流  星

 ただ「観望した」というだけでなく、きちんと観測らしい観測をした、という点から考えると、一番多くちゃんとした観測をした天体(と呼ぶのは疑問だが)は流星である。それは何故かというと、流星観測には高価な機材が要らないからである。だからまともな機材を持っていなかった中学・高校の頃は仲間と流星観測を良くやった。

 ただ1つ必要なのは「流星観測用星図」というやつだ。普通の星図に流星の経路を書き込もうとすると、経路が曲線になってしまう。流星の経路が直線で書き込める星図は「中心投影図法」を用いた特別のものである。今と違ってコピーなど無い時代だから、流星観測用星図の原本を一冊だけ買って、それを手書きで写したものを観測に使っていた。

 流星観測は仲間とやるのであるから、早起きもできる。ときには友人の家に泊まりこみでやったこともあるから、こういう時などは起きれて当然である。年代順に思い出すのは不可能なので、季節の順に思い出を辿ってみよう。

 1月初めのしぶんぎ座流星群。1年の観測のやり始めとして、最も適した対象だった。何回かやっていると思うが、最も記憶に残っているのは、高校時代、海岸近くにあったH君の家に3人で泊まりこみ、夜明けの寒い海岸で2時間ほど観測をして十数個の成果を得たときのことだ。

 その頃出始めた対流式の石油ストーブがその家にあったのを記憶している。その頃我が家にあった暖房器具は、練炭火鉢と電気コタツだけだったから、この石油ストーブが目新しく、暖かいものに思えた。石油ストーブで温めた甘酒を飲んで寝た。そして私が一番早く眼を覚まし、友人二人を起こして観測に出た。

 海岸に並べられた小船の中に寝そべって観測をした。1月初めの夜明け前の海岸である。寒くないはずは無かろう。何とか2時間頑張って、みんなで「ああさみい。ああさみい。」と騒ぎながら家に入ったことだけ覚えている。さぞや近所迷惑であったことだろう。もちろん、この海は埋め立てられて今は無い。

 4月のこと座流星群も観測した記憶がある。しかし暗い流星が多くてつまらなかった。数も大して多くない。一回やっただけで二度と観測しなくなった。

 7月のみずがめ座流星群も夏休みだから、一人でやった。これも微光流星がわずか流れただけのように思える。いくつか群流星に違いないものを見ているはずである。

 そして8月のペルセウス座流星群。流星観測の王道である。何度やったか覚えていないくらいやった。記憶に残っているのは、中学時代に家の庭で一人で観測し、その観測が終わった午前4時頃に、空が白々と明けて来るのを清々しい気持ちで眺めた朝のことだ。あんな気持ちで迎えた朝は、そう何度もあるものではないだろう。天体観測の喜びを感じた朝だった。

 次は珍しく大学時代に、やはり天文同好会で泊り込みで観測した夜。この時はおおぜいだった。男が5人に女の子が2人いた。2時間やって94個もの出現を見た。この時は初心者の会員が多かったから、星図への記入はせず、時刻・光度などを記録する計数観測をやった。記録係は私だった。したがってこの時に私自身は流星を1つも見ていない。初心者の会員に流星を見せてあげたいという気持ちがあったからだ。あの頃の会員とはほとんどが音信普通になっている。今はどこでどうしていることやら。

 これを書いている2004年。8月12日朝ににダストトレイルが接近して突発的出現を見せるという予報がある。結果はどうなるか何とも言えないが、運良く早めにこれを読んだかたは、12日早朝に北東の空を見上げると良い。一時的な流星雨が見られるかもしれない。

 少し季節が飛んで11月の獅子座流星群。これには痛恨の思いがある。2001年のあの流星雨を見ていないからだ。見るつもりだったが、急にその日の仕事の予定が変わり、きついスケジュールになってしまったため、早起きを諦めたのだった。もっとも金沢区では雲が多かったらしいが、雲が光るほどの大流星が出たようだ。やはり断腸の思いである。昔何回かやった獅子座流星群は火球がたまに飛ぶものの、あまり大した出現は見せなかったのだが。

 なお、今まで私が見た最大の流星は、半月くらいの明るさで最後に3つの球状の光を放って消えた。ふつう流星は一瞬で消えるものだが、この時は一緒に望遠鏡を並べて観測していた友人が「ああっ!すごい!」と叫んだ後に私も見たのだが、充分よく見えた。大火球はゆっくり流れるということだ。2001年の獅子座群はこういった大火球が、さぞやたくさん流れたことだろう。いやもっとでかいのもあったに違いない。やはり痛恨。

 気を取り直して12月の双子座流星群。これは学校の期末テストが終わった期間中だったので、何回かやった記憶がある。確かコンスタントに安定した出現を見せる群だったように思う。寒い時期だからもう観測することは無いだろう。

以上、簡単に季節の流星群と私との関わりについて書いた。今後はちゃんとした流星観測はしないかもしれないが、貧しくて機材が買えなかった時代に、私たちを天文の世界に引きとどめておいてくれた流星群には感謝せねばなるまい。

 なお、昔は東亜天文学会流星課長の小槇孝二郎氏が流星観測の神様のような存在で、その後から流星の写真観測で藪保男氏が有名になり、次いで竹内雄幸氏などが居た。つい最近、某天文雑誌で竹内雄幸氏の文章に接して、何とも言えぬ懐かしさを感じた。やっぱり何でも継続してやらないかんな。私みたいに、あれこれ色んなものに手を出していると、大物にはなれない。遅れ馳せながら天文を頑張ってみようか・・・でも、やっぱり遅いよな。