釣り日誌

2007年11月3日(土)曇りのち晴れ
 
 早いものでもう11月である。気温も下がって暖房が欲しくなるような冷たい朝だった。重苦しい鉛色の雲が空一面に垂れ込めていたが天気予報は午後から晴れると言っている。釣行意欲が削がれることは無い。午前中にポイントにアオイソメを買いに行った。休日とあって店内は盛況だ。買うのに少し待たされたがアオイソメ太めを買ってうきうきしながら家に帰った。
 昼飯に「熟成ちぢれ中太めん・本生ラーメン醤油」を食って家を出る頃には青空も見え、日差しも時折さすようになっていた。いざ釣り場へGO!

 休日とあって釣り場は人でいっぱいである。投げサビキ師が多いので、釣り座が空いているように見えても、実はウキが流れてくる範囲になっていることがある。ウキ釣り師の迷惑にならないような場所は限られているから、ポイントを選定している場合ではない。ほぼ受動的な決め方で本日の釣り座を得た。
 前回の釣行で買い忘れた「全遊動式海草テンビン15号」はもはやポイントでは売られていなかったので、代わりに「遊動式バトルテンビン15号」を買っておいた。目の前にポチャリと落とすだけなのにバトルテンビンを使うのは大げさだが、遊動式で15号のテンビンはこれしか店頭に無かったから仕方が無い。
 仕掛けはというと、これも初めて使う「誘光カレイ」というやつだ。どこぞの名人が考案したことになっているが、そんなことを知らずに店頭で一見しただけでこれを手に取った。理由はというと、この仕掛けの雰囲気がかつて自分で自作した仕掛けと良く似ていたからである。この市販仕掛けのモトスをピンクのものに変えて、針のチモトに蛍光フロスを巻けば私が作った仕掛けと全く同じになる。原型はかつて「磯・投げ情報」で見たY氏の自作仕掛けだったと思う。使った結果も悪くはないような気がした。この「誘光カレイ」の威力やいかに。

 今日も長短2本の竿で釣りを始めた。自宅近くでは感じなかった北風が釣り場では強く吹いており、糸があおられてなげにくいこと夥しい。こういうときは投げたときのコントロールが効かないので、狙ったところへ落とすという投げ釣りが私の技量では実行不可能になる。ただでさえ運任せの多い釣りが更に運任せになってしまうが、嘆いてもしょうがない。慌てず騒がずのんびりゆったりとこの快適な時間を過ごすことにして後ろの石段に腰を下ろした。

 南の低空にひと塊の雲がある他は、全天見回して全くの快晴である。全く何も無い青空というのも、普通に生活しているとなかなかお目にかかれない。晴れた空には白い雲がつきものという先入観があるから、いくら青くても全く何も無い空というのは何か別の惑星の空であるかのような錯覚に陥るものだ。やはり白い雲があってこそ地球の空なのだと思いながら、空を見上げていた。

 近くから小さな魚信が来たりはしたが、何も釣れない時間が過ぎていく。ここで重い腰を上げてもう一本竿を出すことにした。3本出しておいて何も釣れないなら、現状の私としては納得のいく結果だろう。これが2本だともう一本出しておけば釣れたかも知れないなどと後悔することもあり得る。ここら辺り、釣りたいという気持ちとかける労力のバランスをどこで取るかということが、釣り師にも決断が求められるということか。

 2時半頃、界隈のの釣り人に遠目にも良型と分かるカレイが釣れた。カレイは釣れるときはバタバタと来ることが多いから、向こうの釣り人に釣れればこちらにも釣れるチャンスが来たという言い方もできる。だが逆に、一つの釣り場でカレイが釣れる確率を考えると、他人が釣ったということは自分には釣れないという可能性も充分にある。前者の結果なら福浦のカレイはひじょうに好調と言えるし、後者ならごく普通の状態である。今日はどちらと出るのか。
 さてそこで2時40分を回った頃、自分の竿のリールを巻いてくると、3本目に出した竿で少しばかりの重さを感じた。だが生体反応のようなものが見られないので、何だか分からないままリールを巻き続けたら小さなカレイが海の底からゆらゆらと姿を現した。こんなサイズでは生体反応を感じないのも当然である。掌でサイズを測ったらまあ21cmというところか。満足できるサイズでは到底ないが、カレイを狙っていてカレイが釣れたのだからボウズは免れたことになる。
 他の釣り人が良型のカレイを釣ったのと同じ時間帯に、自分には小さなカレイが釣れた。やはり福浦の海の中にはけっこうな数のカレイがいるということだろう。

さて、それからはまた自分にも周囲の釣り人にも何も釣れないまま時間が過ぎてゆく。時合は過ぎたと思っているからあまり期待もしなかった。サバが時折ヒットしているのが見えるくらいだ。しかし福浦のサバも好調の部類ではないのか。近年、福浦にサバが戻って来ているようだ。私がここで釣りを始めた20年以上前にはサバは釣れていたのだが、そこからまた暫く釣れなくなっていた。それがまた近年この海に姿を見せるようになった。時には投げ釣り仕掛けにサバがかかったこともあるくらいだから、けっこういるのだろう。回遊魚も底生魚もこの海で泳ぎ回っているようだ。秋の福浦はいままさに豊饒。

 3時半を過ぎたあたりから私の右側にトリックサビキの釣り人が入っている。が、サビキ仕掛けにかかるのはウミタナゴばかりだ。しかもタナゴは要らないと見えて釣るそばから海に放り投げている。猫にでもやれば良いのにと思っていたが、そう言えば福浦の猫たちが今日は全く姿を見せない。釣れていると猫が後ろに寄って来ることが多いのだが、その猫も全く見えない。だが、猫以外の生物がこのタナゴに目をつけた。それは鳶である。この放り投げられるタナゴを海面で捕獲するべく目の前の海で急降下を繰り返し始めたのである。普段は高空で舞っている鳶だが目の前に降下して来るとかなり巨大である。そのうちタナゴを狙う鳶は4〜5羽にまで増え、すぐ頭上で旋回していた。あんな巨大な鳶の嘴で頭を突付かれでもしたら災難もいいところであるから、落ち着いて釣りができない状態になった。サビキの釣り人はニヤニヤしながら鳶の相手を楽しんでいるようだが、こちらはそれどころではない。全く釣りに来ると何が起こるか分からない。

 4時が近くなった。私は頭上に鳶を従えたままだが、そろそろリールを巻く時刻である。その中で30mくらいに投げた竿を巻こうとしたが、途中から全く巻けなくなった。この距離でネガカリすることは全く無い訳ではないが極めて稀である。その稀な事態が発生した。しかもかなり強力なネガカリである。糸を巻けるだけ巻いてから、竿を真っ直ぐにして引っ張ってもなかなか外れない。せっかく新しく糸を取り替えたばかりなのに、高切れをするのは嫌だが外さない訳にはいかない。何度か試みても駄目なので、切れてもいいやと覚悟して思い切り引っ張った。

               外れた。

 幸いにテンビンらしき重みは感じることができる。恐れていた高切れは回避できたようだ。それだけで充分だ。そう思ってリールのハンドルをぐりぐりやると更に重い。ネガカリが切れたあとだから、どうせホヤか貝の塊がくっ付いたに決まっている。気にせず、海も見ず目は景色を見たまま、何ということも無しにぐりぐり巻き続けた。仕掛けが足元近くに寄って来る。と、ここで竿を持つ手に「ぶるるん」という振動を感じた。ん?生き物?そう思う間も無く隣の釣り人が「カレイだ」というのが聞こえた。驚いて海を覗き込むと波間にカレイの白い腹が見えるではないか。私はいきなり慎重になった。いつものように勢いを付けて抜き上げたら鳶にさらわれるかも知れない。トンビに油揚げならぬ、トンビにカレイのような悲劇は避けねばならない。私は鳶に気付かれないように、そーっと海面からカレイを上げた。
 今年の中では最も大きなカレイが地面に横たわった。だが一見してさほどの型ではないことが分かる。これもメジャーで測るほどの代物ではない。掌で測ったらざっと25cmというところか。まあまあのサイズとしか言えないが、これで納得できた。今日はこれで充分だ。
 カレイの食った仕掛けを見ると枝針がネガカリしていたらしく、ここが切れて無くなっていた。「誘光カレイ」仕掛け、いいじゃないか。





 しかしカレイ釣りに来てこの確率で複数のカレイが続けて釣れたということは、私の記憶の中でもそんなには無いことである。あくまで「たまに」大物が釣れるというのがこの海の魅力であったのだが、今年は大物を望まなければ比較的簡単にカレイが釣れるように思える。やはり好調なのか。

