アンドロメダ銀河との再会 (2004.9.11)
今夜は思いも寄らぬ快晴の夜空になった。秋になってからは、まだ一度も天体望遠鏡で星を観たことが無い。週末の夜に星が見えるのだ。こんなとき観なくてどうする。そそくさと、望遠鏡を庭に担ぎ出した。
星が見えると言っても、肉眼では一等星たちが作る夏の大三角形が天頂に見えるのみである。東の空にある秋の星座たちは全く見えず、虚無の空間が広がっている。この虚無の中から、アンドロメダ銀河M31を探し出すことに決めた。
M31を探す第一の目標は「ペガススの大方形」と呼ばれる大きな四角形である。これが肉眼で見えるくらいなら、アンドロメダ座を見つけるのはた易いのだが、その目標となる大方形から確認しなくてはならない。確認はもちろん、先ずは双眼鏡で行なうのである。
しかし、双眼鏡でこの大方形を観たことが無いから、星と星の間がどれくらい離れて見えるものなのか、全く見当がつかない。大方形の一つだろうという明るい星はいくつか見つけることはできたが、四角形を確定することが中々できない。
肉眼で何とか見えぬものか。何度も眼を凝らすが、やはり光害と視力の低下のせいで、肉眼では見えない。私は遂に大方形を確認するのは諦めた。双眼鏡で確認するには、大方形が大き過ぎるのだろう。昔やったM31の探し方は、現在の状況では通用しないことが明らかになってしまったのだった。
それよりはアンドロメダ座の星と思しき明るい星を見つければいい。M31の近くにある星の配列は、過去の記憶の中にある。2等星から上に向けて2つの暗い星が並び、その先端付近にM31はあるのだ。
私は北東の空に向けて、片っ端から明るい星を双眼鏡の視野に入れていくことにした。
しかし夜風がずいぶんと涼しくなったものだ。しかしまだ蚊がいるから嫌になる。部屋に戻って、蚊に刺されないためのスキンガードを手足にかけたりしたので、よけいな時間がかかる。さらにTシャツとハーフパンツで涼しい夜風に当たり続けたためか、腹が冷えて痛くなってきた。また家の中に戻ってトイレで少し下痢をした。また余計な時間を食ってしまった。もうやめようかとも思ったが、なにくそと思いM31の捜索を再開した。
外に出てから既に数十分が経過していた。遂に双眼鏡の視野に、見覚えのある星の配列が飛び込んできた。ああ、これだあ、と嬉しくなった。双眼鏡ではM31は確認できなかったが、星の配列は間違い無い。早速、望遠鏡のファインダーにその星を入れることにしたが、これがまた簡単ではない。
双眼鏡から眼を離すと、再び虚無の視野になるから、ファインダーでその星を観るためには、虚無の中にその星の幻影を作っておき、それをファインダーで捕らえなければならない。幻影を視野に入れるのだから、それは簡単な作業ではない。
そして何度か繰り返した後、やっとファインダーにその星達を入れることができた。しかも、双眼鏡では見えなかったM31らしき淡い光芒が見えた。これをファインダーの十字線の真ん中に置き、望遠鏡のほうを覗いた。
M31キタ―――――!!という言葉が思わず心の中に浮かんでしまった。遂にM31の光を、望遠鏡の視野に捕らえた瞬間だった。それにしても淡い。倍率が46倍というのは、実はM31を観るには高過ぎるのだが、手元にある低倍率アイピースはこれしか無いので、仕方がない。星雲・星団を見るには、46倍でやるしかない。
おそらくM31の中央部分だけを見ているのだろうが、それでもけっこうな視直径である。淡いが大きい。これが20年ぶりにM31を自分の望遠鏡で見た感想である。それにしても、今観ているのは230万年前に発せられた光である。知識としてはとっくに常識になっているが、あらためてM31の姿をこの眼で見ると、不思議な感慨にふけってしまう。
よし、満足した。目に見えない空間の中から、淡いアンドロメダ銀河の姿を見つけることができた。今日の目的は達した。しかし疲れる作業だ。週末の夜だからこそできたことだ。
それにしてもM31のような明るい天体を導入するのにこんなに苦労するとは。今の望遠鏡市場で自動導入が流行しているのも、ある意味納得できる。私も過去の記憶が無かったら、手動導入はできなかったろう。
逆にいうと私のようなオールド天文ファンには、過去の経験という蓄積がある。オールド天文ファンの意地にかけても、自動導入など使うものか。私は昔ながらの、天体観望の職人でいたい、そう思った夜だった。
|