彗 星 |
彗星こそは、私の天文趣味の中心である。眼視でも写真でも、はたまた計算でも、私の興味の中心はつねに彗星にあった。彗星は私を魅了する存在である。
自分が何故にこれほどまでに彗星にこだわるのか。それは天文を始めて間もなく受けた「イケヤ-セキ彗星ショック」に、その端を発していると言っていい。当時のアマチュア天文家は皆この「イケヤ-セキ彗星ショック」を受けたのではないだろうか。 1965年秋、日本のアマチュア天文家の二人がほぼ同時に1つの新彗星を発見した。はじめはありふれた姿をしていたその彗星が、実は太陽に大接近することが分かった。その大接近の日のことは、今でもありありと覚えている。 中学校のプレハブ校舎の中で、私は今頃あの彗星が太陽を掠めている頃だ、その姿はどんなふうに見えるのだろう。見たい、切実にそう思った。何事も無いかのように淡々と過ぎていく、いつも通りの学校の授業と、自然界で起きている大事件との間に大きな乖離を感じて、苛立ちを感じたものだった。 その日の夜、テレビのニュースでこの大接近の模様が放映された。それは乗鞍のコロナ観測所で撮影されたもので、大きな尾を曲げながら太陽のごく近くを通ってゆく彗星の姿だった。 今ならこの時の映像を見ただけで「これは大彗星になる」と直ちに判断できただろう。しかし天文を始めたばかりの中学1年生は、そんなことには思いが及ばなかった。また「彗星が三つに分裂した」という報道もあったから、彗星は消失したのだと思ったのかも知れない。 私は夜明けの空を見なかった。当時の空はまだ汚れておらず、かなり綺麗だったから、見る努力をすれば生涯で最も美しい彗星の姿が見られただろう。だが今と違ってメディアも少なく、テレビもろくに見ない変わった子供だった私は、空に現れた大彗星を知らなかった。 のちに「天文ガイド・別冊」として発売されたこの彗星の写真集を買った私は愕然としたものだ。「見ておけば良かった」と後悔した。こんな大彗星が現実に現れているとは想像もしなかった。当時、大彗星と言えばハレー彗星しか知らなかったのだから。 この写真集には、望遠鏡を傍らにした池谷薫氏と関勉氏の写真が掲載されていた。「コメットハンター」という言葉も、多分その時初めて知ったのではないか。二人の勇姿に強い憧れを抱いて自分も新彗星を発見したい、と思うようになった。 が、彗星捜索を始めるにしても、それに相応しい機材が無い。池谷氏のように、自分で反射鏡を研磨する技術などは、一朝一夕で身につくものではない。また彗星捜索は太陽の近傍を狙うから、夕暮れ時の西空か、明け方の東の空か、どちらかが地平線まで見える場所でなければならない。そんな環境も持っていなかった。 コメットハンターになることは、ずっと夢のままであり続けた。「機材歴」のページで書いたように、自作8cm屈折で24倍の低倍率を得て、やっと彗星捜索ができるぎりぎり最低限の機材を持った。それで少しの間彗星捜索の真似事をやったこともある。しかし、真似事はしょせん真似事。本格派のコメットハンターには遂になれなかった。 それから僅か5年後の1970年、再び肉眼で見える大彗星が現れた。それはベネット彗星である。しかし、私はこの彗星の出現を全く知らなかった。折悪しく受験勉強の真っ最中であったからだ。受験雑誌でも買うつもりで本屋に行った時、天文雑誌の表紙を飾っている大彗星の写真を見て、その出現を知ったのが精一杯であった。 当時の自分の興味は、とにかく大学に合格すること、これ1つだけだったから、ベネット彗星を見逃したことは然程悔しいとは思わなかった。 そうやって実際に彗星を見ないまま月日が流れていった。彗星というものをこの眼で見たのは、イケヤ-セキ彗星からちょうど10年後の1975年の夏であった。それは小林-バーガー-ミロン彗星である。肉眼では無く双眼鏡で観ただけで、尾も見えなかったが、夕暮れの天頂付近という真に好条件の観測位置に、長い間輝いていた。望遠鏡で球状星団を見た経験を既に持っていた私は、なるほど彗星というものは星団に似て見えるものだと、シャルル・メシエの気持ちが理解できた。 この彗星の観測については、別項「過去の会報から」に「Comet1975hの追跡」という題で詳しく記してあるので、是非ご一読いただきたい。 この年は私が就職して天文に復帰したので、明るい彗星が出現してくれて大いにやる気になった。ついでに、肉眼新星の「はくちょう座新星」も出現してくれたから、なかなか楽しめた年になった。 