2003年8月3日
関東地方も昨日2日にようやっと梅雨が明けた。1日までの悪天候が嘘のように、いきなり真夏の太陽が朝から顔を出し、地表をじりじりと焦がしていた。遅かった2003年の夏がやっと訪れた。今頃になって夏が始まったのなら、今年の夏は短いやも知れぬ。
すぐにでも釣りに行きたいところだが、梅雨明け前までの悪天候と低温で、身体が暑さに慣れていない。いきなり炎暑の中に出ると熱中症になる危険性がある。そこで1日だけ我慢し、今日になって釣りに出ることにした。
私にとって夏の釣りといえばサビキの小アジ釣りをおいて他に無い。夕方にのんびりと投げ釣りをするのも、まあそれなりに楽しくないことはないけれど、大した釣果は期待できない。やはりちゃんとした魚を狙って釣りをするとなれば、小アジ釣りに限るのだ。
昼食に「行列のできる店のラーメン・横浜」を食った。この「行列のできる店のラーメン」シリーズはスープにたいへん工夫をこらして作られてあり、どの製品もつゆは絶品である。しかし惜しむらくは、そこが大メーカーたる日清食品の限界というべきか、麺の出来が良くない。いかにも大量生産で作りましたと言わんばかりの、まるでゴムひもを食らうが如き舌触りはたいへんに気持ちが悪い。食えない訳ではなく、別に気にしない人もいるだろうが、市販生ラーメンに強い拘りを持っている私にとっては、この麺の舌触りはどうしても気になる。唯一「和歌山」だけは細麺のせいか、この舌触りが消え、高い評価を与えられる銘品である。
しかしいつも同じラーメンばかりを食うのも飽きるから、この麺の舌触りは承知の上で今日は「横浜」を食うことにした。この製品のつゆは何とも言えぬ臭みがある。腐臭と言ってもいい。だが美味い。一度口に含むと病み付きになる美味さである。このつゆの美味さゆえにこの製品は食うに耐えられるものになっている。これをもやし、人参、木耳、キャベツ等と一緒に茹で、「ラーメンが旨くなるラーメンチャーシュー」を四枚入れた。五枚にしようかとも思ったが、そこの微妙な差の判断が難しい。そのときの気分によっては五枚でも飽きないが、今日は五枚食うと飽きそうである。そこで四枚でとどめた。たかがチャーシューの枚数だが、ラーメンを最高に美味く食うには、こういう細かい判断も重要なのである。
昼飯を食べてしばらく食休みをしてから、アミコマセを買いに行くことにした。外へ出ると本当に暑い。この暑さの中で釣りをして日射病にでもならないか、と本気で心配してしまうのは永年続いた私の「根性無し釣り師」たる所以であろう。とにかく太平に行ってコマセをひと塊買って、家に戻ってからバケツに水を満たし、そこにコマセを袋ごと入れて解凍し準備は整った。
過去の中で最も最近のデータでは福浦のアジは夕方4時頃から釣れた。そこで3時半頃に岸壁に到着して準備を始めればちょうど良い筈である。3時過ぎに家を出た。
岸壁はもの凄い暑さである。空気が暑いだけでなく、岸壁自体が太陽に熱せられて、ひじょうな高温となっている。そこに寄りかかりながら釣りをするのであるから、これは大変な苦行だ。日曜日だというのに思ったほど釣り人が少ないのもこの暑さのせいだろう。しかし投げ釣りをやっている人はいったい何を狙っているのだろうか。何にも釣れないだろうにな。メゴチでもいいのかも知れない。釣果は関係無く釣りをしたいこともある。
ちょうど私の右隣にもアジ狙いの釣り人がいた。風体から察するにど素人ではなく、そうとう年季の入った釣り師である。よしよし、こいつは面白い。この釣り師がどの程度の腕前か、ちょいと拝見させてもらおう・・・などと直ぐ考える私は嫌な釣り師である。
久しぶりに持ってきたアジ釣りの道具たちの中に、トリック仕掛けがたくさん残っていた。いったい何故こんなに多くの仕掛けを買ったのだろうと、我ながら首を傾げざるを得ない。きっと昔アジ釣りに狂っていた頃に買い込んだものだろう。こんなに沢山の仕掛けを買い込むとは気狂いの所業としか思えない。いったい何年前に買ったものか、それすら覚えていない。昔の情熱の、あるいは熱狂の残骸たちがここに残っていた。
