釣りと私

1.釣り事始め

  30代の始め頃の私の趣味はオートバイだった。たかだか250ccのものだったが、これであちこちにツーリングに行った。北海道にも2回ほど行き、かつて無かったほどの興奮と爽快感を味わった。しかし日曜のたびに遠くまで出かけているほどの暇も無い。日曜の多くは近所を散歩するといった感覚で走りまわっていた。

 ちょうどその頃、近所の海に広大な埋立地が完成しつつあった。そこへオートバイで乗り入れた私はその広大さが何となく北海道に似て見えたので、そこがすっかり気に入った。何度となくその埋立地に行くようになった。

 その埋立地の端は護岸となって海に面している。そこでは多くの釣り人たちの竿が林立していた。子供の頃は釣りをしたことがあるが、大人になってからは釣りのことなどすっかり忘れていた。しかし、釣りの風景を見ていた私の心の中に閃きが走った。私はこう思った。

こんな所で釣りをして一日中のんびりするのも悪くないな

30を過ぎて独身の男が一人の日曜を過ごすのに相応しい場所を探していた私は、まさにこここそが求めていた場所だと直感した。海を見ながらのんびりするために釣りを始めることにした。

 しかし釣りのことなど何も知らない。とりあえず近所にある釣具屋に行っていきなりこう言った。「××で釣りをしたい。予算は一万円だ」。すると店のオヤジは「投げ釣りがいいんじゃないかね」と言う。投げ釣りなんて言葉を聞いたのは初めてのことだったが、何も分からないのでオヤジに任せて道具をみつくろってもらった。「はい、これで釣れます」と言ってオヤジは道具を一揃い私に差し出した。

 真新しい釣り道具を持ってうきうきしながらその店を出たのは、1985年のゴールデンウィークの良く晴れた日のことだった。 

 

2.そして第一投

 釣り道具を買ったその日から間もなく私は岸壁に立った。ただし全くの初心者であるから何がどうなるか分からない。なるべく人の見ていないところでこっそりとやりたいので、釣り人の多い場所は避けて釣り座を選んだ。本で仕入れた知識をもとに投げ釣りをするのだ。誰からも何も聞いていない。全く未知の世界。どうなることやら。

 投げ釣りであるから、とにかくエサの付いた仕掛けを遠くに飛ばすのである。えいやっと投げてみた。

あ。

うわ。

仕掛けは前に飛ばずほぼ真横に飛んでいった。糸を放すタイミングが早すぎたのだ。その仕掛けが飛んでいくほぼ正面に人がいる。わあああ、当たるぞ、危ねえ!そう思ったが、仕掛けはわずかに顔面を外れて飛んでいき、そして海に落ちた。

 その人はまん丸に目を見開いてこっちを見た。そりゃあ驚くだろう。「すみませーん、流されちゃって」と私は謝った。いくら流れるにしてもそんなに流される訳が無い。私なら「気をつけろ、危ねえだろ!!」と怒鳴りつけるところだが、その人はおとなしい性格らしく、何も言わず黙っていた。やれやれ助かった、でもこりゃあ注意してやらにゃいかんな、と自分なりに反省した。

 それから何度も練習したが、なかなか思うように飛ばせない。まともに投げられるように成るまで随分と時間がかかったような気がする。昔のことなのでその辺の記憶は定かではないが。かなりの期間を要したことは確かである。

 

3.はじめの一匹

 その同じ岸壁に何回か通ったが全く何も釣れない日が続いた。投げ釣りを始めて私はネガカリという厄介なものがあることを知った。いわゆる「地球を釣った」というやつで、海底の岩や貝、ホヤなどに針がひっかかって糸が切れてしまうことが何回もあった。ただ釣れないだけならともかく、このネガカリによって針や糸やテンビンというものがどんどん無くなっていく。私は情けなくなった。

 釣り道具がなくなった極めつけはこれだ。家の近くの岸壁で投げる練習をしていたときのことである。力を込めて思い切り竿を振ったら、なんと!竿の根元の部分がボキリと折れてしまったのである。投げ竿のくせして投げたら折れるとはどうなってるんだ。こんなことってあるのだろーか?
とうとう私は竿まで失ってしまった。さらに情けない気持ちになり釣りをやめようかとまで考えた。

