わたしの釣り場

私はどんな場所で釣りをしているのか

 私の海は家の近くにあった。私の生まれ育った町はかつて漁師町だった。海岸が家のすぐ近くにあり、大きな建物も無かったその頃は、窓を開けると波の音が聞こえたものだった。

 また、この海岸は海水浴場として栄えていた。海の家が海岸線に沿っていくつも並び、夏は水着で町の中を歩くことなど当然のことだった。海岸はきれいな砂浜で砂は真っ白だった。海岸の近くには松の木が並んでおり「白砂青松」という語はここから生まれたのではないか、と思っても不思議ではないほど美しい砂浜だった。

 いまこの松の木の残りが、私のクルマを置いてある駐車場の敷地内に何本か残っている。松脂がクルマを汚し、落ち葉がボンネットに降り積もっているが、私はこの松の木に昔日の名残を見出しているから、少しも迷惑だとは思わない。この松の木こそ、昔の海岸の唯一の残骸であるから。初めてこの松の木を見る人は、その巨大さに驚くだろう。何十年も生きてきたこれらの松はいまや見事な巨木となっている。

  私が高校生の頃だったのだろうか。何時の間にかこの美しい海岸線は北から順に埋め立てられ、広大な工業団地と化していった。その過程を私は見ていない。私の心は長い間海から離れていた。十数年の後、私は変わり果てた故郷の海の姿をこの目で見ることになった。全くあのときの驚きときたら!

 こういうふうにして出来たのが私の釣り場だ。かつての海岸線から何キロも沖まで埋め立てられた。したがって護岸の足元から既に水深はかなりある。4〜5mといったところだろうか。この水深が大物の釣れる第一の原因となっている。普通の海岸では釣れないような大物がここでは釣れるのだ。

 もう一つこの釣り場の素晴らしいところは、海岸線のほとんど全てが公園緑地化されているということだ。釣り場ではなく公園と言ったほうが普通の人にはイメージしやすいだろう。ベンチも吸殻捨てもトイレも水道もある。だから釣り人だけではなく、家族連れや若い(とは限らないが)カップルが散歩やバーべキューを楽しんでいる。

  昔の白砂青松と今の埋立地とどちらが良かったか、と聞かれると困ってしまう。多分、昔のままのほうが良かったのではないかという気もするが、いまの釣り場としてのこの地はそれなりに捨て難いところもある。この埋立地が無かったら、私は釣りと巡り合っていなかったかも知れない。ともあれ今の私にできることは、この現在の環境の中で少しでも自分の人生を豊かにするべく釣りを続けることである。

 何歳までここに通うことができるのだろう。

 なお、寒かったり時間的余裕が無くてこの岸壁まで行けないときは、近くの漁港で釣りをしている。ここは家から2〜3分の近さにあり、そこそこ楽しめる。特に秋はハゼが良く釣れる。

 この漁港も埋立地の先に建設されたものだ。そして埋め立てられた海は、まさに私が子供の頃に遊んでいた場所である。したがってここが埋め立てられ、さらに一方的に立ち入り禁止の看板が立てられたことには強い怒りを感じている。この海は私のものだ。立入禁止だろうとなんだろうと気にしない。この漁港が出来るずっと以前から私はこの海で遊んでいたのだから、私には入る権利がある。まあ法律的には通らない理屈だが、心情はそういうところだ。したがってこの立入禁止のこの漁港も私の大事な釣り場としている。歳をとってもここへは通うことができるだろうから、この釣り場も大事にしたい。

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