 それから1時間ほど釣りを続けたが、帰り際に遠くからキスが来ただけだった。日の暮れるのもすっかり早くなった。秋の陽はつるべ落とし。あっという間に暗くなるのでぼやぼやしてはいられない。帰ると決めたら早く帰るに限る。私は懐中電灯を持っていないからどんどん片付けて、そして釣り場を後にした。

 寒くなる前にあと何回ここに来れるのだろうか。

2007年10月13日(土)天気 晴れ             

朝起きると、灰色の空の下に冷たい空気が広がっていた。釣りに行きたくなるような天気ではない。一週間前から今日は釣りに行くと決めていたのに、その決意 が揺らぎそうになった。こういうときの釣り人の心境はなかなか複雑である。釣りに行った場合と行かなかった場合の一日の流れを脳内で比較し、行ったほうが 絶対に良いと決まらなければ釣りに行くことは無い。釣りに行ったほうが絶対に良いかどうかの判断基準は、釣果の有無ではなく快適な時間が過ごせるかどうかである。秋晴れの 週末ならば、屋内で過ごすより太陽の下で過ごしたほうが絶対に快適であるから、天気の良し悪しは釣行するかどうかの決断には極めて重要な要 因となるのである。少なくとも朝の時点では釣行を決意するには天気が良くない、と言えた。雨は降らないにしても屋内での週末も悪くは無いと思わせたのだ。

 しかし、昼が近づくにつれて空はどんどん明るくなり、雲のすき間から青空も見え出した。これならば気持ちもどんどん盛り上がっていく。11時頃には釣行 意欲を失わせるものは何一つ無くなった。昼飯に「名人おすすめのラーメン・濃厚みそ味」を食べてから釣りの準備をし、午後1時を過ぎたあたりに家を出た。 風のように釣り場へ向かって飛んで行った。既に日差しもありこれからの快適な時間は約束されたも同然だ。これで釣果が伴えば最高の週末となるのだが、それ はまあやってみないと決まらない。

 釣り場に着いてみると、一見して先週よりは釣り人が多い。投げ釣りと遠投ウキ釣りの人が半々くらいの割合でいる。しかし釣り座を余裕で確保できるくらい のすき間はある。実績のあった釣り座が空いていたので、そこへ店を広げることにする。店を広げだして失敗に気付いた。先週の釣行の際に、最後の一つ だった全遊動式海草テンビンをネガカリで失ったので、それを買わねばいけなかったのに買うのを忘れていたのだ。この全遊動式海草テンビンは近くの距離から のダイレクトな魚信を楽しむには必需品である。それを忘れてしまったとは残念だ。だが、代わりになるものはたくさん持っている。釣り味は落ちるが今日の 近距離は15号ジェットテンビンでやってみようと決めて、3mの竿にはそれをセットした。3.9mの竿はいつも通り25号のバトルテンビンでいく。先週の 残りのアオイソメを先に消費してしまうことにしてそれを針に付け、いつものように2本の竿を投げた。本日の釣りが始まった。

 投げてすぐ3mの短い竿に小さな魚信があった。先週と同じような展開だ。だが竿先が入らないので放っておく。もしかしたら小さな魚が付いているかも知れないが焦ってリールを巻くのは禁物である。

 15分ほど待ってからリールを巻き上げる。確かに何かくっついている。海面から木の葉のような形をした魚がヒラヒラしながら上がってきた。極小のカレイ である。小さいがとにもかくにもカレイである。久しぶりにカレイが釣れたので感慨もひとしおと言うものだ。確かにカレイはいる。普通ならリリースするとこ ろだが、針を外すときに大きく傷つけてしまったので猫のエサにキープすることにする。だがビクを出すのは大げさだと思い、ビニール袋に入れた。もう一匹何 かが釣れたらビクを出そうと思った。

 空はすっかりと晴れ渡り、白い筋雲が何本も浮かんだ光景は見ていて飽きない。まさにこれが高く澄んだ秋の空だ。陽光を浴びながらこのような空を頭上にい ただき竿先を見つめる、これこそが快適な時間だ。沖を金沢漁港で見慣れた遊漁船が白波を蹴立てて走っていく。何を釣りにどこへ向かうのか。

 私の左隣にはウキ釣り師が二人いる。眼鏡をかけたインテリリーマンふうの男と、いかにもヤンキーな兄ちゃんという妙な組み合わせだ。揃いの仕掛けを使っ ているから、今日ここで知り合ったふうでもない。会社の同僚か。そのインテリふうの男の竿先がしなった。少しの格闘のうち、ここで釣れるにしては良型のア ジが上がってきた。秋のアジは丸々と太って美味そうだ。

 その更に左には投げ竿を4本も並べてウェスタンふうのお洒落なベストを着たおじさんがいた。ある時、その人が一本の竿に飛びつくのが見えた。大物がかかって 竿が引き込まれそうなときにああいう動作になる。リールを巻くとその竿先が何度もガツンガツンとしなった。魚が当たっているらしい。それを見ていた件のヤ ンキー兄ちゃんが「アイナメだ!」というのが聞こえた。何?アイナメだと?やはり沖にアイナメがいたのか。先週の私の予想が当たったらしい。
アイナメの大物ならタモの助けがいるかも知れない。私はそこへ駆け寄ってアイナメのサイズを見極めようとしたが、それより早くその釣り人は魚を海から引き抜いて しまった。30cmは超えてるが35cmは無いアイナメが地面で暴れていた。まあタモが無くても大丈夫なサイズか。だがこれほどのアイナメはここでは久し ぶりだ。かつてはいくらでも釣れたが、最近はめっきり見なくなっていた。「おめでとうございます」とそのおじさんに声をかけた。「竿を持ってかれそうに なっちゃって」とおじさんは答えた。やはりそうだったのか。

 さて、2回ほどエサを付け替えて投げたら、先週の使い残しのアオイソメは死んだものばかりになってしまった。置き竿のほうには今日の新しいエサを使うと して、死んだエサも使おうと考えた。置き竿にはこれは使えないから、自分でエサを動かす釣りをするしかない。そこでさっき見たアイナメからヒントを得た。 さっきのアイナメは少し沖目から釣れたが、沖にいるということはヘチ付近にもいる可能性があるということだ。そこで昔よくやったアイナメの探り釣りをやる ことにした。アイナメを高確率で釣るなら置き竿より絶対にこの釣りかたがいい。
 やりかたはというと、竿は2.4mのコンパクトロッド、それにナツメ型オモリを中通しにしてサルカンを結び、その先に糸付き針を結ぶ。エサを付けたら岸 壁からひょいとアンダースローで近くに投げる。アタリが無ければ竿をしゃくって別の場所へ落とす。こうして岸壁の付近を点々と探る。底にアイナメが居れば 絶対に食いついてくる。要するにアイナメのいるところへエサを落とせばどんな釣りかたでも釣れるのだ。

 こうして探り釣りを始めたらすぐにコツンコツンと竿先に魚が当たった。久しぶりの釣りかたなので腕が反応しない。だが魚のほうからゴンときた。世話のな い魚だ。こういう○○な魚は、と言えばこれも久しぶりの小さなカサゴだった。ヘチにはカサゴも戻ってきたのか。かつての福浦の海が戻ってきつつあるとした ら嬉しいことである。これも猫のエサにキープすることにして、やっとここでビクを出して海に沈めた。ともあれ思惑通り、死んだエサで魚が釣れたことにな る。

 間もなくまたカサゴがきた。だが後ろで猫の声がする。見ると鯖模様の猫がこちらを見ている。おお、お前いいところに来たな、そう思ってカサゴを放ってや る。だが暴れたカサゴに恐れをなしたのか猫はためらっている。そのうち同じような模様をした別の猫が来て、そのカサゴをさらっていってしまった。さっきの 猫は途方にくれたように見える。見えるだけで、本当のところは知らない。だが良く見るとこの猫は妊婦である。可愛そうだからまたこの猫のためにカサゴを釣 るつもりで探り釣りを再開した。

 また直ぐにコツコツとアタリが来た。3回目だからもう慣れた。咄嗟に腕は竿先を送り込んだ。竿の抵抗を無くして魚に警戒心を失わせねばならないのだ。ま た小さくコツコツ。また竿先を送り込む。そしたら竿先に大アタリがガツンときた。ビシッと合わせるとのった。むう。カサゴより強い引き。顔を出したのは小 さなアイナメだった。やはりヘチ近くにもアイナメがいて、狙い通りにそれを釣った。だが21cmほどの小ささでしかも色模様がここで初めて見るパターンで ある。海草帯にでも隠れていてその保護色か。模様はクジメに似ているが尾びれの先が真っ直ぐなので、間違いなくアイナメである。これはうちの愛猫にくれて やろう。カサゴはまだ釣れるだろうから、さっきの妊婦猫にはそれをやればいいだろう。そう決めてアイナメはビクに沈めた。

