、仕事から帰って来た僕を、次のようなニュースが待っていた。

 発見者・発見日時全く不明。ともかくもマースデン計算による軌道要素と推算表が、いきなり記されてある、という異例の内容である。更に驚いたことに「来年3月に肉眼彗星になるだろう」という、マースデンのRemarksまで付いている。僕は例によって、まず近日点距離に注目したが、0.19AUとかなり小さい。なるほど、これは楽しみである。

 次の日に届いたANSによって、発見事情の一部が判明した。それによると、この彗星は、今年の8月から9月にかけて撮影されたプレート上に、最近になって発見されたのである。そのため直ちに10個以上の精測位置が求められ、そこから軌道要素と推算表が計算されたというわけである。

 これで、ある程度スッキリしたが、しかし発見者は未だに不明であった。この発見者がDr.Westであることを知らされるには、さらに19日の仙台情報の到着を待たねばならなかったのである。

 Dr.Westと言えは、あのComet West−Kohoutek−Ikemura(1975b)の発見者であるが、あのときも昨年10月撮影のプレート上に発見したのだった。どちらの場合にしても、偶然につかまえた彗星を、みすみす逃すことなく確認できて幸いである。

 マースデンによる軌道要素と推算表を次ページに記す(後注。推算表は省略する)。ただし光度予想は実のところ、まだあまり信頼できるものではない。最大光度がどれくらいになるかは、今後の観測を待たねばならない。案外に暗くて終るのではないか、という声もある。しかし、肉眼光度になることだけは間違いなさそうなので、楽しみであることに変わりはない。

軌道要素

T=1976 Feb24.811ET   q=0.1997AU   ω=358..47

Ω=117.81   i=42.45


NOVA CYGNUS 1975 の観測

 8月30日夜に、NHKニュースでこの新星の出現を知った人は多いと思う。僕もニュースを聞いた直後、庭へ出て空を見た。発見光度が3等であったのに、僕が見た時は2等級に達していた。これは大変なことになったぞ、という訳で写真撮影を開始した。

 30日の晩は、増光が顕著で肉眼で見ていても、明るくなっていくのが分かった。この日はすべて55mm、F2.0による固定撮影である。次の晩からは300mm望遠のガイドも併行した。固定撮影といっても、ただの方法でなくて、光度スケールを作っていたので、全部の観測に1時間を要した。

 8月31日から9月3日まで、毎晩これをやったので、さすがに疲労が蓄積し、9月4日に仕事に行ったときはフラフラであった。いくら天文が本業(?)だとは言っても、仕事ができぬのでは困る。そこで、涙を飲んで休養をとることにして、6日の晩まで観測はやらなかった。

 6日の晩は勘違いをして、NOVAが見えなくなったものと思い込んだ。それで300mmのガイドだけを行なった。あとで勘違いに気付き、7日は再び固定撮影による光度スケール撮影も行なった。7日から後は、天気が悪くなったのか、あるいは忙しかったのか忘れてしまったが、観測できなかった。

 しかし、ともかくもここまでに既に40枚ほども撮影してあったので、その中から9枚を選び出して、光度を観測した結果を次ページに示してある。測定の方法は、接眼マイクロメータをつけた顕微鏡でネガ上の星像直径を、比較星と共に測定し、そこから光度を求めてある。

 こう書くと、さぞかし精度の高い値が得られると思われるかも知れないが、さにあらず。どう頑張っても、写真での精度は0.1等が限度である。なんだ、それなら眼視観測と同じじゃないか、と言いたくもなるが、やはり客観性と記録性においては、写真のほうが優れている。

1975UT

Mpg

カメラ:ペンタックスS2

レンズ:スーパータクマー55mmF2.0絞り開放

フィルム:TriX

現像:パンドール21℃16min

露出20秒

 

Aug 30.4611

2.1
30.5550 1.9
30.6194 1.8
30.6464 1.6
31.4765 1.6

Sept  1.4572

2.1
2.4806 2.6
3.4824 3.6
7.5048 5.9

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