これらの仕掛けの中から適当なものを選び、竿につけているとき隣の釣り人が「うわっと!」と叫ぶのが聞こえた。ふとそちらを見ると、叫び声の理由となる現象が目に飛び込んできた。この釣り人は少々小柄なのでロープ付バケツで水を汲むために、クーラーボックスの上に乗って岸壁から身を乗り出していた。その時にクーラーボックスが後ろへズルッと滑ったためにバランスを崩し、身体がすこぶる不安定で危険な体勢になったのだった。私は「ぶははははは」と笑いたくなったが、ぐっとこらえて溜まった息を咳に変えて吐き出した。「ぐほっほっほっ」と。
さて私も隣の釣り人も準備を終えた。隣の釣り人はすぐに釣りを始めた。私はというと「なあに。そんなに慌てるこたあない。釣りの前にやることがある」そう思ってクーラーボックスからビールを出し、ぐびぐび飲み始めた。久しぶりに海で飲むビール。やはり美味だと思っていたら、目の前で隣の釣り人(面倒なので以後「お隣」と呼ぶ)がいきなり1荷でアジを釣り上げたではないか。もう群れが来ている。すぐに釣らねば。
慌てて仕掛けにコマセを付けて海に入れた。しかし反応が無い。お隣も一回釣れただけで後が続かない。小さな群れが一瞬のうちに通り過ぎてしまったのだろう。
それからしばらくして私にもやっと待望の一匹が来た。すぐに投入しなおすとまた来た。さあいよいよ海が爆発し狂騒が起こるのかと期待したのだが、また後が続かない。この群れもやはり小さかったようだ。
このような状態が何回か続いた。アジはぽつぽつ釣れる程度で、以前のようにワンキャスト、ワンフィッシュなどということは望むべくもない。小さな群れが何回かに分けて通過したに過ぎないようだ。
こんな状態が続くから、必然的にぼーっとして景色を見る時間が多くなる。空はあくまでも青く、雲は純粋に白い。水平線上に霞んだ房総半島、それよりははっきりと見える観音崎やベイブリッジ、などなどかつてはお馴染みだったがこのところ見ることが少なかった景色を見ていると、夏だなあという実感がやっと湧いてきた。日常の生活が多忙を極め、程遠くなってしまった季節感が、ここ福浦の海にはある。やはり夏は福浦でアジを釣るに限る。願わくばもう少したくさん釣れて欲しいのだけれど。
ごくたまに強い引きがあるから何かと思うとまあまあのメバルやカサゴだったりする。私は底を狙っているからカサゴが釣れるということは、タナが合っているという証左である。これで釣れないのはやはり魚がいないということだろう。サッパやイワシさえも少ない。イワシは2尾、サッパに至ってはたった1尾だ。まあこれらはアジ釣りにとっては邪魔なだけだから、居ないほうが良いに決まっているが。
私が釣れた時間にはたいていお隣も釣れている。一度だけ私に今までで一番型のいいアジが釣れて、お隣には釣れなかったことがあるくらいのものである。勝負しているわけではないけれど、お隣の腕前もそこそこ確かだと見受けられる。だから二人ともろくに釣れないということは、やはりアジが少ないのだろう。まだ群れがかたまっていないに違いない。
釣り続けているうちに西日を浴びながらじりじりと熱せられていて、暑さを我慢するのも限界に達した。この夏初めての釣りで、しかも梅雨明け直後である。もっとやっていれば釣れるかも知れないが、もういいや。暑くてたまらん。帰ろう。そう思ったのは5時半頃だった。そして自分の心に正直になった私は、まだやめる気配のないお隣を差し置いて撤収にかかった。
家に帰ってからアジの数だけを数えると12匹だった。感覚的にはもっと釣れなかったような気分なのだが、いちおうツ抜けはしていたことになる。しかしこの程度しか釣れないのでは暑い中を我慢してやろうという気にはならない。やるとしても今度はもっと遅い時間帯にやってみたい。過去に薄暗くなってから型のいいやつが釣れたこともあるのだから。
しかし本当に暑かった。家に帰ってからも身体がかっかと熱く、少し頭痛もした。軽い日射病にかかったらしい。もう五十路だもの。あまり無理はできない。
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