この釣りはこのあとカサゴ2尾とダボハゼ2尾を追加して、それを全部福浦の妊婦猫に食べさせてやった。
 
 4時近くまでやった探り釣りは疲れたのでやめた。同じ竿のナツメオモリを8号ジェットテンビンに付け替え、アオイソメのでかいのをつけてぶん投げておい た。こんなライトな竿と小さなリールのタックルに大物がきたらどうしようかと余計な心配をした。釣りは何が起こるか分からない。

 4時を過ぎて残り時間は少なくなる。もう後2〜3回投げたら終わりだな、と、そんなことを考えながら3mの竿を巻くと少し重い。海面を良く見ると泳ぐ魚に つられて糸が左右に動き回っている。だがアタリは見ていないので魚だと分からないまま巻いてしまう。来たのは木っ葉と手の平の中間くらいの小さなカレ イだ。今日のカレイはどれも小さいな、と不満であるが釣れたのだから贅沢な不満だろうか。これもキープする。小さいものばかりとは言え、ビクの中は久しぶ りの盛況に見えて嬉しくなってしまった。

 次にコンパクトロッドの小さなリールを巻きにかかる。これはついでに投げたようなものだから期待は全くしていなかった。だが、巻いてみると抵抗がある。 魚と言う確信が持てないまま巻いてきたが、近くで良く見るとこれがまた泳いでいる。糸の動きを見たらそれが分かる。海面に突き刺さったピンクの糸が右へ左 へ往復している。リールが小さくて非力だからあまり早く巻くことができない。だから余計に魚の動きが良く現れるのだ。そうしているうちにようやっと魚が上 がってきた。何と今日の中では一番まともなサイズのカレイではないか。久しぶりに竿先を下げながらリールを海面一杯まで巻き、竿ごと魚をごぼう抜きにし た。岸壁を飛び越えてカレイが着地した。メジャーではかるほどのサイズではないので、手の平をあててはかってみる。24cmくらいだろうか。これ1枚なら 満足しないが、3枚目でこのサイズだからここ数年の不調を考慮したら上出来と言っていいだろう。
 ビクの中はますます盛況である。このカレイが加わったことによっていかにも「釣れた」という雰囲気がビクの中に漂うようになった。本当に久しぶりの盛況だ。


 

 

 

 

 

 

このカレイの後は遠くからアナゴが来ただけでまともな魚は来なかった。見える範囲では、ここで書いた魚以外は周りでも釣れていなかった。いつもならこの 時期、ここでよく見たタチウオ釣り師も今年は全く見ていない。釣れていないのだろうか。スーパーでは小柴産の太刀魚というのはたまに並んでいたりするのだ が。
私はかつて秋の福浦を「豊饒」と比喩したことがある。今日の海の様子を見る限り豊饒が復活しつつあると言える。アイナメとカレイが釣れて、ヘチにはカサゴ がたくさんいる、これは間違いなくかつての豊饒の福浦である。今後はどうなるか分からないと言え、期待できる状況であると言っていいだろう。

 

2007年10月6日(土)晴れ

 久しぶりに釣りに行くことにした。長かった夏もようやく影を潜めて、空気は秋の気配を一杯に湛えて私を海へと誘った。今年もカレイのシーズンに入っているはずである。

 釣りも長い期間の空白があり、ましてやカレイを釣ったのが何年前かなどとうに忘れた。記録を調べればいつのことかは分かるのだが、分かったところでカレイが釣れるわけでもない。いつから釣っていないかということは忘れたままでいいのだ。だから忘れておく。
 エサは午前中にポイントで仕入れた。アオイソメが9月下旬から値上がりしたそうだ。だがたまの釣りだから、エサ代をけちることはしない。アオイソ太いの100g計1050円也で買った。

 1時過ぎにバイクで家を出て釣り場に向かう。着いたら驚いた。釣り人が少ない!こんないいシーズンなのに、この過疎っぷりはいったいどうしたことか。ま して3連休の初日だ。もっと人が多くてもいいのではないのか。横浜の釣り人たちはどこへ行ったのか。もっとも三連休の場合は中日が混む、というのが長年こ こで釣りをして得た経験則でもある。明日はもっと多くの人で賑わうかもしれない。

 適当な場所で釣りを始めようと思い店を広げ始めたら、左隣の釣り人が何か言う。聞いてみると、どうもその釣り人の仕掛けがこっちへ流れて来るらしい。釣 り人の左のほうでやってくれという。まあ別にかまわないので移動することにしてやる。「すみませんね」と言うので「気にしない気にしない」と答えた。気持 ちよく釣りをすることが一番だ。

 久しぶりの釣りでもあり気合も入らないので、今日は長短2本の竿だけでやることにした。いつもは3本でやっていたからこれは1本少ないことになるが、今日の私には2本くらいがちょうどいい。

 竿を伸ばしてリールを取り付け、さらにテンビンをつけようとして一瞬ためらった。糸の結び方を忘れた、と思った。しかしかまわずやってみると、何と手の ほうが勝手に動く。頭の中に何も思い浮かばないのに、指先がするすると動いてしまう。あっと言う間の完成である。これには我ながら驚いた。こういうのが本 当に「身についている」ということなのだろう。
 かくして投げる準備はできあがり、3mの竿は軽く手前へ、3,9mの竿は少し沖目に投げた。カレイを釣るには飛ばさないほうがいい。
 
 久しぶりに3号地のコンクリート椅子に腰かけていい気分になろうとしたら、何とすぐに3mの竿にアタリがきた。カレイではないもう少し小魚っぽいアタリ だ。リールを巻いてみると、これが思いのほか引きが強い。久しぶりに魚の生体反応を楽しみながら水面に魚を上げたらカワハギに見えた。陸へ上げてみるとウ マヅラハギである。ここでカワハギを釣ったことはあるが、ウマヅラはたぶん初めてではないか。記憶が定かではないので断言はできないが。

 その後、この竿にはダボハゼ、フグが立て続けに来た。久しぶりに釣りに来て、こうも簡単に魚が釣れてしまうのは嬉しい。たとえ雑魚とは言えど、である。釣れないときは雑魚一匹釣れないのが三号地の釣りの厳しさである。まだ雑魚が釣れるだけましじゃないか。

 しかし、潮が止まってからは何も釣れなくなった。そこで久しぶりの海の景色を楽しむことにして、いよいよ私はのんびりモードに入ってしまった。ここ福浦 でも秋らしい気持ちの良い風が頬をなでていく。暑くも無く寒くも無く、ちょうどいい気温だ。こういうときは煙草が吸いたくなる。海で吸うタバコは本当に美 味いものだ。だが私はもう何年も煙草を絶っている。吸いたいが絶っているのである。だからまた一本でも吸ったら元の木阿弥になってしまうことは火を見るよ り明らかだ。よって絶対に吸わないのだ。

 釣りに来ないここ数年間でも、バイクの散歩でこの釣り場にはしょっちゅう来ている。だから別段に久しぶりの景色ではないのだが、釣り糸を垂れながら見る 景色はやはり違う。海の中に魚の存在を意識しながら見るのであるから、目の前にある景色の持つ意味はまるで違ってくる。そういうものだ。

 遠めに投げた3.9mの竿には貝殻のようなものが2回くっついてきた。以前はこの場所ではあの距離からこんなものが釣れたことは無かった。貝殻の塊は もっと北側の水深の浅い海からは何度も釣れ、またネがかりの原因ともなっていた。この釣り座から貝殻隗が釣れるということは、今年も台風が海の底を激しく かき回したということか。だがこういうものがあればアイナメが居ついてもおかしくない。もう少し季節が進んだらアイナメの存在の是非を確認してやろう。楽 しみが増えた。
 
 そのアイナメの前に、きょうカレイが釣れれば良かったが生憎カレイは釣れなかった。釣れなくても久しぶりに釣りをして快適な時間を過ごすことができた。無駄な時間ではない。5時までやって家に帰った。
2004年11月20日

 先週末は絶好の釣り日和だったが釣りに行かなかった。何故かというと、金曜日にあまりに素晴らしく美しい星空が見れたので、それで心身ともどもリフレッシュし、釣りに行く必要が無くなったからだ。要は週末に疲れが癒されれば、手段は何でもいいのであって、それが以前はたまたま釣りであったに過ぎないということだ。まあ、そうは言っても、釣りには多くの感動とドラマを経験させてもらっている。これからも、ゆっくりとしたペースで釣りは続けたいと思ってはいる。