 しかし釣りをしながら岸壁に立って海を見ているときの良い気分はやはり忘れ難かった。もう一度だけやってみることにしようと思い直し、今度は別の釣具屋で一万円以上もする投げ竿を買った。そして初めて釣りの練習をした岸壁に再び通い始めた。しかしやはり何も釣れないことに変わりは無かった

 通い始めて何回目のことだったろうか。その日は曇っていて風が強く波立っていた日であると記憶している。例によってネガカリで力糸まで失った私はオモリを軽いものに変え、そーっと投げてみた。間もなく反応があった。竿先がぴくぴく動いている。リールを巻いてみると25cmくらいの見たこともない魚がぶら下がって来た。遂にやっと遂に釣れたのであった。私は「釣れた!釣れた!」と誰も居ない岸壁で騒いだ。踊りまわった。

 しかしこの魚は何だ?魚屋で見る光った体の魚とは違って、汚い斑模様がある。もしかしたら毒があるかも知れない、やたらに触らないほうがいいな、と考えた。そのとき地面に落ちていた仕掛けセットの紙が目に入った。この紙には「キス・カレイ・アイナメ」と書いてあって、3種類の魚の写真が印刷してある。キスとカレイは知っているがアイナメは知らない。いま釣れた魚はまさにこの紙に載っているアイナメの写真と同じである。そうか、これはアイナメだ、これなら食える、こうして最初に釣れた記念すべき魚はアイナメであることが判明した。  

 

4.そして釣りバカへ

  最初の一匹を釣ったあと、まともな魚を釣ったときのことは覚えていない。その後しばらくは大したものは釣れなかったのじゃないかという気がする。しかし、釣れようが釣れまいが釣りをしている時間は本当に気分が良かった。夏ごろには投げる技術も向上し、いよいよ他の釣り人がたくさん居るメインの釣り場に入っていった。

 その頃になると私の生活は全て釣りを中心に回転するようになった。同僚を釣りの世界に引きずり込んだり、職場の机の上に釣りの本をずらりと並べるようになった。名実ともに私は釣りバカであると自他ともに認められるようになっていった。

 その後数年して封切りになった映画「釣りバカ日誌」のキャッチコピーは「仕事がなんだ、出世がなんだ」というものであったが、当時の私はまさにそんな心境だった。そもそも職場全体がぶったるんでいる所に勤めていて、こんな面白い趣味をみつけてしまっては、ますます仕事に身が入らなくなるのは当然である。職場にに勤務している平日は、週末を待つだけの退屈な時間となった。

 釣った魚ははじめは母に捌いてもらっていたが、どうも母にはうまくできないようなので、やがて自分でやるようになった。包丁を売っている店に行って、出刃包丁と柳刃包丁を買い、ついでに砥石も買った。魚料理の本とビデオを買い、捌き方を一生懸命に覚えた。本当に魚料理に凝る人は色々な料理方法を工夫したり、包丁にこだわったりするのだが、私はそこまではいかなかった。はじめから釣ることだけが楽しくて、食うことにはあまり拘っていなかったからである。今でもそれは変わっていないが、例外がひとつだけある。アジだ。これだけは釣りたてを食うと本当に美味い。アジだけは食うことを目的にして釣る。だが、そのアジも以前ほどは釣れなくなった。寂しいことである。

 

5.現在の釣りと私

 釣りをはじめて17年が過ぎた。腕は上達したのかどうかは判らない。年によって釣果がもの凄く違うので、釣れる釣れないが自分の腕のせいなのかどうか判別できるほどには釣れないからである。

 だが、これだけ長い間釣りをしていると、釣りを始めた頃の熱狂はさすがに無くなった。以前は雨でも、暑い真夏の昼間でも、さらには凍えるような真冬でも釣りをしていたが、今ではそういうことはしない。快適な時間が味わえるある特定の時期に集中して釣りをしている。もともと怠惰だった私の釣りがさらに怠惰になった。根性無し釣り師の見本になった。今では本当に自分が行きたいときだけ行くようにしている。

 17年の歳月を経て、自分の人生の中に釣りというものがうまくスッポリと収まったような気がしている。しかし、釣りが私の人生に不可欠のものであることは変わらない。いまでも仕事より釣りのほうが大事である。ただ金も大事なので仕事は普通にやっている。嫌だが仕方ない。金のためだ。

 いつまで今の釣り場に通えるのか分からない。歳をとって体が不自由になったら、あそこまでは通えない。多分そのときはもっと家の近くの海で、小魚と戯れるようになるのだろう。だが、そうなっても釣りはやめないつもりだ。

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