ところが翌年にもっと凄い大彗星が現れた。20世紀最大の彗星と言われたウェスト彗星である。この彗星は前年に発見され、早くから大彗星になると期待されていたが、まさかこれほど凄い彗星になるとは誰も思わなかっただろう。 例によって早起きの苦手な私は、なかなか夜明け前に起きられず、この彗星がどんな具合に見えているのか分からなかった。私を刺激してくれたのは当時同じ天文同好会に属していたS君である。S君は就職する時、星を観るためにわざわざ遠くの県に移転し、後に新星を発見するまでになった。当時から極めて熱心な天文家であったが、その頃はまだ学生で横浜にいた。そして三浦半島剣崎で撮影されたこの彗星の見事な写真が、朝日新聞の紙面を飾った。 友人にこれほどの手柄を立てられては頑張らざるを得ない。しかし剣崎まで行くほどの根性は無いから、とりあえず早起きして自宅の物干し台から夜明け前の東天を見てみた。そこには生まれて初めて見る、尾を引いた大彗星の姿があった。私は狂喜した。こういう彗星が見られる日を、いったい何年待ち望んでいたことか!イケヤ-セキ彗星から11年後、やっとその時が来たのだった。 その後、空の綺麗な土地で撮影されたウェスト彗星の写真が、多数発表されるようになった。私は再び驚いた。凄い広さと長さの尾が写しだされていた。こんな彗星は、今まで見たどの本にも無かったし、写真が無い頃のスケッチ画ですら見たことのないものだ。ウェスト彗星の凄さは、今でも当時を知る天文家の間では語り草になっている。 その後しばらくは、肉眼で見えるような大彗星は無かったように思う。天文をやったりやらなかったりしているので、正確なところは良く分からないが、私の覚えている限りでは、肉眼彗星は1986年の有名なハレー彗星まで現れていない。 私はハレー彗星は一度だけ見た。しかし肉眼ででは無い。まだ地球に接近して来る前のハレー彗星を、21cm反射望遠鏡の視野に捕えた。その時はぼんやりとした光の塊が淡く見えるだけで、ありふれた彗星の姿だった。 私は接近前の暗い姿を見ることができたので、それで満足してしまい、地球に接近した頃の姿は見ていない。地球に接近といっても大して条件が良くないことが分かっていたので、わざわざ早起きする気にはならなかった。事実、見た人は「しょぼい」と言っているので、大した彗星ではなかったのだろう。私は後悔していない。 それから数年後、ダレスト彗星という彗星がやってきた。尾は大したことが無いが、視直径がものすごくでかいと言われていた。よく覚えていないが、満月くらいでかく見えると言われていたのではなかったか。ただし、でかいが暗いので光害のひどいこの金沢では、肉眼では見えなかった。これも地球に接近する以前に、21cm反射望遠鏡で探し、比較的簡単に見つかった。確かにハレー彗星よりは大きく見えたような気がする。 その次に私が観た彗星は、記憶に新しいヘール・ボップ彗星(1997年)である。核の明るさだけなら、かのウェスト彗星よりも上回っていたから、夕方の西天に肉眼で簡単に見つけることができた。自宅のベランダから双眼鏡で見ただけだが、写真とあまり変わらず明るいが短い尾が見えた。久しぶりに見た肉眼彗星だから、それなりに感動させられた。せめて1枚でも写真に収めておけば良かったと後悔しているが、ちょうど母が入院して手術をした頃だからそれどころではなかったのかもしれないと思う。 今でも話に良く出る百武彗星があるが、私は見ていない。釣り狂っていた頃で、自分が天文をやることは二度とないだろうと思っていたから、この彗星を見ていないのは、仕方のないことである。相当の大彗星で、長い尾を引いていたらしいが、どうせこの土地では長い尾など見えなかったに決まっている。後悔はやめよう。 そして2004年のニート彗星になる。この事は別項「日々の雑感」の中でいくつか書いてあるので、それを参照されたい。大彗星ではなかったが、記憶に残る彗星になった、と私は書いた。 こうしてみると、彗星の出現というのは、タイミングが極めて重要になる、ということが分かる。いくら大彗星でも、自分の気持ちが空に向いていないときは駄目である。今なら、そんなに大彗星でなくても、とりあえず双眼鏡で見えるくらいなら頑張って見る。それと私の個人的な趣向であるが、夜明けの彗星もあまり見たくない。夕方の空ならかなり苦労してでも見ようとするが、よほど凄い彗星でなければ、夜明けには起きたくない。 そう、根性無し釣り師であるのと同様に、私は根性無し星好きである。 |