 今日は午前中は快晴だったが、午後になって少し雲がでてきた。しかし、暖かいし何より風が無いというのがありがたい。昨晩は星も見れなかったことだし、この週末は釣りでリフレッシュすることに決め、いつも通り午後1時過ぎに家を出た。

 釣り場に着いてみると、思いのほか釣り人が多い。しかも投げ釣り師が急に増えている。こりゃあカレイが釣れだしたかな、と期待をしてしまう。ついこの前までは、投げサビキでサバを狙っている釣り人はいたが、投げ釣り師は私の他にはほとんど居なかったのだ。

 混んではいるが釣り座は確保できた。準備をしているとき、腕時計をして来なかったことに気が付いた。いつもは時計を見ながらリールを巻く時間を決めていた。それが今日は不可能になった。失敗したと思ったが、最近の私は思考が楽天的になっている。そのとき私は、こう考えることにした。

 今日は勘だけでリールを巻く時間を決めよう。そもそも15分待ってリールを巻くというのは、自分が始めた釣りのサイトで、他人に釣り方を説明するために考えたことだ。他人に説明したことによって、自分もそのやりかたを踏襲するようになってしまった。だが、真実は違うのだ。そもそもカレイを釣り始めた頃は、適当な頃合を見計らってリールを巻いていたに過ぎない。そうしているうちに、カレイを釣るにはかなり長い時間待ったほうが良いことに気付いた。それを他人に説明するために「最低15分は待って下さい」などと書いただけのことだ。自分の勘が信じられるのなら、別に15分に捕われる事は無いし、待てるのなら20分でも30分でも釣れるまで待てば良い。テキトーにやればいいのだ、どうせ遊びなんだから。

 そんな気持ちになって、気楽な心境を得た。のんびり寝転びながら、空の表情豊かな雲を眺めたり、遠くの景色を見ながら過去の追憶をたどったりしながら時間をやり過ごしていった。そんな時間がずうっと流れたまま4時半頃になった。まだ何も釣れていない。

 遠めに投げておいた3.9mの竿の先に確かに魚のアタリが来た。ぐぐぐっと何度も軽く引かれている。しかし食い込むまで待つ。いいかげん待って、明らかに竿先が引き込まれたのを確認して、一発合わせをくれてからリールを巻き始めた。む、重い。確かに魚がのった。と、喜んだのもほんの一瞬だった。パチン!という音とともに、竿先が天を仰いだ。道糸が竿先の近くからぶった切られていた。

 まともな道糸をぶった切られたのなら、まあ仕方なかったと諦めもつく。だが、そうではないのだ。全く不運な理由により、この糸は切れたのだ。理由はこうだ。

 私の使用しているリールたちは、どれも20年近く前から使用しているオンボロであり、ラインローラーが錆びついて回転しなくなっている。ローラーに注油しようとしたこともあるが、そのローラーを止めるネジまでが錆びついていた。こうなるとお手上げであり、何もできない。したがって何度も巻かれた道糸は、回らないローラーとの摩擦で表面がボロボロになり、強度が著しく落ちていた。もう何年も交換されていない糸は、限界に達していたのだろう。その限界を超える魚がかかっていたということだ。全く何としたことだ!

 魚はカレイに違いないと思っていたから、私は茫然とした。続いて深い悲壮感が襲ってきた。奈落の底に落とされた気分だった。リールがこんなでは、もう釣りはできない。これを機会に釣りはやめようとまで、その時は思った。

 泣きたくなる気分になったので、すぐに帰ることにして他の竿も片付けようとした。次に巻いたのは隣にあった3.6mの竿だ。しかしこいつを巻いていたら途中から急に重くなった。オマツリだと直ぐに分かった。もう薄暗くて良く見えないので、とりあえず巻いてしまえと重い、テンビンがつかめるところまで巻いた。確かに、他人のものと思われる糸が引っ掛かっていた。

 ところが不思議なことに、この糸を手でたぐりよせてくると、一方の端が切れている。こりゃ他人の糸を切っちまったかな、いや、悪いことをしたな、と思い、周りを見回すとどうもおかしい。私の竿とオマツリするような竿は立っていない。オマツリするような位置には誰もいないのだ。

 そこで私は閃いた。これは今切れた私の糸だ!切れた自分の糸がひっかかって来たのに違いない。何という奇跡。こいつをたぐりよせれば、きっと糸を切った魚に会える。そう考えて糸をたぐる手を早めた。ワクワクした。

 そして遂に魚が姿を現した、が、あれえ・・・。カレイではない。でかいアナゴである。しかし私はがっかりするより、むしろほっとした。自分がばらした魚はカレイではなかったのだ。その事が分かって逆に安堵の念を覚えるという不思議な気持ちになった。それが嬉しかった。これで泣かないで済むじゃないか。地面の上で暴れている50cmオーバーのアナゴを見ながら、私の顔はにこにこしていたに違いない。

 今日は釣果としては大したことは無かったが、すごいドラマになった。いや面白かった。やはり釣りはドラマだ。釣りは何が起こるか分からない。そんな気分になったのも久しぶりだ。

 しかし、これからも釣りを続けていくならば、最低2つのリールを買い換えなくてはならない。2つともラインローラーが回転しないから、こんなアナゴがかかったくらいで切れてしまうようでは、35cmくらいのカレイの引きには耐えられない。危なくて使えたものではない。

 しかし、来週末はドラゴンクエスト[が発売になるから、釣りには来ないだろう。そうすると次はもう12月になって寒くなる。釣りをするかどうかは何とも言えない。

 リールを新調して再び釣り場に立つのはいつのことになるのか。今の所、すべては闇の中、お先真っ暗、自分でも良く分からん。


 

2004年10月16日

 当日の朝までの天気予報では、午後から晴れるといっていたのに、11時の予報になって曇に変わった。当日の予報もできないとは、全く気象庁は何をやってるのだ、と怒りたくもなる。事実このところの天気予報、ことに週末や休日の天気予報では、ことごとく間違った予報を出している。有名な某巨大掲示板群では、気象庁への怒りが爆発している。一度ご覧になられると良い。面白いし、少しはストレスも解消される。

 曇っているだけではなく、寒くて仕方ない。この秋一番の冷え込みだろう。家にいただけでも風邪をひきそうになる。昨晩は、きょう釣りに行くことを楽しみにして床に着いたのだが、この曇り空と寒さでは、釣りに行く意欲も萎えてしまいそうである。しかし寒いとは言っても、気温は15℃もある。冬に比べたらはるかに暖かい。釣り師がこの程度の寒さに負けてたまるか。気象庁への怒りを堪えつつ釣り支度を終え、午後1時過ぎに家を出た。

 釣り場はまだ2週間前の台風22号の爪痕が生々しく残っていた。打ち上げてきた波に押し崩されたと思しきコンクリートの塊が散乱している。こういうことは以前にもあった。水の力を改めて思い知らされて、その時の光景を想像すると恐ろしくなる。

 ほぼいつもと同じ場所に釣り座をかまえた。随分と久しぶりの釣りだ。自分の主たる興味が魚から星に移って、秋のカレイ釣り以外はやらないことにした。逆に考えると、釣りをする時間が更に貴重なものになったと言える。思い残すことの無いようベストを尽くそう。そう思った。

 北風が少し強いが釣りの邪魔になるほどでは無い。しかしピタリと静止した竿先が、ギュイーンと引き込まれるという図式は今日は成り立たない。ま、釣れるかどうかも分からんのだから、そんなことを考えてもしかたが無いが。

 3本の竿を投げ終えて、あたりを見渡すと、右隣の釣り人が竿と格闘している。かなり慌てふためいている様子で、年季の入った釣り人とは思えないから、半分ビギナーなのだろう。何を釣ったのだと思って見ていたが、魚が寄ってきたらしく、その釣り人は思い切り竿を引っこ抜いた。そんなことしたらばれるぞ、と思ったが、まだ魚は岸壁の向こうにぶら下がっているらしい。釣り人は更に慌ててリールを巻いて魚をこちらに入れた。揚がってきたのはサバだった。投げサビキをしていたようだ。

 私のほうはと言うと、投げてしばらくして遠くからアナゴがくっ付いて来たくらいだ。アナゴが釣れるようでは、投げた距離が遠過ぎる。長いこと釣りをしていなかったので、投げる距離を間違えたようだ。その後は、小メゴチとヒトデくらいしか釣れない。

