月 |
天体望遠鏡を買って、誰もがまず最初に見るのは月であろう。小さな望遠鏡でも、月は見応えがある。肉眼では滑らかに見えた月の表面が、実は穴だらけで凸凹であるのを自分の目で見ると、やはり驚くものである。本で月面写真を見るのと、実際にこの目で見るのとでは、全く別物である。素人に望遠鏡で月を見せると、たいへん感動してくれることからも、望遠鏡で見た月面の姿は、驚きに満ちたものであると言える。
私が望遠鏡で月を見始めた頃は、クレーターの成因について、まだ2つの説が共存していて、月面は謎に包まれていた。今の若い人は知らないかもしれないが、昔はクレーターがどうして出来たのか、ということに関して議論が戦わされていた。 すなわち月面のクレーターは火山の噴火口であるという説と、単に隕石が衝突してできた穴ぼこに過ぎないという異なった説である。前者はかつて月が生きていたことを示すものであり、後者は月は初めから死んだ天体であるとするものである。 天文ファンにして見れば火山説のほうがロマンに満ちていて魅力的である。当時、京都大学の花山天文台長だった宮本正太郎博士が火山論者のリーダー的存在であったこともあって、私自身は火山説を応援していた。 しかし、段々と隕石説に有利な理論が展開され始め、私が大学生になる頃には、隕石説が火山説を圧倒するようになっていた。隕石説はもともと地球物理学者の竹内均氏らによって唱えられていたものだが、竹内博士の知名度が上がるのに比例するかのように、隕石説が地盤を強固なものにしていったのである。 当時私は自分の主宰する天文同好会の会報にこう書いた。「クレーターの成因について、火山論者はまだ決着がついていないと言っているが、隕石論者は既に決着がついたと言っている。何が何だかわからん」 結局、皆さんご存知のように、今ではクレーターは隕石の衝突でできたものだということになっている。しかし、月の海(黒く見える部分)は、内部から溶岩があふれ出して出来たとされている。つまり過去には月も生きて活動していたということなので、私も少しは救われた気分になっている。 まあ、成因がどうあれ、クレーターのような地形は、地球上にはごく少数しか存在しないので、あれほど数多く大小のクレーターが連なる月面というのは、いわば異世界である。だから望遠鏡で月面を見るということは、異世界を散策するに等しい。月面を長時間見ていて飽きることが無いのは、異世界の見せる光景がもたらす不思議な感情が、観察者の心の中に湧いてくるからだろう。 20cmくらいの口径の望遠鏡でクレーターを強拡大して見ると、クレーターの縁にある細かな段差などが生々しく見える。そして不思議なことに、月も確かに岩石から出来ているのだということが実感される。明らかに岩石としての質感が見えるのである。これは、小口径の望遠鏡では伝わって来ない迫力である。 尤も、高倍率で月面を見るばかりではなく、低倍率にして月の全体像を眺めるのも悪くない。三日月の頃は地球照と言って、太陽光があたっていない月の暗い部分が、地球の反射光に照らされて、ほんのりと見えて中々面白い風景となる。 満月を見るのも楽しい。一般には満月の頃はクレーターの立体感が見えないので、月面観測には適していないと言われている。だが、眺めるだけなら、満月も美しいものだと思う。満月を低倍率で見ると、これがけっこう眩しいので、「ムーングラス」という、一種の減光フィルタを接眼レンズに取り付ける。こうすると、眩しさも感じなくなり、像のコントラストも上がったような気がする。気がするだけかも知れないので、良くは分からない。まあ見やすくなることは確かである。 という訳で、どの形の月をどんな倍率で見ても楽しい。月面観測こそ、マニアとは言えない天文好きの私には最高の楽しみである。 もう1つ面白い見物がある。それは星食である。私は星食の専門家ではないので、狙ってこれを観測することは無い。偶然に見たことがあるくらいである。星が月の向こうに潜入していくのを待っている間は、とてもワクワクする。大したことのない現象だと思う(明るい星や惑星の場合は別だが)のだが、これが何故か昂奮する。やっぱり見ていて楽しいのだろう。月や星がやはり好きなのだ、私は。 |