 が、あるとき餌を付け替えていると、隣に置いてあった竿の竿尻が浮くほどの強烈なアタリがあった。何かでかい魚が食い付いたのかと思って、急いでその竿を巻きにかかった。引きは強烈である。あまりに強烈なので、サメかエイかと思った。しかし近くまで巻いて来ると、魚が走る走る。サメやエイならこんなにすばやく走る筈が無い。いったい何だと思いつつ、しかし冷静にやり取りしながら慎重にリールを巻くと、さほど大きくない銀色の魚体が水を通して見えた。

 こりゃアジかサバだな。まあアジなら嬉しいが多分サバだろう。しかし何だって投げ竿に回遊魚が食いついてくるのか。釣りでは時として不思議なことが起きる。ともあれ、サバなら水から出してしまえば後は簡単だ。カレイなら引き抜くのも慎重になるが、そんな必要も無い。35cm前後のサバが海面から上がって来た。何の感動も無かった。まあ、やり取りは少し面白かったが。

 タオルでサバを掴んで、先ほどサバを釣っていた釣り人の所へ行って声をかけた。
「すみません、サバ要りますかあ? 投げてたら釣れちゃって・・・カレイ狙ってるから、サバは要らなくて」と言うと、その釣り人はびっくりしたように言った。「えっ?!いいんですか・・・おお、こりゃ結構良いサバだ」

 私はその人のクーラーボックスを開けて、自分のサバをそこに入れた。クーラーの中に入っていたサバは、まだ一本だけだった。ははあ、だからこの人は先ほど釣れたとき慌てたのか。貴重な一本だった訳だ。

 その後もずっとカレイは釣れないまま時間が過ぎていった。4時半を過ぎると、潮が満ちてきて波が荒くなり、岸壁を乗り越えて飛んで来るようになった。私はこの荒れ狂いだした三号地の波しぶきを受けるようになると、いつも決まって海が私を拒否しているかのような思いに捕われる。「帰れ、帰れ」と海から言われているような気になる。

 空はだいぶ明るくなり雲も飛び始めた。もしかしたら、今夜は晴れるかも知れない。そうしたら星を見たい。もう釣りはいいだろう。今日は釣れなかったが、釣りだから釣れなくても仕方ない、そう思いだした。

 5時過ぎまで海にいたが、自分の気持ちに正直になって海を後にした。海は荒れ狂ったままだった。


 

2003年10月18日

 働いているウィークデーには見事な秋晴れが続いていたのだが、週末の休みとなった今日の天候は不安定だ。防災情報提供センターのリアルタイムレーダー画像でも、横浜近辺に雨雲の塊が点々と散らばっていた。しかし、塊はいずれも小さい。雨は必ず降るが大雨を降らすような雲ではないし、長時間に亘って降るような雨でもない。なんとか凌げるだろう。そう思って雨具を持って家を出た時に、もうわずかに雨が降り出した。

 明日の日曜は好天になるそうだ。しかし私は日曜には釣りをしたくない。何故ならば次の日に仕事が控えているから、落ち着いて釣りをするような気分にはなれない。私は仕事に対しては強い嫌悪感とわずかな恐怖心を抱いている。所詮、仕事などというものは生活の糧を稼ぐために、不本意ながらやっているに過ぎないものだ。少なくとも私にとってはそうだ。私は職業の選択を誤った。しかしこの歳になっての転職など、今の世相では不可能だから惰性でやっている。惰性でやっても体力と気力が疲弊するのが私の仕事だ。こんな事情から、日曜日は体力と気力を温存しておかねばならない。日曜日は家でのんびりするに限る。釣りになど行ったら疲れてしょうがない。だから釣りはどうしても土曜日にやらねばならない。

 唐宋八大家の一人、蘇軾は「春の夜は一刻が千金に値する」と詠った。同様に秋の福浦は一日が千金に値する。それほどこの時期の福浦の海は、一年の中で最高に価値あるものなのだ。時間に余裕があれば毎日でも釣りに行きたくなる。多少の悪天候をおしてでも私が釣りに行きたくなるのだ。この根性無し釣り師の私が。

 釣り場に人影は少なくないが、かと言って多いというほどでもない。雨が降ってきたから、釣りをやめて帰る人もいる。そんな中で私はこれから釣りをする。いったいこの先、雨はどうなるのだろうという不安と、なに負けるものかという闘志が共存している。

 とりあえずは普通に準備をし始めるが、雨にぬれた指先ではアオイソメがつるつる滑って、うまく針に付けることができない。既に心がいらいらし始める。今日の釣りはじっくり落ち着いてという、私の好きな心理状態ではいられないようだ。つまらない釣りになりそうな嫌な予感が心をよぎる。

 釣りを始めた2時頃はまだ小雨程度といったところで、レインウェアを着ていればさほどの苦痛は感じなかったが、雨がだんだんと大粒になってくると、さすがに雨に打たれているのが苦痛になった。私は松の木の下で雨を避けながら竿先を見続けた。空はすっかりと一面に雨雲で覆われていて、少しの斑模様もない。雲に模様がでるようになれば天候の変化もあり得るが、いつまでも同じ天気だよと言っているかのような空の表情だ。私は悄然とした気分になった。雨はやまないのだ。

 釣り始めてから1時間ほどすると、雨に耐えられなくなって帰ることにした。しかし竿を1本片付けたところで、雨がやんだ。しばらく考えた後、片付けた竿をもう一回セットして投げ直した。そしたらまた雨が降り出した。私は変化の激しい天候に振り回される哀れな釣り師になっていた。が、逆に諦めがついてこのままもう少しやってみようという結論に落ち着いた。やはりこの季節の海を前にしては、そうそう簡単に帰ることはできなかったのだ。

 少し落ち着いた気分になって雨に煙る海の景色を見ていると、過去の雨中の釣りの様々な情景が思い出されてきた。18年間もこの海に通っているから、思い出は数限りない。雨の思い出もたくさんある。いろんなことがあったっけ。そして私も確実に歳をとった。歳をとるということの意味の一つは、思い出を積み重ねていくということでもある。釣りをしている限り、思い出はいつまでも増えていくだろう。今や私には釣り以外には思い出を作れるようなものは無い。仕事で苦労したことなどは、思い出でも何でもなく苦い記憶に過ぎないだろう。人生から抹消したい黒い記憶。

 4時頃になるとようやっと雨が弱くなり、ふと空を見ると待望の斑模様が出現している。小さな乱層雲の塊がいくつか東の空に向かって流れてゆく。雨を降らした雲が東へと去って行く。さらに天候はどんどん回復し、雲の隙間から青空さえ見えてきた。もう大丈夫だ。雨はやんだ。まだ4時だ。勝負はまだできる。急に楽しくなって投げ続けたのだが、何回やっても魚が釣れない。不思議なことに今日はヒトデさえかからない。

 虚しい釣りが続いた。この季節でカレイが釣れないなどというのは、ここ数年の記憶には全く無かったことである。今年は冷夏だったから、あるいは9月が暑過ぎたから、海の中が例年とは違うのだろうか。横須賀あたりではカレイが釣れているという情報は、かなり前に聞いているが、ここ福浦の海にはカレイはいないのか。

 5時近くなって空が薄暗くなってきたので、これは夕方になった為だろうと思っていたが、そのうちにまた雨が降り出してきた。私に釣りを諦めさせるに充分な、かなり大粒の雨が身体を叩き出した。だから私は諦めた。

 4時45分、撤収。全てが虚しい時間と言えないこともないが、こうして大自然と戦うことで自分の心にエネルギーが湧いて来ることだってあるのだ。考えてみれば、熱狂的な釣り師でかつツーリングライダーだった頃は、いつも雨や風と戦っていた。その戦いが自らの中にある野性を引き出し、自らのエネルギーとなっていた。そんな戦いを、今の私はすっかりと忘れていた。いつも快適な時間を求めていたことが、自分の心を弱くしていたとは言えないだろうか。釣りは様々なことを私に考えさせる。今更ながら、釣りという行為の奥深さを知った思いだ。

 しかし、これで来週の土曜日にカレイが釣れなかったら、10月に一枚もまともなカレイが釣れなかったという、私にとっての珍記録ができてしまうことになる。その可能性は充分にある。

 2003年の秋はカレイへの道が果てしなく遠い。


 

2003年10月11日

 10月4日に釣りに行けなかった。この日付の近辺で釣りにいけば、カレイの釣れる確率が極めて高い。過去、私には「10月になって初めての釣行でカレイが釣れなかったことは無い」というジンクスが存在していた。それは10月になってすぐ釣りにいけば、の話であると思っている。

 今日のように10月に入って10日も過ぎてから行くのではなんだか釣れそうもない、そんな予感が無かったわけではない。しかし、ともあれ今日が今年の10月になって初めての釣行であることに変わりはない。それなりに気持ちも昂ぶりファイトに満ちて釣り場に行くという、私としては珍しい精神状態で家を出た。なにやかやで支度が手間取り、時刻は午後1時をだいぶ過ぎていた。

 天気予報では夜から雨と言っていた。頼むから、私が釣り場に行く間は降らないで欲しいものだ。しかし、最近の天気予報は全くアテにならない。自分でインターネットを使って「防災情報提供センター」の「リアルタイムレーダー画像」を見て判断した方がよほど正しい予想ができる。

 今日のレーダー画像はというと、神奈川県上空に雨雲は無いが、南の海上に活発な雨雲の塊がある。この雨雲の塊がいつ福浦上空にやって来るのかは微妙なところだ。いちおう雨具の用意をしていこう。今日の私は「少々の雨が降ってもやる」と、これまた珍しい決意をしていた。

 釣り場に着くと人は少なく、心配していた北風もほとんど吹いていない。とりあえずは釣りをするには絶好の環境である。期待に満ちたこの瞬間が私にはたまらなく楽しい。今日一日の釣りの中でどんな時間が私に訪れるのかは、全く未知である。釣りとはどんなドラマが起こるか全く予想できないゲームである。過去、何度ものドラマがあった。嬉しいものばかりではない。悔しいこと、情けないことだって数限りなくあった。今日はその中のどのような時間になるのか。あるいは全く何も起こらず、無為な時間を過ごすことにだってなるかもしれないのだ。

 カレイ狙いの釣りでいつも使っている3本の投げ竿をセットして、適当な距離に投げ分けた。そこから私の充足に満ちた時間が始まる。煙草は一年前にやめた。だがこういうときの一服は美味いのであることは、知り過ぎるほど知っている。吸いたいな、という気持ちになるが、この一年間でそうしてきたように、誘惑を退けた。

 煙草も吸わないとなると、カレイ釣りでやることは本当に全くこれっぽっちも無くなってしまう。私は後ろにあった木のベンチにごろりと横になって、曇った空を眺めた。一様に薄い雲が広がっているだけで、雲の美しい模様など存在しない。今日の空は見ていてもつまらない。

 時折、目を閉じると気持ちのいい微風が頬をなでる。暑くもなく寒くもなく、快適な温度の空気の流れ。その中に私は横たわっている。この数時間はホームレスにでもなったかのように、ベンチに横たわり続けることに決めた。もちろん、時々はエサを付け替えて投げ直すことだけは、しない訳にはいかないが。

 ある時、3.6mの竿の先が少しだが鋭く揺れた。魚信であることは間違い無いが、これは単に食いついただけの前アタリだろうと思った。竿先がもっと大きく引き込まれる本アタリが出ればしめたものだ。しかし、いつまで経っても竿先は動かない。ほったらかしにしておいて、後で他の竿のリールを巻いた後で、こちらを巻いてみると、12〜13cmくらいの小さなカレイが付いていた。さっきの魚信は、このちっちゃなカレイの本アタリということか。こんな小物に興味は無いので、海に帰した。

 その後はまた何事も起こらない静穏な時間へと戻った。私は相変わらずベンチに横たわり、時々「釣れないなあ」とか「駄目だなあ」とか独り言を言い続ける。周りに誰も居ないのを良い事に、小声ではなく普通の声で独り言を言っている。じじいになった証拠だな、と自分で自分を皮肉った。

 時間はどんどん過ぎ、とうとう5時を過ぎてしまった。潮もきつくなり、またあの岸壁を超える波しぶきが飛ぶようになった。帰れ帰れと海に言われているような気分になり、そうしようかな、と思い始めた5時06分、近くに投げておいた3.0mの竿先が大きく引き込まれた。「わあああ〜〜〜〜」と私は声を出した。今までずっと声を出して独り言を言っていたから、こんなときにも声が出る。

 巻いてみると確かに引きがある。しかしカレイのような重さをまるで感じない。重くもないのにあんな大きなアタリを出す魚とはいったい何なのか。私には見当がつかない。海面近くになってからその魚は、もう一度、最後の抵抗であるかのように底へ突っ込んだ。やはり重くない。そのままゆっくりリールを巻いてから、やっと正体が判明した。そこそこでかいキスだ。私はキスが嫌いだからキスのことは良く知らない。だから解らなかった。

 釣り上げてから大きさを測ってみると23cmだった。キスだから23cmでも大きく見えるけれども、カレイの23cmだったらつまらないものだ。この釣果は曰く言い難い感情を、私の中に引き起こしたが嬉しくないということだけは確かだった。

 その後、間もなくして私は帰途についた。2003年、「10月になって初めての釣行でカレイが釣れなかったことは無い」という私のラッキージンクスは崩壊した。


 

2003年8月3日

 関東地方も昨日2日にようやっと梅雨が明けた。1日までの悪天候が嘘のように、いきなり真夏の太陽が朝から顔を出し、地表をじりじりと焦がしていた。遅かった2003年の夏がやっと訪れた。今頃になって夏が始まったのなら、今年の夏は短いやも知れぬ。

 すぐにでも釣りに行きたいところだが、梅雨明け前までの悪天候と低温で、身体が暑さに慣れていない。いきなり炎暑の中に出ると熱中症になる危険性がある。そこで1日だけ我慢し、今日になって釣りに出ることにした。

 私にとって夏の釣りといえばサビキの小アジ釣りをおいて他に無い。夕方にのんびりと投げ釣りをするのも、まあそれなりに楽しくないことはないけれど、大した釣果は期待できない。やはりちゃんとした魚を狙って釣りをするとなれば、小アジ釣りに限るのだ。

 昼食に「行列のできる店のラーメン・横浜」を食った。この「行列のできる店のラーメン」シリーズはスープにたいへん工夫をこらして作られてあり、どの製品もつゆは絶品である。しかし惜しむらくは、そこが大メーカーたる日清食品の限界というべきか、麺の出来が良くない。いかにも大量生産で作りましたと言わんばかりの、まるでゴムひもを食らうが如き舌触りはたいへんに気持ちが悪い。食えない訳ではなく、別に気にしない人もいるだろうが、市販生ラーメンに強い拘りを持っている私にとっては、この麺の舌触りはどうしても気になる。唯一「和歌山」だけは細麺のせいか、この舌触りが消え、高い評価を与えられる銘品である。

 しかしいつも同じラーメンばかりを食うのも飽きるから、この麺の舌触りは承知の上で今日は「横浜」を食うことにした。この製品のつゆは何とも言えぬ臭みがある。腐臭と言ってもいい。だが美味い。一度口に含むと病み付きになる美味さである。このつゆの美味さゆえにこの製品は食うに耐えられるものになっている。これをもやし、人参、木耳、キャベツ等と一緒に茹で、「ラーメンが旨くなるラーメンチャーシュー」を四枚入れた。五枚にしようかとも思ったが、そこの微妙な差の判断が難しい。そのときの気分によっては五枚でも飽きないが、今日は五枚食うと飽きそうである。そこで四枚でとどめた。たかがチャーシューの枚数だが、ラーメンを最高に美味く食うには、こういう細かい判断も重要なのである。

 昼飯を食べてしばらく食休みをしてから、アミコマセを買いに行くことにした。外へ出ると本当に暑い。この暑さの中で釣りをして日射病にでもならないか、と本気で心配してしまうのは永年続いた私の「根性無し釣り師」たる所以であろう。とにかく太平に行ってコマセをひと塊買って、家に戻ってからバケツに水を満たし、そこにコマセを袋ごと入れて解凍し準備は整った。

 過去の中で最も最近のデータでは福浦のアジは夕方4時頃から釣れた。そこで3時半頃に岸壁に到着して準備を始めればちょうど良い筈である。3時過ぎに家を出た。

 岸壁はもの凄い暑さである。空気が暑いだけでなく、岸壁自体が太陽に熱せられて、ひじょうな高温となっている。そこに寄りかかりながら釣りをするのであるから、これは大変な苦行だ。日曜日だというのに思ったほど釣り人が少ないのもこの暑さのせいだろう。しかし投げ釣りをやっている人はいったい何を狙っているのだろうか。何にも釣れないだろうにな。メゴチでもいいのかも知れない。釣果は関係無く釣りをしたいこともある。

 ちょうど私の右隣にもアジ狙いの釣り人がいた。風体から察するにど素人ではなく、そうとう年季の入った釣り師である。よしよし、こいつは面白い。この釣り師がどの程度の腕前か、ちょいと拝見させてもらおう・・・などと直ぐ考える私は嫌な釣り師である。

 久しぶりに持ってきたアジ釣りの道具たちの中に、トリック仕掛けがたくさん残っていた。いったい何故こんなに多くの仕掛けを買ったのだろうと、我ながら首を傾げざるを得ない。きっと昔アジ釣りに狂っていた頃に買い込んだものだろう。こんなに沢山の仕掛けを買い込むとは気狂いの所業としか思えない。いったい何年前に買ったものか、それすら覚えていない。昔の情熱の、あるいは熱狂の残骸たちがここに残っていた。

 これらの仕掛けの中から適当なものを選び、竿につけているとき隣の釣り人が「うわっと!」と叫ぶのが聞こえた。ふとそちらを見ると、叫び声の理由となる現象が目に飛び込んできた。この釣り人は少々小柄なのでロープ付バケツで水を汲むために、クーラーボックスの上に乗って岸壁から身を乗り出していた。その時にクーラーボックスが後ろへズルッと滑ったためにバランスを崩し、身体がすこぶる不安定で危険な体勢になったのだった。私は「ぶははははは」と笑いたくなったが、ぐっとこらえて溜まった息を咳に変えて吐き出した。「ぐほっほっほっ」と。

 さて私も隣の釣り人も準備を終えた。隣の釣り人はすぐに釣りを始めた。私はというと「なあに。そんなに慌てるこたあない。釣りの前にやることがある」そう思ってクーラーボックスからビールを出し、ぐびぐび飲み始めた。久しぶりに海で飲むビール。やはり美味だと思っていたら、目の前で隣の釣り人(面倒なので以後「お隣」と呼ぶ)がいきなり1荷でアジを釣り上げたではないか。もう群れが来ている。すぐに釣らねば。

 慌てて仕掛けにコマセを付けて海に入れた。しかし反応が無い。お隣も一回釣れただけで後が続かない。小さな群れが一瞬のうちに通り過ぎてしまったのだろう。

 それからしばらくして私にもやっと待望の一匹が来た。すぐに投入しなおすとまた来た。さあいよいよ海が爆発し狂騒が起こるのかと期待したのだが、また後が続かない。この群れもやはり小さかったようだ。

 このような状態が何回か続いた。アジはぽつぽつ釣れる程度で、以前のようにワンキャスト、ワンフィッシュなどということは望むべくもない。小さな群れが何回かに分けて通過したに過ぎないようだ。

 こんな状態が続くから、必然的にぼーっとして景色を見る時間が多くなる。空はあくまでも青く、雲は純粋に白い。水平線上に霞んだ房総半島、それよりははっきりと見える観音崎やベイブリッジ、などなどかつてはお馴染みだったがこのところ見ることが少なかった景色を見ていると、夏だなあという実感がやっと湧いてきた。日常の生活が多忙を極め、程遠くなってしまった季節感が、ここ福浦の海にはある。やはり夏は福浦でアジを釣るに限る。願わくばもう少したくさん釣れて欲しいのだけれど。

 ごくたまに強い引きがあるから何かと思うとまあまあのメバルやカサゴだったりする。私は底を狙っているからカサゴが釣れるということは、タナが合っているという証左である。これで釣れないのはやはり魚がいないということだろう。サッパやイワシさえも少ない。イワシは2尾、サッパに至ってはたった1尾だ。まあこれらはアジ釣りにとっては邪魔なだけだから、居ないほうが良いに決まっているが。

 私が釣れた時間にはたいていお隣も釣れている。一度だけ私に今までで一番型のいいアジが釣れて、お隣には釣れなかったことがあるくらいのものである。勝負しているわけではないけれど、お隣の腕前もそこそこ確かだと見受けられる。だから二人ともろくに釣れないということは、やはりアジが少ないのだろう。まだ群れがかたまっていないに違いない。

 釣り続けているうちに西日を浴びながらじりじりと熱せられていて、暑さを我慢するのも限界に達した。この夏初めての釣りで、しかも梅雨明け直後である。もっとやっていれば釣れるかも知れないが、もういいや。暑くてたまらん。帰ろう。そう思ったのは5時半頃だった。そして自分の心に正直になった私は、まだやめる気配のないお隣を差し置いて撤収にかかった。

 家に帰ってからアジの数だけを数えると12匹だった。感覚的にはもっと釣れなかったような気分なのだが、いちおうツ抜けはしていたことになる。しかしこの程度しか釣れないのでは暑い中を我慢してやろうという気にはならない。やるとしても今度はもっと遅い時間帯にやってみたい。過去に薄暗くなってから型のいいやつが釣れたこともあるのだから。

 しかし本当に暑かった。家に帰ってからも身体がかっかと熱く、少し頭痛もした。軽い日射病にかかったらしい。もう五十路だもの。あまり無理はできない。


2003年5月10日

 ずいぶんと長い間、釣りに行くことが無かった。冬の間は寒くて釣行意欲など起きるはずもなく、その惰性でそのままずるずると春を迎えてしまった。仕事もけっこう忙しくなったり、また他のことに休日の時間を費やして、それはそれなりに楽しかったのだから、自分としては釣りに行かないことについて後悔も自責の念も無い。釣りなどは行きたくなったら行けばいいだけのことだ。

 忙しかった日々もさすがにゴールデンウィークには時間の余裕が少しできた。釣り場も覗いてみたが、物凄い釣り人の数だった。気候としては釣りには絶好のこの時期だが、こと投げ釣りに関する限り、福浦ではろくなものが釣れないのだ。釣れたとしてもキスか小さなカレイというのが、過去の経験による釣果予想である。したがってやはり釣りには行かなかった。

 釣りには行かないにしても釣り道楽はまだあるから、やはりゴールデンウィーク中に、これも久しぶりにポイント金沢文庫店に行った。投げ竿のコーナーを覗いてみると、一時期ここを占領していた粗悪な商品がきれいさっぱりと無くなって、別のものに置き換えられている。しばらく来ない間に店も様変わりしたという訳か、自分も釣りの世界の流行から置き去りにされていたのだな、とあらためて思わされた。

 そんな投げ竿のコーナーの中で一つの商品が私の目を捕らえた。SHIMANOのサーフリーダーという有名な竿が、何やらずいぶんと安い価格で売られている。オモリ30号負荷で4.25mのものが、何と一万円を切りさらに八千円台にまで価格を下げている。以前はサーフリーダーと言えば、私にとっては夢のまた夢という高価な投げ竿であったのに、この低価格はどうしたことか。もっとも同じサーフリーダーという名を冠した商品でも、高いものも未だあるから、これは言わばサーフリーダーの普及版といったところか。しかし、何といってもSHIMANOである。そんなに粗悪な商品を売るようなメーカーでは断じてない。

 この八千円台のサーフリーダーが、その後しばらく気になって仕方なかった。私は遠投に快感を覚え、遠投を主体とする釣り師ではない。どちらかというと誰も狙わないような近距離から良型のカレイやアイナメを釣り上げることを得意としている(アイナメは最近はずいぶんと減ったが)。しかし、遠投が必要なときには遠投ができなくてはならない。ここ数年、私は遠投できる投げ竿を持っていない。以前は持っていたが、長年使っているうちに何度か破損と修理を繰り返したのち、遂にその竿を破棄してしまった。同じ竿を買おうとした時、その商品は既に発売されなくなっていた。

 この5月前後の時期は遠投したほうがいくらかましなものが釣れる。まともな投げ釣りをしたければ、ある程度の遠投が要求される。しかし私は遠投できる竿がない・・したがって釣りに行かない、という悪循環の中にあることになる。そこで私は決心した。このサーフリーダーを買おうと決意した。この竿で遠投を自分の釣りの中に復活させよう、そう考えた。

 今日の午前中にロッドケースを肩にかつぎ、バイクに跨ってポイントに走る。そしてお目当てのサーフリーダーと30号のバトルテンビンを買って帰ってきた。久しぶりにうきうきした。ただしこの時点では、まだ釣りに行こうとは考えていなかった。長潮だからだ。こんなときまともな釣りができるとは思われない。過去の実績からも長潮では釣れないのだ。

 昼飯に「中野本店・青葉」の生ラーメンを茹でて食った。このラーメンは少し前にAコープで見つけたもので、煮干と魚類のダシが実に美味い。それにモヤシ、人参、キャベツのきざんだものを一緒に茹で、薬味のネギをのせ、さらに「ラーメンが旨くなるラーメンチャーシュー」を四枚入れた。これでそこらのラーメン屋のものよりよほど美味いラーメンが安い値段で食えるのだ。「中野本店・青葉」、本当にオススメですぜ、旦那。

 ラーメンを茹でて食ったら、することが無くなった。ダイエーにでも行こうかと思ったが、別に買いたいものは無い。それなら、ものは試しだからサーフリーダーの実力が如何ほどのものか見てみたい気分になった。これでほとんど半年ぶりに私は釣りに行く気になったことになる。そそくさと支度をしてバイクに道具一式を積み、サーフリーダーと3mの竿一本、そして使うはずも無いタモが入ったロッドケースを肩にかついで家を出た。

 福浦の釣り場に着くとゴールデンウィークの喧騒が嘘のように人が少ない。所々にバーベキューなんぞをやっている家族連れが居るには居るが、釣り座はがら空きである。

 今日は使い慣れない竿で遠投の練習であるから、仕掛けがどこに飛んでいくか分かったものじゃない。そんな時、この釣り場のがら空きは実に有り難い。他人とのオマツリの心配をすることなく遠投の練習ができるというものだ。

 新しい竿、しかも私にとってはかなり高価な竿で初めて釣りをするのだ。楽しくないはずがない。期待をするなと言っても無理だ。さっきは長潮だから釣れるわけがないなどと思っていたのに、実際に海を見てしまうと気持ちがころっと変わってしまう。釣りバカのバカたる所以の一つである。

 4.25mの竿というのは実際に伸ばしてみると、予想以上に長く見える。いつも使っている3.9mの竿と大して変わらない長さであるはずだが、いや実に長い。それに30号のオモリを付け、仕掛けとエサも付けていよいよ記念すべき第一投である。

 遠投が得意でないと言っても、これだけ長年投げ釣りをしていれば、キャスティングの形くらいは知っている。その形どおりに投げようと思ってキャストしたその最初の瞬間「う、重い!」と感じた。そして思ったよりも早く糸のテンションが右手の人差し指に伝わった。そのテンションを感じて人差し指を放したときはもう遅かった。

 仕掛けは真正面から左にそれて飛んでいった。糸を放すタイミングが明らかに遅かった。こうなった原因は理屈ではすぐに解る。いつも使っている安物のグラスロッドは反発が弱くて遅い。それに対してこのカーボンロッドは高反発だから、弾性変形してから元に戻るまでの時間が短い。要するに早く反発するから糸をリリースするタイミングも早くしなければならないのだ。

 しかし理屈では解っていることも、実際に身体で実践するのは難しい。その後、何度も何度もキャストを繰り返したが、納得できたキャスティングはただの一度も無い。飛距離も、この竿の性能を活かしきっているとは到底言い難い。失敗したキャストでも、いつも使っている安物の竿を思いきり飛ばしたときくらいは飛んでいる。だがこの竿のパワーを活かしきれば、飛距離はこんなものではないはずだ。これでは以前持っていた遠投竿の飛距離にも及ばない。

 「今度こそ」と思っては竿を振るのだが、どうしてもタイミングが合わない。投げるたびに「難しいもんだな」と思わされる。腕の振りの速度、竿の反発の瞬間と糸のリリース、これらの要素がドンピシャと合わねば、完成したキャスティングは行えない。まだまだ練習しなければ、納得のいく投げ釣りはできないようだ。

 悪戦苦闘した中での釣果は30cmくらいのアナゴが2本だけだった。潮が赤く濁っていたから。真昼間からアナゴが来たのだろう。2本ともサーフリーダーに来たアナゴで、近くに投げておいた3mの竿には何も来なかった。本来ならキスが本命のこの時期だが、針が流線9号では少し大きかったかも知れない。また目でエサを追うキスを釣るには今日の濁りは不利だったかも知れない。

 夕方になって帰る支度をしていると、どこかのおじさんがピンギスを4〜5匹持って歩いていた。キスが釣れた人も居るということか。

 しかし遠投は難しい。やはり私には遠投は向いていないのだろうか。でもサーフリーダーを買ってしまった以上は、何としても技術を身につけたいものだ。まるで釣り初心者のようじゃないか。初めて投げ釣りをして、投げるのに苦労したあの頃に戻ってしまったかのような気になって落ち込んでしまう。くそー、きっと飛ばせるようになってみせるぜい。

 

2002年11月30日

 一口に「釣りに行く」と言っても、実際に釣りに行くにも案外と悩むものだ。釣りに狂っていた昔は、どんな天候だろうとどんなに風が強かろうが、かまわず釣りに行った。しかし趣味の一部としてしか存在感を持たなくなった私の釣りに対する情熱は、もはや昔とは違う。天気や気温や風を気にしながら釣りに行くべきかどうかを悩むのである。

 今日は午前中にちょっと行く所があってバイクで走った。そしたら全く寒くないのである。昨日までの真冬の寒さが嘘のような春の如き暖かさである。雨の心配は全く無い。風は少しあるがこの暖かさでは気になる程ではない。釣りに行こうという気にさせてくれる条件は整っていた。

 この秋は久しぶりに患った風邪が長引いて、絶好の釣りシーズンに釣行ができなかった。風邪も治ったことだし、海に行くことに決めた。

 昼飯に「名人おすすめのラーメン・和風コクしょうゆ」を茹でて食った。この和風ラーメンは比較的新しい商品でダシにかつおぶしの他、アジ、グチ、ハモなどを使った珍品とも言えるラーメンである。以前に食ったときはさほど美味いとは思わなかったが、何となく手にとって買ってしまった。今日食ってみると思いの他うまい。その後改良されて味が良くなったのかも知れない。美味いラーメンを腹に入れたら、釣りへの意欲がさらに高まった。いざ出発。

  私のホームグラウンドは福浦の岸壁。家からバイクで10分ほどの近距離にある。今年の10月の初めに型はいまひとつだがカレイを3枚釣り上げ、その次の釣行では31cmのカレイを釣っている。その後しばらくはカレイ好調の情報が入ってきていたが、最近パタリと聞かなくなった。群れが去ったのかも知れない。

 とりあえず釣り場に着いて準備を始めた。釣りの時間で何が楽しいって言えば、最高に楽しいのは魚が釣れたときだが、準備している時間も楽しいのである。これから起こるかもしれないドラマにワクワクしながら竿を伸ばし仕掛けを付け、最後に餌をつけたらいよいよ第一投だ。青空に向かって力一杯に竿を振り投げる・・・と書きたいところだが、私の釣りはそうではない。まず最初に投げる竿は近距離ねらいなので、力などこめない。だらーんと竿を振って、目の前の海にぽちゃりと仕掛けを落とすのだ。他人が見たら「なんだありゃ。釣る気あんのか、あいつ」と思うかも知れぬほど、気合のこもらない投げ方である。

 次はちょいとだけ飛ばす。30mくらいの所のポイントを狙って落とした。3本目の竿はもう少し遠く、50mくらいに投げて準備完了。あとは魚が食いつくのを待つだけだ。

 左側でブラクリ釣りのようなことをしていたお爺さんが、何やら大物をかけたらしい。竿先にぶるんぶるんと魚の引きが来ていた。あの距離で釣れる大物といえばアイナメに間違い無い。そして予想どおりアイナメが姿を見せた。まあ30cmと言ったところか。昔なら大したことは無いが、今では貴重といったサイズ。

  久しぶりに来た海は青く、空も青く、雲も美しい。心配していた風もここでは大したことは無い。今日の風は南西からの暖かい風だ。ここの釣り場は西側に工業団地群の建物があるので、西風ならよけることができる。快適な時間が流れていった。

 しかし、この快適な時間に相応しく海も静かである。私が来てから間もなくして潮がほとんど動かなくなってしまった。こんなに静かで平坦な海面を見るのは、随分と暫くぶりのことだ。したがって、と言うべきか、魚も沈黙したまま一向に存在の証左を見せることが無い。ただ一度だけ竿先が引き込まれる魚信があったが、餌が食いちぎられただけだった。投げちゃ待ち、また投げちゃ待ちの繰り返しで時間が過ぎてゆくばかりであった。

 暗くなる5時近くまでやったが、私が見た魚らしい魚は後にも先にもお爺さんのアイナメだけだった。私以外にも投げ釣り師はけっこう来ていたが、誰にも魚は来なかった。私にもだ。

 まあ、釣りだから釣れないこともある。釣れないものは釣れない。別に釣れなくたっていいじゃないか。暖かい午後のひとときを海でのんびり過ごしたのだから。しかし今日みたいな暖かい日はもうこの冬には来ないだろう。

 明日から12月。冬本番だ。まだここへ来れる日はあるのだろうか。なんだか自信が無いな。

戻る